第38話 ショウタ、がんばる(後編)
少女はサウン・ブラウンと言った。ずぶ濡れになり、寒さに震えていた彼女だが、火のくべられた暖炉の前に立つと、ようやく落ち着いたような表情を見せる。彼女の背中を見て、ショウタは分子運動を上昇させるなりすればもっと早く乾かせるだろうかとも思ったが、失敗したらシャレにならないので、やめた。
その代わり、テーブルの上で少し冷めてしまった料理を温めることに挑戦してみる。ショウタの故郷ではマイクロ波加熱技術なんてものもあるのだが、対象物を局地的に温めるのだと考えれば、これも大して変わらない。皿から再び湯気が立ち上るのを見て、マダム達がざわついた。
「ンまァー! 料理がまた温かくなったザマス!」
「ンまァー! 信じられないザマス!」
「ンまァー! これが魔法なんザマス!?」
ショウタは、いつものように曖昧な、へらへらとした笑みを浮かべながら、手の開いたり握ったりを繰り返した。加熱のやり方はだいぶ馴染んできたように思う。こんなに便利ならさっさと身につけておけばよかった。
さて、少しばかり遅くなったが、昼食だ。ショウタはマダム達とテーブルを囲む。少し遅れて、服を乾かしたサウンもまた席についた。よくよく考えなくても黒一点となるショウタだが、現状、あんまり嬉しい気持ちはない。サウンは、テーブルに並ぶ得体の知れない料理を警戒しているようだった。猫みたいな娘だ。
周囲のマダム達はさほど気にしていない様子だったが、サウンは実に居心地悪そうにしている。それはそうだろう。正式に招かれた立場であるショウタですら、マダム達の圧倒的ザマス力の前にアウェイ感を禁じえないのだ。彼女の気持ちもわからないではない。
「魔法士様、アレを教えて欲しいザマス」
フェイルアラニン伯爵夫人が、ショウタに横から声をかけてくる。
「アレですか? ドレでしょう」
「アレザマス。プリンセスから聞いているザマス。食事の前に、両手を合わせて食材とその恵みに感謝すると聞いたザマス」
「ああ、アレですね……」
別に流行らせているつもりはないのだが、殿下が世間話ついでにドヤ顔で語るらしいものだから、この奇妙な食前の儀式は密かに王宮で流行の兆しを見せていると聞いた。最近では騎士王陛下も始めたらしい。
ショウタも当たり前にやっていることではあるので、改めて教えて欲しいと言われると少し照れくさい。だが、小さく咳払いをして両手を合わせると、彼はもっともらしく厳かに、こう呟いた。
「いただきます」
マダム達もそれに倣う。
「いただきザマス!」
「いただきザマスー」
「いただきザマス」
ちょっと違う気がしたが、まぁ、いいだろう。大事なのはキモチなのだ。サウンは『けっ』などと吐き捨てながら、同調なんか絶対にしないぞとでも言いたげに、顔を逸らしていた。不良娘だなぁ、とショウタは懐かしそうに見守る。この年頃の少年少女は、訳もなく周囲に反発したくなるものであることだなぁ、と、自分のことを棚にあげて考えていた。
食事が始まると、ナイフとフォークを扱うカチャカチャという音がサロンに響く。サウンは片足を椅子の上に乗っけた姿勢の悪さを正し、ナイフをくるくると回すと、フォークで卵焼きを押さえ込んで手馴れたようにナイフの刃を沈み込ませた。意外と、食器の使い方が丁寧だ。他の伯爵夫人たちと比べても、テーブルマナーに遜色は見られない。むしろ、ショウタの方が下手なくらいだった。
ひょっとして、いいところの娘さん?
