第15話 ゼイアー・ライアー
旧帝国領の最西端に位置するグランデルドオ騎士王国に、好き好んで訪れる文化人はそう多くない。芸術文化、食文化ともに、帝国から渡ってくるものは最小限だ。その為、諸外国から騎士王国は、文明文化に疎い野蛮人の国であると思われている。
しかし、優れた土木技術のノウハウと、独自の騎士道精神、加えて治政に秀でた歴代騎士王や側近の文官により保たれた平和は、人々の心に余裕を生み、娯楽文化の発展という余地を生み出した。
多くの文化は、王都の貴族街より発生する。ここには、貴族街で暮らす婦人たちが井戸端会議をするためのサロンがあり、彼女たちは夫が王宮勤務で仕事に励んでいる間、芸術家や料理人などを囲んで道楽を極める。夫たちはその享楽的な暮らしを咎めることはしない。妻がどれほど文化人であるかというのは、それだけで貴族間でステイタスになるからだ。
ともあれ、そうした流れもあって、文化の流行は王都の貴族街より生じ、やがて市民街に流れる。
その市民街でより多くの人々を熱狂させ、経済を動かした文化的流行のみが定着し、それ以外のものはやがて廃れていく。
〝大衆食堂〟は、そうした中にあってもっとも成功を収めた文化のひとつだ。
食道楽というのはいつの時代も不変のものであって、貴族や王族の晩餐では国内各地や国外から取り寄せた珍味に舌鼓を打つなどしばしばである。様々な地方の食文化を融合させ、素材の味を最大限に引き出す試みやノウハウは、例えば王宮付きの厨房料理人などの間では蓄積されていったが、それが市井に流れ出るということはあまりなかった。
サロンに集まった貴婦人たちは、それぞれの家の料理人を集め、意見をぶつけ合わせ、時として余暇を得た王宮の厨房料理人をも呼び寄せた。そうして生まれた料理を、あるひとりの貴婦人はビジネスになると考え、幾人かの料理人を連れ市民街に料亭をオープンした。
もともと料亭は、帝国方面ではそれなりに見受けられる事業形態だ。冒険者や出稼ぎ労働者など、暖かな家庭での食事にありつけない者のためのサービスとして人気を博す。冒険者の台頭が見られない騎士王国においても、そしてまた王都においても、宿泊施設と併設された食堂というものはそう珍しくはない。
だが、貴婦人がスポンサーについた〝大衆食堂〟は、貴族や王族が普段食べているという料理が、市民の手の届く値段で食べられるという点が評判を呼び、すぐさま王都に一大外食ブームを呼んだのである。ブームは一時期に比べれば沈静化したが、それでも〝大衆食堂〟は、王都を支える文化のひとつとして、今や完全に定着している。
「そのような経緯を経て、この美味しい食事が、いま、私たちの前に並んでいるというわけなのです」
姫騎士殿下は、得意げな顔でそう言った。
「わかりましたか、ショウタ、メロディ」
「長いですよ!」
「よくわかんない!」
さて、腹ペコとなった三人は王都に戻り、そうした大衆食堂のひとつで昼食をとることになった。昼時ということもあって、それなりに客でごった返している。市民の中でも、比較的中流層から上流層に位置する者が大半で、多くは家族ごと来店していた。
ショウタ達3人も、傍から見れば家族のように、と思いかけ、ショウタは慌てて首を振った。冗談ではない。自分はまだ16である。10歳の子供を持つにはいささか早すぎる。
ともあれ、大衆食堂だ。
ま、ここに至るまでいろいろ問題もあった。王都を囲う城門を越える際、新たな入都者は身元を証明する書類を書かなければならないのだが、メロディはそれを頑なに拒んだため、ショウタが転移術で中に運ぶというずるを行わなければならなかったのである。
むろん、出都手続きをしたアイカとショウタは、帰都手続きをしなければならないので、ショウタはこのために2回、超至近距離ではあるが慣れない転移を行うことになって、身体と脳にたいそう負担をかけた。
「そう言えば、城門の詰所、慌ただしかったですね」
そうした苦労を思い出す流れの中で、ふと、ショウタが言った。王都から外に出るための城門がいくつかあり、そこに併設された詰所で入都や出都の手続きを行うのだが、先ほど帰ってきたときは、出がけに比べ妙に詰所がばたついていた。
