第24話 凛と響け、剣誓の音
アイカとキャロルは、アンセム将軍の過酷な訓練を終えた後、医務室に運ばれたらしい。
ショウタは集団演習の見学を終えたあと、そのように聞いた。
集団演習は、あいも変わらずの妙にピリピリした空気の中、幕を閉じていた。ヨーデル・ハイゼンベルグ侯爵の終始得意そうな講釈のもと、その後も何度か模擬戦が行われ、新米騎士達も少しずつ対獣魔族の集団戦におけるセオリーを、掴みつつある様子であった。
それでも、伝統騎士と貴族騎士の対立構造は拭いがたい。模擬戦中の連携は明らかにぎこちないものであったし、それゆえに危機を招くようなシチュエーションも何度か発生していた。さすがに、ハイゼンベルグ侯爵をはじめとした教官側もそのあたりについては平等に喝を入れ、無論、立場上、表面上の意見も混ざってはいるのだろうが、偏見を捨ててきちんと協力するよう弁を垂れていた。
傍から見て、何か得るもののあった演習であったかというと、それはなかなか難しい。オークの生態、行動原理などについておおよそ学べるものはあったが、それ以上に、伝統騎士と貴族騎士の間に立ち込めるピリピリとした空気が、ショウタの気を削いで仕方がなかった。どうもああしたものは苦手だ。
ショウタの生まれ故郷でも、二派が対立し争う構造は、ないではなかった。が、多くの場合、それらは望めば関わらずにいられたし、そうでないものも大抵が小規模で、取るに足らない些細な争いだったように思う。
まぁ、そのあたりを難しく考えるのは、後にしよう。今は、アイカの件である。
お見舞いに行かなくては、と、ショウタは思った。
ふたりは医務室に運ばれた。訓練の最後、演習場を50周もした結果、ぶっ倒れたという。サザンガルド式訓練の数値的なスケールのでかさにはまず驚いたものの、ひとまず、命に別状はないと聞いて(あったら大変だ)、ほっと胸をなで下ろす。どうやら運び込まれた当初は意識もなかったようであるが、すぐに目を覚ますだろうから、そこも心配はいらないと告げられていた。
「ショウタくん」
演習場からぞろぞろと撤収を始める騎士達に混じり、急いで駆け出そうとしたショウタを、背後から少年が呼び止めた。出鼻をくじかれ、急ブレーキがかかる。その場で足踏みを繰り返しながら、ショウタは振り返った。
ヨーデル・ハイゼンベルグの小姓である。どうやら市井の出らしいが、侯爵家に召抱えられただけあって佇まいが優雅だ。柔和な笑みを浮かべながら、片手をあげている。
「どうだろう、このあと、サー・マーキス・ハイゼンベルグの部屋で茶会を開きながら、いろいろと話を聞かせてもらう予定なのだが、君も来ないかい?」
なぜか、すっかり気に入られてしまったらしい。
「えーっと、僕はその、アイカお嬢様のところへ行かなければならないので……」
「ああ」
少年は苦笑した。
「ディム・アイカは医務室へ運ばれたんだっけ。君も忠義者だな。主人が倒れたともなれば、駆けつけないわけにはいかないか」
「ええ、あの、はい、まあ」
早く話を終わらせてくんないかな、という気持ちが、ショウタの足踏みを加速させる。
「彼女にはよろしく伝えてくれたまえ。いい戦いを見せてもらったと。では、引き止めて悪かったね」
「はーい。じゃあ、またー」
ショウタは手を振って、また勢いよく駆け出した。
お見舞いに行くなら、何か買っていったほうがいいだろう。騎士王国では24時間営業などという不健康な営業形態をする小売店など存在しないと思っていたが、ひとつの要塞に都市機能を持たせたこのマーリヴァーナ要塞線では、見張りや警邏などを行う騎士のために、夜間でも開いている店がある。果物かなんか売ってたら買っていこうかなー、でも、この辺農作物あまりなさそうだしなー、などと思いながら、ショウタは軽快に駆けていく。
