第40話 サイキック・メモリー
思春期の少年少女は繊細だ。自己の確立という、人生の一大イベント。とかく彼らは、なんとか〝自分自身〟というものを掴むため必死になる。その過程で自分を支配するものの手から脱しようとするのも、ままよくある話であって、ショウタの周囲にも行き過ぎた反抗期から不良行為をこじらせた少年というのが、それなりにいた。
アイデンティティを求めた迷走の果てに、手っ取り早いオリジナリティ、エア個性を求める連中というのも生まれてくる。それまで聞きもしなかったジャンルの音楽にハマってみたり、世間とはハズれた流行を追いかけてみたり、更にエスカレートすると、自分には特別な力があるのだと思い込んだりするようになる。のが、それだ。
果たしてそれが、騎士王国の青少年にとっても一般的な話であるのかはさておくが、ショウタの故郷では、思春期を迎えてそうした方向にひた走る少年少女が多かった。ショウタとてその例には漏れない。自己を確立する上で、外圧に苦しみ、理解を得られないことに憤り、わずかな反抗を試みるようになっていた。
ショウタが他の一般的な少年少女と異なっていたのは、彼がガチで特別な力を持っていたことである。
手を使わずにものを動かしたり、一定距離を瞬時に移動したり、まるで魔法のようなその力を、ショウタは生まれながらに行使することができた。
それに気づいた当初こそは、便利な力を使えるものだと得した気分ではあったショウタだが、徐々に、理解者を得られないことを苦痛に思うようになっていく。ショウタの力のことを知るものはごく少数であり、大半の人間は彼の主張を間に受けなかった。〝力〟を自らの個性とする主張は、受け入れてもらえなかったのである。見せびらかしたところで、彼らの不信が恐怖に変わるだけであり、本質的な変化はなにも起こらない。
なのでまぁ、彼はグレた。
他の子供たちがそうしたように、髪の色を変えるとか、まだ手を出してはいけない酒や煙草といった嗜好品に手を出すとか、そうしたことはしなかった。別に背伸びして大人ぶるのは彼の目的ではなかったからだ。
ただ、グレた。理解を得られない苦痛を、畏怖によって埋め合わせようとしたのである。少年少女たちの、狭いコミュニティの中ではあるが。自分たちを外圧で押さえ込もうとする大人たちには反抗し、痛めつけてもあまり心の傷まない、腐ったミカンのような少年たちを、〝力〟を行使して打ちのめした。
で、しばらくすればそれなりに有名になった。
もともと内向的な性格ではあったので、誰かとつるんだりということはしなかった。ただ、助っ人求められれば出向き、喧嘩だけして帰った。当然、賞賛はされたのだが、所詮は上っ面のものである。虚しさだけが残った。
「僕もそうして誰からも理解を得られず荒んでいた頃があったので、サウンさんの気持ちもわかるのです」
ショウタは人差し指を立ててそう言った。
「へー」
サウンの返事は平坦だ。
「で、どこまでがマジなの?」
「やだなぁ、全部マジですよ」
ショウタの場合、グレる経緯が経緯であったので、あまり周囲を威嚇する習性は身につかなかった。反抗の証として、口汚い言葉遣いは多少身についたが、陰気な目付きといつもの態度で接してやれば、ショウタの力を知る大抵の人間はビビって逃げ出したのである。
おかげさまで、今もあまり更生したという自覚はない。表面上は大して変わっていないのだ。
「てめーさぁ」
「ショウタです」
「名前はどーでも良いんだけどさ」
サウン・ブラウンは振り返り、相変わらずのドギツい目付きでジロリとショウタを睨みつけた。
「そんな話なんかしてさ、アタシが心開くとか、そんなこと考えてる?」
「あー、あなた思った以上にメンドくさい人ですね……」
「あ?」
「お?」
極めて適切な角度からのガンの飛ばし合い。だがまぁ、これも儀礼的なものである。そもそも威嚇というのは、喧嘩を避けるための示威行動に過ぎない。ショウタはその辺をしっかり理解しているので、正面から威嚇されても怖がったりはしない。そもそもショウタが恐れるのは女性のおっぱいくらいなものである。サウンにはそれに類するものが特に見当たらないので、これがまったく怖くない。
