第72話 冥き獣(前編)
今章のラストまで5日連続更新です。
ダム区画の再制圧はあっさりと完了してしまった。一同は再度、状況を検める。
このアメパ堰堤要塞を乗っ取っていたのは、ヘルマティオ・レイシアル伯爵を主犯とした貴族騎士の集団だ。彼らはどのような手段を用いてか、獣魔族を戦力として扱う術を手に入れている。彼らのクーデターに反対した騎士の大半は、既に殺害されてしまっている。当初は確認されていなかった大型獣魔、すなわちオウガなども運用されているという事実は、アイカ達を少なからず驚かせた。
アイカ達としては、当初不透明であったアメパ堰堤要塞の内情がはっきりしてきたことになるが、それでもまだまだ不明な点が多い。レイシアルらの目的や、敵の総戦力などがそれだ。結局、王都の生命線であるダムの安全だけは確保したことになるが、彼らは一体何をしたかったのか。
先の戦闘で、レイシアルの側近と思われる双子の確保には成功している。彼らが目を覚ませば、直接聞き出すこともできるだろう。この部屋にいた敵のうち数人も、辛うじて一命を取りとめている。結局、数人の騎士が屍を晒すことになっており、アイカは険しい顔を作りはしたが、それ以上何かを言うことはなかった。
「私は、レイシアルを探す」
コンチェルトはそう言った。
「……もちろん、それだけでは、ないけどね……。現在も陽動を続けている部下たちを回収しなければならない……。戦力を、この区画へ集中させる」
眠たげな海色の瞳を動かし、コンチェルトは視線をキャロルへと向ける。
「ここの指揮は引き続き、ディム・キャロル……。君が、執ると良い」
「イエス・ディム・キャプテン。了解です」
キャロルもまた、びしりと騎行敬礼を取って応答した。
「レイザーとゲインは、私と……。良いね」
ルカを運んできた二人の騎士が、やはり同様に騎行敬礼を取り、同じ文句で了解の意を示した。
その様子を見て、ショウタが手をあげる。
「あの、僕も行きま……」
「君は、駄目だ」
ぴしゃり、とコンチェルトがショウタの言葉をはたき落した。
「君は、残るように。私は、中途半端な決意の男を、連れて行くつもりは……ないよ」
「ちゅ、中途半端……?」
「うん……」
そのまま、騎士提督はアイカの方へと視線を向ける。アイカは驚いたような表情を作り、首を傾げていた。そんな様子のアイカを見て、コンチェルトはそっと、ショウタに耳打ちをする。
「あんなことを言った私にも責任はあるけどね……。態度に出すぎだよ」
「そ、そんなにわかりやすいですか……」
「かなりね」
と言って、コンチェルトはショウタの肩を叩く。
「いつ、故郷に帰っても良いように、必要以上に仲良くしないというのなら、その態度が正しいと、私は思わない……。中途半端なままで別れても、後悔が残るだけだよ……。なまじ、別れというものは、唐突に訪れるものだ」
騎士提督は、その態度から察せられる印象とは裏腹に、饒舌であった。語る間も眉ひとつ動かさず、抑揚の薄いイントネーションはどこか眠たげである。それでも、コンチェルト・ノグドラは、はっきりと語った。
「それが、死別ということもある……」
どきり、とした。
考えたことがないわけではない。考えないようにしていたわけでも、なかった。
今までも何度かあったはずだ。生死の境に陥るほどの窮地が。死線をくぐり抜けて今、なんとかここにいる。それでも、再認識させられると、どきりとした。アイカと自分のどちらかが死ぬことは、果たしてあるだろうか。
しかしショウタは思う。ルカが死ぬ可能性をあれだけ考慮しておきながら、ぼろぼろになった彼女を見たとき、冷静さを保つことは難しかった。アイカが、いや、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下との死別が訪れる時、その可能性を正しく認識できているだろうか。
その時がきても良いように、後悔をしないように?
