第65話 黒い前兆
用水路の掘削工事が始まっていた。王立騎士団200人、警邏騎士隊50人、徒騎士50人を緊急動員し、他の領地からも応援がよこされている。騎士王国の治水、利水を計画する一部の官僚なども出向き、騎士団の責任者と地図を突き合わせながら、難しそうな話をしている。
アメパダムが決壊した場合、大量の土砂流が王都に向かって流れ出す。本来、王都の水を外へ流すための地下外郭放水路は、連日の雨によって満杯となっており、このまま土砂流の直撃を受けた場合、王都全体が水没しかねないというのが、大方の見解であった。
貴族騎士と伝統騎士は、原則として非常に折り合いが悪い。
王都の中でもそれは同様だ。今代騎士王セプテトールの治世下であっても、この両者を文官と武官に別ける風潮は変わらない。この場においても、騎士団の責任者は伝統騎士であり、治水担当の官僚は貴族騎士である。対立を表面化させるほど両者は子供でないようだが、やはり雰囲気は悪い。
「しっかし、嫌だねぇ。こういう仕事は、華々しさがなくってさ」
徒騎士の一人が、スコップを動かす手を止めて、愚痴を漏らす。彼のすぐ近くで黙々と土を掘っていた青年は、非難がましい表情と共に顔をあげた。
「おまえ、毎回それだな……」
「俺はおまえみたいにマジメじゃないの」
「俺が真面目なんじゃなくて、おまえが不真面目なんだよ……」
呆れたような溜め息と共に、青年は再度スコップを動かしはじめる。
彼らは、用水路東側の掘削工事を担当している。動員された300名あまりの騎士は、すべてこちらに回されていた。治水管理官が何度か掘削予定区域の説明をしているが、人数を鑑みても現実的な範囲ではない。現場指揮官の百騎士長は、そのたびに作業工程の見直しを進言し、しかし治水管理官の方がかぶりを振る。王都の安全を確保するためには、これ以上掘削範囲を縮小できないという。
騎士達は黙々と掘削作業を続けるだけだ。どちらが正しいとも言えない、あるいは、どちらとも正しいと言える問答に、口をはさむ人間はいない。
青年は、まだ騎士ではない。いずれ適正試験を通過し、正規の騎士になることを夢見ている。王立騎士学校に通って、もう五年。最終年度であり、今年目が出なければ見放される。一見、やる気のなさそうに見える同期の友人の方が、よほど適正に恵まれているのが、青年にはもどかしかった。
自分の取り柄といえば、せいぜい愚直さと土壇場のしぶとさくらいのものだ。ただ命じられたノルマを達成するために、黙々とスコップを振るう。百騎士長の言うことも、治水管理官の言うことも、どちらも正しい。
「でもさ、これ、土手を東西に広げる工事なんだろ?」
結局、青年のバカ真面目な態度に付き従うように、悪友もスコップを動かしはじめる。
彼の言う通りだ。用水路の掘削とは言うが、実際は土手の拡張工事である。あくまでも東西の伸ばすのは高水敷の部分であって、用水路そのものではない。それがどうかしただろうか、と青年は思う。
「俺たち東側しか掘ってないけど、大丈夫なのか?」
「西側はアンセム将軍が掘っていると聞いた」
「え、一人で?」
「一人で」
土手を掘り進めてかなり経つが、こちら側からアンセム・サザンガルドの姿は確認できない。
「しかし、騎士将軍が一人で出るなんて珍しいよな。普段は、ほとんど前線に出ないって聞いたぞ」
「将軍なりの考えがあるんだろうな。でも、出てきたからには、よっぽどのことだよ」
「出てきたのは良いけど、一人で掘るなんて相当無茶……」
悪友の言葉は、轟音によって中断を余儀なくされた。
その瞬間は、生真面目な青年でさえも手を止める。轟音は背後から聞こえ、一同は一斉にそちらを振り返った。見れば、もうもうと湧き上がる砂塵の中、長さ3メーティアを越える大業物〝砲熱斗〟を構えた騎士将軍アンセム・サザンガルドが、ゆっくりと立ち上がる様が確認できる。
対岸の高水敷には、アンセムの着地点を中心に大きく土がえぐれていた。一定の質量を持った物質が、高い位置エネルギーを伴って落下した結果生じる窪み――すなわちクレーターである。〝空飛ぶ騎士将軍〟の異名を取るアンセムの得意技、〝大跳躍〟によるものだと、青年は辛うじて理解できた。
