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騎士王国のぽんこつ姫  作者: 鰤/牙
第一部 勇ましきあの歌声
21/91

【CHAPTER:02】 第19話  騎士将軍の楽しいオーク討伐合宿

 アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ姫騎士殿下が怖がるものというのは、いくらか存在する。

 だが、その中で一番恐ろしいものが何かと問えば、殿下の答えは決まっていた。




「殿下ぁー! 殿下、どこにいらっしゃいますかーっ!」


 王宮の中をひとりの少年が大声を上げながら歩いている。最初こそ心配そうな色合いが滲む声音ではあったが、次第に憤りが混じり始め、ここまで来ると怒号に近い。

 この日は生憎の雨であり、大きな雨粒が壁に吹き付けるその音が、王宮の中にさえ響いてくる。時折聞こえる雷鳴には、貴族や侍女、果ては近衛騎士達まで肩をビクつかせる始末であったが、少年、すなわちショウタ・ホウリンがアリアスフィリーゼ姫騎士殿下を呼ぶ声は、それよりもさらに大きい。


「殿下、で……あぁっ、もう! おいコラぽんこつ! しまいにゃキレますよ! 僕キレると怖いんですよ!」

「知っています!」


 叫び返すような声が、王宮の大廊下に響いた。半ばキレ気味とも言える怒号はこちらも相変わらずで、相当感情的になっていると思われる。これが、かのアリアスフィリーゼ姫騎士殿下の声であるとすれば、殿下の普段を知るものは、普段とにギャップに目を丸くすることだろう。

 ショウタが周囲をきょろきょろと見渡すと、槍を持った近衛騎士は苦笑いで扉のひとつを指した。武器庫、とある。幾つかの紋章が掲げられており、その中のひとつは、王族の許可を得なければ進入できない、といったことを示すものだった。


「入っちゃまずいんですよね?」

「いや、いいんじゃないですか?」


 近衛騎士がフランクに答える。

 ショウタはいささか躊躇しながら、扉に手をかけた。ぎぃ、という重い音がして、開く。ショウタは中を覗き込んだ。

 標準的な騎士剣を始め、小剣に大剣、槍や斧。見るだけで少年の心を躍らせる武器がずらりと並ぶ。多くの場合において、騎士の得物は個人の所有物であり、騎士の魂である剣ともなればそれは尚更だ。ここにある武器は全て予備に過ぎないはずだが、手入れは行き届いている。

 ともあれ、ショウタの探し物はそれではない。

 武器の山に紛れて、青い布切れが視認できた。奥に踏み込むと、ドレスのスカートに包まれた小さなお尻が震えている。ショウタは気まずそうに目をそらし、目をそらした先でまた、近衛騎士が慌てて姿勢を正していた。


