第18話 目覚めた勇気
王族騎士御用達の馬車が、王宮を発つ。掲げられた天剣護紋の御旗には、さらに七つの剣が掲げられていた。それはまさしく、馬車の中に居る人間がこのグランデルドオにおいて最高の権力を有するセプテトール・ラゾ・グランデルドオであるという証明にほかならない。
王族騎士でありながら戦略級騎士の一人に数えられていた全盛期の騎士王であれば暗殺を警戒する必要など皆無ではあったが、病床に伏してより、陛下は力の衰えが激しい。近衛騎士の中でも優秀な数名が馬車を守る形で護衛につき、馬車が大通りを南下する光景はいささか物々しいと言えた。
「陛下、無理に外出なさらずとも。お体に触ります」
馬車の中で、宰相ウッスアが渋面を作る。騎士王セプテトールはわずかに咳き込みながらも、至って真面目な顔で答えた。
「今は調子がいいと言ったろう。それに勇者殿に会うのだ。こちらから出向かぬわけにも行くまい。場合によっては、頭を下げねばならんのだからな」
王都内に舞い戻り、勇者メロディアスを捜索中であった騎士達より、先ほど発見の連絡を受けた。ひとまずは、一安心である。王国三方の守りを固める戦略級騎士達には既に早馬を飛ばしてしまっており、最終的には彼らに無駄足を運ばせることとなってしまうが、それでもまずは、勇者が見つかって良かった。
早ければ夕刻にはこちらへ到着するであろう騎士将軍アンセム・サザンガルドと、騎士提督コンチェルト・ノグドラ、そして運河要塞へ向かってもらう騎士剣聖ゼンガー・クレセドランには、後で侘びのひとつでも入れておかねばなるまい。
勇者メロディアスを、ゼルシア自治領へ放り出す。
口で言うは容易いが、その現実の裏に潜む残酷さを、理解できないセプテトールではない。勇者は10歳になるという女児だ。まして、後見人であるシュランツ老人の話では、勇者は未だ戦えるような精神状態にはない。それを戦地に送り出すというのだから、扱いは英雄どころか、生贄だ。
彼自らをして『クソだ』と言わしめた真似を、騎士王はせんとする。王として国を守るためだ。
〝守るべきもの〟を、はっきりと認識できるのは、きっと庇護者として幸福なことなのだろうな、と思う。
国も民も、概念として曖昧なものだ。それが世界と人類に広がれば、尚更わからなくなるものだろう。そんなものを、たかだか10歳の子供に守れというのが、どだい無理な話である。だが、それはそれだ。セプテトールは自身が騎士王であるという大前提のもと、いかなる事情であれ、勇者を戦地に送り出さないという結論には達しない。
馬車の中には、〝勇者の後見人〟である竜人族のシュランツ老人も腰掛けている。
陰鬱な顔を伏せ、黙り込むこの老人にかける言葉は見つからない。下手な慰めも、言い訳も、あるいは必要以上に偽悪ぶるような真似も、セプテトールはしたくはなかった。
「陛下殿、」
意外にも口を開いてきたのは、そのシュランツの方からである。騎士王は、揺れる馬車の中で相槌を打った。
「ん、」
「勇者とは、因果なものでございますな」
それは、初代勇者が生まれたときより、幾度となくその傍らにて戦い続けた老人の台詞である。
幾度となく、世界を守らねばならぬ勇者たちの悲哀を、その目で見続けてきたからこその言葉なのだろう。メロディアスのこととて、悲劇の一端であるに違いないのだ。
だが、それを考慮した上でなお、セプテトールは吐き捨てるように言った。
「因果でないものなどあるまいよ。それがヒトの世に生まれたものである以上はな」
みな同様に、等しく度し難い。王の生き様とて、そのようなものだ。
しばらくして、馬車が止まる。御者が扉を開けると、そこは市民街の中央広場であった。普段であれば、笑顔で行き交う市民の姿は、既にそこにはない。警邏騎士や王立騎士などが、物々しい雰囲気で駆け回っている。
通常の公務などであれば、宰相がここから赤の長絨毯などを引くが、そんな煩わしい真似をしている時ではない。セプテトール達が馬車を降りると、王立騎士団の騎士隊長が、鎧をガチャガチャ言わせながら駆け寄ってきて、騎行敬礼で迎えてくれた。
「騎士王陛下! 伝統騎士レイカーの子、王立騎士団騎士隊長ジェイス・ブロワーです」
「うむ、ご苦労。英霊オラトリオの子にして大英霊デルオダートの孫裔、騎士王セプテトールである」