アイカも、顎に手をやり、『ふむ……』と空中を睨む。
「何か事件があったにしては、市民街が平和すぎるように見えるのですが……。まぁ、今はこちらのご馳走をいただきましょう」
「はーい」
「おなかぺこぺこー!」
大衆食堂で振る舞われる料理の種類は、そう多くない。その日の入荷した食材によって多少異なるものの、基本は工夫を凝らしたスープであって、そこに焼きたてのパンや小皿に載ったサラダなどが付属する。
少し値は張るが、鉄板焼きやオーブン焼きなどの料理も、食材さえあれば供される。どちらかといえば、こうした手の込んだ料理の方が、市民には珍しいらしく人気があった。
「「いただきまーす!」」
ショウタとアイカは両手をパンと合わせて、元気よく声をあげる。メロディは、それを不思議そうに眺めていたが、やがておずおずと両手をあげ、すり合わせると、小さい声で『いただきます』と呟いた。アイカが『よく出来ました』と、薄桃色の髪をわしゃわしゃ撫でる。メロディは気持ちよさそうに目を閉じた。
ショウタもアイカも、オーソドックスなスープ料理を頼んでいたが、メロディだけは『若鶏のモチョロ』を頼んでいた。供された皿の上には、一口サイズに切り分けられた、薄く四角い板状の料理が、ガレットと共に並んでいる。
モチョロ、という聞きなれない単語に、ショウタが首を傾げる。メロディもメロディで、どうやらこの料理は初めて見るものらしく、人差し指でつんつんとつついていた。
「でん……、お嬢様。モチョロって、なんです?」
「食材をすりつぶしてペースト状にし、オーブンや直火などで焼いたものです。食通として有名な貴族騎士、チョッチョロ・モチョロティーノ男爵が、兵糧として考案したのが始まりと言われています」
「パテ料理みたいなもんですかね……」
若鶏のモチョロと言うからには、若鶏のすり身を焼いたものなのだろうが、見る限りはハーブや根菜なども練り込まれているように見える。アイカはさらに、モチョロの脇に添えられた、ガレットのようなものを示して言った。
「大抵は、パリットなどで挟んで食べます。王侯貴族のパーティーや晩餐会などではよく振舞われます。モチョロティーノ男爵と共に戦った一般騎士を通じて市民などにも知られるようになったのですが、広く一般的に食べられるようになったのは、大衆食堂の進出と共にですね。市民の間でも非常に人気があると聞きます」
「なるほどぉ。うーん、文化ですねぇ……」
ショウタが感心したようにつぶやく。メロディはアイカの説明どおり、パリットにモチョロを挟んでかじっている。しばしもぐもぐと咀嚼していたメロディだが、次第に表情がぱあっと明るくなっていった。
「おいしい!」
「そうですか、それはよかった」
アイカはまたも笑顔で頷いて、メロディの頭をわしゃわしゃと撫でる。ショウタはちょっと羨ましかった。メロディではなくアイカの方が。
ひとまず、ショウタはスープに手を伸ばす。水が豊富なグランデルドオでは、スープや煮込み料理がもっとも一般的だ。メイルオの村を訪れたときに振舞われた郷土料理もなかなかだったし、王宮で毎日のように振る舞われるスープの類も、一般的であるがゆえに毎回工夫が凝らされていて美味しい。香辛料の種類はそう多くないが、ハーブやダシ取りによって旨味や風味を加える調理法が盛んなようで、ショウタとしてはこちらの素朴な味わいが、故郷に通じるものがあって好きだった。
「でも、そんなに美味しいなら、僕もモチョロにすればよかったですね」
それでも、湧き出す好奇心を抑えきれずにそう呟くと、アイカは持ち上げたスプーンをぴたりと停止させたままこう言った。
「それなら、明日の晩餐はモチョロを出させるよう言っておきましょう。モチョロ祭りです」
「えぇっ、うーん。そもそも僕、毎晩、こう、晩餐やるっていうのがなんか……」
「付き合いもありますから、晩餐も公務のひとつのようなものです。特に今はお父様の身体の調子もよいですから、会食をご希望する貴族も多いのです」
すました顔で、スープを口に運ぶアイカである。ショウタも複雑な気持ちで、同じようにスープを口に運んだ。じっくり煮込んだで抽出したであろう出汁の味が、じわっと味蕾の上に広がる。美味しい。
