第52話 夜襲(後編)
「キャロル、先ほどの女騎士のことなのだが」
しばらくしてから、堪り兼ねた様子でトリルが言う。
「む、アイカか?」
「ああ、うむ。そう、そのアイカだ」
豪胆な武人として知られるトリル・ドランドランにしては、妙に落ち着かない態度だ。キャロルは訝しく思いながらも、先ほどの女騎士ことアイカ・ノクターンに関して知る情報を、ひとつひとつ口にすることにした。
「あいつは確かに貴族騎士だが、実力に関しては私が保証する」
「そうか、貴族騎士か……」
「? あぁ、貴族騎士だが……、トリル。お前はあまり偏見を持っていないだろう?」
トリルが言外に匂わせる言葉が気になったが、それが何なのかまでは察しがつかない。
「まぁいいじゃないか」
それまで黙っていたルカが、相変わらずの軽い調子で言う。
水色の髪と目元の泣きぼくろが涼しげなルカ・ファイアロードも、キャロルやトリルと同じく伝統騎士だ。性格的には自信家が過ぎビッグマウスなきらいはあるし、〝あの〟無敵大要塞バンギランドにおいてなお伊達を好む様は、いささか貴族趣味にすぎると揶揄されることもあるが、やはりトリルやキャロル同様、相応の実力を有する。
「キャロルが実力があると言い、アイカもそれを否定しなかった。なら、ボクらが口を挟むようなことでもないさ」
トリルもルカも、アイカと同じく月鋼式戦術騎士道の使い手だ。年齢を鑑みても、同時期に同じ師範、すなわちゼンガー・クレセドランに師事していた可能性は高く、ひょっとしたら面識があるかもしれないと思ったのだが。
「それは、そうだが……」
「トリルは、アイカを作戦に加えることには反対なのか?」
「どちらとも言えんな。本人が参加すると言うのなら、某にも止めることはできん。その辺はルカの言う通りだな」
この2人はいまさら、伝統騎士と貴族騎士の差異がどうこうといった、くだらないことを気にかける性格でもない。そのあたりについては、まだキャロルの方が偏見の根深い自覚はあった。
今回の作戦、責任は極めて重大である。だが、そのほぼ全権は、実行部隊長であるキャロルに一任されていた。無論、一介の騎士隊長でしかないキャロルに作戦の全てが任せられるはずがない。会議の場では説明されなかった様々な事情や思惑が、裏で動いている可能性は十分に考えられた。
キャロル達の任務は、あくまでもダムの安全の確保だ。如何に山間深くに建造されたアメパ堰堤要塞と言えど、騎士王国の戦力を投入すれば陥落は容易い。現段階でそれを実行できない唯一の理由を、絶たねばならないのだ。
先ほどの会議の場で、キャロルは百騎士長ヨーデル・ハイゼンベルグにこのようなことを言われた。
『よもや貴公、一人で騎士王国の存亡を背負っている気ではあるまい』
相変わらず腹立たしい物言いをする男だとは思うが、悔しいことに彼の言う通りではある。
重要性の高い任務に就くとはいえ、キャロル達3人の行動が全てを左右すると考えるのは大きな思い上がりである。そこを勘違いしてはならないというのは、キャロルにとっては大きな自戒となった。
一人の騎士として、与えられた任務を実直にこなせば良い。ベストを尽くすのに、どのような準備が必要であるか。いま考えるのはそれだけだ。
アイカに声をかけたのもまた、その一環であったわけだが。
「彼女は来るだろうかね」
ルカ・ファイアロードが、相変わらずのすかした調子で言った。
「どうだろうな……」
正直なところを、キャロルも口にする。
アイカの方に迷いはなかったように思う。が、彼女にも貴族騎士の立場があるだろうし、即決はしかねるところなのだろう。キャロルとしては、無理強いできるものではない。
「さっき見て思ったが、あいつは綺麗なドレスを着ている方が似合っているような気がしたな。戦場よりは舞踏会に向いているんだろう」
キャロルの言葉に、ルカは呆れたような表情を作った。
「きみ、まるで伊達男のようなことを言うんだな」
「お前ほどじゃないと思うんだが……」
Episode 52 『夜襲(後編)』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「甲斐性あるってどんな感じなんでしょうね」
