第14話 神速域の決闘
王都の程近くに存在する王立騎士学校は、騎士王国に暮らすすべての少年の憧れだ。
ひとりの人間が騎士になるためのプロセスには主に二種類が存在し、王より叙任代理権を認められた騎士のもとで騎士教育を受けるか、さもなくばこの王立騎士学校に入学するしかない。叙任代理権を持つ騎士は、ほぼ例外なく由緒ある伝統騎士か貴族騎士の家系となり、彼らと何らかのコネクションを持っていない限りは、そのもとで騎士教育を受けることはかなわない。
騎士教育の過程では、小姓、従騎士と段階を踏み、主にその才能と働きが認められて初めて騎士となる。騎士学校の生徒は徒騎士と呼ばれ、彼らも従騎士と同等のものとして扱われていた。
騎士王国に生まれた子供たちは、幼少時代より騎士英雄譚を聞かされて育つ。彼らにとって騎士とはヒーローであり、憧れるべき大人たちの象徴であった。騎士学校の徒騎士達は、家のしがらみや習わしに関係なく、ただ少年の夢を忘れず騎士になった者が多い。近年、その内部の腐敗化が懸念される騎士学校だが、それでも多くの徒騎士達は、いつか叙任を受け、一人前の騎士となる日を夢見て鍛錬に励んでいた。
今日も、騎士学校の中庭で生徒たちが打ち合いの稽古をしている。
「やーっ!」「てあぁーっ!」
勇ましいとは、まだ程遠い、若き徒騎士達の気勢が響く。
騎士王国には、幾つかの剣術流派が存在するが、騎士学校で教えるのはもっともオーソドックスな王剣流だ。帝式秘剣の流れを汲むこの剣術スタイルは、槍術や馬術、戦術眼に加えて心構えまでをも説く〝戦術騎士道〟と一体化したものである。
「でもなぁ、こんな剣法、実戦で役に立つのかよ?」
稽古の最中、ひとりの徒騎士がぼやくように言った。
「そんなこと言うなよ、真面目にやろうぜ」
「知ってるか? 王剣流って、伝統騎士からは宮廷仕込みのお座敷剣法って言われてるんだぜ」
「お座敷剣法でも、ちゃんと基礎を習得して身体に染み込ませれば、実戦で応用が利くようになる。教官も言ってるだろ」
相方の不真面目な態度にむっとしながらも、もうひとりの生徒が模擬剣を振るう。こん、かん、と、間の抜けた音と共に、剣と剣が打ち合った。型通りの動きだ。相方の動きに、覇気は感じられない。
「お座敷剣法って言われるのは、貴族騎士が中途半端に覚えて、戦場で足を引っ張るからだよ」
「ったく、チャールズはマジメなんだから……よォッ」
相方は気だるげに剣を弾き返し、素早い連撃で、チャールズと呼ばれた少年を圧倒した。
「おい知ってるか、なんでも、帝都の方じゃ、〝勇者サマ〟が生まれたらしいぜ」
「勇者サマ?」
「俺の親父、運河要塞で事務の仕事してるっつったろ。だから外国の情報がよく入ってくるんだよ。一週間前くらいかな、ちょっと用事で家に戻ったとき教えてくれたんだ」
なんでも、初代勇者が討伐に失敗した〝冥獣神〟がいよいよ深い眠りから覚め、それに呼応するかのように〝勇者〟が使命に覚醒したらしい。冥獣神はまだ本格的な活動を初めていないものの、既に世界各地では異変が見られており、勇者はその対処に飛び回っているのだという。
いまいち、ピンとこない話ではある。
冥獣神が復活したと言われても、具体的な影響が周辺にあるわけでもなければ、どこかの街が壊滅的な被害にあったという情報が伴っているわけでもない。勇者も冥獣神も伝承の中の存在であり、ましてやこの騎士王国においては、その伝承自体がさほど重要視されてきたわけではなかった。
将来、騎士を目指す身として考えるのは、その冥獣神とやらがこの騎士王国にまで魔の手を伸ばすようなことがあれば、それは断固として戦うべきだというくらいのことだろう。祖国を守るために、騎士となるのだから。
「その日のために、もっともっと強くならなければいけないな……」
「おまえホントにマジメなのな……」
