第71話 突入作戦
ショウタの透視によって、ダム区画の内部の様子が明らかになる。中に待機しているのは数名の貴族騎士。獣魔のような戦力は見当たらず、警備は完全に手薄になっている状態だ。ショウタが面子に加わったことで、壁の向こう側への直接の転移が可能になる。コンチェルトは、ショウタともう一人を転移によって突入させ、即座に内部を鎮圧する作戦を提案した。
鎮圧作戦の成功後、ルカやシャイアタン姉弟などを運び込み、サー・マーキス・ヨーデル・ハイゼンベルグ率いる後詰めの部隊が到着するまでの間、ダム区画への籠城を行う。
ルカを運んできた二名の伝統騎士には、隠し通路を使い、現在要塞内で陽動作戦に従事しているほかの騎士達をこちらの区画へ運んでくるよう指示を出す。そうして、一通り、打ち合わせは終了した。
さらにコンチェルトは、自身にかけられている魔法についての説明を行う。ヘルマティオ・レイシアルによってかけられた弱体化の術式。レイシアルが生存している限り、彼の魔力がコンチェルトの身体能力を大きく低下させる呪いだ。
術式を解除するには、術者を殺害するより他はない。また、被術者が死亡した場合、魔力の逆流と暴走によって術者が死亡する可能性があるため、彼らはコンチェルトを殺すことができない。力を押さえ込まれた状態で戦い続けることはできないと判断したコンチェルトは彼らに従い隠し牢に幽閉されたが、敵の判断ミスがあったとすれば、戦略級騎士には押さえ込まれた身体能力でも、十分オウガとのタイマンを演じるだけの力を残していたということだろう。
「ただ、どちらにしてもこのままでは後々に支障をきたすから、レイシアルは殺すつもりだ」
コンチェルトは、感情のにじまない言葉でそう言った。アイカが複雑そうな表情を作る。
「捕縛して、騎士王の沙汰を待つということは……」
クーデターの首謀者は、定例に従えば問答無用で死罪だ。だが、アイカは自らの剣で人を手にかけることには消極的である。例え名を偽ったところで、彼女は王族騎士であり、その刃が人の命を奪うことの意味を理解しているのである。
コンチェルトは、じっとアイカを眺め、しかしかぶりを振った。
「許可できない」
騎士提督も、アイカの正体に気付いているのだろうとは思われるが、はっきりとそう答える。
「ディム・アイカ、あなたの剣が誰かを傷つけることができないと言うのなら……、無理にレイシアルと戦う必要はない。その場合……、ディム・キャロル、サー・トリルのバックアップに回るように……」
「……わかりました」
そうまで言われてしまえば、アイカも申し立てをすることはできない。黙り込んで、頭を垂れた。
「もっとも、レイシアルが今、どこにいるのかは、わからない……。無理に彼を見つけ出して戦う必要は、いまのところないんだけど……要塞から脱出していたとすると、厄介だね……」
最終的に、この要塞に残っている勢力はすべてヨーデル率いる後詰めの部隊に掃討される。アイカやキャロル達が直接手を下さなくとも、レイシアルは捕縛されるか、あるいは捕殺されるかのどちらかとなるのだ。厄介なのはコンチェルトの言う通り、レイシアルがすでに逃亡していた場合であり、この場合コンチェルトにかけられた術式は解除されないままとなる。
ともあれ、まずはダム区画の奪還を優先する。コンチェルトは、ショウタに視線を送った。
「ショウタ……、体力は、どれくらい回復を?」
「一人でしたら、問題なく中へ連れていけます」
「ん……、では、誰か一人選んで」
ショウタは、その場の全員をぐるりと見渡し、
「えっと……、じゃあ、キャロルさん」
「む、私か?」
まさか名前を呼ばれるとは思っていなかったのか、キャロル・サザンガルドは驚いたような顔をする。
「装備重量も含めて、一番負担かからなそうだったので」
「……そうか」
少し腕組みをし、目を閉じた後、キャロルは頷いた。彼女がアイカに視線を向けると、アイカもまたキャロルの方を向いて小さく微笑む。特に気にしていないようだったが、キャロルは、どうにもやりにくいというように溜め息をついた。
Episode 71 『突入作戦』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「単刀直入に聞くが、ショウタ」
突入の準備を整えながら、キャロルが小声で尋ねる。
