第51話 夜襲(前編)
結局、そのあと幾らくすぐってもみっちゃんは口を割らなかったので、それ以上のことはわからなかった。全身を真っ赤にした彼女を解放し、密偵らしからぬふらふらとした足取りで歩いていく背中を見送る。殿下とショウタは大きな溜息をついた。
「あんまり、落ち着ける話じゃないですね」
アメパ堰堤要塞の話だ。
いつダムが決壊し、王都に大量の土砂が流れ込むか。敵の目的がわからない以上、猶予は無いようなものである。
敵とは言ったものの、本当に〝敵〟がいるかというのも確定事項ではない。しかし、集中豪雨により王都の排水機能が限界を迎えつつあるタイミングでの、音信不通である。悪意ある何者かによって要塞が陥落していた場合、その目的は王都への攻撃である可能性が極めて高い。
「王都が水没しちゃったら、どうなるんですか?」
「水圧によって多くの建物は倒壊します。もともと、城壁内に誘き寄せた敵を一網打尽にするための装置ですから」
つまり生存など望むべくもないということだ。
あまりにも突然すぎて、ほとんど実感が沸かない。事実、現在の王宮も、王都も平和そのものなのだ。これが一瞬にして崩れ去る時が刻一刻と近づいている、などと聞かされても、まったくピンと来ない。
ショウタは、この数週間の間、王都で出会った人々の顔をふと思い浮かべる。
「ファルロさんとか、サウンとか、あの大衆食堂とか、全部ですよね」
「はい。彼らには、アメパの件は通達されないでしょうから、おそらくは」
「フェイルアラニン伯爵夫人も?」
「伯爵ともあればおおよそは聞かされているはずですから、王都の外へ退去しているかも知れませんね」
どのみち、彼の知り合いの大半は、難を逃れられないということだ。黙り込んだショウタを見て、姫騎士殿下は柔らかい笑顔を浮かべた。
「心配いりませんよ。ショウタ。私が、」
「あ、それはやめてください」
「はい」
途端にしょぼくれる殿下の顔を、斜め下から見上げる。
「今は陛下や騎士団の皆さんが解決に向けて動いているんですから。それを信じて待ちましょうよ」
「はい……」
そんなあからさまに落ち込まなくても、とは思う。
が、今回に限っては、殿下の気持ちもわからないでもない。王都壊滅という現実味の薄い危機を前にして、何も出来ない歯がゆさというのは、確かにあった。結局のところ自分たちは、指をくわえて解決を待つしかない。
ウッスア宰相がみっちゃんに対して口止めを行ったのは、聞いた殿下がまた無茶をして先走ったりしないようにするためだ。今回は作戦自体もデリケートなものになることが予想される。殿下の実力を信頼してないわけでは、ないのだろうが。
「ショウタやウッスアの言うこともわかるのですが、」
姫騎士殿下は窓の外に目をやって言う。
外には、久方ぶりの快晴を謳歌する城下の光景が広がっていた。迫る脅威の気配など微塵も感じさせない、朗らかな活気に溢れたいつもの王都だ。
「立場というのは、いつも歯がゆいものです」
それは紛れもなく、アリアスフィリーゼの本音であろう。その心中を察せるからこそ、ショウタは何も言えない。歯がゆさを言うならば彼だって同じことである。姫騎士殿下の苦悩を解決してやれるだけの手段が、ショウタにはないのだ。
くるり、と姫騎士殿下は振り返る。
「変な気分にさせてしまいましたね。切り替えましょう」
無理をしているわけでもないだろうが、殿下はにこりと笑顔を作った。
「私も今日は公務を済ませていますから、一日ショウタにお付き合いができます。お勉強でもしましょうか?」
「そうですか? んー、どうしよっかな……」
殿下とショウタが、並んで廊下を歩き始める。
そんな折、廊下の角から不意に姿を見せる影があった。赤を基調としたライトアーマーに身を包んだ女騎士と、危うく衝突しそうになる。挨拶しようとした殿下が、ぴたりと硬直する硬直するのが、ショウタにもわかった。
「……む、アイカか?」
「きゃ、キャロル……。キャロル・サザンガルド、どうも、お久しぶりです……」
マーリヴァーナ要塞線所属の伝統騎士。騎士将軍アンセム・サザンガルドの一人娘。ディム・ルテナント・キャロル・サザンガルドその本人である。おそらく王宮に来ているだろうと殿下自身が見当をつけていたので、ここで会うこと自体は、想定外というわけではない。