相方が呆れたような声で言う。彼は、少し佇まいを直し、改めて剣を構えた。
「しょーがねぇなぁ、付き合うよ。承認試験も近いしな」
「ありがとう」
二人が、ほかの徒騎士たち同様、剣を片手に対峙した時である。
「お、おい……あれは何だ……?」
そのような声が聞こえ、二人はまたしても気をそがれた。周囲にざわめきが伝播しているのがわかり、ひとまず、ほかの生徒たちと同じ方向に目をやる。それは、王立騎士学校の伝統的な校舎。その壁面。よく見慣れたシャトー・フォールの壁を、猛烈な勢いで疾駆する、二つの影であった。
「おいおい……」
「あれ人間か……?」
「なんだよ……何やってんだよ……?」
「こっちに向かってきてないか……?」
まさしく、その言葉の通りである。
レンガ造りの壁を、二つの影が激走する。それらは、やがてまっすぐに壁を駆け下りて大地に到達すると、そのまま中庭を突っ切る勢いでこっちに向かってきた。訓練中の徒騎士たちは悲鳴をあげながら散り散りになる。剣を構えていた二人の少年も同様だ。風を巻き込み、一体化しながら走る謎の怪物がふたつ。その衝撃波に巻き込まれぬよう、急いで退避した。
ずががががががががががががが、と、
真っ二つに割れた生徒たちの人垣。その間を、影たちは瞬速で突き抜けていく。芝生を、土を巻き上げ、空気を引き裂き、発生した余波のあおりを受けて徒騎士たちは吹き飛ぶ。模擬剣を握る手に力を込めることすらままならず、少年たちは力なく壁に叩きつけられていった。
無論、王立騎士学校にて、未来の騎士を志す生徒たちだ。この程度で気を失うほどやわではない。
彼らはゆっくりと身体を起こしつつ、過ぎ去っていった二つの突風を見やる。
軌跡はやがて空を裂き、再びシャトー・フォールの壁に着弾する。壁を疾走する影は、何度か接触しそうになりながらも絶妙なタイミングで激突を避け、壁の上を駈けずり回り、やがて建物の向こう側へと消えた。
中庭の徒騎士たちは、ぽかんとしながら台風一過のこの光景を見やる。幸いにして、みな大した怪我ではない。ただ、校舎の方から、普段は鬼教官と恐れられている貴族騎士が、心配そうな顔をしながらこちらに向けて全速力で走ってくるのがわかった。
「な、なんだったんだ……今の」
「さあ……」
二人の疑問に答えてくれる者は、当然、誰ひとりとしていなかった。
Episode 14 『神速域の決闘』
FATAL PRINCESS of the KNIGHT KINGDOM
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肉体を酷使しての追跡劇は、いよいよ人知を逸した領域へ到達しようとしている。音に追いつき、時間を抜き去るほどの神速域。空気が重く、まるで幕のように全身に張り付き、呼吸すらも阻害する。彼女たちの周囲では、景色が溶け、混ざり合い、周囲にあるものを正しく把握することはままならない。二人の姿はさながら、大地をひた走る流星であった。
アイカにとって、いや、アリアスフィリーゼにとって、これほどまでに全力疾走を続けた経験というのは稀有である。無論、鍛錬を怠った記憶はない。戦いにおいて、瞬発力は重要視される。持久力も然りだ。彼女は、どちらの力も継続して鍛えた。全速力で走ることも、長時間走ることも、それ自体は決して珍しいことではない。
だが、その〝全力〟を、これほどまで維持することは、新たなる限界への挑戦に等しい。
もはや、この速度に達してしまえば、言語による意思疎通などほぼ不可能だ。だが、スピードが作り出す異空間の中においては、ほぼ同速で移動する両者の姿のみが、正しく視認できる。こちらに手を伸ばし、タッチを試みる幼き少女の表情が、何度か視界を掠める。彼女は真剣だった。真剣に、この人外領域における鬼ごっこを楽しんでいた。