そんなショウタの脇腹を、隣の席のメロディがちょんちょんとつついた。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
「なんです?」
「あげる、あーんして」
そう言って、メロディの小さな手は、パリットに挟んだ1枚のモチョロをショウタに突きつける。
ショウタは一瞬驚くが、この小さな少女の申し出を、ありがたく受けることにした。椅子の上で身体をかがめて、メロディのモチョロを口で受け取る。脂分を中に閉じ込めるような焼き方の工夫があるのか、パリットのパリッとした感触と共に、香草混じりの肉汁が口内に広がった。
「おいしい? お兄ちゃん」
「はい、とっても」
ショウタは頷く。自身の前に置かれたスプーンを手に取り、スープに浸してから、こぼれないようにそっと、メロディの口元に運んだ。
「じゃあメロディも、どうぞ」
「いいの!?」
「はい、あーんしちゃダメですよ? 熱いですからね」
「うん」
可愛らしい唇を小さくすぼめてショウタのスプーンにくっつけ、メロディはスープを啜る。
「えへへ、おいしい!」
にっこりと笑うメロディアス。本当に良い子だな、と思う。こんな子が、祖父と共に故郷を離れて旅をする理由とはなんなのだろうか。吟遊詩人などの文化があるにしても、この小さな少女からはそういった雰囲気は見られない。身体能力がやたら優れているところを見るに、雑技を披露する大道芸人の類かもしれなかったが、そもそも旧帝国領の西端である騎士王国に、芸人の類が流入してくること自体が稀であるというのは、先ほど姫騎士殿下の言ったとおりだ。
その殿下が、その大きな翠玉色の瞳に力を込めてこちらを見つめてきているのに、ショウタはその時気づいた。羨ましそうというか、物欲しそうというか、とうてい、高貴で清廉とした姫騎士殿下に似つかわしい表情ではない。
「あ、あの……殿下?」
「殿下じゃありません」
「ハイ」
本日何度目かになるやり取りの後、アイカは言った。
「ショウタ」
「なんです?」
「私のスープもいりますか?」
「えぇっ!?」
椅子の並びはアイカ、メロディ、ショウタの順となっている。メロディはモチョロをくわえながら、頭上でも二人の会話を聞いている。視線だけはキョロキョロと、両者の発言に合わせて左右を交互に行き来していた。
「嫌ですか?」
「嫌じゃないですけど、だって、同じスープじゃないですか?」
「そうした問題ではないのです!」
「ではどうした問題なのでしょうか!」
果たしてこの人はこんなに面倒くさい人だったか、と思う。
「ねぇ、メロディだってそう思うでしょう!」
とうとうアイカは拳を握って、年端も行かぬ少女に力説し始めた。だが、このメロディアスは、いたずらっぽい笑みを浮かべて言うのだ。
「えー、今のお兄ちゃんはあたしのパパだから、だめぇー」
「えぇー……」
わざとらしく抱きついてくるメロディに対し、ショウタはダウナーな驚きの声を漏らした。
対照的に目を見開き、カタカタと鎧を震わせているのはアイカだった。
「そ、そ、そうです……か……」
あ、これはちょっとまずい声だな、とショウタは思う。完全に震えている。
「メロディは私たちの子ですから、母親である私は、我慢しなければならない、と……。な、なるほど……わかりました……。わかっ……」
「殿下、泣いちゃダメです! 殿下は強い子です!」
「殿下じゃありばぜん!!」
涙と鼻水を散らしながら叫ぶアイカに、その正体たる姫騎士としての威厳はない。彼女が天剣護紋を掲げていなくて、本当によかった、と、ショウタは思った。
「ああああ、うそ! うそだよっ! パパとママは仲良くしていいんだよっ! お姉ちゃん! だから泣き止んで! ごめんね!」
メロディも大慌てでアイカの背中を撫でる。10歳児に慰められる19歳児の姿がそこにあった。
「ほっ、ほら! お兄ちゃんも待ってるよ! 待ってるから、お姉ちゃんのスープ! ねっ?」
「あ、はい。そうです、待ってます。ほら、お嬢様! カモン! トゥギャザー!」
ショウタもわけのわからないキャラを必死に演じると、その甲斐あってかようやくアイカは泣き止み、か弱く『そうですか……?』とだけ言った。
「そうです、そうです、お嬢様!」