 恐れ多くも、騎士王国が唯一の王位継承者、プリンセス・アリアスフィリーゼの尻であらせられる。如何にドレス越しとは言っても、この強烈な光景は直視し難い。


 とは言え、目を逸らしながら声をかけるというのも失礼な話で、ショウタは気が進まないながらも、おずおずと姫騎士殿下のお尻と対話を試みた。


「殿下、隠れんぼやってんじゃないんですから。出てきてくださいよ。ね?」

「か、雷は……」


 ガタガタと震える姫尻殿下は、いや、姫騎士殿下は、ゆっくり顔をあげた。目元がほんのり腫れている。


「はい?」

「雷は……鳴り止みました……かっ?」


 ショウタは後ろを振り返る。ざあざあという雨音は止む気配がない。空に立ち込める鈍重な積乱雲とて然りだろう。


「たぶん、まだ……」


 と、言いかけた瞬間、凄まじい轟音が王宮を揺るがした。


「ひゃあああああッ!」


 姫騎士殿下が飛び跳ねる。殿下はまたもお尻を突き出して頭を抑え、武器庫の中でガタガタと震え始めた。

 その様子を見れば、さすがのショウタも合点がいく。いささか意外にすぎるプリンセス・アリアスフィリーゼの弱点を、ここでショウタは知ってしまった。


「殿下、ひょっとしてその……雷が……」

「仕方がないではないですか!」


 ばっ、と殿下は上体を起こした。目元の腫れに加えて頬が紅潮している。騎士として武を誇る上で、雷鳴を恐るのが恥だという自覚はあるらしい。


「だって、だって、だって雷は、斬れないんですよ!?」

「それはまたえらく脳筋な理由ですね!」

「それでもいちおう我が国には、雷を切断したという騎士が5人ほどおりますが、私は無理です!」

「僕の国にもそんな人いましたよ! 500年前ですけどね!」


 まぁ、ショウタは自国の戦史に名を連ねるドーセツ・タチバナなる人物が本当に雷を斬ったという逸話に関しては、ほとんど信用していない。ただ、世の中には不思議なことが度々あるので、ほんのちょっとくらいは真実だったかな、とも思っている。

 騎士王国の人間がデタラメなフィジカルを持つことは、何より目の前で震えているお尻が証明しているし、この国の一部の人間は、かつて魔法がなくてもなんとかしようとした結果、本当になんとかなってしまった連中の血を引いているので、稲妻を切断するという話もあながち嘘ではないかも、と思ってしまう。


「とにかく、とにかくですショウタ! 私には怖いものがありますが、雷はかなり上位に入ります。具体的には、体脂肪の次に怖いです!」

「ぴしゃーん、ごろごろ」

「きゃああああああッ!」


 アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は飛び跳ねて、とうとうショウタの身体に抱きついてしまった。彼の薄い胸板にぐりぐりと頭をこすりつけ、必死に恐怖を紛らわそうとしている模様だ。当然、いくら抱きつかれたところで慣れるものではなく、振り乱される殿下の金髪から漂う芳香にドギマギもしてしまうが、正直この時ばかりは別の気持ちのほうが大きかった。


「恐れながら殿下、面白いです……」

「私は真剣に怖がってるんです!」

「ともあれ、出ましょうよ。こんなところにいても怖さは紛れないでしょ?」

「う、うう……ショウタぁ……」


 ぐす、ぐす、と涙声で震える殿下をなんとか立たせて、ショウタは武器庫を出る。泣きじゃくる殿下と、それに肩を貸すショウタの姿を見て、やはり近衛騎士が苦笑いを浮かべている。

 今日は姫騎士殿下から騎士王国の歴史について教えてもらう予定であったが、まさかその上で雷が障害になるとは、といったところだ。ことあるごとに飛び跳ね、悲鳴を上げて大廊下を走り回るようでは、冷静に教鞭を振るってもらうのは難しいだろう。


 まぁ、これはこれで面白いからいいのだが。


「そう言えば殿下、昨日言った、メロディへの手紙の件」

「う……ぐすっ……は、はい……」

「僕、字は何故か読めるんですけど、書けないので……」

「あ、はい。教えてあげますね……?」


 殿下の気力は、当分回復する兆しを見せない。昨日はあんなに晴れていたのになあ、と、ショウタは大廊下の窓から外を見上げた。瞬間、雲の切れ間からピカリと雷光が閃く。

 耳をつんざくような雷鳴までは、刹那の暇もなく。


「ぴゃああああああッ」


 姫騎士殿下は飛び跳ね、ショウタを突き飛ばして猛然と大廊下を走り始めた。突き飛ばされたショウタは、勢い天井に叩きつけられるところであったが、なんとか思考領域からひねり出した〝力〟をクッションとして、激突を免れる。そろそろ殿下のはた迷惑な怪力にも慣れてきたところだ。

 目を丸くする近衛騎士に軽く手を振り、ショウタはゆるやかに、赤い絨毯へ着地した。このまま浮遊しながら追いかけてもいいが、それはきっと相当疲れる。力だって無尽蔵にひねり出せるわけではないのだ。


