第58話 スニーキング・ミッション(3)
「こちらがバロン・ゲイロンから要請のあった、獣魔の補充要請リストになる」
サー・カウント・レイシアルは、あくまでも事務的な口調で、一枚の紙片を手渡す。ローブ姿のアジダは、鱗に覆われた人外めいた腕でそれを受け取ると、ざっと目を通す。が、すぐにざらついた声で、くつくつという笑い声を漏らした。
『ずいぶんと、欲を張るな。あの男は……』
「ゲイロンのことだ。おそらく、自分の手駒を増やすくらいにしか考えていない。が、それで牢の守りを固めてくれるなら、それで構わんさ」
ため息をつき、レイシアルは背もたれに身体を預ける。
サー・バロン・ゲイロン。能力はある男だ。その点では優秀と言っても差し支えはない。が、おそらく長生きはしないだろうなと、レイシアルは考えていた。目先のことにしか目を向けなさすぎるゲイロンの性格では、この後、反逆者たる自分たちが迎えるであろう運命に、気づくことはできまい。
レイシアルが見立てなくとも、このアメパに長くとどまることなど不可能だ。あくまで堰堤要塞のジャックは、王都に対してこちらの要望を飲ませるための、刃の切っ先に過ぎない。いずれ騎士王国はなんらかの対策を講じてくるだろう。王国に残る戦略級騎士を、あと一人でも投じられれば、アメパ堰堤要塞の守りは総崩れとなる。コンチェルトの力を封じたあの術式でさえ、レイシアルを除けばアジダしか使用することはできない。加えて、アジダは決して自分からあの術式を使うことは、ないだろう。
ゲイロンは、いずれ死ぬ。権力や財力に固執するあの男のプライドでは、要塞を棄て逃亡するまでの覚悟を決めるのに、相当な時間を要すだろう。その間に、王都の軍勢に攻め込まれておしまいだ。生きて捉えられたとしても、反逆者に課せられる刑罰は決まっている。
どうせ死ぬ男なら、今の間だけでもその能力を有効に活用させてもらう。それだけだ。
『冥獣化個体の扱いはどうする?』
「ゲイロンには渡さなくて良い。冥獣魔はあの男には制御できない」
『ほう……そうか。新しくオウガの冥獣化に成功したのだが』
後ろから届く、アジダのしわがれた声に、レイシアルははじめて振り向く。
「……本当か?」
『嘘を言っても仕方なかろう。事実だ。調整に骨は折れたがな』
思案するような顔を作る。
獣魔族の中で、唯一冥獣化の調整に難航していたのがオウガだった。本来、獣魔の中でもとびぬけた戦闘能力を有し、この騎士王国でも討伐には一個中隊規模の騎士団が運用されることも珍しくないオウガは、いざ冥獣化すれば戦略級騎士とも渡り合える戦闘能力を発揮するのではないかと、レイシアルは見ていた。
無論、過信は禁物だ。だが、このタイミングで冥獣オウガを戦力に加えられるようになったのは、まさしく僥倖だった。冥獣オウガを数体、戦列に加えることができれば、王都から派遣された精鋭部隊に対しても、防衛線を展開できる。
「うぅむ……」
『どうかしたか? レイシアルよ』
「いや、冥獣化をこちらの任意で発動させることは可能かと思ってな」
『ああ……』
ローブに隠れた男の顔が、にんまりと笑ったように感じられた。
『完全にとはいかんが、まぁある程度はな』
「では保険として冥獣オウガを一体、ゲイロンの獣魔部隊に潜ませてやってくれ」
『ふむ、承知した』
先日、コボルトの冥獣化に成功している以上、これで全ての冥獣魔が戦力として運用できるようになったわけである。予想していたよりも、だいぶ早い展開だ。悪いことではない。
ゲイロンでは冥獣魔を制御できないが、それでも一体、保険として用意しておく。あの男には、要塞内部、地下牢周辺の警備を任せていた。要塞に侵入してきた敵への遭遇率が高いのはゲイロンの部隊だ。
『では、そのようにしよう。他に何かあるか?』
「いや……、今は特にない。今はな」
レイシアルは、冷徹な光を宿した双眸で宙を仰ぐ。
当初の予定では、王都が要塞奪還に動き出した時点で、こちらのアメパ堰堤要塞は破棄する心づもりであった。それまでに、王都との交渉にこぎつけられれば良し、仮にそれが不可能であったとしても、撤退前にこのアメパ堰堤要塞は破壊していく。
王国の北を護るアメパ堰堤要塞を破壊すれば、防衛網に大きな穴が空く。連なる峻厳な峰が、天然の防壁の役割をはたしてはいるものの、それはアジダらにとってはさしたる影響を持たないだろう。加えて、破壊したダムから流れ出る大量の土砂流は、中流域の集落に壊滅的な打撃を与えられる。いずれも、レイシアルの最終的な目標にとっては都合が良い。
戦力の拡充が予想外に早い。当初の予定どおり慎重に行動するべきか、あるいは強気に出るべきか。レイシアルは少し迷っていた。
