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騎士王国のぽんこつ姫  作者: 鰤/牙
第一部 勇ましきあの歌声
22/91

   第20話 王国最堅の700キロ

 騎士王国でも、王都より西側となると、東側に比べて荒れた印象が強い。街道、水道の整備ともに中途半端であり、開墾された農地も東側に比べればかなり少なくなる。

 これには様々な事情が絡むが、やはり東側は帝国をはじめとした諸外国に通じる道であるのに対し、西側は〝死の軍勢〟が攻めてくる以外、まったく明らかになっていない不毛の荒野が広がっているという事実が、一番有力なものとして挙げられる。

 かつて帝国領であった時代から、万が一マーリヴァーナ要塞線を突破された際の防衛策は入念に施されており、王都西側の荒れ気味の大地も意図的なものだ。結果、人の住みにくい土地となったことは否定できない。また、要塞線自体が伝統騎士トラディション総本山のひとつ的な扱いを受けることから、多くの文官がこちら側の開拓を後回しにしたがるという現状もある。


 さて、


 プリンセス・アリアスフィリーゼと、宮廷魔法士のショウタを乗せた馬車がある。

 馬車は侵攻に備えた防護林として、手つかずのまま残されているオウロット大森林を超えたところだ。まともに整備もされていない街道をさらにしばらく進むと、西側では比較的大きな都市のひとつとして数えられる街があった。

 この街で、アリアスフィリーゼとショウタは馬車を乗り換えるのだ。途中までは、にこやかに談笑していた殿下も、街が近づくにつれて口数が減り、今や完全にだんまりさんとなってしまっている。


 騎士団の詰所にて、二人を出迎える影があった。


「お待ちしておりました。姫騎士殿下、魔法士殿」

「ひっ」


 猛禽の眼光を双眸に宿し、サー・ジェネラル・アンセム・サザンガルドが立っていた。アリアスフィリーゼ姫騎士殿下が、世界でもっとも恐れる男。だんまりの原因は、これである。情けない声をあげてたじろぐ殿下を、ショウタは後ろから支えた。こわがり殿下もこわがり殿下で、見ていてなかなか愉快だが、やはりなるたけシャッキリしておいて欲しいというのが本音だ。

 アンセム将軍の手配した馬車で、これよりマーリヴァーナ要塞線へ向かうこととなる。ただいまよりふたりは、貧乏貴族ノクターン子爵家の三女アイカと、その従者ショウタだ。白磁の甲冑には、わざわざウッスア・タマゲッタラが手配させた架空の家紋すら施されている。


「お二人は、遠きリコール参謀領メイルオより、オークやゴブリンとの戦い方を学ぶために我がマーリヴァーナ要塞線を訪れた身、ということになります」


 馬車の中で、アンセムはゆっくりと〝設定〟を語り始めた。


「ノクターン子爵家はフラクターゼ伯爵家の門下でしたが、先日の元伯爵が起こした一件とは何の関連もなく、取り潰しは免れました。現在、直接の主人となる家はなく、ディム・オフィサー・エコーのもとで、今までと同じく領内の政治を手伝っております。ワガハイはノクターン家とは何の面識もありませんが、今回ディム・アイカとその小姓ペイジであるショウタが要塞線を訪れたのは、戦友エコーの紹介でもあり、二人のことをよろしく頼まれておるのです」


 意外と設定は緻密である。多くの人間を本格的に騙そうというと、そうなるのかもしれない。

 ともあれ、このマーリヴァーナ要塞線では、またその正体を偽らねばならないということだ。〝殿下〟のことを〝お嬢様〟と呼ぶのは思っていたよりずっと難しくて、気を抜くとポロッと〝殿下〟が出てしまうので、気を付けなければならない。


「そして殿下、たいへん不躾な話になりますが、」


 ぎらり、とアンセムの双眸が光る。姫騎士殿下アイカおじょうさまは、ただでさえピンと張った背筋を、さらにまっすぐ伸ばすことになった。


「は、はい! なんでしょう、アンセム!」

「要塞線に到着以降、ワガハイは殿下を〝貴族騎士ノブレスアイカ〟として扱わねばなりません。ご無礼な言動の数々、今からお詫びいたしておきます。平にご容赦いただきたい」