 さてさて、奇声をあげて駆け出した姫騎士殿下である。

 雷鳴に押し出されるように大廊下を駆けていく彼女も、やがては止まる。今回の場合、その原因は衝突であった。聡明だが、よく注意力の散漫さを指摘されるプリンセス・アリアスフィリーゼだ。増して今ともなれば、周囲に配る注意など皆無に等しいわけで、必然的に、前から歩いてくる人影にも気づかない。


 故の、衝突だ。

 どおんっ、あるいは、ばむんっ、という擬音が正しいだろうか。とにかく、姫騎士殿下は、ショウタのものとは比べるべくもない分厚い胸板を前に停止を余儀なくされる。もんどりうって尻餅をつくまでがお約束だ。殿下がすらりとした鼻を痛めている内、ようやくショウタは小走りで追いつく。


「あ、あいたたた……」

「まったくもう、廊下を走ったりなんかするからですよ。あ、どうもすいません」


 ショウタは正面に立つその巨漢に、頭を下げた。王宮では見ない顔だ。高いというより、鋭いと表現したほうが正しい鷲鼻に、猛禽を思わせる眼光。王宮内で帯剣しているからには騎士だろう。さらに、軍服の上に紋章をつけているとこを見るに、由緒ある伝統騎士トラディション貴族騎士ノブレスであると思われる。

 ショウタの乏しい知識から導き出される分析は、こんなものだ。この男の特徴を端的に示すなら次のようになるか。

 とにかく、威圧感を凝縮したような男である。正直、何一つ悪いことをしていないショウタですら、身をすくませそうになってしまう。


「相変わらず、やんちゃでいらっしゃるようですね。姫騎士殿下」


 壮年の男は、低く響き渡る声でそう言った。


「は、はい。おかげでお父様やウッスアには……」


 殿下が照れ笑いを浮かべながら、ようやくその男を見上げる。瞬間、ただでさえ白いプリンセスの顔面が、さっと青ざめた。姫騎士殿下はバネ仕掛けのように立ち上がり、ぴしりと背筋を伸ばし、胸を張る。ショウタは訝しがった。こんな殿下、ウッスア宰相の前でも見たことがないのだ。


「ふむ……。騎士王陛下や、タマゲッタラにも……? 未だ、ご迷惑をかけていらっしゃる……?」


 ぎらり、と男の目が光るのを、ショウタは確かに見た。


「は、あ、や、あの。え、と、」


 だらり、と殿下の全身から脂汗がにじみ出すのも、ショウタは確かに見た。


「殿下、先日、勇者殿のお心をお癒しになられたという件、ワガハイは感服いたしました」

「そ、の……。そ、そ、お、です、か?」

「はい。ワガハイがマーリヴァーナ要塞線より、文字通りまっすぐ王都へ飛んできたのは、勇者殿捜索の為でございますから。しかし殿下、王立騎士学校の校舎を損壊させたという件については、あまり感心できません」

「そ、れ、は……」


 とうとうアリアスフィリーゼの足元には、汗の水たまりができる始末である。ショウタは辛うじて口を開き、殿下へ苦言を呈する男に、このような横槍を入れた。


「あのぉ、その件はもう、宰相さんから怒られてますし……」

「ほう……」

「アッ、ゴメンナサイ」


 男にジロリと睨まれた瞬間、ショウタの口からは自然と謝罪が出た。男は再度視線を殿下に戻す。


「タマゲッタラは忠臣です。が、どうやら殿下は、彼奴の小言は聞き飽きてしまわれたと見える」

「そ、そんな、こと、は……」

「どうも、たるんでおられるのではないですか? 殿下」


 蛇に睨まれた蛙というのは、こうしたものを言うのであろう。アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオは、まんじりともできなかった。翠玉色の瞳は、畏怖の感情で濁らせたまま大きく開かれ、直立不動で胸を反らしつつも、全身から流れ出る滝のような汗を止めることはできない。小刻みに震える身体は痙攣を疑うほどであり、どうやら声帯すら麻痺してまともに動けない様子だった。