互いに抜剣礼を交わし、簡易的な挨拶を済ませる。
「申し訳ありません。姫騎士殿下と勇者殿は目下、ご逃走あそばされております」
「で、あろうな」
騎士王がぐるりと広場を見渡すと、縄でがんじがらめにされた少年が石畳の上に転がされているのがわかる。周囲を数人の騎士が取り囲み、穂先を少年に突きつけていた。そちらの方へ足を進めると、護衛についてきた近衛騎士達に若干の緊張が走る。
少年は身を起こし、どうも決まりが悪そうにしていた。
「陛下……」
「魔法士殿、いい格好じゃないか」
緊張を紛らわすため、あえて軽い物言いをしながら片膝をつき、目線を合わせる。
「なんかすいません、騎士王陛下。いろいろ、期待に沿えてない気がします」
少年はこの事態に、何やら緊張感のない、とぼけたことを言ってきた。
アリアスフィリーゼと行動を共にすることで、各方面の不満を押さえ込むという、以前話した件についてだろう。あれも半分くらいは方便のようなものだったが、こちらの意図を真剣に汲み取ろうとしてくれている点についてはありがたい話だ。
「そう気にしたものではないぞ、魔法士殿」
セプテトールは、少年の珍しい黒髪に頭をやってわしゃわしゃとかき回した。
「今回の家屋倒壊の件もそうだが、ひとりで騎士団の精鋭を数分でも足止めしたと聞けば、魔法推進派だって気をよくするさ。ま、おおっぴらには言えんことだし、そもそも貴公の立場を守るには、アリアと勇者殿次第にはなるが。なるべく悪いようにはせん」
「あ、ハイ。ありがとうございます」
平和ボケが若干過ぎるようだが、それでも肝が据わっているらしいのは、結構なことだ。
宮廷魔法士ショウタ・ホウリンが、自分やウッスアなどの常識が通用しないところからやってきたのだということは、セプテトールも知っている。彼の言動を見るに、治安のしっかりした、住みよい場所であったのだろう。ショウタの故郷について、彼に尋ねることを意図的に避けていた騎士王だが、この時ばかりは湧き出る疑問を止めることはできなかった。
「魔法士殿の故郷にも、勇者というものはあるのか?」
セプテトールは立ち上がり、広場から市民街を眺める。ショウタはしばし考えた後、こう答えた。
「時たますごい勇気ある行動をする人をそう呼ぶことはありますけど、まあ、大体は創作の中の存在です」
「そうか……」
本当に、創作の中だけ、伝承の中だけの存在にするべきなのだろうな。
騎士王が勇者の存在に思いを馳せていると、不意に、何かが弾けるような炸裂音と、多数の色彩が入り混じった煙が蒼穹に踊った。警邏騎士隊などで使用されている信号弾の暗号だ。セプテトールもすべての騎士団に指揮権を有する者として、その内容は把握している。
勇者メロディアスと姫騎士アリアスフィリーゼが発見されたことを告げるものだった。
王立騎士団の面々はまだ把握できていないが、警邏騎士隊には動きがある。騎士王はちらりと宰相ウッスアに目をやり、シュランツ老人に振り返った。
「シュランツ老、勇者殿が見つかった。ついてきてくれるな?」
「……。はい」
「あ、あのう……」
ショウタが脇から恐る恐る声をかけてくる。
「僕も一緒に行っていいですか?」
「うむ?」
「だって、メロディをこれから送り出すかもしれないんでしょう?」
少年の言葉に、竜人族の老人は少し驚いたような顔をしている。騎士王はまずそれを見、またショウタの顔を見、そして最後にウッスアを見た。ハゲ頭の宰相は、両手を前で組んだ待機姿勢のまま、器用に肩を竦めている。
勇者メロディアスとしばらくのあいだ行動をともにしていたのは、アリアスフィリーゼとショウタだ。密偵の報告では、孤児院でとても親しそうにしていたという。きっと、勇者に対して同情的な一心で、今も逃走中なのだとは思われるが。
「よし、連れて行く。おい、魔法士殿の縄を切ってやれ」
「は、はっ? しかし……」
近衛騎士の一人が困惑したような声をあげる。
「恐れながら、魔法士殿を自由にすれば、どのようなことをなさるか……」
「何かしでかすような甲斐性が魔法士殿にあるとは思えんな。仮にあったとして、俺も戦略級騎士だ。病に冒されているとは言えだな、妙な気を起こした魔法士一人、即座に斬り捨てられる。なあ?」