お嬢様が不良少女に転身したのなら、それは実にステレオタイプというか、テンプレートなお話だ。〝行儀良さ〟に対するせめてもの反抗か、サウンは大きめに切り分けた卵焼きを、ぐわっと口を開けて放り込もうとし、そこでショウタの視線に気づく。
「あ? なんだよ」
「なんでもないです」
「なんでもねーなら見るンじゃねーよ。キモチ悪ィんだよ。イカ臭ぇ目つきしやがって」
散々な言われようだ。
「ここって、内陸国なのにそんな慣用句があるんですね?」
「北方のゼルガ山脈から東部の高原にかけて、大型の陸上頭足類が生息しているんザマス」
「へー」
陸棲のイカとは驚いた。故郷でもそんな本があった気はするが、あれは未来を描いた空想の話であって、実在はしなかったのだ。機会があるなら、お目にかかってから帰りたいものである。あとでリストに付け加えておこう。
話題が自然に切り替わっても、サウンの不機嫌さは変わらない。彼女は内部に溜め込んだ鬱屈とした気持ちを言葉の槍に乗せて、ショウタをチクチクと突き刺しにかかった。
「ナヨナヨヘラヘラしやがって、見てるだけで腹が立つんだよ。男ならもっとシャキッとしやがれ」
「そーやってブツクサ文句言うのもだいぶ女々しいと思うんですけどぉー」
「あ?」
「お?」
サウンが三白眼を作ってじろりと睨んできたので、今度はショウタも同じ表情で威嚇し返した。粗悪な喧嘩を買ってもいいことはないが、舐められっぱなしはちょっぴりイヤだ。
「サウンちゃま、喧嘩はダメザマス」
そうした中、ポトフを口に運びながら、マダム・フェイルアラニンが言った。
「ご紹介が遅れたザマス。こちら、王宮でも有名な宮廷魔法士のショウタ様ザマス。馬車の中で聞いた話の、お力になってくれるかもしれないザマス?」
「はぁ? こいつが? こんなのが?」
サウンは露骨に疑いの表情を作りながら、ショウタを指さす。ショウタはマダムのフォローに少しばかり溜飲を下げながら、頷いてみせた。まぁ、魔法士と言いつつ魔法は使えないのだが。おそらく魔法のことがまったくわからないサウンあたりを騙すのには、なんの問題もないだろう。
サウンは瞳から懐疑の色を晴らすことなく、ショウタのことをジロジロと眺めた。このあたりで、ようやく彼も、マダムがサウンを連れてきた意味を理解する。彼女は何かしら困っていることがあり、それを見かねたフェイルアラニン伯爵夫人が、ショウタと、あともしかしたら殿下の助力を仰ぐことを思いついた、といったところだろう。
「その、馬車の中のお話ってなんです?」
そうであれば、話を聞くのもやぶさかではない。ショウタが尋ねるとサウンはやや気まずそうに目をそらした。
「どーせ話しても信じてもらえねーし……」
「アタクシは信じたザマス?」
頬張った卵焼きを嚥下し、マダムは優しい声で言う。
「最初から諦めるのはよくないザマス。それに、聞いた話が本当なら、それを放置しておくこともいけないザマス。魔法士様は、きっと力になってくれるザマス」
「なんかすごいプレッシャーかかってくるざます」
ショウタは淡々と食事を続けながら呟く。そのショウタをもう一度、ちらりと見て、不良少女はまずこう尋ねた。
「笑わねぇだろうな」
「聞いて見なければわからないですけど、とりあえず僕は、真面目に聞く気ですよ」
そこでサウンはようやく、躊躇いがちながら口を開く。彼女から飛び出した言葉はこうである。
「地下水道で怪物を見たんだよ」
サウン・ブラウンをはじめとした少年窃盗団グラスイーグルの面々は、労役刑の一環として王都外郭放水路の調圧水槽を開門するように、担当する警邏騎士から命じられたらしい。
トドグラード用水路から王都の地下水道へ大量に流れ込む水を調整し、周囲の川へ放水するのが王都外郭放水路の役目だ。今回のように、集中豪雨によって激しい増水が起きた場合は、調圧水槽を開門して水の勢いを調節する。地下河川であると同時に巨大な洪水調節池としての機能を持つのが、王都外郭放水路というわけだ。このあたりは、夫や父に貴族院の王都水道局関係者を持つマダム達が説明してくれた。さすがに、文化人を目指すだけあって、ここのマダムはインテリ揃いである。