 この時、閃光と共に先程までのものとは比べ物にならない雷鳴が、王宮を揺るがす。

 それでいてなお、殿下は一歩も動かなかった。悲鳴すらあげなかった。ただ全身をガチガチに凍らせて、目の前の男を見ていたのである。


「え、えっと……えっとです、ね?」

「たるんでおるのではないかと聞いているのですッ! プリンセスッ!!」

「はっ、はいっ! たるんでおりました! サー・ジェネラル・アンセム!」


 改めて姿勢をただし、あろうことか姫騎士殿下は騎行敬礼を行った。カッと両目を見開いて叫んだ男の言葉には、それほどの力があったのである。ショウタの鼓膜をぶち破るのではないかと思われたその怒号は、実のところ、先ほどの雷鳴と比べてもはるかにはるかに大きかった。


 サー・アンセムと呼ばれたその男は、ふうっとため息をつく。


「ではないかと思い、このアンセム、殿下のために一肌脱がせていただくことになりました」

「は、はっ……?」

「詳しい話は、タマゲッタラあたりからまた直接あるでしょう。ワガハイは、取り急ぎ要塞線に戻らねばなりませんので、これにて」


 アンセムは軽く腰を折り曲げ、殿下に頭を下げると、つかつかと大廊下を通り抜けていく。武器庫前の近衛騎士が、やはりビシリと全身を伸ばし、騎行敬礼にて男を見送った。ショウタは、その背中が見えなくなるのを確認してから、殿下の正面に回り込む。アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、未だに騎行敬礼のポーズをとったまま硬直していた。


「おっかない人でしたねぇ、殿下」

「ちょ、ちょっと……」

「はい?」


 姫騎士殿下は泣き笑いのような表情を作ったまま、とんでもないことを口にした。


「ちょっと、おしっこ漏れちゃいました……」

「!?」





 アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ姫騎士殿下が怖がるものというのは、いくらか存在する。

 だが、その中で一番恐ろしいものが何かと問えば、殿下の答えは決まっていた。


 王国西方マーリヴァーナ要塞線を統治する、戦略級騎士が一人にして、王立騎士団の総指揮官。

 〝文〟のウッスア・タマゲッタラと並び、〝武〟においては騎士王セプテトールの信頼もっとも厚き軍神。


 〝空飛ぶ騎士将軍〟、〝単騎空軍ワンマン・エアフォース〟、〝竜巻の化身〟、〝黒竜〟、〝人間災害〟。


 〝ジェネラル・サザンガルド〟。


 サー・ジェネラル・アンセム・サザンガルド。


 姫騎士殿下が一番恐れる存在というのは、その男なのだ。






Episode 19 『騎士将軍の楽しいオーク討伐合宿』

FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM



◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



「では、マーリヴァーナ要塞線に出向せよと言うのですか!?」


 宰相ウッスアの言葉を聞き返す姫騎士殿下の声は、もはや悲鳴に近かった。


 王国西方マーリヴァーナ要塞線。かつて〝死の軍勢〟を退けた、南北に広がる強大なる要塞都市である。ここ200年近くは、地平の彼方より迫り来る脅威の存在もないが、それでもこの要塞線には現在でも騎士王国最強の戦力が集められ、非常事態に備えている。

 そして、騎士将軍ジェネラルアンセム・サザンガルドが管理統治する都市でもある。


「嫌ですかな、殿下」

「イヤではないのですが、極めてそれに近しい感情があります!」


 殿下は毅然と胸を張り、情けないことを言う。

 あのあと、雷に怯えつつも、ショウタに付き添われて自室に戻り、下着を変えた殿下に、宰相ウッスアから呼び出しがかかった。ショウタも同様だ。二人は、先ほどのアンセムの言葉を思い出し、暗澹たる気持ちで謁見の間に向かったのだが、どうやらイヤな予感は当たったらしい。


