第59話 スニーキング・ミッション(4)
レイシアル伯爵に提出した獣魔兵の補充申請は、あっさりと認可された。多少無茶を書いた自覚はあり、ごねられたり、突っぱねられたりする可能性も考えていたくらいだから、これはゲイロンにとっては意外であると言えた。
まぁ、望んだだけの手駒が補充されたのであれば、それに越したことはない。ゴブリン、コボルトは当然として、オークやオウガといった大型獣魔も配下に加わるのであれば、戦力としては十分すぎる。これだけの連中を前にすれば、伝統騎士と言えど敵ではない。手にした力への愉悦に、レイシアルは口元を歪めた。
「あ、おかえりなさい、ゲイロン男爵」
地下牢へ踏み込んだゲイロンに、馴染みの貴族騎士がそう告げた。
彼はゲイロンよりも一回りほど年下の、農民出身の若者である。毒に薬にもならないようなのんびりとした性格をしており、ありていに言ってのろまな男だった。付近の集落から、口減らしとして奉公に出され、そのまま流れで叙任を受け、騎士になったらしい。
彼が貴族騎士を名乗ること自体、ゲイロンには我慢ならないものがあったのだが、やはり田舎ということなのだろう。騎士の水準も下がっていると見える。
「伝統騎士どもの様子はどうだ」
「みんな大人しくしてますよ」
男は、ゲイロンが連れてきた数体の獣魔を見て、少しばかり身を強張らせた。臆病者め。ゲイロンは内心、男を侮蔑する。
ゲイロンは、ぐるりと地下牢を見渡した。牢屋の中には、今まで散々こちらをバカにしてきた伝統騎士たちが、薄汚い鎧下に身を包んだまま、ぐったりとしている。実に良い気味だ。数日前までは生意気にも騒ぎ立てていた連中だが、さすがに身の程を知ったか。
「ねぇ、男爵。さすがにやりすぎなんじゃないですかね。可哀想ですよ」
男がそんなことを言う。ゲイロンは鼻を鳴らした。
「甘いことを言うな。連中は伝統騎士。良いか、猛獣と同じなんだぞ。万全の状態で檻から出してみろ、すぐさま首をねじ切られる」
「そんなこと言っても、ほら、女の人だっていますよ」
「男も女も関係ない。連中は化け物だ。我々とは違う」
ゲイロンが伝統騎士を軽蔑する理由のひとつが、その卓越した身体能力である。魔力が枯渇し、代わりにおおよそ人間とは思えないほどの膂力や代謝を備えた伝統騎士の肉体は、明らかにゲイロン達〝人間〟とは異なるものだ。言ってしまえば、ゲイロンが連れてきた獣魔達と、そう変わらない。
その化け物どもを取りまとめていたのが、あのいけ好かないコンチェルト・ノグドラなのだ。あの女をいたぶることで溜飲はだいぶ下がったわけだが、かといってこの伝統騎士たちに温情をかけてやるつもりは、一切ない。
せいぜい、恭順の意を示したものに、多少まともな食い物と、寝床をくれてやるくらいの話だ。
もちろん、油断はできない。こちらに従ったふりをして、背中を狙ってくる可能性もある。連中は野獣のような力を持つが、同時に人間らしい知恵を持つ。狡猾な獣を相手にするようなものだ。
だからこそ、ゲイロンはレイシアルに、オークやオウガと言った大型獣魔の補充を申請したのである。
「さて、と、」
ゲイロンは、ひとつひとつの牢屋と、そこにぶち込まれた伝統騎士たちの顔を、じっくりと吟味するように巡回した。背後に連れた2頭の大型獣魔が、従順に付き従う。
伝統騎士たちの中には、まだゲイロンに反抗的な視線を向けるものがいたが、その後ろに立つ獣魔の姿を見れば、すぐに戦意を萎えさせた。そんな様子を見るにつけ、思わず笑みがこぼれてしまう。雑魚め。口では誇りだのなんだのと口にしても、結局は怖いのではないか。
「てめぇらに、ひとつチャンスをくれてやる!」
囚人全員の吟味を終えたのち、ゲイロンは高らかに声をあげた。感情が高ぶってくると、口調が下品になってしまうのは、ゲイロンのかねてよりの悪癖である。
「今までの行いを省み、そして俺に媚びへつらうんであれば、命だけは助けてやる! まともなもんも食わせてやる! おい、どうだ!」
ゲイロンの叫び声が、地下牢に大きく反響した。直後、しんと静まり返った空気が、ことさらに重く感じられる。
ゲイロンの視線が、牢屋のひとつに向けられた。虜囚となった女騎士が3人ほど、うつむいていた顔をあげる。その表情には、当初はあったはずのゲイロンへの怒りや侮蔑といったものは微塵もなく、ただ疲労と恐怖、そして、わずかな期待のみが浮かび上がっていた。
ああ、こいつら、もう心が折れているのか。ゲイロンの顔は嗜虐心に歪む。
この期待を懇願に変える為には、もうひと押しあった方が良い。少しばかりショッキングなハプニングでも、あればいいのだが。
「従う、従うぞ!」
ちょうど後ろから、高く声を張り上げた男がいた。おや、と思い、ゲイロンは振り返る。
「お、おい! ジーン、おまえ正気か!?」