ショウタの故郷にも、似たような設備はあった。こうして考えると、文明レベルの発達具合は、実はそう変わらないな、と思うところがあってショウタも感心を隠せない。まぁ、伝統騎士達のデタラメなフィジカルとバイタリティがあって始めて実現する設備であったのかもしれないが。
ともあれ、サウン達は渋々とその任務を承諾し、地下水道へと潜った。カンテラの小さな灯りと地図を頼りに、ジメジメとした薄気味悪い水道を歩く。その先で、調圧水槽の門のひとつをようやく見つけ、さっさと終わらせて帰ろう、と思った矢先に、サウン達は見つけたのだ。
人間の高さほどにも満たない、不気味な影。暗闇に爛々と光る双眸と、ねじくれた牙を持つ異形だ。口元からは黒い吐息が覗いていた。だらりと伸ばした腕は、床を擦るほどに長かった。怪物の、人語に尽くしがたい咆哮を聞き、サウン達は一目散に逃げ出したのだという。
サウンの臨場感溢れる語りに、貴婦人たちは思わず食を止めていた。
サウンらは、この件を即座に担当騎士であるファルロ・バーレンに報告したが、とりあってはもらえなかった。日頃の行いから嘘つきの烙印を押され、不本意な思いを胸に豪雨の中を彷徨っていたところ、マダム・フェイルアラニンに拾われたということだ。
「怪物、ですかぁ……」
ショウタはのんびりとした声で言い、サウンにキッと睨まれた。
「ンだ? 偉そうなこと言っておいて、てめーも信じねぇってか?」
「信じるか信じないかで言えば、信じますよ?」
どちらかといえば、ショウタが気になるのはその怪物の全貌の方だ。爛々と光る赤い瞳に、捻くれた牙、黒い吐息。ゴブリンに見えて、その実、一般的なゴブリンよりはふた回り以上も大きく、そしてその人語に尽くしがたいという咆哮。
すべてを繋げて考えるのは無意味であるかもしれないが、ショウタが思い出したのは、先日あいまみえたばかりの、袈裟懸けという怪物である。ショウタの右腕を折ったのも、その袈裟懸けであった。
袈裟懸けと同様の特異個体が、王都の地下に潜んでいるのだとすれば、それは恐ろしいことである。
「魔法士様は、やはりサウンちゃまの言うことは事実だと思うザマス?」
マダム・フェイルアラニンの言葉に、ショウタは頷く。
「まぁ、そこまで必死に嘘をつく理由もないと思いますしね……」
どれだけ真実を主張しても信じてもらえない彼女の気持ちは、わからなくはない。不良少年、不良少女というのは得てしてそうしたものだ。道を踏み外すのが先か、あるいは周囲に裏切られるのが先か。その前後は極めて曖昧だが、結局、心中に生まれた不信と猜疑が正道を歩かせてはくれなくなる。ショウタにはその気持ちが、わからなくはない。
今はだいぶ遠くなった故郷の光景が、ふわりと脳を掠める。
「本当に信じてるってんならよ……」
まだどこか、ショウタのことを信じられていない目つきで、サウンが言った。
「アタシと一緒に、確かめに行ってくれよ」
「僕がですか?」
「てめー以外に誰がいんだよ。信じてくれんだろ? 証人としてさ、ファルロのおっさんを納得させてくれよ?」
ふん、と、サウンが鼻を鳴らす。
「それともなんだ? やっぱ信じてくれねーか?」
信じればこそ、無闇な危険を冒すべきではない、と考える。だがショウタは、サウンの疑り深い瞳の中に、小さな怯えを見つけてしまった。まいったな、と頭を掻く。彼女の微妙なスレ具合は、昔の自分によく似ている。ここまでわかりやすい不良だったとは言わないが。
ちらり、と彼女の反対側を見ると、厚化粧に塔のような髪型をしたマダム・フェイルアラニンも、何か期待するような眼差しをショウタに向けていた。
「わっかりました、行きましょう」
ため息をつくより早く、ショウタは言葉を発することにした。
「え……?」
サウンは、自分が言い出したくせに、ぽかんとした表情を作る。
「それにあたり、約束がいくつかあります」
ショウタは彼女の呆けるような顔にはとくにツッコミを入れず、人差し指を立てた。
「まずひとつ、勝手に先走って、危ないことはしないように。危険だと判断したらすぐに帰ります。いいですね?」
「お、おう……」
さらにショウタは、2本目の指を立てる。
「もうひとつ、怪物の痕跡を見つけたら、すぐに引き返して、騎士隊の詰所にいくこと。怪物の力は未知数ですから、必ず僕があなたを守りきれる保証はないのです」
「ていうか、マジでついてきてくれんの? マジで?」
