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第3話 迎撃戦マルフタマルマル

「騎士様、本当に一人で大丈夫なのか?」


 見張りに立っている一人の男が、訝しげな表情を作る。

 貧乏貴族ノクターン子爵家の三女、アイカ・ノクターンは、盗賊を退ける為の用心棒としてこの村に滞留している。彼女の腕っ節が大層なものであるのは、村長の娘シェリーの証言ではっきりしているわけであるが、それでも村を襲うという賊数十名を単身で片付けるなどというのは、いささか大言壮語に過ぎはしないか。

 とかく、貴族騎士ノブレスというのは妄想に没入しがちだ。男たちの懐疑の眼差しも、アイカ自身、理解できないわけではない。


「防衛拠点として優れた環濠集落の性質は皆さんもご存知のはずです」


 アイカはにこりと笑って答える。


「相手は、数の利も、騎馬による機動性も、ろくに活かせるものではありません。この狭い入口を同時に抜けてくるのはせいぜい一人か二人。私一人でも問題はないでしょう」


 環濠集落というのは、要するに堀と柵に囲まれた村落形態だ。結果として、村の入口は狭く、堀の上にかけられた橋を通りでもしなければ、侵入はままならない。


 防衛拠点として扱う場合は、更に堀の中に逆茂木さかもぎなどと埋めて外的の侵入を妨げるが、この村の堀はもともとそうした目的で作られたものではない。川の水を生活用水として引いてきたものを、それで家を囲めば魔獣は入ってこれないんじゃね? という発想で環濠としたのがキッカケであり、今でも堀の中には澄んだ水が流れ込んでいる。

 川の水に含まれる有機成分が作物の成長に有用であることは、古来よりおぼろげながらわかっていたようで、村の内外にある農耕地の付近には、水堀から更に用水路が引かれている。先人の積み立てた農耕の知恵が、そのまま村を守る要塞にも繋がっているわけだ。


 これらにより、この村では村長の家でご馳走に預かったようなすばらしい農作物の栽培が守られてきたわけで、アイカとしては感動を隠せない。弱き民を賊より守るのは騎士として当然の務めではあるが、それ以上に、食を愛する一人の人間としても、村を好きにさせるわけにはいかないのだ。


「嫁や娘たちは?」


 別の男が尋ねてきたので、アイカは村の奥を指差す。


「東側の家屋に避難させています。あちらにはショウタがいますから、大丈夫でしょう。ただ、見ての通り村の中に逃げ場はないとも言えますから、ここで食い止めなければなりませんね。万一打ち漏らした場合は、心苦しいですがあなた方にお願いすることになります」


 任せろ、と屈強な男たちは、クワやカマを掲げて言った。

 このようには言ったが、打ち漏らすようなことなど、ありえないしあってはならない。ましてや相手は騎馬だ。騎馬で環濠集落を攻めるなど愚策もいいところであるが、逆に言えば馬を襲撃要員全員分、32頭も用意できるだけの豊富な資金源を有する賊どもだ。装備の観点からは圧倒的にこちらが不利である。


 昼過ぎに森の中で出くわした盗賊が、連中の仲間であるとするならば。


 アイカは更に思索を巡らせた。


 彼らは大半が従騎士エスクワイア崩れだ。叙任を受ける前に、なんらかの問題を起こして主人たる騎士のもとから放逐された人間である。戦闘訓練の初歩は習っていると見て良い。すなわち練度の点を鑑みても、村の男たちには荷が重い相手なのだ。


「騎士様!」


 物見櫓の上から、アイカを呼ぶ大きな声が聞こえた。


「なんでしょうか」

「遠くに松明の火が!」

「ふむ」


 そろそろとは思っていたが、来たか。やがて、宵闇の中に小さな灯りが、徐々にこちらへ向かって大きくなってくるのを、アイカも確認した。剣を携え、大きく踏み出す。村から街道に向けて突き出した橋の上に、一人、立った。


 やがて、騎馬の集団がメイルオット街道ラインの奥からはっきりと確認できるようになる。片手に松明を持った男たちが数名。残る連中はみなそれぞれの得物を構えている。アイカが連中を視認すると同時に、彼らもまたアイカの姿を認めたようだった。