「そうですね。『殿下は甲冑よりもドレス、戦場よりは舞踏会がお似合いです』とでも言ってみるとか」
「まるで伊達男ですね……」
殿下とショウタは、いつものようなゆるい会話を続けながら、王宮の庭に出た。
既に王宮は物々しい空気に包まれている。各地方を治める領主や、有力伝統騎士などが緊張した面持ちで出入りし、王都に迫る危機を匂わせていた。
王宮に残る多くの騎士達もまた、土木作業用の装備を整えて駆り出されていくのがわかる。すれ違う姫騎士殿下に対してきっちりと略式敬礼をしていくところは流石だが、やはり慌ただしさを隠せるほどではないらしい。
そんな折、
「姫騎士殿下、」
と、厳かな声が聞こえ、殿下は条件反射でピンと背筋を伸ばした。
「は、はいっ!」
ショウタにも聞き覚えのある声である。ぎぎぎ、と首の骨をきしませながらゆっくりと振り返る殿下とは対照的に、ショウタはあっさりとそちらの方を向いた。
「あっ、アンセムさん」
「魔法士殿、ご無沙汰しております」
まさしく、空飛ぶ騎士将軍アンセム・サザンガルドである。姫騎士殿下に怖いものを3つ挙げてくださいと言ったら、必ず出てくる内のひとつだ。もうひとつはカミナリである。どちらも、高貴な身分にある姫騎士殿下におしっこちびらせることができる数少ない存在だ。
王国最恐とも目される鷲鼻のカミナリ親父である。ショウタにとっても恐ろしい人物であることには変わりないが、甘い物が好きという意外な一面や、騎士将軍としての在り方などの考えを知ってから、以前ほどの恐怖は感じなかったりする。
「聞きました。アメパが大変らしいですねぇ」
「む、やはりご存知でしたか」
180セルチメーティアを超えるむくつけき騎士将軍は、分厚い胸板を逸らしながら神妙な面持ちで言った。
「キャロルの奴めが潜入部隊として参加しますが、ワガハイはこれより土木作業の手伝いに参ります」
「あ、やっぱり直接戦われるわけではないんですね」
「ワガハイがアメパに出向いてしまった場合、最悪の事態に備えることができなくなるのです」
アンセムと普通に会話するショウタを、姫騎士殿下が信じられないものを見るような目で見ている。
「これは多くの騎士に伝達されている内容ですのでお話ししますが、既に南のゼンガーと東のエコーもこちらへ向かっております。ダムが決壊を迎えた場合、ワガハイ達3人でなんとしても濁流と土砂を食い止めねばならんのですな」
「何を言ってんのかよくわかんないんですけど……」
信じられないものを見るような目は、今度はショウタがする番であった。
「無論、被害を防ぎ切ることは難しいでしょう。多くの騎士達が最善を尽くそうとしております」
ショウタの疑問に、アンセムは答えてくれない。
いや、良いか。どのような回答をされても納得できないような気がする。それよりは、と思って殿下の方を振り返ると、いつの間にか彼女はショウタの後ろに隠れるような格好をしていた。
怯え気味の殿下は、アンセムとまともに言葉をかわせそうにない。ショウタは頭を掻いて話題を切り替えた。
「先ほどキャロルさんにも会いました。殿下を部隊に加えたいと言ってましたけど」
「ほう……?」
「殿下が殿下だとは気づいていなかったみたいです」
告げると、アンセムはなんとも形容し難い表情を作った。
「……愚かな娘で申し訳ない」
「えっと、そこは良いんですけど」
ショウタはピンと人差し指を立てる。
「殿下に情報が伏せられていたのはなんでなんでしょうか」
「それはウッスアによる判断ですから、ワガハイからは何とも言えませんな。殿下の単独先行を防ぐためだとは思われますが」
「つまりいつもの理由ってことですね」
「そうです」
いつものことなので、別段不思議とは思わない。
アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオは、姉デュエトリーゼを不幸な事故で亡くして以降、グランデルドオ騎士王国唯一の王位継承者である。当然、その身に何かあっては一大事と、宰相ウッスアなどは気を揉む毎日であるのだが、なにぶん当人がじゃじゃ馬である。