「まぁこのままだとやりにくいので、少しは打ち解けたら良いな、とは思ってますけどね」
「てめーは結局偉そうなこと言って、今はこの社会に迎合しちまってるじゃねーかよ。そういうの、信じらんねぇんだよ」
「はぁ」
確かにまぁ、以前よりはだいぶ社会に迎合するのに抵抗はなくなった。そもそも、この騎士王国の社会制度が本来ショウタの敵対するものではないとか、社会制度の象徴たるアリアスフィリーゼ姫騎士殿下と非常に仲良くさせてもらっているとか、まぁ、理由はいくらでも思い浮かぶが。
思い浮かぶが、この際大事なのはそこではない。姫騎士殿下のことであれ普遍的に常に大事ではあるが、今議論するべきはそこではない。
「まぁ僕は今でこそこんなんですが、別に、グレるのが悪いことだとか、更生したからすばらしいとか、そんなことを言うつもりはまったくないですし」
「へー」
「結局グレるのなんて、人生の中の自分の立ち位置を調節するための儀式ですから、グレる人はグレるべくしてグレるんですよ。良いも悪いもありません」
問題は調節した後、どこに着地するかであって。いや、それすらもこの場ではどうでもいいか。きちんと調節を完了させて、どこかへ着地するということさえ果たせれば。それができないまま、いい大人になっても、ずっとグレてる人はいる。着地に失敗してしまった人種だ。
悪党になるならなるで、きちんと着地するならともかくとして、どっちつかずでグレたままというのはちょっぴりカッコ悪い。
「まぁ、ですから」
「おう」
「僕、何を言いたいんでしたっけ」
「知らねーよ!」
振り返ってのサウンの叫びが、狭い通路の中に反響した。ショウタは『いやぁ』と困ったような笑顔を浮かべて、頬を掻く。
「あまり自分語りするものではないですねぇ。言おうとすることがよくわかんなくなっちゃいました」
「別にてめーの説教なんか聞く気ねーから構わねーんだけど」
サウンは再び前に振り戻り、カンテラを掲げて歩き出した。
「聞く分には退屈しねーから続けろよ。それで、なんでそんな女々しくなっちまったの」
「なんででしょう。まぁ、あるとき喧嘩に負けてですね。それが僕の〝魔法〟の師匠なわけですけど、その人が僕の理解者になってしまったので、まぁ、突っ張る理由が特になくなっちゃったんですよね」
その喧嘩というのも、後にして思えば偶発的に発生したものではない。ショウタが〝力〟の行使者として有名になりすぎたため、それが高じて暴走し、もっと具体的な犯罪に手を染める前にショウタの前に派遣されたのが、要するに同じ力を持つ〝彼女〟であった。
あとはショウタの言葉通りだ。おおよそ金銭にがめつく、人間性的にもロクなものではないショウタの師匠ではあったが、彼の私闘における力の濫用を強く戒めた。それも、別に道徳的な理由などではなく、あまりヤンチャをされると自分の仕事がやりにくくなるから、という非常に自分勝手なものである。ま、どちらにせよ、ショウタは同じ力を行使する理解者を得たことで、グレる理由を失った。おかげさまでカドが取れて丸くなって、今の通りだ。
師匠の仕事を手伝うようになった矢先、ちょっとした事故でグランデルドオ騎士王国にやってくるハメとなったショウタである。まぁ、こちらでの環境は非常に恵まれていたと言えるだろう。〝宮廷魔法士〟という絶好のポジションを得ることに成功したショウタは、また鬱憤を溜め込む前に、さっさと理解者を作ることにした。姫騎士殿下だ。彼女は〝魔法士〟というものが珍しいのか、王宮で出会うたび、ショウタに話しかけてきた(今にして思えば、魔法を学んでいたという亡き姉のことを考えていたのかもしれない)。柔和な笑顔と物腰は、身分の高さから来る壁を感じさせず、真実を打ち明けることにも、特に抵抗は感じなかった。
殿下はショウタと同じような力こそ使えなかったが、彼の境遇に強い興味を示し、同情を示し、相談にのってくれた。その対価として、というわけでもないだろうが、彼女は無茶を要求しては、様々な場所にショウタを連れ回した。おかげさまでショウタは特に悩む暇もなく、気がつけばこの国での生活に順応できていた。姫騎士殿下には感謝の念が尽きないわけだ。