「なんでしょう」
「アイカと何かあったのか?」
「何かあった、ってわけじゃ、ないんですけど……」
ショウタの言葉は、どうも要領を得ない。
先ほどアイカとも話した通りだ。どうにも、彼の態度は先ほどからおかしいように感じる。ショウタはなんというか、もう少し、アイカとべったりしていた印象のある少年だった。頼りない従者が独り立ちした、というのならば別にかまわないのだが、それにしても言動がよそよそしすぎる気がする。
そもそも変化が起きたのは、この数時間の間なのだ。
キャロルはもう一度背後で待機するアイカへと視線を送る。彼女も、ショウタの態度の変化を訝しむ様子はあるのだが、そこにもう一歩、踏み出そうという気配はなかった。なんというか、もどかしい。
「(ええい、ここは騎士恋愛譚の小説ではないのだ)」
がしがし、と頭を掻きながら、キャロルは考え込む。
幼い頃から、女騎士が主役の小説を読み漁った彼女は、比較的少女向けの、ラブロマンスに主軸を置いた騎士小説にも造詣が深い。自己分析によれば、アイカとショウタの関係を邪推しているのはそれが原因だ。キャロルの脳内では、二人はこう、主従の枠を超えた、もっと素敵な……、
いや、考えすぎだろうか。
「あのー、キャロルさん」
「なんだ」
ショウタが横でおずおずと尋ねてきたので、キャロルは険しい顔で応じる。
「転移しますよ?」
「む……。そうだな、どうすればいい」
「とりえあず、どっかは繋がってないといけないんで。手を握りますね」
「そうか、手を……なにッ!?」
いきなり大声をあげたので、ショウタはびくりと身体を震わせた。
手をつなぐと言ったのか。いや、それはもっとこう、親しい男女の間でやるものではないのか。今は作戦行動中であり、よしんばそのような甘えた言動が許されないのだとしても、よりによってアイカの目の前で手を繋げというのか。それは、いわゆる不貞を働くということにならないのか?
「別に握るのが嫌なら肩に手を置くとかでも良いんですけど……」
「そ、そうさせてもらう」
すまない、剣友よ、と想いながら、キャロルはショウタの肩に右手を置く。コンチェルトは天井を仰ぎながら『ここは騎士恋愛譚の世界ではない』とつぶやいていた。その通りである。ふざけている場合ではない。
「じゃあ、行きます」
ショウタは目を閉じ、意識を集中させる。次の瞬間、キャロルは世界がぐるりと回転したかのような感覚を覚え、次の瞬間には肌を取り巻く空気の感触が、変わっていることに気付いた。目の前の光景が、一瞬にして変化する。
「成功です!」
真横でショウタが叫ぶ。そこでようやく、キャロルは、これが転移という現象なのだ、ということに気付いた。
呆けている暇はない。改めて同田貫を構えて、狭い室内のロケーションを確認する。
横幅はわずかに5メーティアほど、天井の高さも3メーティアほどと、決して広い場所ではない。ダムが放水する激流の震動が、部屋全体を揺るがしていた。ここがまさに目的地、アメパ堰堤そのものの内部なのだ。
「なっ、何者だ!!」
室内の騎士達が、一斉に警戒を露わにするのがわかる。前方に3人、後方に5人。いずれも貴族騎士と思われた。
「護国の騎士である!」
キャロルは愛剣を掲げ、叫ぶ。
「騎士将軍アンセムの子、伝統騎士キャロル・サザンガルド! 貴様らの愚行を正しに参じた! 我が剣裁の栄に預かりたくば……」
「はああああああッ!」
やや食い気味に、ショウタが叫びながら大きく手を動かす。直後、強い突風のようなものが前方にいる3人の騎士をなぎ払った。
「おいこらショウタ!」
キャロルは思わずしかりつける。
「騎士の名乗りを遮るな! 無礼だろうが!」
「すいません、いま、あまり心に余裕がないんです!」
「まったく!!」
前方の3人はショウタに任せておけば大丈夫か。貴族騎士達は紋章を展開し、氷の刃を投射するが、ショウタは不可視の壁を呼び出してその攻撃を完全に打ち払う。右手はそのまま腰の得物を掴み、素早く伸びた蛇鞭が一瞬の隙を突くように叩きつけられる。
キャロルは振り返りざま、5人の騎士に向き直った。この場にいては、氷の刃を避けた際、ショウタに当たってしまう。まずは床を蹴り、跳ね、そのまま壁と天井を走り抜けながら騎士達へと距離を詰める。キャロルの素早い動きに、貴族騎士達は対応が遅れた。氷の刃は一瞬後に次々と生成され、投射されていくが、いずれも彼女をとらえることはできない。