マーリヴァーナ要塞線において袈裟懸けと対面した際であっても、殿下の独断先行は大きく取り沙汰されかねない問題であった。いつ、何かの間違いで殿下が命を落とされるか、宰相としては肝を冷やしっぱなしなことだろう。
だが同時に、騎士王国の王位を継承する上で勇敢さが求められるのもまた事実である。その性格的素養に関して殿下は完璧で、技量的にまだ未熟なところはあれど、今代騎士王セプテトールの全盛期に並ぶ力をいつしかつけることだろうと、多くの騎士が認めるところではあった。
それを踏まえ、ショウタは言葉を続ける。
「翻って、殿下が部隊に加わるって話は……」
「無論、ワガハイとしては認可できません」
騎士将軍はあっさりと、無下な言葉を吐いた。
「あくまでも純粋に、戦力のみを評価するならば、殿下を潜入部隊にくわえるのは実に合理的な判断と言えるでしょう。が、殿下は単なる一兵卒ではないのです。無茶をなされるのは、あくまでワガハイ達の目が届く範囲であっていただきたいですからな」
「まぁ、そうなりますよねぇ……」
「では、ワガハイは任務がありますので、これで」
アンセムは短めの言葉で話を切り上げると、そのままのしのしと歩いて行ってしまった。相変わらず威圧感が服を着たような人間だ。殿下がビビるのもわかる。彼の大きな背中が見えなくなるのを待ってから、殿下は感心したように言った。
「よくあのアンセムと普通に会話できますね!?」
「まぁ、そんな悪い人でもないですからね」
ショウタは頬を掻く。
「あと、やっぱり殿下が作戦に参加するって話は……」
「認められませんでしたね。アンセムならああ言うとはわかっていましたが」
姫騎士殿下は飄々と答えた。
「あんまり、残念そうじゃないですね?」
「残念に思っているのはショウタの方でしょう」
「へ?」
「気づいていないなら、それで構いませんよ」
口元に意味深な笑みを浮かべる。アリアスフィリーゼの整った顔であれば、それも絵になる表情ではあったが。
殿下はそのまま、そっとショウタの手を取った。手のひらの湿度がそのまま伝わる感触は、いつになっても慣れるものではない。
「少し、城下を歩きましょうか」
「徒歩でですか?」
「徒歩でです。たまには、良いものですよ」
殿下は、また含みのある目元を緩め、にこりと笑って見せた。
殿下が何を考えているのか、いまいちよくわからない。いつもであれば、矢も盾もたまらずといった様子で飛び出して行くプリンセス・アリアスフィリーゼだが、今回はやけに大人しいのだ。分別を覚えた、というには、どうも急すぎる。
で、あれば、やはり彼女は今にでもアメパ堰堤要塞へ向かいたがるはずなのだが、その様子がまったく見られない。
「さすがに宮殿を出ると、静かですね」
貴族街のレンガ通りを歩きながら、殿下は言った。
「貴族街を自分の足で歩くことなんてあまりありませんから、新鮮なものです」
「あのう、殿下……」
「はい、なんでしょう」
「いつまで手を繋いでいるんでしょう」
ショウタが気まずさから口にすると、姫騎士殿下はきょとんとした表情を作り、すぐに笑う。
「ショウタがイヤと言うまでですよ?」
「いえ、イヤとは言いませんけどね……」
「では良いではないですか」
これは甲斐性なしとも言われるな、とショウタは思った。姫騎士の手は、あの勇猛果敢な戦いぶりからは想像もつかぬほど綺麗で柔らかい。この指先が三日月宗近の柄を握り、時として拳を作って岩盤すら撃ち貫くというのだが、いまいちピンとこないのだ。
このまま殿下がほんの気まぐれを起こせば、ショウタの手のひらなど比喩表現でなしに握り潰されるはずである。が、やはりピンとこないのだ。
結局は、されるがままである。
今日の殿下は、やけに静かだ。上機嫌であるように見えるが、必要以上に言葉を発していないように見える。たかだか2ヶ月の付き合いでそこまでわかるのかと聞かれれば、わかりますと答えるより他はない。だってわかるのだ。
が、それを口にしたところで、きっと適当にはぐらかされるのだろうということも、ショウタにはわかっていた。
「貴族街に住んでらっしゃる貴族の方は、王国の内政に関わる人が多いんですよね?」