その表情を見れば、素早く交互に壁を蹴立てるアリアスフィリーゼの脚にも、更なる力がこもる。ショウタの言っていた『手加減』という言葉が脳をよぎる。彼の言うことには常に一理あったが、今この場合に限っては、『手加減』は無用な概念となるだろう。この、超高速の追跡劇にあって、『負けてあげる』などということは、ありえない。
溶け合って曖昧になった風景の色彩が、辛うじてアリアスフィリーゼに、壁面の終着を教えている。ひときわ強く壁を蹴り、身体を宙に躍らせる。慣性の法則は彼女の肉体を砲弾のように打ち出し、滞空時間は長い。その時アリアスフィリーゼはようやく、自分が汗だくになっていることに気づいた。雲ひとつない青空において、吹き付ける風が地肌を冷やし、心地よい。
瞬間、やはり壁から空に向けて打ち出されたメロディアスの小柄で華奢な身体が、アリアスフィリーゼへ迫る。手をまっすぐに伸ばし、アリアスフィリーゼへのタッチを敢行しようとするも、両者の身体は蒼穹にてすれ違う。この時すでに、アリアスフィリーゼは再び重力への回帰を始めていた。
翠玉色の双眸には、その直後信じられない光景が映し出される。
空中で器用に身体をひねり、頭をこちらに向けたメロディは、その両足で空中を蹴ったのだ。圧縮された空気を足場とし、蹴り立てる技法は理論上においては確立され、一部の戦略級騎士は実際に会得していたが、こうして目の当たりにすることは初めてであった。
増してやそれを使うのが10歳に満たぬ女子児童であるとは。
瞠目している余裕はなきに等しかった。薄桃色のショートヘアが風に逆らい、空気を喰らい尽くす。空を足場にした三角飛びによって速度を増したメロディアスの身体を、アリアスフィリーゼは空中にて回避せねばならなかった。身をねじり、なんとかその手をギリギリ掠めず、回避自体は成る。だが、姿勢を崩したアリアスフィリーゼの身体は、王立騎士学校校舎の屋根に、叩きつけられる形で落下した。全身にひどい激痛が走り、悲鳴と共に肺の空気が一気に吐き出された。
メロディアスの身体はそのまま校舎を掠め、衝撃波によって壁と窓を砕きながらも、再び騎士学校の中庭に落下する。着弾と共に土煙を巻き上げ、そこには大きなクレーターを作った。両者の姿は、この時完全に停止する。高低差にして約5、60メートル。屋根の上とクレーターの中。
アリアスフィリーゼとメロディアスは、互いに視線を交錯させた。自然な笑みが、どちらからともなく、漏れる。
騎士学校の生徒や教官たちが、二人の姿を正しく認識する前に、鬼ごっこは再開された。
メロディの、レイヨウのようにすらりとした足が、勢いよく校舎の壁面を駆け上がる。アリアスフィリーゼは背を向けて、やはり脱兎のごとく駆け出した。止まってわかったが、そう、今の自分たちは、王立騎士学校の敷地内でだいぶヤンチャをやってしまっている。戻らねばならなかった。孤児院は騎士学校の隣だ。
屋根に叩きつけられた痛みが、筋肉の動きを阻害していた。思うようにスピードが出せないが、無理やりにでも動かす。身体はなんとか先ほどの速度を取り戻した。屋根を下向きに蹴り、孤児院の中庭めがけて、跳ぶ。
直後、アリアスフィリーゼは背中に強い気配を感じていた。振り向こうとした時には、視界の隅に、薄桃色の髪がわずかに踊るのが見え、そのまま衝撃が背後より叩きつけられる。自らの意図した角度とはやや違う形で、アリアスフィリーゼの身体は孤児院の中庭めがけて急速に落下していく。全身に張り付く空気抵抗は、もはや先ほどの比ではなかった。
かくて、アリアスフィリーゼの身体は、デルオダート騎士王孤児院の中庭を、深くえぐるようにして埋没する。
轟音と振動。舞い上がる土と芝。神速域の生んだ摩擦熱がそれらを焦がし、何やらものの燃えた匂いと、くすぶった煙が、もうもうと上がっていた。