「うるせぇ、誇りで腹は膨れねぇんだよ! こんなところで死ぬ気なんか、さらさらねぇ!」
その男騎士は、仲間の制止も振り切って、檻の隙間から手を伸ばしてきた。痩せ細った腕。たった数日で、ここまで筋肉は落ちるものらしい。
「ゲイロン男爵! 俺はあんたに従う! だから、ここから出してくれ!」
「ふむ……」
ゲイロンは、男の顔を見た。少し思案する。デモンストレーションには、ちょうどいいだろうか。
「言葉が足りねぇな。サー・ジーン。もっとこう、あるだろ?」
「……、げ、ゲイロン様! わ、私はあなたに忠誠を誓います! あなたの忠実な犬になります! だから……」
「ふむ、まぁ良いか」
ゲイロンは、先ほどの部下の男に目配せをした。男は小さく頷いて、カギを持って牢に近づく。
地下牢全体の視線が、名乗りを上げた伝統騎士、サー・ジーンに向けられていた。軽蔑や怒り、中には羨望まである。人間の尊厳が砕け散りつつあるこの状況に、ゲイロンは非常に満足していた。
のろまな男は少し手間取りながらも、牢屋の鍵を開ける。
サー・ジーンは、媚びへつらうような笑みを浮かべて、ゆっくりと牢から出てきた。揉み手を作りながら、いわく、
「へ、へへ……ゲイロン様、このたびは助けていただいて……」
しかし、ゲイロンはあざ笑うかのように鼻を鳴らす。
「ああ、そのことだが助けたわけじゃねぇんだ。てめぇには見せしめになってもらう」
「へ、そりゃあどういう……」
サー・ヒルベルト・ゲイロンは、有能な男である。それは、例えばレイシアル伯爵であるとか、コンチェルト提督であるとか、ほんの一部の人間だけが確信していることではあったのだが、間違いのない事実でもあった。あまりにも問題のある性格から、多くの人間がそれを軽視していたという、ただそれだけの話なのだ。
ゲイロンは腰に吊るした一本の騎士剣を鞘ごと外し、サー・ジーンに突き付ける。状況が呑み込めず、ジーンは困惑する。
「この剣をくれてやる。剣を鞘から抜いて、もう一度、同じセリフを吐いてみろ」
さっ、と、ジーンの顔色が変わるのがわかった。
やはりな、とゲイロンは思う。剣を抜けば嘘ひとつつけないような欠陥的な人種が、この国にはまったくもって多すぎる。おかげで、間抜けをあぶりだすのに苦労はしないが。
ジーンはおずおずと剣を受け取り、鞘から刃を引き抜いた。特徴的な反りのある片刃剣が、地下牢の薄明かりを反射して妖しくきらめく。両手で柄を握るジーンの腕は、震えていた。
「さぁ、どうした。サー・ジーン。剣を抜いた以上、偽らざる本音って奴を言ってみろ」
「………っ!」
その瞬間、ジーンの目つきが変わった。うわべだけの薄笑いを破り捨て、双眸には怒れる人間の尊厳を取り戻す。いや、最初から彼はそのつもりだった。目的のため、自らの心を説き伏せることができる、他の伝統騎士より少しばかりマシな人間だったという、それだけのことだ。
だがそれでも、抜身の刃を手にして嘘をつくことができないという致命的な欠陥が、中途半端な男に最期の瞬間を呼び込むことになるのだろう。
自らがはめられたことを悟ったジーンは、剣を振りかぶる。
「提督の仇だ、死ねぇっ! ゲイロン!」
同時にそれは、彼の断末魔の代わりとなった。飛び出したジーンの身体を迎え撃つようにして、背後の獣魔が動く。丸太のような腕が空を縦に薙ぎ、拳はジーンの真上から振り下ろされた。頭蓋を叩き伏せ、頸椎を砕き、そのまま彼の身体を構成していた、あらゆる骨と肉と内臓を潰すようにして、最終的に拳は床へとのめり込む。サー・ジーンは、地下牢のシミになった。
「さて、」
床に転がった自らの剣を拾い上げ、ゲイロンは何事もなかったかのように言った。
「余計な考えを起こすと、このようになる。もう一度聞くぞ。この俺の犬になるって奴は、いるか?」
地下牢をぐるりと見渡すと、今のデモンストレーションに心を砕かれた伝統騎士たちが、ちらほらと手を挙げるのがわかった。
Episode 59 『スニーキング・ミッション(4)』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「……何が起こっているんだ?」
扉にぴたりと張り付いたまま、ルカは訝しげにつぶやいた。
おそらく中には、敵側に寝返った人間がいる。彼らが虜囚となった伝統騎士たちになんらかのアクションを取っているのは間違いないようだが、それ以上のことがわからない。扉は分厚く、音のほとんどは遮断されていた。
ルカの真横では、ショウタが顔を強張らせている。最初は緊張しているだけかと思い、軽口のひとつでも叩いてやろうかと思ったのだが、どうやらそうでもないらしいことが、すぐにわかった。
ショウタは壁に張り付きながらも、その視線を、扉へと向けている。その視界は、扉を突き抜けた向こう側にまで広がっているのだろうということは、想像がつく。
