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騎士王国のぽんこつ姫  作者: 鰤/牙
第一部 勇ましきあの歌声
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   第55話 地肌を這う蛇の如く

 サー・バロン・ヒルベルト・ゲイロンがレイシアル伯爵の部屋に到着すると、相変わらず冷え込んだ目元に怜悧な眼差しをたたえる伯爵が、静かに出迎えてくれた。

 三方を峻厳なゼルガ山脈に囲まれ、冬季には深く冷たい雪に閉ざされるアメパ堰堤要塞である。貴族でありながらこの厳しい環境に生まれ、伝統騎士トラディションどもの単純な価値観に苛まれながら育ったレイシアル伯爵は、いつしかゼルガ山脈の自然を体現したかのような、冷酷で苛烈な人間へと成長したという。貴族騎士ノブレスの中には、魔法推進派の中枢であり、このような経歴を持つレイシアルを尊敬している者もいるらしいが、正直、王都に程近い伯爵領の生まれであるゲイロン男爵は、田舎育ちのレイシアルを内心見下していた。


「……お呼びですか、レイシアル伯爵」


 そういった感情を極力表に出さないようにしながら、ゲイロンは口を開く。レイシアルは執務机についたまま両手を組み、言った。


「キャプテン・コンチェルトはどうしている」

「まだ息はありますが、静かにしています。伯爵の拘束術式が功を奏している状況ですな」

「そうか」


 今回、レイシアルがキャプテン・コンチェルトを拘束するにあたり使用した術式は、外部よりもたらされた魔法術式のひとつだ。発動には入念な準備と相応の代償を必要とするが、効果自体は強力で半永久的に持続する。事実、〝あの〟コンチェルト・ノグドラは、現在手も足も出ないほどに弱体化してしまった。

 ゲイロンもまた、魔術推進派に属する人間であり、帝国側からもたらされた魔法知識の初歩は知っている。

 だが、あのような理論は、ゲイロンがコンドワナ侯爵などとの勉強会で得た知識の中には存在しない。一体、今回のクーデターに対する協力者とは、一体なにものであるのか。ゲイロンは、自然と視線を、レイシアル伯爵の背後へと回す。ローブを目深にかぶった得体の知れない人物がそこにいた。


「サー・バロン・ゲイロン、」


 だが、それ以上の注視を、レイシアルは許さなかった。抑揚の薄い凍てつくような声が、ゲイロンを呼ぶ。


「は、なんでしょうか」

「そろそろ、次の行動を移す必要がある」

「……と、言いますと?」


 その質問に対し、レイシアルは目を細める。その眼光の中に、わずかな侮蔑と憐憫の色が混じったのには、しかしゲイロンは気づくことができない。


「我々がアメパ堰堤要塞を制圧したのは、王都の喉元に突き付けた刃をもって交渉に臨むためだ。憂さを晴らすための、子供の喧嘩ではない。貴公もわかっているだろう」


 レイシアルの言葉の中には、あからさまにゲイロンを揶揄する文句が混じっている。ゲイロン自身がまるで、憂さを晴らすための子供の喧嘩をしているのだと、そう断じられたかのようであった。見透かされたかのような感覚に唇を噛む。

 そう、これは一種のクーデターであり、王都に対する正式な抗議行動のひとつである。アメパ堰堤要塞というひとつの破壊兵器をもって、あの傲慢なる騎士王の家系と対等な交渉の場につくのが目的だ。少なくとも、破壊と虐殺が本来のテーマではない。


 とは言え、ゲイロン男爵は、レイシアルの理念に対してそこまで共鳴していたわけではない。彼を動かしたのは、貴族騎士ノブレスとしてのプライドだ。父親から貴族としての典型的な教育を受けたゲイロンには、左遷先のド田舎で伝統騎士トラディションに扱き使われるなど、耐えがたい屈辱であった。

 すなわちレイシアルの言葉通り、憂さを晴らすための子供の喧嘩でしかない。事実ゲイロンは、憎悪の対象たるディム・キャプテン・コンチェルトを拘束し、圧倒的優位から嬲ることのできるこの数日の現状で満足してしまっている。その後のことなど、ほとんど考えてはいなかったのだ。日頃、コンチェルト本人から言われていた、『きみは目先のものに熱中しすぎて本質を見失う悪い癖がある』という指摘が正しかったことを、このような形で明確に証明してしまっている。


「……しかし、王都の連中が気づいているとは思えません。いまのうちにダムを決壊させ、すべてを流してしまった方が、目的も達成しやすいのでは……?」

「それでは何の意味もないのだ。ゲイロン、貴公にはわからんか」

「は?」

「……いや、良い。私が悪かった」


 レイシアルは小さくため息をつく。


「これからの展開に備え、警備を強化する必要がある。幽閉した騎士たちのうち、恭順の様子を示したものがあれば、獣魔の監視付きで起用しても良い。必要な獣魔の数を試算し、結果を後に報告せよ。以上だ」

