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騎士王国のぽんこつ姫  作者: 鰤/牙
第一部 勇ましきあの歌声
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   第47話 迷宮デッドオアアライブ(後編)

 みっちゃんが、姫騎士殿下の独断専行を伝えるべく騎士団の詰所を訪れた時、すでに詰所には緊迫した空気が漂っていた。現場の指揮を執り行う熟年の騎士隊長を始めとして、多くの騎士将校が頭を付き合わせ、地下水道の地図と睨めっこをしていた。

 ひとまずみっちゃんは、騎行敬礼と共に挨拶をし、将校達の会議の場に加わる。


「お疲れ様であります」

「お疲れ様です」


 将校たちも緊張をにじませた声と、騎行敬礼でこちらに応じる。ちらり、と机を見やると、どうやらこの中に一人だけいる貴族騎士ノブレスに非難が集中しているのが、無言の内にも雰囲気として感じ取れる。あまり良い空気ではなかった。マーリヴァーナ要塞線ほどではないにせよ、やはり伝統騎士トラディションと貴族騎士には溝を感じる。


 正直気は進まなかったが、確認しないわけにもいかない。みっちゃんは、熟年の騎士隊長に尋ねた。


「状況はどうでありますか?」

「実は、問題点がふたつほど浮上しました」

「問題点、でありますか」


 騎士隊長は、詰所内の空気に流されることもなく、客観的な説明をしてくれる。


 ひとまずおさらいをすると、姫騎士殿下達から地下水道の報告を受けた王立騎士団では、潜伏中のゴブリン達を掃討するべく各地の進入経路や井戸をすべて封鎖し、作戦に備えた。この時点で、王都地下水道には、ゴブリン以外の潜入者はいないことになっている。

 時折、廃井戸などを通じて浮浪者が地下水道に紛れ込むことはあるものの、先日の一斉調査や水門弁の開放作業などではそうした痕跡を発見できず、王都の各地に存在する廃井戸からもしばらく立ち寄られた形跡が見られなかったため、今回に限ってはそうした可能性はないだろうと結論が下されている。


 地下水道に取り残された人間はいない。先程までの、姫騎士殿下とみっちゃんの認識もそうではあった。


 詰所の方で、事実と認識の差異が確認されたのはほんの数分前のことだ。まずは、王都警邏騎士隊の小隊長であるサー・ファルロ・バーレンが、待機命令を無視して単独で地下水道へと向かったこと。加えてそれとは別に、本来ならば施錠されているはずの入口のひとつが、開かれたままであったということ。

 ファルロは、評価を見る限りは勤勉な人柄である。何らかの事情で独断専行をしたとしても、潜入後に再度の施錠を忘れるということは考えにくい。そのため、現在地下水道には、ファルロとそれ以外に少数の人間が、さまよっているのではないか? という疑問が浮上したのである。


 非難を受けている貴族騎士は、王都警邏騎士隊の統括を任された騎士将校の一人である。非難が集中しているのはそうした事情によった。当の貴族騎士も、唇を噛みじっとこらえている。

 多少ギスギスした空気は否めないままであったが、それでもそれ以上、貴族騎士を責め立てる流れにはならなかった。状況打開の方が先決である、という意思は、総員に共通している。


 ファルロ・バーレンのことは初耳であったが、施錠してあるはずの入口が開きっぱなしであったのは、おそらくショウタとサウンによるものだ。姫騎士殿下を含めれば、最低でも4人、現在地下水道に潜入していることになる。

 詰所ではゴブリン掃討作戦を決行する前に、潜入したファルロ以下数名を確保するべきだという方向で議論が進められていたが、あの広い地下水道の中で、潜入者を発見するのは極めて難しい。話し合いは難航している様子だ。


 みっちゃんはやや躊躇しながらも、熟年の騎士隊長にショウタとサウンの話と、彼らを追って独断専行したアリアスフィリーゼ姫騎士殿下の話を伝える。熟年の騎士は、一瞬驚いたような顔を見せつつも、すぐに表情を引き締めて頷いた。