「ふたりはお似合い! らぶらぶだよ!」
ドサクサ紛れにメロディがとんでもないことを言った気がする。
「そ、そうですか。えへへ、それでは……」
アイカが席を立ち、泣きはらした顔に浮かべた満面の笑みで、スプーンをショウタの口元に運ぶ。大衆食堂のざわめきの中に、いくらかこちらを冷やかすような視線が感じられてショウタは変な汗が出てきたが、ここは彼も男だ。据え膳だろうが据え匙だろうが、くわえ込まねば恥である。
啜ったスープが舌の上に広がる。じんわりと口内を広がっていくブイヨンの味わいは、やはり自分のテーブルに供されたものとまったく同じであって、たとえそこにアイカが使ったスプーンという重要視すべき概念が加わったところで、味の変化を感じることはできなかった。彼女の唾液は隠し味にならないのである。
なのでショウタは特に感動することもなく、間接ナントカという子供じみた考えに心を躍らせることもなかった。身体的接触では心臓をやたら飛び跳ねさせるショウタだが、このあたりに関しては鋼のマインドである。故郷で師匠に散々からかわれてきたのだ。
それでも、『あーん』の結果アイカがすっかり機嫌を直して頷いているので、それでよしと思うことにした。
その後も食事は続く。メロディはモチョロをたいそうお気に召した様子で、アイカが追加注文を提案すると、大喜びで頷いていた。結果として、今のテーブルには、当初の5倍近い量のモチョロが並んでいる。
「それはそうと、城門の詰所ですよ」
自分の皿がカラになり始めた頃に、ショウタはぽつりと言った。その間も、メロディは必死でモチョロをほおばっている。
「なんであんなに慌ててたんでしょうね」
「ふむ……」
アイカはその頃には、ぺろりとスープを平らげており、形の良い顎に手をやって考える、いつもの仕草を作る。
「なんか、誰かを探してるって感じじゃありませんでした?」
「……ひょっとしてショウタは、私がまたお父様やウッスアに黙って抜け出して、それでまた王立騎士や警邏騎士を騒がせている、と、そう考えていますか?」
「いや、さすがにそうは思わないですけど……」
「誰か市民が困っているとあれば、それは事ですから、戻り次第お父様やウッスアにも聞いてみるつもりですが……。探すと言えば、メロディのおじい様も探さなければなりません」
「えっ!?」
詰所のくだりを話す間、妙にそわそわしていたメロディが、驚いたように顔をあげた。口からはモチョロがはみ出している。
「そう言えばすっかり忘れてましたけど、メロディも迷子なんですよね……」
「はい、メロディが可愛いのですっかり忘れていましたが、彼女も迷子です」
アイカは大真面目な顔で頷く。
メロディは、少女特有のあどけない顔立ちの中に、焦りのような感情をにじませていた。さすがに、表情で嘘をつける歳ではないらしいが、その感情の正体までは、ショウタ達にはわからない。ショウタが訝しげに思い、アイカを見ると、彼女はショウタに視線を合わせてもう一度頷いた。
ショウタは、アイカと互いの意思を確認した上で、覗き込むようにしてメロディを見る。
「メロディ、あとでおじいさんを探しましょう。どんな人なんですか?」
「え? ん、んー。あのね。えっと、えーっとねー……」
メロディの口から紡がれる言葉には、あからさまな戸惑いがにじみ出ていた。
「えーっとね、緑の服を着ててね、白髪でね。えっと……」
やはり少しばかり、様子がおかしい。今まで話した限り、メロディアス・フィオンは年の割に聡明な少女だ。こうした時、きっちりと〝おじいちゃん〟の特徴を簡潔にまとめる能力は備わっているはずだし、今まで一緒に旅をしてきた〝おじいちゃん〟を探そうと言われれば、すぐに笑顔で頷くはずだと思われた。
無論、そんなもの人格の一面でしかないとしても、視線を泳がせて話題の本質に切り込んでこないメロディの姿には、違和感がある。
「ともあれ、です」
アイカは、かちゃりと音を立てて立ち上がった。超重量の鎧を着ている彼女は、今までずっと空気椅子で耐えていたはずだったが、今回はバランスを崩すなどということはなかった。
「お昼も食べたことですし、外に出ましょう。今回も、たいへん美味しゅうございました」