「おい、騎士がいるぞ!」

「女だ」

貴族騎士ノブレスか?」


 男たちはアイカを見て、十人十色の反応を見せる。楽なはずの村攻めに騎士がいることに驚くもの、貴族階級らしきアイカの装いに複雑な感情を募らせるもの、中にはかつて夢見たはずの〝騎士〟の姿に愛憎の情を見せるものなどもいたが、大半は、衆目麗しいアイカに対して獣欲混じりの視線を浴びせている。


「ら、ランデルさん!」


 その中で、松明を持った賊の一人が、情けない声をあげた。


「あの貴族騎士ノブレスです! 森の中で俺たちを襲ったのは!」


 よく見てみれば、なるほど、それは確かに森の中でシェリーを襲い、アイカが成敗した男の一人に他ならない。彼が〝ランデルさん〟と呼んだのは、がっちりした体躯の賊だった。ドワーフの血が混じっているように見える。部隊を率いているのはこの男だ。しかし、呼び方が〝お頭〟や〝親分〟でないことを見るに、必ずしも盗賊団全体の長というわけでは、ない。


貴族騎士ノブレス様が用心棒気取りか。それも女騎士ときた」


 ランデルは馬上から睥睨するような視線を投げて、言った。


「おっしゃいたいことがあるようですね」

「英雄ごっこがしたいなら、領内でやるといい」

「そちらこそ、盗賊ごっこがしたいなら、おうちの中がよろしいでしょう」


 アイカ・ノクターンは、姫騎士アリアスフィリーゼ殿下である。こうした状況において口減らずなのは、育ちの良し悪しに関係ない。騎士というのは、剣のやりとりの前にまず言葉のやりとりを嗜むもので、そうした意味で戦いは既に始まっている。

 ランデルは、ちらりと後ろに居並ぶ騎馬隊を眺めた。アイカも同じ方に視線をやり、分析する。単なる賊にしては規則正しい並びだが、馬の扱いに長じているようには見えず、また環濠集落に騎馬で押し寄せる時点で、戦のセオリーを理解していない。この村は彼らの根城から離れていて、急いで攻め入るために馬を用いたという、その程度の理由だろう。


 御せぬ相手ではない。


「やれ」


 ランデルが顎を向けて命じる。下卑た顔つきをした男二人が、手綱を握り直して緩やかにこちらへ馬を進める。背後に立つ村人たちの間に、緊張が走るのがわかったが、アイカはあくまでリラックスしたものだ。


 男達が鞭を入れ、馬が走り出す。村の狭い入口をめがけて、2人の騎兵が突撃した。全力疾走する馬の蹄は、当然それだけで致命的な凶器となる。村の男も、二人の騎兵も、そして他の賊も、馬の蹄に巻き込まれ全身を打ち付けるアイカの姿を想像したことだろう。

 だが、現実の彼女は、そうした空想上の醜態から大きな乖離を始めた。携えた剣を構え、水平になぎ払う動作は一瞬だ。喉笛を通し、アイカの肺から裂帛の気合が吐き出される。


「たあぁぁぁーッ!」


 剣は、今まさに彼女へ襲い掛からんとした馬の前脚を、強烈な打撃と共に打ち払った。甲高い悲鳴いななきが、村の宵闇に迸る。どう、と倒れこむ500キロ超の巨体が、ふたつ。投げ出された賊は、揃って大きな水音を立て、堀に落ちた。スケイルアーマーを纏っていては泳ぐこともままなるまい。動揺したほかの仲間が助けに行くのを、アイカは黙って見守った。


 一瞬の沈黙の後に、歓声が上がる。


「うおおおおっ、すげぇっ!」

「マジかぁーっ!」

「強ぇぞ、騎士様!」


 村の男たちの快哉を後ろに聞きつつ、アイカは気をよくした様子も見せない。ただただ、強い決意をたたえた翠玉色の瞳で、闇の中にたじろぐ賊どもを睨みつける。


「次はどなたでしょうか」

「俺だ」


 ひときわ大きな馬にまたがった男が、ゆったりとした動きで前に出る。スケイルアーマーをまとった賊が多い中で、その男だけは重厚なフルプレートメイルに身を包んでいた。背中にはのぼり旗をさして、そこには堂々と『すごく強い!』と書かれている。


「騎士よ、聞くがいい。俺の名はアンガルウィッシュ・ボスコーロ・エメルゲンヌ・グラ・ゴンダラーベ……」

「てあああぁぁぁーっ!」


 悠長に名乗りを上げる男に向けて、アイカは飛びかかった。全身に纏う鎧の重さなど感じさせないほどの力強い跳躍で、馬の首ほどの高さまで跳ね上がると、剣を縦に振り下ろして男の頭蓋に叩きつける。彼女が剣の鞘を抜いていないことは、その時点でその場にいる多くの人間が把握した。彼女の剣の使い方は、まさしく鈍器のそれである。