正直なところ、彼はあのピリピリした空気を、アイカと話すことでさっさと忘れたいのであった。割と真面目に、ショウタは彼女に癒しを求めちゃったりしていたのである。気恥ずかしいので、その事実から積極的に目をそらす。
ショウタ・ホウリン、16歳の夜であった。
Episode 24 『凛と響け、剣誓の音』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
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「知らない天井です……」
「当然だろう」
ベッドの上で目を覚ましたアイカに対して、冷淡な突っ込みがあった。
ここはどこだろう。なんとか上体を起こそうとすると、やたら身体の節々が痛んだが、それでも彼女は無理やり起き上がった。石造りの冷たい壁や天井は、要塞線内部であることを思わせるが、そこかしこに張られた白い布だけが、妙に清潔な印象があった。アイカが寝ていたベッドもまた、然りである。
横のベッドでは、先ほどの声の主。すなわちディム・ルテナント・キャロル・サザンガルドが、少しばかり神妙な面持ちで、やはり上体を起こしていた。手足にガーゼを貼られ、包帯を巻かれている。彼女が肌着姿なのを確認して、アイカはようやく、自分もまた鎧下をはがされた肌着姿であることに気づいた。
網目の荒い白の肌着の下には、アイカのきめ細やかな白い地肌が広がっているが、ところどころ、しっかり青あざが浮かび上がっている。あまりにもひどいものは、肌着の下でも容赦なくガーゼで覆われていた。気恥ずかしさが遅れてやってくるが、この部屋の中に自分たち意外の人影はない。
「心配するな。衛生騎士は女だった」
「えっ、あ、はい?」
キャロルの声音は真面目そのもので、冗談なのかどうかはイマイチ判別できない。
「えっと、ディム・キャロル。ここは……?」
「医務室だ。第二演習場からほど近いとなると、おそらくは第六医務室だな。あのあと、私たちは気を失って、こちらへ運ばれた」
「……ああ」
ようやく、アイカも思い出す。
アンセム・サザンガルドを相手にした過酷な実戦演習の後、自分たちは演習場50週を命ぜられ、なんとか走りきった頃にはすっかりフラフラで倒れてしまったのだ。訓練は厳しいものだったが、それでよもや気を失ってしまうとは、修行が足りない。アイカはただただ、自分の未熟さを恥じ入る心地となる。
どうやらこの医務室に衛生騎士は非常勤であるらしく、2人が命に別状のないことを確かめると、さっさと外に出て行ってしまったらしい。薄情といえば薄情だが、気楽と言えば気楽なのでこれでよい。
とりあえず、ベッドから降りようと思った。が、身体を動かそうとすると、またも激痛に苛まれる。苦悶の声を噛み殺し、表情を歪めると、横からキャロルが言った。
「無理はするな。ディム・アイカ。貴公は、その、私よりダメージがかさんでいる」
そして続けて、こうも言った。
「その……、す、すまなかったな」
「えっ?」
なんとか首を動かして彼女の方を見る。キャロル・サザンガルドは、こちらの方を決して見てはいなかったが、何やら顔を真っ赤に染めて、間違いなく謝罪を口にしていた。鳶色の外ハネセミロングから、蒸気が上がっている。
顔は伏せられ、金色の瞳がせわしなく動いているのが、辛うじてわかった。反対に口元はなんどかもごもごと動くものの、意味のある言葉は発せられない。アイカが彼女の言葉の意図を問いただそうと口を開くと、同時にキャロルはようやく次の言葉を紡いだ。
「私のその、わがままで、貴公には迷惑をかけた。お父さ……ではなかった。騎士将軍の過酷な特訓に付き合わされたのも、元はといえば、私がその……手合わせを申し込んだからで……」
それまでの気勢とは打って変わった、しおらしい態度である。アイカが戸惑っていると、キャロルはさらに、ぽつぽつと言葉をつなげていく。
