第41話 激流を血に染めて
脇構えに握った三日月宗近を振り抜く。逆袈裟に斬り上げた剣筋は、特定の個体に狙いを定めたものではない。空気を引き裂き、剣身が音速の壁を両断する。生じた剣圧が不可視の刃となって、襲い掛かるゴブリン達を無差別に引き裂いて行く。王都地下水道に、獣魔達のすえた臭いが撒き散らされた。
矢の如く放たれた殺戮衝動の塊。ゴブリン達の迎撃は、それ自体は決して難しいものではない。だが、この迷宮のように張り巡らされた地下水道において、ゴブリンどもを相手にするにあたっての懸念が、ふたつある。
ひとつは、この狭い通路に密集したゴブリンの群れを突破するのが至難であること。
ひとつは、もう一体の特異個体が別の群れを率いていた場合、挟撃される危険性があることだ。特に、この戦闘が長引いた場合、ゴブリンの血の臭いがそれらをおびき寄せることも考えられる。
ゴブリンが特異個体のみではなく、通常個体を引き連れて地下水道に入り込んでいたのは誤算だった。上で待機する騎士達に状況を伝え、作戦を練り直す必要出てくる。
「殿下、」
背後から、ニセショウタが声をかけてくる。
「どのようになさいます?」
「頭を潰します」
群れの奥で佇む一頭の特異個体を睨み、アリアスフィリーゼは答えた。
この場を早急に切り抜ける必要がある。一頭一頭相手どっている時間がないのは、先述した通りだ。状況を打開するためにはまず、群れのリーダーを攻撃し、連中に撤退を促す必要があった。〝王潰し〟は、ゴブリン討伐の要だ。通常個体のみで構成される群れであれば、ゴブリンも群れの長を偽装することでこちらの裏を掻く影武者戦術を利用するが、今回の場合はリーダーがどの個体であるか極めてわかりやすい。
問題は、この狭い通路に密集した通常個体を如何に突破して、頭目に刃を届かせるかだ。特異個体の力そのものが未知数であるのも不安要素ではあったが、おそらく、1対1で切り結べば、アリアスフィリーゼがそう遅れをとる相手ではあるまい。
ニセショウタは、アリアスフィリーゼの意図を組み、小さく頷いた。
「では僕が露払いを務めましょう」
おおよそ、本物のショウタの口からは聞くことができない、頼もしいセリフではある。彼は、逆手に構えた2本の毒ナイフをくるくると回しながら、アリアスフィリーゼより前に出た。
ゴブリン達の動きは慎重だ。先ほど振るわれた三日月宗近の一閃が、前線部の個体たちに致命的な打撃を与えたことからか、こちらの戦闘能力を警戒する様子を見せている。ニセショウタは鼻歌でも歌うかのような軽やかな足取りで、ゴブリンの群れに近づいていった。
「――――――――――――――――――――ッ!!!」
彼らを突き動かしたのは、〝王〟の癇癪を起こしたかのような、甲高い咆哮であった。特異個体は狭い通路に反響する、耳障りな声でがなり立てる。苛立ちを顕にした〝王〟の指令は、ゴブリン達の中で萎えかけていた殺意の萌芽を、ゆっくりと引き起こしていく。
「ゲギャアッ! ゲギャアッ!」
「ギイギイッ!」
「ギョアアアッ!」
ゴブリン特異個体がそのやけに長い両腕を叩き、群れの戦意を煽る。殺戮衝動を鼓舞されたゴブリンどもは、やがては王に続き両腕を打ち鳴らしながら、やはり耳障りな甲高い声で鳴き喚き始めた。すぐさま、地下水道の狭い通路は、ゴブリン達の大合唱で埋め尽くされる。
明らかに異様な光景を前にしても、ニセショウタは怯む様子を見せない。ただ、足を止め、逆手に構えた毒ナイフを前に突き出すようにして、腰を低く落とした。
「ギョアッ! ギョオオオオオッ!」
全長1メーティアにも満たない小さな獣魔達が、再び殺戮衝動の矢と化す。先鋭化した殺意の矢尻を見据え、ニセショウタは最小限の動きでそれを叩き落とした。
「ふっ……!」