セプテトールの突っつくような物言いに、ショウタはただただ、苦笑いを浮かべていた。
密偵のみっちゃんが姿を見せる。孤児院の先生の姿をした彼女がそうであると、アリアスフィリーゼは即座に理解した。腕の中に抱きすくめたメロディの身を案じながら、アリアスフィリーゼはみっちゃんに顔を向ける。
彼女が何のためにこの裏路地へ足を運んだのか。
その鋭い眼差しを見れば明白である。密偵たる彼女は、宰相の、ひいては騎士王の使いとしてこの場にいる。勇者メロディアスを、戦地に送り出す者。みっちゃんはその使いだ。
「姫騎士殿下、それに勇者メロディアス殿。もう、事情を説明する必要もないとは思いますが」
淡々とみっちゃんが語る。
「ゼルシア自治領に獅子王マグナムの侵攻が再開されたであります。メロディアス殿、出撃のご準備を」
「うん……」
メロディが、腕の中で小さく頷いた。頷いたのだ。
ほんのわずかな動きで、しかし明確に首肯を示したのだ。しかし小さな少女が示した、確かな意思とは裏腹に、アリアスフィリーゼは彼女を抱く腕に力を込める。姫騎士という立場から喜ぶべきである決断も、ただ一人の人間としては、決して歓迎できるものではなかった。
「メロディ……!」
「うん、だいじょうぶ」
少女は、顔を上げて微笑んだ。そこには、今までのような、儚げな危うさというものが存在しない。
「あたしもう、大丈夫だよ。お姉ちゃん」
凛と鳴る鈴を思わせる、はっきりとした声音が、裏路地に木霊す。その顔、その声で、腕に込めた力がわずかに緩む。メロディアス・フィオンはその未練を振り払うようにして、腕の中から抜け出た。腕の中から出て行く小さな温もりに、アリアスフィリーゼは、震えているのは自分の方なのだと気づかされる。
「お姉ちゃんの言葉、心に全部届いたから。だから……」
にこり、と、輝くような笑顔で言う。
「勇気の出し方、思い出したよ」
その時、この小さな少女の身体から、淡い光が滲みだした。黄金色の輝きが、薄暗い裏路地を照らし出す。
その柔らかくも強い意思を宿す光は、まさしくメロディアスの心の具現であったことだろう。小さな手でぐっと拳を握るメロディの喉元に、光の根源が視認できる。喉から胸元にかけて、まっすぐ縦に伸びて明滅するそれが〝何〟であるか、アリアスフィリーゼは思い至った。
代々勇者のもとにのみ姿を見せるという、伝説の剣。すなわち輝煌剣ゼペリオンの輝きである。
時として剣、時として槍、時として斧。あるいは本であり、鎧であり、靴であった代行者の絶対権限。人々の魂の力を光の粒子に変換する装置。輝煌剣ゼペリオンは常に一定の形状を持たない。
メロディアス・フィオンに具現化したゼペリオンの正体が〝声〟であり、それはまさしくメロディの存在そのものを絶対兵器に変えるものであることを、アリアスフィリーゼは知る。
勇気を取り戻したと語る今のメロディの姿は勇者であり、あるいは、勇者の剣でもあったのだ。
「あたしね、もう家族はいないから。ムー達しかいないから、なんか、このセカイがずっと広いように見えてたよ」
その意思の出処を半数するかのように、メロディは語る。
「だからね。そんな広すぎるセカイの護り方なんてわかんなかったけど、でもね。お兄ちゃんとお姉ちゃんに会えて、少し世界が狭くなって。あたしの後ろにいる人たちの顔が、はっきり見えたような気がして。だから、大丈夫」
とうてい、10歳の少女が語るような内容ではない。だが、その口ぶりは、決して曖昧模糊とした概念を理想で塗り固めたものではなく、彼女の心から漏れた真意の欠片であった。
一歩たりとも動けないアリアスフィリーゼに、メロディアスは歩み寄る。そしてまた抱きつき、その胸元に顔をうずめた。
「ひとりで戦わなくていいって、言ってくれたけど。あたしもう、ひとりじゃないから」
「メロディ……」
「お姉ちゃん、モチョロおいしかった。また来るね」
「……はい」
アリアスフィリーゼは、少女をぎゅっと抱きしめる。
こんな子を、戦地に送り出さねばならないなんて、などという悩みは、もはや無駄なものなのだろう。彼女は立派だった。自分の意思で、戦う覚悟を決めたのだ。だがそれでも、本当は一緒について行ってあげたかった。せめて傍で、彼女を支えてあげられたら、と思った。だが、一国の姫という立場は、アリアスフィリーゼにそれを許しはしない。
