第23話 騎士将軍の楽しい特別授業
「ひとつ失念してはならないのは、オークやゴブリンといった獣魔族の知能を、決して侮ってはならないということだ」
演習のさなか、教官の一人として立ち会ったヨーデル・ハイゼンベルグ侯爵はそのように言った。
まだ若く、うねりのある金髪が印象的な美男子だが、どこか粘り気のあるいやらしい笑みが、見る者に心を許させない男である。百騎士長の騎士階級を持つこの男は、政治的にも軍事的にも、強い影響力を持つらしい。
ショウタの隣で熱心に話を聞いている少年は、ハイゼンベルグ侯爵家の小姓である。彼だけではなく、貴族騎士やその家に勤める者達は、ヨーデルの言葉を真剣に受け止めている様子だった。
「連中があくまでも、知性を持つ社会性動物であることを忘れてはならない。我々と相容れぬ第一の原因は、連中の知能の低さではなく、その倫理性の欠如だ。その連携は緻密であり、実に戦術的である」
一度目の演習は、オーク役を務めた教官側の圧勝に終わった。どうやら今回の訓練は、騎士になりたての新米に、獣魔族との戦い方を叩き込むためのものであるらしい。一部、ベテランも混じってはいるものの、多くの騎士が新人だった。教官達の巧みな連携を前にして、彼らはひとり、またひとりと脱落していったのである。
平均的な人間の運動能力をはるかに上回る獣魔族の動きを再現するため、オーク役には伝統騎士の高級将校達が参加している。彼らは貴族騎士であるハイゼンベルグ侯爵がこの場を取り仕切っていることを、明らかに面白く思ってはいなかった。
それでもきちんとヨーデル・ハイゼンベルグの主導で訓練が進行しているのは、騎士将軍アンセムによる上官命令があってだろう。実際のところ、百騎士長ヨーデルの獣魔族に対する造詣は深かった。
「サー・メイジャー・ヨーデル」
まだ若い騎士のひとりが片手を挙げる。
貴族騎士を騎士階級で呼ぶのは、大半が伝統騎士だ。貴族騎士は、相手が爵位を有していた場合、貴族としての敬意を払いその爵位で呼ぶ。この場合は、サー・マーキス・ハイゼンベルグとなる。
「アー……キミは、アレだね。確か、マーリヴァーナ騎士学校を主席で出たとかいう……。質問かね」
「はい」
その若き伝統騎士は、オーク役の教官たちと同じく、不満をあらわにした表情をしている。
ああ、ギスギスしているなぁ、と、ショウタは思った。騎士がヨーデルに向けた質問の内容も頭には入ってこない。ただ、この状況に対する妙な居心地の悪さだけが、彼の地肌にまとわりついた。
隙あらば相手の揚げ足を取り、それを笑いものにしようとする空気。相手の台頭を快く思わず、ただ嫉妬と軽蔑の入り混じった表情で眺める空気。伝統騎士と貴族騎士の対立構造は、かくも根深い。
国や人種が違うわけでもなく、思想だって極端に相容れないわけでもないのに、どうしてこうもいがみ合う構造になってしまうのだろうなぁ、と、ショウタは思わずにはいられない。これは決して、彼が平和ボケした国で生まれ育ったという事実だけに、端を発した感情ではないはずだ。
ここで睨み合う彼らだって、全員が全員、貴族騎士や伝統騎士の家に生まれたというわけでもない。市井で生まれ、貴族になるために踏んだ手順がほんの少し違っただけだ。まるで、立場が思想を醸成したようですらある。
ショウタが思いを馳せていると、いきなり、どっと、周囲に笑いの渦が起こった。見渡してみれば、笑っているのは貴族騎士ばかりだ。先ほどヨーデルに質問を投げかけた伝統騎士は、唇を噛んで視線を落としている。
ヨーデル・ハイゼンベルグ侯爵は、その整った顔立ちに哀れむような表情を浮かべて言った。
「伝統騎士というのはそのようなことも習わないのかね」
おおかた、伝統騎士の彼が、ヨーデルの解説の穴を指摘しようとして、逆にやり込められてしまったというところだろうか。どっちもどっちだな、と、ショウタからはため息が出てしまう。
「無学な伝統騎士諸君にもう一度解説するが、オークやゴブリンといった獣魔族は基本、生物欲求に従って行動する。知能は高いが、そうした本能に関しては非常に忠実だ。また、繰り返していうが、獣魔族はあくまでも獣魔族として独立した生物区分であり、現在絶滅した〝魔族〟とは何の関係もないのだ。揚げ足をとろうとして、無知をさらすのはやめたまえ」
