第70話 故郷に捧ぐ歌(後編)
「知っていると思うけど、私は、トオンの実子じゃない……。奴隷市場で拾われた養子だよ。私を買った時点で、トオンは高齢だった……。祖父と孫、くらいの関係に……見えたかもしれない」
コンチェルト・ノグドラは、ぽつり、ぽつりと語りはじめた。
「トオンは、騎士王国の北側、小さな領地の一人息子として生まれた……。記録にはそうあるし、彼の容姿は典型的なグランデルドオ人だったから、それは、事実なんだろうって思う。ただトオンは、時折、ここではない、どこか遠くの世界のことを知り合いに語っていた。彼が、アメパ堰堤要塞にもたらした知識の多くは……その世界のものだ」
そう言って、コンチェルトは執務机の上に飾られた、船の模型を手に取る。
肉体はこの国の人間でも、魂は違ったのかもしれない、とコンチェルトは語った。少年時代より他を圧する才覚を発揮し、神童と呼ばれたトオンは、ひょっとしたら遠い世界の記憶を持った魂が、そのまま赤子に宿ったものであるのかもしれない。霊魂の存在は、帝国の神秘霊学で肯定されているし、ありえない話ではないのだ、と言った。
それからのトオンの武勇伝について、コンチェルトは多くを語らなかった。だが、彼が魂の生まれ故郷から持ち込んだ知識を使って、次々と武勇を積んでいったことだけを端的に説明してくれた。トオンは戦術・戦略の知識に造詣が深く、加えて、このグランデルドオ騎士王国に、海がないことをひどく悔やんでいたという。今、コンチェルトが手に取っている船の模型は、トオンが青年期に暇を見つけて作り上げたものらしい。
「一度、帝国の戦争に応援として向かった時、トオンは海戦に参加したことがある……。グランデルドオ騎士は海戦の経験がないから、完全に足手まとい扱いだった、と、聞いた……」
だが、トオンは当時の帝国海軍では思いつきもしなかったような画期的な戦術の提案を次々に行い、また帝国の造船技術にも大きな影響を及ぼした。〝騎士提督〟の称号は、その時の活躍を認められ、皇帝から直々に賜ったものであるらしい。
「トオンは、それまで伝統騎士による力押しが主流だった騎士王国に、戦術の概念を持ち込んだ……。これは、一人一人の力が小さい貴族騎士や一般騎士に受け入れられて、彼の訓戒を受けようと、多くの騎士がアメパ堰堤要塞を訪れた……らしい」
その中の一人がアンセム・サザンガルド。後の騎士将軍である。
だが、トオンはそうした交流の中であっても、決して親しい人間を作ろうとはしなかった。常に周囲とは距離を置き、独りでいる時間の方が多かったと言う。その様子を見て、多くの人々は、『いつでもいなくなる準備をしているようだった』と思った。
実際、その通りだったのだろうと、コンチェルトは語る。
「……君も、そうじゃないかな。ショウタ」
「えっ」
「見たところ、君は優しい男だから……周囲の人間とは、仲良くやってきたんじゃないかな、って思うよ。でも、必要以上に仲良くなることは、避けている……。そうじゃない?」
「………」
それを尋ねられて、ショウタは視線を逸らした。脳裏にちらつくのは、一人の女性の姿だ。騎士王国に来て三カ月、一番親しくしてくれた彼女だが、確かにショウタは、彼女に対する態度のどこかに、予防線を引いている。
必要以上に親しくするのが、怖いからだ。
「ま、いいや……」
コンチェルトは、小さく肩をすくめた。
だが、そんなトオンの人生にも転機が訪れる。帝国への出征のさなか、一人の女性と親しくなったのだ。あるいは、その頃には、トオンの中にはある種の諦念があったのかもしれない。とにかく、トオンは彼女との結婚を契機に、周囲にも打ち解けるようになった。
サー・キャプテン・トオン・ノグドラ、22歳の頃であったという。
もしトオンの魂が、ショウタの生まれ故郷とまったく同じ国をふるさとにしていたのなら、22年間たった一人で、戦い続けていたことになるのだろう。右も左もわからぬ場所で、右も左もわからぬまま、帰る手段すらもわからずに。トオンが恋をしたのは、そうした人生に疲れていたからなのかも、しれない。
ショウタは、自らの心が締め付けられるような感じがした。
それでは、自分が、帰還を諦めきれるのは、いつになるのだろう。あるいは、本当に諦めることが、できるのだろうか。
「トオンは、結婚から数年後、妻を亡くした。だが、そのあとも結局、周囲に対する態度は変わらなかった……。それでも、妻に先立たれたことから、故郷への未練を思い出したのかもしれない。帝国の魔法都市に、頻繁に顔を出すように、なったんだ……」
「魔法都市に、ですか?」
「うん……。新しい術式が開発されてね……。世界の外側からの召喚を行うための魔法術式だ。まぁ、結局制御が不安定で……、当時の魔法技術では親指くらいのものしか呼べなかったらしいけど……」
それは、ショウタに対する一筋の希望であるように思えた。確かに、呼ぶことができるなら、返すこともできるのではないか。その時の、トオンの気持ちの高揚と期待に、自分の心が同調するような感覚があった。