「さもありなんですな」

「で、ありますね」

「姫騎士殿下が無茶をなされる方というのは、承知の上です」


 こちらが考えるべきは、いかにして被害を最小限に抑えながら、殿下のフォローに回るか否か、という話になる。みっちゃんもアリアスフィリーゼ姫騎士殿下との付き合いは長い。おおよそ、地下に潜った彼女が何を考えるかは、想像がつく。進入経路さえはっきりさせれば、地図とにらめっこしてどのような行動をたどるかは、まぁ、ある程度予測がつけられるはずだ。

 ショウタやサウン、それにファルロなどの救助は、殿下がやってくれると考えていいだろうか。王立騎士団でするべきは、その過程で彼女が撃ち漏らすであろう、ゴブリン残党の掃討ということになる。このあと届くであろう豚の屠殺体は、おそらく誘導餌としてあまり役には立つまい。既に地下通路は、殿下が撒き散らした血の臭いが充満している。


 姫騎士殿下が押し入った進入口。その封鎖を担当していた騎士から、進入経路についての報告があったのはそれから間もなくのことであった。騎士隊長とみっちゃんはその情報をもとに、会議の場に頭を突き合わせ、殿下の行動予測から騎士団がとるべき作戦の、検討を始めるのであった。


「(殿下、それにショウタ殿も。どうかご無事で)」


 みっちゃんは自らの職務に、私情を挟むことは一切許されない。それゆえ彼女は一人の人間として、そのように祈らざるを得なかった。





「殿下ァッ!!」


 急転直下とは、まさにこれだ。


 姫騎士プリンセスアリアスフィリーゼの身体が、仄暗い激流の中へと沈んでいく。ファルロが、サウンが、イーノが、ヒューイが硬直する中、ただ一人、ショウタが駆け出した。猛烈に膨れ上がる感情は、激情と不安を綯交ぜにしたような色合いがある。まさに流されようとするアリアスフィリーゼを追って、ショウタもいのいちに水路を目指し、激流の中へと飛び込んだ。

 激流の中は暗く、水に沈む姫騎士殿下の姿を確認できない。ショウタは押し流されながらも新皮質を経由して思考領域へとアクセスする。暗闇にぼうっと浮かび上がる彼女に手を伸ばし、その腕を掴む。反応がない。腕を手繰り寄せ、腰に手を回し、左腕で殿下の身体を抱き寄せた。泳げないながらも必死にもがき、なんとか水面に顔を出す。


「ぷはッ……!」


 ぐったりとした殿下の身体は、その服が水を吸い込んでいることもありかなり重い。だがそこを気にかけるだけの余裕は、ショウタにはなかった。


 水流に乗り、自分たちが先ほどの場所から遠ざかりつつあるのを、ショウタは確認した。サウンの不安そうな視線と、その目を交錯させる。彼らの前には、未だ健常な一体のゴブリンが立っている。果たして残された4人で、あの特異個体を討伐できるはずがない。


「――――――――――――――――――――ッ!!!」


 特異個体の甲高い咆哮が響き渡り、通路の奥からはまだその数を残していた通常個体が、群れをなしてその姿を見せる。

 もはや、是非はないようなものだった。ショウタは力を捻り出し、サウンの手からトウビョウを半ば強引に返してもらう。激痛の走る右腕を無理矢理動かして鞭蛇を振るえば、まっすぐに伸びたそれはゴブリン特異個体の右腕に絡まり、水の流れを後押しとして異形を水路へと引きずり込む。


「くぅっ……!」


 骨折した腕の痛みをこらえるのは、ここが限度であった。ショウタはトウビョウを手放し、再び左腕に抱えた殿下と共に水流の中へ沈んでいく。意識を手放したアリアスフィリーゼがこれ以上水を飲まないよう、痛む右手を動かして彼女の鼻と口を押さえ込んだ。びっくりするほど柔らかい唇の感触に、今だけは躊躇もしない。


