第28話 王立騎士団出撃せよ(前編)
「そこで侯爵はこう言ったんだ。『人々を導くのは強い者の役目ではない。貴い者の役目である』と。私はそれを聞いたとき、もう感動してね!」
「はい」
「やはり、この人のもとで学んだのは決して間違いではなかったと、そう思ったものさ! 強さだけでは、人々を守ることはできない。導くことはできないんだよ。そう思うだろう?」
「はい」
「やはりか! 君もわかってくれるか、ショウタくん! 君のような聡明な理解者を得ることができて、私は嬉しいよ!」
「はい」
機械的に何度も頷き返し、スープを口元へ運ぶショウタの目からはハイライトが消えていた。彼の目の前には、そのようなショウタの態度には一切気づかず、キラキラした瞳で熱弁を語る少年の姿があった。ヨーデル・ハイゼンベルグ侯爵の小姓だ。女性的な柔和な顔立ちに興奮の色を隠せず、白い肌は高揚からかわずかに赤く染まっていた。
ここはサー・マーキス・ヨーデル・ハイゼンベルグの屋敷である。屋敷といっても当然、要塞線内にあるものであって、決してそう豪華ではないのだが。爵位を有する貴族騎士や、一部の由緒ある伝統騎士は将校居住区に割り当てられた自室の他に、こうした〝屋敷〟を有していた。
ショウタがヨーデルの屋敷を訪れていたのには理由がある。朝食を摂ろうかと要塞線内をフラついていたとき、ばったりと出くわしたのがハイゼンベルグ侯爵の小姓だった。
めんどくさい人に会ってしまったなぁ、と、ショウタは自らの顔を引きつらせたのを覚えている。笑顔が眩しく、歩くだけで花の咲き誇るエフェクトが見えそうなハイゼンベルグ侯爵家の小姓は、ショウタを見つけるや否や、そのへんの美少女など顔負けの整った目鼻立ちをほころばせて、嬉しそうに挨拶をしてきたものだ。
ショウタは挨拶もそうそうに『ご飯を食べてくるので』と、立ち去ろうとしたのだが、そこを少年の手がギュッと掴んできた。
指先の体温と湿り気がそのまま伝わってきて、ショウタはどきりとする。直後に、どきりとした自分に猛烈な自己嫌悪を抱くはめになった。なんなんだこのシチュエーションは、という当然の疑問が、後からやってくる。汗ばむ少年の手を不快に思えない自分が、無性に許せなかった。
ともあれその少年から朝食に誘われたのである。
断ろうとも思ったが、同時に抗いがたい誘惑でもあった。なにせ貴族の屋敷の朝食である。マーリヴァーナ要塞線は、領内で取れる作物は豊富ではなく、昨晩食堂で摂った夕食は美味ではあったものの、どこかざっくりとした無骨な味わいがあった。
そこに貴族、それも侯爵家の朝食となればどのようなものであるか。興味はある。加えて、あの伝統騎士の集う食堂に、貴族騎士の小姓という触れ込みでやってきたショウタが堂々と顔を出す気にはなれなかった。
で、結局首肯し、ついて来てしまったというわけである
根菜を主軸としたスープは、味付けが食堂のものとまた違っており、期待を外さないものではあった。が、ショウタは延々、食卓においてヨーデル・ハイゼンベルグ侯爵に関する自慢話を聞かされ続けるハメになったのである。
空になったスープの皿を、メイドが下げる。彼女達もエプロンドレスの上にしっかり帯剣していた。この要塞線では、どうやら使用人も騎士らしい。徹底している。
「だから私もいつか、侯爵のような立派な貴族騎士になりたい、と、そう願っているんだ」
「はい」
ようやく、話は終わったらしい。ショウタはお茶をすすりながら頷いた。昨晩、アンセムの部屋で飲んだものより、いささか上等な茶葉を使っているように思えた。
「そういえば、この侯爵の家って従騎士はいないんですね」
「先代はサンダルフォン伯爵家の御令嬢を小姓、従騎士として迎え入れていたらしい。でも、現当主が最初に取り立てたのは私だよ」
そう語る少年の言葉は、自負と誇りに満ちている。
小姓はだいたい家庭内の手伝いや使いっぱしりなどをしつつ、馬や武器、貴族としてのマナーなどについて学ぶ。働きが認められると、従騎士として主人の身辺の世話や、戦場での補佐などを任せられるようになる。少年も早く従騎士となって、さらに侯爵の役に立ちたいと気合を入れていた。
「さて、ショウタくん。ご飯も食べ終えたことだし、私たちも準備を整えよう」
少年は、ナプキンで口元を丁寧に拭いながら、そのように言った。
「準備って、あの、出撃のですか?」
「そうだよ? 私たちは小姓だから、主人が認めないと戦場には連れて行ってもらえないけどね。ただ、どうやら出撃が控えているのは事実のようだし、主人のためにいろいろと準備をしておかないといけない。そうだろう?」
「え、あ、はい。そ、そうですね」
正確には小姓でもなんでもないショウタである。少年の言葉に対しては、そのような曖昧な返事をせざるを得なかった。
「ディム・アイカは、おそらくハイゼンベルグ侯爵の指揮系統に入るはずだよ。武器は持ってこられているようだが、馬などはこちらで準備しなければならないね」
少年は再びショウタの手をぎゅっと握り、言う。躊躇はないのか、とショウタは心の中で突っ込んだ。少なくともショウタの故郷において、自分たちほどの年齢の少年同士が手を繋ぐなど、よほど仲睦まじくあってもありえない。
いや、そもそもどれほど親密な関係にあっても、男同士の間に形成される感情形態を指して〝仲睦まじい〟と表現することがありえない。
「手続きの仕方を教えるから、ついてきてくれ」
そう言って、少年はショウタを引っ張っていく。細身に見えてなかなか力が強いのは、やはり彼も将来騎士となるべく鍛錬を積み続けているという証だろう。後ろから見れば、プールボワンの背中に浮き上がる肩甲骨が、がっちりとしているのがわかる。
連れ立って屋敷を出て行く二人を、屋敷のメイド騎士はなにやらうっとりとした瞳で眺めていたが、ショウタはその感情の正体を深く推察しないことにした。
Episode 28 『王立騎士団出撃せよ(前編)』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
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アイカが部屋に戻ると、書き置きがあった。『殿下の馬の手続きをしてきます』とある。アイカは生真面目にも、その下に『殿下じゃありません』と書き加えて、部屋を出た。
どうやら、彼も小姓としての役割を果たそうということらしい。馬や武器などの準備をきちんとするのは、確かに小姓や従騎士の役割だ。もっともこれは貴族騎士、あるいは家柄のしっかりした伝統騎士にのみ言えることである。例えば一般騎士がその構成要員の大半を占める王都などでは、備品係や馬係などといった特定の業務に従事する者の手で、かなりシステマチックになっている。
とは言え、馬か。
アイカはちょっぴり複雑な気持ちになる。
この鬼のように重たい鎧の副作用として、彼女は長時間馬に乗れない。王族騎士ともなれば、戦地に赴く際に駆る上等な愛馬が一頭いてもいいものだが、彼女にはそれがない。彼女が乗れば、たちまち馬の一頭や二頭、潰してしまうものであるからだ。
ショウタもそのあたりをきちんと考えた上で、頑丈そうな馬を探してくれているとは思うのだが。
マーリヴァーナ要塞線には、一定の距離ごとに、当然いくつかの馬屋が設置されている。アイカのいるところにもっとも近かったのは、第23号馬屋であった。彼女は将校居住区のある階層から下に降り、ひとまずは馬屋を目指す。
数時間後には獣魔族討伐だ。いや、そこまでかからないだろう。作戦が決定し、出撃の準備が整うまで3時間もないものと思われる。既に、ほかの居住区には、騎士将校達からの伝令が伝わり、騎士たちが慌ただしく具足の準備を整えている。当然、彼らにはこのあたりを世話してくれる小姓がいないので、準備はほぼ自前だ。
ゴブリン、コボルト、オーク、オウガ。いずれもアイカが初めて見える相手となる。人間ではない彼らには、彼女自身の騎士剣を鞘から抜いて相対することが許されている。遅れは取らない。
未知の敵に対する恐怖はいまのところ、まったくなかったが、やはり不安なのはキャロルだ。