毒ナイフの刃がゴブリン達をかすめていく。即効性の神経毒は、この小さな生き物たちの全身を、あっという間に絡め取った。ゴブリン達は通路の床に落ち、苦悶の声をあげてうずくまった。なおも続いて襲いかかる後続を、やはり彼は冷静に迎撃する。
アリアスフィリーゼは、三日月宗近を鞘に収め、彼の背後についた。ニセショウタは飛びかかってくるゴブリンの群れをさばきながら、そのまま彼女の壁となっている。この地点から、特異個体のいる位置までの距離は10メーティアほど。月穿の遠当てならば、十分に届く距離だ。
呼吸を整え、柄を握り、腰を落として標的を見据える。踊るようにしてゴブリンをさばいていくニセショウタだが、もともと彼の戦闘技能は、こうして多数の怪物を相手取り、捌くために最適化されたスキルではない。無茶の代償はすぐに回ってくる。
ゴブリンの鋭利な爪と牙が、何度か彼の細い身体を掠めた。ショウタの姿をしたみっちゃんから血が噴き出したことに、危うく心を乱しそうになるものの、落ち着きを取り戻すには一度の呼吸で事足りた。目の前に立つのがショウタであれみっちゃんであれ、自分を信じて盾になってくれている以上、アリアスフィリーゼはその信頼に答えねばならない。動揺は彼の負担を増やすだけだ。
鋭敏に研ぎ澄ませた感覚が臨界点を迎える瞬間、アリアスフィリーゼは柄を握り、鞘を走らせた。
「はあぁぁぁぁぁ―――――――――――――――ッ!!」
裂帛の気合が、ゴブリンどもの耳障りな大合唱をも飲み込んで、狭い通路に反響する。
神速域の抜刀は剣圧を宿し、振り下ろされると同時に衝撃波が生じる。剣撃のインパクトは、目の前に立つニセショウタの身体と、並み居るゴブリンの群れを透過して、まさしく標的とした特異個体の眼前で正確に弾けた。
「――――――――――――――――――――ッ!!!」
ゴブリン特異個体の、甲高い悲鳴があがる。粘度の高い、ドス黒く濁った血液が、周囲に撒き散らされた。
斬壊剣・月穿遠当て。月鋼式戦術騎士道の奥義を正面から浴びてなお、その特異個体は致命傷には至らぬ様子であった。だが、〝王〟の動揺は即座に群れ全体へ伝播する。鼓舞されていた戦意は急激に萎み、群れ全体に混乱が影を落とした。
腕に噛み付いたゴブリンを振り払い、ニセショウタは更に一歩、群れに向けて切り込む。その一撃が決定打となった。ゴブリンの群れが完全に統率を失う。
「――――――――――――――――――――ッ!!!」
特異個体は、最後に一度、ひときわ大きな咆哮をあげると、傷口を押さえながらこちらに背を向けた。一目散に走り出したリーダーの背中を追いかけるようにして、ゴブリンの群れが撤退していく。ニセショウタがちらりとこちらを振り向いてきたので、アリアスフィリーゼは無言でかぶりを振った。
「罠の可能性もあります。深追いしないほうがいいでしょう」
その現場を直接目にしたわけではないが、袈裟懸けは、人間の死体を使って獲物をおびき寄せたり、名前を呼んで居場所を確認したりするなどして、こちらを〝罠にかける〟習性が確認されている。それが袈裟懸け特有の行動であったのか、特異個体化する際にそうした知能の発達を遂げたのかは定かでないものの、元がずる賢いゴブリンであれば、退いたと見せかけてこちらを罠にはめる可能性は十分に考えられた。
足元には、先の戦闘でアリアスフィリーゼが切り倒したゴブリン数体の骸が転がっている。これを放置すると、おそらく地下水道内をうろついているであろう別の群れを呼ぶ危険性があった。死体の上から油を撒き、剣と鞘を火打石の代わりとして、残ったゴブリンの死体をすべて焼却する。油は、獣魔族の探索に赴く際の必携品として、念の為に用意してきたものだった。
場違いな焚き火を眺めながら、アリアスフィリーゼは言う。
「どのみち、みっちゃんは怪我をしていますし。一旦地上に戻りましょう」
この狭苦しい地下水道内であれば、焚き火によって酸素も猛烈に消費する。あまりこの場に長居するのは得策ではない。