壁、天井、そして床へと着弾した氷の刃はそのまま結晶へと変化するが、キャロルの行く手を阻むことはない。
「はぁぁぁぁッ!」
「ひィッ!!」
まずは1人目、鋭い刺突撃が心臓部を貫く。素早く剣を引き抜き、2人目へと肉薄した。
ちょうど右手側から迫ってくる氷の刃を潜り抜け、2人目の顔面をバックラーで打ち据える。怯んだ隙に足払いをかけ、そのまま3人目へ。右手で襟元を掴み上げ、押し倒すように組み伏せた。同田貫の柄で、喉笛を潰すように殴りつける。残るは2人。キャロルは立ち上がりながら、更に駆けた。
4人目の心臓を突き、そのまま剣の柄を話すと、5人目をバックラーで押すように壁へと叩きつける。
「がッ……!」
男の肺から空気の押し出される音がした。そのまま襟首を掴んで引き倒し、顔面を床に激突させた。気を失ったか、男はすぐに動けなくなる。
無力化した5人中、殺したのは2人。特別な意図があって生死を分けたわけではない。キャロルとしても、出来うることなら王の裁きを待つべきだと考えていたし、だがさりとて手加減を考えられるほど余裕があるわけでもなかった。アイカほど、慈悲深いわけではないのだ。
振り返ると、ショウタもちょうど3人の貴族騎士を無力化させるのに成功していたところだ。どうやら一人も殺してはいないらしい。彼の蛇頭鞭は、神経性の麻痺毒を注入できるのだと、アイカから聞いていた。
「上出来だ」
キャロルはとりあえずそれだけ言って、刃についた血を払う。
「キャロルさんの方は……ふたり、お亡くなりに?」
「ああ。遠慮はしなかったのでな。生きてる3人もどうなるかはわからん」
同田貫を鞘に納めながら、複雑そうな表情をしているショウタに尋ねた。
「わかっているとは思うが、これは内紛の鎮圧だ。いわば戦争だぞ、ショウタ」
「ああ、はい。大丈夫です。僕も、ここで死ぬわけにはいかないんで……。いざというときは、遠慮しません」
「なら、良いがな」
ともあれ、この区画にはこれ以上騎士はいないらしい。制圧は完了だ。案外、あっさりしたものだった。
「これだけって、変じゃないですか?」
「妙だとは思うが、おまえの透視でもこれ以上の騎士はいなかったんだろう」
「どっかにまとめられてるんですかね……。こんなに少ないもんでしたっけ?」
「アメパ堰堤要塞に詰めている騎士は、伝統騎士と貴族騎士と合わせて500人程度だ。貴族騎士の何人が寝返ったかは知らないが……」
じゃあ、やっぱり少ないですね、とショウタがつぶやく。
確かに、この要塞には、人間の騎士の数があまりにも少なすぎる。違和感自体は最初からあったのだ。しかしそれが、足を止める理由にはならないと、ここまで進軍してきたわけではあるのだが。こうまで何も起こらないと、かえって不気味では、ある。
「ともあれ、当初の目的はこれで完遂だ。提督たちを中に入れる」
「はい」
「先ほどの先頭でひっとらえたレイシアルの部下や、まだ息のあるこいつらに話を聞けば、わからないこともはっきりするはずだ」
「まぁ……、そうですね」
ショウタも頷いて、この区画と通路を隔てる扉を開けに行く。
「まぁ、なんだ……。アイカがおまえのことを心配していたぞ」
扉に手をかけたところで、ショウタがぴたりとその手を止めた。
「アイカお嬢様は僕のことそんなに心配しないでしょ?」
「まぁうむ……。ホントのところはそうなんだが……」
ちらり、と背後を振り返って、キャロルはかぶりを振る。
「いや、よそう。こういう血なまぐさいところでする話ではない」
「はい」
どうにも、ショウタ本人がピリピリしているように見える。彼はもっと肝の据わった……というか、図太い男であったように記憶しているのだが、今はだいぶデリケートになっているようだ。自分を繊細な人間ではないと自覚しているキャロルは、これ以上彼に何かを追及することをやめる。
「(私は、つくづく剣友甲斐のない女だな)」
改めて、重厚な扉を開くショウタを見ながら、キャロルは心の中で溜め息をついた。
「サー・カウント・レイシアルを見かけたか?」
貴族騎士の居住区画の話である。
クーデターの成功以降、彼らは一部の雑務に従事することがほとんどであり、警備や監視などに駆り出されることはあまりなかった。獣魔を戦力としてほぼ無尽蔵に使役できるため、伝統騎士に身体的スペックで大きく劣る貴族騎士達は、かえって足手まといになるという判断だった。