「マジもマジの大マジですよ。それとも、やっぱり嘘なんですか?」
「嘘じゃねーよ! こっちもマジだよ! マジのマジの大マジだよ!」
「なら、いいじゃないですか」
ショウタはあっさりと言った。そのまま、フェイルアラニン伯爵夫人に向き直る。
「殿下への書き置きを残しておくので、代筆をお願いしていいですか?」
「あら、魔法士様、文字が書けないんザマス?」
「読めるんですが、書けません。無学なものでして」
へらへらと笑って頭を掻く。姫騎士殿下に無断でキケンなことをするのは気が引けたが、彼女にわざわざ断りを入れに行く時間はないだろう。それに、王宮で用を済ませた殿下がこちらに戻ってきて、ショウタの書き置きを読めば、彼女の立場から騎士団を動かしてくれるはずだ。場合によっては、こちらから騎士団の詰所へ向かって、怪物の存在を信じ込ませるよりは、はるかにスムーズにことが運ぶ。
サウンがショウタを見る視線は、不信から不審に変わっていた。こいつ何を考えているんだろう、てなもんである。彼女も随分と面倒くさい思考回路をしているらしい。そのへんもふくめて、ショウタは過去の自分を思い出し苦笑いを隠せない。
「おい、てめーさ。ひとつ聞いていいか」
「僕はショウタですが」
「なんでもいいんだけど、」
サウンは吐き捨てるように言って、テーブルの上の皿をひとつ掴んだ。
「なんでこんなに卵焼き甘く作んだよ」
「甘いのが好きだからですよ」
姫騎士殿下にも食べさせてあげたかったなぁ、と思いつつ、ショウタは当の殿下へあてた書き置きの内容を、フェイルアラニン伯爵夫人に伝えた。
その通達は、すぐにファルロ・バーレンの勤務する警邏騎士隊詰所にも届けられた。天剣護紋が捺された書簡を、ファルロは少しばかり複雑な表情で受け取る。そろそろ勤務時間も終わりであったのだ。このタイミングで、王族騎士直々の通達が書かれた書簡というからには、あまり、いい予感はしない。
「サウン、戻ってこねーなー」
「そーだなー」
詰所の片隅のソファで、イーノとヒューイの2人が腰掛けながら天井を見上げている。これ以上詰所にいられても迷惑ではあったのだが、この雨の中追い出す気にもなれず、サウンが戻ってくる可能性もあったので渋々ながら許可していた。もちろん、彼らの言葉通り、今のところサウンが戻る気配はない。
サウンのことを言いすぎたな、と思う反面、あの不良娘にはあの程度いい薬だろう、とも思う。彼女のおかげで、いままで散々辛酸を舐めてきたのは確かなのだ。個人的な恨みというよりも、彼女がこれから先、周囲にかける迷惑や、そこで生じる手痛いしっぺ返しのことを懸念すればこそ、これ以上甘い顔はできない。実際、王都地下水道に怪物がいるなどと、ファルロにはどうも信じられない。
イーノとヒューイは、その件についてあれ以上何かを言ってくることはなかった。サウンの言っていることが本当だとも、嘘だとも言っていない。このあたり、ファルロはあの2人からあまり信頼されていないのかもしれなかった。
「サウン、一人で暴走したりしてねーといいなぁ……」
「また一人で地下行ったり?」
「そうそう、あいつ、そういうところあるじゃん……」
「だったら、ちょっと心配だな……」
「なー」
この会話すら、ファルロをからかう演技であるのか、あるいは本心からのものであるのかハッキリしない。ファルロは、小さくため息をつきながらデスクに戻り、受け取った書簡を丁寧に開いた。
「どれ……」
書簡に捺された天剣護紋には、今代騎士王の権力を示す七本剣の代わりに、高々と掲げられる一本の剣が確認できる。これはアリアスフィリーゼ姫騎士殿下の紋章だ。騎士王陛下ではなく、姫騎士殿下から書簡が来るのは珍しい。
ファルロは、先日のバザー会場での一件を思い出していた。サウン達グラスイーグルのメンバーをとっ捕まえることができたのはあの日だが、そこには姫騎士殿下の助力があった。殿下が、幼少時にわずかに出会ったことのある自分のことを覚えていらしたのは、ちょっぴり感動的であった。
まぁ、今はそんな感傷はどうでもいいか。ファルロは内容に視線を移す。
書かれているのはおそらく姫騎士殿下の文字ではないが、一語一句、丁寧に彼女の言葉を写したものであった。文章を追ううち、ファルロの眉間には皺がよりはじめ、途端、電流が走ったかのように身体を反らせた。内容は、それほどまでに、彼にとって衝撃的だったのである。
