第4話 悪逆非道、許すまじ
「ショウタっ!」
蹄鉄の砂を蹴る音に混じり、少年の名前を呼ぶ声は悲鳴に近かった。夜の帳が落ちた村を一気に駆け抜け、アイカは、姫騎士アリアスフィリーゼは、村の東端にたどり着く。そこで彼女が見たものは、地面に倒れ伏し、後頭部から血を流すショウタ・ホウリンの姿であった。
賊の姿は4人。家屋に身体をぶつけぐったりと倒れ込んでいるものを含めれば6人。あと1人いるはずだが、ショウタがやったのか。力は使うなと言ったのに。力を使わなければ、そんな危ない目に合うこともなかっただろうに!
感情の終着点は憤りだ。
その多くは自分の不甲斐なさに向けられるが、彼女にはいま、自傷に走る余裕などありはしなかった。結果、目の前の賊4人に対して、先鋭化した感情の矛先が向けられる。
連中がこちらに気づく。うち1人が、ぐったりとしたショウタの腕を掴み、強引に引っ立たせていた。
馬が悲鳴を上げ、バランスを崩す。無理もない。酷使しすぎたのだ。アリアスフィリーゼは、主以外に背を許し、自らをここまで運んでくれた馬に感謝しつつ、その鞍から飛び跳ねた。怒りみなぎる翠玉色の双眸が、宵闇の澄んだ空気を貫いて、1人の賊を捉える。
「でああああぁぁぁぁぁぁ――――ッ!!」
「ぐぉあっ!!」
横薙ぎに奔る脛当てが、男の横っ面を張り倒す。頬骨と顎の砕ける感触があった。
砂を摺り、小石を巻き上げて、姫騎士アリアスフィリーゼが着地する。柄に手をかけるのももどかしく、彼女は更に目の前にいるひとりの男を、思い切り殴りつけた。超重量の篭手から放たれる強撃だ。男は、ショウタを掴んでいた腕を放し、もんどりうって昏倒した。
放り出されるショウタの華奢な身体を、アリアスフィリーゼは片手で抱きとめた。座らない首が肩の上に乗っかる。黒い髪を伝って滴るわずかな血が、白磁の装甲に朱を落とした。エメラルドグリーンの瞳に映し出された朱色が、再び怒りと化して濁りの紅を生む。
「そこまでだ、貴族騎士さんよぉ!」
背後から聞こえた声に、彼女ははっとする。振り向けば、賊のひとりが、シェリーの髪を引っつかみ、その首筋に蛮刀を突きつけていた。幼女が泣きながらこちらに駆けてくる。もうひとりは、焦った様子で忙しない視線を周囲に巡らせていた。
「動くんじゃねぇ、散々やってくれたな。だがそれ以上動くと、この娘の喉笛、掻っ切るぜ」
「………っ」
人質。状況の逆転は、彼女の脳にクールダウンの余地を与えた。怒りは引かないが、脳に押し寄せた血だけはその熱を冷ます。今の自分が、アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオではなく、アイカ・ノクターンであったことも、思い出す。
シェリーの表情は、恐怖を交えながらも毅然としていた。森の中で会った時もそうだ。邪悪に屈さない強い意思がある。仮にアイカが攻撃を強行し、シェリーが命を散らすことがあったとしても、それは想定内と言わんばかりの顔つきであった。
だが、仮にそうであったとして、無力な村娘ひとりの犠牲に勝利を勝ち取るやり方を、アイカは学んでいなかった。苦渋と躊躇と葛藤。まんじりともできないアイカの態度を見て、賊は満足げに笑った。
「武器を捨てろ、捨てたら、動くなよ。両手を頭の上で組んでろ。その坊主が心配か? じゃあ片手でもいいぜ」
「お、おい、リンス……」
手ぶらの方の賊が、相方を突っつく。村の西側から、松明を持った男たちが押し寄せてきた。
「騎士様ぁーっ! 村の中に、賊は見当たら……」
「てめぇらも動くんじゃねぇっ!!」
リンスと呼ばれた賊が叫び、村の男たちがぴたりと止まる。彼らも、即座に状況を察した様子だった。
「くそっ、ランデルさんは……本隊は失敗したのか? どういうことだよ、クソッ……」
男たちが、おそらく入り口の警備をしていた連中であると察したのだろう。リンスは悪態をついた。
「シェリーを放せ。どうせそんなことをしても……」
「うるせぇ、黙ってな!」
呼びかけた村の男に対して、半ば逆上するような態度を見せるリンス。彼が相方をちらりと見ると、相方のほうはやや気が進まない様子ながらも、シェリーの身柄を預かり、己の得物である小型のナイフを彼女の首元に押し付けた。
両手が自由になったリンスは、蛮刀を片手に、ずらりと周囲を見渡す。