「なんだ、女か」
殿下のあたりは、極力ぼかして話をした。話をした後に、サウンはそう言ったのである。
「要するに女にほだされて、てめーはそんなザコキャラに成り下がったんだろ」
「なんとでも言ってください。僕は今それなりに人生を謳歌しているので、そんなに腹が立たないのです」
「けっ」
師匠と殿下は一緒くたにできないし、それゆえに〝女〟の一言で片付けられるのはシャクだが、だいたいそんなところだ。
「まぁ、なんですか。僕は別に、サウンさんがグレた理由とか、特に興味ないですけど」
「家族だよ」
「あら」
特に興味がない、と言った矢先にはっきりと告げてきたのは意外な話である。だが、サウンはそれ以上何かを打ち明けてくるような気配はなかった。突っ込まれるのを待っているというよりは、話が面倒くさくなる前に、先手を打って事実を告白したというような、そんな感じだ。
結局、彼らはそれっきり黙り込み、何かの会話には発展しなかった。しばらくして、ようやくサウンが言葉を発したのは、通路の行き止まり。
「ここだぜ」
の、ように見える、調圧水槽の水門前である。
「この門の前で、怪物を見たわけですねー」
「おう。ここ開けろって、ファルロのおっさんに言われてよ」
「じゃあ、今開けときますか」
ショウタは、たいそうに突き出された無骨なレバーに、左手で触れた。ざらざらとした、錆びた金属の手触りがある。
「ふんっ……!」
体重を込めて押し込むも、レバーはぴくりともしない。
「うわぁ、ダセぇ」
サウンが無遠慮な声でそう言った。
「仕方ないでしょ! 右腕が折れてるんですから、もう!」
大脳旧皮質のあたりに意識を込めて、思考領域から力を絞り出す。ぐんっ、とレバーの抵抗が軽くなって、あっさりと押し込むことに成功した。水門が開き、水が勢いよく水槽に向けて流れ込む。
あの場に集っていた貴婦人の話では、地下水道には大小さまざまな調圧水槽があって、その中のどれを開きどれを閉じて放水路に流れ込む水の量を調節しているということだった。
「ともあれ、この辺には怪物っぽい影は見当たりませんねー」
「そーだな……」
苦虫を噛み潰したような表情で、サウンは周囲を見渡す。
「どうかしました?」
「いや……。考えてみりゃあ、バカなことしたと思ってさ」
「ほほう」
妙にしおらしいというか、健気というか、真摯なことを口にするではないか。ショウタは身を乗り出す。
「ファルロのおっさんの立場とか考えて、もうちょいマジメに話してたら、聞いてくれてたのかな、とかさ……」
「おーおー。懺悔だったら聞きますよ?」
「そんなんじゃねぇよ。バカじゃねーの」
サウンはぷいと視線を逸らして、そのまま歩き出してしまった。ショウタは特に慌てるでもなく、それをマイペースに追いかける。
「どうします? もう少し探して行きますか?」
ショウタが尋ねると、サウンはわずかな逡巡の後にこう答えた。
「決まってんだろ」
ショウタとサウンが探索中の通路とは、ちょうど真反対の位置。アリアスフィリーゼとみっちゃんが歩いているのは、まさしくその周辺であった。王都地下水道の中でも西側に位置し、この付近では、外郭放水路の連なる調圧水槽の水門弁も、開けられてはいない。基本的に放水は東側を優先して行われるためだ。
アリアスフィリーゼは、ヒンバス川に繋がる放水路の大元を辿り、そしてようやく、大きく穴を開けられた水門弁を発見した。決して好ましくない予想の的中に、安堵のものとは程遠いため息が口をつく。
「やはり、ゴブリンでしょうか」
彼女の後ろで、ニセショウタが本物そっくりの声で言った。
「おそらくは。特異個体の腕力がどれほどのものかは未知数ですが、オークがあれほどまでに強化されたことを考えると、ゴブリンの特異個体が調圧水槽の水門弁を破壊できても、不思議ではありませんね……」
