第53話 要塞潜入せよ
「陛下! 騎士王陛下!」
一人の騎士が、慌ただしく廊下を走る。セプテトール騎士王の寝室前に立っていた重装の近衛騎士達は、大振りの騎士剣を交差させるようにして、その行く手を阻んだ。
騎士王の寝室前ともあれば、原則として抜剣は許されない。若き騎士は拳を握り、それを自らの左胸にあてがうことで、剣誓の代わりとした。
「騎士バルトスの子、伝統騎士ウェイレルです! 騎士王陛下に、至急申し上げたき儀が!」
がちゃり、と重たい音がして扉が開く。顔を覗かせたのは、騎士王御付きの年若きメイドであった。目鼻立ちは整っているが、寡黙な性格に加えて常に目を閉じたような表情を作っていることから、どうにも取り付きにくい娘である。
「陛下は宰相閣下、将軍閣下とご歓談中でございます。要件はわたくしが取り次ぎますので……」
「良い、入れよ」
メイドの後ろから、騎士王の厳かな声が響いた。
いったん動きを止めつつも、メイドはすぐさま頷き、扉をギイと開く。ウェイレルは一礼して、騎士王陛下の寝室へと足を踏み入れた。
そこにいたのは、先ほどのメイドの言葉通り、王国宰相ウッスア・タマゲッタラと、騎士将軍アンセム・サザンガルド。政治と軍事、文と武に関わる実質的な最高権力者たちである。騎士王陛下はお身体の調子が優れないのか、ベッドの上で上半身を起こしたまま、ウェイレルを出迎えてくれた。
「申し上げます!」
「うむ」
ウッスアとアンセムの貫くような視線を受け、ウェイレルは怯みそうになる。が、心を奮い立たせ声を張り上げた。
「アリアスフィリーゼ姫騎士殿下が、お部屋からお逃げあそばされました!」
その瞬間、陛下の左右に並び立つ二人の修羅像が、剣呑な空気をまとったかのように見受けられる。今度こそ、ウェイレルは動きを止めた。ごくり、と唾をのみ込む。
だが、騎士王陛下はワインの入ったグラスを揺らしながら、楽しむかのように口元を歪めた。
「ほう?」
「厩から馬が一頭いなくなっているのを確認いたしました。殿下お付きのメイドに詰問したところ、殿下は魔法士殿とアメパ堰堤要塞に向かわれたと」
「あれの専属メイドというと、ゴリミか。ウェイレル、あまり女性を怖がらせるなよ」
「は……?」
ガウンを羽織っただけの非常に大雑把な恰好である。くわえて、病床に伏せる騎士王陛下の体躯は全盛期に比べ筋肉がだいぶそぎ落とされている。にもかかわらず、はだけた胸元は男の色香をまとうに十分足るものだった。マジェスティ・セプテトール・ラゾ・グランデルドオ、正しく伊達男であらせられる。
そのイケメン陛下は、ウェイレルの報告を受けたところで別段焦る様子を見せていなかった。思案するように目をつむり、ワイングラスを枕元の机に置く。やがて、目頭をもみながらため息をついた。
「報告大義であった。ウェイレル、貴公は警備の仕事に戻れ」
「はっ……!」
「いや、そろそろ交代の時間であったか? そのまま宿舎に戻って良い。貴公は明日、用水路の拡張工事に向かう人夫の一人であったな。よく睡眠を取れ。明日は過酷になるぞ」
騎士王が続ける言葉を聞いていくうち、徐々にウェイレルの瞳は驚愕に見開かれていき、やがて感激も露わに力強く頷いた。
ウェイレルは王都の何百人といる伝統騎士の一人であり、役職も末端に近い。名前と顔を覚えられていることすら奇跡に等しいというのに、セプテトール騎士王陛下はその配置任務などについてもしっかり把握なさっていたのだ。単に偶然、たまたま覚えていたにすぎなかったのかもしれないが、それでもウェイレルには十分だった。
「もったいなきお言葉です、陛下。明日は王都のため、粉骨砕身して……」
「あぁ、だから寝ろって。骨身も休ませんと砕き甲斐がないぞ」
「はっ!」
ウェイレルは再度一礼し、スキップする勢いで陛下の寝室を後にした。
Episode 53 『要塞潜入せよ』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
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「なぁ? 俺の言った通りであろう?」
ウェイレルが出て行ったのち、セプテトール騎士王はワイングラスを片手に砕けた口調で言った。
扉をゆっくりと閉めて、メイドがしずしずと戻ってくる。豪奢な調度品が揃えられた騎士王の寝室にいるのは、この世で陛下がもっとも信頼する3人ということになるだろうか。身辺の世話をさせているメイドはもとより、ウッスアもアンセムも、セプテトールとの付き合いは長い。
だからこそ、セプテトール騎士王も大して格式ばった態度はとらず、言葉を続けるのだった。
「どうせ情報を伏せたところで大した意味がないんだよ。アリアは顔も心も俺似だからな。俺が昔ウッスアやアンセムを困らせたように、あいつのじゃじゃ馬っぷりを止められるとは、まぁ思えん」
