第5話 ヴァイオレント・プリンセス(前編)
騎士王国南東部メイルオ地方は、その豊かな鉱物資源が財政を支える、国内有数の鉱床である。とりわけ、キーゼル石やカーナライトといった海洋起源の堆積鉱物が多く産出され、加えて動物組織由来のリン鉱石、魔法結晶化した化石鉱物などが採掘されることから、主に農業肥料や、生体魔法学の研究資材としての需要が高い。
これらはトドグラード用水路を介してランクルス運河を越え、帝国方面へと輸出される。魔法技術の獲得に熱心な一部の貴族派閥にとっては非常に重要な意味合いを持つ地域であり、彼らはデキシオ鉱山から採掘される数多の鉱石を、手の届かない宝物を見るかのような目で眺めていた。
さて、メイルオ領主イャミル・フラクターゼ伯爵の屋敷である。
上記のような理由から、魔法推進派の貴族に対して強い交渉カードを持つ伯爵の私生活は潤っている。彼自身、魔法技術の獲得に力を入れている貴族のひとりだ。領内にある村々の再開拓だって、街道の再整備だって、デキシオ鉱山を中心とした魔脈の活性化手段にほかならない。すべて、伯爵が外国から得た聞きかじりの知識ではあるが。
そうした中にあって、再開拓を必要としない、それでいて厄介な村落というものがいくらかある。利水的に恵まれた土地で、勝手に水を引き畑を広げたりなどするから、魔脈の乱れが激しい。
こうした村落は恵まれているだけあって〝優秀〟であり、こちらからも文句をつけ、再開拓までこじつけることが難しい。放っておいても納税はなされる。これらの村から採れる作物は育ちもよく、客観的に見て領主が開拓指示をくだす必要はまったくもって存在しない。
近年は王宮から地方政治への干渉も見られており、あまり乱暴な政治を行ったり、無意味かつ無益な再開拓を強行した場合、領地そのものを取り上げられる可能性もあった。メイルオ地方はそれ自体が、一種の既得権益の塊だ。伯爵の手から奪うため、目を光らせる貴族というのも少なくはない。
だが、魔脈維持のために、伯爵にはどうしても潰しておきたい村というものが、いくらか存在した。
このメイルオに跋扈する盗賊団。彼らの協力の申し出は、悪魔の囁きであり、また上述した伯爵の悩みを一気に打ち砕いてくれる、すばらしい秘策でもあった。
村を壊滅させた盗賊団を(表面上)成敗し、壊滅した村を領主自身のポケットマネーで再開拓すれば、領民は彼を理想的な領主として崇める。メイルオには、すでにそうして潰した村がいくらか存在していた。村自体は再整備した街道に沿った列村として生まれ変わり、自らの領地に巨大な魔法陣を描く計画は成就しつつある。
「領主サマも、なかなかのワルねェ……」
気色の悪い声を出して、盗賊団のボスが言った。伯爵の執務室に平然と居座り、爪を砥ぐこの男を見れば、如何な上機嫌の時とはいえイャミル・フラクターゼは顔をしかめる。
「盗賊の首魁に〝悪〟などと言われるとはな」
「あラ? 違うのかしら?」
「私はこのメイルオの更なる発展を祈っている。大事の前の小事だ」
自らの椅子に腰を下ろし、フラクターゼは置かれた書類に目を通す。
「ノイジー、例の村から連れてきた娘がいただろう。どうしている?」
「アタシ、別に女の子は嫌いじゃないんだけど、ああいう垢抜けないコは好みじゃないのよねェ……。ま、大事な人質だから、ふん縛って丁重に扱ってるわ」
それとも、と言いながら、男はにんまりといやらしい笑みを浮かべた。
「それとも、伯爵サマはああいった未通女っぽいコが好み? どうしてもって言うなら連れてきましょうかァン?」
自らの心を見透かしたような、男のセリフである。伯爵は思わず顔をそらした。
「バカなことを……」
「あァラ、可愛い。隠さなくたって、みんな知ってるわよォ? 伯爵サマが初夜権なんて時代錯誤なモノにご執着なさってるコト。初物がお好みなんでしょ? 伯爵サマに媚び売るために、村一番の美人を連れてくるなんて、ある話じゃなァイ?」