「しかし、サザンガルドの奴がお嫌いというわけではないのでしょう? 殿下」

「はい。むしろアンセムのことは好いております。彼も忠臣であり、今の私があるのは彼のおかげです」


 はっきりと語る殿下の口調に欺瞞の色はない。本心なのだろう。が、殿下はそこでぎゅっと拳を握った。


「でも、怖いものは怖いのです! ショウタからも何か言ってやってください!」

「恐れながら殿下、それは私の台詞ですが!」


 とばっちりが自分に回ってきてしまったらしい。ショウタは頭を掻く。


「何かと言いましても……。そうですねぇ……」


 ショウタはひとまず、何故自分たちがマーリヴァーナ要塞線に向かわねばならないのかから考えることにした。ウッスア・タマゲッタラの説明はこうである。


 ここ一週間、各地で獣魔族災害が頻発している。獣魔族とは、オークやゴブリン、コボルトなどの、ヒトやデミヒューマンと倫理的な意思疎通が困難な、社会性を持つ知的生物の総称だ。名前の似ている冥獣魔族との直接の関係は不明であるが、獣魔族の活性化と冥獣神の復活は無関係ではないと考えられる。

 勇者メロディアスは打倒冥獣神の旅を続けているが、戦いの終結までは遠く、今後も獣魔族災害が増加する可能性は十分考えられる。平和な王都周辺にも出現するようになれば、当然、城下の騎士たちも交戦の機会が増える。


 しかし、これまでグランデルドオ騎士王国において獣魔災害はそう一般的なものではなく、その具体的な対処方法を知っていても、実戦経験まである騎士は多くない。姫騎士殿下とてその例には漏れないのだ。

 今後、王都周辺で大規模な獣魔族の軍勢が出現した場合、小規模な紛争状態にも発展し、その場合は病床に伏した騎士王に代わって姫騎士アリアスフィリーゼが城下の騎士達の指揮を執る。


 そうした日が来ることも考えて、殿下には一度、獣魔族討伐の経験を積んでいただいたほうがよい、というのが、騎士将軍の提案であった。らしい。ま、筋は通っている。この場合、無茶というか、わがままを言っているのはどう見ても姫騎士殿下の方だ。


「関係ないんですけど、殿下。殿下の怖いモノの中にオークって入ってるんですか?」

「オークですか?」


 唐突な話題の転換に、アリアスフィリーゼは小首を傾げる。金髪がふわりと揺れた。


「戦ったことがないからかもしれませんが、あまり怖いと思ったことはありませんね……」

「でも体脂肪率高そうですよ?」

「私が怖いのは私の体脂肪だけです。あと、オークは贅肉の下に強靭な筋肉を持っているので、見た目ほど体脂肪率は高くないと聞きます」


 ショウタの故郷では、オークやゴブリンなどというのはあくまでも想像上の生き物だった。その姿見にも諸説あり、ショウタはブタ顔のでっぷりとした体格の魔物と認識しているが、これが別の国に行くと筋骨隆々とした強面の知的種族だったりするらしい。

 ただ、どうもこの獣魔族のオークというのは、比較的ショウタの認識するオークに近いもののようだった。で、ショウタの認識するオークというのは非常に生物的欲求に忠実であり、その、女騎士に対して乱暴を働いたり? するもの? らしい。実際にそうした創作物に目を通したことはないので、詳しい話は知らない。


