第75話 咬蛇王の影
ヨーデル・ハイゼンベルグ率いる後詰め部隊が、アメパ堰堤要塞に到着する。斥候の情報によれば、要塞の正面門を警備している敵兵の姿はなく、部隊を突撃させたところ、あっさりと突入が成功した。先遣したキャロル達が予想以上に上手くいったのか、それとももっと別の要因か。そこははっきりとしない。
要塞内に入り込んだ部隊が最初に目撃したのは、通路を埋め尽くす白い雪である。王国内の魔法推進派ともかかわりのあるヨーデルは、すぐに魔法によるものだと判断した。雪自体がまだ新しいことから察するに、魔法を使っての戦闘がつい先ほど起こったことがわかる。当初抱かれていた疑念のひとつである『この一件は魔法推進派の貴族騎士が起こしたクーデターである』という予想は、どうやら的中してしまったようであり、ヨーデルの気をやたらと重くした。
「百騎士長、通路のそこかしこに死体が転がっています」
「丁重に葬ってやる時間はまだない。そのまま進軍だ」
「……了解」
要塞前に陣を張り、突入部隊からの報告を受けるヨーデル。一階層の調査がくまなく終わる頃、改めて全軍の突入を指示する。報告の中には、生き残りの騎士達と接触したという情報もあり、ヨーデルはその場への案内を急がせた。
「お疲れ様です、メイジャー・ヨーデル!」
「うむ、ご苦労」
案内された先で待っていたのは、数人の伝統騎士である。彼らは貴族騎士ではあるが、形式的には格上であるヨーデルを、騎行敬礼で出迎える。ヨーデルは、いささか冷え込む要塞内の空気に顔をしかめながらも、彼らに挨拶をした。
「騎士隊長リリバの子、伝統騎士レイザー・レインです」
「英霊フランツルの子、貴族騎士ヨーデル・ハイゼンベルグである。早速だが、情報を知らせ」
ヨーデルの言葉に、レイザーは頷く。
地下牢に幽閉されていたレイザーらは、先遣隊により救助された。多くの伝統騎士はそのまま要塞内での陽動作戦に従事し、レイザーともう一人の騎士ゲインは、騎士提督コンチェルトに付き従う形でダム区画の再制圧に向かった。先遣隊の5名は負傷者こそいるもののいずれも健在であり、現在はダム区画の護りについている。コンチェルト提督の無事には、ヨーデルもひとまず胸をなでおろした。
クーデターの主犯はヘルマティオ・レイシアル伯爵である。こちらはおおよそ予想についていたことではあるが、あまり愉快な報告ではない。レイシアル伯爵家と親交が厚かったわけではないのだが、少年期にアメパ堰堤要塞を訪れていたヨーデルは、彼と何度か言葉を交わしていた。貴族という立場から、この国を守る、伝統騎士にだけ任せてはおけないと、そうした志は同じであると思っていただけに、返す返すも残念な話ではある。
「それでサー・レイザー、キャプテン・コンチェルトは今どこに?」
「現在戦闘中です」
「む……」
ヨーデルは背後の騎士部隊に目で合図をする。
「敵は? 獣魔か?」
「オウガとよく似た形態をしていましたが、詳細は不明です。通常の個体よりも身体が肥大化しており、黒ずんでいました」
「なに……」
努めて冷静に報告するレイザーの言葉を、ヨーデルは聞き返した。
「性質は? 通常のオウガと比べてどうだったのだ?」
「我々は長く交戦していたわけではないので……。ですが、我々は足手まといになる可能性があるからと、そう言われました」
「瞳の色は紅かったか? 黒い靄のようなものは出ていたか?」
「え、は、はい……」
特異個体だ。間違いない。
袈裟懸け同様、そして先日、王都の地下水道に現れたゴブリン同様、凶暴化した特殊な獣魔族だ。ヨーデルや、彼の師の一人でもあるゴンドワナ侯爵は、こうした特異個体は外部からの何らかの措置によって変貌したものであるという仮説を立てていた。クーデターの際の戦力としてオウガの特異個体が用いられたとなれば、その仮説の信憑性はますます高まる。
いや、考えるのはあとだ。ひとまずはコンチェルト提督に加勢をする。彼女はトオン提督の忘れ形見でもある。なんとしても助け出さねばなるまい。
直後、要塞全体を揺るがすような轟音が鳴り響き、ヨーデルは思わず飛び上がった。
「ひいっ、な、なんだ!?」
「落ち着いてください、サー・メイジャー・ヨーデル」
「わわわ、私は落ち着いている!」
背後から生ぬるい視線を向けてくる部下をそう怒鳴りつけた直後、もう一度轟音が響き、天井に大穴があいた。
「ひゃあっ!」
「危ない!」
部下の伝統騎士に突き飛ばされるようにして、ヨーデルはなんとか押しつぶされずに済む。落下してきた天井部分が床にぶち当たり、砂をもうもうと巻き上げていた。その場の一同はせき込みながらも、この異常事態の正体を見極めんと目を凝らす。そうして、瓦礫の中に転がる、ひとつの巨大な塊を目にするのであった。