「……少年、何が見えている?」
尋ねると、ショウタは顔をあげ、言った。
「ひとり、殺されました」
「なに……」
ルカも、思わず息を飲む。
ショウタは、彼が透視によってつかんだ情報を、丁寧に説明してくれた。
ルカとショウタが扉に張り付いた時点で、中には貴族騎士らしき二人の男がいたという。そのうち指揮権を持っているらしき一人の男は、しばらく地下牢を歩き回ったのち、虜囚たちに自らの軍門へ下るよう勧告したらしい。
殺されたのは、その中で名乗りをあげた一人の伝統騎士だった。どうやら本心からではないらしく、結局のところ、その心を見抜かれた彼は、剣を構えて飛びかからんとしたが、男の連れていた獣魔によって叩き潰された。
「多分、その男の人が戻ってきたのはほんの少し前です」
声は緊張に強張っていたが、震えている様子はない。ショウタは冷静だった。
「なるほど、少しタイミングがズレていたら、逆にブッキングしていた可能性もあったね」
「あの。あと、もうひとつ」
「うん? なんだい」
ショウタは、少し視線をさまよわせたのち、やがて意を決したように告げる。
「伝統騎士の人を叩き殺した獣魔は、オウガです」
「……確かなのか?」
ルカの声にも、わずかに緊張が滲み始めた。
「資料でしか見たことないですけど。間違いないです」
報告にはなかったはずである。まさか敵が、この獣魔族まで配下に従えているとは思わなかった。
オウガは、獣魔の中ではもっとも個体数が少なく、かつ集団行動することが少ない種族だ。だが、たとえ単独であっても、その危険度は群を抜く。好戦的な性格と圧倒的な身体能力。同じ大型獣魔であるオークと比しても、純粋な戦闘能力は圧倒的だ。手慣れた騎士が集団で挑んだとしても、わずかな油断から命を落とすこともある。
キャロルやトリル、アイカなどと協力して初めて互角に戦えるかもしれないような獣魔が、すなわちオウガだ。ここで相手どるにしては、あまりにもリスクが大きすぎる。
どうする。
ルカは腕を組み、天井を仰ぐようにして考え込んだ。ここまで来てしまうと、撤退するのも難しい。階段上の入り口には、いまだ獣魔達が見張りをしており、ショウタの転移術に頼らなければ、見つからずに退くことは不可能だ。転移を成功させたとしても、先ほどのように音を立てるわけにもいかない。
「あ、また降伏勧告を出しています」
「ん」
「投降者はけっこう多いです……。さっきの見せしめが効いているのかも」
話を聞いて、思わず舌打ちしそうになる。相手もなかなか姑息な手を使うようだ。ショウタは更に実況を続けた。
「投降者たちは、オウガと一緒にこの下の隠し牢に向かわされるらしいです」
「隠し牢?」
潜入前の地図には、そのようなものは見当たらなかった。いや、地図を見た時から、構造上、地下牢のさらに下層に大きめの部屋を建造することは、可能であるように思えていたが。しかしそれも牢屋であったとは。
「拷問室も兼ねてるみたいですね。そこにはコンチェルトさんがいるらしいです」
「騎士提督が生きているって?」
「はい。多分」
悪い情報と良い情報が交互に入ってくる。ルカは更に思案を深めた。
騎士提督コンチェルト・ノグドラが生きているというのは、間違いなく朗報だ。無事に救出できれば、オウガの一体や二体など、敵ではなくなる。相手の混乱を誘うという意味でも、この上ない成果が得られるはずだ。
だが同時に、戦略級騎士の一人であるコンチェルトが、のうのうとつかまっていること自体が不可思議ではある。現状、なんらかの手段によって、コンチェルト自身がほぼ無力化されている可能性は否めなかった。
ここでオウガと戦闘するリスクを冒してまで、コンチェルトを救出するメリットがあるのかどうか。難しいところではある。
加えて、敵戦力に大型獣魔がいる以上、キャロル達にそれを伝えなければならない。ダム区画の防衛にもオークやオウガが配置されていた場合、あの3人だけで突破を図るのはほぼ不可能だ。
どうする。
常に平常心を保つのがルカのモットーだ。焦燥は敵である。あくまでも、いつものクールなたたずまいを崩さないようにしながら、考える。
「ルカさん、」
先ほどより緊張をにじませた声で、ショウタは言った。
「貴族騎士の人が、こちらに近づいてきます」
考える時間もないということか。
ショウタが扉から身体を離し、腰元の鞭に手を伸ばすのを見て、ルカも騎士剣の柄を手に取った。
コンチェルトの救出と、キャロル達への報告。オウガの攻撃をかいくぐって、できることならば両方、成し遂げたいところではあるのだが。そのために、何を犠牲にするべきなのか。
ぎぃ、と音をたてて開く扉を見つめながら、ルカ・ファイアロードは、既に冷徹な算段をつけつつあった。