「ごあぁっ!!」


 野太い悲鳴と共に、アンガルウィッシュ以下略は地面へと叩き落とされる。


「きっ、貴様! 人が名乗っている途中で攻撃するとは騎士の風上にもごばっ!」


 地面に転げ落ちてもまだまだ元気なアンガルウィッシュに、アイカは追撃を加える。金属同士のぶつかる激しい音。二度目の鉄槌を受けて、男は完全に沈黙した。


「名乗りは騎士の作法です。その誇りを捨てたあなた方が、戯れにして良いことではありません。騎士道物語に憧れた街の少年たちがやるのとは、わけが違うのですよ?」


 いささか乱暴な理屈ではあったが、賊の〝騎士ごっこ〟に誇りを傷つけられたのは、むしろ姫騎士殿下アイカの方である。彼女にはグランデルドオ準最高位の騎士位を持つものとして、おおよそ余人の考えでは及びもつかぬような矜持があるのだ。こう見えて怒り心頭である。

 ましてや相手は、ほとんどが従騎士エスクワイア崩れ、小姓ペイジ崩れだ。彼らに考慮すべきひとかどの事情があったとしても、賊が騎士として為すべき務めを投げ出して現状に身をやつしているのは事実なのだ。


「………」


 ランデルの鋭い眼光が、馬上からアイカに向けて放たれる。彼女もまた、強い意思をもってそれを睨み返した。


「おい、やれ」


 ランデルは他の騎兵に、そのように命じる。特定の誰に対して、というわけではない。全員に掛かれと命じているのだ。だが、その言葉はかえって、動揺と躊躇を伝播させた。

 如何な修練を積み、叙任を受け一人前となった騎士であっても、単身生身で騎馬を迎撃するなど正気の沙汰ではない。だが目の前にいる白い女騎士は、まさにそれを実践しているのだ。得物もパイクや馬砕槌などといった長ものではなく、鞘に収まった剣がひと振りのみ。


 ことここに至れば、賊どももアイカの非常識な強さを理解し始める。だからこそ全員でかかってひねり潰せという理屈は納得できるが、この貴族騎士ノブレスは村へ続く狭い橋を一人で陣取っているのだ。

 あそこを通れるのはせいぜい馬が2頭。ならば、結局は最初の2人と同じ末路を辿るのではないか?

 その2人は、水堀から引き上げられ、脇に寄せられてぐったりしている。完全に戦意喪失状態だ。彼らの乗っていた騎馬もまた、入り口前に横たわって弱々しく動いている。前脚部を骨折しているのだ。馬に罪はないが、ああなってしまえばもう使い物にならない。


 この女騎士は、村へ連なる狭き門を完全なる城壁へと変えていた。

 宝物を守る竜、遺跡前にそびえる修羅像、黙した彼女が放つのはそれらに類する強力な重圧プレッシャーであり、賊どもが彼女に抱く印象もまた、同じものであった。彼らは、橋上の貴族騎士ノブレスの背後に、怒れる獅子の顔すらを幻視した。獅子はこちらが飛び掛れば、迷うことなくその喉笛を食いちぎることだろう。


 だが、


「やれ」


 ランデルは非情にも、再度そう命じた。


「……やれ」


 三度目の言葉には、いかなる感情も含まれてはいなかった。賊どもの背後から、ランデルの命令はどこまでも冷たい。


「うっ、うおおおおおおおおおおっ!!」


 最初に馬に鞭をいれたのは、一人の賊だった。前方の騎士も恐ろしいが、ランデルも怖い。そうした葛藤が、叫びとなって放たれたようであった。

 他の十数名が、一斉にそれに続く。果たして、押し寄せる騎馬の大群は、まさしく怒涛か雪崩のごとくであった。縦一列のひとかたまりになって、狭い橋を強引に突破しようとする。恐怖に突き動かされた騎兵達は、平原を渡る水牛の群れのようでもあった。


 大地を踏みしだくこれだけの蹄鉄を前にすれば、一人の騎士など石臼の中に放り込まれた芥子粒にも等しいだろう。すり潰されて哀れな肉塊を晒す。だが、1度目の突撃とは異なり、おそらくはそうならないだろうという確証じみたものが、それを眺めるあらゆる者の胸中に存在した。