ヨーデルの言葉が終わると同時に、貴族騎士達からは拍手が巻き起こった。ショウタの横にいる小姓も、頷きながら手を叩いている。ショウタも立場上同調したほうがいいのだろうか。やや投げやりに手を叩いていると、一番近くにいる伝統騎士にジロリと睨まれてしまった。ごめんなさい、と思って、叩く手を止める。
「あれ、あまり感動はできなかったかい」
ハイゼンベルグの小姓は、不思議そうに首をかしげて言った。
「サー・マーキス・ハイゼンベルグは、騎士将軍も認める戦術眼の持ち主だ。伝統騎士の多くは、机上の空論しか話せない頭でっかちと馬鹿にするんだけどね。でも、やはりこうした場では、どちらが正しいか一目瞭然だ」
「正しい、正しくないでは、ないような気もするんですけど……」
見る限り、ヨーデル・ハイゼンベルグが伝統騎士の戦闘能力とプライドに配慮できる人間だとは、とうてい思えない。伝統騎士の中でも指折りの実力者であるキャロルがこの場を去り、そこに彼女の直属の上司であるヨーデルが姿を見せたことで、完全に貴族騎士が伝統騎士を嘲るムードが完成されていた。
マーリヴァーナ要塞線は、王国の西を守護する重要な戦闘拠点である。
もし、さらに西の荒野から再び〝死の軍勢〟が姿を見せることがあったとして、彼らは互いに手を取り、それを迎撃することができるのだろうか。あるいは、今まさに民を脅かそうとしている獣魔族災害に立ち向かっていくことが、できるのだろうか。
『今こそ我々がひとつに結束し、剣なき人々の盾となり、盾なき人々の剣とならねばならん』
アンセム・サザンガルドが先ほど残したばかりの言葉である。
残念なことに、その言葉を実行できていると思しき人物は、ショウタの見る限りひとりもいなかった。
「(殿下、大丈夫かなー)」
とうとう、ショウタの意識も関係ない方へシフトしていってしまう。
アンセム・サザンガルド直々の特訓だ。サザンガルド式の過酷な訓練を、姫騎士殿下は久しぶりに味わっていることだろう。キャロルとの戦闘で負ったダメージがまだ残っている身体でだ。
半分ほどは自業自得なのだが、それでも、ショウタはアイカのことが心配でならなかった。
「ぬぅぅぅうううううううあああああああッ!!」
「ひゃあああああああッ!」
「うああああああああッ!」
ところでその殿下は、ぜんぜん大丈夫ではなかった。
アンセム・サザンガルドは、実に3メーティアにも及ぶ巨大な得物を、まるで風車の如くに回転させていた。長ものの高速回転はやがて乱気流を生み、生じた風は渦を巻いて天を目指す。それはまさしく小規模な竜巻だった。この時、アンセムの手元では万物をねじ切る空気の乱れが発生している。
竜巻はアイカ・ノクターンとキャロル・サザンガルドの2人を巻き込んで、その身体を容易に天高くへと放り出している。宙を舞う2人は完全な無防備となり、乱気流の中では姿勢を整えることすらままならずに、そのまま大地に〝どぐしゃああっ〟とばかりに叩きつけられた。
アイカとキャロルは、第二演習場の大地に横になって、手足どころか、指先ひとつもぴくりとも動かさない。すっかりへばってしまっているのだ。全身からは滝のような汗を流し、辛うじて荒い呼吸が胸を上下させているのがわかった。
そのような2人に、サー・ジェネラル・アンセム・サザンガルドからの檄が飛んだ。
「立て! 先ほども言ったとおり、ワガハイに一撃当てるまで、訓練は続ける!」
この時アンセムは、巨大な剣と盾を得物として携え、二人の相手をしていた。
剣といっても、その形状はもはや突撃槍に近い。騎士将軍アンセム特注のものであり、彼が片手で振り回す超巨大な刺突剣だ。銘を〝砲熱斗〟というが、こんなものに刺されたら痛いどころでは済まされないだろう。
こうした巨大な得物を携えながらも、まるでその動きに支障はない。盾も剣も、まさしく手足となったかのように自在に動き、この自由演習においてアイカとキャロルの動きを完全に圧倒していた。
「戦略級規模の特異個体を前にすれば、貴様らの実力など塵芥に等しいと知れ! 一撃でも当てるためには何をするべきか、その頭を使って考えてみろ!」
アンセムががなり立てる通り、この演習は戦略級規模を持った魔獣特異個体の討伐を想定した実戦演習となっている。
