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第2話 彼女はそれを我慢できない

「こちらです、騎士様」


 戸を叩いた娘の名はシェリーと言った。この村の村長の娘で、姫騎士殿下アイカ・ノクターンによって、危ないところを救われた身でもある。いささか垢抜けない印象はあるものの、野に咲く花を思わせる可憐さがあった。


 西にそびえるデキシオ鉱山に、夕日が引きずられていくのが見えた。黄昏の赤い闇が、徐々に村を覆いつつある。夜の帳が落ちれば、賊も活動しやすくなる。襲撃の危険性が高まるのはこれからだろう。

 村は周囲を柵と堀で囲った環濠集落であり、物見櫓も立っているため、守りにはやや強固だ。村の入口には篝火が焚かれ、見張り役に男数人が立っていた。先ほどショウタをふん縛った者もおり、こちらに気づいて気まずそうに会釈をしてきたので、ショウタは気にしていないといった笑顔で丁寧に頭を下げた。


「塊村ですね」


 アイカがぽつりと漏らした言葉は、ショウタには聞きなれない音である。


「かいそん?」

「自然発生した村落のことです。フラクターゼ伯爵は計画的な村落の開拓に執心しているので、領内には列村が多いと聞くのですが、ここは例外的ですね。この付近には、トドグラード用水路から自然に分岐した川がありますから、利水的に優れた土地であるのが理由でしょう」


 脳内の知識と、そこからくる分析をよどみなく語る彼女の横顔は実に理知的だ。これもまた、姫騎士殿下の本性であることには相違ないのだろうが、普段のぽんこつっぷりばかりを目の当たりにしていると、なかなか新鮮に感じてしまう。


「(美人で、優秀なんだけどなぁ……)」


 と、ショウタも思わざるを得ない。


「川は鉱山付近を経由して流れていますから、水にはリンやカリウムなどが微量に含まれているはずです。この周囲の土地が肥沃なのも頷けます。きっと、さぞかし美味しい作物が育つのでしょうね……」


 最後の食い意地が張った一言は、うっとりとした声音で放たれた。まぁ結局はじゃじゃ馬殿下でぽんこつ殿下ではらぺこ殿下だ。こんなもんである。


 シェリーに案内されて、アイカとショウタは村長の家にお邪魔した。


「お邪魔致します。ご馳走に預かりにまいりました」


 気品と食い意地を併せ持った言動が、こうまでサマになる人物というのも、そうそういるものではないだろう。


「おお、騎士様、それにショウタ殿も。お待ちしておりましたぞ」


 村長と、おそらくその夫人と思しき女性がにこやかな笑顔で出迎えてくれる。家の中からは、胃袋を刺激する香りが玄関まで届いていた。宮廷で振舞われるメニューのような上品さはないが、ほっと息の付けるような懐かしい匂いである。

 村長一家に案内されるまま、アイカとショウタは食卓へ向かう。テーブルの上には、おそらく村で採れたであろう作物を中心とした料理が並んでいた。肉は鳥と思しきものが2皿だけ用意されていた。全体的に煮込みもの、汁ものがメインのようである。


貴族騎士ノブレスの方のお口に合うかはわかりませんが、家内と娘が腕を振るった料理です。召し上がってください」

「ありがたく頂戴いたします。さ、ショウタも」

「あ、はい。いただきます」


 促されるままにショウタは椅子に座り、両手を合わせて頭を下げる。それを横目に、アイカもまったく同じ仕草をしてみせた。村長一家は不思議そうに眺めている。


「不躾ですが、貴族様の習慣かなにかですか?」

「そのようなものです。わぁ、美味しいですね!」


 にわかにテンションを上げる姫騎士殿下アイカだが、その気持ちもわからないではない。実際、ショウタも思わず目を剥くほど、出された料理は美味であった。

 味付けがやや大雑把なのは、おそらく鉱山都市の炭鉱文化に由来するものであろうが、その中で素材の味を最大限に引き出す努力が為されている。大雑把と言っても、香辛料やハーブなどを使わないということであって、逆に言えば肥沃な土地のおかげでそうしたものに頼る必要がなかったということなのだろう。作物を長時間煮込んで作られたダシは、その代わりを十分に果たしている。素朴だが、美味い。


「あの、ショウタ様は、お口に合わなかったですか……?」


 無言でしばし手を止めた彼を見て、娘のシェリーが覗き込むように言った。


「気になさらないでください。ショウタは美味しい料理に出くわすといつもこうなのです」


 アイカが澄ました顔でそう言って、ショウタの前に置かれた雉のスープ煮に手を伸ばしてきた。ショウタは意地汚い手をぺちんと払いのける。笑顔で『美味しいですよ』というと、シェリーはようやくホッとしたような表情を作った。


 しばし、食卓を囲っての団欒が続く。村長夫人が『ショウタ殿も料理をなさるのですか?』と尋ねてきたので、曖昧にぼかそうとしたところ、アイカがすかさず『屋敷では気がつくと、しれっと厨房に混ざっていたものです』と、余計な情報を開示してくれた。『屋敷』を『王宮』に置き換えると、事実そのまんまになる。

 加えて殿下アイカは『でも卵焼きだけを作らせてはいけません。すごく甘く作るんです』と、更に余計なひとことを付け加えてきたので、ショウタはしばし、村長夫人やシェリーと料理談義に花を咲かせなければならなかった。


「時に、騎士様」


 話題の途切れ目、村長が神妙な顔で言った。


はひはいふぁんふぇふぉうなんでしょう

「飲み込んでからお話しましょうね、で……お嬢様」


 アイカは咀嚼中の料理をごくんと嚥下してから頷き、村長に続きを促した。


「賊のことなのですが……、まさか、お一人でお相手なさるつもりではありませんな?」

「一人で片付けます」


 しれっと言うのだから、大したものだ。村長はあんぐりと口を開けた。


「数にもよりますが。シェリーに襲いかかった人数に、4、5人足したくらいの相手ならば、問題ありません。今はお腹も膨れていますからね」


 殿下アイカの言葉に嘘はあるまい。なにせ彼女は、王国最強の一人たる〝剣聖マイスター〟ゼンガー・クレセドランをして『いずれは帝国皇下五剣にも入れる腕前』と称されたのだ。同時に『その腕前を活かす脳味噌が備わっていない』とも称されたのではあるが。

 まぁ、姫騎士殿下の武勇を語る剣聖の言葉には、更なる続きがあるのだが、それはここで話すことでもないだろう。ショウタは、村長の訝しむような視線が自分にも向けられたのを見て、


「アイカお嬢様はお強いですよ」


 とだけ答えておくことにした。


「そ、そうですか……」


 村長は、アイカに比して常識をわきまえているらしいショウタもまた、彼女の勝利を疑っていない様子を見て、なんとか納得しているように見えた。


「見張りの方が、村の入口のいらっしゃいましたね。最近は警備を強化なさっているのでしょうか」

「そうですな。もともと、魔獣や賊などの出やすい地域でしたので、交代制の見張り番はおったのですが……」


 村長の話では、組織だった盗賊団が頻繁に出現するようになった一ヶ月ほど前から、見張り番の数を増やしたのだという。が、当然、大の男が数人、夜通しで村の出入り口や物見櫓の上に立つわけであって、日中の作業への影響も徐々に出始めている。

 領主たるフラクターゼ伯爵が動く様子も一向になく、野盗に怯える日々がいつ終わるのかわからない。この辺の事実が、精神的な疲労にもつながっており、そこに腕の立つ修行中の貴族騎士ノブレスが姿を見せたので、協力をお願いしたという次第らしい。


「連中は、やはり村を襲いに来るでしょうか……」


 村長が怯えた声で尋ねる。アイカの返答は、ともすれば冷淡とも取れる色合いを含んだ。


「来るでしょう。頻繁に村の周囲に姿を見せているのは、警備の人数を把握するためでしょうし」


 彼女はここで言葉を止めたが、『でしょうし』の次に来る一文があることも、ショウタには想像がついていた。森の中にいた野盗が盗賊団の仲間ならば、彼らは村娘シェリーに手を出そうとした結果、姫騎士殿下アイカに手痛く成敗されたわけで、村に対して逆恨みのような感情を抱くはずだ。村長達は知らないことだが、その鬱憤をショウタにぶつけようとした彼らは、二度目のお仕置きをくらっていた。フラストレーションは溜まっていると思われる。

 アイカがそれを口にしなかったのは、シェリーに責任を感じさせないためだろう。


「ご心配なく。賊が村を襲うようなことになったら、皆さんはしっかり隠れていてください。体格のよい男性の方々を、何人かお借りするかもしれませんが、それでも危ないことはさせません」


 アイカは、ナイフとフォークを置いた。食器同士のぶつかりが、かちゃり、という音を立てる。

 彼女の前に置かれた皿は、すべて綺麗さっぱり片付いてしまっている。もちろん、ショウタのものも同様だ。いささかばかり物足りない量ではあったが、村長の好意で出された料理に不満を言えるようなものではない。量が気にならないほど美味かったのも、また事実なのだ。


 アイカがぺこりと頭を下げる。


「ごちそうさまです。大変美味しゅうございました」


 そう言って席を立った彼女は、直後にバランスを崩して、思いっきりずっこけた。





 夜になる。村の出入り口では、数人の男たちがクワやカマなどを持ったまま外に気を配っている。


 アイカとショウタが宿として借りたボロ屋には、ベッドがひとつしかない。一緒に寝ましょうという言葉を振り切るのに、ショウタは多大な苦労を要した。見張り番で家を空ける男の家から、ベッドをひとつ借り受けて、ひいこらひいこら言いながらボロ屋の中に運び込む。


「お帰りなさい、ショウタ」

「ただいま戻り……うわぁっ」


 出迎えてくれた姫騎士殿下は、肌着姿だった。

 どういうことだ、痴女か、などという失礼なことは思わない。ショウタの頭の中に真っ先に浮かんだ言葉は『ありがとうございます』だったが、かぶりを振ってその言葉を脳から追い出す。殿下のお召になっていた白磁のアーマーは、ガントレットやブーツなどを含め、すべて外され、床に置かれている。

 余談になるが、姫騎士の正装として作られたわけではない、殿下個人の特注品であるこの鎧には、貴族騎士ノブレス伝統騎士トラディションが装備に用いる紋章が見られない。上品なデザインや高級そうな作りから、村人は貴族騎士ノブレスという殿下の自称を疑わなかったのであろうが、少し知識のある人間が注視すれば、彼女の嘘はバレてしまいかねない。


 まぁそんなことより殿下の御姿だ。


 まず流れるように美しい金髪と、鎖骨から胸元にかけての山なりの線に目を奪われがちだが、なにせ王宮内では普段、ドレスないしドレスアーマーをお召になられている姫騎士殿下である。腰から脚線にかけての優美なラインは、ショウタも始めて目撃するものだった。露出は少ないが、ランプが照らす薄闇の中に淡く浮かび上がるアリアスフィリーゼ姫騎士殿下の身体は、健康的かつ艶かしいという、相反する二つの要素を絶妙なバランスで両立させていた。

 彼女の足元には木製のバケツが置かれ、その手には麻布が握られている。どうやら身体を拭いているらしかった。日中は鎧を着てずうっと歩きっぱなしだったのだから、汗も掻いたし疲れたといったところだろう。王宮であれば盛大に行水もできるが、こんなところではそうもいかない。


「本当は、近くの川に行って直接水浴びしたかったのですが……」


 わけでもないらしい。ごしごしと腕をこすりながら、殿下は言った。


「どうしてそうしなかったんです?」

「川の水は村の方々の生活用水のようですし、何よりショウタに怒られると思いましたので」

「わかってんじゃないですか……」


 もしも姫騎士殿下が鎧をボロ屋に置いて肌着で村を飛び出し、近くの川でキャッキャウフフと行水に戯れるようであれば、ショウタは宰相ウッスア・タマゲッタラの代理として雷鳴のごとく殿下を叱りつけたことであろう。恐れ多くも王族騎士ロイヤルがこのような場所で肌を晒すものではない、何をお考えなのか、と。

 まぁそれも含めてショウタは『ありがとうございます』だが、いちおう彼にも立場というものがある。姫騎士殿下の蛮行は、行き過ぎるようならば止めなければならない。この国の未来にも関わるし、ひいては、ショウタ自身の生活にも関わるのだ。


「ひとまず野盗がいつ襲って来るかはわかりません。ショウタ、ずっと起きているのもテですが、ここはあえて寝ましょう」


 呑気なことを言いながら、殿下は肌着をまくりあげる。無駄な肉の一切ない、つるりとしたお腹のラインがあらわになって、ショウタは思わず目をそらした。引き続き、ごしごしと身体を拭く音だけが耳朶を揺する。これはこれで変に想像を掻き立てられて、危ない。


「ね、寝ますか。殿下」

「はい。寝るのです。夜は、眠いですからね」


 身体を拭く音が止む。殿下はバケツに布を浸し、ぎゅっと水を絞ってからショウタに投げてよこした。普段であれば行儀を気にして丁寧に手渡してくるところだが、旅先でだいぶ開放的になっているらしい。


「ショウタも、きちんと身体を拭いてから寝ること。よいですね?」

「こっ、これで拭くんですか!?」

「他に布がありますか?」

「ありませんが! こっ、これでですかっ!?」


 確認をとるまでもなく、これは、恐れ多くも姫騎士殿下の地肌を直で貼っていた布である。それで身体を拭けという命令は、ともすれば苦行に等しい。何が苦行かって、アレだ。胸の高鳴りと湧き上がるリビドーを押さえ込むことがだ。ショウタ・ホウリン。思春期真っ盛りの健康なオトコノコである。下半身は毎朝元気だ。

 姫騎士殿下はそうそうにベッドに潜り込んでしまい(当然肌着のままだ)、『拭き終わったらランプ消しておいてくださいねー』などと、呑気なことをのたまっている。


 さて、ショウタだ。

 彼は麻布をしばらく握り締めて呆然としていたが、固く絞られたそれを開き、勢いよく顔を押し付ける。

 そのまま深く息を吸おうとして、やめた。なにか大切なものを失ってしまうような気がした。殿下の言いつけを守り、顔をごしごしと拭くにとどめた。殿下が御身のどのあたりまでこの布で拭かれたのかは、極力考えないように務めた。


 ひとしきり汗と垢を拭き取った後、ショウタはバケツの中に布を突っ込んで、やけくそのようにベッドへ潜り込んだ。





 眠れなかった。


 身体がじんじんと熱いのである。拭いたはずの汗が後から後から出てくるのである。耳をすませば、虫の音色やフクロウの鳴き声に混じって、しばし離れて寝ているはずの姫騎士殿下の寝床より、寝息やら、衣擦れの音やら、ひどいときには艶っぽいうめき声などが聞こえて、ショウタの心を苛むのであった。

 あと、あの布で身体を拭いたのはやはりよろしくなかった。一人静かにしているときに殿下の寝息が聞こえたりなどすると、いやがおうでもあの薄明かりの下の魅惑的なボディラインがはっきりと想起されてしまって、加えて、ああ、あのふたつの山を拭いた布で自分の身体を拭いたんだなぁなどという考えに至ると、もう、ヤバい。思春期大爆発である。


 いっそすぐにでも盗賊が襲いに来てはくれないだろうか、などと、不謹慎なことまで思う始末であった。


 落ち着こう、落ち着こうと思うごとに研ぎ澄まされ、鋭敏になっていく感覚は、ふと、殿下の寝息に混じって奇妙な物音を捉える。毛布の中で膝を抱えていたショウタは、手を解き、訝しげに顔をしかめてベッドから這い出た。

 こん、こん、というノックのような音だが、ドアからしてくる音ではない。音の出処は窓だった。よくよく聞いてみれば、拳で木の板を叩くような音でもなく、どちらかといえば小石をぶつけた時のそれであるように感じる。


 殿下を起こさないよう、忍び足で窓に近づき、開こうとした時だ。


『そのままお聞きください、ショウタ殿』


 音を潜めた少女の声音が、彼の鼓膜に届いた。ショウタはぴたりと手を止め、しばらく考え込んでから、やや困惑気味に尋ねる。


「ひょっとして……密偵みっちゃんですか?」

『はい、密偵のみっちゃんであります』


 奇妙だが丁寧な言葉遣いとは裏腹に、極端に抑揚の薄い声は、殿下と違って冷淡な印象が強い。


 騎士王国宰相ウッスア・タマゲッタラ子飼いの密偵だ。ショウタは顔を知らないし、声を聞くのも始めてだったが、宰相の他に姫騎士殿下個人ともそれなりに親しいという話を聞いていた。今回、殿下に盗賊団の情報をリークしたのも、おそらくはこの密偵みっちゃんだ。

 姫騎士殿下は、ウッスア宰相らに今回の行動が露見すことを恐れているようだが、みっちゃんがここに来た時点で、既にバレているのだろうな、と思う。名前を偽るのも無駄な努力だった。まぁ、〝アイカごっこ〟も、殿下はそれなりに堪能されているようなので、別にいいのだが。


『盗賊団の動きを伝えに参じました次第であります』

「あら、それは」

『盗賊団の一部の戦力が、既にこちらの村に向けて東進を始めています。半刻後には到着するでしょう』


 淡々と告げる声音から、事態の切迫した状況を解するのには、しばしの時間を要した。


「あ、あまり猶予ないですね……」

『急でありました。敵の人数と構成、リーダーを記したのでお渡しするであります』


 す、

 と、窓の隙間から一枚の書簡が渡される。受け取った。開いてみれば、敵の勢力構成の詳細が実に丁寧に書かれていた。みっちゃんは続けて、緊張感のあるひとことを放つ。


『次に、宰相閣下からの伝言を伝えます』

「は、はい」

『殿下に危険のなきよう。王立騎士団を手配しているので、決して先走らぬよう。以上です』

「お、お説教は?」

『お二人が戻られたら、たっぷりと』


 やはりそうなるのか。ショウタは暗澹たる気持ちになる。見るからに温厚そうなウッスア宰相だが、あれがなかなか、怒ると怖いのだ。

 ともあれ、王立騎士団が動き出したのならば、無理に盗賊団を壊滅させる必要はない。村を襲った連中を叩きのめすなり、追い返すなりした後は、騎士団が彼らの本拠に雪崩込むのを待てば良いのだ。殿下が決して先走らぬよう、上手くコントロールするのがショウタの仕事、ということになるのだろう。


 止められるだろうか。あの、姫騎士殿下を。


 毛布にくるまりのんきな寝息をたてている殿下を見やり、ため息をつくショウタだ。だが、みっちゃんの言葉には続きがあった。


『ショウタ殿、このことは殿下にはお伝えせずにお願いしますが』

「なんでしょう」

『盗賊団を裏から動かしているのは、メイルオ領主フラクターゼ伯であります』


 言葉の意味を理解し、ショウタは思わず息を呑む。みっちゃんは更に続けた。


『盗賊団による実害が出ても、王宮への報告がありません。事実を隠蔽しているだけかとも思いましたが、伯爵から盗賊団に向けて武器の貸与があります。盗賊団は、伯爵の私兵と化している可能性があるであります』


 ショウタは王国の内情には、さほど詳しくない。だが、曲りなりにも爵位を持ち、一地方の政務を任せられている人間が、よもや賊と通じているなどとは。想像以上に根深い腐敗の病巣が、この国にはあるらしい。

 加えて、殿下にお伝えしないようにというみっちゃん、ひいては宰相の意図も、すぐに理解できた。このことを殿下が知れば、必ずフラクターゼ伯爵の屋敷に乗り込まんとするだろう。王族騎士ロイヤルが地方領主の屋敷に出向き、その悪行を成敗せんとするということになったら、きっと問題がある。それこそショウタのよく知らない、貴族間同士のアレコレやら、伝統騎士トラディション貴族騎士ノブレスの対立やら、水面下に存在した様々な問題が、これを契機に浮上しかねない。


『では、みっちゃんはこれで』

「みっちゃんはこれからどちらへ?」

『秘密であります。宰相直属の隠密機動でありますから、いろいろと』


 その言葉を最後に、窓の外にあった気配がふっと消えるのを感じた。


 さてさて、猶予はあまりない。殿下を先走らせないといっても、降りかかる火の粉は払わねばならない。みっちゃんがさっさとどこかへ行ってしまったのは、村を襲う盗賊程度ならば殿下(とショウタ)一人でなんとかできると踏んだからだ。敵の構成も、書簡によって丸裸になっている。なんとかなるだろう。