盗賊団首魁ノイジー・ブラウンの、なんと下品な物言いであろうか。伯爵はとうとう、そらした顔を更にしかめる。ノイジーの言うことはおおよそ真実であり、そこを否定するつもりはないものの、もっと言い方だってあろう。ましてやこちらは貴族である。そして王国において、貴族とは同時に、貴族騎士でもある。極端に無礼な物言いなど、許されるものであない、と、伯爵は思っていた。
まぁ、それでもノイジーは協力者だ。それにしょせんは盗賊。下賤な人種である。上品な物言いなど期待するべくもない。ここは寛大な心で許してやらねばならないだろう。
「例の村を守ったっていうのも、どっかも貴族騎士らしいわねェ。女よ、オ・ン・ナ」
「ふん、どこの家の三女四女かは知らんが、バカな真似をしているな」
ここがフラクターゼ伯爵領メイルオであることを知っての振る舞いであろうか。一部には公爵並みの発言権を行使できるイャミル・フラクターゼであれば、領内で余計なことをしてくれた貴族騎士の実家に、圧力をかけることだってできる。
女騎士といっていたか。おおかた、英雄譚に夢を見た大バカ者なのであろう。これだから、女という生き物は政治に向かない。目先の利益や同情を優先して、大局を見る目がないのだ。ベッドの上で可愛らしく鳴いているだけならば、あれほど無害な生き物もあるまいが。
いや、もちろん、他に使いでのある、多少は有用な女がいるのも間違いはない。ただ少数だ。
報告によれば見た目はまともであるということだった。引っ捕らえて使い道を考えるのも、悪い話ではないが……、
フラクターゼ伯爵が、その高貴な身分にそぐわぬ下卑た想像を巡らせている時だ。
凄まじい轟音と振動が、伯爵の豪勢な屋敷を揺るがした。フラクターゼは思わずバランスを崩して、ずっこける。ノイジーは相変わらず涼しい顔で爪を砥いでいた。揺れは一瞬で収まり、伯爵は絨毯に手をついて顔をあげる。本棚から高価な書籍が床に散らばり、自慢のキングディアスの首の剥製が、壁から少しズレてしまっている。
「な、なんだ……!?」
「敵でしょ」
あからさまな狼狽をあらわにするフラクターゼに、ノイジーが冷たく言った。同時に、バタバタと廊下をかける音がして、ノックもなしに執務室の扉が開く。こんな礼儀知らずは、屋敷においてはいない。ノイジーの部下だろうと思ったら、案の定であった。
「親分!」
「リーダーとお呼び」
「へい、お頭!」
ノイジーがあからさまにイヤな表情をつくる。
「で、誰が来たのよ」
「あ、あの……村を守っていた貴族騎士が……」
「な、なんだと!」
声をあげて驚いたのは伯爵である。当然だ。まさか、いきなりこの屋敷に乗り込んでくるなどとは思わない。そもそも、例の騎士には、この屋敷を襲う理由がないはずだ。盗賊団と裏で繋がっていることなど、よもや領地外の人間が知ろうはずもない。
そう思い、伯爵はノイジーを見る。彼は肩をすくめていた。
いや、そうだ。ここでいくら否定したところで仕方がない。実際問題として、その騎士は猪武者のごとく、この屋敷に攻め入っているという。確たる証拠があるのか、ないのか。そんなところはどうでもいい。こちらが潔白であることを証明できれば、立場が危ういのは相手の方だ。どこぞの馬の骨とも知れぬ貴族の娘と、実績を重ねたメイルオ領主。世間的にどちらが信頼に足るかなど、問うまでもない。
「賊は何人だ!」
「50人よ」
フラクターゼは思わず目を剥いた。
「な、なんだと!?」
「いや、アタシ達のことだけど」
「キサマらのことじゃない! 突撃してきたバカな貴族騎士のことだ!」
愉快な(フラクターゼにとっては不愉快な)やりとりの後、ノイジーは部下を見やる。男は少し視線を落として、歯切れの悪い声でこう答えた。
「2人です」
フラクターゼは思わず目を剥いた。
「な、なんだと!?」
