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第10話 姫騎士殿下のたからもの(後編)

 グランデルドオ騎士王国 王都デルオダートには、三種類の騎士団が存在する。


 ひとつが、有事の際に軍事力として機能する騎士団の花形、王立騎士団。

 ひとつが、王宮において王族や貴族などの身辺警護を行う、近衛騎士団。

 そしてひとつが、王都内のパトロールや犯罪者の逮捕などを行う、警邏騎士隊である。


 警邏騎士隊はその多くが、王立騎士学校を卒業した一般騎士コモナーによって構成される。青の制服にポイントアーマー、簡易騎士剣を装備した軽装は、一般的にイメージされる〝騎士〟の姿からはややかけ離れているが、彼らもまた騎士王直々の叙任を受けた、立派な王国騎士グランデルドオ・ナイツの一員である。

 王立騎士団や近衛騎士団、あるいは各地方に所属する要塞直衛騎士や領地専属騎士といったローカルナイツに比べ、警邏騎士隊の活動は地味だ。それでも、例えば王都で暮らす少年たちにとっては、子供の頃から『騎士のお兄さん』として慣れ親しみ、自分たちの生活の安全を見守ってくれた警邏騎士隊への憧れは強く、その所属志願者は年々数を増している。


 この日、バザー会場に配備された警邏騎士達も、自ら志願して警邏隊に入隊した者ばかりだ。

 王都の中央広場で毎週開催される商会ギルドのバザーは、彼らが子供の頃から慣れ親しんだイベントのひとつである。国の外から持ち込まれる、見知らぬ輸入品の数々に、心を躍らせた日々を今も覚えている。性懲りもなく湧いて出た悪党を、颯爽と捕まえる警邏騎士の姿は、やはり格好よかったものだ。

 大人になれば、また視点が変わる。未然に防ぐに越したことはないのだ。厳重に警備を張り、常に意識を巡らせ、今回こそは何事もなく終わらせねばならないと、肝に銘じる。それでも、警邏騎士の目をくぐり抜け、狼藉を働く人間は出てきてしまう。


 だが、そこで防げなかったことを落胆するのではなく、子供の頃に憧れた自分たちの姿そのままに、素早く犯人逮捕と事態の収束にあたるのが、警邏騎士隊の務めであった。


 貴婦人の買った石ころを盗んだ犯人は、近頃王都でぽつぽつ散見される窃盗団のメンバーであると思われる。王都の治安の良さには、市民の生活水準の高さが挙げられるが、こうした窃盗団も生活に困窮して盗みを働くわけではない。どちらかといえば、退屈を持て余した青年たちがスリルを求めて悪行を重ねる傾向にあった。


 会場で目撃された窃盗団のメンバーは、合計3人。既に追っ手を撒くためか全員がバラバラに逃走を始めている。

 その小隊長は、数人の部下を引き連れてバザー会場を飛び出したが、賊達の逃げ足が予想外に早い。彼らはすぐに散り散りになって、王都のどこかへ消えて行った。


「ええい、グラスイーグルのクソガキどもめ……!」


 中年に片足を踏み込んだ小隊長が、忌々しげに呟く。


 その時、彼は会場からひとりの貴族が従者を連れて、こちらへ駆けてくるのを見た。金髪をなびかせる若い女性だが、帯剣しているところを見るに、どうやら叙任を受けた貴族騎士ノブレスらしい。青いドレスのところどころには、甲冑を思わせる意匠が施されている。スカートを抑えずとも、素早く移動する手段を心得ている様子だった。

 いったい、何の用か、との問いかけが口を出るよりも、甲冑に施された紋章が目につく方が早かった。おかげで、彼は無礼な真似をせずに済む。


 天剣護紋。剣と盾を主軸にした、シンプルな王家の紋章である。


 これを掲げることが許された人間は、いま、この世界においてはふたりしかいない。 

 騎士王マジェスティセプテトール・ラゾ・グランデルドオ。そして、姫騎士プリンセスアリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ。


 同時に、小隊長は、その流れるような金髪と翠玉色の瞳に、はっとした。明確に見覚えがあったのだ。女性はすなわち、姫騎士殿下である。小隊長以外の警邏騎士達もすぐさまそれに気づき、一瞬硬直した後、額に指をこすらせる騎行敬礼を見せた。


「ひっ、姫騎士殿下! ご機嫌麗しゅう!」

「ご苦労様です」


 騎士として任務に従事している際は、隙を極力作ってはならぬとし、この騎行敬礼があらゆる敬礼の代わりとなる。いわゆる簡略礼の一種だが、たとえ相手が王族であったとしても、これは無礼に当たらない。

 アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、腰元の剣をすらりと抜いた。陽光を照り返し、銀の刃が眩く輝く。彼女はそのまま柄を握ったまま剣を立て、小隊長のもとへ向く。


「騎士王セプテトールの子、王族騎士ロイヤル姫騎士プリンセスアリアスフィリーゼです。貴公のお名前をお伺いしてよろしいですか?」

「は、はっ……!」


 小隊長は、剣を抜き放ち、姫騎士殿下同様に柄を握って立てた。やや狼狽しつつも、よく通る声ではっきりと告げる。


「鍛冶屋ハルクの子、一般騎士コモナー王都警邏騎士隊シティガーディアンズ小隊長チーフファルロ・バーレンと申します!」

「ありがとうございます」


 アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、剣を収めてにこりと笑う。


「サー・チーフ・ファルロ。私も賊の確保に協力させてください」

「は、しかし……はっ?」


 ファルロが思わず聞き返してしまうと、アリアスフィリーゼは真面目な顔を作り、背後のバザー会場を見渡して言った。


「私も、子供の頃から出入りさせていただいていたバザーです。思いは、貴公らのものと変わらないと思うのですが」


 警邏騎士隊小隊長ファルロ・バーレンは、プリンセス・アリアスフィリーゼの言葉を聞き、しばし考える。

 今回、姫騎士殿下がなぜバザー会場に来ていたのかは知らないが、10年ほど前、まだ子供だった姫殿下の前で似たような窃盗事件があったことを覚えている。確かその時も、殿下は剣を片手に駆け出して、賊を追いかけたものであった。その正義感は、当時からまったく変化がないらしい。


 ありがたい申し出かというと、むずかしいところだ。騎士間の連携、協力は推奨されるところであるが、それがまた王族騎士ロイヤルともなると話は別である。ただ、姫騎士殿下の大暴れっぷりはファルロ自身耳にするところであって、ここで丁重に申し出を断ったところで、彼女は自分の足で賊を追いかけると考えられた。

 で、あれば、この恐れ多い申し出を受けて、協力していただく方がいいか。


「わかりました、プリンセス・アリアスフィリーゼ。恐れながら私の指揮下に入っていただきますが、よろしいですね?」

「はい、よろしくお願いします」


 殿下が危ないことをした結果、怪我をなさるか、という点についてはまったく懸念していない。加えて、彼女が騎士として協力を申し出ている以上、責任は常に彼女に付随する。アリアスフィリーゼが剣を立て、騎士として名乗りをあげたのは、こちらに余計な気遣いをさせないための最大限の配慮だろう。


「よし、お前たち! プリンセスが賊の確保に協力してくださるそうだ。ヘマを見せるなよ!」


 若い警邏騎士達が喝采を上げる。さすがに彼らは気楽なものだ。


「殿下、賊は3手に分かれて逃走中です。殿下と従者殿は、そちらの……そうですな。シェイラと共に行動を。連中、足は早いですが、逃げること自体を楽しむような連中です。まだどこかで腰を落ち着けているということは、ないでしょう」

「わかりました。ディム・シェイラ、よろしくお願いします。こちらはショウタです」

「あ、どもー」


 殿下に紹介された黒髪の少年が、ぺこりと下げる。入隊三年目になるシェイラ・ルノーは、やや緊張した顔を見せ、直立不動で騎行敬礼をしていた。茶髪のポニーテールがふわりと揺れる。


「殿下、馬はご利用に?」

「お気遣いなく。シェイラさえよければ、歩いていきます」


 アリアスフィリーゼ殿下が翠玉色の瞳を細めて微笑みかけると、シェイラは騎行敬礼のポーズを崩さないまま『大丈夫です! 歩けます!』と叫んだ。

 ともあれ、賊は今なお逃走中だ。最低限の打ち合わせを済ませた後、少年窃盗団グラスイーグルの行方を追って、警邏騎士たちは解散する。連絡手段などは、シェイラが移動中に説明を済ませるだろう。ファルロもまた、相方として長い警邏騎士と走り出そうとした時、背後から姫騎士殿下に声をかけられた。


「サー・チーフ・ファルロ!」

「は、な、なんでしょう?」


 出がけに出鼻をくじかれて、ファルロは立ち止まる。アリアスフィリーゼは、じっとこちらを眺めていた。


「10年前、アイボリーを盗んだ賊を懲らしめようとしたとき、勢い余って貴公の腕を折ってしまったことがありましたね。たいへん、申し訳ありませんでした」


 右拳を左肩にあて、姫騎士殿下がぺこりと頭を下げる。


「は、……はっ?」

「貴公が無事、警邏騎士として現場復帰できていることを知り、嬉しく思いました。では」


 覚えておいでだったのですか、と、ファルロが言うよりも早く、姫騎士殿下はこちらに背を向け走り出す。

 そう、10年前のバザーではそうだった。サー・マイスター・ゼンガー・クレセドランに連れられた殿下が、盗まれた巨鱗象のアイボリーを取り返そうと奮闘した結果、当のアイボリー10本と、当時はまだヒラの警邏騎士だったファルロの腕を粉砕してしまったのである。