しかし、そのようなショウタの態度を見て、コンチェルトは小さく首を横に振る。
「ショウタ……。その術式は、現在禁呪指定されていて……研究が進んでいない」
「……えっ」
希望は、すぐに打ち砕かれる。コンチェルトは淡々と続けた。
「デュエトリーゼ殿下のことは……知っているかな。私も、顔を合わせたことはないんだけど……」
「ああ、あの……。アリアスフィリーゼ殿下の、お姉さんの……」
「そう……。魔法都市に留学したデュエトリーゼ殿下が研究していたのが……、その召喚魔法だったんだ。でも、その顛末については、君も知っての通り……。魔法実験の途中、暴走した術式に巻き込まれて殿下は亡くなった……。召喚魔法は、それを契機に禁呪指定された。帝国としては、騎士王国との関係を悪化させないための最善の処置だったんだろうね」
騎士王国は、帝国の属国だ。それでも、帝国がせめてもの誠意を見せたという形なのだろう。騎士王国の中には反発もあっただろうが、その〝誠意〟を見せられれば、事を荒立てるわけにもいかない。外交問題に発展しなかったのは、そういった理由があったようだ。
結局のところ、トオンにとって、故郷への未練は、最終的にはさっぱり亡くなったのではないかと、コンチェルトは語る。
「トオンは老衰で死んだ。彼は、幸福だったと思う。私を養子にしたのは、死期を悟ったからで……自分が生きた証を、この国に残したかったからなんだろうな……って」
「そう、ですか……」
一気に流れ込んできた情報を処理するために、頭が上手く働かない。ひとつひとつ、心の中に消化していくしかなさそうだが、それでも、すぐにとはいかないだろう。ショウタは難しい顔をして、うつむく。
帝国で研究されていた召喚魔法。しかし、現在は禁呪指定されている召喚魔法。
それをなんとかして知ることができれば、あるいは自分は故郷に帰ることが、できるのかもしれない。
ショウタははたと、かつて騎士王セプテトールと交わした言葉を思い出す。
『貴公が故郷に帰るために、今の立場は非常に魅力的かつ有益であるということかな』
ショウタの立場は、グランデルドオ騎士王国の宮廷魔法士だ。この立場を駆使し、さらに騎士王の後ろ盾さえあれば、かつてデュエトリーゼ姫殿下が死ぬ原因となった召喚魔法についての情報を、手に入れることができるかもしれない。
『魔法士殿には、しばらく我が国の内情安定を図るために尽力してもらう形になるが、なに、情勢が落ち着けば貴公の目的に協力もしよう』
騎士王陛下は、ひょっとしてそこまで知った上で、あのようなことを言っていたのだろうか。
まだ、希望は、ゼロではない。ショウタは拳を強く握った。まだ、帰れるチャンスはゼロではないのだ。
同時に考えるのは、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下のことだった。いつか帰ることができるなら、その時に、彼女との関係は終わってしまう。ならば、やはり必要以上に仲良くするのは、互いのためにならないような、そんな気がした。
「……余計なことも言ったかな」
ぽつりと、コンチェルトがつぶやく。
「いえ……。いろいろ、大切なお話を聞けました」
「なら、良いんだけどね……」
コンチェルトは、両手を腰にあてて、顎で隠し通路の扉を示した。
「そろそろ行こう。もう……、大丈夫だね」
「はい、行きましょう」
まだモヤモヤすることはある。だが、聞きたいと思っていたことは、すべて聞けた。あとは、今やるべきことに集中するだけだ。
ショウタは、コンチェルトと共に隠し通路を駆けだした。これ以上考えることは、後で良い。
「へくちっ……」
アイカが小さくくしゃみをしたので、トリルが眉をしかめる。
「ディム・アイカ、やはり風邪を……」
「いえ、特に問題はありません」
ぐしぐし、と鼻をこすりながら、アイカが答える。緊張感のないやり取りに見えるが、そうこうしている間にも三人の騎士は足早に通路を駆けて行く。トリルは、肩にふんじばられた二人の貴族騎士……すなわち、ゾルテ・シャイアタンとトリッシュ・シャイアタンを背負っているのだが、走る速度は一向に衰えていない。
先ほど、彼らはクーデターの首謀者であるヘルマティオ・レイシアルを取り逃がしてしまっている。自棄を起こしたレイシアルがダムを破壊する可能性があり、それを防ぐために一同は走っている状況だ。
「そこの角を曲がれば、ダムの管理区画に繋がる扉がある!」
「どうします、キャロル。一気に突撃しますか?」
「いちど様子を見る。一刻の猶予もなさそうなら突撃だ」
キャロルは、緊張感のある面持で同田貫を引き抜く。
「直線の破壊力に長けた私の貫翔爆砕弩で扉を破壊する。突撃はアイカを先頭、トリルが後詰めだ。突入後は、月穿による面制圧で中の貴族騎士達を無力化する。良いな」
「サー・カウント・レイシアルのシンパということは、魔術が使える可能性がありますね」