ないのだが、
キャロル、そしてその後ろにいる数名の騎士達の視線が、一様に殿下に向けられていた。後ろの彼らは知らない顔だ。少なくとも、以前のオーク討伐合宿では見なかった。
何にせよ、殿下が硬直してしまった理由はひとつ。
アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、キャロル・サザンガルドに対して自身の身分を偽っていたのである。貧乏貴族ノクターン子爵家の三女アイカ・ノクターン。キャロルの認識において、彼女の名前と正体はそれだ。アイカとキャロルは、共に剣を打ち鳴らし剣友の誓いを交わした仲であった。今さら正体が露見したところで変容するような絆でもないだろうが、身分を偽っていた気まずさは相当なものだろう。
キャロルと共に歩いていた他の騎士のうち、数名は既に気づいたようだった。姫騎士殿下に対して敬礼をとってみせる。殿下は滅多にみせない冷や汗を、その御尊顔に浮かべていた。
「アイカ……」
キャロルはぽつりと言う。殿下は次に出る言葉をどう予測したのか、ごくりと喉を鳴らしていた。
「こんなところで会うとは奇遇だな。ノクターン家も王宮に用があったのか?」
気づいていないらしい。
「その青いドレス、よく似合っているな。まるで姫騎士殿下のようだぞ」
キャロル・サザンガルド。まごうことなきぽんこつであった。
Episode 51 『夜襲(前編)』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「え、えぇとあの……。父が会議に参加していまして」
殿下も嘘はついていない。しどろもどろになる彼女の姿はちょっぴり珍しかった。
どうやら、キャロル・サザンガルドは本気でアイカが姫騎士殿下であるとは気づいていない様子だ。他の騎士達は、鉢金ティアラに堂々と王家の紋章が刻まれているのを見て首を傾げているのだが、やはりキャロルだけは気づいていない。
「そうか、ならば聞いてはいるだろうが、アメパ堰堤要塞と連絡がとれなくなってな……」
「はい。伺っております。えぇと、キャロルは奪還作戦に?」
「ああ、先遣隊として要塞内部に侵入する」
キャロルは、ちらりと背後の騎士達に目をやった。
「紹介するぞ。トリルとルカだ。私と一緒に奪還作戦に参加する。指揮は私に任せられた」
「えっ、それって大丈夫なんですか?」
「どういう意味だ?」
思わず余計なことを口走ってしまったのはショウタの方である。
キャロルの後ろにいたトリルとルカ、すなわち重装鎧を着た無骨な騎士と、すらりとした体躯の中性的な騎士は顔を見合わせ、ややぎこちなくも挨拶をしてきた。腰に収めた片刃の騎士剣を引き抜き、形式に則って名乗りを上げる。
「某、英霊ドランの子、伝統騎士トリル・ドランドランと申す」
「ボクは英霊アロンの子、伝統騎士ルカ・ファイアロードだ。以後お見知り置きを」
両者が手にした剣は、姫騎士殿下の愛剣である三日月宗近によく似ていた。盾を持たないところを見るに、殿下と同じく月鋼式戦術騎士道の使い手であることが伺える。姫騎士殿下は少し緊張を解いたような声音で、鞘ごと剣を立てた。
「鞘付きのご無礼をお許しください。子爵エレジーの子、貴族騎士アイカ・ノクターンです」
鞘付き、すなわち言葉のどこかに偽りがあるということだ。あとは察せということだろう。
「ドランドラン家とファイアロード家の勇名は伺っております。どちらも、騎士剣聖ゼンガーの忠臣にして、天下無双の剛剣を扱うと」
「光栄ですな」
トリルは傷だらけの顔をくしゃくしゃに歪めて笑った。
「ですが、某はいま東方ランクルス運河要塞の配属となっております。ドランドラン家は確かにクレセドラン家の分家ですが、剣聖閣下の補佐は現在すべてこちらのルカと、その弟のリオが」
ルカは口元に涼しげな笑みを浮かべて、小さく会釈をしてみせる。ひと通りの挨拶が済んだところで(ショウタはしなかったのだが、こうした場合に〝従者〟を紹介することは稀である)、キャロルが切り出した。
「ところでアイカ、ひとつ相談なんだが」
「なんでしょう」
「おまえの力も貸してくれないか?」