 あれ以来、バザー会場で姫殿下を見かけることはなかった。久しぶりにご尊顔を拝見した殿下も今や姫騎士で、ご立派に成長なさっているとは、思ったが。

 ひょっとして気にされていたのだろうか。


「小隊長、顔がにやけてますぜ」

「何を!」


 我にかえって、ファルロは叫ぶ。


「10年前っていうと、殿下も9歳でしょう。そんな殿下に腕を折られるとは、ご褒美ですなぁ。小隊長」

「バカなことを言うな、シルヴィオ! さっさとグラスイーグルのガキどもを追いかけるんだよ!」

「へいへい」





「殿下、お知り合いだったんですか……?」

「12年前、警邏騎士隊に配属された警邏騎士の一人です。直接の面識は、二、三度しかありません。言葉をかわしたのも彼が『殿下、危ない!』『ぐああああ』、私が『あ、しまった!』の三言だけです」

「それだけで何があったのか想像できますね!」


 通りを駆け抜けながら、アリアスフィリーゼとショウタはそのように会話をかわした。

 あの時も、ウッスア・タマゲッタラにたいそう怒られたものだと、アリアスフィリーゼは記憶している。ウッスアだけではない、普段は優しいゼンガーも、あの時ばかりは烈火の如き勢いで彼女を叱りつけた。賊を成敗しようとした結果、名も知らぬ警邏騎士の腕を折ってしまい、彼の騎士生命が絶たれるかもしれないと教えられた時は、さすがのアリアスフィリーゼもふさぎ込んだものだ。

 ウッスアとゼンガーに王宮内での謹慎を命じられ、警邏騎士が入院したと聞いても、見舞いに行くことはできなかった。今回、サー・チーフ・ファルロ・バーレンに出会ったのはほんの偶然だったが、彼の無事を確認できて本当によかった。


 それ以来、アリアスフィリーゼは自身の行いに付随する責任、突き詰めれば、他人に与える影響を考えるようになったものだ。ここ最近、ショウタを連れ出してばっかりで、彼自身を危ない目に合わせることもしばしばだった。増してショウタは、騎士ではない。

 ショウタが怪我をしたり、人質に取られたり、彼がいくら気にしていない風を装っても、実質的な迷惑をかけているのは事実である。王は取り繕ってはいけないと教えられた。省みても悔やんではいけないと教えられた。だからこそアリアスフィリーゼも、ショウタ同様、気にしていない風を装い過ごしてきたが、それでも本音は出る。


 せめて今日は、彼の言うことを聞こうと思っていた。今までの返礼だ。


 目の前で窃盗事件が起きた時も、アリアスフィリーゼは動けなかった。ショウタとの約束があったからだ。彼のお願いを聞くと言ったからだ。その日は、彼の意に沿って動こうと決めていたからだ。今日だけはショウタに絶対迷惑をかけないと決めていたからだ。

 それでも、目の前で泣き叫ぶ貴婦人の姿は、同時にアリアスフィリーゼを苛む。助けに行けない自分の無力さを噛み締めていたとき、ショウタは命じてくれたのである。『悪党を成敗しにいきましょう』と。


 それが、いつも自分がショウタにしている〝お願い〟と、一語一句同じだったのは、果たしてわざとであったのか。


「ショウタ、気を使わせて申し訳ありません」

「なんのことです?」


 ショウタは視線を逸らしてそう言った。時として気を焼くことも多い彼のとぼけた仕草が、この時ばかりは妙に嬉しい。


「なんでもありません」


 アリアスフィリーゼは満面の笑みを浮かべる。その時、二人の少し後ろを走っていた警邏騎士のシェイラが、おずおずと声をかける。


「あの、殿下、ショウタ殿、そろそろよろしいですか?」

「「はいっ、なんでしょう!!」」


 くるりと振り向いて同時に叫ぶ。シェイラ・ルノーはまた少し驚いたような顔をして、小型の筒のようなものを取り出した。


「連絡用の発煙弾になります。これを空に撃って連絡を取り合いますので、空には定期的に注意を。煙の色で暗号化されていますが、機密事項なので法則性はお教えできません」

「結構、ではその都度ディム・シェイラに確認をとることになりますね」

「はい。あとは賊ですが、グラスイーグルと呼ばれる少年窃盗団です。基本、愉快犯だと思われます」

「ふむ……」


 その言葉を聞いて、アリアスフィリーゼは考え込む。

 原則として、王都の治安はいい。多くはウッスア宰相を中心とした文官の手腕によるものだが、貧富の差がそこまで激しくなく、市民の生活水準が安定しているからだ。なんらかの理由で失職した市民は、納税の義務が免除される代わりに労役義務が発生し、国から割り当てられた仕事をこなす。実際のシステムはもっと複雑だが、基本的に王都では寝食に困る市民は存在しない。