 水を掻き分けるようにして、ゴブリン特異個体がこちらに迫る。ショウタは水泳が得意ではない。水中での勝負に勝ち目はない。水の抵抗もあって勢いが衰えたゴブリンの爪だが、ショウタが殿下を庇うようにして身を捻らせたことで、その肩あたりの肉を浅くえぐりとっていく。


「……ッ!」


 水中では、悲鳴ももらせない。代わりに、殿下を抱え込む左腕に、ぐっと力が込められた。


 どうやら敵は、それだけではない。特異個体の指示に従い、律儀に飛び込んできたゴブリン達が十数匹、手馴れたような泳ぎでショウタ達の周りを取り囲んでいた。

 ショウタは既に、覚悟を決めている。現状、この特異個体と、それに統率された十数匹のゴブリンを片付けるのはもはやショウタしかいないのだ。やれるか、やれないか、ではない。やるしかない。ここでショウタが死ぬことはすなわち、腕の中で目を閉じる姫騎士殿下も、その命運を共にするという事実にほかならない。


「(殿下っ……!)」


 彼女の重さなど意にも介さず、ショウタはその身体を今一度抱き寄せた。こうなれば、やるべきことなどたった一つだ。

 賭けに出る。勝算の薄い賭けだ。だが、チップとして支払った命ふたつを見直せば、運気は強引に引き寄せるより他にない。勝てませんでした、とヘラヘラ笑うのは、ごめんだ。ショウタは、唇を食い縛る。


 ショウタは意識を集中させ、再度思考領域へのアクセスを試みた。力を捻り出し、前方で重く閉じられた水門弁のひとつを、こじ開けんとする。通路に面したレバーはショウタ自身がへし折ってしまったが、連動した内部の機構はまだ生きているはずだ。わずかな試行錯誤の後、調圧水槽へと繋がる水門弁が、がしゃん、と跳ね上がった。


 突如、激流がその勢いをさらに増す。ショウタの周りを取り囲むようにして泳いでいたゴブリン達は、耐え切れずに姿勢を崩した。いきなり生じた大口に吸い込まれるようにして、ショウタと殿下は調圧水槽の中へと放り出される。


「わぷっ……!」


 水路から調圧水槽の床まで、高さは十数メーティアほど。勢いよく流れ落ちる水とともに、ショウタ達は石造りの床へと落下する。ショウタは力をクッションにして、なんとか2人分の体重を相殺することに成功した。追先ほどまでカラだった調圧水槽は、怒涛のように流れ込む水圧でその水かさを増していく。

 その水かさが早くも腰までとどこうとしていたとき、おそらく、必死に流されまいと抵抗していたであろうゴブリン達も、やがては次々と水槽内へ落ちてきた。


「――――――――――――――――――――ッ!!!」

「キイイイイッ!!」

「ギィ! ギィィ!」

「ギヒィィッ!!」


 果たしていいようにことを運ばれた怒りからか、ゴブリン達が甲高い声で威嚇してくる。


 この水槽から通路に戻ることは、ほぼ不可能である。通常の人間であれば、そうだ。だが、ショウタが力を振り絞れば、転移術テレポーテーションによる脱出が行える。同時に移動させるのは自分を含めて2人が限度ではあるものの、先ほど水に流された時とは違い、今はその最大人数。殿下とショウタの2人きりだ。

 ここでゴブリン達を置き去りにして脱出するかどうかを考えたとき、ショウタの脳裏にある可能性がよぎる。

 連中がどこからこの地下水路に進入したかを考えるのだ。彼らは放水路を逆に辿り、調圧水槽から水門弁を破壊して不可侵領域であるはずの王都地下水路に乗り込んできた。特異個体の指示下による、統制されたゴブリン達であれば、やはりこの状態から地下水路に戻る術があることを示している。


 見れば、開ききった水門弁の上部には、わずか十数セルチほどの隙間がある。ゴブリン達ならば通れる程度ではあろう。やはり、連中をここに置き去りにする選択肢は、ありえない。


 なぁに、わかっていたことだ。


 ショウタは、左腕に抱え込んだ殿下を眺めながら、一人ごちた。おそらく、水路に落ちたときにそうとう水を飲んでしまったのだろう。彼女の意識は未だ戻ってはいない。ただ、弱々しくもはっきりとした呼吸があるのだけには、なんとか安堵させられた。