戦略級規模というのは、近年言葉だけが一人歩きをしているが、本来は特定の魔法術式を示して使われる言葉だった。その術式の開発そのものが軍事戦略の一環として機能するものを〝戦略級魔術〟と称したのが始まりで、それが大規模破壊魔法であったことから、同等の戦力を有する存在には、猫も杓子も〝戦略級〟とつけるようになった経緯がある。
アンセムは、戦略級騎士だ。彼単体で、戦略級魔法術式と同等の働きをする。
また、時折発生し、そこかしこに致命的な災厄をもたらす魔獣の突然変異体を、人々は〝戦略級特異個体〟と称するようになった。騎士王国の成立以来200年、戦略級特異個体が国家を脅かしたのは、3回しかない。アンセムは、そうした突然変異体との戦闘を想定した訓練を、現在実施中というわけである。
そのような個体を2人で相手取るなど、想定するだけバカバカしい事態ではあるのだが、これが事実上の懲罰である以上彼女たちの口からは何も言えない。ただひたすらに剣を振るい、突撃しては、盾に弾かれるか剣に突き飛ばされるかの二択を突きつけられていた。
「ディム・アイカ……」
息も絶え絶えに、キャロルがつぶやくのが、アイカの耳にも入った。
「立てるか? ディム・アイカ」
「当然です……。あなたは、どうですか? ディム・キャロル」
「ふん……」
ディム・ルテナント・キャロル・サザンガルドである。彼女は憔悴しきったその顔に、無理やり不敵な笑みを浮かべると、自らの模擬剣を杖変わりにしてゆっくりと立ち上がって見せた。
「伝統騎士を舐めるなよ。お前たちとは、鍛え方が違う。精魂が違う。理想が違う。決意が違う」
アイカは顔を上げ、キッとキャロルを睨みつけた。
「何が違うものでありましょうか。理想も、決意も」
片手を大地につけ、アイカ・ノクターンはその身体をなんとか持ち上げた。既に満身創痍。気力だけで立っているような状態だったが、それはキャロルとて同じはずだ。彼女にあのようなことを言われてしまっては、アイカが立たないわけにはいかないのだ。
もはや白磁の甲冑はすっかり泥にまみれていた。アイカ・ノクターンの、いや、プリンセス・アリアスフィリーゼの美しい金髪も、白い素肌も、要塞線の固く冷たい土を被り、その輝きを打ち消している。
だが、そうした状態になってなお、魂だけで肉体を立たせんとするその姿は、アイカの本来持つ容貌とはまったく別種の美しさを宿していると言えた。人々はこうしたものを、〝気高さ〟と表現する。
「ディム・キャロル、この国は、あなた方伝統騎士の手のみで守られてきたものでないことを、お忘れなきよう」
「………」
アイカの言葉を耳に、キャロルは黙したままである。だが、決してその心根に届かぬ言葉ではないはずだ。
さて、それ以上の猶予を、目前の騎士将軍は与えてはくれなかった。二人が立ち上がったと見るや、その冗談のような大振りの得物を構え、のっしのっしと前進を始める。
全長3メーティアばかりの砲熱斗と対を為すのは、2メーティア近いアンセムの巨体をすっぽりと覆い隠すタワーシールドだ。サザンガルド家の紋章である黒竜剣紋が掲げられ、その守護を打ち破ることは不可能に近い。アイカもキャロルもそれをしっかりと理解し、互いの攻撃に合わせて反対から攻めんとしていたのだが、なかなか足並みが揃えられなかった。盾の反対側から攻めようとすれば、多くの場合は、あえなく刺突巨剣砲熱斗の餌食となる。
アンセムはいよいよ駆け出した。その巨体に見合わず、動きは俊敏だ。黒竜式戦術剣技の真髄を再現するために、その得物の大きさは一切の妨げとはならない。
「行くぞッ! 雨崩羽!!」
アンセムの片腕が掻き消え、砲熱斗の鋒が雨あられの如くに降り注ぐ。その連撃の凄まじさたるや、キャロルの放った剣技の比ではなかった。
それは、強大なる面制圧兵器である。縦横10メーティア以上、前方半円状に張り巡らされた刺突撃の断崖なのだ。まさしくその全面に槍を括りつけた壁が、超高速で迫ってくるに等しい。
既に満身創痍となったキャロルが、これを回避する手立てはもはやなかったと言っていいだろう。
ゆえに、アイカは一歩前に出た。
「ディム・アイカ、何を!」
キャロルの叫ぶ声は、彼女の耳には届かない。それより痛烈な打撃の連打が、アイカの身体に襲いかかったからだ。頭部への直撃を避けるため、篭手と剣を盾とする。全身を砕かんばかりの甚大なる礫の雨。アイカは苦悶の声すら噛み殺して、一歩、また一歩と前に出た。