結局、レイシアルのシンパとして魔法を学んでいた一部の貴族騎士以外は、ほとんどが書類業務に回されたのである。貴族騎士の中にも、クーデターに反対する者は存在したが、そうした連中はほとんどの伝統騎士と共に早急に掃討されてしまっている。残ったのは、元からレイシアルの思想に賛同していたものか、あるいは、単にレイシアルの勝ち馬に乗りたかった一部の貴族騎士のみ、ということになる。
勝ち馬に乗りたかっただけの貴族たちは、そのまま堰堤要塞の居住区画に押し込まれ、ここから出ないよう通達された。彼らは多少は不満を漏らしたが、王都との交渉が済むまでの間だと言われ、しぶしぶ承諾した。
「いや、見ていないな。ずいぶん外が慌ただしいようだが、何かあったんだろうか」
「なんでも、脱走者が出たらしい。我々には待機命令が出たままだ」
「ふうん、じゃあまた獣魔達に処分させるのかな」
居住区画の一室に設けられた執務室で、頭を突き合わせながら貴族騎士達が話し合う。
この執務室には、レイシアルが定期的に顔を覗かせていたのだが、ここ数時間の間はそれがない。脱走者が出たと聞いていても、貴族騎士達の反応はのんきなものだった。
「騎士提督は結局どうなったんだろうな。生け捕りにしたって話だが……」
「地下牢で飼い殺しにしてるって聞いたぞ」
「ゲイロン男爵からか。どんな風にいたぶってるかとか、ねっとり聞かせられたな」
「良い趣味してるよ。バロン・ゲイロンは……」
彼らが作成しているのは、王都への交渉を見据えた書類だ。結局、特に実りのない駄弁りをしながらでも、きちんと筆だけは動いている。交渉が成立した暁には、レイシアルのとりなしで、上等な生活が約束されているらしい。このクソのような環境のゼルガ山脈ともおさらばというわけだ。
がちゃり、と扉が開き、同僚の女騎士が入ってくる。
「みなさん、お茶が入りましたよー」
「ああ、そこに置いてくれ」
「もう朝ですよー。みなさん精が出ますねー」
「他にやることがないんだ。退屈なんだよ。外の様子はどう?」
それぞれが茶を受け取りながら尋ねると、お嬢様育ちの彼女は首を傾げながら答えた。
「脱走者を捕まえるためにバタバタしてるみたいです……。ここまでは来ませんよね?」
「それは、サー・レイシアルの指揮に期待するしか……」
そこまで言いかけた時、突風が開いた扉から吹き込んでくる。雪の混じる風に一瞬で体温を奪われ、一同は身体を抱え込んだ。
おい、閉めろよ。
冗談交じりにそう言おうとして、気づく。ここは屋内。それも、防寒対策のしっかりしたアメパ堰堤要塞の居住区画である。雪混じりの寒風が、室内に吹き込んでくることなど、どう考えてもあり得ない。なにかが妙だ。そう思った時、
「あ、レイシアル伯爵!」
女騎士が声をあげる。風と共にその入り口に立っていたのは、まさしく先ほど話題に上がったサー・カウント・ヘルマティオ・レイシアルその本人であった。
彼は氷雪系の魔法をよく扱う。この風と雪がレイシアルの仕業であるとすれば一同も納得いくのだが、何かが引っかかった。そもそもレイシアルは、このようないたずらを仕掛けるタイプの人間ではない。加えて、いつものようなシャキッとした立ち姿ではなく、まるで魂の抜けた幽鬼のように、その場に立ち尽くしている。
だが、そうとも知らぬ女騎士が、にこやかな笑顔でレイシアルへと近づいた。
「言ってくださればお茶も用意しましたのに。せっかくですので、ごゆっくりして行って……」
「待て、様子が変だ……」
「え?」
制止の声と同時に、女騎士が振り返る。お嬢様育ちらしい、疑うことを知らぬような顔だった。
レイシアルの腕が、がしりと女騎士の肩を掴む。
「えっ、な……」
それまで亡霊のような表情をしていたレイシアルの顔が、大きく歪んだ。それは、この執務室にいる誰しもが、一度として見たことのない、レイシアルの笑み。しかし強い感情によって捻じ曲げられた、狂笑とも言うべきものである。
一同が一斉に身構える中、レイシアルの前身から黒い煙のようなものが噴出した。冷涼さを秘めていたはずの青い双眸が、今や血の色に染まり、かつてサー・カウント・レイシアルと呼ばれた男は、まるで獣のような咆哮をあげた。