「貴族騎士だからと、侮っていた自分が恥ずかしいんだ。貴公は、私を庇ってまでくれたのにだ。本当に、済まなかった。ディム・アイカ」
「そんな、気にしないでください」
アイカはにこりと笑って答えた。
立場を忘れ、つまらない意地を張ってしまったのはこちらも同じなのだ。伝統騎士だの貴族騎士だの、そういった立場の違いからくる対立に、静かな憤りを感じていたのは事実だが、アイカもアイカで、そんなわからず屋のキャロルに対して意固地になっていた部分はある。
アンセム・サザンガルドの圧倒的な実力を前にして、ようやくわだかまりを解く決意に至ったというのだから、自分の心と言えど現金な話だ。
が、キャロル・サザンガルドは、バッと顔をあげてこう叫んだ。
「いや、気にするぞ! 私は、そこまで厚かましい人間ではない!」
「えっ、ええっ!?」
この女騎士はいきなりそんなことを言い出して、ベッドから這い降りると、ずんずんとアイカに向かって歩いてきた。網目の荒い肌着の下に、彼女のすっと引き締まったスレンダーな肉体(なんて羨ましい!)が浮かび上がっている。
キャロルは、がしっとアイカの両手を掴んだ。
「あいたっ」
「すまなかった、ディム・アイカ。貴公の思いやりも知らないで私は……ッ」
何やらそうとう思いつめた表情をしているキャロルを見て、アイカも冷や汗を垂らす。
「殴ってくれ! 気の済むまで私を殴ってくれ!」
「いっ、イヤですよっ! 無抵抗の人に手を上げるなんて、その。冗談はやめてください。ディム・キャロル!」
「冗談ではない! 私は本気だ!」
キャロルは意図不明の申し出をやおらプッシュしてくるが、それはアイカにも容易には飲み難い相談だ。
キャロル・サザンガルドはアイカの両手をぎゅっと握り締めたまま、さらに身体を寄せてくる。もはや吐息の混ざり合う距離であった。『私は本気だ!』の言葉が示すとおり、金色の双眸は真剣な色を宿している。この至近距離において、もはや触れ合うのは手と手だけではすまされず、やけに高い体温が、様々な接触部分を通してアイカの身体に伝わってきた。
と、その時である。がらり、と、医務室の扉が開いた。少年が飛び込んでくる。間の悪いことに、キャロル・サザンガルドがもう一度叫んだのは、ほぼ同時であった。
「失礼しまーす。お嬢様、だいじょぶですかー? 果物とかなかったですけど、なんか砂糖菓子みたいのが売ってたんで買って……」
「私は本気だぞ、ディム・アイカ!」
いつもどおりのにこにこした笑みと共に姿を見せた彼は、ショウタ・ホウリンである。彼は、ベッドの上でもつれ合う肌着姿の女騎士2人を見て、ぴたりと足を止めた。
「あっ、失礼しました」
ぴしゃりと扉が閉じられた。
「しょっ、ショウタ!?」
アイカは閉じられた扉に手を伸ばし、冷や汗の量を2倍にして叫ぶ。
「ちっ、違うんですよ!? ショウタ、聞こえますか!? 違うんです、何が違うって、もう、いろいろありとあらゆるもの、例えばお約束とかセオリーとか、そういったものからして間違えているような気がしてなりませんが、とにかく違うんです! ショウタっ! ショウタ、ねぇ、聞こえておりますでしょうか!?」
もはや自分が何を言っているのかわからないアイカだが、この時致命的な誤解をショウタに与えてしまった気がして、取り乱してしまったのである。いくら叫んだところで、また医務室の扉が開くことはなく、アイカは最終的にガックリと肩を落とした。
一部始終をよく理解していないのはキャロルの方だが、アイカの表情と扉を交互に見てから、恐る恐る尋ねてきた。
「ディム・アイカ、私はその……また、何か?」
「いえ、いいんです……。あなたは悪くありません……」
しょんぼりとした様子で、アイカは答える。
「それであの、やはり殴ってはくれないのか……?」