その頃には、メロディも青い顔に涙を浮かべながら、とうとう最後のモチョロを嚥下したところであった。出されたものは残さず食べる。彼女の村の掟らしい。
死ぬほど良い子であった。
当然、代金はアイカが支払った。ショウタはこの国の経済事情についてはあまり詳しくない。金貨や銀貨が流通しているのは知っていたが、ここで長く暮らすならば、後々よく理解していかねばならない部分だ。いつか姫騎士殿下に詳しく教えてもらおう、と、思う。
大衆食堂を出て大通りを歩く。メロディは、少し前までの明るさはどこへやらで、やたら不安そうに周囲をきょろきょろしていた。おなかがいっぱいで動けないかと思いきや、そんなこともないらしい。子供は元気である。
「メロディ、どうしました?」
「ん、んーん。なんでもない……」
アイカの質問にも、曖昧な返事でかぶりを振る。
「メロディ、さっきはお嬢様がすいません。調子に乗って大量のモチョロを……」
「えっ、だ、大丈夫だよ? あのね、頼んだのあたしだし、それにお姉ちゃんもお兄ちゃんも、食べるの手伝ってくれたし……。えへへ。ねね、次はどこ行く?」
ショウタは、またアイカと視線を合わせた。どうも、メロディは〝おじいちゃん〟を探すことに積極的ではなさそうだし、何か他の不安もあるように思える。
途中、甲高いラッパの音が、大通りに響き渡った。同時に蹄鉄がけたたましく石畳を叩く音が聞こえる。短いざわめきの後に、大通りを行き交う人々がばっと左右に割れた。馬に乗った騎士が数名、慌ただしく大通りを、北に向かって駆けていく。この先には広場、さらにその先には貴族街と王宮がある。
きゅっ、と、メロディの小さな手が、ショウタの裾を掴んだ。彼女の藍色の視線は、おそらく王宮へ向かったであろう騎馬に向けられている。
騎士を怖がっているのか? しかし、騎士とわかるアイカのことを恐れる様子は、最初から見受けられなかったし。と思った矢先、アイカが同じ方向へ視線をやり、ぽつりと頷いた。
「騎士参謀リコールの家紋ですね」
「それって、あの、運河要塞のですか?」
「はい。剣を構えた妖精の紋章は、リコール家中のものに施される紋章です。エコー直属の、使いの者でしょうか」
ディム・オフィサー・エコー・リコールだ。ショウタも名前だけは知っている。騎士王国四方の要塞を管理する、由緒ある伝統騎士の家のひとつであり、戦略級騎士の称号を冠する。
王国東方ランクルス運河要塞は、商会ギルドのエージェントが滞留し、また他国との連絡、貿易に使われるグラン水道をにまたがるように建っているため、諸外国からの情報が集まりやすい。基本、騎士参謀のもとでまとめあげられた情報は、週に一回、商会ギルドのバザーと共に王宮へ届けられるものだ。
そのリコール家の家紋を掲げた早馬が、街道を爆進するからには、外国あるいは運河要塞において、火急となる出来事は生じたからにほかならない。騎馬を見送るアイカの双眸に、複雑な感情の色が混ざり合った。
「近しい国、あるいは同盟国で戦争が勃発したか……あるいはそれに近い何かが起きたのだと思われますが……」
アイカの顔つきは、この時ばかりは完全に姫騎士アリアスフィリーゼのものへと変化していた。彼女の言葉に、ショウタの裾を掴むメロディの力が、さらに強くなる。少女の口から、このような言葉が漏れた。
「まさか……マグナムが、もう……」
「えっ?」
小さく呟かれたそのセリフを、ショウタは耳ざとく聞きつける。だが、振り返った先で、メロディは無表情のまま、またしても首を横に振った。
「ううん、なんでもない……」
「メロディ……?」
やはりどうも、様子がおかしい。彼女が今、本音を語ろうとしていないのは、間違いないだろう。だが一体何に対して嘘をついているのか、何を知っているのかがはっきりとしない。
メロディの超人的な身体能力に始まる、彼女の由来。メロディアス・フィオンはナニモノなのか。
王都への帰り道から見かける、慌ただしい様子の王立騎士たち。いま何が起きているのか。
そして、たった今、王宮目指して駆けていったリコール家の騎士と、メロディが呟いた言葉の関係性。
それらは全て、一本の線でつながるものなのか、どうか。