これで、ゴブリンの特異個体が、おそらく2体。この地下水道に潜んでいるという事実が、ほぼ決定的なものとなった。
「どうします? 殿下」
「地上に戻り、予定通り作戦を実行する必要があります。そろそろ、井戸と地下水道への入口は、騎士団による封鎖が完了するはずですから」
「了解です。じゃあ、戻りましょう」
封鎖後、ゴブリン特異個体を一定の場所におびき寄せて、そののち騎士団による討伐作戦が実行される手はずだ。その指揮は、一応アリアスフィリーゼ自身が執ることになっている。
ゴブリンとは本来、集団でこそその恐ろしさを発揮する獣魔族だ。大幅に腕力や脚力などの身体機能が強化された特異個体とはいえ、たった2頭であればそこまで脅威となる相手ではないように思える。ゴブリン個々の、本来の貧弱さを思えば、通常のゴブリンの集団を相手にしたほうが、はるかに恐ろしいようにも考えられた。
まぁ、どのみち、前線に立つのは多くが獣魔族との交戦経験がない新米騎士となるだろう。彼らからすれば、どちらも未知の相手であることには変わりがない。苦戦はするかもしれないが、先入観による油断がない分、かえって心強いとも言えた。
地上への帰り道である。カンテラを掲げたニセショウタが先頭を歩く。そのさなか、ふと、彼が足を止めた。
「しょ……みっちゃん?」
「気をつけて、殿下。気配があります」
普段のショウタが発さない、低く鋭い声のトーン。声質こそは完全にショウタのものを模倣しきっていたが、そのテンションは間違いなくみっちゃんのものである。彼女が本来持つ鋭い五感が、ニセショウタにそのような言葉を口走らせていた。
意図するところを理解でいないアリアスフィリーゼではない。彼女は、サーコートの内側から生える三日月宗近の柄を取る。ニセショウタもまた、腰元にぶら下げたいくつかのダガーから、二本を抜いて逆手に構えた。
「ショウタが刃物を構えていると、すごい、こう……」
「違和感ありますか?」
「いえ、なんだか料理をしそうだな、と……」
正直な感想を言うと、ニセショウタは眉を動かす。
「このナイフには毒が塗ってあるので、料理には向きませんね……」
「そうですか。舐めちゃダメですよ」
「僕、そんなおっちょこちょいじゃないです」
会話のさなか、ニセショウタの言っていた〝気配〟を、ようやくアリアスフィリーゼも感じ取るようになる。ぞわり、と鳥肌が立ったのは、その気配が、ひとつやふたつではなかった為だ。視線の出処をたどっていくと、暗闇にぼうっと浮かび上がる、真紅の双眸を見つけ出した。
奴だ。
アリアスフィリーゼは、ずらりと剣を抜き放つ。磨きぬかれた美しい剣身が、カンテラの薄明かりを反射して眩く輝いた。それらの光はやがて、地下水道の暗闇に、敵対者の輪郭を浮かび上がらせる。
全長130セルチメーティアほどの小柄な体躯だが、ゴブリンのものとしては異様なほどの巨躯でもある。だらりと伸びた両腕は、地面を擦るほどに長かった。口元には、歪な形状に捻くれた牙が生え揃い、黒い煙のような吐息を漏らしている。
目の当たりにすれば際立つ、袈裟懸けとの共通項。
「殿下、それだけじゃないです」
ニセショウタの言葉に、アリアスフィリーゼは頷く。
そう、複数あった視線の正体は、もうはっきりしていた。ゴブリン特異個体の背後に群れる、無数のゴブリン。それらはすべて通常個体ではあったが、人間がもっとも脅威とするべきゴブリンの武器、すなわち〝数〟を味方につけている。
動きは明らかに統率がとれていた。〝王無し〟などではない。そしてこの場合、おそらく〝王〟とはこの特異個体のことだ。少なくとも2頭は存在すると思われる、この異形のゴブリンのもとで、その群れがひとつにまとめあげられている。
群れは〝王〟の凶暴さを象徴するかのごとく、殺気立っているように見えた。ゴブリン特異個体が命令をくだすその瞬間を、心待ちにするかのように、小さな獣魔族たちは溢れ出す衝動を必死にこらえている。そして、その時はすぐさま訪れる。
「――――――――――――――――――――ッ!!!」
〝王〟の甲高い咆哮を合図にして、ゴブリンの集団は殺戮衝動の矢と化した。