「すぅー………っ」


 アイカは大きく息を吸った。すぼめた唇を通した息の音は、蹄にかき消されて聞こえない。


 剣を振り抜く瞬間は、見えなかった。鞘から抜き放たれた剣身は、刃に反射する月光すらも置き去りにする。超重量の鞘を捨て、銀閃が宵闇を軽やかに翔ける。その実、放たれた一撃の重さは、それまでに振るわれた2発をはるかに凌駕するものであった。


「とぁああああぁぁぁぁぁぁぁ――――――――ッ!!」


 縦に振るわれた一本の剣を、衝撃波が追従する。遅れてやってきた剣圧が、闇を裂き、虚空をつんざいて大地を割る。それは、なんらかの比喩表現では済まなかった。叩きつけられた一斬が、地面を抉り、土と砂と石を巻き上げて、風圧と共に騎馬隊の突撃に食らいつく。闇に紛れて舞い散る血の色は、命の鮮やかさを伴わない。


 果たして石臼の中に放り込まれた芥子粒は、どちらであったか。


 橋より一直線に叩き割られた大地と、それに沿って散らばり、うめき声を上げる男たちを見れば一目瞭然であった。アイカは、かちゃりと剣を鞘に収める。叩き割った大地の先で、ランデルが驚愕に目を見開いていた。

 これぞまさに、アイカが師より伝授されし月鋼式剣術の初等奥義、斬壊剣ざんかいけん月穿つきうがちである。師匠は臆面もなく技名を叫び、アイカアリアスフィリーゼ自身もいつかそうなりたいと思っていたが、今のところは「とぁーっ!」の方が威力が出るのでそうしている。技名が長いのだ。


「すげぇっ! 騎士様すげぇぞ!」

「なんだよ今の技!」

「うちの嫁に来ねぇか!?」


 背後で沸く村の男たちを、アイカは片手で押しとどめた。


「我が師の足元にも及ばぬ一撃です。あまりお褒めにならないでください」


 冷静に放たれるその言葉は、冗談なのか照れ隠しなのか、はたまた本気なのか検討もつかない。


「でも騎士様、ほんの数分で20人もぶっ倒すなんて、普通じゃねぇよ!」

「しかし、将校クラスの伝統騎士トラディションともなれば……えっ?」


 アイカは、不意に我に帰ったような表情になって、後ろを振り向いた。


「20人……ですか?」

「ざっと数えたけど、それくらいだろー?」


 彼女は改めて視線を戻し、大地に転がる賊どもの数を見る。20人。いや、もう少し多い。22、3、4。24人。ランデルを含めて、25人。ショウタから報告のあった賊の構成は、全部で32人だった。物見櫓の見張りが、松明の灯りを確認した時点では、果たしてどうだったか?


 アイカの全身から、どっと冷や汗が吹き出す。とんだ思い違いがあった。愚かだった。うっかりだった。

 この場、アイカ一人でこの25人を打ち倒したのが、相手方にとって計算外であったのは、間違いないだろう。彼女は賊どもの目論見を単身で崩したのだ。だが連中も、環濠集落を騎馬で攻めることの難しさは理解していた。ゆえに、この場にいない7人は、


「けぇぇぇぇぇぇっ!!」


 思考は中断される。ランデルが突撃してきたのだ。破れかぶれにも等しい。

 それは、そうだろう。賊どもの作戦は既に破綻している。破綻させたのはアイカだ。だが、彼女もひとつ裏を欠かれた。忸怩たる思いがある。こんなことだから、ぽんこつと揶揄されるのだ。


「はぁっ!」


 アイカは橋を蹴り、跳ねた。突撃と共に振りかざされるランデルの蛮刀をかわし、篭手ガントレットで横合いから殴りつける。カエルが潰れたような悲鳴をあげて、ランデルは宙に踊った。アイカはそのまま鞍の上に手をかけて、馬にまたがる。突如変わる積載重量に、馬が驚くのがわかった。