その時ショウタは、メロディの手足がわずかに震えているのを感じ取った。鬼ごっこをしているとき、高らかにジョッシュ達の勇気を代行すると言ってのけた、勇ましい少女の姿ではない。何か恐ろしいものを思い出したかのように、ショウタの裾をつかみ、目を開き、怯えをあらわにしている。
「ふむ……」
姫騎士殿下は、顎に手をやって頷いた。くるり、と振り向いたその表情から、先ほどまでの緊張感は完全に消え失せている。
「メロディ」
「う、うん?」
「おじい様を探すのはまた少し後にして、のんびりお散歩でもしましょうか」
「……うん」
メロディに手を差し出したのは、アリアスフィリーゼではなく、アイカだ。篭手に覆われた、硬く冷たい手だが、少女の指先は確かにそれを握り返した。ショウタも手を差し出すと、彼女は裾を掴む手を放して、直接彼の指をとる。そこでメロディは、ようやく緊張がほぐれたように、小さく笑ってくれた。まだ少し陰りはあるが、はっきりと笑ってくれた。
まぁ、ひとまずは、いいか。
ショウタは先ほど浮かんだ疑問を全て放り捨てて、そう思う。メロディには何か秘密がある。自分たちに黙っている嘘がある。ただ、それを本人が口に出さない以上は、追求する必要はない。結局のところ、そう結論づけた。おそらくは、姫騎士殿下も同じ気持ちであろう。
アイカとショウタは、再び間にメロディを挟み、ぶらぶらと大通りを歩くことにした。
「メロディは、何か得意なこととかはあるんですか?」
アイカが、何とはなしに話題を振る。メロディの〝おじいちゃん〟のことから離れる話ならば、なんでも良かったのだろう。メロディはしばし考え込んだ後、こう答えた。
「んー、やっぱり、歌……かなぁ……」
「歌、ですか?」
意外そうな声でアイカが尋ね返す。
「うん、歌。ふるさとの村でもね、おとうさんや、おにいちゃんに褒めてもらったんだよ」
その〝おにいちゃん〟という言葉には、ショウタを呼ぶ時とはまた違ったニュアンスがある。どこか懐かしげで、寂しげな声音の正体を探ることはせず、ショウタはメロディの手を強く握る。
「じゃあメロディ、歌ってみてくださいよ」
「えっ、ここで? は、恥ずかしいなあ……」
ややはにかむメロディを、ショウタとアイカで急かしてみると、彼女は顔を赤らめて、小さく咳払いをした。
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけね?」
そう言ってメロディが口を開く。鈴の音を思わせる、彼女のころころとした声音が、緩やかな旋律を奏ではじめた。ショウタが今までに聞いたことのない不思議な曲調で、どことなく民族音楽を感じさせる。メロディの故郷の歌なのかもしれない。
メロディの歌声は決して大きいものではなかったが、通りを行き交う人々はすれ違うたびに振り向き、こちらへ視線をよこしてくる。
やはりこれは、親子三人に見えてしまうのだろうか。デルオダート街道でのアイカの言葉が、妙に脳裏にこびりついて離れない。太陽のように笑うアイカを眺め、もうそう思われてもいいか、と、思うことにした。
何より、メロディの歌声が、妙に耳に心地よかった。
王宮の広大な晩餐会場は、その名のとおり、日々の晩餐会に使用される。基本的に王宮内で暮らす王侯貴族も朝昼はプライベートに食事を摂るが、夜だけは盛大な晩餐会を開くのだ。これは、騎士王に対して意見を気軽に、かつ直接陳情できる数少ない場であり、王との会食を希望する貴族や富豪市民は後を絶たない。
さて、そのような晩餐会場ではあるが、騎士王の公的な来賓が訪れた際などは、当然その昼夜を問わず会食の場として使用される。今回のシュランツ老もその一人だ。あまり見栄えのよくないローブを着た、冴えない老人ではあるものの、皇帝聖下も認められた勇者メロディアスの後見人である。
晩餐は基本的にコース料理だが、昼食は騎士王の要望もあって比較的簡素に作られた。ブイヨンのスープに、デルドオ麦の薄焼きパンであるパリット、そして川魚のモチョロなど、完全にセプテトール騎士王の趣味によるオーダーだ。
「シュランツ老、モチョロは珍しいかな」
セプテトールは、パリットにモチョロを挟みながら笑う。
「勇者殿と諸国を回っているのだ。似た料理くらいはあると思うが」