「え、えっと……。拳がいいですか? 平手がいいですか?」
「ぱ、ぱーで頼む」
急にヘタれるキャロルを見て思うのは、実は、このキャロル・サザンガルドという女騎士は、ぽんこつなのではないかということだった。アイカも自身がぽんこつと言われて久しいものだが、キャロルとて大概である。沸いてはいけない妙な親近感があった。
アイカがスッと平手を差し出すと、キャロルは震えながら目を閉じる。ぺち、と平手を頬に当ててやると、ビクッと震えていた。そこに、あの勇ましかったキャロル・サザンガルドの姿はない。
「はい、これで手打ちです」
アイカが告げると、キャロルは『うむ』と頷き、ようやく離れてくれた。
「ディム・キャロルって、思い込みの激しい方ですね」
「うむ、よく言われるんだ……」
自分のベッドに腰を下ろし、彼女はまたも頷く。
「謝罪は済んだので、今度は感謝をさせてくれないか」
「まだあるんですか!? もう殴りませんよ!?」
「なっ!」
アイカが思わずそう返してしまうと、キャロルは顔を真っ赤にして叫んだ。
「誤解しているようだから断っておくが、決して私は殴られるのが好きなわけではないぞ!」
やはり微妙に論点のずれたことを言う。当然、彼女としては大真面目なのであろうが。
キャロル・サザンガルドはすぐに咳払いをし、呼吸を整えてからこう続けた。
「とにかくだ、ディム・アイカ。手合わせを申し込み、巻き込んでしまったことについては謝罪したが、同時に私は感謝もしている。貴公のような貴族騎士がいると知れたのは、幸運だった」
「それはあの、はい……」
そう言われてしまうと、妙な罪悪感がアイカには芽生える。実際のところアイカはアイカではなくアリアスフィリーゼであり、貴族騎士ではなく王族騎士なのだ。が、それをここで告げるわけにもいかない。
それでも、アイカは気になることがあった。キャロルのその口ぶりは、果たして彼女の中にあった貴族騎士に対する偏見を打ち消すに、相当するものであったということなのだろうか? それとも、やはり彼女は伝統騎士として、多くの貴族騎士を軽蔑したままであるのだろうか?
アイカは、わずかな逡巡の後にそれを尋ねる。それを受け、キャロルはしばし考え込む素振りを見せたが、やがてはアイカの目をまっすぐ見たまま、こう答えた。
「私の知る多くの貴族騎士は、見栄っ張りで、プライドに凝り固まった愚鈍な人種だ。おそらく、貴公への知己を経て、貴族騎士への認識が変わったとしても、連中を見る目は変わらない」
「では、」
やはり、そうなのかと思いつつも、アイカは続けて尋ねる。
「もしも私が貴族騎士ではないと言ったら、あなたはやはり、貴族騎士全体を再び軽蔑するようになりますか?」
「む、難しい例え話をするな……」
今度はキャロルが冷や汗を垂らす番であった。
「正直、想定ができないのでわからない。が、ディム・アイカ。私は、貴公のことを、一人の騎士として尊敬する。その貴公が、伝統騎士も貴族騎士を平等に扱い、どちらの正しさも醜さも、等しく公正に指摘することができるというのなら……」
キャロル・サザンガルドは、拳をぐっと握り、金色の瞳でアイカを見つめる。
「私も、そのようにありたいと思う」
「そうですか……」
アイカはホッとした。彼女は意地っ張りで頭が堅いが、決して悪い人間ではないとわかる。
貴族騎士に対する誤解や偏見を完全に解いていくには時間がかかるだろう。それでも、彼女が見栄っ張りで愚鈍な人種と評する彼らが、実は有能で誇り高い人々であると、いつかは気づいてくれるはずだ。
そうすれば、キャロルは父であるアンセム・サザンガルドと同じ、立派な将器を備えた騎士として、この国の未来を担ってくれるはずである。