それが騎士の死生観だというのなら、ショウタにはまだそれを、理解しきれてはいない。
「じゃあ、行ってくるよ」
コンチェルトはそう言って、二人の騎士を従え出て行く。他の騎士が騎行敬礼と共に見守る中、ショウタはずっと、思考の迷宮の中にいた。
Episode 72 『冥き獣』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
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「ショウタ、顔色が優れません。大丈夫ですか?」
「あ、ああ。えっと、はい……。ご心配おかけしています」
アイカに声をかけられて、ショウタは頭を掻きながらなんとか応対する。
「すいません、お嬢様。何人かは、殺さざるを得ませんでした」
区画内に転がる貴族騎士の亡骸を見遣って、ショウタは謝る。突入時にキャロルが手を下したものだ。ショウタとしても、生け捕りが難しいことは知識として知っているし、キャロルを非難する意図はまったくないのだが、ただ、アイカの意に添えなかったことに関して、そう謝罪した。
アイカは小さく微笑んでかぶりを振る。
「ショウタが謝ることではありませんよ。私の力不足です」
「……はい」
「ショウタの国は、平和だったと聞いていますが」
「あ、えっと。はい」
故郷の話になって、ショウタは顔を上げてしまった。
「まぁ、一応平和でした。いちおー」
「こうした内紛に関わったことは?」
「ないです。ここだけじゃないですけど。オーク討伐の時も、地下水道のゴブリン討伐も。初めてのことばっかりです」
「そうですか……」
アイカはそのまま腕を組んで、壁に背中を預ける。ショウタもそれに倣った。ダムから大量の放水が為される振動が、身体に伝わってくる。
白い甲冑に身を包んだアイカの姿は、いつもと変わりがない。だが、彼女の姿をこうして目の当たりにするのは、ひどく久しぶりのような感覚があった。
アイカはくすりと笑う。
「なんだか、こうしてお話をするのが、すごく久しぶりのように感じますね」
「そ、そうですね。まだ丸一日も経ってないんですけど……」
コンチェルトの言葉が心に突き刺さっているだけに、ショウタの歯切れは悪い。
騎士提督はあのように言ったが、それを受けて姫騎士殿下にどのように接すれば良いのか、ショウタはかえってわからなくなっている。ほんの少し、わずか数寸、隣にいるだけの彼女との間に、埋めがたい隔たりを感じていた。
そんな時である。
「アイカ、来てくれ!」
少し離れた場所から、キャロルの声がする。アイカとショウタは身体を起こし、顔を見合わせてから、彼女の方へと向かった。
「どうしました、キャロル」
「ゾルテとトリッシュが目を覚ました。これから尋問を行うが、まぁ、立ち会ってくれ。伝統騎士流は厳しくなりがちなのでな」
見れば、先ほど一緒に運び込まれた二人の若い男女が、怯えを敵意の介在した視線を振りまいている。レイシアル伯爵配下の貴族騎士だ。アイカやキャロルの話によれば、おそらくどちらも山師の子供で、レイシアル家に小姓として仕えた後、叙任を受けている。トリッシュが姉、ゾルテが弟だ。
視線の色は、トリッシュの方に怯えが強く、ゾルテの方に敵意が強い。大柄なトリルは威圧するように腕を組み、満身創痍であるはずのルカも、壁にもたれかかり座り込んだまま、鋭い目を二人へ向けている
「そうですね……。私も尋問のやり方はあまり詳しくありませんが、もう少し、緊張を解いたほうが良さそうです。ショウタ?」
「えっ、ぼ、僕ですか?」
「あなたが一番緊張を解きやすそうですから、あなたが質問を」
「それって、僕が一番弱そうってことですよね……」
「素敵なことだと思いますよ?」
言われて、ショウタはこほんと咳をする。
「えー、ノクターン家で小姓をしております、ショウタです。いくつか聞きたいことがあります」
「断る」
ゾルテがぴしゃりと言った。まぁ、そうだろうなと思いつつ、苦笑いを浮かべるショウタ。
「まぁまぁそう言わないで。肩肘張っても良いことなんかありませんよ。ねー? みんな怖かったでしょう? わかりますよ、僕も非力ですし。怒らせたら首をねじ切られるかもしれません」
後ろでアイカが『しません! できますけど!』と言っていた。やっぱりできるんだ、と心胆が冷える。
「レイシアル伯爵のこと、今回のクーデターのこと、いろいろ教えてください。ね?」
ショウタは帝王学や人心掌握術なんて習っていない。できることと言えば、せいぜい誠心誠意お願いすることくらいだ。だが、それを眺めながら、後ろでキャロルが感心したかのように言った。