「わかりました」
ニセショウタはにこりと笑って答えた。だらりと下げた彼の手には、ゴブリンの爪や牙によって負った、痛ましい傷の痕が見られる。アリアスフィリーゼは少し、表情を暗くした。彼女の盾となる形で負った手傷ともなれば、当然、罪悪感もある。
地上へ戻るため、通路を歩き出しながら、彼女は詫びた。
「みっちゃん、このような危ない真似をさせて、申し訳ありません」
「あー」
ニセショウタは、そこで始めて自分の怪我に気がついたかのように片手をあげて、満面の笑みを苦笑いに変えた。
「いいんですよ。殿下に怪我がなくてよかったです」
なまじ、ショウタの声と顔で言われるのだから戸惑ってしまう。アリアスフィリーゼが言葉を失っていると、ニセショウタは覗き込むような形で尋ねてくる。
「どうしました? 殿下」
「いえ……」
アリアスフィリーゼはわずかにかぶりを振りながら、このように答えた。
「本物のショウタも、同じようなことを言うのだろうな、と」
あの、決して戦いに向いているとは思えない身体の作りで、同じような目にあったとしても、同じようなことを言うのだろう。そのように思えば、まだ心穏やかではいられないアリアスフィリーゼであった。
「へきしっ!」
ショウタの口から、またもくしゃみが飛び出した。サウンが露骨に顔をしかめるのがわかる。
「風邪かよ」
「いやいや、たぶん誰かが噂でもしてるんですよ」
「またそれか」
ショウタの噂をするような人間など、そう多いものではないだろう。騎士王国の中でも、姫騎士殿下か、騎士王陛下か、ウッスア宰相か、みっちゃんか、あとは例のザマスマダム達か、それとも王宮の料理人達か。いや、考えてみれば結構いた。国外に目を向ければ、メロディアスあたりだってそうだろう。そう考えてみると、こっちに来てから知り合いも増えたな、と思う。もうすぐ2ヶ月だか3ヶ月だかだから、当然と言えば、当然なのかもしれない。
ショウタは、いまだサウンに引っ張り回されるような形で、地下水道の中を探索していた。サウンは怪物を見つけるのだと躍起になっている様子だったが、半分くらいは、引っ込みがつかなくなっているだけなのだろうな、とショウタは邪推する。
彼女が嘘をついているというのではない。サウンのような人種は、一度突っ張り始めると、最後まで突っ張らねば自分を納得させることができないのだ。今回の件で言えば、サウンはなんとしてでも、自らの正しさを証明せねばならない。
サウンがぽつりと漏らした『バカなことをしたな』という言葉は、おそらく本音ではあったのだろうが、ま、一度バカなことをしたからには、最後までバカなことをしなければならないのだ。面倒くさい性格である。ショウタ自身、割とそういう過去があったので、あまり人のことは言えない。
そろそろ殿下は、ショウタの置き手紙に目を通しているのかなぁ、と考える。自分がサウンと共に、怪物を探して地下水道に潜っていると知れば、姫騎士殿下もなんらかの形で応援を寄越すか、あるいは本人が飛んできてくれるだろうと、ショウタは予想を立てていた。結果として騎士団が動けば、サウンだって溜飲を下してくれるだろう、と思う。これ以上危ないことをせずに、ことを丸く収められる。万々歳だ。
その姫騎士殿下が、サロンに戻って置き手紙を読むどころか、自分たちと同じ怪物を追って地下水道に潜り込み、遭遇した後に再び地上へ戻ろうとしているなど、当然神ならぬショウタにはわかろうはずもない。
「ったくよー、こんなイカくせー男とこんな暗くてジメジメした通路歩いてるなんてよー、気が滅入りそうだぜー」
「はぁ、なんかすいません」
サウンの悪態も、だんだん適当なものになってきた。自然、ショウタの返しも適当なものになっていく。
「そういえば、サウンさんのお友達、2人くらいいませんでしたっけ」