「でも、何故ショウタはそのようなことを聞くんです?」

「いやぁ、特に深い理由はないんですが……」


 つまりショウタの世界における、オークと女騎士のそうした関係性に端を発した疑問だったが、それを仔細に解説するつもりにはなれなかった。


「とにかく、私はオークなんかより雷の方が怖いですし、雷より体脂肪の方が怖いですし、でも一番怖いのはアンセムです」

「そのサザンガルドの膝下には行きたくない、と」

「そうです」


 ウッスアの言葉に、姫騎士殿下は大真面目に頷く。


「でもでも殿下、こういうの、苦手を克服するチャンスって言いません?」

「19年間ずっと怖かったものを今更克服できるのでしょうか!」

「明日のことは誰にもわかんないって言いますし……」


 とは言え、ショウタにも不安はある。

 サー・ジェネラル・アンセム・サザンガルド。伝統騎士トラディションだ。騎士王国における軍事面において最高クラスの発言権を持ち、姫騎士殿下を一喝で黙らせるほどの迫力と威圧感も有する。戦略級騎士というからには、腕力にも相当な自信があるだろう。

 ショウタの立場はあくまでも宮廷魔法士だ。貴族騎士ノブレスから多大な支持を受ける立場であり、また魔法士という存在は、伝統騎士トラディションの誇りとは真っ向から対立するものでもある。彼らは、その人間離れしたフィジカルのみで国を守護してきたのであって、マジカルなものには頼りたくない、という意識が、根底にあると聞く。


 その点をショウタも正直に話すと、ウッスアは例の好々爺じみた笑みを浮かべてこう言った。


「まあ、確かにサザンガルドの奴めは、絵に描いたような伝統騎士トラディションであり、軍事力第一主義であり、いささか攻撃的な論旨の目立つ、典型的なタカ派ではありますが……」

「すごい不安になるような情報がバンバン出ますね!」

「その分、軍力の拡張という点においては非常にリベラルな考え方をします。貴族騎士ノブレスの大半は奴を嫌ってはおりますが、一部の魔法推進派とは接触も多いようです。というのも、奴自身、一時期帝国に留学して魔法を習っておりましてな」


 初めての情報に、ショウタは目を丸くする。自分が王国唯一の魔法士と聞いていたから、てっきり魔法を使える人間など一人もいないものと思っていた。


「ま、期間も短く、それほど有益な魔法は取得してこなかったようですが。奴は教えるのが苦手なので、魔法技術の拡散にも繋がっておりません。ただ、そのような奴ですので、魔法士殿を極端に冷遇することは、ないでしょうな」

「でも、獣魔族の討伐訓練でしょ? スパルタ教育で鍛えにきたりは?」

「するでしょうな」


 ウッスアはニコニコ笑いながらあっさりと頷く。


「や、やはりいけません!」


 アリアスフィリーゼはそう叫んで、ショウタをぎゅっと抱きすくめた。胸当てに収められた胸が当たる。キュイラスのゴリゴリとした感触は相変わらず何の感動も呼ばずただ痛いだけだが、殿下の熱弁と共に吐き出されるほのかな温かみのある吐息が、ショウタの耳から侵入し、脳髄を破壊しにくる。


「ショウタみたいな子が、サザンガルド式の訓練についてこられるものでしょうか! マーリヴァーナ要塞線は過酷な地です。まして、オークのような強大な獣魔族と戦わせるなど……」

「恐れながら殿下、」


 こほん、とウッスアが咳払いをした。


「魔法士殿をダシに、今回の件から身を退こうとなさるその態度は、感心できるものではありませんな」

「うっ……」

王族騎士ロイヤルたるもの、常に自らを盾にし民を守らねばなりませぬ。それをこともあろうに、民の弱さを盾にとって保身に走ろうなどと、そのようなことをして、ご自身の何を誇れるとお思いですかな?」