話題の途切れ目である。キャロルは、そこで決意を固めたように、ベッドから立ち上がった。また何か言い寄られるのかと思ったが、彼女は壁にかけてあった具足一式の中から、自身の剣を取り出す。模擬剣とは異なる、キャロルのために誂えられた専用の騎士剣だ。当然、刺突に特化したエストックのような形状をしている。
「ディム・アイカ」
「は、はい。なんでしょう」
「私と剣友の誓いを交わしてはもらえないか」
そのようなことを言われて、アイカは思わずうろたえた。
剣友の誓いというのは、深い信頼を得た騎士同士が互いに交わす誓約のひとつだ。誓約といっても実質的な拘束力は存在せず、どちらかといえば儀式的な意味合いが強い。友として相手を護ること、相手を欺かず、裏切らないことを、自らの魂である騎士剣に誓う。
特に伝統騎士の間で好まれるこの儀式だが、アイカは当然、誰かとかわした経験というものがない。彼女が剣を鞘から抜き放つときというのは、おおよその場合、アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオとしてであり、彼女と対等の立場を築こうという騎士など、いるものではなかったからだ。強いて言うなら彼女の師であるゼンガー・クレセドランだが、師弟の間ではやはり剣友の誓いは成立しない。
ゆえに、アイカはうろたえた。剣友の誓いは、剣を抜き刃にそれを誓うものだ。演習用の模擬剣ではなく、自らの騎士剣を抜くともなれば、彼女は自分の言葉を偽ることは決して許されない。
「……私では、信頼に値しないか?」
だが、不安そうなキャロルの声を聞く。アイカはかぶりを振って迷いを打ち消した。
アンセムとの演習を思い出してもみよ。キャロルはこちらを信じてくれ、アイカはそれに答えた。アイカもまた、キャロルの実力を信じたからこそ、あの場を切り抜けることができたのだ。ここでこの申し出を拒絶することは、キャロルの信頼の気持ちそのものを跳ね除けることになる。
「わかりました。お受けしましょう」
アイカもまた、痛む体を抑えてベッドを降り、自らの剣を手に取る。
姫騎士アリアスフィリーゼの為のみに打たれた、彼女のための騎士剣だ。月鋼式戦術騎士道の剣技に最適化された、オーソドックスな両刃剣となる。
キャロルは左手で鞘を、右手で柄を掴み、アイカもまたそれに習った。
互いに、剣を鞘から抜き放つ。自らの魂を相手に晒す。白銀の刃は、相手を、そして自分を映し出す鏡である。
キャロルとアイカは互いに右腕を突き出し、その刃を交えた。金属同士の打ち合う、涼しげな音が響く。
「私、キャロル・サザンガルドは、貴公の剣友となること、道を共にし、背を預け、心を託し、いついかなる時も決して貴公を裏切らず、欺かず、例え命果てようと、常にその魂は貴公と共にあらんことを、この剣に誓う」
アイカは頷き、やはり誓いの言葉を口にしようとした。が、すぐには言葉が出てこない。
アイカ・ノクターンは偽りの名である。ここはやはり真の名を口にし、誓いを交わすことこそが、キャロルへの誠意となるだろうか。
短い逡巡。だが、先に口を開いたのはキャロルの方であった。
「誓いの言葉は、各々の心で発するものだ。定型句はない」
「は、はい……?」
何を言うのだろう、と首を傾げると、キャロルは小さく笑う。
「名を名乗れぬ事情があるのならば、それでも構わない。名など聞かせてもらえなくてもいい。ただ、鞘を被せ誓うことだけはしないでくれ。貴公が何者であろうと、この剣の誓いだけは、真実であって欲しい」
「………はい」
アイカは頷き、自らの言葉を口にした。
「私もまた、貴公の剣友となること、例え私が何者であろうと常に貴公の友であり、その姿を模範とし、また我が身をその模範となるよう努め、どれほどの月日が流れようと、高き壁が生じようと、その魂は貴公と共にあらんことを、この剣に誓います」