「は、いえ……。エンゲハンナ公国で頂いた、チョモッチに似ておりますな」
「ああ、うむ。モチョロの原型はチョモチョロという兵糧なのだが、これが流行りだした頃、エンゲハンナが戦争に巻き込まれてな。我が国からも援軍を送ったのだが、旧帝国領の同盟国には、その時に広まって、チョモッチやモッチョナという名前で定着したのであろうよ。チョモチョロは、食通として知られた貴族騎士が、すり潰した肉などを槍の穂先に貼り付けて焼いたのが始まりでな……」
「陛下」
騎士王の背後に立つ宰相ウッスアが、わざとらしく咳払いをする。騎士王セプテトールは、やや決まりが悪そうにモチョロをかじった。
「すまぬ、余はモチョロの話になると止まらなくてな」
「いえ、こうした食文化などに触れるのは貴重な体験でございます。わたくしも、長らく勇者殿の後見人をいたしておりますが、この国に訪れるのは初めてでございまして……」
「で、あろうな。文献を紐解いても、歴代の勇者殿が我が国を訪れたという記録はない」
もともとグランデルドオ騎士王国は、帝国の西側を守護するために派遣された騎士大公によって、その礎が築かれた国である。勇者が帝国に降臨したのはその後、騎士大公に背を預ける形で、残る脅威を殲滅した。経緯を考えれば、騎士王国と勇者は戦友と言えたのかもしれないし、勇者は冥獣神を滅ぼした後、騎士大公に加勢すべく西進するつもりだったのかもしれない。
だがいずれにせよ、初代勇者は冥獣神と相打つ形で消滅し、彼が騎士王国を訪れることはなかった。その後、何度か帝国を襲った脅威も、最西端である騎士王国に波及するより早く勇者がそれを討ち滅ぼし、歴代の勇者たちとグランデルドオは関係性を持たなかった。
まさか、勇者の記念すべき初来訪が、こうした形になるとは。
というか、そもそも騎士王は、勇者とまみえてもいないわけで。
「どうも、グランデルドオ騎士王国というのは野蛮な国と聞いておりまして、まさか食事の際、食器を使うなどという文化があったことにもまた、驚きを隠しきれないのでございます」
「うむ、シュランツ老、そなたの口さがないのがわかったからその辺にしておけ? 正直は美徳だが過ぎれば身を滅ぼすぞ?」
騎士王陛下は、パリットをそのままバリバリと噛み砕き、言った。
「シュランツ老、他に勇者殿が向かいそうな場所に心当たりはないのか?」
「さあ……。何ぶん、初めて訪れた国でございますゆえ……」
「しかし、動員できる騎士の数にも限界があってなあ。まあ、アンセムやコンチェルトに連絡が行けば、捜索範囲もグッと広がるのだが……」
そう言って、騎士王はシュランツを睨む。
この竜人族の老人は、確かに間抜けだ。人がよく、正直でいらんことまで口にする傾向にある。それが老衰の進行によるボケの始まりなのか、シュランツという男が本来持つ性格なのかはわからない。
だが、勇者メロディアスの行先について尋ねようとすると、急にはぐらかすような態度になるのが、騎士王には解せない部分であった。受け答えはあくまでも自然ではあるが、ちぐはぐな不自然さというか、実はシュランツはメロディアスを見つけて欲しくはないのではないか? とすら思うことがある。
どうやら違和感を感じているのは、背後のウッスアも同様であるらしい。騎士王と同じ疑惑の視線を、シュランツに向けている。
シュランツ老は、そういったセプテトールとウッスアの心境を知ってか知らずか、モチョロをパリットに挟んでいた。のんきなものである。
「騎士王陛下!!」
どたばたという慌ただしい足音と共に、ひとりの騎士が晩餐会場に飛び込んできた。ウッスアがすかさず喝を飛ばす。
「控えろ! 陛下は会食中であらせられる!」
「しかし、報告したき儀がございまして!」
「なんだなんだ」
セプテトール騎士王は、口元をナプキンで拭った。
「王立騎士学校の壁と校庭がえぐれた話なら聞いているぞ。どうせアリアがやったんだろう。修繕費はこちらから出すし、アリアのことは叱っておく。向こうにはそう言っておけ」
「いえ、騎士参謀エコーからの緊急伝達にございます!」
「なに……?」
リコール家の紋章を掲げる騎士の姿に、セプテトールは佇まいを直した。騎士王は、シュランツをちらりと見やってから、しばし逡巡したが、すぐに騎士へ視線を戻して言う。