 ド正論である。普段は清廉、潔癖を旨とし生きる姫騎士殿下だけに、この物言いは堪える。


「殿下がどれほどお嫌がりになろうと、この件は確定事項でございます。騎士王陛下のご承認もいただき、このように、」


 ぴらっ、とウッスアは一枚の紙を開く。そこには見慣れない紋章が掲げられていた。


「殿下のご身分を偽装するため、ノクターン子爵家の家紋も作成いたしました」

「うわぁ、本格的ですね……」


 殿下に抱きすくめられたまま、ショウタはぽつりと呟く。ショウタの細い腰に回された腕に、ぎゅっと力が入った。


「うう……。しょ、ショウタぁ……」


 例の情けない姫騎士殿下の声が、耳朶を甘く揺する。ショウタは苦笑いを浮かべた。


「諦めましょう、殿下。いい経験かもしれませんし」

「はい……」

「替えのぱんつは、多めに持っていきましょうね……」

「……はい」


 律儀に頷いた殿下のおでこが、ショウタの後頭部を直撃した。


























 怖いもの知らずで知られる女騎士キャロルにも、恐ろしいものがふたつある。

 ひとつが父親で、ひとつがオークだ。


 その日また、キャロルは夢を見た。自身の率いる小隊が、たった一頭のオークに壊滅させられる夢だ。


 その個体は、一般的に知られるオークの数倍近い巨躯を持ち、また頭部が異常発達した特異個体である。口元から除く牙は複雑にねじれ、赤く充血した双眸は、やはり多くの個体と比しても凶暴性が高いことを示していた。


 〝袈裟懸けスラントライン〟と呼ばれるその個体は、肩から腰にかけて大きな傷跡を有しており、数日前からマーリヴァーナ要塞線の近辺を荒らしまわっていることが確認されていた。警邏中の騎士達が何度か襲われ、仔細な報告により詳しい姿も明らかになっている。正式な討伐隊が組まれることになり、その隊長として任命されたのがキャロルだった。


 たかだかはぐれオーク。コボルトやゴブリンに比べれば知能も低い。小隊規模の連携を前にすれば、討伐も容易い。

 そう言って笑う騎士達を一喝し、キャロルは彼らを率いて討伐に出た。


 その結果が、これだ。


 袈裟懸けスラントラインは、その圧倒的な腕力で、騎士たちの巧みな連携をかき乱し、ねじ伏せた。拳のひとふりで、重厚な鎧に覆われたはずの彼らが血袋と弾ける。部下たちが怪物に一人、また一人と惨殺されていくのを、キャロルは震えながら見ていることしかできなかった。

 やがて、血に染まった平原に静寂が落ちる。最後の部下を容易く握りつぶした後、袈裟懸けスラントラインはキャロルを見た。血を浴び、過剰に昂ぶったオークの精神は、彼女を見るにつけ別の欲求をたぎらせる。


 キャロルは動けなかった。逃げなければと全身に発せられる警告を、恐怖が完全に遮断していた。


 袈裟懸けスラントラインは舌なめずりをしながら迫る。呆然と立ちすくむキャロルを叩き、草むらに組み伏せ、その身体を覆い尽くす甲冑に手をかけ―――、


 そこで、目が覚めた。


 呼吸が荒い。全身から汗がにじむ。心臓が早鐘を打つ。自分が今横たわっているのが、要塞線に割り当てられた自室のベッドであることを確認して、キャロルはようやく安堵のため息をついた。


 またあの夢か。わずかな自嘲がある。

 袈裟懸けスラントライン討伐隊の隊長に任命されたその日から、もう毎晩だ。情けない話である。この歳にもなってオークが怖いなどとぬかすようでは、まったく、騎士失格ではないか。

 大丈夫だ。自分たちなら勝てる。そのように自ら言い聞かせ、納得しようとするが、それでもあの妙にリアルな夢を思い出せば、身体も心もすくんでしまう。殺意と獣欲にみなぎる、真紅の双眸。報告でしか聞いたことのない袈裟懸けスラントラインの恐ろしさを、何故自分の脳はここまでリアルに再現してしまうのか。


 討伐の日まで、もう3日を残すのみとなった。

 キャロルは再びベッドに横になって、目を閉じる。


 次の討伐こそは、成功させねばなるまい。父の期待に応えるために。

 キャロル・サザンガルドは、今度こそ悪夢から逃れられることを願い、まどろみの中へと落ちた。

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