「荷車と、あとこの村にいる馬をよこしな。そこでノビてる仲間もだ」
男の言葉は、実質的な敗北宣言にも等しい。粗野に見えて、ある程度状況を理解している者の言動であった。人質を盾に、逃走手段を確保する。もっと残虐なことを命じていれば、決意を固めた男たちが一斉に襲い掛かり、人数の利で袋叩きにされていたことだろう。その結果シェリーが死んだとしてもだ。
村の被害が実質最小限に済む交渉である。シェリーの身柄が相手側にある以上、イニシアチブは常に向こうだ。こちらには、示し合わせの相談をする猶予も、あるいは村長に報告に行く猶予もない。村の男たちは顔を突き合わせ、やがては怒りに肩を震わせながらも、賊の要求に従わざるを得ない。
アイカは一歩も動けなかった。彼女も賊の言葉通り、得物を放り投げ、片手を首の後ろに回した状態である。そんな様子のアイカを見て、リンスは下卑た笑みを浮かべた。
「いい顔だなぁ、貴族騎士様よぉ」
村の男たちが荷車を用意するまでの短い間だ。リンスはアイカに顔を近づける。
「てめぇの余裕ぶったツラが気に食わなかったんだが、怒った顔はなかなか綺麗じゃねぇか。ええ?」
「お、おいリンス。挑発するなよ」
「黙ってろよ。俺はこの騎士様に借りがあっからよ」
怒りの表情をたたえたまま、微動だにしないアイカ。彼女の足元には、幼女が泣きながらすがりついている。
「お頭への土産に、今度は泣き顔か、苦痛に身をよじるツラが見てぇなァ……」
そう言って、リンスは悠長に、ナックルダスターなどを拳にはめた。悪趣味な発言。村の男たちの間に、嫌悪と怒りの入り混じった感情が流れる。だが、にわかに殺気立つ空気を目の当たりにしたところで、リンスは言葉を取り下げたり、拳を解いたりはしない。
鬱憤を晴らす。溜飲を下げる。ちっぽけな目的だ。敗北の屈辱をごまかすための、みっともない代替行為に過ぎない。男は、味方を単騎で蹴散らした女騎士の顔を、無抵抗をいいことに殴ろうとしている。
「気ィ張れよ、オラァっ!」
弓なりに引いた拳が、勢いよく伸びた。鉄が肉越しに骨と当たる、鈍い音がした。
「………」
アイカは避けなかった。動かなかった。
恐怖に慄くことも、激痛に身をよじることも、目を瞑ることすらなく、眉ひとつ、口角ひとつ微動だにせず、ただ黙って、男の拳を顔面に受けた。ひとつ、大きく開かれた翠玉色の瞳が、男の非道に対する純粋なる感情を投影する。
アイカは動かなかった。ただ、怒っていた。
石壁を殴りつけたところで、もう少し変化はあっただろう。手応えは見られただろう。だが、アイカは何もなかったのである。ただ見開かれた双眸が怒りをたたえ、リンスを睨む。ナックルダスターによって割れた額から、つ、と血が滴った。
「う……」
うめき声をあげたのは、むしろリンスの方である。毅然という言葉すらも超越した騎士の態度に、底知れぬ恐怖を感じたように、ゆっくりと拳を引き、後ずさった。怒りの双眸に射抜かれて、全身には冷や汗が浮かぶ。
人質がいる限り、アイカは動けない。その事実すらこの瞬間は無意味だった。アイカはそのひと睨みで、リンスの気勢を食いちぎったのである。開けてはならぬ扉であった。
「おいリンス、行くぞ! こっちは手が使えねぇんだよ!」
シェリーを人質にとったまま、相棒が彼を呼ぶ。村の男が用意した荷車に、気絶した賊たちが載せられていく。
「お、おう……」
「待て、シェリーをどうする気だ」
「人質に決まってるだろ、無事に帰れたら放してやるよ!」
二人の賊は、馬に、あるいは荷台に乗って、村を出る。残されたのはとうてい信用できない口約束だけだ。盗賊団は逃げた。逃がした。そうさせたのは、アイカだ。
重たい空気が村に落ちる中、アイカはただ、やり場のない感情を持て余していた。
ショウタが目を覚ましたのは、二人に貸し出された空家ではなく、村長の家の一室だった。ベッドに寝かされ、気づいて身体を起こせば、不意に後頭部が痛む。そうか、殴られたんだっけ、と思いながら、後頭部を抑えながら周囲を見渡すと、ベッドの脇に立つ人物にふと気づく。
姫騎士殿下である。
アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ姫騎士殿下である。