 まぶたを閉じ、長いまつげを寝かせ、ぐったりとするアリアスフィリーゼの姿は眠っているようであった。きらびやかな金髪は水を重く吸い込んで、いつもと違った艶やかさを持つ。彼女の額に張り付いた毛先をそっとずらしながら、ショウタはひときわ強く、姫騎士殿下の身体を抱き寄せた。


 脳の疲労は蓄積が激しく、糖分の欠乏からか頭痛すらする。それでも、ショウタは集中しなければならなかった。ゴブリンどもは、無防備なショウタ達に対して、やがて態度をあざ笑うかのようなものに改めながら、ゆっくりと近寄ってくる。特異個体に律儀に巻き付いたままだったトウビョウを、ショウタは呼び戻す。さらに水門弁を閉じ、ほぼ密閉された空間を、この調圧水槽内に築き上げた。


 水分を孕んだ服が、互いの体温と身体の柔らかさを伝えない。抱き寄せて、密着させてなお、ショウタに届く殿下の存在感は、その確かな重さと微かな呼吸、そしてゆったりと脈打つ鼓動のみである。普段であれば、ショウタの集中力を乱してやまない、姫騎士殿下の優しく甘い吐息は、この時限りなく、彼の意識を研ぎ澄まさせた。


 瞬間、彼女の呼吸が止まる。脈拍が止まる。たゆたう水の音が、近づいてくるゴブリンどもの動きが止まる。


 極度に集中した世界の中で、ショウタは自らだけが思考できる空間を確保する。

 空気が重い。水が重い。全身に張り付くそれらは、ショウタの身体をその場に固定する。


 目の前に立ちはだかるゴブリンの特異個体が一頭、周囲に群がる通常個体が十数頭。こいつらを、実時間1秒にも満たないわずかな思考時間で、迅速に料理する。ショウタの脳裏には既に方程式があるようなものだった。水の溜まった調圧水槽はおあつらえ向きの空間である。危険な賭けだが、怖れはない。


 一度、試したとおりにやればよい。ポトフを作るようなものだ。


 密閉された空間の中で、溜められた水の加熱を開始する。本日3回行った高速集中思考コンセントレイト・ドライブの中でも、飛び抜けての高効率を叩き出す思考処理速度が、それを可能としていた。意識をすべてそこに傾け、分子運動の急上昇による足元の水を湯だたせる。相対的にすべての時間を止めきるほどの高速集中思考であれば、細胞が傷つき、焼けただれるまで、まだわずかに猶予があった。

 湯が沸点に到達せんとしたとき、ショウタは力をひねり出して密閉空間全体の加圧を開始する。高気圧下において沸点がさらに絞り上げられ、空間内の温度が上昇していく。


 ショウタの主観においては、目の前のゴブリン達にも、足元の水にも、空気にも、まだ変化は起きていない。


 だが既にこの調圧水槽は、高熱と高気圧によって擬似的な圧力釜と化していた。ショウタが一度でも気を緩め、その集中を止めれば、動き出した時間の中に身体を晒せば、自身とアリアスフィリーゼをその熱と圧力の地獄に投じることとなるだろう。だがそれでも、ショウタは集中力の途切れるギリギリに至るまで、加圧と加熱を続けた。


「(頃合い、かな)」


 ショウタの集中力が、限界の兆しを見せ始めたとき、ショウタはそのように思考した。脱出の直前、左腕に抱いた殿下のことが少し気になったが、ショウタの首も、眼球も、この停止した時間の中にあっては、ぴくりとも動かない。世界に存在を許されるのは、ショウタの意識だけである。

 ショウタは最後の集中力を振り絞って、自らの身体とアリアスフィリーゼの身体の存在座標を調圧水槽の外側へ書き換えた。


 調圧水槽内のゴブリンどもに、すさまじい高熱と高気圧が襲いかかったのは、まさしくその直後のことであった。

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