「先生も、」
メロディアスは、そう言ってみっちゃんに向き直る。彼女は、一瞬だけ驚いたような顔をしていた。
「みんなと一緒に遊ばせてくれて、ありがとう。ジョッシュ達によろしくね」
「は、はっ……。必ず伝えるであります」
孤児院の先生に化けた彼女は、背筋をぴしりと伸ばして騎行敬礼を返す。
表のとおりに、慌ただしい気配を感じたのはその時だ。ばたばたとした足音、甲冑の軋む音が裏路地にまで響いてくる。みっちゃんが、再びアリアスフィリーゼを見る。姫騎士も頷いた。
みっちゃんに連れられて、メロディと共に通りへと向かう。アリアスフィリーゼはメロディの手をぎゅっと掴んで、先導した。ひとりじゃないという彼女自身の言葉を、その手のぬくもりで確認させてあげたかった。
外に出ると、王立騎士たちが槍の穂先をこちらへ向けていた。抜剣はしていない。王族に抜き身の〝剣〟を向けるという意味の重さを、彼らもよく理解している。
心配そうな面持ちで立つショウタもいた。無事でよかった、と胸をなで下ろす。そしてアリアスフィリーゼの実父である騎士王セプテトールと、宰相ウッスア、見たことのない竜人族の老人。老人は薄い白髪に緑のローブを着た、枯れ枝のような体躯をしていた。メロディアスの言っていた、後見人の〝おじいちゃん〟だろう。
「槍を降ろしてください」
アリアスフィリーゼは一歩出て、はっきりと告げた。騎士たちは若干戸惑いながら、騎士王に確認をとる。セプテトールが頷いたのを見て、彼らは槍を下げた。
「め、メロディアス様……」
その中で、竜人族の老人が一歩前に出た。アリアスフィリーゼはメロディと視線を交わし、頷いてからその手を放す。メロディアスは、とてとてと〝おじいちゃん〟の下へ駆け寄った。
「メロディアス様、申し訳ございません……。儂は……」
「ううん、おじいちゃん。あたしこそ、ごめんね」
薄い光をにじませながらにこりと笑うメロディを見て、老人は目を丸くする。
「メロディアス様、もしや輝煌闘法を……」
「うん、勇気の出し方は、もうばっちりだよ!」
「おお……!」
ぐっと拳を構えるメロディに対して、老人は膝を折り、泣き崩れてしまった。
騎士団のあいだに、ざわめきのようなものが広がる。騎士王は騎士王で、少しばかりのあいだ瞠目していたが、すぐに満足げな笑みに戻って頷いた。ショウタは大きく息を漏らしている。彼も安堵したところだろう。
メロディは次にショウタのもとへ走る。先ほどのアリアスフィリーゼにしたように、ぎゅっと抱きつき、胸元に頬を摺り寄せた。
「メロディ、もう大丈夫なんですか?」
「うん、お兄ちゃん。あたし、行くね」
ショウタは少し寂しそうな微笑を浮かべ、彼女の薄桃色の髪をそっと撫でる。
「また、会いに来ていい?」
「はい。いつでもどうぞ」
甘えるような声で言うメロディに対して、ショウタの声はどこまでも優しい。歳の差にすれば6歳ばかりしか離れていないであろうふたりは、本当の親子であるかのようにじゃれあっていた。どちらも、故郷を遠く離れた者同士だからこそ、相手の温もりと寂しさを理解できているのかもしれない。
そしてメロディアスが最後に向かったのは、騎士王セプテトールのもとである。
周囲には若干の緊張が走る。だが、騎士王は片手だけでその空気も押さえ込んだ。騎士王は、いつもの軽快な口調で勇者に挨拶せんとする。だが、わずか10歳の少女は片膝をついて、頭を下げたのは、セプテトールが口を開くよりわずかに早かった。
あまりにも自然な敬服の態度に、一同は面食らう。それまでとは打って変わった口調で、しかし変わることのない凛とした鈴の声で、勇者メロディアス・フィオンはこう告げた。
「お目通りが叶い、嬉しく思います。セプテトール騎士王陛下。輝煌剣ゼペリオンを賜りし勇者、メロディアス・フィオンです」
「う、うむ……?」
唐突な様変わりに、騎士王は目を白黒させる。驚いたのはアリアスフィリーゼやショウタ、それにみっちゃんなども同様ではあったのだが、一番困惑しているのは、当の騎士王セプテトールであった。