 深々と頭を下げるアンセムを見て、過剰に慌てるのは当然アイカの方だ。


「いっ、いえっ! そんな、サー・ジェネラル・アンセム! かかっ、顔をあげてください!」


 見る限り、アンセム・サザンガルドは普通に話しているだけだが、それでも〝こんな〟風になってしまうあたり、姫騎士殿下アイカおじょうさまの病巣は相当根深いところにあるのだと思われる。

 〝アンセム〟や〝将軍〟といった言葉は、彼女が自らの生い立ちを語る際、あるいは、彼女の過去を周囲の人間が語る際、時折耳にしてきたものだ。いずれも、宰相ウッスアと並んで、プリンセス・アリアスフィリーゼを叱りつける人間の代表格だった。普段の威圧感からして、あのウッスアと比べ物にならないほどであれば、彼の一喝がアイカのトラウマとなっていたとしても、それは仕方のないことなのかもしれない。


「あのう、アンセム将軍」


 なるべくアイカの気を紛らわすため、ショウタは横から声をかけた。


「オークやゴブリンの被害が増えているって、実際にはどんなもんなんでしょうか」

「ふむ……?」

「アッ、ゴメンナサイ」


 視線を向けられただけで反射的に謝ってしまう。ショウタも臆病さでは大概であると言えた。


「なかなか、由々しい被害であると言える。既にいくつかの村は壊滅状態にあり、その半分以上が、一頭のオークによるものだ。このような事態は、今までなかった」


 腕を組み、アンセムは唸るように答える。どうやら口調から察するに、既にアイカ達に向けた演技ロールプレイの準備を始めているらしい。

 その言葉を受けて、ただ震え甲冑をガチガチと打ち鳴らしていたアイカも、その瞳を細めた。そして存外にはっきりした声で、こう尋ねる。


「サー・ジェネラル・アンセム、獣魔族は群れで行動するものでは?」

「原則的にはな。ディム・アイカ、貴公の言うとおり、オーク、ゴブリン、コボルトといった獣魔族どもは社会性を持つ。人間やエルフなどの集落を襲う際も集団行動が基本であり、事実、そうした連中による被害も例年と比べて増えてはおるのだ」


 だが、とアンセム将軍は言葉を区切った。


「今年の獣魔族災害の異常性を際立たせるのが、その袈裟懸けスラントラインと呼ばれるはぐれオークだ。領内を警邏中の騎士達も何度か襲われ、命からがら帰還している。近々、討伐隊による討伐が決行される予定だ」

「その討伐隊に、私たちが入るというわけなのですね」

「いや、そうではないが」


 神妙な顔で頷くアイカは、アンセムのその言葉で思わずバランスを崩した。身体を支えようとしたショウタが、その甲冑の重さに悲鳴をあげてしまう。

 アンセムは大真面目な顔で続けた。


袈裟懸けスラントラインの凶暴性、特異性はいささか目に余るものがございます。殿下。今回お二人にお越しいただいたのは、まずオークをはじめとした獣魔族の特性を理解していただき、その適切な対処法をお学びいただくため。特異個体の討伐に参加されて、もしものことがあれば、このアンセム腹を切らねばなりません」

「この国にも切腹の文化があるんですか……」

「あります。魔法士殿は異国の方でしたか。我が国のハラキリは、〝死の軍勢〟との戦いのさなかに生まれた文化でしてね……」


 アンセムはとうとうと語り始める。どうもこの国の騎士文化は、自国において過去栄華を極めた戦士階級の文化と共通する部分があるように、ショウタは思う。アンセムの言葉を、隣の姫騎士殿下アイカおじょうさまも深く頷きながら聞いていた。

 ハラキリの講釈が終わる頃、馬車はいよいよマーリヴァーナ要塞線に近づく。アンセムはひとつ咳払いをし、こう続けた。


「姫騎士殿下と魔法士殿の正体を存じているのは、私の他には一部の高級将校のみとなります。みな、貴族騎士ノブレスです」

「要塞線にも貴族の人はいらっしゃるんですね」

「決して多くはありませんが、おります。もともと貴族の仕事は文官でしたし、かつてより、我々もただ戦っていれば良いというわけでは、ありませんでしたから。主に男爵、子爵階級ですが、殿下のことをお伝えしているのは伯爵、侯爵階級の者のみです」


 伯爵、侯爵ともなれば、本来は一領地を任されてもおかしくはない爵位となる。各方面に強い発言力を有し、当然、王宮に出入りすることもある。彼らは姫騎士殿下や宮廷魔法士ショウタの顔を知っている可能性も高かった。ましてや、要塞線の貴族騎士ノブレスは魔法推進派と密接なつながりがある。