「シャイアタン姉弟の動きを見るに、レイシアルのように氷の刃を複数展開するだけの技量を持ってはいないはずだ。二人の突入後、紋章を展開した魔法士は私が近づいて対処する。良いな」
「わかりました」
「応」
さすが、伝統騎士の申し子とも言うだけあって、戦闘の際の指示は的確である。
角に差し掛かり、一同は足を止める。キャロルが顔だけを覗かせて、ダム区画に繋がる重厚な扉を確認した。ダムから放水される大量の水が轟音と響かせ、壁に背を預ければ震動が伝わってくる。扉の向こうは、アメパダムに貯められた水をせき止めておくための堰堤の、その内側となっている。
向こう側での戦闘となる場合、壁を傷つけないよう注意を払わねばならなかった。あの区画の崩壊自体が、すなわち、アメパダムの決壊を意味するのだ。
「どうですか、キャロル」
「とりたてて、慌てた気配はないな……。扉の前に警備もいないのは、気になるが……」
「中の様子がわからないのが困りますね……」
こういう時、ショウタがいれば透視で中を探ってくれるのだが、いまどのあたりにいるのだろうか。
アイカがそのように考えていたとき、背後で『がたっ』という音がした。三人が一斉に振り返ると、壁面が外されて、隠し通路が露わになる。敵か、と思い武器に手を伸ばした直後、出てきた一人の女性を確認して、アイカ達は動きを止めた。
くすんだ鋼色の長髪、青と白を基調とした涼しげなデザインの鎧下制服と、ポイントアーマー。腰に吊るした二本の剣。額から左頬までを大きく縦断する傷跡は、左目を潰してしまっている。女性は、すぐさま硬直するアイカ達に気付き、海色の隻眼を動かした。
「ディム・キャプテン・コンチェルト・ノグドラ……!」
真っ先にその名を呼んだのはアイカである。しまった、と思った。彼女は、アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオとして、何度かキャプテン・コンチェルトと会ったことがある。キャロルに対して正体を偽っている都合上、ここでコンチェルトに姫騎士アリアスフィリーゼと扱われてしまうと、非常にまずい。
トリルやルカには、既にバレてしまっている気もするが。
だが、コンチェルトは、アイカにちらりと視線を向け、次にキャロル、トリルと見てから、このように言った。
「ご苦労様……。ディム・キャロル、ディム・アイカ、サー・トリル……。私が騎士提督、コンチェルトだ」
「御無事だったのですか」
キャロルがストレートな疑問を口にする。コンチェルトは、小さく肩をすくめた。
「無事ではない……けど、大事は免れた、かな」
それは、以前王宮で謁見した際、姫騎士アリアスフィリーゼに対して向けられたものとは違う、完全にフランクな態度である。いま、自身の前にいるのは二人の伝統騎士と一人の貴族騎士、そう心得た上で、騎士提督として正しく振る舞っている様子だ。
「事情はショウタとルカから聞いている……。私が不甲斐ないばかりに、君たちには迷惑をかけている、けど……」
「ふ、二人は!? ショウタと、ルカは無事なんですか!?」
アイカがやや食い気味に尋ねると、コンチェルトは小さく頷いて、隠し通路の方へ目をやった。
「はーい、無事ですよー」
離れていたのは、わずかほんの数時間であったはずなのに、何やら懐かしい声が響き、少年がひょっこり顔を覗かせた。
「ショウっ……あいたっ!」
思わず大声を出しそうになって、横からキャロルに叩かれた。
「敵地だぞ。声を、下げろ」
「あ、は、はい。すいませんキャロル……」
割と本気で殴られたらしく、痛みが額にじんわりと残る。アイカは改めて咳払いをして、再会の喜びを全身で表現した。
「ショウタっ! 無事で良かったです」
「あ、えっと……はい……」
いつもの調子で抱きしめに行こうとするのだが、ショウタはひらりとそれをかわす。気まずそうに視線をそらしながら、ショウタは複雑そうな表情をしていた。
「ショウタ……?」
「あ、いやその……なんか、すいません」
「……?」
彼の様子は、何やら少しおかしいように感じられるのだが、アイカはその原因に心当たりがない。鎧のまま抱きしめると痛いかな? と思い直して、とりあえず右手を差し出すのみにとどめた。ショウタはやや遠慮がちにその手を握り返し、ひとまず再開の挨拶は握手のみにとどまる。
その様子をちらりと見てから、コンチェルトはこのように口にした。
「ショウタの透視で内部の様子を確認してから、すぐに制圧を完了させる……。良いね」
「あ、はい」
ショウタはアイカと視線を合わせようとしないまま、応える。
一体、どうしたというのだろう。このショウタは少し、変だ。そう思ったのはアイカだけではないのだろう。キャロルがアイカの元に近づいてきて、そっと耳打ちをした。
「ショウタと何かあったのか……?」
「いえ、特に……。ショウタの方に、何かあったのは確かだと思うんですけど……」
急によそよそしくなったショウタを見て、アイカはわずかに胸騒ぎを覚える。
彼がこのまま、ふらりといなくなってしまいそうな、そんな予感がした。