軽装のキャロルが、この刺突の豪雨に晒されて、無事であるとは思えない。ならば、自身が盾となって彼女への攻撃を防ぐべきだと、アイカはそう判断した。
決して避けることの叶わぬ刺突撃の立方体に、わずかな安全地帯が生じた。アイカの後方、数メートル。キャロルが今立っているその地点が、まさしくそれだ。
アイカは雨崩羽に晒されながらも、少しずつ歩を進めていく。
貴族騎士に身を呈して守られたキャロルの心境とは如何なるものであったか。そこにあったのは苦慮か、恥辱が、はたまた怒りか。彼女に背を向けたアイカに、もはや知る術はない。
直後、ふわりと天高くを舞った後、鋭い入射角でえぐり込む陰があった。
「貫翔爆砕弩ァァァァァッ!」
まさしく、キャロル・サザンガルドである。彼女の突き出した模擬剣は、見事に雨崩羽の効果範囲を避けながら、一直線にアンセムへ向けて突き出されていた。アンセムは、タワーシールドを掲げてキャロルの必殺の一撃をいなす。その間も刺突の雨はやまないが、わずかに力の緩む頃合を見計らって、アイカは効果範囲外まで後退することができた。
一撃を阻まれたキャロルもまた、着地と同時に飛び退いて、アイカの真横に並ぶ。闘志絶えぬ金色の瞳が、騎士将軍アンセム・サザンガルドを睨みつけた。
「……感謝、する。ディム・アイカ」
キャロルがアイカに告げた言葉とは、それだった。
アイカはしばらくきょとんとするが、やがて表情を崩し、頷く。泥にまみれたところで、彼女の太陽のような微笑みは打ち消せるものではない。鍵盤楽器を思わせる声音が、やや嬉しそうに返した。
「どういたしまして。ディム・キャロル」
ふたりは横並びになったまま、アンセムを見た。アイカがさらに続ける。
「私が盾と剣を抑えましょう。ディム・キャロル、あなたの刃をジェネラルに届かせるのです。できますか?」
「愚問だな。サザンガルドの血を舐めないでもらおう」
調子のいいことを言う女騎士だ。だが、ようやくキャロル・サザンガルドが、自分のことを貴族騎士ではなく、ただの騎士として肩を並べてくれたのだ。アイカは決して、悪い気はしない。
そうと決まれば動くのは速い。アンセムを先に動かしては、こちらは防ぐので手一杯となる。仕掛けるならば、先でなければならなかった。
アイカは鞘付きの模擬剣を抑え、脛当てで大地を蹴り立てる。全身を支配せんとする鈍痛や激痛、そして根を下ろした疲労達と戦いながらも、意識を研ぎ澄まし、鞘を握る手に力を込める。翠玉色の双眸を細め、近づきつつあるアンセムを真っ直ぐに見据えた。
「斬壊剣―――、」
駆け寄る足を止め、気勢と共に鞘を走らせる。抜き放たれた刃は彗星。天を叩き崩す一撃。音の壁を叩き割り、そのひと振りは放たれた。
「天崩ッ!」
アンセムは、その一撃を盾で受け止める。余人であれば、受け止めたところでその衝撃は殺しきれまい。だが、このアンセム・サザンガルドは戦略級騎士であった。アイカの渾身の一撃を受けてなお、涼しい顔をしている。
既に後方でキャロルが駆け出す気配があった。こちらが封じたのは盾だけだ。だが、キャロルは既に攻撃の姿勢を整えている。おそらくただ速度と精密性のみを求め、護りの意識を取り払った刺突撃は、今から数秒もせぬうちに放たれることだろう。
アイカは盾と剣を封じると言った。キャロルはそれを信頼し、攻撃の手に移った。
ならば、それに答えねばなるまい。
斬壊剣・天崩を放ったアイカの身体は、既に悲鳴をあげている。肉体に余るすべての力を振り絞って放った一撃なのだ。エネルギーはすべて先の一斬に注がれている。アイカは、その場に留まろうとする身体を強引に突き動かし、さらに一歩、踏み込んだ。鞘から手を放し、突き出された盾を右手で押さえ込む。残った左手が、拳を固めた。
月鋼式戦術騎士道とは、剣のみで戦うものに非ず。
「でええええええええああッ!!」
左の拳は、そのままアンセムの顔面めがけて放たれた。もはや懐に潜り込まれての鉄拳である。アンセムがこれを防ぐ手立ては、ただひとつしかない。
騎士将軍の手のひらが、砲熱斗の柄を放した。そのままアイカの拳を受け止め、拳を握り返すと、その右腕に力を込めた。アイカの身体に凄まじい負荷がかかる。騎士将軍アンセムは、まさしくその片腕だけで、アイカの全身を大地にねじ伏せた。
勝った!