「そうです。ほとんどが文官です。王都の貴族は、他の地方と違ってあまり剣を持ちませんね」
「宰相さんもそうですよね」
「ウッスアはそもそも、お父様に騎士位を返上していますから、騎士剣の所持が認められていません。清廉潔白を旨とする騎士の名は、宰相を続ける上では邪魔であると申しておりましたね」
ちらほらと勉強がてらに殿下の知識袋を刺激してみる。王国のことは、聞けばだいたいなんでも出てくるあたり、やはり姫騎士殿下は優秀な人材であると言えた。
「サウンは、アレは貴族じゃないんですか?」
「彼女は違いますね。ブラウン商会はあくまで市井の出です。ですが、小さな貴族よりは資産を蓄えていると聞きます」
「じゃあ、この辺には家はないんですねー……」
先ほど出会ったばかりの、跳ねっ返りの顔を思い出す。ドレスに着られている感が実に半端なかった。
「大手商人は貴族の家に出入りしたりすることもしばしばですから、よく来るとは思いますよ。本人が嫌がらなければ、ですけれど」
「ふーん……」
どうかな。ああいった手合いは素直ではないから。ショウタには心当たりが多い。昔つるんでいた連中というのは、みんなあんな感じの性格をしていた。
「あ、ほら。ありましたよ」
「えっ」
殿下が示した方向には、一台の馬車が停まっている。大きな荷台には金縁などの煌びやかな装飾が施されているが、家紋の類は見られない。
停車しているのは、周囲よりひとまわりほど大きな貴族の家だった。もちろん家紋がない以上、その貴族の馬車でないことはわかる。
「おそらくブラウン商会の馬車でしょう。王宮で私たちに会った帰りですね」
「ああ、訪問販売ですね。商売って大変だなぁ」
ショウタの呟きは他人事のようである。
「会っていきますか?」
「いやぁ、別に良いですよ。さっき会ったばかりですし。行きましょう」
当然、会いたくて仕方が無いという相手でもない。殿下の手を引っ張り、足早にその場を去ろうとする。プリンセスはちょっと嬉しそうな声を出した。
「強引ですね」
「なにをそんなに喜んでるんですかね……」
ちょうどそこで、がちゃりと屋敷の扉が開いた。
「げっ……」
そのまま無視して去ろうとしたショウタだが、あからさまなリアクションを聞けば足も止めざるを得ない。
「なんで居んだよ……。しかもお手手繋いでよぉ。アベックか。あぁん?」
「アベックって物言い古くないです? こっちじゃそうでもないのかな……」
見れば、先ほどと同じドレスに不機嫌顔のサウン・ブラウンが、ブラウン商会の商人数名と一緒に、軒先に突っ立っている。その背後から、さらにぬっと屋敷の主と思しき婦人が顔を覗かせた。
直後、マダムの顔は破顔する。
「ンまァー! 姫サマ! こんなところで会うなんて奇遇ザマス!」
「ごきげんよう。ご無沙汰しております。マダム・フェイルアラニン」
姫騎士殿下の対応はさすがと言ったところで、片手でスカートの裾をつまみ会釈をしてみせる。優雅だった。
あのキャラの濃い口調は忘れたくても忘れられるものではない。以前サロンに招待いただいた、フェイルアラニン伯爵夫人である。その筋では知られた、国内指折りの〝文化人〟。大衆食堂の発明者であり、カッコイイ石ころコレクターとしても名高い。
こうして要素を並べてみるだけで相当すごい人だとわかる。
マダム・フェイルアラニンは、確か雨にずぶ濡れだったサウンを拾ってサロンに連れてきたこともある。そのあたりの縁だろうか。生意気なサウンも、あのキャラで善意を振りまくフェイルアラニン伯爵夫人のことは、憎からずも苦手に思っているらしかった。
「お前らこんなとこで油売ってて良いのかよ。いろいろヤバいことになってるって聞いたぞ」
「もうそこまで漏れてるんですか……」
みっちゃんをくすぐらなくても、そのうちわかっていた情報かもしれない。
「先ほどウチのダンナが早馬を走らせて戻ってきたザマス。そのまま、北の用水路を広げる工事に向かうと言っていたザマス」
「間に合うかどうかは五分です」
そこまでバレているならと、殿下は正直に告げた。
「今にでもダムが決壊するかもしれません。そうした場合、王都は無視できない打撃を受けるでしょう」