「あら、本当にバカなのねぇ。そのコ」
ノイジーの声は、どこか呆れ気味である。伯爵は、今度は口角泡を飛ばす勢いで、報告に来た男に食ってかかる。
「たった2人に門を突破されたというのか!? あれでも騎士学校の優秀な卒業生を配置しているんだぞ!」
「騎士学校の成績なんて、お金積めばどうとでもなるでしょ。そもそも、強い一般騎士なんてそうそういるもんじゃないワヨ?」
「貴族騎士だって同じだ! 伝統騎士の化け物どもと一緒にするな!」
そう、たった2人で表の守りを突破したというのであれば、それはただ事ではないし、ただ者ではない。フラクターゼはいらだちを紛らわすために爪を噛んだ。落ち着け、落ち着くんだ。
相手はたった2人じゃないか。大勢で押しかけてきたのであれば、事情は違っていた。だが2人だ。連中には、他についている味方がいないのだ。無礼者はあちらであり、野蛮人はあちらである。賊との繋がりが、例えば王宮にバレれば、それは事ではあったが、大した権力もない貴族の娘が、従者を連れての無謀な突撃。ひっとらえて地下牢にでもぶち込んで、従者を売り飛ばしでもすれば、盗賊団との繋がりは露呈しない。
そうだ。簡単なことだ。
ろくに兵も募らず、2人で突撃してきたあたり、相手の騎士は脳みそが足りていない。だから女は、政治に向かないと言うのだ。
フラクターゼはようやく落ち着きを取り戻し、にんまりと笑みを浮かべる。
「で、どうすんのよ。伯爵サマ」
「人質の娘を連れて来い。ミンストレルもだ」
最近雇ったばかりの、用心棒の名を上げる。女だが、腕の立つ剣士だ。そう、多少は使いでのある、有用な女だ。人形のように整った顔も好みだったが、胸が薄いのと、尻を撫でても可愛げのある反応を見せないのが、つまらないといえばつまらない。そんな女剣士だ。
彼女の剣技ならば、伝説騎士の化け物どもにも劣らない。加えて数の利、地の利はこちらにあり、人質という切り札まで手中にある。件の貴族騎士とて、この執務室に踏み込んだが最後。せいぜい鎧を引っペがし、楽しんでから地下牢にぶち込んでやるとしよう。
にやにやとほくそ笑むフラクターゼを、ノイジーは薄気味悪いものを見るような目で眺めていた。
Episode 5 『ヴァイオレント・プリンセス(前編)』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
屋敷の門を、〝力〟で吹き飛ばしたのは、いささかやりすぎであった。後頭部がじくじくと痛む。どうやら傷口が開いてしまったらしい。ショウタは再び手綱に意識を戻して、必死で殿下を追った。馬に乗り慣れない彼であっても、騎馬の疲れが手に取るように伝わってくる。村からここまで一直線、ずいぶん無理をさせてしまったと思う。
もう少しなので、頑張って欲しい。首元をそっと撫でる。師匠のようにヒーリングが使えれば、この疲れも癒せてあげられたのだろうが。これもまた、自分の怠け癖が祟る例だ。後悔しても始まらない。
姫騎士殿下の騎馬とショウタの騎馬、2人と2頭は破壊された門をくぐり抜け、丁寧に整備された庭を駆け抜ける。
こうした屋敷は、シャトーというのだろうか。申し訳程度の衛兵はいたが(みんな吹き飛ばしてしまった)、防衛目的で作られたものとは思えない。広々とした庭園には、幾何学模様に刈り込まれたトピアリーがいくつも植えられており、殿下の馬はその間をまっすぐに駆けていく。が、突如噴水を前にして、馬はバランスを崩した。
アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、鞍から跳ねるようにして跳んで、庭園の遊歩道に着地する。馬は通路に倒れ込んで、荒い呼吸を繰り返しながらもがいていた。口元からは唾液が溢れる。