組み伏せられ、タワーシールドを覆い被せられ、天を仰いだアイカの瞳に、辛うじて映る影があった。
「貫翔、」
弓なりに引き絞られた刺突剣が、空中でその時を待つ。
宵闇に浮かぶ月を背に、キャロル・サザンガルドが宙を駆けていた。金色の瞳が狙うは、騎士将軍アンセムの背中。アイカの2連撃を防ぎ切った男の背後は、まさに、ガラ空きであった。
「爆砕弩ッ!」
放たれた一撃は、果たして見事、アンセム・サザンガルドの背中に到達する。
空に放たれた一突きで、十数メーティア先にある木造小屋を破壊せしめる、キャロルの奥義である。その衝撃を背に、アンセムの瞳が確かに見開かれたのを、アイカは見た。さすがに、無防備な背中に奥義を打ち込んだのは、やりすぎだっただろうか。
組み伏せられたアイカと、それに盾を被せるアンセム。そしてその背に、模擬剣を突き立てたキャロル。
その状態のまま、数秒が経過する。
「……うむッ!」
アンセムはそう頷き、振り向きざまの裏拳でキャロルを吹き飛ばした。
「うおあああッ!?」
「きゃっ、キャロル!?」
アンセムの片腕による拘束を免れ、アイカは上体を起こして叫ぶ。キャロルはごろごろと地面を転がった後、やがて停止した。
騎士将軍アンセム・サザンガルドは、胸を張り、満足げに声を上げて叫ぶ。
「実に結構! まだまだ未熟で荒削りだが、急造にしては良いコンビネーションであった! 己の特性と味方の特性をよく理解し、役割分担もよくできていたと言える。及第点だ!」
あの一撃をまともに食らったサー・ジェネラル・アンセムは、あろうことかピンピンしていた。
「我々騎士は、個人がより強く、優秀であることを求められる。だが忘れてはならんのは、常にそれを上回る力の存在があるということだ。互いの力をつなぎ合わせることを、決して怠ってはならん。良いか?」
そこで彼は一言おいて、次にこのようなことを言った。
「貴公一人が戦っているのではない。また、貴公一人が戦えば済む話でもない」
その言葉は、間違いなくアイカとキャロルの両方に向けられたものであっただろう。
だがそれは、アイカにとって非常に複雑な意味合いを持つ言葉となった。黙り込んで意味を反芻しているうちに、アンセム・サザンガルドは、キャロルにも向き直る。
「ディム・ルテナント・キャロルは、近々袈裟懸けの討伐に赴く予定であったな」
「は、はいっ!」
「アレもまた、戦術級規模、あるいは準戦略級規模に分類される特異個体だ。貴公一人の力で立ち向かえるものでないことを念頭に置いておけ。強い力とは、決して人々の先頭に立って振るうためにあるのではない」
「は、はい……」
アンセムの言葉の真意を掴みあぐねたのか、キャロルは訝しげな表情を作る。
ともあれ、特別演習はこれで終了となる。アイカとキャロルはよろよろと立ち上がり、互いに歩み寄ってがっしりと握手をかわした。自然、口元から笑みがこぼれる。まったく、あんな無茶な訓練を前に、2人ともよく無事であったものである。
無言で健闘をたたえ合う二人に、騎士将軍アンセムは言った。
「では、2人とも演習場を50周してから戻るように! ワガハイからは以上だ!」
2人はとうとう大地に崩れ落ちた。