「騎士様、どうした!?」

「話はあとです。皆さんは彼らを縛っておくように! 手が空いたものは村の内部を探索してください! 背後には気をつけて!」


 アイカは手綱を握り、馬の横腹を蹴る。主の変化を気にもとめず、馬は即座に駆け出した。橋を渡り、村の内部へと突入する。アイカは一直線に、村の東部を目指した。





 ショウタは、姫騎士殿下の命に従い、東側の家屋に村人を集めた。老人や女子供が大半を占める。本当はショウタ自身、殿下の手助けをしたい気持ちではあったが、狭い家屋の中に閉じ込められる村人の心細さを思えば、それを放置して出て行くなどという真似はできない。

 殿下をお守りするのが使命と言えばそうした側面もあろうが、基本的に姫騎士殿下は守る必要がないほど強い。うっかり相手に捕まって人質に取られるようなら、それこそ笑えない足手まといだ。


「ショウタ殿……」


 村長が恐る恐る声をかけてきた。


「はい、なんでしょう」

「騎士様は……」

「んー、まぁ、大丈夫ですよ」


 やはり心配はされるらしい。そうだろうな、とは思うが。

 姫騎士殿下の話では、環濠集落に騎馬で攻め入るのは難しい。馬の強みがまったく活かせないからだ。相手が村の奪取を狙っているのであれば、火計や飛び道具などに頼るわけにもいかない。姫騎士殿下の剣の腕前はショウタもよく知るところであって、攻めあぐね、まごついている間に一網打尽にされるのがオチであろう。

 彼の心配なのは、むしろひっとらえられた賊が、彼らの背後にいるスポンサー、すなわちメイルオ領主フラクターゼ伯の名をぽろっと出さないかどうかだ。それを聞いた姫騎士殿下が次にどういった行動に出るかなど、想像するまでもない。


 集められた村人の中には、体調の悪い者が一人いた。村長より上の世代と思われる老婆で、仕切りに咳き込んでいるところを、孫娘か、ともすればひ孫ほどの年齢の少女が、心配そうに見守っている。

 しばらく時間が経った頃、少女はやや決意を秘めた顔ですっくと立ち上がった。


「あたし、おばあちゃんの為に水汲んでくる!」

「あっ、こら! 待ちなさい!」


 母親の制止も聞かず、幼女はするりと抜けて外に飛び出てしまう。姫騎士殿下の実力を信頼する限り、村の中は決して危険な場所ではないのだが、ショウタもちょっぴり焦った。屋内がどよめく。どよめきが混乱に変わる前に、ショウタは毅然と言い放った。


「僕が連れ戻りますから、皆さんはそこを動かないで!」


 ショウタも幼女の後を追い家屋を出る。水を汲みに行くと行っていたが、どちらだ?

 なにせ水堀に囲まれた環濠集落である。汲もうと思えばどこにでもあるのだ。


「こちらです、ショウタ様」


 背後から声がしたので振り向くと、一人の村娘がランプを片手に立っている。


「あ、どうも。シェリーさん……」

「水汲み場をお探しでしょ? 案内します」


 村長娘は、他の者ほどの緊張を見せた様子もなくそう言った。彼女まで外に出るのはあまり好ましくないのだが、幼女を連れ戻すのが先決だった。ありがたく申し出に従う。


 シェリーの話では、このあたりの地下水脈はかなり深い位置を通っており、あまり井戸掘りに適した場所ではないのだという。代わりに川の水を引いた堀と、簡単な濾過施設を用いて生活用水としているらしい。村の中にそうした水汲み場は幾らかあったが、シェリーが案内してくれたのはその内のひとつだった。


 幼女がいた。小さい腕で必死にバケツを下ろしている。こちらには気づいていない。


「こら!」


 シェリーが叱りつけると、幼女はびくりと肩を震わせた。


「シェリーお姉ちゃん……」

「家の中でじっとしてなきゃダメでしょう!」

「ご、ごめんなさい……」

「………」


 シェリーのおかげでショウタの仕事が完全に奪われた形である。

 いや、いいのだ。ショウタにはまだ、万一の事態に備えて周囲を警戒する仕事が残っている。ショウタは、幼女の手を引くシェリーに代わり、ランプを持った。村に備えられた水の濾過設備を眺める。思ったほど、大仰なものではない。


「水車で組み上げた水を、石と砂で濾過してるんです」

「なるほど、知恵ですねぇ……」


 感心したようにショウタはいう。こうした原始的(というと非常に聞こえが悪い自覚はある)なシステムに、彼は疎い。先鋭化されたシステムに明るいかというとそうでもないのだが、懸命に生きる人々の生活の知恵は、なかなかバカにできないなぁ、といつも思う。