目尻に涙をいっぱいに溜めた御尊顔だったので、たいそう驚いた。殿下も額を切っているようで、血の流れた跡がある。
「ショウタ……」
「お、おはようございます。殿下……」
不意に、姫騎士殿下は殿下はショウタをぎゅっと抱きしめた。胸当てが顔面にめり込む勢いで、割と真面目に痛かった。ばんばん、と鎧を叩いてギブアップを宣じても、これがなかなか解いてくれない。
「おい、村長それでいいのかよ!」
そのような声が聞こえ、殿下はようやくショウタを放した。酸欠気味に荒い呼吸を繰り返す彼を尻目に、姫騎士殿下は居間の方へと顔を向けている。さっきまで目尻に溜めていた涙はどこいった、とばかりに、けろりとした顔つきだった。
居間には村長、あとは村の男たちが集まって、何やら真剣に話し合っている。こうして話し合っているということは、賊の襲撃から村は守られたということなのだろうが、何やら様子がおかしい。そこでふと、ショウタは自分が気絶するに至った経緯を思い出した。
「あの、殿下! シェリーさんと、あの、小さな、女の子は……?」
「シェリーは連れて行かれました」
姫騎士殿下は、彼女には珍しく抑揚の抑えた、しかしはっきりとした声で言った。
やはりそうなのか。ショウタの心に暗い影が落ちる。使うなと言われた力まで使ってあの様なのだから、笑えない。ぽんこつ従者だ、と自虐的にもなってしまう。
「ショウタが気にすることではありません。うっかりしていました。私も、これだからぽんこつと言われるのです」
殿下は心中を見透かしたようなことを、冗談のように言う。
彼女はそのまま、居間の方へと足を進めたので、ショウタも慌ててそれを追う。ここから先は、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下ではなく、アイカ・ノクターンお嬢様だ。ショウタは心の中で意識しなおす。その間も、喧々諤々とした言い争いが、村の男たちの間で続けられていた。
どうやら話を聞くに、シェリーを連れ去られたことに憤る村の男たちは、盗賊団を追跡し彼女を奪い返そうといきり立っているらしい。特に、10代から30前後の若い連中に多かった。それ以上ともなると、難しい顔をして首を横に振り、村長たちとともに彼らを諌めている。
「連中、どうせまた攻めて来るぜ!」
「今度こそ領主様に報告しよう! 人的被害まで出てるんだ!」
しかし村長の表情は晴れない。
「領主様が……それで騎士団を動かしてくれるかどうか……」
そうした会話を前に、女騎士アイカ・ノクターンは腕を組んだ。ショウタは、ベッドの脇にあった包帯を手にし、アイカに座るよう促すと、その額にぐるぐると包帯を巻き始める。
しばらく目を瞑り、じっと考え込んでいた様子のアイカだが、そこで目を開き、このように発言した。
「おそらくは、動いてくれないでしょうね」
「お嬢様、頭を動かさないでください」
「はい」
「だから動かさないでって」
アイカは大真面目に頷いてしまい、そのままショウタにぺしりと頭を叩かれていた。
「動いてくれない? 領主様がか!?」
男のひとりが詰め寄らんとする勢いで尋ねる。
「村が直接襲われて、娘が一人連れ去られてるのにか!?」
「はい」
アイカは今度は頷かず、言葉だけでそう答えた。
「あくまで憶測ですが、私は、動いてくれないと思います。そうですね? ショウタ」
包帯を巻く少年の手が、ぴたりと止まる。決して広くはない村長の家に、どよめきが広がった。
どういうことだ、と問いかける彼らに、アイカは答える。
まず単純に、彼らの装備だ。騎馬を30以上用意し、維持するだけでも相当な出費を必要とする。加えて、今朝方森の中でアイカが遭遇し、成敗したはずの賊も、武器と防具が新調されていた。単なる賊にしては資金が潤沢であり、またそうしたバックボーンを持つ彼らが、わざわざ攻めづらく、また本拠からも離れた環濠集落を、念入りな下見までして奪いに来るとは考えにくい。
指示を下したスポンサーがいる。
それがメイルオ領主フクラターゼ伯爵であるかどうか。あくまで憶測であり、断定はできない。だが、これまでに何度か領主へ報告を上げ、その上で伯爵が騎士団を動かさないこと、この村の村落形態が伯爵の目指す列村開拓にそぐわないことなどといった要因から、可能性は高い。