「よい、申せ」
「はっ!」
客人の前ではあったが、騎士王の命令を受け、使いの騎士はバッと書簡を広げた。
「帝国ゼルシア自治領に、冥獣神配下、冥獣七王がひとり獅子王マグナムが侵攻を再開した模様!」
「なんですと!」
シュランツ老が飛び跳ねるように立ち上がった。
「早すぎる! マグナムはまだ……」
「続けろ」
騎士王は、シュランツの態度を諌めることも、追求することもせず、ただ使いの騎士にそう促す。
「ゼルシア自治領長ノルンバッカー氏、および皇帝聖下は、勇者メロディアス殿の早期の戦線復帰を要求しております!」
「わかった」
セプテトールは簡潔にそう述べ、ウッスア宰相に首だけで振り向いた。
「ウッスア、捜索人員を増強しろ。騎士学校の小僧どもも全員動かせ。早馬と連絡船を使って各地に伝達を飛ばせ。勇者殿が見つかるまでは誰ひとり休ませるな」
「はっ」
「お、お待ちくだされ! 騎士王陛下殿!」
シュランツは立ち上がったまま、椅子を蹴るように騎士王へすがりつく。近衛騎士と使いの騎士が、一斉の抜剣して切っ先をシュランツに向けるが、セプテトールはそれを片手で制して剣を収めさせる。だが、その目つきは決して、この竜人族の老人に対して友好的なものではなかった。
シュランツが再び口を開く前に、騎士王は背後のウッスアに再度目をやる。
「早くしろ、ウッスア。あと、南のゼンガーにも馬を飛ばせ。挙兵と戦支度をして、運河要塞に向かえと。アンセムがこちらに到着し次第、奴にもゼンガーの後を追うように伝えろ。追加の兵騎士は、エコーのところから持っていけ」
「陛下、」
「勇者殿が見つからなかった場合、ごめんなさいでは済まんのだ。うちの戦略級騎士を二人、それで足りるかはわからんが、出してやるしかないだろう」
「かしこまりました。騎士王陛下」
ウッスアが一礼し、晩餐会場を後にする。騎士王は膝の上で手を組み、床に膝をついたシュランツ老人を見下ろした。
「どこまでが嘘か」
蒼穹のように澄み渡った瞳は、まっすぐにシュランツを射抜く。セプテトールは、緊迫した事態に沿わぬ緩やかな声で告げた。
「などと、くだらぬことは問わぬよ。シュランツ老。だが、なぜ嘘をついたのか、それは答えてもらおう。帝国は我が盟主であり、帝国領は盟友だ。彼らの要望、無碍にはできんのでな」
冥獣神配下、冥獣七王。騎士王とて伝承でしかその名を知らない。ましてや、勇者との関わりが薄い騎士王国であれば、その伝承の内容とて不確かなものだ。だが、情報の信用性を何より重視するエコー・リコールが、火急の件として伝えに来た事実、そして先ほどのシュランツの態度を見れば、事態の緊急性は推し量ってあまりある。
だが、それにも関わらず、シュランツははぐれた勇者メロディアスを探し当てることを、ためらっている。待て、とまで言ったのだ。この緊急事態に、勇者を見つけることそのものをためらっている。
「お、お話いたします。騎士王陛下殿……」
苦渋を込め、絞り出すような声で、竜人族の老人は呟いた。
「勇者様は―――、メロディアス様は今、生死をかけた戦いに挑めるような精神状態では、ないのです」
Episode 15 『彼らの嘘』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「せんせー、メロディとか騎士のねーちゃんがぶっ壊してった庭、どうすんの?」
「せんせー、さっきからお空ばっか眺めてるねー」
「あ、せんせー、花火! 花火だよ!」
「すごーい、昼間なのに!」
「なんか、いろんな色の煙が混じってるー」
「せんせー、怖い顔で花火見て、どうしたのー?」
「あの花火がどうかしたのー?」
「いえ……」
彼女はメガネを外すと、そっと子供達の頭を撫でてこう言った。
「申し訳ないですが、私はここで失礼するであります。君たちの本当の先生は、昼過ぎには戻るでありますから、ご心配なさらないよう。では」
優しかった美人先生は、突如として口調を変えると、先の二人もかくやという勢いで駆け出す。ぽかんとする児童を尻目に、彼女はあっという間の孤児院から姿を消した。
モチョロの命名は、みかみてれん先生です。
この場を借りて感謝申しあげます。