 訝しがられるより前に、先手を打ってバラしておく、といったところだろう。

 そもそもショウタ達は、身分を隠す具体的な理由も聞いてはいなかったが、こちらに関しては聞かされずともなんとなくは理解している。王族騎士ロイヤルが直接獣魔族討伐に赴き、過剰な歓待を受けたり、作戦行動において過保護な真似をされたりするようであれば、それは本来の趣旨とは外れてしまうからだ。


 馬車が止まる。御者が扉を開け、アイカとショウタがまず降りた。


「わあ……」

「す、すごっ……」


 二人は降りてまず、そのような声を漏らす。


 目前にそびえる巨大なる壁。それが、マーリヴァーナ要塞線のすべてであった。南北を貫く700カルロキロメーティアメートルの城砦。その高さもまた50メーティアメートルを超え、視界を覆い尽くす石壁は見るものに凄まじい圧迫感を与える。この要塞線は、かつて騎士大公がこの地に赴任し、彼が死没する頃には既に完成していたというのだから、騎士王国がその始まりより有する土木技術の高さを伺わせる。数百年の年月を経てなお、要塞線の壁は風化の兆しを見せず、磐石の壁としてその機能を為していた。

 馬車が停められたのは、馬屋にほど近い第三入砦門の前である。重装の騎士がハルバードを携え、門の守護をしていた。重厚な空気は、王都の城壁や王宮に漂う平和なものとはまるきり異なる。まさしく、この要塞そのものが、常に戦場であるかと錯覚させるほどの雰囲気の重たさがあった。


「これこそが、我が領地マーリヴァーナ要塞線です」


 いささか誇りに満ちたアンセム将軍の声が、後ろから聞こえた。


「我らが先祖が、かつて〝死の軍勢〟と戦っていた頃より不壊、常に騎士王国最強の戦力を揃えたこの要塞戦を、人々はこう呼ぶのです」


 すなわち、






Episode 20 『王国最堅の700カルロキロ

FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 アンセムに連れられて入砦手続きを済ませ、ふたりは要塞線に足を踏み入れた。

 マーリヴァーナ要塞線は、それそのものが都市として独立した存在だ。城壁内部には様々な設備が整えられ、あまりにも広大な要塞内を移動するために、騎馬専用の通路も設けられている。南北に伸びた城壁は、途中で一区画を囲うように円を描いた場所がいくつかあり、そこは農地となっている。要塞内で暮らす人間は、当然軍務に携わる人間だけではなかったはずだが、要塞内のパン屋や雑貨屋などの軒先に立ちニコニコと笑っている者も、腰には帯剣をしていた。騎士なのである。


「生まれた子供は、みな、伝統騎士トラディションが運営する騎士学校に入学し、騎士の資格を得るのだ。この要塞線が攻められるようなことがあれば、彼らもまた剣を取り、戦う」


 廊下を歩くアンセムは、低い声で語った。


「となると、この要塞都市で暮らす子は、みんな伝統騎士トラディションになるんですか?」


 ショウタが尋ねる。貴族騎士ノブレスの下で学んだ騎士は貴族騎士ノブレスに、伝統騎士トラディションの下で学んだ騎士は伝統騎士トラディションに。それがこの国の習わしだ。現在では、外部から小姓ペイジを取るという文化も衰退し、市井から騎士を輩出するには、よほど叙任代理権を持つ騎士達とお近づきになるか、あるいは王立騎士学校に入学させるしかない。


 アンセムは重々しく頷く。


「大抵の場合は、そうだ。だが、貴族騎士ノブレスもまた、自らのもとで騎士を育成することに熱心になっている。数は少ないが、多くの貴族は生活も豊かで見識も豊富であり、また王都や他の領地と繋がりのある者が多いから、貴族騎士ノブレスになることを望む者は多いのだ。貴族は優秀な人材を選んで自らの小姓ペイジとすることができるから、市井生まれの貴族騎士ノブレスは少数ながらも逸材が多い」


 故郷の受験戦争を思い出す話だなぁ、と、ショウタは思った。

 ショウタの故郷では、地方自治体の運営する学校、国の運営する学校、あるいは個人というか、企業体の運営する学校などが分かれていて、またそれらも設備や学力レベルなどで多様に分けられる。当然、子供たちは、設備や学力レベルが高く、学費も安い学校に行きたがる。