だが、勉強熱心な青年も、アンセムが王都から一度要塞線に帰還し、己の得物を用意してからこちらへ再度戻ってきたばかりであることや、ましてやその移動手段が大跳躍のみであること、アンセムの通った後を示すように、平原や荒野には無数のクレーターができていることなどは、知るよしもなかった。
ぽかんと口を空けている一同、その中に百騎士長と治水管理官に騎行敬礼を行うと、アンセムは土手側へと振り返る。直後、鷲鼻の巨漢は砲熱斗を掲げ、まるでキツツキのようにせわしなく前後へ動かすと、怒涛の勢いでの掘削作業を開始した。はじけ飛んだ土は、左右にこんもりと山を作っていく。みるみるうちに土手が削られていくのが確認できた。
「なんか大丈夫っぽいな……」
「あぁ……」
しばらくぼうっと見つめていた二人だが、監督官に怒られるより早く我に返り、再び掘削作業を再開した。
Episode 65 『黒い前兆』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
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睨み合いは、決してそう長く続かないだろうというのが、ショウタの読みだった。どちらかが痺れを切らす、というわけではない。コンチェルトもゲイロンも、ルカのことを死んでいると思っている以上、この膠着状態は長く続かないはずだ。どちらかが動き出せば、おそらく今度こそ、ルカは死ぬ。
いや、いまこの瞬間、生きているという保証すらない。だが、可能性はあった。
ぐったりとした彼女の身体を見た瞬間、ショウタの心を支配したのは恐怖である。少し前まで言葉をかわしていた人間が、ともすればあっさりと死に絶えるという恐怖。その現実は、例えばもっと他の、彼の親しい人物にも降りかかる厄災だ。それを認めることは、途方もなく恐ろしい。
ショウタの胸中に満ちる、ルカを助けねばならないという使命感は、その反動に他ならなかったが、感情自体は本物だ。下手に動くことはできないが、猶予だって一刻もない。ショウタはいったん目を閉じて、強く強く、意識を集中させた。
高速集中思考。
思考の密度を圧縮し、その速度をあげていく。既に脳へかかる負荷は相当なものに達していて、そう長く使えるものではなかったが、それでもショウタは実行した。
実質的な思考時間の加速である高速集中思考。今まではほとんど、四肢への信号伝達速度を上げ、運動能力を強引に引き上げるために使用してきた。結果、激しい筋繊維の断裂などを引き起こす。だが、ここでの使い方はもっと単純だ。地下水道で、ゴブリンの集団を圧力鍋にかけた時のように、思考領域へのアクセス効率を上げていく。より短時間で、より強力な〝力〟を引き出すために、使用する。
「―――――――、―――――――」
「――――、―――――」
コンチェルトとゲイロンが、何か言葉を交わしている。だが、既に思考を加速時間に乗せたショウタの聴覚では、間延びした彼らの声を聞きとれない。
狙うはオウガの腕だ。思考領域から引き出す不可視の力場は、通常時であればアリアスフィリーゼ姫騎士殿下の腕力と同等以下程度の出力しか発揮できない。戦術級騎士を凌駕する膂力を誇るというオウガの腕から、一時的にでもルカを奪還するには、相当量の力を必要とする。
両腕を強く握り、床を踏みしめ、全身のエネルギーを脳へと傾ける。角膜が沸騰し、血管が裂けるかのような激痛が走った。
コンチェルトが、ゆっくりと腰を落とすのがわかった。思考が加速しているからこそ視認できる動きだろう。仕掛けるつもりなのだ、とわかった。コンチェルトが切り込めば、ゲイロンはオウガに迎撃を命じるだろう。その手に握ったルカがどうなるか。握りつぶされるか、投げ捨てられるか。
ショウタは、溜め込んだ力を解放した。収束された力場が、ルカの身体を掴み上げるオウガの右腕を狙撃する。
エネルギーが弾けるのと同時に、ショウタの高速集中思考は解除された。世界の速度は正しい姿を取り戻し、鮮明な音が耳朶を叩く。ショウタはぐらつく身体を抑えて、顔をあげる。果たして、不可視の力場は、勢いよくオウガの腕に突き立てられた。筋繊維をズタズタに引き裂き、血管から鮮血が走る。