クレーターの中心部で、アリアスフィリーゼは身じろぎする。頑丈なのは取り柄のひとつだ。なんとか立ち上がろうとし、上体を起こす。くらくらとする視界の中、煙と砂埃によってはっきりとしない視界の中、ゆっくりと歩み寄ってきた小さな人影が、そっと彼女の胸元に触れた。
「はい、たっち!」
メロディアス・フィオンは満面の笑みで言う。
「またお姉ちゃんの鬼だよ!」
かくて、神速域の決闘には終止符が打たれる。直後、二人の健闘を賞賛するかのような、大喝采が巻き起こった。
「すげぇっ! ふたりともすげぇっ! よく見えなかったけど!」
「こんな鬼ごっこ見たことねぇよ! よく見えなかったけど!」
「かっこいいよ! よく見えなかったけど!」
鬼ごっこの結果は、大地を穿ち、抉り、孤児院の庭にも巨大なクレーターを残したが、とにかく二人は賞賛された。メガネをかけた美人先生までもそうであるのだから、相当のんきな話である。
メロディは子供たちに大きく手を振り、アリアスフィリーゼもクレーターの中からゆっくりと腰を上げる。全身がむち打ち症のようになっていた。
「お嬢様?」
ショウタが心配そうな顔でこちらに歩いてくる。その言葉で、ああ、今はアイカ・ノクターンでしたっけ、ということ思い出した。
久し振りに全力を出してしまった。出してしまったのだ。おかげで全身が凄まじく痛む。メロディアス・フィオンは予想以上に凄い子であった。まさか、全力を出して負けるとは。敗北が初めての経験ではないとは言え、これはその、なんというか、衝撃的であった。
「あの、ショウタ」
「はい、なんでしょう」
「私、負けたんですよね?」
「鬼ごっこに勝ち負けはないような気がするんですけど、えっと、はい。まあ強いて言えば」
やはりそうなのか。やはり、そうなのか。
子供だから侮っていたとは思いたくない。メロディアスの身体能力は早期に察知し、油断なく全力を出した。彼女のような、幼く勇敢な命を守るため、自分は今まで騎士として鍛錬を積んできたが、それがこうもあっさり覆されるとは。
なんというか、驚きだ。ただただ、驚きだ。
いや、驚いてばかりではいけない。ここは自分の未熟さを恥じるべきでは、ないのだろうか?
「あのぉ、お嬢様?」
「はい、なんでしょう」
「ひょっとして、悔しがってますか?」
「くっ、くやっ!?」
ショウタが予想だにしないことを言ってきたので、思わず変な声が出る。
「くっ、悔しいわけなんかないですよ? なっ、ないじゃないですか。む、むろん、負けたのは私の未熟さゆえであって、そこははんせいすべきではありますが、えっと、その、」
「あー……」
ショウタが苦笑いのような表情を浮かべた。
「そりゃあ、悔しいですよね。メロディはまだちっちゃい女の子だし、お嬢様がどれだけできた方であったとしても……」
「くやしくなんかないです!」
その瞬間、視界がじわっと滲んで、ショウタの姿がよく見えなくなった。張り詰めていた意地が崩れ、涙腺からぽろぽろと本音が溢れる。目の前で、彼がギョッとしたような声をあげた。
「あ、あのっ……。あれ、泣いてます!?」
「う、ぐすっ……くやしくなんかないです! ただ、なさけないのです! 私は! 騎士としていままでたんれんをつみ!」
「あっ、いやその、すいません。別に意地悪を言ったつもりじゃ……」
「うう、ショウタぁ……」
自分の情けない顔をこれ以上見られたくなくて、アイカはショウタの胸元に顔を押し付けた。彼の方が背が低いので、腰を突き出す形になってしまう。拒絶されたらどうしよう、という後悔は後からやってきたが、若干の戸惑いの後、彼の妙に細く頼りない腕が、そっと髪を撫でてきた。
「えっとその、はい。そうですね。殿下は立派な方ですもんね。よしよし」
「殿下じゃありません」
「あ、ハイ」