「む、これは……」
砂塵が晴れ、塊の正体が判然とする。
全長5メーティアはあろうかと言うその塊に、生気は感じられない。五体はしっかりと備わっていたものの、ぴくりとも動く様子はなく、その喉元には一本の剣が突き立てられていた。先ほど話にあがったオウガ特異個体そのものだ。だがそれは、既に息絶えてしまっている。
手を下した本人の姿はそこにはない。ヨーデルがおそるおそる天井を覗き込むと、既に2階層の天井、3階層の天井にも大穴がぶち明けられ、ぽっかりと蒼穹が覗いていた。
「杞憂だったようですね……」
「まぁ、提督殿が元気ならそれで良いのだ……」
ぽつりと、レイザーがつぶやくのを聞き、ヨーデルも頷く。
「ではこれから2階層、3階層の再制圧を行う。各部隊は、サー・レイザーらと協力し合い、慎重に進軍するように。良いな」
『了解!』
咳払いの後に下したこのような命令に、各部隊の隊長ははっきりとした声で応答した。
Episode 75 『咬蛇王の影』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「さっきは危うくバレるところでした」
「いやあ……」
アリアスフィリーゼ姫騎士殿下の声は、さほど責めるようなものではなかったが、それでもショウタはばつが悪く頭を掻く。先ほど思わず『殿下』と呼んでしまったのを、キャロルに追及されたことに関してだ。結局、ショウタが見かけた敵の騎士を追うことで有耶無耶にはなってしまったから、良いようなものだったが。
アリアスフィリーゼとショウタは並んで通路を駆けていく。屋上へ向かう階段が見え、二人は互いに顔を見合わせる。どちらからともなく頷いて、階段を駆け上がっていった。
ショウタからすれば、殿下がこちらの速度に合わせて走ってくれているとわかり、少しばかり申し訳ない気持ちになる。だが、その気持ちも今は無駄なものだと、かぶりを振ってかき消した。代わりに、横を走る殿下に対して、このようなことを言う。
「殿下、王都に帰ったらお話ししたいことがあります」
「えっ」
驚いたように、アリアスフィリーゼがショウタを見る。首の動きに合わせ、金髪が勢いよく跳ねた。ショウタが苦笑いを浮かべる。
「ああいや、そんなに愉快な話では、ないんです」
「そ、そうですか……」
階段を昇りながら、殿下はわずかに視線を落とした。
「でも少し、安心しました」
「安心ですか?」
「はい。なんだか先ほどまでのショウタを見ていると、何も言わずに消えてしまいそうだったので……」
そんな風に見えていたのか。大当たりである。まったく、不義理な話ではあるが、ショウタは気まずさから視線を逸らして、ぽつりとこう呟いた。
「僕は、そんなに薄情じゃありませんよ……」
「本当ですか?」
「……ごめんなさい」
殿下はくすりと笑って『はい、結構です』と言った。なんだか、見透かされてしまっているような気がする。まだまだ、彼女には敵わないのかもしれない。
階段を昇り切ると、既にそこには扉が開いていた。ショウタとアリアスフィリーゼは、二人並んで屋上へと踏み込む。既に太陽は昇り始めていた。山脈の影から差し込む朝日と、涼しげな山風が新鮮な空気を運ぶ。が、深呼吸しているだけの余裕は、ない。
「バロン・ゲイロンは……?」
「殿下、あそこです!」
ショウタが指差した方向には、数匹のコボルトを従えて走る小柄な男の姿がある。ヒルベルト・ゲイロン男爵は、ゾルテの見立て通り、ダム区画の方へと走っていった。あれだけの戦力でダムを破壊できるはずなどないが、それでも彼の行動を止める道理はない。
「ショウタ、先に行きます!」
「はい!」
アリアスフィリーゼは床を蹴り立て、一気に加速した。彼女の追撃に気付いたか、ゲイロンは振り返り、コボルト達に命令を下す。獣魔はそれぞれ武器を構え、アリアスフィリーゼを迎え撃とうとした。ショウタは大幅に遅れつつ、走ってそれを追いかける。
「来るなああああああッ!!」
ゲイロンの絶叫は、アメパ堰堤が誇る大放水の轟音にかき消されてほとんど聞こえない。が、それでも彼の言葉を受けて、アリアスフィリーゼは足を止めた。
「来ればこのダムをぶっ壊す! 下流は全部おじゃんだ! 来るな、来るなよおおッ!」
「サー・バロン・ゲイロン! このアメパダムはその程度の戦力では破壊できません! 大人しく投降し、王裁を待ちなさい!」
「ふざけるな! 冗談じゃねぇ! ふざけるなよ!」
彼のような人間も騎士なのか。悪あがきにもなっていないゲイロンの言葉に、ショウタは呆れを隠せない。
