第30話 獣魔族総進撃
「総員、矢を放て!」
マーリヴァーナ要塞線の騎士達は、その多くが弓矢の扱いに習熟している。黒竜式戦術剣技を修める過程で、『弓を絞り、放つ動作』を身に付けることが肝要となるからだ。一部の伝統騎士のために製造されたリヴァーナ式合成弓は常人では引くことすらままならないが、凄まじい張力により高い威力と有効射程を有する、極めて重要な兵器である。
千騎士長シロフォン・サンダルフォンの号令を受けて、伝統騎士達が弓を引く。極限まで引き絞られ、放たれた矢は石垣すらもぶち抜いて、村落に立てこもるコボルト達へ降り注いだ。獣魔族達の悲鳴が響き、連中は村落の中を逃げ惑う。
だが、当然コボルト達もやられてばかりではない。オークやオウガといった、大型獣魔族に比べると非力なコボルトだが、彼らの長所はその多彩な戦闘手段である。人間の開発した武器を自在に操るだけの、道具に対する適応性がコボルトの特徴だ。時として、手先が器用でずる賢いゴブリンが群れに混じっていることがあり、その場合、集団戦における厄介さは更に際立つ。
今回、コボルトの群れの中にゴブリンは混じっていなかったが、彼らは即座に遠距離の攻撃手段に対し適応を見せた。それは投石という極めて原始的な手法ではあったが、獣魔族の強肩に加え、コボルトの本能から来る命中精度の高さは、人間の部隊にとって大いに脅威となる。
射撃戦となった場合、遮蔽物のない荒野側が不利となる。シロフォンは即座に兵を引かせた。前線で矢を番えていた騎士たちはみなベテランである。すぐさま、投石に怯える騎馬をなだめ、左右に分かれて距離を取った。振り向きざま矢をつがえ、曲芸撃ちとも言える芸当で投石攻撃を行うコボルト達に当てていく。
「損害は?」
「ありません。さすがにベテランの伝統騎士はよく働きますな」
「結構。攻撃を続けさせて」
シロフォンの問いに、壮年に差し掛かった騎士隊長がそう答える。彼を始め、貴族騎士の大半は部隊のやや後方に位置していた。身体能力で大きく引けを取る貴族騎士が矢面に立つことは少ない。下手に前線に出られても足でまといになるだけなので、伝統騎士からそこまで不満が噴出しているわけではない。まぁ、溝を作る一因にはなっているが。
コボルトの投石は次第に精度と飛距離を増していく。すぐさま武器への適応を見せ、練度を瞬く間に上昇させていくのが、彼らの恐ろしいところだ。
得物を構えた伝統騎士たちは、バックラーや刺突剣などで巧みに石を迎撃していく。いくらかは、彼らの鎧にあたりよろめかせるが、追撃は近くの騎士が弾くなど、リカバリー体制はほぼ万全だった。コボルトの投石はやがて伝統騎士達の盾をすり抜けて、後方に控えるシロフォン達のもとにも届くようになる。が、これほど距離が離れていれば、威力もスピードもだいぶ落ちて、当たったところでさほど痛くはない。
「ひいっ」
シロフォンの真横で、白馬にまたがった将校騎士が、怯えるように頭を抑えた。飛んできた石は、うねり癖のある金髪を掠めることもなく、やや後ろに着弾する。将校は騎馬に乗りながらも完全に腰が引けていた。
ディム・カウンテス・シロフォン・サンダルフォンはため息をつきながら尋ねる。
「大丈夫ですか? マーキス」
「う、うん? 大丈夫だ。何を、な、何を言っているのかね」
サー・マーキス・ヨーデル・ハイゼンベルグは、臆病である。貴族騎士というのはもともと戦いは苦手であって、多かれ少なかれそのような側面を持つが、ヨーデルの場合は少しばかり逸脱している。怯えはするが、パニックにはならない、というのが彼の優れた部分であって、指示自体は的確であるのだが。
「サンダルフォン伯爵、わ、わた、私が何かおびえているように、見え、見えるのかね?」
「失礼ですがだいぶ怯えてらっしゃいます」
「貴公は黙っていたまえ! サー・ヴァイカウント……あひいっ!」
騎士隊長の言葉に猛然と反論しようとしたヨーデルだが、額を掠める投石におもわず腰を抜かす。落馬しそうになった彼を、シロフォンがなんとか支えた。
「精度が上がってきましたな……」
「そうですね。マーキス、コボルトの適応速度というのはこれほどの……?」
「ど、道具を扱うことに関してはな……」
震える声で頭を押さえながら、ヨーデルが呟く。
「だが連中は、武器を自分で作ることはできない。だからゴブリンと群れを作るのは厄介なんだ」
見たところ、遠距離の攻撃手段は投石のみ。それ以上の道具を使う方向に発展する気配は見られない。
前線で矢を番える騎士達は、しばらく騎馬の機動性を活かし、投石攻撃をかく乱しながら弓矢による攻撃を行ってはいたものの、精度の上昇によって攻め手が次第に減っていく。
さすがに、現状では一瞬も気が抜けない。前線部を投石によって釘付けにする中、コボルト達の攻撃には、明確にシロフォンを狙うものが増え始めた。こちらの指揮系統に気づきつつあるらしい。
「カウンテス、このままでは危険です」
「でも、ここを動くわけにはいかないわ」
シロフォンは腰の片刃剣を抜き放ち、見事に投石を弾き飛ばしながらそう答えた。おおよそ、貴族騎士にしては熟練した技能であると言える。村落に立てこもるコボルトの軍勢を見やり、シロフォンはさらに続けた。
「彼らに、私たちの釘付けに成功していると思わせなければなりません」
前線で合成弓を構える伝統騎士達は、あくまでも敵戦力を削ぎ、決戦兵力を投入する下準備に過ぎない。マーリヴァーナ要塞騎士達の戦闘における本命打は、常に重装騎兵による突撃だ。弓騎士の後ろにずらりと居並ぶ部隊がそれである。防御力を重視したフルプレートメイルに、大型の盾を装備している。伝統騎士と貴族騎士の混合部隊だった。
〝貫く〟ことに特化した黒竜式戦術剣技では、刺突剣、合成弓、そして馬上槍の三種の武器に関する修練項目がある。
馬上槍は、近年集団戦における重装騎兵の戦術的意義を見直すにあたって追加された項目だ。現師範でありマーリヴァーナ要塞線領の領主であるアンセム・サザンガルドが中心となり多くの戦法が考案されたが、そこに一枚噛んだのがハイゼンベルグ侯爵家や、サンダルフォン伯爵家を中心とした有力貴族騎士の家柄だった。
そのため、黒竜式戦術剣技の習得に積極的でない貴族騎士も、馬上槍関連の習得には熱心になることが多い。結果として、マーリヴァーナ要塞線では重装騎兵の突撃戦法が容易に確立した。
ともあれ、そうした経緯で誕生した突撃部隊だ。これは、オークやオウガなどの大型獣魔の殲滅作戦において必ずしも有効な戦術ではない。だが、コボルトやゴブリンなど、比較的非力な集団を相手取る場合には、これ以上ないほどの効力を発揮する。
「とは言え、まだ突撃を仕掛ける頃合ではないわね」
「まごついている間に、コボルトが別働隊を動かす可能性は?」
子爵でもあり、騎士隊長でもある貴族騎士にそう尋ねられ、シロフォンはちらりと、まるでウサギのように怯える小心者の侯爵を眺める。ヨーデル・ハイゼンベルグは意見を求められ、こう答えた。
「このまま膠着状態が続けば、あるだろう。現状、連中もまたこちらの押さえつけに成功しているし、石壁や家屋に囲まれた連中は、こちらに気づかれず部隊を動かしやすい。迂回路を辿り、私や伯爵の後ろをつく程度のことは、思いつく脳を持っている」
「で、あれば、」
騎士隊長が咳払いをした。
「あまり時間はありませんな」
「ええ、でも、その短い時間でも十分だわ」
今年で32になるという若き千騎士長は、泣きぼくろのある目元をわずかに歪めて、くすりと笑った。
その時、アイカとショウタは、部隊内の騎士隊長に率いられ、オウロット大森林の中の細い街道を駆けていた。村が見える少し以前から本隊と分離したこの別働隊は、大半が伝統騎士で構成されているが、引率する騎士隊長は伯爵公子、すなわち貴族騎士である。
この騎士隊長にも、アイカの正体はきちんと伝わっているらしい。別働隊に戦力として優秀なアイカを組み込む際、彼女の正体に配慮できる人物がいればいいという、シロフォン・サンダルフォンの采配であろう。貴族騎士に従わねばならぬ作戦状況に対し、伝統騎士達は露骨に嫌がる雰囲気を醸し出してはいたのだが、その中でも年長者である一人が命令を受諾すると、他の騎士達も渋々それに従った。
「ずいぶんがんばってついてくるじゃないか」
ショウタにそう声をかけたのは、先ほどの伝統騎士だった。さすがに騎馬を駆る仕草も堂に入ったもので、やや余裕を醸し出した表情でショウタの横を併走する。鬱蒼と茂る森の中だが、申し訳程度に整備された細道のおかげで、進軍には困らない。
「え、ええ。まぁ、なんとか……」
「だが村の裏側にたどり着けば、そのまま一気に攻め入ることになる。武器はあるんだろうな?」
「一応鞭が使えます」
小姓や従騎士は、その得物に騎士剣を選択することが許されない。大抵は槍や斧槍などの長ものや、メイスなどの扱いやすい打撃武器を持ち、ショウタの〝鞭〟とうのはチョイスとしてはいささか珍しい。
「まあ、ちゃんと扱えるんならいいんだが……」
現在、本隊、討伐隊の他に複数の部隊が、円状に指定された獣魔族の活動エリア内を捜索している。その中で、本隊が前線基地の設営場所として選んだのが、ここゴンドワナ侯爵領の小さな村であった。幸いにして、村長の指示で村人たちがそのまま逃げ出したため、被害は最小限に食い止められている村だ。
ゴンドワナ侯爵からの報告によれば、この村には未だコボルトの群れが滞留しているらしい。進軍途中、斥候を派遣してそれが確かであると確認した総指揮官シロフォン千騎士長は、少数の騎士による別働隊を編成し、それによる背面からの奇襲作戦を提案した。現在、本隊は村から少し離れた場所に陣を敷き、コボルト達の注意をそらすために攻撃を開始しているはずだ。連中の意識が本隊に向いているところを、別働隊で奇襲をかけ、更には本隊の重装騎士の突撃で挟撃する。
非常にシンプルで分かりやすい作戦である。
アイカ・ノクターンは前の方で騎馬を駆っていた。時おり心配そうにこちらを見てくるが、ショウタが笑顔で手を振ると安心したように視線を前に戻す。その度に、横の伝統騎士は『なんなんだ……』とつぶやいていた。なにがなんなんなのか、ショウタにはわからない。
「もうすぐ森を抜ける!」
別働隊の先頭を走る伯爵公子がそう叫んだ。
「森を抜ければすぐに村の背面である! 行くぞ!」
一同の無言の気勢がそれに応えた。いけ好かない貴族騎士の命令といっても、気を抜けば死ぬ戦場だ。伝統騎士たちはそれを理解し、必要以上のわがままを通さない。仲睦まじいとまでは言えないが、密な連携がなければ、こうした場において生き残ることはできないのだ。
別働隊が蹄鉄の音を打ち鳴らし、オウロット大森林を抜ける。快晴だったはずの空には、いつの間にか曇天と化していた。重苦しい空に抱かれ、別働隊は村の背面に連なる石垣へと迫る。
騎士隊長が片手を上げると、伝統騎士たちは一斉にコンポジットボウに矢をつがえ、放った。威力を求めて放たれた矢の数々は真っ直ぐに飛び、轟音と共に石垣を突き崩す。瓦礫が飛散して、騎馬の進入口が正しく確保された。
「うっそう……」
ショウタは手綱をしっかりと握り締め、そう呟く。
「ふっ、これが伝統騎士だ」
ショウタの横を走る騎士が、コンポジットボウを背中に戻しながら自慢げに言った。
「黒竜式戦術剣技の真髄。それは引き絞った力を一点に集約する技法であり、それを極めることで奥義となる。リヴァーナ式合成弓を用いた石垣の破壊手段も、我々の中では……」
「あの、もうすぐ村ですけど。喋ってていいんです?」
「うるせぇわかってるよ!」
伝統騎士は腰から長めの刺突剣を引き抜き、まっすぐ前を見据えた。軽口の時間はもう終わりだ。
別働隊は一斉に、村の中へとなだれ込んだ。多くのコボルト達は村の正面で本隊との撃ち合いを演じているはずだが、村落の中にもまだいくらかの集団が見られる。
別働隊は機動力と小回りを重視するため、重装騎兵に比べれば極めて軽装だ。刺突剣とバックラーによる高機動戦闘が、黒竜式戦術剣技の真髄であるのだからして、伝統騎士の間ではこちらの格好を好む風潮が強い。
そのため、馬上からの攻撃手段はそのリーチが極めて短いことになるが、それを補うためのリヴァーナ式合成弓でもある。逃げ惑うコボルトを背面から撃ち抜き、立ち向かってくるコボルトは刺突剣で迎撃し、あるいは騎馬の蹄で容赦なく踏みしだく。
このまま一気に、コボルト達に背面奇襲を仕掛ける。
石造り家屋の間をすり抜け、村の中を直進する。鞭を入れ速度をあげる騎士隊だが、その横合いから殴りつけるように、飛びかかってくるコボルト達の影があった。側面からの強襲に弱い騎馬の弱点を知っていたかどうかは定かではない。が、ちょうど部隊の後方、ショウタのいるあたりに、屋根の上にあがったコボルト達が切り込んでくる。
「うおあっ……!」
錆び付いた剣を振りかざし、コボルトはショウタの真横を並走していた伝統騎士を襲った。騎士はバックラーで剣撃をいなすが、予想外の方向からの攻撃に馬上で体勢を崩す。こうなればもう致命的であった。手綱を握り、バランスを立て直すことはままならず、騎士の身体が村落の中に投げ出される。
パニックに陥った馬が、そのままショウタの馬にもぶつかった。一拍遅れて、彼も落馬する。咄嗟に思考領域から絞り出した〝力〟をクッションにして、落馬による致命傷は抑えた。騎馬隊は前方に遠ざかっていく。
ショウタがこの時考えたのは、アイカに気づかれたらまた余計な心配をかけてしまうな、てなもんであった。が、同時にすぐさま危険が迫っていることを思い出し、振り返る。見れば、2頭のコボルトが、地面に転がった騎士に襲いかかっているところだった。1頭が騎士の喉笛に噛み付かんとしているのを見て、身をすくめそうになる。
犬によく似た頭部を持つ、毛むくじゃらの獣魔族。それがコボルトだ。オーク、オウガ、コボルト、ゴブリンというメジャーな獣魔族の中で、全身に体毛を生やしているのはコボルトくらいしかいない。
ショウタも実際に見るのは初めてだ。これらも、故郷では伝承や創作の中にしか見られない生き物である。今までは、こうした生き物を目の当たりにしてみると妙な感慨はあったのだが、そうした余裕も今はない。
コボルトが騎士の喉元に牙を突き立てるのと、騎士が抜いた刺突剣をコボルトの胸に突き立てるのはほぼ同時だった。獣魔族の背中から、赤く血濡れた剣身がぬらりと輝く。ショウタは腰元に下げた金属の棒を取り出して、びゅんと振った。伸びるトウビョウの鞭が、騎士に覆いかぶさるコボルトの身体を捉えた。
ぐい、と引っ張って、その身体を騎士から引き剥がす。地面に転がるコボルトは、だらりと舌を出し、口元から血を流して完全に息絶えていた。こちらは良い。まだ一匹、生きているのがいる。
首元を噛み付かれた騎士の生死を確認している猶予はなかった。もう一頭のコボルトは今まさに、その錆び付いた剣で騎士に明確な止めの一撃を加えようとしていたのだ。あれが無防備な首元、あるいは頭部に突き立てられれば、生存はもう絶望的だろう。
「たぁッ!」
ショウタは再度鞭蛇を振り、コボルトの背面に叩きつける。鞭打は獣魔の背中から毛皮を引き裂く。ああ、痛そう、とは思ったものの、それは攻撃の手を休める理由にはならない。鞭を2度、3度としならせて、容赦なく遠距離からコボルトを攻め立てる。
「ウオォォウッ!」
激痛に身をよじらせ、攻めあぐねるコボルトはその咆哮に怒りをにじませた。とうとう4度目の鞭打にして、コボルトは鞭の軌道を正しく見切り、その発達した四指で正確に掴み取った。ショウタの武器が封じられる。
純粋な力比べであれば、伝統騎士どころか貴族騎士ほどの鍛錬も積んでいないショウタが勝てようはずもない。コボルトは、その大きく開いた口元を歪めた。笑ったのだということは、ショウタにもわかる。
掴んだ鞭を手繰り寄せようとするコボルトを、今度は不可視の力で無理やり押さえつける。ショウタは左腕を突き出した。その手で押さえ込むという、具体的なイメージが、効率良い力の捻出を可能とする。
「グルウウゥゥゥゥッ!!」
コボルトは突如として身に降りかかった不可思議な現象に困惑しながらも、拘束から逃れようともがく。だが、ここでこの一頭を自由にするわけにはいかない。今まで何度か経験した状況とはわけが違うのだ。なるほど、一瞬のミスが死を招くとは、すなわちこうした状況であるらしい。
ショウタには最初っから命のやり取りをした経験は、ほぼほぼない。ほぼほぼないということは、ごくごくわずかにあるということだ。そのわずかな経験則を頼りにするより、今は他になかった。
「くっ……う、うッ……!」
全身から汗を垂れ流しながらも、歯を食いしばる。ショウタは更に絞り出した力で、とうとうコボルトを地面に貼り付けにすることに成功した。だが、現段階でできるのはそこまでだ。ショウタはちらりと、自らの横に転がるもう一頭の死体を見た。胸元には、先ほど騎士が突き立てたばかりの刺突剣がある。
ショウタは一瞬躊躇したが、すぐさま覚悟を決めた。
左手で持ったトウビョウは、彼の意思を感じ取りコボルトの毛むくじゃらの身体を這う。無機質な瞳が、手足を動かすことさえままならない獣魔を見つけ、ぱかりとそのあぎとを開くと、身体の割に長く鋭利な牙をもって、コボルトの体表に噛み付いた。
「ガアッ……ア……」
コボルトがかすれた悲鳴を漏らしたのを最後に、ショウタの身体にノックバックされる抵抗力ががくんと落ちる。毒腺から牙を経て、トウビョウから麻痺毒が流し込まれる。以前、みっちゃんに使った時のものより、ちょっぴり毒を強くした程度だが、それでもコボルトの全身の筋肉は明確に弛緩した。
ショウタはトウビョウを戻し、真横に転がるコボルトの死体から刺突剣に手をかける。皮と筋肉と臓器を貫いた剣は存外に固く突き刺さり、ショウタの細腕では抜き取るのにすら難儀した。これまたいささかの躊躇の後、コボルトの死体を脚で押さえつけて、なんとか剣を手に取る。意外と重い。
ショウタはごくりと唾を飲んで、まだ息のあるコボルトを見た。麻痺毒に身体の自由を奪われつつも、その赤い双眸には殺意が残る。一歩一歩、重い足取りながらも大股に近づき、その胸元に剣の切っ先を当てる。
コボルトの瞳に宿る感情が明確に変化した。それを目の当たりにすれば、ショウタはいやがおうでも、目の前に転がっているのが一匹の知的生物であることを認識せざるを得ない。それが、にわかに現実味を帯び始めた〝死〟に対する恐怖であることを、極力意識しないようにしながらも、ショウタは自身の全体重を乗せて剣をコボルトの胸元に押し込めた。
「ガッ……!」
即座に、硬い感触に阻まれる。肋骨だ。コボルトが、弛緩した筋肉を強引に動かして、力ない腕でショウタの足首を掴む。冷や汗を垂らしながら、ショウタは思考領域の力を搾り出し、更に刺突剣の柄に載せた。肋骨をへし折って、刃は今度こそ臓器を貫通する。びくん、とコボルトの身体が跳ねて、やがては完全に停止した。
勝った。
「……ふうっ……!」
肺に溜まった空気を、ショウタはいっぺんに吐き出す。勝った。良かった。
〝力〟を使い、生き物を明確に殺害したのはこれが初めてだ。そのことに対する是非については、今は極力意識しないよう務めた。うじうじ悩むのは、また今度にしよう。妙な高揚感も罪悪感も今のところないのは、ショウタにとっては幸運だった。
獣魔族の中でも、比較的非力と言われているコボルトだ。連中の脅威は群れてこそ初めて発揮されるもので、すなわち単体ではそれほど恐ろしい敵となりえない。らしい。
その一頭を倒すのですらこの体たらくなのだから、命をかけた戦いというものは、まったく。
安堵したてのショウタは、その時、背後から迫る数匹のコボルトには気付かなかった。彼らは逃走に成功した敗走兵だ。今まさしく、村の正面ではシロフォン・サンダルフォンの策が成り、本隊の突撃騎馬隊と別働隊による挟撃が行われていた。背面からの奇襲を受けた際、運良く荒野側ではなく村の内部に逃げ込んだことで、蹄の餌食とならずに済んだコボルトが彼らだ。
獣魔族の本能のひとつに、弱者に対する一方的な蹂躙がある。無防備なショウタを見つけ、敗走中のコボルトたちはにわかにその萎みかけた戦意を高揚させた。錆びた剣を振りかざし、人間の少年に背中から切りかかろうとする。
その時、地面に転がっていた騎士が上体を起こし、背中から取り出したリヴァーナ式合成弓に同時に三つの矢をつがえた。狙いを定め、弓を絞って引くまでのスピードは、コボルトの刃がショウタに到達するよりもなお早い。ショウタがその動きを、正しく知覚するよりも、放たれた三本の矢が別々に、彼の背後のコボルトを射抜く方が先だった。断末魔の悲鳴すらもなく、コボルトたちは首をあるいは胸部をまるごと吹き飛ばされ、どうと地面に倒れこむ。
「……だんは、するなと……ったはず……っだ!」
喉元に牙によるダメージを負い、うまく言葉が発せられてはいないが、その言葉にショウタはようやく振り返った。
「あっ……! どうも、すいません」
「……や、……ちらも、……すかっ……た」
喀血混じりに咳き込む騎士に、ショウタは近寄って刺突剣を差し出す。騎士はそれを手にとってなんとか立ち上がり、弓懸と同一化したレザー製の篭手でショウタの頭をぽんぽんと叩いた。
「騎士の魂を無断借用してしまいました」
「よくやった」
騎士ははっきりと言った。
「根性のあるやつは嫌いではない」
「その、スキとかキライとかいう話には今非常に敏感なので、やめましょう……」
「何の話だ」
「とにかく命が無事でよかったです」
ショウタはちらりと、地面に転がるコボルトの死体を眺める。見ていてあまりいい気分でもないそれは、もう5つに増えていた。騎馬の経路をたどれば、馬の蹄にすり潰された轢死体がもうひとつ、あることだろう。
この伝統騎士は贔屓目に見ても、姫騎士殿下より卓越した力の持ち主であるとは思えない。それでも、瞬く間に3頭。飛びかかってきたコボルトに刺突剣を突き刺した手間を含めても、ショウタが1頭を仕留める時間より短いだろう。それを考えれば、ほんのわずかな間に4頭だ。
足手まといになるつもりはないし、実際、今のところなってはいないわけだが、歴然とした実力差には流石に唖然としてしまう。
更に何匹かのコボルトが、前から逃げてくるのがわかった。この状況を見て、ようやくショウタと騎士も状況を確認する。挟撃作戦は成功している様子だ。安堵する。
騎士は身体を斜めにし、刺突剣の切っ先を向かってくるコボルト達に向けていた。ショウタも見覚えがある。昨晩の模擬戦で、キャロル・サザンガルドが見せた構えと同じものだ。あの連続突きならば、迎撃も確実に行えそうだが、手負いの彼にそこまで無茶はさせたくない。ショウタもトウビョウの金属棒を再度構える。
同時に、村の正面側から討ち漏らしたコボルトを追って、数頭の騎士がなだれ込んできた。馬に乗っている者も、いない者もいる。自らの足で駆ける騎士の中に、ショウタは白磁の甲冑で身を包んだ女騎士の姿を認めた。
「ショウタ、無事ですか!」
「お嬢様!」
まさしくアイカ・ノクターンである。彼女は重い甲冑をまとってなお、馬と併走するほどの速度で迫る。コボルトの背中に追いすがれば、剣を抜くのももどかしいとばかりに、その裏拳で獣魔の身体を吹き飛ばした。超重量の篭手による一撃は、鈍器の痛打とそう変わらない。彼女が本気で殴れば、獣魔族の頑健な頭骨と言えど容易く崩れるだろうし、現に今、そうなった。
うわあ、と、ショウタはちょっぴり思った。
「ぶ、無事です!」
「良かった!」
アイカはなんとか、ショウタの目の前にたどり着いた。彼の頭に手を回し、勢いよく胸元に抱きすくめる。ショウタの頬に、胸当ての硬い感触がめり込んだ。
「申し訳ありません、ショウタ。私が守ると言っておきながら……!」
「いやえっと、いいんです。お互い無事で……あ、いたたた……」
「あ、痛かったですか!? 大丈夫ですか!?」
「大丈夫です! 大丈夫です!」
騎士たちが、敗走するコボルト達を追いかけるさなか、ふたりは呑気にそんなことをやっていた。負傷した伝統騎士は、ダメージの残る喉笛を無理に動かして、ひとまずこのように言った。
「なんなんだこいつら……」
しばらくのち、村落に立てこもっていた60頭近いコボルトの群れは、完全に殲滅されたとの報告が入った。
ともあれ、作戦の第一段階は終了である。負傷者は、先ほどの伝統騎士の他にもいくらかいたものの、死者を出すことなく村落の再征服は完了した。この完全勝利の報告を聞けば、村を捨てて逃げざるを得なかった村民たちの溜飲も、少しは下がることだろう。
村の中央では薪が積まれ、大掛かりな火を焚いた後、コボルトの死体を放り込む作業が続いた。並行して、井戸水を汲み、村の内外にぶち撒けられた獣魔族の血や肉、臓物などを流し、さらにその上から砂をかける。いずれも、血の匂いが新たな獣魔を呼ばないようにするためだった。
「お疲れ様です、ショウタ」
少し離れた場所から、アイカが駆け寄ってきて笑顔でそう言った。
「お疲れ様です。まぁ、そんなに疲れてないんですけど……」
「私もです。あっという間でしたね」
アイカは、少し離れた場所で地図を見て話し合うシロフォン千騎士長とヨーデル百騎士長を見た。戦術、戦闘の采配はその多くが彼らによるものだ。彼らの周囲では、運ばれてきた資材で机などを急造し、前線基地の設営を始める騎士たちの姿がある。彼らの多くは若手であり、その指示で連れてこられた従騎士達がせわしなく動いていた。
ショウタもちらりとそちらに視線をやるが、すぐさまそれをアイカに戻した。この程度の戦闘であれば彼女にとっては屁でもないようで、きめ細やかな白肌には汗の一粒すらも浮かんでいない。曇天のもと、生ぬるい風が頬を撫で、アイカの細い金髪をさらりと持ち上げた。
そんな様子のアイカを長め、ショウタが呟く。
「でも、お嬢様、なんだかすごい微妙な笑顔してますね」
「え、わ、わかりますか?」
アイカは篭手で両頬を押さえながら、少しだけ狼狽を見せる。
「いや、あの。こうして部隊の一員として何かと戦うのは初めてでしたので、その……。ちょっぴり打ちのめされているのです」
「1人だと、もうちょっと時間がかかったなぁ、とか、そういうことですか?」
「はい」
ショウタの指摘に、アイカは大真面目に頷く。
60頭のコボルトである。アイカ1人ならば相当苦労しただろうと語る。苦労したと言っただけで、殲滅できないわけではないらしいが、それでも一昼夜ほどは戦い続ける必要があっただろうし、長引けば疲労で危機を招く可能性もあった。
そうした獣魔族の群れを、ほんの数十分で大した被害も出さずに壊滅せしめたことに、アイカは驚嘆している。もちろん、作戦行動というのはそうしたものである、という前提意識があったとしても、事実として体験するのはまた別ということだろう。騎士一人一人のアベレージはアイカには大きく劣るし、もし仮に、ここにアイカがいなかったとしても、作戦はまともに機能していただろうというのも。
1頭のコボルトを倒すのにすら相当もたついたショウタからすれば、苦笑いをしてしまう話でもある。
「ただ、」
と、アイカは別の方向へ視線をやった。
そこでは、わずかに発生した負傷者の手当を行っている。大半が、コボルトの投石によって負傷した者たちだが、中にはショウタと共に戦った伝統騎士の1人もいる。平気で弓などを引いているので気付かなかったが、落馬の衝撃で腕を折っていたらしい。それでなお3頭のコボルトを平然と射殺したのならば、やはり怪物である。
「もしも、私やキャロル程度の力を持つ騎士が、数人程度でこの村に攻め込んでいたとしたら、彼らのような負傷者は出さずに済んだのかもしれません」
シロフォンやヨーデルの作戦は的確だった。アイカのような突出した実力者の腕に頼ることなく、1人の死者も出さずに村落の奪還に成功したのだから、間違いないだろう。二方向からの挟撃作戦は単純だが、実に効果的であり、背面を突かれたコボルトの群れは実に脆かった。
だが同時に、そうした作戦とは人間をあくまでも1つの駒としてしか見ないものだ。補充、代替の効く数値データのひとつであり、システマチックな分冷徹である。彼らの死や負傷は作戦の中に織り込み済みであるのだ。
「う、うーん……」
ショウタは悩んだ。アイカの指摘はもっともだ。
だが、それを言うならばアイカやキャロルが数人がかりで、などとは言わず、アンセム・サザンガルドが1人で出てくれば済む話でもある。そして、アンセムがそうすることの危険性を憂慮しているというのは、昨晩彼と話した通りだ。
でも、どちらが良いのだろう。というと、ちょっと難しい。
例えばショウタが助けなければ、あの伝統騎士は死んでいただろうし、彼に助けられなければショウタも死んでいたように思う。今回だって紙一重だったのだ。突出した実力者が少数精鋭で村を陥落するようなことがあれば、そうした危険はなかった。
だが、アイカやキャロルに全ての負担を押し付けて済ませられるかというと、そんなこともない。ましてや、この問題の背後には常にあの勇者メロディアスの姿がある。メロディとアンセムが2人で今回出現した獣魔を殲滅しろと言う話になれば、おそらく誰ひとりの犠牲者も出さずにすべてが解決することだろう。でも、ショウタ的にはそれはイヤだ。
「結局は、主観の問題ですよねぇ」
と、そのように言うしかない。
「主観、ですか」
「僕は殿下には傷ついて欲しくないですし、殿下だって僕や、あるいは他の人が傷つくのはヤなわけでしょ。自分の力で〝そうならずに済む〟可能性があるのにです」
「殿下じゃありませんけど、そうです」
アイカは大真面目な顔で頷いた。
「でもそうすると、僕と殿下の望みは干渉し合う気がするし、どっちが正しいとも言えないですよねってことです」
「殿下じゃありませんけど」
アイカは更に頷いた。
「なるほど。ショウタは賢いですね」
「リベラルなだけです」
ただ、ショウタの故郷でもてはやされた自由主義なんてのも、個人の能力がある程度均一化された社会だから成立するものであって、騎士王国のように1人で戦略級兵器なんで呼ばれてしまうような超人がそのへんに転がっている社会では、難しいのかもしれない。
「うーん……」
「ショウタ、ひとまず難しく考えるのはあとにしましょう」
知恵熱を出しそうなほど頭を抱え込むショウタに、アイカはにこりと微笑んだ。
「そのお話は非常に興味深いですが、姫騎士アリアスフィリーゼとなさるのが良いでしょう。私はアイカ・ノクターンですので、今はひとまず、周辺の獣魔の殲滅を考えます」
「えっと、まぁ、そうですねぇ」
この頃になると、エリア内の他の獣魔族と交戦した部隊から、報告のために従騎士が早馬を飛ばしてやってくるということが度々あった。シロフォン達は地図とにらめっこしながら、現在残っているであろう獣魔の群れや、その行動パターンを逐次推察し、各部隊の今後の方針を打ち立てる。
「諸君、集合!」
ヨーデル・ハイゼンベルグ侯爵が声を張り上げて、村落内の騎士たちに招集をかけた。作業中だった騎士たちも、やがてわらわらと戻ってくる。
「各部隊との報告や、獣魔の行動パターンを照らし合わせた結果、オークの群れのうちのひとつが、この村落周辺にいるらしいことが推察される! 群れに一番近いのは我々本体だ。ゆえに、こちらから遊撃を行う!」
集まった騎士たちを前に、ヨーデルが叫んだ。その言葉を、シロフォンが繋ぐ。
「遊撃隊の指揮はサー・マーキス・ハイゼンベルグに取っていただきます。これから呼ぶ騎士の皆さんは、準備を整え次第30分後に出発。それ以外の皆さんは、本陣の設営準備と、昼食の炊き出しをお願いします」
シロフォンがちらりと視線をやると、一緒にいた子爵の騎士隊長が、ひとりひとり騎士の名前を読み上げていく。大半が伝統騎士であり、根っからの貴族主義者であるヨーデルの指揮下に入ることを嫌がる様子が見られたが、当然、ここでそれを口にすることはない。
呼ばれる騎士の中には、やがてアイカ・ノクターンの名前が挙がる。
「オークですか……」
アイカはぽつりと呟く。ショウタはそれを見上げた。次に出てくる言葉は、おおよそ見当がつく。
「キャロルは、大丈夫なのでしょうか」
「どうなんでしょうねぇ……」
神ならぬショウタにはわかるはずもない。彼女の直属の上司であるはずのヨーデル・ハイゼンベルグは、その視線をどこか遠くへと向けていた。
今にも泣き出しそうな曇天は、ただひたすらに、生ぬるい風を運び続ける。
キャロル・サザンガルド率いる袈裟懸け討伐隊は、廃村に蔓延るゴブリンの群れと交戦中である。小型でずる賢く、手先が器用なゴブリンだが、一体一体は非力だ。戦闘訓練を受けていない成人男性であっても、1対1ならば倒すことは不可能ではない。だが、問題はその数と連携である。
小柄ゆえのいかなる場所にも姿を隠せるゴブリンは、奇襲や待ち伏せなどの策も極めて戦術的に行使する。ゴブリンのいる戦場で背中を見せることは決して賢い行いではなく、ゆえにキャロルは3人1組の密集陣形で迎え撃つよう指示を下した。
「キキイッ! キキイッ!」
「キャアキャアッ!」
甲高い鳴き声が耳障りだ。キャロルは顔をしかめながら、飛びかかってくるゴブリンに致命の一刺しを見舞う。
「コマンダーらしき個体が見えませんね……」
部下の騎士のひとりが、静かにそう言った。
「ああ、姿を隠していることも考えられなくはないが……」
「動きが直線的すぎると?」
「そうだな。おそらく、王無しの群れだ」
獣魔族は知性を持つ社会的生物であるが、ゴブリンはその中でも〝王〟と呼ばれる個体を頂点に形成される。この〝王〟はゴブリンの中でも極めて高い知能を持つものが自然とその枠に収まり、群れ全体に様々な指示を下すことで知られていた。
この王はコマンダーとも呼ばれ、戦闘の際にはその存在が極めて厄介なものとなる。コマンダーのもとで有機的な連携をこなすゴブリンの群れは、熟練した騎士や、あるいは冒険者などでも苦戦は免れず、ゴブリンの巣穴を襲撃する際は極めて慎重な部隊の編成がなされるほどだ。
だが、なんらかの事情でコマンダーを失った群れは〝王無し〟と呼ばれる。群れ全体が本能的に動き、指導者がいないためにまとまりに欠ける。突き崩すことは不可能ではなく、群れの討伐自体も容易だが、おおよそにおいて浅慮であるために後先を考えない略奪を繰り返すことも多い。武力を持たない市民に恐れられるのはむしろこちらだ。
この群れは、その〝王無し〟である。
「下手に残しておくと、他の村を襲う可能性がある。ここで極力数を減らすぞ」
『了解ッ』
キャロルの言葉に、伝統騎士たちは張りのある返事をする。そのまま、5つに分かれたチームをまたひとつにまとめ、背中を合わせて円状に陣形を組んだ。
「雨崩羽!」
キャロルの掛け声と同時に、騎士たちの右腕が一斉に掻き消える。遠距離にまで届く刺突に雨が、周囲を囲むゴブリン達に襲いかかった。比較的近い距離にいた個体たちは、悲鳴をあげて細切れのひき肉となっていく。
一般にファランクスシフトと呼ばれる、伝統騎士の集団戦法だ。10人から20人程度の少人数で、大部隊を相手にするときに用いられる。熟練した伝統騎士の雨崩羽であれば、飛び道具の迎撃も容易であるため、刺突撃の壁は、下手に盾を構えるよりもよほど堅牢な盾となる。
このまま輪を広げながら、ゴブリン達の数を減らしていく。大多数が撤退に意識を向け始めると、再び討伐隊は1人3組のチームを組んで、チームごとにゴブリンの群れを追った。
キャロルは信頼できる部下と共に、むせ返るほどの血の匂いで溢れた廃村を駆け抜ける。そこかしこに転がる、無残な村人の死体には、おそらくはゴブリンに弄ばれたものと思われる真新しい傷が確認できた。キャロルは静かに怒りを募らせる。
「ギャバアアアアアッ!!」
キャロルたちは敗走したゴブリン達を追うさなか、身の毛のよだつような叫び声を耳にした。思わず、足が止まる。
「なんだ……?」
「わかりません」
自然と漏れたキャロルの問いに、部下は律儀に返す。3人は同時に顔を見合わせたが、答えの出ぬまま、前進を再開した。ともあれ、連中を逃がすわけにはいかない。追うより他には、ないのだ。しばらくもすれば、村の端までたどり着く。
そこで彼らは、異様な光景を目にした。
地面に転がっているのは、逃げることも叶わず無念の死を迎えた、村人たちの凄惨な死体ではない。それらの亡骸を弄び、死者の尊厳を破壊した忌むべき小鬼どもの死体であった。死体はまだ真新しい。子鬼たちは、その小さな四肢を引きちぎられ、あるいは全身ごと握りつぶされ、単なる肉塊と化していた。
先ほどの叫び声は、連中の断末魔か。
いったい、何があってこのような。他の獣魔族の群れと遭遇でもしたか?
キャロルは死体をつぶさに観察し、新たに情報を得ようとする。
が、
ゴブリンどもの死体の損壊状況を改めて確認したとき、キャロルの動きが止まった。目を見開き、身体が微かに震え出す。自分の心臓が、にわかに早鐘を打ち始めるのを、キャロルは聞いていた。呼吸が荒くなり、全身からどっと汗が噴き出す。
「騎士隊長……?」
部下の一人が、怪訝そうに声をかけてきた。
そう、この力任せに引き裂いたような、あるいは握り潰したような殺害方法を、キャロルは知っている。今までに嫌というほど資料で見てきたし、この村に残る村民の亡骸もまた、同じような末路をたどったことをしめしている。
この村を襲った獣魔が、再び戻ってきたのだ。ゴブリンどもは逃走途中、それに出会い、殺された。
キャロルは立ち上がる。死体は真新しい。近くにいるはずだ。せわしなく周囲に振り返り、視線をさまよわせる。後頭部でまとめた鳶色の髪が、乱れるように舞った。
「騎士隊長、どうしました……?」
「周囲を警戒しろ!」
キャロルは怒鳴りつけるように叫ぶ。
「どこかにいる! 奴だ! 奴が、村に戻って……!」
「ヒギャアアアアッ!」
キャロルの言葉を遮るようにして、ゴブリンどものおぞましい悲鳴が響いた。石造りの家屋から、わらわらと小鬼達が飛び出しくる。3人はそちらへ振り向き、同時に、家屋を突き崩すようにして立ち上がる巨大な獣魔の姿を目にする。
丸太のように野太い腕は、必死にもがくゴブリン達を数匹まとめて、その手のひらに収めていた。異常に肥大化した頭部からは、捻くれた牙が除き、その牙にもまたゴブリンの亡骸が突き刺さっている。錯乱したか、あるいはわずかに芽生えた同族意識か、足元にしがみついて牙や爪を立てる小鬼を無遠慮に踏み潰し、その巨体はゆっくりと前進を始める。
手のひらに握られた数匹のゴブリン達は、怪物の起こしたほんの気まぐれで、あえなく握りつぶされた。血と肉と臓物と、その内容物が周囲に飛び散る。
その姿を見ただけで、キャロルの足はすくんでいた。実物は、報告で聞いていたよりもずっと大きく、ずっとおぞましい。
怪物の、赤く濁った瞳が、キャロル達を捉えた。口元から溢れる吐息は、黒くくすぶった煙のようである。
「――――――――――――――――――――ッ!!!」
新たなる獲物の出現に、袈裟懸けはこの世のものとは思えぬほどの、歓喜の大咆哮をあげた。