「あぁ? イーノとヒューイ? っていうか、おめーグラスイーグルのこと知ってんだっけ?」
「えぇ、はい。まぁ」
少年窃盗団グラスイーグル。構成メンバーはサウン・ブラウン、イーノ・ノルバック、ヒューイ・グランテスタの3名のみ。半年前からコソ泥を繰り返しては、警邏騎士隊の頭を悩ませていた不良少年集団である。犯行の動機も切迫した生活などが原因ではなく、単純に退屈な日常に嫌気が差してスリルを求めたためだという、まぁ、ありていに言ってクソガキの集いであった。王都の豊かさの裏返しとも言える。
この辺は、騎士王陛下から直接聞かされた話だ。基本、王都で行われた犯罪については、騎士王が直々に沙汰をくだす習わしとなっている。ある夕食の席で、逮捕された彼らの資料を片手に、ショウタの故郷ではこうした不良少年をどのように裁いているのか尋ねられた。
ショウタは不良時代こそあったが、別に公権力にお世話になった経験があるわけでもない。なので、まぁ当時それなりに付き合いのあった、いかにもワルそーでチャラそーな友人から聞いた話を、なるべく客観的に語ることしかできなかった。
ま、ショウタの言葉がどれほど騎士王陛下のくだす沙汰に影響したかどうかは定かではない。が、結果としてグラスイーグルの3人には、警邏騎士の監督下における労役刑がくだされたという運びだ。
「あいつらもさぁ」
サウンは、いくらか明るい声になりながら続けた。
「なんでつるむことになったのか、もう忘れちまったけどさ。いい奴らなんだよ」
「まぁ、でしょうね」
ショウタは曖昧な返事を返す。
「男のくせに情けねーところも、たくさんあるんだけどさ。いい奴らなんだよ。アタシの家のことも、あんま気にしねーし」
「はい」
「いい奴らなんだよ……」
サウンの声が、徐々に消沈していく。ここでどのような言葉をかけるべきか、ショウタは一瞬迷った。だが、正解が導き出されることはなく、サウンのトーンを落とした声が、さらに続く。
「いい奴らだからさ、今回も、アタシの味方になってくれるって、勝手に信じてたんだけど……」
「はい」
「なんか、冷静になってみると、アタシが一人で暴走してただけ、みたいな……」
「それが恥ずかしくって、余計に引っ込みがつかなくなっている、と」
「まぁ、そうだよ」
これも、突っ張り始めたら最後まで突っ張り通す、サウンの融通が効かない部分だろうか。一度彼らのもとへ戻って『悔しいから一緒に探してくれ!』と言えば、きっと二つ返事でオーケーしてくれるような友人たちなのだろう。だが、サウンにはそれができない。
「怪物を見つけてさ、それをファルロのおっさんに報告するじゃん?」
「はい」
「信じてもらえなくて悔しい、って、アタシは思ってたんだけど、あの2人はそうでもなかったみたいでさ」
「信じてもらえなくてもいいや。って、思ってるタイプなんですかね」
「かもしんねーなー。あいつら、ノリはいいけど、変なトコで冷めてっからな」
さもありなん。割と一人で暴走しがちなサウンと上手く付き合っているのだから、まぁ、対照的に冷めた側面もあるのだろう。
「で、アタシはなんでてめーに相談なんかしてんの?」
「きっと話して楽になりたかったんでしょう。他にはないですか」
「ねーよ」
そこからまた、しばし2人は無言になった。
ショウタは、イーノとヒューイという、2人の少年のことをよく知らない。が、これほどまでに面倒くさい少女と、そこそこ長い付き合いをしてるのだから、彼女の考えることくらいある程度予想がついているのではないか、と思った。ショウタだって、付き合い3ヶ月に満たない姫騎士殿下の考えていることは、だいたいわかるのだ。付き合いの長さが深さに比例するとは限らないが、サウンの話を聞く限り、グラスイーグルの結束は長くて深くて固い。