アイカの推論を聞き、一同は押し黙る。重い沈黙が室内に落ちた。ショウタだけが、ただ黙々とアイカの傷の手当てをしている。
「はい、手当て終わりましたよー」
「ありがとう、ショウタ」
ショウタが包帯をしまい、アイカが立ち上った。
「さて、私とショウタは、そろそろお暇させていただきましょう」
「な、なに……!?」
村の男たちは、面食らったような顔になる。互いに目を合わせ、だがすぐに、怒り心頭といった表情で女騎士に近づく。白磁の貴族騎士は、相変わらずマイペースな態度で、自身に詰め寄る男の動きを観察していた。
「それはちょっと無責任じゃないのか、騎士様!」
「なぜでしょうか」
「なぜって、シェリーの件は、あんたが……!」
と、言いかけて、村の男は口をつぐんだ。そう、アイカがうっかりしていたのは事実だが、それ以上の落ち度は、彼女にない。報酬も出ないのに、自身の領地外の村を、ほぼ一人で賊から防衛したというだけでも、称賛されるべきことである。
男たちはそこを責められない。責めればそうした正論が飛び出すだろう。彼らに貴族騎士アイカを拘束する権利は、ないのだ。
「そうですな……」
村長は顔をあげ、突き放すような声で言った。
「とっとと、出て行ってくだされ」
「村長……!」
人質として連れ去られたシェリーは、村長の娘だ。気持ちはわかるが、言い方というものがある。それに、まだ丁寧に頼み込めば、騎士様は一回くらい力を貸してくれるのではないか。そうした様々な感情が入り混じった、男たちの声である。
だがやはり、冷淡な声で村長は続けた。
「盗賊団を蹴散らしたのは、騎士様ひとり。連中の背後にいるのが領主様だとしても、騎士様が勝手にやったことといえば、言い訳も立つ。シェリーは戻らんでしょうが、あとは賊どもに従えば、悪いようにはならない。そんなところですかな」
アイカはにこりと笑って、こう答えた。
「あなた方は、この村から動かずにいるのが最善でしょう」
それ以外に、できることは何もない、と言わんばかりの。
室内の空気が、怒りで濁る。男たちが殺気立つ。それでも、アイカはのほほんとした、いつものマイペースさで背中を向ける。流れるような金髪が、ふわりと宙を薙ぐ。無言のまま見送る一同に、ショウタはぺこりと頭を下げて、村長宅を出たアイカのあとを追った。
「殿下!」
家の外に出てから、ショウタは姫騎士殿下に呼びかける。
「殿下、伯爵さんの家に突撃をかけるおつもりでしょう!」
ぴたり、とアリアスフィリーゼが足を止めた。振り返り、金髪が宵闇に弾ける。
「やっぱり、そう見えます?」
「見えます。殿下は、そういう方ですから」
ショウタはきっぱりと答えた。
盗賊団の背後に、メイルオ領主フラクターゼ伯がいるという事実。ショウタは当然、それを殿下には伝えていない。だが、殿下は気づいた。気づいてしまったのだ。そして気づいてしまった以上、彼女が止まることはない。フラクターゼ伯も貴族騎士である。騎士でありながら盗賊を私兵と化し、女ひとりを盗み取るような悪逆非道な振る舞いを、よもや殿下はほうっておくまい。
姫騎士殿下がいっそ本当に、噂通りのぽんこつであれば、むしろ気楽だった。彼女は優秀なのだ。ほんのわずかな状況証拠から、独断で真実にたどり着ける程度には。
だからこそ、宰相も、みっちゃんも、気を焼くのである。
「黙っていたのは、私が暴走しないようにと、気を効かせてくれたのでしょう? ショウタはそういう方ですから」
殿下がそう言ったので、ショウタも顔をあげる。
「ショウタは聡明ですから、意図的に隠していたのでしょう? 彼らの姿をはっきり確認しておいて、その背後にいるものの正体に気づいていないはずもありませんし。そこが不自然なおかげで、私も自然とフラクターゼ伯爵を疑うことができました」
そこは気づいてないんだ、とショウタは思った。みっちゃんの暗躍の件である。ウッスア宰相にバレてお説教確定な事実を知ってテンションを下げられても困るので、黙っておこうと考える。ここまで来たらひとつ怒られるもふたつ怒られるも同じだ。
「お気を揉ませて申し訳ありません。ショウタ。でも、私は行きます」
「お供します」
ショウタの言葉である。自分のみっともなさを取り繕うためのもの、だけではない。