「な、なんだ……!?」
真っ先に反応し、狼狽の声をあげたのはゲイロンだった。オウガは悲鳴をあげ、ルカを取り落す。彼女の身体は、冷たい石畳へと叩きつけられた。だが、オウガはそのまま地面に落ちたルカを踏みつぶさんと、片足をあげた。ショウタは再度意識を集中させるが、疲労の溜まった脳では力を引き出せない。
コンチェルトが飛び出したのは、まさにその時だった。床を蹴って駆け出す様は、まるで激流を思わせる。構えた双剣でオウガを切りつける様は怒涛、連撃の締めに、全身をひねりながら刃を深くえぐり込ませる様は渦潮。絶え間ない連続攻撃にバランスを崩したオウガが、そのまま後ろに向けて転倒する。
それまで、ショウタを羽交い絞めにしていた騎士が、彼を放し勢いよく駆け出した。オウガを圧倒したコンチェルトが、そのままゲイロンに向かい、床に伏したままのルカを騎士が抱き起す。空気が攻勢に転じるまでは、ほんの一瞬だった。背後に控えていた騎士達も、一斉に駆け出す。うち、何人かが、ショウタに肩を貸してくれた。
「まだ生きてるぞ!」
ルカを抱き起した騎士が叫び、ショウタはほっと安堵する。肩を貸してくれた騎士がショウタに尋ねた。
「あれは君がやったのか?」
「えぇ、まぁ……」
苦笑いしながら頬を掻く。
「そうか、大したものだな」
見知らぬ人に褒められるのはこそばゆい。オウガがゆっくり立ち上がり、ゲイロンと相対していたコンチェルトがそちらに向き直った。剣の切っ先を左右に下げ、ブーツがかつかつと石畳を打ち鳴らす。ルカを抱え上げた騎士は、その隙にショウタ達の方へと戻った。
残る騎士達も、コンチェルトを護るように周囲に立つ。極めて短い距離で、騎士提督とオウガが相対した。
「しッ……!」
歯の間から声が漏れる。床を蹴りたて、コンチェルトは跳ねた。
双剣は空気ごと、オウガの皮膚を切り裂いた。鮮血が散る。二つの剣は、まるで別々の生き物であるかのように、しなやかに動いた。絶え間ない波状攻撃の、一撃一撃は小さかったが、相手にまったく反撃の隙を与えない。
姫騎士殿下の扱う月鋼式戦術騎士道とも、キャロル達要塞線の騎士が使う黒竜式戦術剣技とも異なる、いわばこのアメパ堰堤要塞に伝わる独自の剣技なのだということは察せられた。
「あれがアメパ式双刃剣技ですよ」
ひとりの騎士が解説をしてくれる。そういえば、ルカがそんなことを言っていた気がする。
「は、はぁ……」
「二刀の連携で確実に敵を追い詰める。この要塞への侵入者との室内戦闘を想定したもので、狭い場所での機動力に特化しているのです」
「な、なるほど……」
殿下やキャロルのように、技名を叫んだりしないんだな、とショウタは思った。ルカも叫んでいた気がするのだが、流派の違いだろうか。
そう、ルカだ。騎士が抱えてきたルカに、ショウタは視線を移す。全身からおびただしい血が流れ出していた。上着を脱いで傷跡にあてがい、なんとか止血をする。ショウタのものだけでは足りないので、他の騎士も布を貸してくれた。
「おそらく腕と足も折れている」
騎士の一人が言った。彼は、ルカの鎧の襟元につけられた翼のエンブレムをちらりと確認する。
「ファイアロード家の嫡女殿か。しばらく安静にしていればすぐに治るだろうが、大事を取って固定する」
「お願いします」
ショウタには医学知識の類がまったくない。剣の鞘を添え木代わりに、手早く治療を続ける騎士を、眺めるしかなかった。
折れているのは腕や足だけではない。下顎も複雑骨折していたようで、そちらもすぐに固定された。
戦術級騎士がこれほどの重傷を負うさまを目の当たりにするのは、やはりショウタにとって衝撃的だった。アリアスフィリーゼ姫騎士殿下が窮地に陥ったことは、何度かある。それを助けたこともある。以前戦ったオーク特異個体〝袈裟掛け〟と戦った際、一歩間違えば、これほどのものでは済まない傷を、殿下とキャロルは負っていただろう。あるいは、死んでいた可能性すらある。
だが、理屈の上では理解していたつもりだったことも、目の当たりにすれば違う。
ルカは死なずに済んだ。だが、この重傷だ。それを目にしただけで、これほどまでに心が苛まれるとは思っていなかった。
姫騎士殿下は無事だろうか。同じような目にあってはいないだろうか。それを考えるだけでぞっとする。別れはいつ訪れるかわからないのだ。得体のしれない不安感に、頭を掻きむしりたくなる感覚すらあった。
「ショウタ、」
さざ波の音色を思わせるコンチェルトの声が響いた。どうやらオウガの方も、片付いたらしい。
「あ、はい」
「彼女を救出できたのは君の功績だ……。ありがとう」
「いえ……」
視線をルカに落としてから、もう一度コンチェルトを見上げる。
「あの、すぐに殿下との合流をしたいんですけど……」
「ああ、うん。そうだね……」
コンチェルトは頷き、地下牢をぐるりと見回す。他の騎士達が、牢屋に閉じ込められた騎士達を解放しているところだった。近くにゲイロンらしき姿が見当たらない。どうやら、逃がしてしまったらしい。
「脅威ではない、と言ったけど、逃げられてしまったかぁ……。彼が報告して、レイシアルが動くかどうかだね……」
「レイシアルさん本人が動くかってことですか?」
「私としては、その方が好都合……かな?」
海色の隻眼がきらりと輝く。
「どのみち、これで全員解放だね……。君の言う通り、殿下たちの動きも気がかりだ。この場を動くとしよう」
その言葉を合図に、騎士達は移動の準備を開始した。監禁生活によってロクに食事も与えられていなかったはずだが、足取りはしっかりとしたものだ。そのあたりは、コンチェルトと同様である。何人かはふらつくショウタに肩を貸し、何人かはルカの身体を担ぎ上げた。
「ショウタ達は私と移動する……。えっと、残りのみんなには陽動をお願いしたいんだけど……。そうだね、」
その形の良い顎に手をやって、コンチェルトは考え込む。
「敵の戦力で脅威となるのは、オークやオウガといった大型獣魔だから……。5人1組で班を組んでほしい……かな。これで何組できる?」
「提督と行動を共にしない騎士を抜かせば、12組です」
「うん……。わかった。では、私の右手側から6組の班は1階部分、4組の班は2階部分の陽動を。残り2組は3階部分で待機」
てきぱきと指示を下していく言葉に、一切の淀みがない。大したものだった。
「陽動は?」
「しなくて良い。3階部分は、ダム区画があるから。先に潜入している3人の騎士と共に、ダム区画を奪還するのが私たちの目的。だから君たちにはそのサポートを頼みたい。良いね」
「了解」
ルカの身体を抱えた騎士達も、途中まではコンチェルトやショウタ達と行動を共にする。どのみち、この地下牢に置いておくわけにはいかないのだ。比較的安全な場所まで、移動させなくてはならない。できることなら、早急にダム区画を奪還し、そちらに安置するのが一番安全ではある。
コンチェルトは、改めて装備を整えなおした一同を見回し、片手をあげてこのように言う。
「では、野郎ども……。がんばって」
野郎だけではなく、その中には女性もいたのだが、彼らは一様に騎行敬礼を取り、覇気のない激励に対して全力で応答した。
『イエス、ディム!』
アンセムとは根本的に違うタイプの指揮官だ。同じ戦略級騎士であっても、部下や作戦に対するスタンスが大きく異なっているように見える。
不屈の騎士提督コンチェルト・ノグドラは、命令を実行するために地下牢を後にする騎士達を見送り、最後に残ったショウタ達へ振り返った。ショウタとルカ、そして数名の騎士達が、コンチェルトと行動を共にする。
「では、行こうか。オウガの死体が転がってるから、気を付けて」
「あ、はい」
コンチェルトの言葉通り、石畳の上には彼女が打倒したばかりのオウガの死体が転がっている。複数個所の裂傷、いくつかは頸動脈や内臓などを綺麗に切断している。どれが致命傷になっているのかは、ショウタにはわからない。あざやかな手並みだと感心する反面、やはり眺めていて気分の良いものではない。すぐに目を逸らして、足早に地下牢を後にした。
ショウタ達が去り、地下牢に誰もいなくなった後、オウガの全身から黒い靄のようなものが滲み出しはじめていることには、当然ながら誰も気づくことができなかった。