キャロルは頷き、その剣を逆手に握り直す。アイカも同じくだ。いついかなる場合においても、剣への誓いは、刃を、それに浴びせた言葉ごと鞘に収めることで完了する。キャロルとアイカは同じ仕草で剣を収め、その涼やかな金打の音色が、決して広くはない室内に凛と響き渡った。
「ありがとう、アイカ」
「こちらこそ、キャロル」
儀式を終え、ふたりは互いの剣友に対し、静かに微笑んだ。
ショウタはふらふらと要塞線内の廊下を歩いていた。
ふらふらと言っても、別に足取りが不安定であるとか、そうした意味ではない。先ほど見た光景は、ショウタにとって相当ショッキングなものではあったが、それによって精神が致命的なほどの傷を負うようなことは、特にはなかった。むしろ脳みそが積極的な理解を拒んでいたというのはある。
ベッドの上でもつれ合う二人の女性。絵になる光景ではあった。キャロルはアイカに対して『私は本気だ』と叫んでいたが、アイカはそれを受け入れるのだろうか。彼女はこうした物事に対して毅然とした態度ではありそうだが、隙が多いのも事実だ。考えれば考えるだけ悶々とするし、もし、
もし、
もし、二人がそのまま禁断の花園に向かうようなことがあったとして、例えばその、一糸まとわぬアイカとキャロルが、ベッドの上で艶かしく絡み合うようなことがあったとして、それをこれ以上想像するのは、なんというか非常に冒涜的な気がして、やめた。
とは言え、アイカがお取り込み中となると、途端にやることがなくなってしまう。この分ならば、先ほどハイゼンベルグ侯爵の小姓について、お茶会に参加するというのも、悪い選択肢ではなかったかもしれない。
気分の悪い伝統騎士の陰口を聞かされる可能性は大いにあったが、彼らは貴族騎士であり、ショウタに対しては好意的であるはずだ。もしかしたら、興味深い話のひとつやふたつ、あったかもしれない。
が、どのみち、ハイゼンベルグ侯爵の居室がどこにあるのかはわからない。おそらく将校居住区のさらに奥であることは想像がつくが、今更になって尋ねに行くのも気が引ける。
その時、やけに鋭く低い声が、ショウタの背後から突き刺さった。
「ショウタ・ホウリン」
「は、はひっ!」
この、条件反射で背筋を伸ばし、振り返ってしまう声の持ち主は、
200セルチメーティアに及ぶ巨躯、筋肉でパンパンに膨れ上がった軍服、尖った鷲鼻と猛禽を思わせる金色の眼光。オールバックにまとめた鳶色の髪。
間違いなく、サー・ジェネラル・アンセム・サザンガルドである。
「あ、アンセム将軍! どうもですっ!」
「うむ。一人かね? ディム・アイカは?」
「なんか、取り込み中みたいでしたっ!」
「そうか」
一体どのような取り込み中か、とは聞かれなかった。もし聞かれていれば、ショウタは姫騎士殿下と、アンセムの娘のアヤしい関係について弁舌を尽くさねばならなかったので、これはかなり危ないところだったと言える。
アンセムは少し考えた後、このように切り出してきた。
「もしよければ、少しワガハイの部屋に来んかね?」
「は、え、へえっ!?」
予想だにしない問いかけに、思わず変な声が漏れる。
「あの、僕、なんか怒られるようなことしました?」
「うむ?」
「アッ、ゴメンナサイ」
アンセム・サザンガルドは特に笑いも怒りもせず、その野太い指でショウタの持っている小さな包を指した。
「いや、貴公の持っている砂糖菓子を先ほど買いに行ったのだが、ちょうど売り切れでな。茶でも飲みながら、話でもしようと思ったのだが。無理にとは言わん」
「え、えっと……」
アンセム将軍、そんな顔して甘いものがお好きなんですか、とか。
砂糖菓子目当てだって先に言って潔いけど図々しくないですか、とか。
姫騎士殿下にどんだけ酷い特訓をしたんですか、とか。
あなたの娘さんってレズなんですか、とか。
いろいろ聞きたいことはあった。あったが、さすがに通路で聞くことはできやしない。
ので、ショウタはその申し出を受けることにした。