自身のミスでシェリーを拐かされたのは事実であって、その上でなお、伯爵の屋敷に突撃するのはやめましょう、とは言えなかった。けじめはつけなければならない。ショウタの場合、そのけじめとは、姫騎士殿下のお手伝いをすることで為される。
「ありがとう」
殿下はにこりと笑って礼を言った。
「さて、伯爵の屋敷はデキシオ鉱山の方面にありますね。問題は足ですが……」
「また〝飛んで〟いきましょうか?」
「ショウタは頭にまだダメージが残っているのでしょう? 無理はしない方がいいですし、短距離の〝転移〟を繰り返して、屋敷に着く頃にヘロヘロになっていても……」
さて、村の入り口付近まで来ると、そこには盗賊の武器や鎧の欠片が散乱する中、何頭かの馬が柵に繋がれていた。盗賊は、疲労の少ない村の馬を奪って帰っていったため、多くの馬がこちらに放置されている。贅沢な話といえば、贅沢な話だ。スポンサーたる伯爵は、そうした乱暴な騎馬の運用まで容認しているのだろうか。
無論、戦いの過程で姫騎士殿下がダメにしてしまったと思われる馬も何頭かいる。足の骨など折られては、乗用馬としての運用が致命的であるどころか、単に〝馬〟として生きていくことも難しい。殿下は、弱々しく大地に座り込み、不思議そうにこちらを眺める馬の顔を、静かに撫で回していた。
放置された馬の中には一頭、やたら大きい体躯の馬がいる。周囲には、重騎兵の用いる騎馬よろしい馬用の鎧が外され、転がっていた。馬自身はのんきに街道脇の草などを食んでいる。
「すごく強い人の馬ですね」
殿下はぽつりと言った。
「そんなに強い人がいたんですか?」
「そこまででもありませんでした」
どっちなのだろう、と、ショウタの混乱が加速する。
「あの子を使いましょう。だいぶタフそうです」
殿下は、大地を蹴って軽々と跳ね上がると、なおも呑気に草を食んでいる馬の鞍に飛び乗った。馬は、一瞬だけ『なんだ?』とでも言うように顔を上げたが、すぐにまた食事に戻る。なかなか、ふてぶてしい。
「ところでショウタ、馬には乗れますか?」
「乗れません!」
「ですよね」
「でも、がんばって追いつきます」
そう言って、ショウタは手頃な馬の鞍にまたがった。乗馬の訓練など受けていない。王宮入りしてしばらくの頃、姫騎士殿下に連れられてちょっとだけ練習をしたが、その程度だ。いま思えば、もうちょっと真面目に取り組んでおけばよかった。
慣れないながらも手綱を握り、ショウタはなんとか馬をいなす。
「ショウタ、私の後ろ、空いていますよ?」
「殿下はもっと、ご自分のお尻を大切になさってください」
恥ずかしさ混じりに、やや憮然と言い直すと、姫騎士殿下はくすりと笑って前を見た。だが、次に飛び出した発言は、若干重い。
「あの子、責任を感じていました」
「あの子?」
「シェリーやショウタと一緒にいた、小さな女の子です」
「あ、ああ……」
考えてみれば、きっかけは彼女が水を汲みに行ったことではあった。だが、考えようによっては、彼女を追ってショウタ達が先に発見されたからこそ、ほかの子供や老人などが隠れている小屋を、襲われずに済んだとも言える。彼ら全員を人質に取られたとすれば、状況はもっと悲惨であったことだろう。
悪いのはあくまでも賊であって、あの小さな子では、ないというのに。
ショウタの手綱を握る手に、力が入る。
「では、行きますよ。ショウタ!」
「御意です!」
姫騎士殿下は勇ましく手綱を握り、脛当てで馬の横腹を蹴る。のんきでふてぶてしかった馬は、そこでようやく自分の使命を思い出したかのように顔をあげ、街道をのそのそと歩き始めた。殿下が二度目の蹴りを入れると、それを合図に馬はメイルオット街道を、勢いよく走り出す。ショウタも見よう見まねでそれを追った。
星明かりに月明かり、そしてそれらを反射する川の水のおかげで、思ったほど夜道は暗くない。いま、時刻はどれくらいなのであろう。満天の星空はうっすらと青みがかり、朝焼けが近いことを告げている。
蹄の上下と共に遠ざかる村を名残惜しむこともなく、二人は馬を駆る。宵闇の中に、人馬一体となった2つのシルエットが、街道を西進していく。心に刻む言葉はただひとつ―――、
Episode 4 『悪逆非道、許すまじ』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM