第26話 私が恐れるもの(後編)
「あれは、ワガハイが亡き父のあとを継ぎ、騎士将軍に就任して間もない頃の話です」
サー・ジェネラル・アンセム・サザンガルドの昔話が始まった。
「当時、ワガハイは騎士王国最強の騎士として名を馳せておりました。今も実力は衰えていないつもりですが、とにかく当時は騎士団の先頭に立ち、力を振るい、多くの敵――多くは魔獣や獣魔の類でしたが、連中を蹴散らしたものです。ワガハイは決して力に溺れるようなことはありませんでした。常に、自らの心に気高い矜持を持ち、騎士の力とは人々を守るためにあるのだと考え、積極的に前線に立ちました。そのようなワガハイの姿を、多くの部下は慕い、心強く思っていてくれました」
淡々と語るその言葉に、自己陶酔のような色は見られない。事実、アンセムは強い。ショウタはその片鱗しか見せられていないが、土がこんもりと積まれた山を三回踏みつけただけで平地に戻し、ジャンプ一跳びで遠くへ消えていく脚力を一度でも見せつけられれば、理解するには十分すぎる。
そのような騎士将軍が常に前線に立つのならば、確かに、それほど心強いことはないだろう。王国最強の騎士が、常に共に戦ってくれるのだ。厳格ながら公正、そして今の彼のように穏やかな優しさも秘めた人柄となれば、慕われるのも当然だ。
だが、騎士将軍は続けた。
「それが、いけなかったのでしょう」
ショウタは、アンセムの語るその言葉の意味が理解できない。なので、黙ってその続きを聞いた。
アンセム・サザンガルドが騎士将軍の地位に就いてからしばらく。彼はその真面目な性格通り、職務に忠実に励んだ。獣魔族による災害が発生したと聞けば、まずは自ら作戦を立て、優秀な騎士達を率いて現場に赴き、内乱の気配があればやはり作戦を立て騎士を率いて赴いた。
現場でもまた、アンセム・サザンガルドは獅子奮迅の働きを見せた。3メーティアにも及ぶ巨大な刺突剣を振り回し、同規模のタワーシールドで味方や市民へ及ぶ攻撃を完全に防ぐ。また自らのために誂えられた、バリスタのようなコンポジットボウで、遠方に居並ぶ敵を軒並み撃ち殺す。巨大な得物を回転させて竜巻を起こし、敵をまとめてたたきつぶす。
そうしたアンセムの活躍を、彼の部下達は信頼と安心の眼差しで眺めていた。
アンセム・サザンガルドは決して驕らない。自らの実力を客観的に評価し、強大で優秀な戦力のひとつと認識しながらも、決してそれを鼻にかけることはせず、日々の鍛錬もまた怠らなかった。
だが当時の騎士将軍は、ある一点において、指揮官としてまだ未熟であると言えた。
人々の先頭に立って力を振るい、全力を尽くすことで部下はついてくるのだと、アンセムは本気で信じていたのだ。それは間違いなく真実ではあったのだろうが、その真実を自らに適用させるには、アンセム・サザンガルドはあまりにも優秀すぎた。
ある日のことである。
アンセムは、領内の2ヶ所で同時に獣魔族災害が発生したという報告を受けた。さすがのアンセムも身体を分割することはできない。片方に精鋭の騎士団を向かわせ、片方に自分が向かうことで対処した。精鋭騎士団の方にも、無理は決してしないよう伝えた。正午過ぎには、そちらへ救援に向かうと。
とは言え、報告を受ける限りでは、派遣した騎士団で十分に対応が可能なレベルである。累日の鍛錬は、決して無為なものではない。と、アンセムは考えていた。もし予想外のアクシデントが起きても、彼らなら問題はないはずだ。
そうして、彼らは要塞線を発った。アンセムがたどり着いた村は、既に獣魔族の侵攻により半壊状態だったが生き残りは多く、アンセムは単騎でそれを退けることに成功した。一人で来たのには理由がある。騎士団を率いるよりも、迅速に移動ができるからだ。その上でなお、アンセムは獣魔族に襲われた村を、一人で救う自信があった。
そして事実、救って見せた。
ひとつだけ予想外のことが起き、それだけが時間のかかる要因となった。
この村を襲った獣魔族災害が、ある人間の賊どもによる手引きであったということだ。アンセムは賊どもの奇襲を受けたが全てを返り討ちにし、要塞線に連行した。時刻は正午を回っていた。
もうひとつの村へ救援に向かった騎士団のことを思う。約束の時間よりは遅れてしまったが、今からでも行かねばなるまい。とっくに全てが片付いてしまっていても不思議ではなかったが、そこは誠意だ。アンセムは、獣魔族どもに襲われた村へ飛んだ。
村は既に、壊滅していた。生存者は皆無だ。
男も、女も、老人も、子供も。等しく無残な屍を、崩壊した家屋と共に晒している。村に跋扈するゴブリンやコボルトは、アンセムの部下たちの亡骸をいたぶり、貪っていた。彼らに表情は恐怖で歪み、既に発せられることもない断末魔が、アンセムの心に響く。
不思議なのは、彼らの剣にも鎧にも、戦った形跡が見られないことだ。
マーリヴァーナ要塞線を守護する誇り高き騎士達は、獣魔達の猛攻を前に逃げ惑っていたようにしか見えない。彼らの多くは、倒壊した家屋の中で下敷きになっていた。その死に様は騎士のものではない。守るべき村人たちと、まったく同じ末路である。
それを見たとき、アンセム・サザンガルドは、今まで自らが犯していた致命的な過ちに気づいた。
「彼らは最期まで信じていたことでしょう。『ジェネラル・サザンガルドは来る』と。ワガハイがさっさと片方の村で起きた事件を片付け、駆けつけ、蔓延る獣魔どもを全て撃滅してくれると。ワガハイは、それだけの働きを、彼らに見せていました」
アンセムは静かにそう語り、すっかり冷めてしまったお茶に口をつける。
「強い力とは、自身ではなく味方すら滅ぼしうるのです。それ以降ワガハイは、前線に立つことを止めました。部下達の戦いに、手助けをしないと決めたのです。それは、それまでのワガハイのやり方よりも、いくらかの殉職者を増やすことになりました。が、かつてのやり方を続けていれば、おそらくもっと致命的な被害が、なおも発生していたことでしょう。強い力、救世主的存在への安心感は、やがて国をも傾けます」
ショウタは、まさしく絶句していた。これまで彼が、一度たりとも考えたことのない理屈の展開であった。
いや、一度も考えたことがない、なんてことはないはずだ。万能の存在が近くにあるだけで安堵し、その安堵がモチベーションを下げてしまう事例など、いくらでもあったはずだ。おそらく、当時のアンセムの部下達は、そうした精神状態にあったに違いない。
きっと、アンセム将軍が来てくれる。
きっと、アンセム将軍が助けてくれる。
もう、全部アンセム将軍がやってくれる。
強い力が、たった一人で戦い続けるとはそういうことなのだ。
「メロディも……」
「ふむ?」
「いえ、勇者メロディも、そうなんですかね……」
ショウタは、机の上で残り少なくなった砂糖菓子をじっと眺めながら、そう呟いた。
人類の救世主〝勇者〟メロディアス。あの薄桃色の髪をした愛らしい少女は、今もなお、異国のどこかで戦い続けていることだろう。人々の〝勇気〟の代行者として。決して人類には到達し得ぬ力を振るい、人々を助けている。
だがそれは、ひょっとして、かつて騎士将軍アンセムが犯した過ちと同じことなのでは、ないだろうか。
「かもしれません」
アンセムは冷たく言い放った。
「ワガハイは勇者殿と直接の面識はありませんが、彼らは常に人類の脅威と戦い、それを退けてきたと聞きます。ですが、人々がその力にのみ頼り、自ら戦う意思を失ってしまったのであれば、それは悲劇です。ワガハイは騎士としての立場上、戦うことを市民には強制できません。が、それでもあえて言うなれば、」
サー・ジェネラル・アンセム・サザンガルド。ただ一度言葉を区切り、そしてはっきりとこう告げた。
「人は、何かに立ち向かう意思をもって初めて、〝人〟足り得るのです」
その言葉を、ショウタは重く受け止める。
「姫騎士殿下にもお伝えしました。『貴公一人が戦っているのではない。貴公一人が戦えば済む話でもない』と。どこまでご理解いただけたかはわかりませんが」
「殿下も割と、一人で戦っちゃうタイプですからねー……」
ショウタは遠い目をして言った。
確かに、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は強い。彼女より強い人などいくらでもいるようだが、それでも、賊を一人で一蹴し、その常人を凌駕した身体能力を見せつけられれば、実力に疑問を挟む余地はないだろう。事実、彼女はひとつの村を救った。ひったくりを捕まえた。いずれも、まぁショウタもちょっと手伝ったとはいえ、ほぼ殿下一人の活躍によるものだ。
アンセム将軍の指摘するような危うさは、ある。
人々が〝守られること〟に慣れきった世界は、きっと恐ろしいものだろう。
「無論、彼女達はまだ発展途上ですし、未熟です。決して先頭に立つなと言えるほどのものではありません。また、強大な力によって人々が牽引されるべき瞬間というものはありますから、一概に言えないのが、難しいところですが」