「なるほど、アイカはこうしてほだされたのか……」
えらく失礼なことを言われているような気がした。
結局のところ、ショウタののらりくらりとした態度によって、トリッシュの牙城が崩される方が早かった。ゾルテも姉に続く形で陥落し、彼らは少しずつ、こちらの質問に応じるようになったのである。
簡単に言えば、レイシアルは、先祖代々受け継いできたこの土地を奪還するべくクーデターを起こしたのだ。単純であると言えばそうだし、あまりにも幼稚であると言えばそうだが、本人にしか理解し得ない誇りがあったのだとすれば、それ以上追及することも否定することもできない。ただ、レイシアルは許されない罪を犯したという、それだけだ。
レイシアルの目的に賛同した騎士、彼が手にしようとする権力に期待した騎士、逆らうことを恐れた騎士、そして伝統騎士に強い敵意を抱いていた騎士などが、レイシアルの側についた。
レイシアルは、ゴンドワナ侯爵が中心となって動く魔法推進派のメンバーであり、帝国の魔法師を招いての勉強会にも参加するなどして、自身のシンパにも魔法を広めていった。そうした魔法を使える貴族騎士が、クーデターの中核となったのである。
「獣魔については、どうなんです?」
ショウタは、次いで誰もが気になっていたであろうことを質問する。
「あれは……、以前からレイシアル伯爵に接触していた、アジダという男が……」
「アジダ?」
「ローブを目深にかぶったよくわからない男よ」
一同は顔を見合わせる。薄々、感づいていたことではあるが、やはりレイシアルには、クーデターを支援する外部の協力者が存在した。獣魔がその男の提供によるものであるとすれば、謎は別の方向に深まっていく。
その男は何者なのか。目的は、何なのか。
だが、それを尋ねるより早く、ゾルテが次のキーワードを口にした。
「アジダは冥獣化の研究を行っていたと聞いている。すでに実験は大部分が成功したはずだ」
「冥獣化?」
「特殊な瘴気によってなされる、獣魔の強化だ」
ぴくり、とショウタがその動きを止める。ショウタだけではない。キャロルと、アイカも同様だった。
「冥獣化した獣魔、冥獣魔は、骨格をはじめとした各組織の肥大化と、骨格そのものの硬質化、身体能力の過剰強化、知能の上昇、それとは裏腹に理性の消失と単純な凶暴化を併発する。単純な戦闘能力の上昇倍率で言えば……」
「特異個体のことか!!」
キャロルが声を荒げる。びくり、とトリッシュが震えるのを見て、アイカはキャロルの肩を抑えた。
「王国西部の広域を荒らし回った袈裟掛けと、王都地下水道に侵入した数体のゴブリン特異個体は、お前たちの実験で送り込まれたものなのか!?」
「俺たちは実験には加担していない。放ったのもアジダだ」
「私の部隊は、袈裟掛けによって半壊したんだぞ……!」
ぐっと拳を握りしめるキャロルを、アイカは無言のままなだめる。
しかし、そうなると、ますますわからなくなるのはアジダという男の正体だ。ショウタはこちら側の常識には疎い。騎士王国が、魔法技術の発達していないド田舎であるせいもあるが、そのようなことができる存在に対して、心当たりをつけることがまるでできない。
それはまるで、お伽話に出てくる魔王のような。
そう思った時、ショウタの脳裏に、ふとある少女の影が掠めた。桃色の髪を持つ、まだ幼い彼女が、今まさに挑んでいる敵の名は、
「冥獣七王……」
ぽつりと、アイカは呟く。
「その配下が、騎士王国に入り込んでいると……?」
予想以上に深刻な事態にトリルやルカも険しい表情を作る。
現在、帝国を騒がせている世界的脅威。それが冥獣神配下の冥獣七王だ。勇者メロディアスは、現在その内の2体、猛牛王と獅子王を下したと聞いている。残る5体の内、1体がこの国に手を伸ばしているとすれば、それは只事ではない。
「クーデター制圧のつもりが、かなり大事になってきたな」
「はい。一刻も早く王都へ伝える必要がありますが……。今はこちらを片付けなければなりませんね」
「ああ。ダム決壊の危険だって、完全に削がれたわけではない」
アイカとキャロルがそのような言葉を交わしているさなか、ルカがぴくりと顔を上げた。次いでトリル、話していた二人も、ルカの視線の方向、すなわち区画の扉部分を見やる。それだけで、伝統騎士の鋭敏な聴覚が、通路前までやってきた不審な足音を気取ったのだと知るには、十分すぎた。
ショウタはゾルテとトリッシュをかばうようにしながら、思考領域に意識を集中させる。ショウタの視覚は分厚い扉をすり抜けて、その向こう側をはっきりと知覚した。いきなり意識の中に飛び込んできた黒い靄に、身を震わせる。