「此度の件、騎士王陛下及び騎士団の皆様のお手を煩わせたこと、まことに申し訳なく思います。勝手とは存じますが、勇者としての責務をこの手で果たすことにより、何よりの贖罪とさせていただきます」
「う、うむ。そうか、うむ」
「私がこうして、勇者としての責務を全うできるのは、アリアスフィリーゼ様、並びにショウタ様のお力添えあってのこと。どうか、お二人には寛大な処置を沙汰していただけるよう、恐れながらここにお願い申し上げる次第です」
「そうか。うむ。わかった。うむ」
口の軽さと特有のマイペースで周囲を煙に巻いてきた騎士王セプテトールではあるが、この時ばかりは、10歳の勇者メロディアスに完全に圧倒されていた。宰相ウッスアの目が冷たい。王立騎士たちの目もある中で、メロディの〝お願い〟に首肯してしまった以上、アリアスフィリーゼとショウタに厳しい沙汰を下すのは、もう無理であろう。何より勇者のお願いである。皇帝聖下にその存在を認められた勇者であれば、その言葉は重い。
「よしっ、シュランツおじいちゃん! 行こっ!」
「はっ、かしこまりました。メロディアス様!」
竜人族の老人シュランツは笑顔で頷くと、その枯れ枝のような肉体に竜力を込めた。全身に鱗が浮かび上がり、角が、翼が、尻尾が生える。やや細身で頼りなくはあるが、シュランツはそのわずかな時間で、たくましい竜の姿へと変異した。初めて見るドラゴンの姿に、多くの騎士たちは感嘆の声を漏らす。
勇気の光を纏いし少女フィオンは、その背中に飛び乗った。シュランツが火炎の吐息と共に低く轟く咆哮をあげ、その竜翼を大きく広げる。風圧がその場の一同を強く叩き、勇者を乗せた竜が天高く舞い上がる。
『では、いざ、ゼルシア自治領へ!』
反響のような効果がかかったシュランツの声。竜の背より、勇者が地上の一同を見下ろした。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん、それにみんなも! ありがとう、またね!!」
その言葉を置き去りにし、竜は亜音速にてその空を発つ。一頭と一人の影はすぐさま建物の影に阻まれて見えなくなり、そしていずれは、例え至天塔より眺めたとしても捉えることのできない彼方に、消えていくことだろう。
それは、あまりにも呆気ない、勇者の旅立ちであった。
「あれで10歳か……」
いささかの戦慄を込めた声で、セプテトール騎士王は呟く。
「最近のガキは賢いもんなんだな……」
「お父様、」
アリアスフィリーゼは、そっと騎士王に歩み寄る。王は振り返り、蒼玉色の瞳を姫に向けた。
「ご迷惑をおかけしました」
「ああ、それな……」
実の娘のまっすぐな謝罪に対して、セプテトールは苦笑いを隠せない。
「孤児院と騎士学校の一件を含め、まあ説教したいことはあるんだが、アリア。勇者殿に寛大な処置をって言われてしまったものでな。王宮に戻って、小言はウッスアに任せよう。魔法士殿もな。安心したか?」
「ええ、はい。まぁ」
声をかけられて、ショウタも笑って頬を掻いた。その横から、みっちゃんが彼の顔を覗き込む。
「ショウタ殿、痛くなかったでありますか?」
「痛かったですけど、お互い様ですしね。こちらこそお手数かけました」
「ショウタ殿は、もう少し戦いに際して厳しくならないとダメでありますね……」
みっちゃんとショウタの会話の意味が、アリアスフィリーゼにはよくわからない。彼女が首を傾げるさなか、ウッスアが腕を背中に回し、胸を張って『総騎士、撤収!』と声を張り上げたので、周囲の騎士たちとみっちゃんはピシリと姿勢を正し、ぞろぞろと通りを戻っていった。
残る騎士王と宰相、そして数名の近衛騎士も、その後ろから広場に続く道を歩き、戻る。
「行ってしまいましたね」
ぽつんと残された通りの上で、ショウタが言った。アリアスフィリーゼも頷く。
「はい、行ってしまいました」
「いい子でしたね」
「はい、いい子でした」
あの小さな温もりを、アリアスフィリーゼの手はまだ覚えている。結局、戦いに向かう彼女を見送ることしか、自分にはできなかった。ひとりではないと、孤独ではないと、そう言った彼女に、自分の手と自分の言葉は、どれほどの力を与えられたのだろう。どれほどの勇気を、与えられたのだろう。
馳せても詮無い思いを馳せる。そんな彼女の手を、また別の温もりがそっと取った。