『レイシアルよ』
思案中のレイシアルに、アジダが声をかける。
「どうした」
『いや、付き合いは長くなるが、おまえの腹の内をまだ聞いていないと思ってな』
くつくつ、としわがれた笑い声が、ローブの中から漏れてくる。
『クーデターの真似事など、正気の沙汰ではないぞ。王都の軍勢に対して勝算があるかと言えば、そうでもなさそうだ』
「勝算がないわけではない。お前たちが動きやすくなるのであれば、それで構わんさ」
その眼光とまったく同じ、底冷えするような声。まるで声帯にも霜が降りてきたかのようである。氷の吐息を吐き出さん勢いで、レイシアルは告げた。
「腹の内ならば、最初に言った時から何も変わっていない。私は、この国が嫌いなだけだ」
Episode 58 『スニーキング・ミッション(3)』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
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「警備をしているのは獣魔だけか。どうも、魔王の城に乗り込んだ気分だね」
ルカの軽口は止まる様子がまったくない。よく喋る人だなぁ、とショウタは思った。
「魔王が出てくるような英雄譚、読まれるんですか?」
「ん、まぁね。伝統騎士なら一度は憧れるものさ。子供の頃は、よく弟と一緒に勇者っごっこをやったよ」
ずんずんと廊下を歩くルカである。スニーキング・ミッションという言葉の意味を、果たしてどれくらい理解しているのだろうか。などと心配になってくる始末だが、警備に目を光らせる獣魔の前に姿を見せるなんて迂闊な真似は、まったくしなかった。
もちろん、二人はアメパ堰堤要塞の所属章をつけている。見つかったところですぐさま侵入者と看破されることもないだろう。しかし、念には念を入れてということか、ルカとショウタは複数あるルートと警備の目をしっかりと吟味しながら、着実に地下牢へと向かっていた。
「さて、少年。どうしたものだろう」
ルカがぽつりと漏らしたのは、地下牢へ向かう階段の、その手前を指してのことだった。扉の前ではコボルトが2体、ゴブリンが4体、計6体の獣魔が守りを固めている。
「さすがにあそこは迂回できないな。強行突破するにも数が多い」
「この所属章を盾に、何食わぬ顔で入ってみます?」
「うーん。それでも、良いっちゃ良いんだけど……」
ルカは腕を組み、壁に背中を預けながら天井を仰いだ。
「ボク、一個気になっていてさ」
「なんです?」
「ここにたどり着くまでに複数ルートがあったね。もちろん、警備の手薄な通路を吟味して通ってきたわけなんだけど、結果、一回も敵に見つからずここまで来れてしまった」
「はい」
事実である。危うく見つかりそうになる、などという危険な局面も一切なかった。
ルカが頭の中に叩き込んだ要塞内の地図。確かに主要なルートにはすべて獣魔が配置されていたが、それでもそれらの目を潜り抜けながら、ここまであっさりとたどり着けてしまったことを、ルカは怪しんでいるわけだ。
「誘導されてるんじゃないかってことですか?」
「だって、いくらなんでも警備がザルすぎない?」
「えぇ、まぁ、ここまで簡単だとは思ってなかったですけど……」
ショウタも頭を掻く。
「でも、足を止める理由にはならないですよね」
「そうだね。そうなんだよね……」
ルカは腕を組んだまま目を閉じた。
「それでも強行突破はしたくないな。なんとか、連中の目を潜り抜けたいんだけど……」
「うーん……」
ショウタも考える。いや、手段がなくはないのだ。なくはないのだが、いささかリスキーに過ぎるので、正直なところ、使いたくない。口に出そうか迷っているところに、ルカはあっさりと言った。
「仕方ない。少年、転移術だ」
「やっぱそうなるんですか?」
「だってそれしかないじゃない。なに、壁の場所にのめり込まないよう、きちんとナビすればいいんだろう。それとも、ボクのナビじゃ不安かい?」
「不安です」
ルカは露骨にしかめっ面を作る。
「信用ないな。殿下と何が違うって言うんだ」
「呼吸ですかね……」
とは言え、それしかないのは確かに事実か。もしルカの懸念通り、ルートを誘導されてきたのだとすれば、背後から別の獣魔が接近している可能性も考慮しなければならない。挟み撃ちに合えばそれこそ危険だ。結局、ショウタはそのリスクの高い手段を受け入れることにした。
ショウタは意識を集中させる。広い街道で殿下と連続転移した時とは状況が異なる。障害物の多い要塞内で、連携の不慣れな相手と転移を行うのだ。失敗はできない。
「ルカさんの体重とか、鎧の重さとか、聞いておいていいですか?」