「よーするに頼り切っちゃうような環境を作らせるなってことですよね」
「はい。敵わぬ敵に立ち向かうのは、個人より集団の力であるべきなのです」
2人に特別訓練を課したのも、それをよく知ってもらうためだ。姫騎士殿下もキャロルも力を持つだけに、スタンドプレーが目立つ。それを正す目的があったのだと、アンセム・サザンガルドは語った。
「そういえば、キャロルさんでしたっけ。あの、袈裟懸けの討伐に行くのって」
ショウタがそれを口にすると、アンセムはやや苦い顔で頷く。
「はい」
「どうかしたんです?」
「いえ、キャロルはオークが苦手なようですから、ワガハイは少し心配をしております」
この鷲鼻の男から、そのような言葉が飛び出すとは思わなかった。アンセム・サザンガルドも人の親であるらしい。
「客観的に見てあれの実力は、袈裟懸けの討伐を行うのに問題ない程度と言えるでしょう。熟練した騎士を連れ、正しい指示を下していけば、倒すことは不可能ではない。容易ですらあります」
だが、と、アンセムは続ける。
「先程も申し上げましたが、恐怖は人の足をすくませます。オークを前にして、彼女がどれほど精神状態を保てるか」
「そんなことわかってて命令したのって、やっぱ苦手を克服して欲しいからですか?」
「それもあるには、あります。あの歳で騎士がオークを怖がるようでは、話になりません」
騎士将軍の言葉はぴしゃりとしたものである。
「ですが、あれに袈裟懸けの討伐を任せることを提案したのは、百騎士長のヨーデルでして」
「ああ、ハイゼンベルグ侯爵の。キャロルさんの直接の上司の」
「はい。先ほど言ったように、キャロルは客観的には問題ない実力を備えています。ワガハイにはそれを却下する理由がない。ましてや、マーリヴァーナ要塞線において、獣魔族の生態に一番詳しいのはヨーデルですが、ことオークに関して2番目に詳しいのがキャロルです。適切な人選であるとすら言えます」
それでもキャロルが、自らの苦手をきちんと理解し、口にするのであれば取り下げる理由になる。しかし彼女はそうしなかったし、またアンセムの立場から『キャロルはオークが苦手だから袈裟懸けの討伐には行かせられない』とも言えなかった。なまじ、父娘という関係があるからこそ、そうした客観的かつ正当な判断を妨げているのだ。『騎士将軍は娘可愛さに彼女を危険に晒せない』と思われては、いけないのである。ましてや相手は、伝統騎士を快く思わない、貴族騎士なのだ。
伝統騎士と貴族騎士の対立構造。
〝強い力〟の恐ろしさ。
そしてキャロルと袈裟懸けの問題。
このマーリヴァーナ要塞線に眠る課題は、必要以上に多い。それらすべてを自分たちの手で解決しようとするのは、それこそ無理であるし、アンセムの言うとおり可能であってもやるべきではない。徐々に解決されていくべきものなのだ。
ひょっとして、騎士王や宰相が、殿下とショウタをこの地へ向かわせたのは、そうした諸問題に少しでも触れておくべきだと、判断したからなのかもしれない。
「興味深いお話を、ありがとうございました」
気がつけば、時刻はだいぶ経過していた。ショウタは深々と頭を下げて、そう言う。
「いえ、こちらこそ、長々と付き合わせてしまいました」
「いちおー、殿下が暴走しないようにはイロイロ見張っておきます」
「はい、お願いいたします」
アンセムも頭を下げたので、ショウタはもう一度お辞儀をしてから、部屋を出る。将校居住区には灯りがあるので、帰り道には迷わない。
例の砂糖菓子はまだまだ残っていたが、甘いものが大好きなアンセム将軍のためにあえて置いていった。講義代のようなものだ。事実、あらゆる意味で、ショウタには覚えておくべき話が多すぎた。これらすべてを、姫騎士殿下に話すべきかというと、それはまたちょっと違うのだが。
でも、キャロルの話くらいは、しておいたほうがいいだろうか。その、仲良さそうだったし。
ショウタは、医務室で艶かしく絡み合う2人の姿(脳内補正アリ)を思い出して、またもかぶりを振る。
やはり、キャロルがレズなのかどうかは聞けなかったな、と、騎士将軍の執務室を振り返り、思った。
「あー、ただいま帰りましたー」
「ショウタっ!」
将校居住区に割り当てられた部屋へ戻ると、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下が飛び跳ねて迎えてくれた。戻っていたらしい。