 そのためにもまず、殿下を起こさねばなるまい。

 ショウタは姫騎士殿下のベッドに近づき、毛布にくるまってこんもりと盛り上がった塊を、ぐいと掴んだ。


「あん……」


 くぐもった甘い声が聞こえて、思わず手を離した。

 再度、今度は恐る恐る手を伸ばして同じ場所を掴む。毛布と肉の向こうに、堅い骨の手応えがある。大丈夫だ。これは肩だ。肩。


「殿下、起きてください。殿下。半刻後には敵が来ます。殿下」

「うぅ……ん」


 睡眠中のうめき声というのは、なぜこうも艶っぽいのか。ショウタは、毛布を引っペがし、直接揺すり起こす作戦に出た。肌着一枚を隔てて、夜目に浮かび上がる姫騎士殿下の健康的な肉体である。極めて刺激的だが、ショウタはひるまない。三度肩を掴んで(しっとりと汗ばんでいた)、揺する。


「殿下、起きてください殿下! おい、殿下! こらぽんこつ!」

「むにゃむにゃ……もう食べられません……」

「これ以上何をお召し上がるというのか! 太りますよ、とんこつ殿下!」

「はっ!?」


 アリアスフィリーゼ殿下が跳ね起きた。周囲をきょろきょろと見渡して、怯えたような瞳でショウタを見る。


「しょ、ショウタ、いま、とんこつ殿下って……」

「おはようございます、殿下。いきなりですが、戦支度をしていただいても?」

「でもショウタ! いま、とんこつ殿下って!」

「幻聴です! 殿下のお腹はつるりとしていて素敵ですから! 僕見ましたから!」

「そうですか。結構」


 満足そうに頷いた姫騎士殿下は、ベッドから這い降りると、バケツに入っていた布を絞り寝汗を拭く。すぐにキリリとした顔立ちになるのだから、まったく切り替えが早い。


「戦支度と言いましたね、ショウタ。敵ですか?」

「いやえっと、半刻後に来るようです」

「なぜわかりますか?」

「それは、その、えっと。あれですよ。殿下のおっしゃるところの不思議パワーで、こう」

「なるほど」


 姫騎士殿下は納得したように頷き、床に綺麗に並べられていた具足へと手を伸ばした。

 本来、騎士が甲冑一式を身に付ける際は、お付となる従騎士エスクワイアの助けを借りる。殿下も王宮にいる時はそのようにするが、この特注甲冑は一人でも問題なく着付けが行えるようになっており、胴当てキュイラスから篭手ガントレット脛当てグリーヴと、殿下はてきぱきと装着していった。そもそもこれらの防具は重くて、とうていショウタが着付けを手伝えるものではない。


 数分もせぬうちに、純白の装甲に身を包んだ一人の女騎士が、そこに立った。


「どちらから来るかはわかりますか?」

「デキシオ鉱山の方から、メイルオット街道ラインをまっすぐに東進中です。街道沿いにあるいくつかの村は意図的に避けているみたいですね」

「数と構成は?」

「スケイルアーマーと蛮刀、棍棒などで武装した男が32人。全員馬に乗っています」

「ふむ……」


 姫騎士殿下は、白い顎を押さえ、しばし思索に耽った。


「ショウタはひとまず、村人を起こして、東側の家屋に避難させてください。体力のありそうな、若い男性がいらっしゃったら、西側の入口のところへ来させるように。私もそこにいます」

「せ、戦争ですね?」

「大層なものではありませんよ。しょせんはチンピラが吹っかけてきた喧嘩です」


 既に殿下の頭の中には、いくつかの策が出来上がっているのだろう。騎士王国の王位継承者として、幼少時より様々な学問を身につけてきた彼女だ。平和な場所でのんびりと暮らしてきたショウタには、及びもつかぬ知識や発想が、殿下にはある。土壇場でぽんこつエフェクトを発揮しない限り、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は優秀な戦士であり、軍師だ。


 土壇場でぽんこつエフェクトを発揮しない限り。


「ご心配なく、ショウタ」


 殿下は剣を片手に、にこりと微笑んだ。


「環濠集落は守りに適した村落形態です。地の利を活かす限り、こちらに負けはありませんよ」


 そう言って微笑んだ殿下が、歩き出した瞬間いきなりよろけるのだから、心配するなという方が無理な話である。

 しかも、ギリギリ転ばずに踏みとどまった彼女は、こちらを振り向いてドヤ顔まで披露する始末であった。

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