王都の西側で発見された、ゴブリン特異個体。それがヒンバス川に繋がる放水路を通って、王都へ侵入した可能性があることを示す文書であった。さらに、警邏騎士隊、王立騎士団には、緊急時に即応できるよう防衛準備を整えておく旨が通達されている。都市防衛指令。簡易的にではあるが、これは騎士王陛下の正式な認可を受けた作戦文書であった。
だが、ファルロの目を引いたのは、そのゴブリン特異個体に関する詳細な記述である。その外見的特徴は、サウン・ブラウンが口にした〝怪物〟のものと合致していた。
まさか、とは思う。だがもしも、サウン達が地下水道で出会った怪物が、〝それ〟であるならば。
ファルロはおもむろに立ち上がり、ソファでくつろぐ2人の少年のもとに、その書簡を持っていった。文書の内容は機密扱いだ。だが、ファルロは湧き上がる予感を抑えきることができず、書簡と共に添付されていた1枚のスケッチ画を、少年たちにつきつけた。
「おい2人とも、お前らが地下で見たっていうのは、こいつか?」
イーノとヒューイは少し驚いた顔をみせ、だがすぐさまデザイン画を食い入るように見つめた。その後に、こう答える。
「確かにこんな感じだった気がする……」
「なんだよおっさん、急に信じる気になったのか?」
ああ。
なんということだ。
ファルロの頭をとてつもない後悔が掠める。自分は、この少年たちの真実の告白を、見抜くことができなかったのだ。最初から嘘と疑って決めつけ、心無い言葉で、サウンの孤独をなおさらに苛んだに違いない。
ファルロの立場にたってみれば無理からぬ話である、とか、いままで散々嘘をついてきた彼女たちが悪い、とか、そうした言葉の一切は、ファルロの苦悩を解決しない。この人の良さこそが、ファルロをそのキャリアと実力の割に小隊長止まりたらしめている原因のひとつなのだが、とにかく彼は頭を抱えた。
だが、苦悩している時間はない、という事実が、ファルロを突き動かす。彼は自らの騎士剣を引っつかみ、左腕にバックラーをはめた。部下の一人に声を投げる。
「おい、シェイラ! 俺は少し出かけてくる! 詳しいことは姫騎士殿下からの書簡に書いてあるが、あとは任せた! いいか、デフコン2だぞ!」
「えっ、しょ、小隊長!?」
女騎士は、今にも飛び出そうとする上司の言葉に動揺を隠せない。
「おいおっさん、なんかあったのか?」
ファルロ・バーレンが見せた、わかりやすいまでの態度の変化に、ヒューイが怪訝そうな顔を作る。
「お前らの見た怪物とやらが、どうやら本当に地下にいるらしいんだよ!」
警邏騎士隊の正装は軽装だ。視界を大きく確保するヘルムと、ポイントアーマーなどを装着し、ファルロは完全な戦闘態勢を整える。ゴブリンなどと戦った経験どころか、人間相手にもまともな戦闘をしたことがないファルロだが、ここは居ても立ってもいられない。
理由となればひとつだ。
「サウンのことだから、また一人で地下に行ってるかもしれんだろうが! クソッ、俺が信じてやればな!」
ファルロは雨の中、勢いよく外に飛び出す。そのまま顔だけでイーノ達に振り返り、叫んだ。
「おい、お前らはちゃんと詰所で待ってろよ! サウンを連れてすぐ戻るからな! 絶対地下水道に来るんじゃないぞ! 絶対だぞ!」
王都警邏騎士隊小隊長ファルロ・バーレンは、その言葉だけを残して豪雨の中へと消えていく。詰所の中では、シェイラが書簡を眺めて青い顔を作っていた。イーノとヒューイは顔を見合わせながら、こんな言葉を交わす。
「で、どうする?」
「どうって……。そりゃ、行くだろ」
「地下水道に?」
「いや」
イーノの言葉に、ヒューイは目を細めた。
「サウンの性格だろ。一人じゃ怖くて地下水道行けねーんじゃねーの」
「俺もそう思うんだけど」
2人は並んで詰所の外を見る。降りしきる豪雨の中に、既にファルロの背中を見つけることはできない。なんというか、彼も相当思い込みの激しい男だ。自分の中で勝手に決めつけて、いもしないであろうサウンを追いかけて行ってしまった。
「まぁいいや。俺たちも、サウン探そうぜ」
「だなー」
2人の少年も、詰所の中で慌ただしく動く警邏騎士たちに小さく挨拶して、豪雨の中に飛び出した。
明日から、いつもの更新時間に戻りたい(願望)。