無茶をさせすぎたのだ。如何なタフな馬とは言え、積載重量と移動距離を考えれば当然である。ショウタの馬も倒れる寸前なのだ。ショウタもどうにかして馬を止め、殿下の隣に降りる。
「ありがとう、よく頑張ってくれました」
姫騎士殿下は、そっと馬を撫で、噴水越しに見えるフラクターゼ伯爵の邸宅を睨んだ。
「ショウタ、あとは徒歩になります。ついてこれますね?」
「ここまで頑張ってついてきたんです。置いて行かせはしませんからね」
「結構。よい心がけです」
振り返って、殿下がにこりと笑う。
とうとうやってしまったなぁ、という後悔を、している暇はないだろう。アリアスフィリーゼ姫騎士殿下が、この屋敷に殴り込みをかけたという事実が、後々国内にどういった波紋を呼ぶのか。神でも政治家でもないショウタにわかろうはずもない。確実に言えるのは、すべてが終わったあと、宰相ウッスア・タマゲッタラにこってり絞られるという、それだけだ。
急がねばならなかった。盗賊団が再編し、再度村を襲う時間を与えている余裕はない。それは、宰相が手配したであろう王立騎士団の動きを待っている余裕がないということでもある。加えて、シェリーの心配もあった。彼女の身を案じれば、やはり、王立騎士団が伯爵の屋敷にアクションをかけるその時を、待ってはいられないのである。
殿下が腰の柄に手をかけて、颯爽と走り出す。ショウタもそれを追った。
庭木や庭石、フォリーなどの影から、武装した騎士が飛び出してくる。中には、おそらくまだ叙任を受けていないであろう、フラクターゼ家の従騎士と思われるものや、騎士学校卒業後にこちらへ雇われたと思われる一般騎士などが見受けられた。
「我が名は、粉屋ミドラーの子、一般騎士リッド・ロックス!」
ひとりの青年騎士が、剣を携えて殿下の行く手を塞ぐ。
「作法に準じ、貴公も名乗られよ!」
「子爵エレジーの子、貴族騎士アイカ・ノクターン!」
鞘に入ったままの剣を掲げて、殿下が叫ぶ。まだその名を通す気なのか、と、ショウタは思った。ここで無闇に王族の名を出し、混乱させるよりは、遥かにいいのかもしれない。だが、彼の見る限り、姫騎士殿下の顔には、この場において名を偽る不義理に対しての苦悶が浮かんでいるようにも見えた。
「サー・リッド、鞘を被り、貴公のお相手をする無礼、許されたく!」
おそらく、この言葉も、そうした苦悶の表れであるのだろう。
これが騎士同士の決闘となるのであれば、ショウタも手出しはできない。剣を構え、疾走する殿下と、それを見据え、迎撃しようとする一般騎士リッド。決着は、どうせ一瞬であろう。単なる一般騎士に、姫騎士殿下の剣を止める術などありはしない。
「ディム・アイカ! 貴公も騎士ならば、何故このような蛮行を……」
言いかけたところで、リッドは口をつぐんだ。懐に潜り込んだ殿下の剣が、鞘を被ったまま彼に向けて放たれる。リッドは騎士剣を縦に構え、迎撃の体制をとった。金属のぶつかり合う激しい音。だが、つばぜり合いは刹那にも満たない。姫騎士殿下の剣を振り抜く力が、一切の均衡を破壊する。
殿下は片手で、リッドは両手だ。それでも、このアイカ・ノクターンと名乗る騎士の力は、容易く相手の守りを打ち破った。
「てぇあっ!!」
かくして受け止めた剣ごと、リッドは吹き飛ばされる。風を貫く轟音は、彼の悲鳴さえも飲み込んで、この哀れな一般騎士を噴水の中へと叩き込んだ。派手な水音がして、中には目を回したリッド・ロックスの姿だけが残される。
「鞘に隠した剣で何を語ろうと、まやかしでしかありませんが……」
きりりとした眼光が、周囲を囲む騎士や従騎士を射抜く。
「騎士であるからこそ、止めねばならぬのです」
リッドもこの中では、ひとかどの勲功を立てた騎士であったのだろうか。そんな彼が、一撃のもとに弾き飛ばされた様子を見て、周囲はたじろいでいる。
「結構、かかってこぬものは斬りません」
「斬っていませんが」
「かかってこぬものは叩きません」