「えっ、それ大事なの?」
「大事です。内臓とか置いていきたくなかったら」
ルカは少し視線を泳がせたのち、品のない舌打ちをした。が、すぐに観念したように、ショウタの耳元でそっと告げる。
「僕しかいないんだから普通に言えば良いのに……」
「そこはそれ、乙女の恥じらいだよ……。ていうか殿下にも同じこと聞いたの?」
「殿下の場合はもうだいたいわかってるんで平気です」
「あっそ」
吐き捨てるような言葉の後、ルカもまた真剣な顔つきに戻って計算を始めた。目測距離と、地図から算出される要塞内の構造。それらを勘案して、ショウタの転移すべき先がここから何メーティア先にあるのか、高さ、横幅、奥行き、三つの座標を具体的に算出しなければならない。
「階段がありますからね。高さの設定をミスると、天井にめり込むことにもなりかねないです」
「あ、そっか。んー……」
ルカは、その人差し指で虚空の計算式を描いている。
「ルカさんって、意外とインテリなんですねぇ」
「なにそれ。いや、騎士はインテリだよ。だって、土木工事の監督とかもやるからね。ま、ボクは特にこういうの得意なんだけど」
「キャロルさんとかはあんまりインテリに思えないんですけど」
「それはほら……、キャロルだから……。よし」
計算は終わったらしい。ルカは、ショウタにそっと身体を寄せつつ、指先で獣魔達の守る扉の向こうを示した。
「直線距離で112メーティア。そこからさらに、20メーティアほど下へさがる。そのあたりが、地下牢に続く階段の途中だ。警備中の獣魔達にも、おそらく察知されずに済む位置だろう」
「わかりました」
ショウタは目を閉じた。意識をより一層集中させ、思考領域に座標の入力を行う。周囲の空間ごとまとめて切り取り、指定された座標に貼り付けるイメージ。ルカの形状と質量を正しく思い描くのには、少しばかり苦労を要する。
「これ、転移先に人がいたらどうするの?」
「どうにもなりません。合体人間として余生を送りましょうね」
「え、やだなぁ。それ……」
軽口を叩きながらも、イメージが形になる。ショウタは目を開け、ルカと自身の身体を転移させた。瞬間、天地が逆転するような浮遊感があって、周囲の空気の質感が、切り替わったような感覚を覚える。成功だ、と思った瞬間、ショウタは自らの足に接地面が存在しないことに気付いた。
「わ、わぶっ」
おそらく、ルカの計算よりもいささか急であった傾斜の階段は、ショウタ達の転移先より数十セルチメーティアほど下にあった。思わず出かかった悲鳴を、ルカの手が抑え込む。直後、自由落下と共に足が階段の縁にたどり着くが、バランスを制御することまではできず、ショウタは思い切り姿勢を崩した。
そのまま階段を転げ落ちずに済んだのは、伝統騎士特有の優れた体術を発揮した、ルカのおかげである。彼女はショウタの口元を抑え込んだまま、その身体を抱きかかえるようにして、階段を蹴りたて、くるりと宙を回って踊り場へと着地した。
あっけにとられるショウタをおろしながら、いわく、
「転移成功だね。ボクの計算に狂いはなかった」
「どの口でおっしゃるんですかねぇ……」
が、まぁ、事実ケガなど一切なく、壁にのめり込むことも、他の何かと合体することもなかったので、転移自体は成功と言えよう。お姫様抱っこされたショウタを、ルカは平然と降ろす。
「うん、鎧も装備も内臓も忘れてない。実はさっき、体重をサバ読んじゃって、不安だったんだ」
「そういうのは転移前に言ってくださいよ。心臓に悪いなぁ」
一体何カルロ分のサバを読んだのかは、聞かないでおく。
さて、それはさておき、地下牢だ。階段には最低限の灯りしか用意されておらず、先ほどまでと比べてだいぶ不気味な印象がある。この階段を下りた先に、多くの伝統騎士が幽閉された地下牢があるということだ。
考えてみれば、これらはすべて宰相の密偵……おそらくはみっちゃんが持ち帰ったであろう情報である。前情報もなく、ショウタのような便利な能力もなく、それでいて一切敵に気取られずここまで奥に潜入できたのだということを考えると、やはり彼女のプロフェッショナルっぷりが際立つ。ただのくすぐりに弱い女の子ではなかったのだ。
「さて、少年。行こうか」
「あ、はい」
ルカは相変わらず、堂々とした足取りで階段を下りていく。音が反響しやすい環境にも関わらず、彼女の金属製ブーツは、一切の足音を立てなかった。ショウタは足元に力場のクッションを作り、強引に足音をかき消す。
やがて、階段の切れ目が見える。重厚な金属製の扉が置かれ、その奥から話し声が聞こえた。ルカとショウタは互いに顔を見合わせると、互いに頷き合い、ぴたりと扉にはり付いた。