「そうですよ。今のうちに避難した方が良いような……」
ショウタも頷く。王都の守護義務がある騎士ならばともかく、マダムはあくまで単なる貴族夫人だ。こうも悠長に王都に留まっている必要はない。
が、マダムは静かにかぶりを振った。
「庶民の方々をおいて逃げるなどあり得ないザマス。貴族の妻として生きるからには、清く貴く生きると決めているザマス」
「良い心掛けです、マダム。その想いはあまねく貴族の模範となりましょう」
殿下は頷く。握った手にぎゅっと力が入るのが、ショウタにはわかった。
「サウンは? いつ王都がぶっ壊れるかわかりませんよ?」
「あー、アタシもなー……」
ショウタの問いを受け、サウン・ブラウンは腰に手をやったまま視線を逸らす。
「この話、一応秘密だしな。イーノやヒューイを置いて逃げるわけにもいかねぇし、よ」
彼女の後ろにいる商会の商人たちが、涙ぐみながら『立派です。お嬢』などと言っている。
「そうですか……」
「それに、さっきマダムとも話してたんだけど」
サウンの声がいよいよ気まずそうになったので、ショウタは首を傾げる。
「まぁこの国の騎士サマは優秀だから、なんとかしてくれるだろうってよ」
「跳ねっ返りの不良が随分殊勝になりましたね」
「あ?」
「お?」
互いに斜めからガンを飛ばし合う。貴族街にはそぐわぬ下品な睨み合いだ。
「そういった理由なので、アタクシ達はいつも通りの日常を送るザマス。そしてまた明日も、いつもの明日を迎えられると信じているんザマス」
ショウタの額から冷や汗が滑り落ちた。なんだかすごい良い事を言われてしまっている。
いや、この場合の『騎士サマ』とは、ショウタやアリアスフィリーゼのことではない。キャロルやアンセム、その他事態の解決を目指して動く、多くの騎士達に向けられた言葉だろう。ショウタが焦る必要なんてない。
彼女たちの言う通り、この国の騎士は優秀だ。信じて待てば良いのである。姫騎士殿下もそう思っているからこそ、今回は落ち着いているのだろうか。そう思って、殿下の横顔を見上げると、彼女の横顔には妙な陰りと焦燥が浮かんで見えた。
「殿下……?」
ショウタが尋ねると、彼の手を握る力が、ことさらに強くなる。ショウタは非力ながら、ひとまずその手のひらを握り返した。
その後、ショウタと殿下は市民街に出た。ファルロが勤める王都警邏騎士隊の詰所や、メロディと入った大衆食堂、中央広場などを歩き回り、日が暮れる頃になると王宮へ戻った。
キャロル達が王宮を発つのも、ちょうど夕刻だったはずだ。が、殿下はキャロルらへの元へ合流することもなく、いつものように夕食を摂り、いつものように寝室へと戻られた。その様子を、ショウタはどこか釈然としない気持ちで、見送った。
夜である。
平和な日であれば、就寝前の夜会などもある。が、やはり今日この時に限って言えばそのような余裕もないらしい。ショウタは、殿下や陛下、あるいは宰相ウッスアと話をしたかったが、陛下もウッスアも忙しいらしく、殿下は早々に部屋へ戻ってしまったので、叶わなかった。
結果、いまは一人で、天蓋付きのベッドに潜り込んでいる。
このやけに豪勢なベッドにも、ようやく慣れてきた。天蓋を睨みながらショウタが思うのは、やはりアメパ堰堤要塞のことだ。
殿下は要塞へと向かわなかった。が、本心ではそうではなかったのでないか。やはり民の窮地を前にして、自分も何かの力になりたいと思う気持ちが、どこかにあったのではないか。
アンセム・サザンガルドは、純粋に戦力のみを評価した場合、殿下をキャロル達の部隊に加えるのは合理的だと言った。すなわち、この危険度の高いミッションにおいて、姫騎士殿下の力は必要になり得るのだ。
「………殿下、どうして……」
ごろん、と布団の中で転がり、ショウタは呟く。
どうしてひとこと、私も行きますと言わなかったのか。ショウタに遠慮でもしていたと言うのだろうか。だとすれば、そんなのまったくもって、らしくない。いつものように強引に連れて行くのが、姫騎士殿下のやり方であって、
はた、と、
そこで思う。果たして、いつまでもそんなもので良いのだろうか。