ショウタの言葉に律儀な訂正を入れてから、殿下は再び走り出した。ショウタは、呆気にとられる一般騎士や従騎士に、相変わらずぺこぺこと頭を下げてから、姫騎士殿下の後を追った。彼らが後ろから追ってくる気配はない。
「いいんですか? 殿下」
「何がです?」
懸命に殿下と並走しながら、ショウタが尋ねる。
「いや、フラクターゼ伯爵の悪事とか、バラさなくって……」
「主の悪事を見、聞き、知り、そしてその上で何を為すのか。悪と知ってなお忠を誓うも、義を重んじ主を誅戮するも、どちらも忠臣です」
「はぁ……」
ショウタにはまるでピンと来ないことを、よどみなく語る姫騎士殿下である。ショウタからは『はぁ』しか出ない。
「私が私の行いを押し付けるのはスマートではない、ということです。私は騎士としてここにいますが、彼らもまた騎士としてここにいる。そういうことです。わかりますか?」
「よくわかりません!」
「結構。素直な子は好きです」
アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、にこりと笑った。
ショウタも、自分がどちらかといえば善人である、という自覚はある。どちらかといえば正義を愛し、どちらかといえば悪を憎み、その結果、シェリーの身を案じてフラクターゼ伯爵には義憤を燃やす。姫騎士殿下の行動規範となる〝騎士道〟とやらも、そうしたところから、そう離れたところにあるものでもあるまい。
だが、彼女のこうした言動を見るたび、騎士とは自分とは違う世界で暮らす生き物なのだなぁ、ということを、ショウタは痛感してしまうのだ。時として彼らの哲学は、理解の範疇を逸脱する。
二人は庭園を突っ切り、大きな屋敷の前までやってくる。扉の前に立っている衛兵が、槍を構えてこちらに向けた。ショウタは意識を集中させ、思考領域から〝力〟をひねり出す。脳が加速し、大脳旧皮質に眠る原始のエネルギーが滲み出す。やがてそれは、不可視の力場となってショウタの手から打ち出され、槍を構えた衛兵ごと、屋敷の扉を吹き飛ばした。
木っ端微塵に砕け散った木片が、ぱらぱらと舞う。
「見事な不思議パワーです。ショウタ」
「あの、殿下」
「なんでしょう」
「こーやって、強引に不思議パワーで押し通るのは、騎士道には反しないんですか?」
ショウタとしてはもっともな疑問をぶつけたつもりだが、姫騎士殿下は腕組みをし、まずはこのように切り出した。
「かつて帝国より騎士王国を独立させた初代騎士王デルオダートは、このような言葉を残しました」
「はい」
「〝それはそれ、これはこれ〟」
「それ本当に言ったんですか!?」
「私がショウタに嘘をついたことなど、ありますか?」
「ありませんが!」
「そういうことです。では、行きましょう」
姫騎士アリスフィリーゼの脛当ては、とうとうイャミル・フラクターゼの邸宅のその一歩を踏み入れる。まだ玄関口であるというのに、上品に設えられた調度品の数々は、伯爵の私生活が潤っていることを、暗に告げるものであった。
賊に村を襲わせてこんな贅沢を、なんて義憤が、見当違いも甚だしいのは百も承知だ。それでもショウタは不愉快だった。
「ショウタ、きますよ!」
姫騎士殿下の言葉が、ショウタの無意味な怒りを吹き飛ばす。奇声を上げ、蛮刀を振りかざし飛びかかってくる男が2人、いや、3人。姫騎士殿下は鞘に入ったままの剣を構え、一歩踏み出した。
横薙ぎ一閃、水平切り。最も先走った賊の脇腹を、殿下の剣が鋭く打ち据えた。抜き身にならない刃が肉を断つことはなく、代わりに鈍い衝撃が骨を砕いて内臓を叩く。インパクトが収束し、男の身体を強引に壁に弾きとばした。
返す剣は逆袈裟に。2人目に踏み込んできた男の首筋を打つ。そのまま顎を砕き、ぐんにゃりと男の表情を歪めた後に、やはり衝撃が弾けて賊を天井にまで打ち上げた。吹き抜けを越えて、男の身体が冗談のように宙を踊る。