で、あればこそ、引っ込みがつかなくなったサウンがどのような行動に出るか、想像くらいつくはずだ。ひょっとしたら、彼女を追いかけて、この地下水道に足を踏み入れたりしているかもしれない。
そう思った、矢先である。
「あ、」
と、サウンが漏らした。彼女の掲げるカンテラが、地下水道の薄暗い通路を照らす。
「あ、」
照らし出された通路の先に、2人の少年が立っていた。どちらもやや背が高く、一人は垂れ目、一人はつり目の、少しばかりアウトローじみた風体の少年たちだ。その正体に憶測を立てるまでもなく、ショウタは『あ、やっぱり』と思った。
「なんだよおめーら、何しに来たんだよ」
サウン・ブラウンはぶっきらぼうな声でそう言った。うわぁ、面倒くさいモードだ、とショウタは思う。
「いや、上の入口の鍵が空いてたからさ」
と、垂れ目の少年の方が苦笑いを浮かべて答える。
「どうせまた意地張って一人で怪物探しに来てんのかな、と思ってさ」
「一人じゃなかったみたいだけどな」
釣り目の少年が肩をすくめ、カンテラの灯りをショウタの方へと向けた。
「よう、あんた。うちのリーダーに付き合わせて悪かったな」
「いえ、好きでやってることですから」
ショウタが柔和な笑みで応じると、サウンは小さく『ふん』と鼻を鳴らす。嬉しい癖になぁ、と思ったショウタだが、そこを突っ込んでやるほど鬼ではない。一度突っ張ったら突っ張り通す。不良の流儀だ。ショウタも身に覚えがあるからこそ、彼女のプライドは尊重せねばなるまい。
ま、その意地っ張りな面もふくめて、どうせ目の前の2人にはバレバレなのであろうが。
「サウンさ、ファルロのおっさんに会わなかった?」
垂れ目の少年が意外なことを口にしたので、ショウタとサウンは互いに目を合わせた。
「おっさんに? なんでファルロのおっさんがこんなとこ来んだよ?」
「騎士団の方から正式に通達が来たんだよ。地下水道に怪物がいるから、準備しとけって。そしたら、おっさん飛び出しちゃってさ。たぶん、サウンを探しに行ったと思うんだけど」
「お、おお……」
サウンは、口をもごもごとさせながら、辛うじてそう答えた。予想だにしない展開に、いささかばかり感情を持て余している様子だ。
「な、なんだ。そんなことになってんのかよ……」
「そんなことになってんだよ」
姫騎士殿下が手配したのだろうか、と、ショウタは思った。
どのみち、地下水道の怪物の存在を騎士団が認めたとあれば、サウンがこれ以上意地を張る理由は皆無に等しい。実質的に、彼女の大勝利となるからだ。
「じゃあ、戻ったほうがいいのか? それとも、おっさん探したほうがいいのかな」
「どうだろう。ここ危なそうだから、帰ったほうがいいと思うんだけど」
「そっちの手伝ってくれてる奴も、なんか腕吊ってるしな」
サウンと、イーノ、ヒューイと思しき少年2人は、頭を突き合わせての相談を続けている。ショウタはちょっぴり蚊帳の外だ。退屈を持て余しながら、視線を決して広くはない地下水道の空間にさまよわせる。
そして、見つけてしまった。
「あ、」
真剣に話し合う、グラスイーグルの3人。ちょうど彼らの背後に、爛々と輝く赤い双眸が、身の毛がよだつほどの殺意をみなぎらせて浮かんでいたのである。
「姫騎士殿下、お疲れ様です!」
地上に戻ったアリアスフィリーゼ達を、王立騎士が騎行敬礼で出迎える。腕を怪我しているニセショウタのもとには、衛生騎士が駆けつけた。
姫騎士殿下は、豪雨の中走り回る騎士達を眺めながら、最寄りの詰所に入る。王都地下水道に侵入したと思われる、ゴブリン特異個体の対策本部がここになっていた。このあと決行されるであろう正式な討伐作戦に備えて、数人の騎士隊長が待機している。大半が伝統騎士で、貴族騎士が1人だけ混じっていた。
アリアスフィリーゼは、地下水道には特異個体の他、それに率いられた通常個体の群れが存在することを報告し、同時に状況の報告を受ける。