 この、設備や学力レベルが高く、学費も安い学校というのが、つまり貴族騎士ノブレスなのだろう。

 貴族騎士ノブレスの募集に漏れたものは、伝統騎士トラディションの学校へ通うより他はない、ということだ。


 ショウタは感心していたが、横を歩くアイカは複雑な顔をしていた。訝しげに思い、ショウタは尋ねる。


「お嬢様、どうしました?」

「いえ……。それでは、この要塞線では、すべての市民が〝伝統騎士〟と〝貴族騎士〟としていがみ合っているのか、と、考えただけです」

「………」


 アンセムは、すぐには答えなかった。しばらく廊下を歩くと、衛兵の警備する扉を越えて、騎士将校の居住区へと移行する。


「市民とて愚かではない。多くの場合、伝統騎士と貴族騎士の間のいがみ合いを、市井にまで持ち出すことは少ない」


 長い逡巡の後ではあったが、アンセム・サザンガルドははっきりそう告げた。


「だが、彼らがしがらみに囚われることがあるのも、また事実だ。我がマーリヴァーナ要塞線の抱える根本的な問題でもある。そして同時に、グランデルドオ騎士王国が抱える問題の、縮図でもあると、ワガハイは思うわけだが……」


 ある扉の前で、アンセムはぴたりと足を止め、そのままくるりと振り返った。200セルチメーティアセンチメートル近い巨躯から、猛禽の眼光が二人を見下ろす。すぐさま、アイカとショウタは蛇に睨まれた蛙と化した。ぴたりと停止し、直立不動でアンセムを見上げる二人。

 騎士将軍は扉をびしりと指差して、言った。


「ここが、貴公らの部屋となる。いちおうは客人であることと、エコーの紹介であることを考慮し、将校の部屋を用意させてもらった。馬車にあった荷物は、後でこちらへ運び込まれる」

「はっ、はいっ! お心遣い感謝します、サー・ジェネラル・アンセム!」


 騎行敬礼とともに声を張り上げるアイカの姿は完全に板についていたが、半分ほどは演技ではないのだろう。

 アイカの正体は、言うまでもなく姫騎士殿下である。彼女のことを一部の高級将校には通してある時点で、ヒラ騎士の居室を与えてしまうようでは、(まぁ殿下も陛下も気にしないであろうとは言え)アンセムを快く思わない将校から王宮へ通達される可能性があった。おそらく、貧乏子爵の三女であるアイカに将校の部屋を貸し与えるために、アンセム将軍もそれなりに気を揉んだのであろうことが推測される。


「ともあれ、長旅、ご苦労であった。ディム・アイカ。夜からの訓練には参加してもらうことになるが、それまでは身体を休めたまえ。わからないことがあれば、将校居住区の端に用聞きの部屋があるので、そこへ向かうように。以上だ。質問は」

「あっ、ありません! サー・ジェネラル!」

「結構。では、ワガハイは失礼する」


 騎士将軍アンセム・サザンガルドは、ふたりにくるりと背を向けると、そのままツカツカと廊下を歩いていく。途中、すれ違った高級将校がビシリと背筋を伸ばし挨拶していた。

 アンセムの姿が見えなくなるまで騎行敬礼でそれを見送っていたアイカだが、しばらくしてようやく、大きく息を漏らした。張り詰めていた緊張の糸が切れたかのように、両手をだらしなくぶら下げる。


「き、緊張しました……! 息が詰まるかと思いました……!」

「おしっこちびってませんか、殿下」

「殿下じゃありません! ちびってません!」


 大声で否定するアイカと共に、ショウタは割り当てられた居室へ入った。

 無骨で重厚なマーリヴァーナ要塞線の雰囲気とは異なり、そこそここじゃれた内装とインテリアの目立つ部屋だった。当然、ショウタが一度だけ入ったことのある騎士王陛下の部屋とは比べるべくもないが。姫騎士殿下の部屋と比べてどうであるかは、入ったことがないのでわからないが、やはりグレードは格段に落ちることだろう。

 それでも、きちんと人の住める部屋であるのは結構なことだ。何より、


「ベッドが二つある……!」


 そこに感動を隠せないショウタである。


「そ、そんなに私と一緒に寝るのはイヤですか……!?」


 アイカは露骨に不満そうな顔をして言った。


「だってなんかあったら困るでしょ?」

「なんかってなんですか!?」

「なんでもありませんが!」

「どうせ何も起きませんよ! ショウタにそんな甲斐性がありましょうか!」


 突きつけられた言葉に、ショウタはグウの音も出なかった。


 アイカは唇を尖らせ、ぶつぶつ言いながら甲冑を外し始める。すこしドキリとしたが、中に鎧下ギャンベゾンを着用しているのは確認済みだ。このギャンベゾンも、ビロードや金銀糸織などを使った色彩豊かなもので、なかなか洒落ている。ややラフな格好にはなるが、王宮外の普段着としてもなんら遜色はないだろう。