確か彼は地下牢でオウガを使役し、そのオウガをコンチェルトにあっさりと撃破されて……それから、どうしたのであったか? そう、そのまま地下牢を逃げ出し、それからどこに行ったのかがわからなかったのだ。コンチェルトは、彼は一人で何かできる男ではないからと、それよりも合流を優先するべきだと言って追おうとはしなかったのである。
このゲイロンの言動を見れば、それもわからないでも、ないのだが。要塞内に残ったコボルトの生き残りをかき集めて、果たしてどうするつもりだったのか。このまま逃げるつもりだったか、まさか本当にダムを破壊するつもりであったのか。
アリアスフィリーゼはやがてダム区画の上へと進入し、迎撃しようと斬りかかってくるコボルト達を打ち払っていく。わずか数頭のコボルトなど、彼女にとってはものの数ではない。獣魔達は切り捨てられ、あっさりと激流へと墜落していく。
一頭、また一頭と数を減らしていくコボルト。迫るアリアスフィリーゼに対し焦燥も露わに、ゲイロンは腰から二本の剣を抜き、叫んだ。
「アジダァッ! アジダ、どこだ! 出てこい! おまえの言う通り、来てやったぞ!」
ぴたり、とアリアスフィリーゼが足を止める。
アジダ。このクーデターの主犯、レイシアルの裏にいたとされる人物である。獣魔を戦力として提供し、冥獣化の実験を行った張本人。
「俺の安全だけは確保するという約束のはずだ! アジダァッ! 出てこいッ!」
「くッ……くッ……」
もはやゲイロンの呼び声は悲鳴に近かったが、それの応じるように、歯を鳴らすような笑い声が空間に響く。
ちょうど、ショウタが走るその目の前に、ローブをまとった男の姿が、すぅっと浮かびあがった。ショウタはそこで初めて、足を止める。ローブの男は現れるなり、右腕をショウタへと突き出した。黒い球状のエネルギー体が生成され、まっすぐショウタに向けて射出される。ショウタは咄嗟に不可視の壁を作り出し、それを弾いた。
「ほう……」
男の感心したような声が響く。
「思考領域の拡張による他次元エネルギーの抽出か。器用な真似をする……」
ぴくり、とショウタは動きを止めた。思考領域の拡張。それはショウタが師匠から何度も聞かされた単語である。目の前にいるこのローブの男は、ショウタの持つ能力のことを知っている?
「アジダァッ! 何をしている! 俺はここだぞ!」
どうやら、このローブの男がアジダで間違いはないらしい。アジダはローブのフードを降ろし、くっくっと笑った。その顔立ち、人間ではない。以前、王都のバザーで出会ったリザードマンとも違う。どちらかと言えば、蛇のような顔をしていた。
アジダはチロチロと舌を出しながら、わずかにゲイロン達の方を振り返る。彼は手を掲げ、軽く振った。すると、ダム区画のちょうど真上、アリアスフィリーゼの周囲に黒い靄が現れ、靄はそのままコボルトの形を作って彼女へと襲い掛かる。
「なっ、殿下ッ!」
思わず駆け出そうとしたショウタの足元に、黒いエネルギー球が撃ち込まれる。アジダはゲイロンに告げた。
「もうしばらく待っておれ……。こちらはこちらで、興味深いものを見つけた……」
「ショウタ、こちらは大丈夫です!」
アリアスフィリーゼもまた、コボルト達を蹴散らしながら叫ぶ。
「帰ったらショウタから大切なお話しもありますから、ここで膝を折るわけにはいきません!」
「殿下……」
ショウタは、ぐっと拳を握り、視線をアジダへと向けなおした。
「あなたがレイシアル伯爵にクーデターの手引きをし、冥獣化したオークやゴブリンを王国内に放ったというのは事実ですか?」
「ああ、ウム」
蛇頭の男は、ショウタの言葉に対して愉快そうに頷く。
聞きたいことはまだたくさんある。ショウタは努めて頭をクールに保ち、不可解に思っていたことや疑問に思っていたことを直接ぶつけていく。
そう、例えば連日王都に降り注いでいた雨のことだ。例年を越えた集中豪雨により、王都の排水機構はマヒしていた。そこに狙い澄ましたかのようなアメパ堰堤要塞の占領。あの集中豪雨は、アジダが意図して引き起こしたことなのか。
「ああ、ウム。その通りだ……」
こちらが疑問を口にするより早く、アジダがつぶやく。ショウタは目を見開いた。
「もうひとつ、ヌシが疑問に思っていることも答えてやろう」
「………」
「ヌシらが考えている通り、我らの王は冥獣七王が一人、咬蛇王だ。我らが王は、標的をこのグランデルドオ騎士王国に定めた」
やはり。やはりか。
メロディが戦っている冥獣王の内の一体が、ついにこの騎士王国へも攻撃を開始したのである。今目の前にいるのは、その腹心。いわば、魔王の部下だ。ショウタは、自らの身体が緊張に強張っていくのがわかった。
「では、こちらからも質問をさせてもらおう……」
「何を……」
アジダはニタリと笑って、ショウタがまったく予想だにしていなかった言葉を口にしたのである。
「ヌシ、元の世界に戻りたくはないか?」