「ショウタ、大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
ごくりと唾を飲んで、再度透視を試みる。靄の中に立ち尽くす黒い影と、爛々と輝く紅蓮の双眸を確認できた。
「冥獣化個体……」
その言葉を受けて、一同に緊張が走る。
「なるほど。噂をすればか」
キャロルは同田貫を引き抜き、他の騎士達に目で合図をする。
いや、しかし、これは。ショウタは扉の向こう側を見通しながら、妙な胸騒ぎを抑えきれずにいた。このシルエットには見覚えがない。ゴブリン、コボルト、オーク、オウガ、一通りすべての獣魔と相対したことのあるショウタだが、いま扉の前にいる冥獣魔は、そのいずれとも異なっていた。
次の瞬間、分厚い金属製の扉が、鈍い音と共にひしゃげる。キャロル達が反応するよりも早く、扉に2度、3度の衝撃が加わり、そのままあっさりと弾き飛んでしまった。
「てぇぇぇぇあァッ!!」
こちらに向かって吹き飛んで来た金属扉を、アイカが抜刀と共に一刀両断する。直後
空いた扉から凍てつくような寒風が吹き込んでいた。風に混じる氷の礫が、顔を叩く
「これは……」
寒さに思わず身をすくめるショウタの後ろで、トリッシュが小さく声を漏らした。
屋内であるというのに、吹雪く風。ショウタがその違和感の正体を突き詰めるよりも、キャロルが口にする驚愕の声の方が早かった。
「レイシアル……なのか……!?」
白く塗り潰されていく視界の中、黒い靄と紅い双眸のコントラストが浮かび上がる。幽鬼の如く立ち尽くすそれの姿は、言われてみれば確かに、獣魔ではなく人間の姿をしていた。
「どういうことだ、ゾルテ! トリッシュ!」
それまで黙り込んでいたトリルが、大声をあげる。トリッシュは怯えた表情でわずかにかぶりを振るだけだったが、ゾルテは歯を打ち鳴らしながら、辛うじてこう答えた。
「アジダが伯爵を最後の実験台にした……。そういうこと、なんだろう……」
「では人間も冥獣化すると言うのですか!」
放水の音と風の音が喧しい中でも、はっきりと聞こえる声でアイカが尋ねる。
「わからないよ! 俺も理論しか聞いていないんだ!」
冷静さを保とうとしていたゾルテだったが、いよいよその声は悲鳴に近い。
「冥獣化は、獣魔の血液に流れる瘴気に反応して起こる現象なんだ! 瘴気っていうのは、循環がうまくいかず、澱んでしまった魔力のことで……、つまり、本来持っている魔力を腐らせることができれば、どの生き物も冥獣化することは理論上可能って……そういう……!」
「聞いたな!!」
キャロルは同田貫を構え、レイシアルから視線を逸らさない。
「アイカとショウタはバックアップだ! 魔力の無い伝統騎士ならば冥獣化の恐れなく戦える! 魔力が少しでもあるものを奴に近づけるな!」
「キャロル、私も魔力はありません。前衛に回ります」
アイカもまた、剣の柄に手をかけ、前に出る。キャロルは一瞬不思議な顔を作るものの、追及はせずに頷いた。
「わかった。ではショウタ、お前は下がっていろ。ゾルテやトリッシュを奴の冥瘴気から遠ざけるんだ」
「は、はい!」
魔力。生まれの違う自分に、そんなものがあるのか、とショウタは思ったが、すぐにかぶりを振った。魔力はある。出発前、ショウタは擬似霊薬によって骨折を治した。あれは魔力を治癒力に変換する薬だったはずだ。
ショウタにも魔力はあるのだ。冥瘴気に触れれば、冥獣化する可能性がある。
今までに2度、冥獣化個体との交戦経験があるショウタは、ともすれば以前の戦いで、怪物と化していた可能性もあるのだ。
ぞっとしながら、雪の中の怪物を眺める。
「ルカ、おまえは快癒していない。無理はするなよ」
キャロルの言葉に、ルカ・ファイアロードは小さく肩をすくめて見せた。まだ顎は動かせないようだが、既に得物に手をかけ、平然と立っている。キャロルは舌打ちして視線を戻した。
「いや、そうだな……。甘えたことも言ってられん。一度拾われた命を、ここで捨てろ」
ルカは頷いて前に出る。ショウタに視線を送り、ひらひらと手を振った。
冥獣レイシアルは、動かなかった。こちらの指示が終わるまで、待っていてくれたわけではないだろう。ただ、破壊衝動に満ちた紅い双眸をこちらに向け、入り口に立ち尽くしているだけだ。
不気味な静けさに、アイカもキャロルも、トリルもルカも、それ以上動けずにいる。
いつまでも続くかと思われた静止の時間が、急に終わりを告げる。
レイシアルは、雪の積もり始めた区画内に、一歩、足を踏み出した。前線を張る騎士達に緊張が走る。
直後、
「――――――――――――――――――――ッ!!!」
その男の口から放たれた大音声は、かつて戦ったあの化け物たちと、まったく同じ音をしていた。