驚いて顔をあげるアリアスフィリーゼに、ショウタがやや照れくさそうに笑った。
「また次にメロディと会った時も、こうして自然に、手を握ってあげましょうね」
「……はい」
彼の精一杯の優しさに、アリアスフィリーゼもまた、笑顔で返す。
「じゃ、殿下。帰りましょっか」
「はい」
王宮に帰ってからは当然、宰相ウッスアのお小言が待っていた。騎士王が『小言は全部ウッスアに任せる』などと一任したせいで、ショウタと姫騎士殿下は赤い絨毯の上に正座をさせられ、謁見の間でクドクドクドクドと叱られるハメになったのである。が、それで済んだのはやはり、勇者メロディアスより温情措置を求める要請が、あったためであろう。後日、騎士王セプテトールは『自らの発言の影響力を考えてああ言ったのだとしたら、恐ろしいガキだな』と漏らした。
ま、それでもお小言はお小言だし、孤児院はともかく王立騎士学校にもたらした損壊の被害はそこそこである。修繕費用は当然、国家予算から出され、王都の大工が総出で修繕に当たった。大工たちは、『姫騎士殿下がどっかぶっ壊してくれるおかげで、最近は食いっぱぐれがねぇなぁ』と笑っていたが、そこで大喜びするほどパッパラパーなアリアスフィリーゼではない。
あれからおよそ一週間。王宮に手紙が届けられた。騎士参謀直々の証印が押されており、国外から王族に向けた郵便物であることがわかる。差出人は『メロディアス・フィオン』。住所はゼルシア自治領とあった。
同時に届けられた臨時ニュースによれば、メロディが王都を発った日の夕刻、戦力の疲弊したゼルシア自警団の前に、竜にまたがった勇者が現れたという。勇者は、光の力で群がる冥獣魔をなぎ払い、自治領内の防衛ラインまで闇の軍勢を追い払った。勇者の戦線復帰により、ゼルシア自治領の民は歓喜した。
翌朝、さらに膨大な軍勢を率いて防衛線まで趣いた獅子王マグナムと、勇者メロディアスは対峙した。勇者は、先日の惜敗が嘘であるかのように凄まじい力を発揮し、獅子王を叩きのめしたという。
戦いの詳細はそれ以上は不明だ。だが、その一両日で大勢は決し、帝国ゼルシア自治領は、冥獣魔の手より救われる結果となった。
どうやら手紙は、その平和が訪れたゼルシア自治領において書かれたものらしい。
宛先は『アリアスフィリーゼお姉ちゃん、ショウタお兄ちゃん』と書かれており、真っ先に二人のもとへ届けられた。アリアスフィリーゼの名前の前に、何かを塗りつぶしたような後があり、光にかざしてみると、そこにはショウタの名前を確認できた。
「なんで一回塗りつぶしたんでしょうね」
「王族の私より、ショウタの名前が先にあるとまずいと判断したのでしょう。たぶん、メロディはショウタの名前を先に書きたかったんでしょうね」
王宮の中庭、幾何学模様に裁断された植え込みの中で、アリアスフィリーゼは封筒を置いた。
「なんでまたそんな」
「母よりは父の方の名前を先に書くものだからですよ」
「は、はぁ……」
さらりというアリアスフィリーゼに対し、ショウタは曖昧な声で返事をする。
便箋には、メロディの丁寧で可愛らしい字が並んでいる。書き出しは『お兄ちゃん、お姉ちゃんへ』で始まっていた。アリアスフィリーゼは手紙を両手で持ち、鍵盤楽器を思わせる高らかな声で朗読を始める。
『お兄ちゃん、お姉ちゃんへ
おげんきですか。あたしも、シュランツおじいちゃんも、とてもげんきにやっています。
このお手がみといっしょに、ゼルシアがどのようになったかもとどいていることでしょう。
お兄ちゃん、お姉ちゃん、あたし、やったよ! みんなを守れた!
いろんな人から、たくさんの『ありがとう』をもらえて、それがまた、あたしの勇気になって。
きっと、お姉ちゃんが言いたかったのは、こういうことなのかなって。
そう思いました。
コトバだけでわかったつもりだった『勇気』のイミが、すこしずつ、わかってきました。
ぜんぶ、ふたりのおかげって言うと、ウソくさいかもしれないけど。
でも、ふたりにあえたから、あたしは勇気をだせました。
これからもタタカイはつづきます。冥獣七王は、まだ5にんのこっています。
お姉ちゃんたちの国にいくことは、ないと思うけど……。
もしそんなことがあっても、あたしがゼッタイたすけにいくから、あんしんしてね!