「はっ」


 ぴしり、と形ばかりは立派な敬礼をもって、ヒルベルト・ゲイロンは頷いた。


「では失礼します。サー・カウント・レイシアル」

「ああ」


 警備の強化か。

 伯爵の部屋をあとにしながら、ゲイロンは考える。どうやら、あの物言いでは、要塞への侵入者がたびたびあったことには気づいていないらしい。まるで無能を見るような目で、口先ばかりの指示をくだしてくるが、状況が見えていないのはあの男も同じだ。やはり、田舎役人だな、とゲイロンは思った。

 侵入者が王都からの密偵であるのかは定かではない。が、仮にそうであったとしても、具体的なアクションを起こしてこない以上、王都側もこの要塞を攻めあぐねているのがわかる。王都をすべて流しきるほどの水をダムが蓄えている以上、彼らも迂闊には手出しができないのだ。


 侵入者の件を、レイシアルに伝えるつもりは、さらさらなかった。田舎の貴族が、誉あるゲイロン伯爵家の生まれである自分を良いように扱い、あまつさえ見下してくるとはやはり腹が立つ。理由としてはそんなところだ。

 しかし獣魔の補充を回してくれるというのは非常に助かる。地下牢に閉じ込めた騎士の中にも、心変わりを始める連中が出てくる頃だ。その辺を見繕って、警備要員を兼ねて私兵に加えるというのは悪くない。そう、あのキャプテン・コンチェルトだって、信頼していた部下にいたぶられれば、少しはあのすまし顔を歪めるかもしれない。ゲイロンはほくそ笑んだ。


 ヒルベルト・ゲイロンは決して無能な男ではない。が、自らが固執する〝都会出身の伯爵家〟というブランドも、自らが有する爵位さえも、彼自身が起こしている行動によって何の意味もなくなるということに、どうやら気づいていないのだ。

 『きみは目先のものに熱中しすぎて本質を見失う悪い癖がある』

 結局のところ、サー・バロン・ヒルベルト・ゲイロンとは、キャプテン・コンチェルトが指摘した通りの人物であった。





「彼は隠し事をしているようだ」


 ゲイロンの退室を見送ったのち、レイシアルはぽつりとつぶやく。

 その隠し事の内容が何であるかまでは、レイシアルにもわからない。が、彼が独自につかんだいくつかの事実を、こちらへ報告していないのはなんとなく察していた。どうやら、自分はまだゲイロン男爵の信頼を得るには至っていないらしい。レイシアルにとっては、いささか歯がゆくもある。

 先の言葉は完全な独り言であったが、部屋の中、レイシアルの後ろの方でじっとしていたローブの男が、くぐもった声を漏らした。


『……ならば、斬って捨てれば良いのではないか? あれはオマエの計画の足を引っ張るぞ』

「バロン・ゲイロンは精神的に未熟とはいえ、優秀な貴族騎士だ。それに、今は人員も足りない」


 やはりそう言ってきたか、と思いつつ、レイシアルは振り返る。


「それに、彼はなんのかんの言いつつこちらの指令には従順だ。致命的な足かせにはならんよ。我が友アジダ」

『そうか。なら構わんがな』


 くつくつ、とローブに隠れた顔が、不気味な笑い声をあげる。


「今回の件に関しては本当に感謝をしている。戦力としての獣魔族の提供、王都の集中豪雨、そして提督殿を拘束した件の術式もだ。きみがいなくては、私は計画を実行には移せなかったよ」

『なぁに、気にすることはない……。ワタシも良い実験ができたよ。特に、冥獣化したオークやゴブリンの実戦データも得られたのだ』

「冥獣オークの実験場を提供したのは私ではないよ」


 口では穏やかかつ親しげに語りつつも、レイシアルの冷徹な瞳は、油断なくローブの奥に潜む顔を睨んでいる。

 アジダの素肌は、堅い鱗に覆われた人外じみた威容を持つ。帝国方面に住まうというリザードマンや竜人に一部似た特徴を持つものの、それらとは起源をまったく別にするものであると、レイシアルは見ている。たびたび用いる言葉や技術などを見るに、アジダの素性について、大方の察しはつけられる。


 その上で、〝獣魔族の冥獣化〟という危険な実験を許可したのはレイシアルだ。実験においては多大な犠牲を要した。が、今となっては、彼らの命は必要経費であったと、割り切らねばならないだろう。どのみち後戻りはできないのだ。


『……何を考えている? レイシアル』

「大したことではないさ」


 いぶかしむようなアジダの言葉に、レイシアルはかぶりを振った。


「少し休ませてもらう。ここ数日は、徹夜だったからな」

『そうかそうか……ククク、まぁ、ゆっくり休むが良いさ』


 アジダの、地肌を這う蛇のような視線に見送られて、レイシアルは仮眠室へと向かった。






Episode 55 『地肌を這う蛇の如く』

FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「なんかこう、蛇に纏わりつかれてるみたいですよねぇ……」


 一行が通路を進む中で、ショウタがぽつりと言った。彼の腰に吊るされた金属棒から、にゅるりとトウビョウが這い出て『えっ、俺のこと?』とでも言うかのようにちろちろ舌を出してくるが、誰も気にも留めない。