「たぁあッ!!」
三発目に放たれる裂帛の気合。殿下は柄を両手で握り、剣を素早く振り下ろす。高く打ち上げた男の身体が落ちてくるよりも、3人目の脳天に鞘の一撃が叩き込まれる方が、はるかに早かった。頭蓋が砕けぬようには手加減をしたのだろう。
叩き込まれ、怯み、昏倒しかけた男の顔面に、殿下の篭手が拳を作って正面からぶつかりに行く。果たして男が吹っ飛んで壁に打ち付けられるのと、お空を舞っていた2人目の男が、ようやく万有引力の導きに従い床に激突するのは、ほぼ、同時であった。
「うっわぁ、痛そう……」
「痛くしているんです。戦いとは、そういうものなんです」
殿下は拳を解き、油断なく周囲に目を走らせる。そこかしこの扉が開いて、武器を構えた賊どもが、ぞろぞろと出てくるのを確認した。
「おい、来たぞ! あの貴族騎士だ!」
「くそッ、借りを返してやる!」
「従者のガキと一緒に、ひっ捕まえてひん剥いてやれ!」
やはり、武器が新調されている。本人たちの傷までは癒えていないが、それでもたいそう元気な様子だった。
「ショウタ、駆け抜けますよ!」
「御意です!」
殿下は正面の階段をみやり、一気に走り出した。同時、賊どもがやおら元気に飛びかかってくる。迎撃する姫騎士殿下の動きに危なげはない。何人かは、腕っ節の細いショウタを標的としてきたが、そうした彼らもまたショウタの不思議パワーにあえなく撃墜され、床を転がった。
2階の扉からも賊は出てくる。階段の上から雪崩のように押し寄せる賊どもを、殿下は自慢の剣で強引に突破せんとした。柄を両手で握り、飛びかかってくる男たちを打ち据え、階段下へと叩き落とす。
「うっ、うおおおッ!!」
一人だけ、階段から落とされてもやたら元気な男がいる。背中にさしたのぼり旗に『すごく強い!!』と書いたその男は、今度はショウタの真横をすり抜けて階段を駆け上がり、姫騎士殿下に後ろからしがみついた。
「んっ……」
いくらいやらしい手つきで胸元をまさぐったところで、所詮は胸当ての上である。硬く冷たい金属の手応えだろうが、ショウタはそれを見て何やらドス黒い気持ちになったので、〝力〟で強引に男を引き剥がすと、そのまま壁に向けて放り投げた。
「ぐおわーっ!!」
勢い、階段の手すりが崩れて、手すり伝いに殿下へ飛びかかろうとした賊たちがバラバラと落ちていく。
階段下にも、まだいくらかの賊がいた。殿下が進路を切り開く間、追いすがる連中はショウタが始末せねばなるまい。ショウタは傷が開き、頭がずきずきと痛むのをこらえながら、さらに〝力〟をひり出した。服の裾や髪が、にじみ出た力の余波でふわふわと浮かび上がる。
階下から押し寄せようとした数人の男が、金縛りにあったように動きを止めた。事実、彼らは金縛りにあっているのだ。ショウタは拳をぐっと握り、叩きつけるように宙を払った。男たちは不可視の力に押しつぶされて、みっともなく地面にへばりつく。
姫騎士殿下が、2階の連中をすべて片付けたのは、それとほぼ同時だった。殿下が階段を駆け上がるのを、ショウタは追いかける。伯爵は、あるいはシェリーはどこにいるのか。
ふたりが2階を見渡しているときだった。
「そこまでだ!」
屋敷に、聞きなれない男の声が響く。見れば、奥からはでっぷりと超えた貴族らしきひとりの男が、剣を携えた女性、そして縛られ、猿轡を噛まされたシェリーを連れて歩いてくる。ショウタは、姫騎士殿下の纏う空気が、にわかに怒気を孕むのを感じ取った。
「フラクターゼ……、伯爵!」
「ほう、私の顔は知っているようだな」
フラクターゼはにんまりといやらしい笑みを浮かべる。口ぶりからするに、伯爵は姫騎士殿下のお顔をご存知ないらしい。
女剣士は伯爵の用心棒か何かだろうか。背は高くスレンダーで、ドレスじみた洒落た服装に剣を携えている。あまり戦闘向きの装いではなさそうだが、落ち着き払った態度に加え、隙と油断の見られない切れ長の瞳が、実力を無言のうちに物語っていた。