 ただ、その、何か。

 男性的な装いが、かえって殿下のメリハリの効いたボディラインを極端に強調してしまい、これはこれで、今までに感じたことのない倒錯的な色香を漂わせていた。特に、ピンと張った胸元の布地が明らかに危険だ。


「しかしやはり、綿の量が少ないせいか、吸水性に若干難がありますね。蒸れます……」


 自らギャンべゾンの腕に鼻を押し付けて、アイカは言った。


「綿、少ないんですか?」

「見栄えを重視したそうです。私は機能性を重視して欲しかったのですが……」

「でも、鎧を脱いだ時はそっちのほうが動きやすいでしょ?」

「それは、そうですね」


 アイカは腕をぐるぐると回す。時刻は夕方ほどか。アンセム将軍は、夜の訓練には参加するよう言っていた。部屋には丁寧にスケジュールを記した書簡が置いてあり、その訓練の時間までは、ある程度の猶予がある。身体を休めるにはまぁ、ちょうどいいだろう。

 アイカの話では、サザンガルド式の訓練というものは相当ドギツイのだという。もとよりアイカは、幼少時よりアンセムに問題児として目をつけられていて、彼に稽古をつけられた時は相当泣かされたと聞く。


 その話を振ると、アイカは重々しく頷いた。


「亡き姉は、それでもきちんとアンセムの言われた稽古をこなしていたのですが……」

「立派な方だったんですねぇ……」

「はい、立派でした。私と比べれば身体も弱く、どちらかと言うまでもなく頭脳派だったのですが。私がゼンガー・クレセドランを師を仰ぐように、姉はアンセムを師としていたのです。アンセムも、姉には相当期待を寄せていたようです」


 アイカの目には、既に遠き人となった姉を誇るような色が浮かんでいる。


「なので、私は姉の分もアンセムの期待に沿わねばなりません」

「でも怖いんでしょ?」

「はい、怖いです……」


 ショウタは、珍しくアイカの方から話してくれた彼女の姉について、もっといろいろ聞いてみたい気持ちはあったのだが、故人ゆえにすこしはばかられた。その口ぶりからするに、相当姉妹仲もよく、アイカアリアスフィリーゼにとっては自慢の姉だったのだろう、ということはわかる。


「まぁ、でも、やっぱり怖いものは克服しなきゃいけないですよ。殿下」

「殿下じゃないですけど、はい」


 アイカは拳をぐっと握り、頷いた。


「それはそうと、ショウタ」

「はいはい」

「私、お腹がすきました」


 彼女の言葉と同時に、きゅるるるるる~、という可愛らしい腹の音が聴こえてくる。アイカはすまし顔で『私ではありませんよ』と言っていたが、他に腹を鳴かすような存在は見当たらないので、これは間違いなくアイカだろう。


「まぁ、お腹が減ったのは僕もです」

「この将校居住区の下に食堂があるそうです。行きますか?」


 さすがにそうした情報はキャッチが早い。ショウタは苦笑しながらも頷いた。


「はい、行きましょう」

「結構。では」


 アイカは、アンセムに睨まれていたときとは打って変わり、ウキウキとした様子で部屋を出た。





 さすがに夕刻というだけあって、食堂はにわかに混雑を始めていた。皆、帯剣をしているのが妙に物々しい。アイカは『旅先での楽しみのひとつはご飯ですよね』などと、実に同意できることをのたまい、スキップせんばかりの勢いで列に並んだ。

 食堂は配給制であり、騎士章を見せれば無料で食べられるらしい。このサービスを受けられるのは軍務に従事している者のみとなり、アイカにそれが適用されるかどうかはわからなかったが、ノクターン家の紋章を見せたところあっさり通った。


 要塞線付近は、東側に比べて不毛の荒野が多く、農作物が育ちにくい。そうした気候を反映してか、食事は王都の大衆食堂ビストロやメイルオの村で食べたものに比べても、いささか質素ではあった。