訂正するべきところは、きっちりと訂正しておく。
「ひゅーひゅー、熱いねー!」
ジョッシュのそんな声が聞こえた。確かに熱い。目頭が猛烈に。
「えぇと、その。皆さん。鬼が泣いてしまいましたのでね。鬼ごっこは中断でいいですか?」
「いいよー」
「あの、お兄ちゃん……。お姉ちゃんが泣いたのって、あたしのせい?」
「いや、メロディは気にしなくていいんですよ。メロディは……」
その後、そのような閉じた視界の中に会話だけが聞こえてきたが、頭を叩くショウタの手が存外に気持ちよく、ほとんど記憶に入ってこなかった。
おなかが減ったので、ご飯を食べることにした。
こう書くと子供のようだが、実際今のショウタは二人の子供を連れているに等しい。一人が10歳児で、もう一人が19歳児だ。特に19歳児の方は、普段しっかりしてお姉さんぶっているかと思えば、今はなぜかやたらと泣き虫になっていて、これがショウタを困惑させた。
孤児院の慰問を済ませ、王都へと戻る。少女メロディ、すなわちメロディアス・フィオンは、ショウタ達が一緒に連れていくこととなった。はぐれた祖父を探すためというのもある。ただ、祖父が見つかるまでの間、孤児院で待っていても構わないという旨を伝えても、メロディはショウタ達についてくることを選択した。見送ってくれる孤児院の仲間たちに大きく手を振って、三人は街道へと出た。
メロディは道中、むずかるアイカを一生懸命慰めてくれて、どちらが子供なのか真剣にわからなくなる有様である。それでも、デルオダート街道を王都に向けて歩いているうち、この19歳児はなんとか泣き止んで、しばらくもすればけろりと立ち直っていた。ショウタはため息ひとつだ。
「醜態をお見せしました……」
「ううん、あたしも大人げなかったよ」
やや顔を赤らめ自らの行いを恥じるアイカに対し、メロディの応対は太陽のようであった。子供に『自分が大人げなかった』などと言われて慰められる大人というのも大概な話である。なんというか、アイカもこう見ると業が深い。
アイカの常軌を逸した身体能力はショウタも把握するところであって、それを上回る10歳の女児、というのが、実際目の当たりにしてもいささか信じられない思いがある。〝常識〟の観念がいささかズレたショウタでさえそう思うのだから、当人の衝撃たるや、相当なものであったことだろう。そこを考えれば、彼女のショックだって理解できないことはない。
このメロディアス・フィオンという少女は、ナニモノなのだろうか。
このグランデルドオ騎士王国において、ショウタの持つ〝常識〟が何の役にも立たないことは承知している。ただ、既にヒトの領域を大きく踏み越えたように見える姫騎士殿下に、身体能力のみで拮抗しうる10歳の女子児童というものは、こちらの〝常識〟において、果たして一般的な存在であるのかどうか。比較対象がないので、よくわからない。
グランデルドオ騎士王国には、〝戦略級騎士〟と呼ばれる超戦闘能力を有する騎士が何名かいて、それはアリアスフィリーゼ姫騎士殿下の全力すらも片手間で凌ぐほどだと聞かされているが、それほどの力が、果たしてこのくらいの歳の女の子に備わるものなのか。それも、よくわからない。
単純に彼女の身体能力は恐ろしいが(もやしのショウタなど頚椎をポキッと折られそうだ)、よくわからない以上、やたらと怯えてみせるのも不自然な気がして、ひとまず彼は他の子と同じように接してあげることにした。
見れば、メロディとアイカは手をつなぎ、仲良く街道を歩いている。似ても似つかない二人だが、こうして見ると、まるで仲のいい姉妹だ。
王立国道の一号線であるデルオダート街道には、柔らかな日差しがゆったりと降り注ぐ。少し離れた場所を流れるトドグラード用水路は、その水面に陽光をきらきらと反射させていた。街道は用水路の堤防上に伸びているが、堤防のしっかりした作りはこの国の治水工事レベルの高さを思わせた。堤防の高水敷は、やや広めに取られているのがわかる。