「地下水道への入口と、王都内の井戸はほぼ封鎖が完了しています」
討伐作戦を遂行する過程で、ゴブリンを地上に追い出すような状況にはならないということだ。ひとまず封鎖が済めば、あとはセオリーに則って作戦を決行するだけなので、だいぶ気が楽になる。
ゴブリン特異個体をおびき寄せるために、現在使用されていない廃井戸に豚の屠殺体を投げ込む手はずになっていた。地下水道の構造的にも、廃井戸のある位置は包囲がしやすく、血の臭いに惹かれてゴブリンどもがそこに集まれば殲滅も決して難しくはない。この作戦の流れは、特異個体が通常個体の群れを率いていると判明しても、変わることはない。
「ただ、あまり良い気分はしませんね……」
手配した豚の屠殺体が、あと数十分で届くという報告を受けて、アリアスフィリーゼは小さく顔をしかめた。
「必要な作戦です」
騎士隊長の中でもベテランの一人が、短く言った。
「ところで姫騎士殿下、殿下は本日、貴婦人がたの集会に参加されていたということでしたが」
「あ、はい」
その騎士隊長が唐突にそのようなことを言うのだ、アリアスフィリーゼは思わず顔をあげてしまう。
「あとは、我々にお任せいただいて、集会にお戻りになってはいかがでしょう」
「はい?」
予想だにしない提案に聞き返してしまう。ベテランの騎士隊長がもっともらしい咳払いをすると、詰所に顔を合わせていた他の騎士隊長たちも、伝統騎士、貴族騎士の区別なしに頷いた。
「数十分後に屠殺体が届けば、予定通り作戦は決行できます。聞けば、魔法士殿の手料理をお召し上りになる予定だったそうですが」
「えぇ、それはその……そうなのですが……」
アリアスフィリーゼは、この作戦の指揮を任されているわけではない。彼女がセプテトール騎士王から命じられたのは、あくまでも斥候的な役割であり、それが済めばあとは自由に動いて構わないとも告げられていた。『自由に動いて構わない』というのは、『作戦を妨げない範囲で討伐に参加すべし』という意味だと解釈していたが、今にして思えば、あれは父親の温情であったのかも、しれない。
手合わせをした限りでは、ゴブリン特異個体の戦闘能力も、袈裟懸けのそれに類するほど脅威となるものでは、ないように思えた。王都に駐留する騎士団は、獣魔族との交戦経験こそ薄いものの、練度は高い。知恵の働くオークがゴブリンの指揮を執っているものだと考えれば、そこまで危険な相手ではなかった。
どのみち、昼食もしっかり摂っていない状況だ。ショウタには伝書を送ったとは言え、だいぶ心配をさせているかもしれない。一度サロンに戻って、改めて彼に手料理を振舞ってもらうのもいい。
「みっちゃん、」
アリアスフィリーゼは、ちょうど腕の治療を済ませてこちらに顔を出してきたニセショウタに声をかける。
「これからサロンに戻って、ショウタにお昼を作ってもらおうと考えているのですが、ご一緒しませんか?」
その提案を受けて、彼は目を丸くした。
「えっ、いいんですか?」
「はい。本物のショウタの手料理ですよ? 興味あるでしょう?」
「あります」
大真面目な物言いがあまりにもおかしくて、少し噴き出してしまう。
甘い卵焼きなら、アリアスフィリーゼも何度かご馳走になってはいるが、結局〝肉じゃがもどき〟とかいうポトフは未だに口にしたことがない。実験的ながら自信作らしいので、この機会を逃してしまうのはどうにも悔しいと思っていたところだ。
アリアスフィリーゼは騎士隊長に向き直って、にこりと微笑み礼を言った。
「せっかくですので、お言葉に甘えさせていただきます」
「では、馬車をご用意いたしましょう」
ベテラン騎士隊長がそう言って、部下の騎士に手配を命じる。サロンへ戻る準備が整うまでの間、アリアスフィリーゼはショウタの手作り料理に向けて、のんびりと思いを馳せていた。