キャロル・サザンガルドは討伐隊を率い、袈裟懸けと戦うことになるだろう。そのために彼女は、要塞線に滞留する王立騎士の中でもよりすぐりの精鋭を選抜しているはずだ。周囲の獣魔族を掃討する戦力と比べても、頼りになる味方を引き連れていることは間違いない。
だが、そうした彼らは、キャロルの心中を解さないだろう。彼女は未だ、オークに対する恐怖心を克服できてはいないのだ。それでは、彼女は一人で戦うのと大差ないのではないだろうか。
オーク恐怖症を克服せねばならない。父親の期待に応えるために。
そう考えるキャロルの気持ちは痛いほど理解できる。だが、このままでは彼女は犬死する可能性すらあるのではないか。
ショウタは、アイカに無茶をしないよう言っていた。作戦通りにオークを討伐するようにと。彼のお願いは極力聞いてあげるべきだ。ましてこれは、単なるお願いではなく、そう。おそらく宮廷魔法士としての立場から、姫騎士アリアスフィリーゼに対しての忠告のようなものだった。ならば尚更、聞かないわけにはいかない。
だがそのために、剣友の危機を見捨てるのは、是か非か。
作戦を無視し、馬を駆り、キャロルの助太刀に向かうのは是か非か。
ショウタはついてきてくれるだろう。だが、問題はそこではない。
自分が抜けたことにより、戦力の低下した部隊が獣魔族によって壊滅する可能性、あるいは袈裟懸けという恐るべき敵を相手取り、ショウタを巻き込んで、取り返しのつかない結果を呼ぶ可能性。
それを考慮した上で、わがままを貫き通すのは是か非か。
アイカは唇を噛む。答えは出ない。当然だ。もとより、正答のある答えではないだろう。
「キャロル……」
アイカは、出撃の支度を整え、慌ただしく行き来する騎士たちを横に、ぽつりと剣友の名を呼んでいた。
作戦会議は終了した。キャロル・サザンガルドは予定通り討伐隊を率い、袈裟懸けの討伐に赴く。
獣魔族の生態に明るいヨーデル・ハイゼンベルグの手で、袈裟懸けの移動予想パターンが複数明示され、まずはその内、もっとも可能性の高いものを当たることにした。
袈裟懸けはいわゆる〝宿無し〟の特異個体であり、騎士王国の西側を徘徊していることが確認されている。ほかのオークの縄張りに平気で踏み入り、暴れまわっているため、その足取りはなかなか掴めなかった。本来の討伐作戦でも、袈裟懸けの足取りをある程度割り出した上で、牛や豚の屠殺隊を用いておびき寄せる計画が立てられていたのだ。これは他の獣魔族をおびき寄せるリスクの高いものであり、そうした手段を取る必要がなくなったこと事態は、彼女の荷を軽くしている。
だが、やはり考えるとわずかに足がすくむ。
連日のように見る悪夢を思い出す。
袈裟懸け。
その発生由来は未だに突き詰められてはいないが、戦術級から準戦略級に匹敵するオークの特異個体である。肩から腰にかけてを横断する巨大な裂傷痕から、その名前がつけられた。
通常のオークをはるかに凌駕する体躯と、異常に肥大化した頭部。そして複雑にねじり曲がった双牙。目撃情報をもとにスケッチされた予想図は、他のオークと比しても有り余る嫌悪感を、キャロルの心胆から引きずり出した。
特異個体であるがゆえにその行動パターンも未知数だ。血に誘われる習性などはそのままだが、他のオークと比しても非常に好戦的であり、かつその過剰な残虐性が指摘されている。遭遇し、パニックを起こして逃げ惑う新米騎士をあえて狙って追いかけ、悲鳴をあげる彼らを嬲って楽しんだという報告すらあがっていた。
弱気になるな。
キャロル・サザンガルドは、要塞線の廊下を歩きながら、額の汗をぬぐった。荒い息を抑えようと、何度か深呼吸を繰り返す。
先のミーティングでアイカが見せた、あの心配そうな表情が脳裏に焼き付く。できたばかりの剣友に、あんな顔をさせているようでは、騎士失格だ。見事袈裟懸けを討伐し、笑って『なんとかなるものだな』と言ってやりたい。言ってやらねばなるまい。
そのために選んだ精鋭の騎士たちだ。いずれも由緒ある伝統騎士の家柄を持ち、サザンガルド家ほどではないにせよ、優秀な戦闘技法と身体能力を、過去より現代につないできた。
彼らにきちんと指示をくだし、戦うことができれば、勝つことは難しくはない。
なんとか、心根を落ち着けようとするキャロルに、背後から声をかけるものがあった。
「不安そうではないかね、ディム・ルテナント・キャロル・サザンガルド」
ねっとりと絡みつくような、粘り気のある声。キャロルはただでさえ悪い気分を、余計に害すこととなる。
「何か用か。サー・メイジャー・ヨーデル・ハイゼンベルグ」
「改めて忠告するが、貴公はその上官に対する言葉遣いを改めるべきだな」
うねり癖のある金髪を指先でいじりながら、ヨーデル・ハイゼンベルグが立っていた。彼の後ろに立っているのは、今回の獣魔一掃作戦の総指揮を任されているディム・カーネル・シロフォン・サンダルフォンだ。千騎士長として、騎士階級としては百騎士長ヨーデルの上であるはずのシロフォンが、伯爵と侯爵という立場の違いを考慮してヨーデルの後ろに立っているのが、なおさらキャロルの苛立ちを加速させた。
「貴様に上官に対する態度を指摘されたくはないな。先ほどの作戦会議でも、貴様のシロフォン千騎士長への態度はなんだ?」
「ハイゼンベルグ侯爵家とサンダルフォン伯爵家の関係を見れば当然の態度だとは思うが。それにカウンテス・サンダルフォンは、作戦の立案能力には長けているが、獣魔族の生態に関しては私ほど詳しくはない。彼女の作戦の穴を、私が指摘してあげただけだ」
「よく言えたものだな。爵位が下ながら、自分より出世したディム・シロフォンへの嫉妬ではないのか?」
キャロルがそう指摘すると、ヨーデルの背後に控えていたシロフォンがスッと前に出た。
「ディム・ルテナント・キャロル。それ以上はマーキス・ハイゼンベルグへの侮辱です。例えあなたと言えど見過ごせません」
「くっ……」
シロフォン本人からそのような言葉が出ては、キャロルは下がらざるを得ない。ヨーデル・ハイゼンベルグは、にんまりと笑い、なおも金髪のうねりを人差し指でいじくりながら、このように続けた。
「ディム・キャロル、袈裟懸けの件について、とうとう自分からは何も言い出さなかったな」
「何のことだ?」
含みのあるハイゼンベルグ公爵の物言いである。キャロルは眉にしわを寄せた。
「貴公がオークに対して恐怖心を抱いているということだよ」
「なっ……」
「貴公が自分から言い出すようなことがあれば、我々としても討伐隊の再編を見直さざるを得なかったのだが。そんなに失望を買うのが怖いかね」
ヨーデルのいやらしい笑みを見て、まずキャロルはさっと顔を青くし、次に頭が真っ白になり、やがては青い顔を怒りと羞恥で赤く染めた。
「貴様っ、それを知って……!」
「知って、貴公を推薦した。辞退するかとも思ったのだが、なかなか貴公は気丈だな。プライドのために犬死をするのかね。自身の命を危険に晒すのかね。あるいは、オークが怖いから誰かついてきてくださいと、なぜ言えんのかね。まったくもって、伝統騎士の心情というものは理解ができん」
「貴様なら言い出せたのか!?」
キャロルがくってかかり、ヨーデルの胸ぐらをつかもうとする。再び前に出んとしたシロフォンを、ヨーデルは片手で抑えた。
「私なら、言ったよ」
「貴様らが普段から謳っている貴族騎士のプライドとはその程度か!?」
「誇り高さと強情さは違うとは思わんかね。貴公らの命は何のためにあるのかを考えたまえ。私は自らの死は国家の損失と考えるよ。死の危険性が伴う任務であれば、何かしらの応対策を明示、あるいは要求するべきだ」
「くっ……」
では、なぜヨーデルはキャロルを袈裟懸けの討伐隊に推薦したのか。それを叫ぼうかとも思ったが、やめた。この男のやること、言うことは大方信用できない。彼が嫌がらせのために仕組んだのだとしても、それは不思議なことではなかったからだ。
「見ていろ、私は必ずこの手で……!」
「期待はしていないがね。まぁ遠くで見守らせてもらうよ」
「言っていろ!」
とうとうキャロルは彼らに背を向けてしまう。廊下を歩く足の一歩一歩に怒気が篭もり、歩調がだいぶ乱暴になった。
「御しがたい女性ですね、マーキス」
「まぁ気の強い女性は、それはそれで魅力的だがな。それでも私は、あれは無理だ」
そのような背後の会話が、キャロルの耳に届かなかったのは、彼女にとっては幸いだったことだろう。