とってもやさしいお兄ちゃんと、
とっても強いお姉ちゃんと、
ジョッシュたちや、たくさんのひとたちと、
あととってもおいしいモチョロたちにあえて、ほんとうによかったです。
おからだには気をつけてください。また、すこしヘイワになったら、あそびにいきます。
メロディアス・フィオンより』
アリアスフィリーゼは手紙を閉じ、そのままそっとショウタに手渡した。
「私は、まだすこし迷っているんです」
再び手紙を開いて、メロディの手紙を読み込むショウタに、姫騎士殿下はぽつりと言った。ショウタは顔をあげ、殿下の横顔を眺める。いつもはよく済んだ翠玉色の瞳に、焦りや苛立ち、そして本人の言う迷いを含んだ、さまざまな感情が浮かんでいる。
「メロディみたいな小さな子を、戦いの場に送り出すこと。本当にこれでよかったのか、なんて」
「姫騎士殿下……」
「だって、本当に、あの子が戦う義務なんてないんです。それなのに……」
おそらく、アリアスフィリーゼの中にある感情の正体は、ある種の無力感なのだろうと思う。
清廉な騎士であらんとする彼女にとって、メロディは勇者である前に一人の小さな少女であり、それは庇護の対象であったのだ。例え、鬼ごっこで自分の全力を軽く抜き去るような、ものすごい少女であったとしても、やはり、守らなければならない相手だった。
その子供に、守られている無力感。共に戦い、支えてあげられない無力感。それが姫騎士殿下を震えさせている。
「殿下、」
ショウタは、慰めることができるかどうかはわからないが、手紙を畳んで口を開いた。
「メロディには、僕たちを守る義務はないけど、権利はありますよ」
騎士道だの勇気だのがよくわからないショウタには、そのように言うしかない。
「僕だって、殿下やメロディを守りたいと思ったら、身体を張りますし、きっとメロディだってそうなんです。それは、騎士だからとか、騎士じゃないからとかじゃなくって、えっと、その……そういう気持ちだから……? で、あって」
「ショウタ……?」
「だからその、守りたいって思う気持ちは、尊重してあげなきゃいけないんじゃないかなって。メロディだけに戦わせるのが辛いなら、ここから、たくさんの勇気を送りましょう。筆と紙でだって、きっと勇気は届けられます」
逆に言えば、ショウタにできることなんて、それくらいしかない。それでも、自分の気持ちと思いを、正直に伝えると、アリアスフィリーゼはしばらく黙り込んで、その言葉を反芻しはじめた。住む世界の異なる人間の言葉を理解し、噛み砕き、嚥下するには時間がかかる。
それでも、アリアスフィリーゼの言葉がメロディアスに届いたように、しばらくして、ショウタの言葉もアリアスフィリーゼに届いた。彼女は小さく頷き、そこでようやく、いつもの太陽のような笑みを取り戻した。
「わかりました、ショウタ。そうしましょう。ありがとうございます」
「あ、いえいえ」
ショウタは芝生の上に置かれた封筒を拾い、丁寧に畳んだ便箋をしまう。雲ひとつない青空を見上げて、アリアスフィリーぜは呟いた。
「いい子でしたね」
「はい、いい子でした」
ショウタも頷く。
「子供を作るならああいう子がいいですね?」
「そ、それはちょっとズレてませんか?」
「ところでショウタ」
「は、はい」
なんだか話が妙な方向に転がり始めたので、ショウタは冷や汗を掻く。
アリアスフィリーゼは、その白い頬をやや紅潮させながら(実に珍しいことだ)、翠玉色の瞳をさまよわせる。やけにもじもじした仕草が彼女らしくなく、それでいて妙な色気を孕んでいたので、ショウタはどぎまぎしながらも、わずかに後退を始めた。
やがて姫騎士殿下は、決意したような顔でこう言う。
「せっかく今はメロディもいないのですから、その、ショウタの薄い胸板を借りてもよいですか!?」
「なんですか、その、子供が寝てるからアレしましょうみたいなノリは!」
「アレってなんですか!?」
「なんでもありませんが!!」
ショウタまでも顔を真っ赤にしてしまって、そこには茹で蛸のような顔をした人間が二人ほど出来上がる。もちろん最終的にショウタが折れた。
かくて、勇者メロディアスの巻き起こしたひと騒動は、王国を去った。
だが、この時の出来事が、いずれ騎士王国にまた大きな波紋の種を呼び起こすことになろうとは、まだ誰も知る由はない。