「ショウタ、無事だったのですね! ちょっぴり心配……は、そんなにしていませんでしたが、寂しかったのです!」
「そ、そうですか……?」
姫騎士殿下は、甲冑を脱いだ鎧下姿である。ところどころにあてられたガーゼや包帯が、少し痛々しい。先ほどの医務室ではすぐに退室してしまったため、はっきりと確認はできなかったが、やはり騎士将軍の特訓はそうとう厳しいものであった様子だ。
訓練内容を直接聞いたわけではないが、話しぶりからするに、アイカとキャロルで直接、アンセム将軍と手合わせしたといったところだろう。勝てた、とはとうてい思えないが、一撃当てるくらいのことは、できたのだろうか。
ショウタは室内をきょろきょろと見渡し、尋ねる。
「あのう、キャロルさんは?」
「キャロルなら、自室に戻りましたが」
いきなり呼び捨てにしていたので、ショウタは思わず面食らった。
これはその、やはり2人の仲がそうとう進展したと見ていいのだろうか。あの貴族騎士に対して強い偏見を持っていたキャロルが、アイカにデレた結果なのだろうか。ショウタはなにやらモヤモヤした感情を持て余して、妙な居心地の悪さを感じた。
それを察したのは、目の前の姫騎士殿下である。
「ショウタ?」
「はっ、はいっ?」
「私、キャロルとは特に何もありませんからね?」
殿下は思わずジト目になっていた。
「いや、何もなかったわけではありませんが、ショウタが想像しているようなことは特にありませんでしたからね?」
そのようなことを言われ、ショウタはごくりと唾を飲み、こう尋ねる。
「ぼ、僕が想像しているようなことって、なんですか?」
「それを私に言わせようと言うのですか!? ショウタはそういうのが好きなんですか!?」
「そういうのってなんですか!?」
「お互い純情ぶるのはやめましょう! 私とキャロルの濃厚なベッドシーンなどありませんでしたっ!!」
果たしてアイカ・ノクターン、あるいは、アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ姫騎士殿下は、顔を真っ赤にしてそのように叫んだ。とんだ羞恥プレイである。確かに、こういうのは好きかもしれない、という考えが一瞬脳を掠めたので、ショウタはそれを追っ払った。
ショウタ自身も、妙に顔が熱くなるのを感じながら、視線を逸らして頬を掻く。
「そ、そうですか……。そんなことがなくってホッとしました……」
「そんなことってなんですか?」
姫騎士殿下の復讐が始まる。ショウタは思わずたじろいだ。
「私が言ったんだからショウタも具体的に言ってください! 私とキャロルに何がなくてホッとしたんですか!?」
「殿下も羞恥プレイがお好きですか!」
「私にベッドシーンと言わせておいてショウタが〝そんなこと〟で済まそうとするのが納得できないだけです!」
顔を真っ赤に染めて叫び合う2人は、あけすけなのか純情なのかわからない。一歩間違えば淫語プレイにも発展しかねない危険な領域であると言えたが、ぶっちゃけこの2人程度の関係であればまだまだ健全である。
さて、ショウタである。
彼も男である。覚悟を決めた。頬を紅潮させながらも、正面から殿下の顔を見据える。姫騎士殿下もまた、その赤い顔でジッとショウタを睨み返した。ゆでダコ2つだ。ショウタは、姫騎士殿下の頭からつま先までを視線で一周する。すなわち、胸元で大きな曲線を描く小高い丘は、未だ未踏峰であるということだ。
「姫騎士殿下とキャロルさんが医務室のベッドの上で半裸になって濃厚に絡み合っているという事実がなくてホッとしました」
「そうですか」
「そうです」
「そうですか」
言葉が途切れたあとも、2人はじっと睨み合う。見つめ合うというよりは、睨み合うといった方が正しかった。
「…………」
「…………」
互いに飽きないもので、5分くらいはそのままであった。
「で、あの、どうするんですか。この空気……」
ショウタがぽつりと呟くと、姫騎士殿下もようやく視線をそらす。
「こ、これで手打ちにしましょう」
「そうですね」
「感情だけでものを言うのは、たいへんよろしくないことです」
「そ、そうですね……」
ひとまず、これで手打ちにしようと言う話であるから、手打ちになった。ショウタは頭をぶんぶんと振ってピンク色の思考を叩き落す。
「そういえば殿下、キャロルさんのことなんですが」
「まだ引っ張るんですか!? 彼女は羨ましいくらいスレンダーでした!」