 根菜をメインにしたスープと、やや堅いパン。そしてモチョロである。

 マーリヴァーナ要塞線で食べられるモチョロは、携帯性と食べやすさを考慮してか、細長いスティック状をしていた。棒モチョロと呼ばれるものだ。塩漬けにしてから干して乾燥させた、干しモチョロというものもあるらしい。


「モチョロを見るたびにメロディを思い出しますね……」

「私もです。この国でも地方によって色々なモチョロがありますから、次にメロディが来たときは各地のモチョロをご馳走したいですね」


 食事が載ったトレーを手に、アイカとショウタは適当な席に着く。飲み物やデザートの類は席についてから注文するものらしく、大きなジョッキを持ったウェイトレスが、ごみごみとした食堂を行き来していた。ちなみにウェイトレスも帯剣している。


 アイカとショウタは両手を揃えて『いただきます』と言い、食事を開始する。奇妙な風習に周囲の騎士たちの視線が突き刺さったが、特に気にすることもなかった。まぁ、この時までは、だが。


「おい、あれ、貴族騎士ノブレスか……?」


 不意にそんな声が聞こえて、ショウタは顔を上げる。少し離れた場所で、複数の騎士がこちらを見ながら訝しげな顔をしていた。これだけの喧騒の中で、その声を拾えたのは偶然のようなものだ。

 騎士達は、物々しい甲冑に身を包んだ伝統騎士トラディションであるように思える。明らかな嫌悪の表情を、こちらに向けていた。


「なんだって貴族騎士ノブレスサマがこんなとこにいるんだよ……」

「まったく、家でいいもん散々食べてるだろうにさ……」

「きっとシモジモの食事が珍しいんだろ……」


 ショウタはアイカの言葉を思い出す。『それでは、この要塞線では、すべての市民が〝伝統騎士〟と〝貴族騎士〟としていがみ合っているのか、と、考えただけです』。アンセム将軍は、すべての市民がそうしたいがみ合いに参加しているわけではないと言ったが、あの伝統騎士トラディション達は間違いなく、そんなしがらみの中にある。


 ショウタは少し不安になって、アイカを見た。


 とても美味しそうに夕食をお召し上りになられていた。


「どうしました、ショウタ。私の、食べたいですか?」

「いや、いいですよ。メニューも同じですし……」


 まぁ、アイカが気にしていないならばいいか。そうして食事に戻ろうとした時だ。


「見ない顔だな」


 こちらは、喧騒の中でもはっきりと通るハスキーボイスである。アイカとショウタはそろって顔をあげた。

 そこには、赤い軍服風のギャンベゾンに身を包んだ一人の女騎士が、トレーを持って立っている。美人だ、と、ショウタは思った。まぁ、アイカほどではないと彼も思うが、綺麗さのベクトルが異なると言えばそうである。涼やかな目元は、やや高く釣り上がり、キツめの性格を思わせた。


「おお、ディム・ルテナント・キャロルだ」

貴族騎士ノブレスサマにガツンと何か言ってくれるのかな」

「今日も綺麗だよなぁ」


 彼女も伝統騎士トラディションのひとりであるということは、後ろの会話から察せられる。

 ショウタはそちらの声が気になって仕方が無かったが、アイカはにこりと笑って佇まいをなおす。


「不躾な尋ね方をするが、貴族騎士ノブレスか?」

「はい。子爵エレジーの子、貴族騎士ノブレスアイカ・ノクターンと申します」


 女騎士の態度はやや居丈高だったが、アイカは特に気にした様子もない。

 このような狭い場所では抜剣礼もままならなかった。アイカは偽名を名乗る以上、鞘付きで名乗らねばならないというジレンマがあるので、ちょうどいいと言えばいいのだが。彼女は、スプーンを縦に構えることでその代わりとした。


 女騎士はトレーをショウタの隣に置き、こほんと咳払いをしてから、同様にスプーンを立てる。


「私は騎士将軍アンセムの子、伝統騎士トラディション騎士隊長ルテナントキャロル・サザンガルドだ」


 その名を聞いた瞬間、アイカはぴたりと腕を止めた。


「ディム・アイカ、夜の訓練には参加を?」

「あ、あの……。えと、は、はい……」


 顔中からだらだらと汗がにじみ出す。形のよい顎を伝って、ぽたりぽたりと落ちる雫が、スープに余計な塩味を加味していった。

 そしてさらに、あの騎士将軍の娘と名乗る女騎士から、このような言葉が飛び出す。


「ではそこで、私と戦ってはもらえないか」

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