Episode 12-18 『勇者来訪 ~目覚めた勇気~』 <完>
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
騎士王セプテトールの寝室に、珍しい来客があった。
猛禽を思わせる鋭い眼光に、鷲鼻が特徴的な壮年。背は高く、筋骨隆々とした体躯に、黒を基調とした軍服ははち切れんばかりである。軍服は王立騎士団の高級将校のみが着用を許される簡略甲冑の一種でもあり、この男が騎士王国の軍事面において、強い発言権を有していると示していた。
男の肩には紋章がある。黒い三頭竜に加えられた、ひと振りの剣。王家の天剣護紋に描かれているものと同じその剣は、男の生家が、かつて騎士大公と共にこの地を訪れた〝始まりの四騎士〟の末裔であることを示す。
すなわち、もっとも由緒ある伝統騎士のひとつ。
見るものが見れば、背中で腕を組み、直立不動で胸を逸らすこの男が、その身体にみなぎらせる戦闘能力にも気づいたことだろう。
そのような相手を目の前にしたところで、騎士王は緊張のひとつも見せず、むしろ相好を崩す。
セプテトールお気に入りの侍女は、当の騎士王に退室を命じられ、二人きりとなった寝室ではこのような会話が繰り広げられた。
「いや、先日はすまなかったな。まったく、無駄足を踏ませた」
「陛下の方こそ、体調を崩されたと聞きましたが」
「いやぁ、はっはっは。外出が祟ったな。おかげで今も頭痛が酷いのだ。それより、おまえの報告書を読んだぞ」
「はっ」
「この一週間で、ゴブリンやオークによる災害が急増か。由々しいな」
「既に例年の2倍近くに達しております」
「獣魔族災害か。どう見る?」
「ワガハイがですか」
「そうだ」
「巷を騒がすという冥獣神の、直接の影響と片付けるのは早計にも思えますが……。しかしやはり、全くの無関係とは、考えたくありません」
「間接的にでも冥獣神の影響を受けていると」
「ワガハイはそう考えます」
「となると、今後も増える可能性はあるな……」
「陛下」
「うむ?」
「次のオーク討伐の際ですが、姫騎士殿下のお力をお借りしてもよろしいでしょうか」
「アリアの?」
「はっ」
「理由を聞こう」
「殿下には、獣魔族との交戦経験がなく、またその知識にも偏りが見られます。今後、王都周辺にも獣魔族の出現が懸念されるのであれば、今のうちに経験を積んでいただくのもよろしいかと」
「それだけではないな?」
「はっ」
「よいよい、言ってみよ」
「殿下にはマーリヴァーナ要塞線にお越しいただく形になりますが」
「うむ」
「伝統騎士と貴族騎士の対立を知っていただく上で、よい機会になるかと」
「ふむ。となると、」
「はっ」
「あいつにはまた、身分を隠して行ってもらう方がいいな」
「はっ」
「よしよしわかった。ほかならぬおまえの提案だ。許可しよう」
「はっ。恐縮です」
「ではアリアと、まぁ魔法士殿もつけることになるが。よいかな、アンセム」
「はっ」
騎士王はわずかに咳き込む。その後、佇まいを直し、改めて相対する男の名を呼んだ。
「二人を頼むぞ。サー・ジェネラル・アンセム・サザンガルド」
「はっ」
騎士将軍サザンガルドは、騎行敬礼と共に、まっすぐそう答えた。
Next Episode 『騎士将軍の楽しいオーク討伐合宿』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
☆ コラム:ぽんこつ姫まめちしき ☆
第二回:騎士の名乗りの作法
『父親の職業・父親の名前・の子・騎士類別・所属・階級肩書爵位等・ファーストネーム・ファミリーネーム』が正式。
例)
鍛冶屋ハルクの子、一般騎士、王都警邏騎士隊小隊長ファルロ・バーレン
所属、及び階級肩書爵位等は省略されることがある。
父が既に故人であり、なおかつ国に一定の貢献を成したものは、父親の職業を『英霊』と呼ぶことができ、多くの騎士の間では名誉なこととされる。騎士王のみ、初代騎士王デルオダートの名を『大英霊』として入れることができる。
父親の職業が騎士類別であった場合、自分の騎士類別を省略する。
例)
伝統騎士レイカーの子、王立騎士団騎士隊長ジェイス・ブロワー
騎士の名乗りとは、いわゆる現代社会で言うところの名刺交換のようなものであり、
騎士として名乗られたからには、こちらも騎士として名乗り返すのが礼儀であるとされる。