剣士は人質であるシェリーを脇に置いている。剣を突きつけてはいないが、殿下が突撃し救出するのとどちらが早いかというと、難しいところだ。シェリーは、顔に泣きはらした様子こそあるものの、とりたてて乱暴された様子がない。ひとまずその点においては、安心した。
「聞けば、どこぞの子爵の娘らしいな。ここをどこだと思っている? 貴公も貴族なら、これが子供の悪戯で済まないことくらい……」
「ここは、卿が騎士王陛下より預かりし王国の一部でありましょう。ロード・アール・フラクターゼ!」
フラクターゼの物言いを最後まで待たず、姫騎士殿下は毅然と言い返した。
「騎士の在り方を忘れ、よもや賊と結びつき、あまつさえ女一人を拐かし縛り上げ、その身を盾にするなどと、それが卑しくも貴族騎士の行うことですか! 陛下より賜りし騎士位にまだ意味があるとお考えであれば、己が罪を恥じ、王都にて沙汰をお待ちなさい!」
「口の利き方に気をつけろ、貧乏貴族の娘風情が!」
伯爵は、口から泡を飛ばしながら叫ぶ。当然、殿下に怖じた様子もなく、ただ冷然とした瞳で目の前の男を睨みつけるだけだ。
ショウタはショウタで、この世界にはここまでわかりやすいゲスな権力者がいるものかと、別の意味で戦慄を隠せなかった。開き直りもいいところだが、この場で爵位を盾に高慢な物言いができるのは、なかなか肝が太いと言わざるを得ない。
「騎士の在り方だの貴族の在り方だの、理想ばかりしか口にできない小娘が! 結局は権力がものを言うのだ! 貴公の蛮行を振り返ってみろ、私の言葉と貴公の言葉、どちらを世間が信じるか! 今まさに、賊は貴公のほうであり、正義は私のもとにあるのだよ!」
伯爵が手を掲げると、女剣士が得物を抜き、シェリーの首元に突きつけた。殿下はちらりと、目線だけをショウタに送る。姫騎士殿下の意図を、ショウタは即座に理解した。シェリーを救出するタイミングなら今だ。
ショウタは極力自然体を維持しながら、意識を集中する。力を絞り出すために圧迫される脳が、開いた傷口から激痛を加速させる。必死にこらえて、力場を収束させようとした、まさにその時、
予想外の方向からの、鋭い痛み。ショウタの集中が途切れ、小さな悲鳴が漏れた。異変に素早く気づいた殿下が、柄に手をかけて振り返る。
「ショウタ!?」
「おぉっと、動いちゃダメよォ。騎士サマ」
完全に気配を消して、背後に立っていたのは、鞭を持ったひとりの賊である。整った顔立ちに銀髪、ぞっとするほど赤い唇。へそを丸出しにした露出度の高い軽装で、一本の鞭を得物として構えていた。
賊の足元にはショウタが転がり、ハイヒールで踏みつけられている。鞭のように見えたそれは、よく見ればぬらぬらと輝く蛇であり、ちろちろと舌を出しながら伏せたショウタに絡みついている。
「こっ、こんなんばっかり……っ!」
ショウタの苦悶が漏れた。フラクターゼ伯爵は満足げに笑う。
「よくやったぞ、ノイジー。その小僧は魔法を使うらしいからな」
「イイのよォ、伯爵サマ。アタシ、こういうコの方が好みだから。ンフ♪」
鞭蛇がショウタの首に巻き付く。ノイジーがそれをぐいと引っ張り、ショウタを強引に立たせた。蠱惑的な動きで彼を絡めるのは、何も鞭蛇だけではない。ノイジーの、存外にたくましい腕が腰に回される。全身の痛みが後から響いてきて、意識を上手く集中できない。
ショウタは臀部のあたりに押し付けられた、何やら雄々しくいきり立った違和感を感じ取って、全身が総毛立つ。
「あ、あの、アナタ男性ですか!?」
「あラ、オカマはお嫌い?」
「性的嗜好で差別はしませんが僕はノーマルでして!」
「大丈夫よ。アタシ、ネコもタチもイケるから」
「ノーマルだっつってんだろクソッタレが! ……もごっ」