「しかし陛下、お言葉ながら」
渋面を作ったまま黙るウッスアの横で、アンセムが重々しく口を開く。
「アリアスフィリーゼ殿下は、陛下に比べお優しすぎるところがあり、そのためか才能の開花も遅れております。少なくとも陛下が御年19歳であられた頃には……」
「ああうむ、アリアは弱いと言いたいんだな」
「そうです」
「まぁ、そうだなぁ」
これは、幼いころ共に切磋琢磨し、技を競い合ってきたアンセムだからこそ言える言葉だろう。確かにアリアスフィリーゼは、セプテトールが彼女ほどの歳だったころと見比べても、だいぶ見劣りをする。もとは王位継承権を持たない第二王女だから、とか、甘やかされて育ったから、とか、そうした理由であるとは思えない。幼少の一時期をバンギランドで過ごし、その後アンセム・サザンガルドのスパルタ教育も受けたアリアスフィリーゼは、控えめに見積もっても過酷と言って差し支えない教育環境にあった。
が、それはそれとして、彼女は弱い。
実力の話をするなら、アンセムの一人娘であるキャロルもまたそうなのだが、ここの追及は意味のないものだろう。どちらも及第点は満たしているといったレベルだ。
「無論、アメパ堰堤要塞の潜入任務に、支障があるレベルではありません。キャロルめ達と力を合わせるのであれば、問題なく遂行なさるでしょう」
「とは言え、いまだ不透明なことも多い現状ですぞ。殿下にもしものことがあれば……」
「うむ、うむ」
途中から言葉をはさんできたウッスアにも、騎士王セプテトールは辛抱強く頷く。
「やはり私は反対です。サザンガルドを向かわせてでも、殿下を連れ戻すべきでは……」
「それはいかんな」
が、続く言葉にはかぶりを振った。
「会議で話した通りだ。アンセムは明日、用水路の拡張工事に向かってもらう。すぐにでもダムが決壊するかもわからんのだ。王都防衛という観点においては、むしろ本命はこちらの工事と言える。ウッスアもわかっていないわけではあるまい」
王国宰相ウッスア・タマゲッタラは黙り込む。そう、言わずともわかっているはずなのだ。堰堤要塞を手中におさめた〝敵〟の出方がわからない以上、アンセムをはじめとした戦略級騎士は、王都の直衛に当たらせるのが正解である。上手いこと用水路の拡張を済ませれば、王都に流れ込む土砂流は減り、地下水道と外郭放水路の排水機能でことを済ませることだってできるのだ。
ウッスアの言葉は、ひとえにプリンセス・アリアスフィリーゼの身を案じてのことであった。
騎士王とて人の親だ。あの不出来な娘を慮る気持ちは当然ある。危険な任務に勝手に赴いたのだから、連れ戻したい気持ちだってないわけではないだろう。が、王として優先するべきは、首都の防衛だ。
それに、騎士王が姫騎士を連れ戻すことにそう躍起になっていないのには、もうひとつ理由があるらしい。
「アリアのことは魔法士殿が守ってくださるだろうよ」
「魔法士殿がですか……?」
ウッスアは眉をひそめる。この男だって、ショウタ・ホウリンの実力を認めていないわけではないのだろうが、
「ああ、魔法士殿も俺の若い頃に似ているだろう」
「冗談でしょう」
「ああ、冗談だ。俺はあんなに甲斐性なしではなかったからな」
「へきしっ」
くしゃみである。
「夜風が障りましたか?」
馬を走らせながら、殿下が振り返る。ショウタは鼻をすすった。
「どうなんでしょ。でも、少しずつ寒くなってきましたね」
「標高が高くなってきましたから」
王宮を出てからしばらく。ショウタの空間転移と馬による早駆けを交互に繰り返しながら、プリンセス・アリアスフィリーゼとショウタ・ホウリンは、アメパ堰堤要塞を目指し北上していた。
いや、今はプリンセスではないか。彼女が着ている白磁の装甲から、王家の一員であることを示す天剣護紋は消されている。彼女は今や、貧乏貴族ノクターン子爵家の三女アイカ・ノクターンであり、ショウタはそのお付きの小姓に過ぎない。形式上、一切のしがらみから放たれたアイカは、少しばかりイキイキした表情で馬を走らせている。
さて、辛いのは馬の方だ。アイカの纏う超重量の甲冑は、騎馬に相当な負担をかける。王宮で飼っている中でも一番馬力のある子を連れてきたと言ってはいたが、やはり、現時点で相当つらそうだ。
「……そろそろ限界ですね」
馬の首筋を撫でながら、アイカが言う。
「この斜面を登りきると牧草地帯がありますから、この子はそこで放します」
「大丈夫なんですか? 狼とか、出ません?」
「人が経営している牧場なので、大丈夫です」
「………」
それは果たして大丈夫と言えるのだろうか。迷惑じゃないだろうか、とショウタは思ってしまうのだが、こういった時の思い切りの良いアイカには勝てない。やがて斜面を登りきると、彼女の言った通り、柵に囲まれた牧草地帯が見えてきた。夜中なこともあって、馬は出てきてはいない。