「いい国だねー」
のんびりした声で、メロディが言った。
「そうでしょう」
アイカの声は、どこか誇らしげである。
「うん。城壁の外なのに、こんなにのんびり歩けるなんて。あたしが今まで旅してた国じゃ考えられなかったなって」
「昔は、王都を取り巻く城壁の外も、野盗や魔獣の危険が常にあったようですが、ここ最近はそういう話も聞きません。騎士団の警邏範囲が広がったためもあるのでしょうね」
自慢げにアイカは語り、周囲を見渡した。城壁の外は、基本的に市民の生活圏外であるはずだが、それでもちらほらと家屋のようなものが散見される。
先ほどの孤児院などは、周囲に用水路を用いた環濠と、大きめの柵を張り巡らし、また隣に建つ王立騎士学校と、直接敷地内を行き来できる立地条件により、安全を確保している状態だ。隣に守るべき孤児院が存在することは、騎士候補生達の強いモチベーションの源にもなっているのだろうな、とショウタは思う。
「おにーちゃーん!」
不意に二人が立ち止まり、メロディがぶんぶんと手を振った。
「お兄ちゃんも手ぇつなごうよー!」
「えっ、ええっ?」
突然のアプローチに、思わず聞き返してしまうショウタである。
「ショウタ、ひょっとして照れてるんですか?」
「いやあ、それはまさかでしょう! いきなりだから驚いただけですよ!」
さすがに、10歳の女子児童に手をつなごうと言われてドギマギするほど、女性免疫耐性のないショウタでは、ない。
小走りでアイカとメロディに駆け寄り、メロディの空いた片手をそっと取る。彼女の小さな指先が、存外に強い力できゅっと握り返してきた。高めの体温がはっきりと伝わってきた。
「えへへへ……」
メロディアスがはにかんだような笑顔を作り、ショウタとアイカを交互に見る。
「こうやって手をつないで歩いてると、お父さんと、お母さんみたい」
「お父さんと、お母さんですか。メロディの」
「うん」
メロディは、祖父と共に旅をしていると言っていた。実際の父母はどうしているのだろう。ふと、彼女の言葉からそのような疑問がよぎる。が、少女の笑みはその追求をさせてはくれなかった。故郷を遠く離れ、親しい友人や家族から離されて生活する痛みは、ショウタに理解できないことではない。
とは言え、ここで彼にできるのは無邪気な少女の手を、精一杯強く握ってあげることだけだ。
「そういえば、王都に戻って、ご飯食べるんですよね。どうします?」
「厨房の調理係には、私たちのお昼はいらないと告げてしまいましたからね。街の食堂に入りましょう。メロディも、それでいいですね?」
「うん!」
メロディアスは笑顔のまま頷く。アイカは涼しい顔に風を受けながら、ちらりとショウタを見る。
「もちろん、私はお父さんが手料理を作ってくれるって言うならそちらでも構わないのですけれど」
「おっ、お父さん!? じゃあ殿下はお母さんですか!?」
「殿下ではありませんが」
「お母さんって方は否定しないんですね?」
そのようなダラダラした会話を楽しみながら、三人は街道を歩いていく。その最中、何度か早馬を駆る王立騎士たちとすれ違った。任務中であろう彼らに、アイカは何度か騎行敬礼をしてみせたが、相当焦っているようで返礼がない。伝令にしても急ぎすぎだ。何か、事件でもあったのだろうか。
騎士たちをマイペースに見送った後、ショウタは何かに気づいたかのように、『あっ』と口を開いた。
「そう言えば、孤児院や騎士学校の損壊分、きっとまた怒られちゃいますねぇ」
「言わないでください。必死で忘れようとしてたのに……」
「お、お姉ちゃん? だいじょぶ? 元気出して?」
急にしょんぼりしたアイカを、メロディが一生懸命慰めようとしていた。