「その話は殿下のコンプレックスと合わせて今度じっくり聞きます!」
今、隠れた自分の性癖がとんでもないことを言葉にしたような気がするが、ショウタは積極的に忘れた。
「それで、あの、そう。キャロルさんですよ。キャロルさんとオークの話」
「キャロルがオークをトラウマに思っているという話ですか?」
「あれ、知ってるんですか?」
ショウタが尋ねると、姫騎士殿下は『あっ』と口を開く。
「け、剣友から口止めをされているので、これ以上は……」
「そ、そうですか……?」
沈黙はときとして雄弁であるが、まぁ、指摘してもしょうがないだろう。ともあれ、知っているならば話は早い。ショウタは今日、騎士将軍アンセム・サザンガルドから聞いた話を、そのまま姫騎士殿下にもした。主に、キャロルとオークのくだりである。
〝強い力云々〟のくだりについては、話さなかった。そうした話は、アンセムから直接彼女にあるべきだと思ったし、何より自分がそうであったようにメロディのことを思い出させる可能性がある。殿下の性格ならば、そのままメロディのもとへ飛んで行きたくなってしまうだろう。
アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、真面目な顔でそれを聞き、そして何度か頷いた。
「なるほど。やはりアンセムも、キャロルには荷が重いと考えていたのですね」
「みたいです。でも、同時にいつまでもオークを怖がってるようじゃ話にならないとも」
「これは、キャロルには直接伝えられることではないですね……」
姫騎士殿下は、形の良い顎に手をやるいつもの仕草で考え込む。
「ともあれ、話は承知しました。私たちに出来ることがあるかはわかりませんが。これは、キャロルの問題になりますし」
「まぁ、そうですねー……」
彼女が恐怖を拭って立ち向かい。袈裟懸けを倒すことができるならば、本当はそれが一番いいのだろう。それができるかどうかは、ショウタにはわからない。ただ、できなければキャロルは負けてしまうだろうし、負けてしまった彼女がどうなるかは、あまり考えたくはない。
アンセム・サザンガルドのことを考える。
彼は決して前線には立たないと言った。自分の力に甘えられる環境を作らないためだ。だが、人が彼の言う〝人〟たるべき時に、立ち向かう意思を見せたとき、その時くらいは、力を貸してくれるのだろうか。
アンセムがキャロルを助けに行くようなことは、あるのだろうか。
あったとして、キャロルは何を思うだろうか。かつてのアンセムの部下たちのように、立ち向かう意思を忘れていくのだろうか。
「ショウタ、怖い顔をして、どうしました?」
「いえ、あの……はい」
ショウタは煮え切らない答え方をしてしまう。
「そんな真剣に私とキャロルの絡みを……?」
「違いますけど!」
顔が赤くなるまで数秒もかからない。ショウタは叫び返した。
さて、そろそろ夜も更けてくる。王宮では太陽石による照明器具があり夜間も明るいが、マーリヴァーナ要塞線の照明器具はほとんどがカンテラやトーチだ。割と薄暗く、何かをするのには適さない。
「そろそろ寝ましょう。明日もきっと早いです」
「そですね。今日1日も長かったですし……」
現金なもので、いざ寝ようとなると身体は急に弛緩し、ショウタの口からはあくびが出る。カンテラの灯りを消して、ごそごそと自分のベッドに潜り込もうとしたショウタを、後ろから殿下が呼び止めた。
「ショウタ、」
「はい。なんでしょう」
「やっぱり私と一緒に寝るのはイヤですか……?」
暗闇から聞こえてくる殿下の声は、とんでもないことを言っていた。
「そもそも、殿下は僕と一緒に寝たいんですか……?」
「まずは質問に答えてください!」
夜目に慣れないこの状態では、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下の表情が読み取れない。ひとまず、ショウタは正直に答えることにした。
「い、イヤじゃないですよ? イヤじゃないですけど、でも……」
「そうですか。イヤじゃないならいいです。おやすみなさい」
殿下は満足そうな声でそう言って、後に『ぼふっ』というベッドに身を投げる音が聞こえた。さらに数秒後には、規則正しい寝息が聞こえてくる。
「な、なんなんだ……」
ショウタはぼそっとそう言って、そのまま布団をかぶった。
翌朝、袈裟懸けが隣接する領地の村を襲ったという情報が、マーリヴァーナ要塞線に届いた。