アイカが手綱を振るうと、騎馬は力をめいいっぱい振り絞って柵を飛び越えた。アイカは、ショウタを抱きかかえると、鞍から勢いよく飛び降りる。
「はぁっ!」
「うわっと……!」
キュイラスのがちっとした感触が、ショウタの華奢な胸板にめり込んだ。ロマンチックの欠片もない。
「ご苦労様、ここでしばらく休んでください」
アイカは、鹿毛を愛おしげに撫でながらそう言った。加えて、あらかじめ用意していたであろう、天剣護紋が入ったプレートを、汗だくの馬の首に下げておく。
「こういうの、王権濫用って言うんでしょうかね」
「多少、乱暴なやり方なのは承知の上です。ショウタ、走れますか?」
ショウタの身体を放し、ガントレットでそっと手を取りながら、アイカが尋ねてくる。
冷たく堅い手触りは、あのしっとりと柔らかい、姫騎士殿下の指先を思い起こさせる。ショウタは非力ながらも、彼なりに強くその手を握り返しながら、かぶりを振った。
「というか、跳びます。目的地は、峠をひとつ越えた先ですね?」
「大丈夫ですか?」
「ヘバって使い物にならない、なんてことにはなりません」
アイカの言葉によると、ここからさらに峠をひとつ越えた先に、小さな村がある。アメパ堰堤要塞を目前に拝むことができる集落で、その動向を監視するための王都の役人が定期的に潜伏しているらしい。今回アメパの連絡が途絶えたというのは、その役人からもたらされた情報だ。その後、みっちゃんが動いたということになる。
アメパ堰堤要塞は、いわば王都の喉元に突き付けられた刃である。非常時に備えたカウンター措置はいくつも設けられてきた。王都地下水道と外郭放水路もそうであるし、その小さな集落もそうだ。そして、集落から要塞に潜入するための隠し通路の存在もある。これは一部の将校騎士にしか伝えられず、一度使用されたものは悪用を防ぐために破棄し、また新たな通路を作るのだという。今回の通路は、およそ80年前に新たに掘削され、長い間使われてこなかったものだ。
夕刻に王都を発ったキャロル達である。早馬に早馬を乗り継いで、最速できたとすれば、そろそろ集落にたどり着くころだ。途中で馬を下り、自分の足で走った場合はもう少し早い。が、今後に備える任務の過酷さを思えば、あまり長時間自走することは考えにくかった。
集落のキャロル達と合流し、改めて要塞への潜入を行う。アイカは自身の目的をそのようにショウタに話した。
「ひとまず、峠を越えます」
「はい、お願いします」
そのやり取りの後、ショウタは意識を集中させ、自身とアイカの身体を長距離転送させる。先日の地下水道の一件があってからしばらく、空間構造を把握して周囲の大気を含め丸ごと転移させることが可能になったので、転移の負担はだいぶ減った。
「到着です」
「ありがとうございます」
アイカはにこりと微笑む。
わずかな〝転移酔い〟で頭がくらくらするが、すぐに意識をはっきりさせる。同時に、絶え間なく聞こえる轟音が鼓膜をつんざいた。相当量の質量が、一気に放出される音。すぐに、ダムの放水音だとわかる。
要塞はどちらの方でしょう、とは、聞くまでもなかった。目の前に広がる小さな集落。その奥にそびえる巨大な壁が人工物であることは、すぐにわかった。壁は三点を綺麗にくりぬかれ、穴からは大量の水が噴出している。激流と化した用水路は、集落のすぐ近くを轟々と流れていた。
「これ、ダム決壊したら……」
「ええ、この集落はひとたまりもないでしょう」
アイカは緊張した様子もなく、さらりと言う。
「アンセム達の行い次第で、王都の危機は免れるかもしれません。ですが、それではこの集落の人々は助からないでしょうね」
「要塞の異変の件は知らされてないんですか?」
「当然です。トップシークレットですよ?」
そのトップシークレットを、ショウタはみっちゃんをくすぐって聞き出したわけだ。自然に指先がわきわきと動き出したので、ショウタは無理やりそれをおしとどめる。
ショウタとアイカは小高い丘の上にいる。集落までは徒歩ですぐといったところだ。白甲冑の女騎士は、丘をゆっくりと降りながら、ショウタに振り返る。
「向かいましょう。どうやらキャロル達も来ているようです」
「わかるんですか?」
「ええ、キャロルの馬が見えます」
アイカが集落の一点を指差すが、夜の暗さもあっていまいちよく見えない。ショウタは目を細めながら、いっそ遠視能力を使うべきかどうか迷った。
「……アイカお嬢様の視力って、どんくらいなんですか?」
「しりょく? 目の力を数値化したものですか?」
「えっと、はい。まぁ」
ショウタが曖昧な返事をすると、アイカは星空を見上げながら答える。
「精一杯力を籠めて、ゴロツキひとりを気絶させるのが精一杯、といったところです」
そういうことじゃねぇよ、とショウタは思った。