殿下に連れ回されるのはいつものことだ。そのための大義名分だって、騎士王陛下からもらった。おおよそにおいて、苦労したり、痛い目を見たりはするものの、それは決して苦役というわけではなかった。
何故か。なんだかんだいって、それは常に、ショウタの本意からそう離れていないところにあったからだ。
姫騎士殿下を危険に晒すわけにはいかない。無茶をさせると宰相に怒られる。
そういった理屈はよくわかる。だが、ショウタの本心はどちらかと言うと、
ショウタは昼間、殿下から聞かされた言葉を思い出す。
『あの時は言えませんでしたけど、素敵でしたよ』
違う、そっちじゃない。そっちも大事だけど、もうひとつ後。
『ただ、ショウタが一人で立派に戦えるようになったなら、私の一存で連れまわすわけにも行かないというわけです』
認められたのだ。だがそれは、殿下がショウタの自主性を尊重するということでもある。
ショウタは一体、何をどうしたいというのか。
がばっ、と布団の中で上半身を起こす。
サウン・ブラウンや、マダム・フェイルアラニンとの会話。いつもと変わらない、平和な王都の街並み。思い起こすのはそれだけではない。この王都に刻んだ思い出の数々だ。そしてそれは、いつしか殿下に連れられて、大聖堂のてっぺんから見下ろした、夕焼けの都へと帰結する。空溶けて、茜色。姫騎士殿下の宝物。
ああ、なんのことはない。
この王都を守りたいのは自分だって同じだったのではないか。その理由を姫騎士殿下に押し付けているようでは、確かに甲斐性なしの半人前だ。
伝えなければなるまい。自分の本心を。キャロル達が王都を発ったのは夕刻だが、まだ間に合うはずだ。自分の思考領域だってキャパシティは上がっている。長距離の瞬間移動だって、ある程度は連発が効くはずだ。
とうとうショウタは布団を蹴り上げて飛び起きる。寝間着を着替え、枕元に忍ばせていたトウビョウをベルトに捩じ込んだ。
まずは殿下のところへ挨拶に行かねばなるまい。自分がキャロル達の応援に行く旨を伝え、殿下も来るというのなら御一緒する。来ないと言っても引きとめられても、その時は一人で行く。
姫騎士殿下の寝室に忍び込むなど重罪だ。警備は当然厳重である。
が、しょせんショウタにとってみれば、ザルも同然だ。完全に王宮の構造を把握していれば、目を瞑ってだって転移術を行使できる。
ショウタは額に意識を込め、思考領域にアクセスした。自らの位置情報を、領域を経由して書き換える。言葉にすると面倒臭いが、感覚的にはそう大したものではない。
身体が浮かび上がるような浮遊感を感じた後、視界が暗転する。とんっ、と浮かび上がった身体が着地する感覚。転移というのはいつもあっさりしたもので、なかなか実感が湧きにくい。
夜目を効かせて見渡せば、そこは姫騎士殿下の寝室だ。ベッドはやはり天蓋付きだが、ショウタのものに比べて数段豪勢である。ショウタはごくりと唾を飲み込むと、意を決したように殿下のベッドへと向かった。
「……おはよぉございまぁ〜す」
声を潜めて抜き足差し足で近づいて行く。
「ええ、おはようございます」
「うひゃあっ!?」
唐突に聞こえた声は背後から。ショウタは思わず飛び跳ねる。
見れば、そこに立っていたのは宵闇にも映える黄金色の髪を束ねた女騎士。傷ひとつ、汚れひとつない白磁の装甲は、所有者の心をそのまま映し出したかのようでもある。昼間とは打って変わって、凛とした活気をみなぎらせた瞳には、勇敢の二文字が何より似合う。
姫騎士殿下である。
アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ姫騎士殿下である。
「やはり、来てくれましたね。ショウタ」
「あ、え、えっと。はい」
「来なければ一人で向かうところでした。昼間言ったように、ショウタを一人前の戦士として認める以上、無理強いはできませんでしたので」
やはり、向かう気マンマンであったらしい。ショウタは溜め息をついた。何もかもお見通し、というとまた少し違うが、どうにも自分の決意の二歩三歩先を、姫騎士殿下は行かれてしまっているらしい。
その溜め息を見て、何を勘違いしたか、殿下は首を傾げた。
「ひょっとして、夜這いでしたか?」
「違います!」