ノイジーの指が三本、まとめてショウタの口に突っ込まれる。いっそ噛みちぎってやろうかとさえ思ったが、更に奥へと押し入れられると、呼吸が阻害されてそれどころではなくなった。湿り気のある、ざらざらとした舌が、耳朶の上をそっと這った。
「ショウタにそれ以上……!」
「おっと、そう思うなら、貴公もこちらの言葉に従ってもらおうか」
姫騎士殿下のその言葉を待っていたとばかりに、フラクターゼ伯爵が言う。その表情には、高貴な身分にとうてい似つかわしくない下品な笑みが浮かんでいた。男の持つ本来の好色を浮き彫りにさせたような、潔癖な人間なら正視にも耐え難い笑顔である。
姫騎士殿下は、ショウタに背を向けている。その表情をこちらから窺い知ることはできない。顔色を怒りに染めていることだけは、なんとなく想像がついた。
「こちらとしても、そんな気色の悪い光景は見たくない。そう、貴公がこちらの言いなりになるというのであれば、この村娘もその身柄の無事を約束しようではないか」
伯爵は、女剣士が武器を突きつけているシェリーを顎で示し、そう言った。シェリーは猿轡を噛まされた口で何かを叫びながら、必死で首を振っている。
状況の逆転を、殿下に弾き飛ばされた賊たちも感じ取りはじめたらしい。比較的傷の浅い者が、ゆっくりと立ち上がって階段を昇ってくる。その顔にゲスめいた表情を浮かべているのは、伯爵と同じだ。にやつく男どもの淫靡な視線が、粘り気をもって殿下の白磁の鎧にまとわりつく。
強固な装甲の下には、たわわに実った姫騎士殿下の肢体がある。今まさにそれは、男たちにとって色欲の対象としかなり得なかった。無言を貫き通す女騎士の態度を、逡巡、あるいは承諾と受け取った伯爵は、さらに言葉を重ねる。
「まずは、その邪魔な鎧を脱げ」
「………!!」
くだされた宣告に、真っ先にかぶりを振ったのはシェリーだった。ショウタも必死で止めようともがくが、ノイジーの腕と鞭蛇は予想外に身体を強く締めつけ、身動きが取れない。集中力がかき乱されるこの状況では〝力〟の行使もままならない。
だが殿下は毅然と顔をあげ、尋ねる。
「要求に従えば、ショウタとシェリーの無事は約束されるのですね?」
「もちろんだ。私も約束は違えない」
色欲の溢れ出すニヤケ笑いで、伯爵が答えた。
「んっ、んんーっ!」
ショウタが声にならない声で抗議する。だが、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は彼に向けてふりむくと、いつものように、にこりと花のような笑みを浮かべるのだった。
「ご心配には及びませんよ、ショウタ」
鎧に手を伸ばす仕草には、なんの躊躇も見られない。
淫猥なる欲望と、妄想のこもる視線にさらされる中、がしゃん、という大げさな音とともに、まずは姫騎士殿下の胸当てが取り外された。
「おう、いいぞー!」
「ホラ、さっさと脱げよぉ!」
「ぬーげ! ぬーげ!」
下品な野次が飛び交う中、彼女は毅然とした態度で、胸当て、篭手、前垂れ、脛当てなどを外し、屋敷の床に放る。姫騎士アリアスフィリーゼの肌着姿が、男たちの視線にさらされた。
大事に育てられてきたのだろう。王宮に囲われ、衆目に晒されず、それでもすくすくと育ってきた姫騎士の肢体である。いかに高貴な身分を持つ、気位の高き女性であったとしても、薄布一枚を隔てて男たちの真ん中に立てば、それは獣欲を受け止めるだけの肉の器に過ぎない。
淫靡で粗野な、卑しく下賤な男たちの視線が、たわわに実ったアリアスフィリーゼの肉体に突き刺さる。
姫騎士アリアスフィリーゼは恥じなかった。怖じなかった。ただ白い肌がわずかに汗ばみ、ほんのりと上気している。
淫猥な欲求と妄想を塗りたくった男たちの、いくつもの目にさらされながらも、彼女には決意を秘めた翠玉色の双眸があった。強い怒りをたたえたふたつの瞳は、今まさに、フラクターゼを強く睨みつけていた。