「確かに空気が重く感じるな。気圧や湿度のせいか?」

「単に緊張してるだけじゃないの?」


 先頭を歩くキャロルもまた、ショウタの言葉に同意して眉をひそめた。反面、ルカの態度は相変わらず飄々としたもので、とりたてて気にした様子を見せない。アイカとトリルは黙したままだ。一同は、丁寧な隊列を組み、堰堤要塞に向けて静かに進軍を続けている。


 少数精鋭による進軍にはある程度のセオリーがある。帝国ゼルシア自治領の冒険者協会が提唱し、その後世界中に広まったとされるものだ。特にダンジョン侵攻の際には重視される類のもので、パーティリーダーを務めるキャロル、彼女ともっとも連携のとりやすいアイカを先頭にして、打たれ弱いショウタを護衛する形でルカが続く。もっとも防御に優れるトリルは、バックアタックの可能性も考慮して列の一番後ろだ。

 もっとも、この通路の存在は公には秘匿されるもので、要塞側でもほぼ認知されていないものだ。敵が知らないという前提での侵入ルートであり、バックアタックが発生した時点で作戦は崩壊したもの同然なのだが、だからと言って警戒を怠って全滅しては笑えない。失敗した場合は即座に撤退し、後詰めの本隊や王都に報告するまでが任務であるのだから、万一にも備えておかねばならない。


「蛇か……」


 それからしばらく進んでのち、トリル・ドランドランは短く声を盛らす。


「なんだトリル、心当たりでもあるのか?」

「特にない」

「なんだそれ」


 ショウタの目から見て、ルカとトリルはさすがにベテランといった様子の騎士たちだ。年齢でいえば、アイカやキャロルより一回りか二回りほど上になるだろうか。実力で言えば彼女たちと並ぶという話だが、実戦経験でいえばより豊富だろう。事実、アイカ・キャロルの二名に比べて、リラックスしていながらも、油断した様子が見られない。完全な敵地であるこの侵入ルートにおいても、身体を空気によく馴染ませていた。


 そんなショウタの視線に気づいたのか、ルカがこちらを見降ろしてくる。こちらの顔を覗き込むようにしながら、彼女はいたずらっぽく笑ってみせた。


「なんだい少年。ボクの顔に何かついてる?」

「ああいえ、強いて言えば泣きボクロが」

「おっと、これかい」


 左の目元に残されたほくろを指差しながら、ルカは言う。


 ディム・ルカ・ファイアロード。女性だ。伊達男じみた言動と、中世的ないでたちのせいでいまいちよくわからないが、女性ディムだ。やや長めの睫毛は、言われてみれば確かの女性のものである。そこからそう遠くない位置にぽつんとついた泣きボクロは、彼女のまとう涼やかな雰囲気を際立たせていた。


「色香があるだろう? ボクの身体の中で一番好きなパーツかな」

「はぁ」


 ショウタの返事はややそっけない。

 いや、これではいけないな。この後チームを組むのだ。多少は、親交を深めておかねばなるまい。


「ルカさん、割と男性的なものの言い方をされますよね」

「意識して男らしく振る舞っているわけじゃない。ただ、騎士というものは、どちらかというと男性社会だしね。キミのご主人様みたいな人の方が珍しいんだ」


 アイカをちらりと見て、ルカは続ける。


「ま、彼女の場合は、生まれと育ちのせいもあるんだろうけど」


 その〝生まれと育ち〟というのが、貴族騎士ではなく、王族騎士ロイヤルの方を指し示しているのは、なんとなく察した。やはり、ルカもアイカの正体には気づいている様子だ。


「じゃあ、コンチェルトさんも男っぽいんですか?」

「人によってはそう見えるんじゃないかな。ボクは、あの人は誰より女性的だと思うけど」


 言葉の裏には敬意が潜む。四人の戦略級騎士のうち、女性の騎士はコンチェルト・ノグドラとエコー・リコールの二人だが、特に国内の女騎士から尊敬と憧れを集めているのは、コンチェルトの方だと聞いていた。その出自と成り上がりの経緯は一般騎士コモナー、圧倒的な戦闘力は伝統騎士、確かな戦術眼と部隊の運用術は一部の貴族騎士から支持を集める、非常に幅広い人気を有する人だと聞いていた。

 ショウタも、いつしか会えるだろうと、多分に楽しみにしていたところはあるのだが。しかし今は、その生死さえも不明であるという。できることなら、安否を確認し、救出したいところではある。これは当然、他のメンバーも同じ心境だろう。


「ところでさ、」


 と、ルカは言った。


「なんでしょ」

「ボクとのんきに話していて良いの? キミのご主人様、機嫌を悪くしない?」

「なんの話かわかんないんですけど……」


 言いつつ、ショウタが前に視線を戻すと、ちょうどアイカがちらりとこちらを振り返るところだった。ショウタが笑顔で手を小さく降ると、アイカもまた、満面の笑みで手を振り返してくる。


「大丈夫ですよ」

「そうみたいだね……」


 くだらない会話が終わる頃には、侵入ルートの最終地点、堰堤要塞に繋がる隠し扉が見えてきた。

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