ギョッとしたのは、ショウタだけではない。トリルもルカも同様だった。
まぁ、当然か。おそらくこちらの2人は、ここにいるのがアイカ・ノクターンなどという怪しい貴族騎士ではなく、アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ姫騎士殿下であると気づいている。さすがに、殿下は巻き込めないと思うものだが、
いやはや、無知とは恐ろしい。
「現状、人員がまったく足りていなくてな。少数精鋭での潜入になるんだが、おまえやショウタの力があるとやりやすい。敵が何らかの魔術を使ってくる可能性もある」
恐ろしいが、そこに目を瞑ればキャロルの提案が実にまっとうなのもまた事実であった。少数精鋭での潜入ともなれば、個々の実力がものを言う。アイカ・ノクターンはキャロルに相応するほどの実力者だ。オーク特異個体の討伐経験もあり、キャロルとの連携においてもまったく問題がない。
加えて、ある程度魔術に精通した(ということになっている)ショウタがいれば、ある程度不測の事態にも対応できる。ひょっとしたらキャロルは、ここにアイカがいなくとも、〝ノクターン家〟がどこにあるかを調べ上げ、協力を要請するつもりであったのかもしれない。
キャロルとしては、一人の剣友にお願いをしているに過ぎない。
ショウタは迷った。ここは、止めるべきなのだろうが。ただ、これが騎士と騎士の間に生じる信頼関係の話であれば、彼の立ち入る隙はないようなものだ。立場というのは、いつも歯がゆいものである。
「………」
が、姫騎士殿下はしばしの逡巡の後、
「しばらく、考える時間をいただけませんか?」
と、そう言った。
「む、そうか。急なことを言って悪かったな。ゆっくり考えてくれ……と言いたいんだが、知っての通り時間があまりない」
キャロルは腕を組んで難しい顔を作る。
「今日の夕刻には王都を発つつもりだ。もしその気があるなら、それまでに西側の詰め所に来てくれ」
「わかりました」
「よし。トリル、ルカ、準備を整えるぞ」
キャロルは2人の騎士にそう告げて、きびきびと廊下を歩いていく。
その背中を見送りながら、ショウタはぽつりと呟いた。
「緊張してますね。キャロルさん」
「無理もありません。王都の存亡がかかっていると言っても過言ではありませんから」
それを背負っているのがあの3人……だけというわけではないだろう。おそらく、最悪の事態に備えて多くの人間が動いている。ダムが破壊されても、土砂が王都から逸れるように。
「あの、殿下、良いんですか?」
ショウタが尋ねたのは、もちろんキャロルの申し出についてである。
少なくとも、殿下にとっては願っても無い要請だったはずだ。即決せず、あっさりと見送ったことが、ショウタにとっては意外であった。
「先ほど、1日ショウタにお付き合いすると言ったばかりですから」
姫騎士殿下は屈託を見せない。
「それに、キャロルが行くのなら大丈夫でしょう。私は彼女を信頼していますから」
「でも……」
予想外の態度に、ショウタは戸惑う。
姫騎士殿下と言えば、こちらが何を言っても民を救うのだと言って聞かず、自分の思うさま一直線に突き進む方だと思っていたのだが。こうも素直な態度を取られると、なんとなく、調子が狂ってしまう。
「ショウタ、先日の地下水道の一件で、思ったことがあります」
「あ、ハイ」
「ショウタも王国に来てからもう2ヶ月近くです。立派な戦士になられたと」
「はぁ」
骨折が治ったばかりの右手をそっと掴み、殿下はにこりと笑った。
「あの時は言えませんでしたけど、素敵でしたよ」
「す、素敵でしたか!」
どかんと跳ね上がった心臓を誤魔化すために大声で鸚鵡返しする。
「ただ、ショウタが一人で立派に戦えるようになったなら、私の一存で連れまわすわけにも行かないというわけです」
「でも殿下は姫騎士殿下ですよ?」
「でも無理強いはしません」
アリアスフィリーゼ姫騎士殿下はそう言うと、しばらくの沈黙の後にこのようなことを尋ねた。
「一人前の男として認められるようになったのだから、喜ぶべきでは?」
「逆に言えば、僕、今まで一人前の男として認められてなかったんですね……?」
殿下が唇を尖らせるのがわかった。
「だって甲斐性ないですし」
「あ、ハイ」