「さて、戻りますかー。水も汲みましたしね」


 ショウタが幼い顔によく似合う柔和な笑みを浮かべる。シェリーと幼女も頷き、家屋に向けて足を向けた、その時だ。


 水音が、跳ねた。


 続けざまに聞こえる音が3つ、4つ、いや、それ以上。柵の向こう、水堀からだ。音の大きさからして、川より流れてきた魚などでは決してない。もっとでかい、人間ほどの、大きさの。

 いや、これは人間だ。

 ショウタはスイッチを切り替える。彼はシェリーよりも背が低かったが、片手で女二人を守るように立ち、鋭く釣り上げた視線を水堀へ向けた。前頭葉に意識を傾ける。感覚を鋭敏にする技法は、得意とするところではないが、それでもショウタの視覚は可視光線の少ない宵闇を速やかに見渡した。


 水堀から這い上がってきた男。その数、5人。水音はもっと多かったはずだ。おそらく、7、8人はいる。


「ショウタ様?」

「おじちゃん?」

「どー考えてもお兄さんでしょうが! いや、いいんです! ふたりとも、離れないで!」


 残り2、3人の所在がつかめない以上、逃げて、とは言えなかった。

 男たちは既にこちらに気づいている。軽装だったが、武器だけはいっちょまえだ。


 賊の別働隊であるのは疑いようがない。彼らが表にいる本隊と別れたのは、おそらくだいぶ前だろう。姫騎士殿下が見逃すはずがない。おそらくは、殿下たちが本隊を目視するかなり前に、彼らはメイルオット街道ライン沿いに流れる川から堀を目指した。

 川から用水路に流れ込む水は緩やかだし、宵闇に紛れていれば、呼吸のために水面に顔を出してもそうそう気づかれない。何より、殿下や村人たちの意識は、完全に本隊に向けられていたはずなのだ。


 村を内部から混乱させ、あるいは人質をとるなどし、本隊の進入を助けるのが彼らの目的だろう。


「ちょうど手頃なのが、3人いるじゃねぇか」


 賊のひとりがそう言った。さもありなん。相手からはそう見えるのだろう。丸腰の、大人とも言えないような連中が3人だけだ。

 その油断はこちらの武器となる。この武器を使えるのは一度だけだが、それでもショウタは躊躇しなかった。


 意識の集中と共に、空気が弾ける。


「ぐわっ!!」


 星空の下に悲鳴が響く。ひとりの男は、不意に生じた不可視の力場に弾き飛ばされるかのように、再び柵の向こう側へと消えた。水音ひとつ。次はどいつだ。

 油断の余韻がまだ残る。賊たちは、たった今起きた怪奇現象がショウタの仕業によるものだとは気づいていない。ショウタの周囲で、空気が渦を巻き始めた。思考領域から溢れ出た〝力〟が、余剰エネルギーとして噴出しているものだ。彼は腕を突き出し、明確に標的を定める。遠くにあるものを、掴むイメージ。


 収束する力場が、二人の男を同時に捉える。


「う、うおおっ!?」

「なんだっ!?」


 急に身動きが封じられ、空中へと浮かび上がった賊たちは、悲鳴をあげて身じろぎした。だが無駄だ。ショウタは拳をぐっと握り、拘束を強め、しかし直後にはそれを〝ぽーん〟と放り投げた。これで3人。ショウタの双眸が、まるで星のように怪しく明滅する。


「ま、魔法……?」


 後ろでシェリーがつぶやいていた。魔法文化に乏しい騎士王国では、これはそのように見えるらしい。

 残る賊は、目の前に2人と、あと隠れているのが2人か3人! 一気にカタをつける。


 集中させたショウタの意識が、直後、後頭部への鈍い衝撃と共にあっさり途切れた。


「きゃあああっ!」

「おにーちゃんっ!?」


 シェリーと幼女の悲鳴がやけに遠い。ショウタは遅れてやってきた激痛を片手で押さえ、なんとか振り返ろうとした。直後、左頬を強い力で張られ、続けて鳩尾にも衝撃が走る。ぐわん、と視界が周り、神経がのたうつ。身体が地面に投げ出される感覚があった。

 霞のかかった意識の中で、ショウタは襲撃者の声を聞く。


「こいつ、森の中にいたガキだぜ」

「魔法を使うからな、さっさと潰しておけ」


 魔法じゃないんだけどなぁ、などととぼけたことを考えながら、ショウタはとうとう意識を手放した。

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