 それゆえに、窃盗などの犯罪は基本的に発生し得ない。バザー会場に警邏騎士隊の警備が多く割り当てられるのは、商会ギルド主催のバザーが、そうした市民以外の貧困層を王都に入れる機会を伴うものであるからだ。窃盗が貧民によるものであった場合、責任の一端はやはり王族にもあり、処遇を考慮するところではあったが。


「生活が豊かになると、そういう人が出てくるもんなんですねぇ」


 ショウタがしみじみと呟いている。豊かな生活を送ってきた彼が言うのなら、そうなのかもしれない。


「ともあれ、その少年達を厳しくしつける必要がありそうです」

「はい、プリンセス。問題は、彼らが今どこを逃げているかですが……」


 シェイラは足を止め、王都の町並みを見渡す。窃盗犯のメンバーの一人が向かったのが、こちらだった。

 この区画は住宅街が多く、家の窓からこちらを眺める婦人や老人たちの姿が確認できる。さすがに彼らは、ここにいるドレスをまとった騎士が、プリンセス・アリアスフィリーゼだとは気づかない様子だ。


 王都も広い。彼らが逃げることを楽しんでいるのだとすれば、その経路はますますつかみにくい。アリアスフィリーゼは、背後でただ一人息を切らせる少年を見て、こう言った。


「ショウタは、探ることはできませんか?」

「殿下は、僕をレーダーかなんかだと思っていますか?」

「れーだーってなんですか?」


 宮廷魔法士として王宮が召し抱えているショウタ・ホウリンは、その実、魔法ではない不思議な力を使う。本人にその由来を尋ねたところ、人間の脳にまつわる極めて難しい話をされ、それなりに医学知識を持っているつもりのアリアスフィリーゼも、理解に匙を投げた。以降、彼女はショウタの力を適当に〝不思議パワー〟と呼んでいる。

 ショウタの得意とするのは、主に不可視の力場による物体の拘束と操作、そして力場そのものを相手にぶつける破壊的な攻撃手段だ。それ以外に短~中距離転移や、動物の簡単な感情を読み取ったりということが可能にする。遠視や透視の類は、苦手だができないことはない、と言っていた。


「いや、できないことはないんですけど、ちょっと……走りすぎて疲れが……。ちょっと待っててください」

「わかりました。無理はしないでください」


 会話の流れをよく把握できていないシェイラを尻目に、ショウタは目を閉じ、呼吸を整える。


「えっと、特徴はなんでしたっけ? 黒い服? 裾は長かったですよね」


 目を瞑った彼が、瞼の裏にどのような光景を見ているのかは知らない。おそらく遠視によって、周囲の様子を素早く探っているであろうショウタに、シェイラはやや困惑した様子を見せながら答えた。


「は、はい。特徴として、服には鷲の形をしたペイントを施しています」

「おお、愉快犯っぽいですね。わかりました、探してみ……うわぁっ!」


 突如、ショウタが身体を跳ねさせて目を開く。


「どうしました、ショウタ?」

「あ、いえ……。だいじょぶです。ちょっと、スゴイモノが見えたので……」


 やや顔を赤らめながら、ショウタは言った。何を見たというのだろう。アリアスフィリーゼは首を傾げていた。


「く、黒い服黒い服……あっ、いました。意外と近いですよ! 一人……いや、二人います!」


 ショウタが声をあげ、シェイラは目を見開く。


「お手柄です、ショウタ。どちらに見えますか?」

「そちらの家の3階です」


 アリアスフィーゼの言葉に、ショウタがレンガ造りの建物を指す。メンバーの自宅か、そうでないかはわからない。が、建物の中に逃げ込んでいたならば、探すのに時間を要しただろう。文字通り、これはショウタのお手柄だ。あとで頭を撫でてあげないといけない。


「こちらの3階ですね?」

「あっ、いえ、3階は違う方でした。4階です!」

「そ、そうですか……?」


 ショウタが慌てて訂正するので、若干の不安を覚えつつ、アリアスフィリーぜは建物を見上げた。いちいち家主に断って突入したのでは、感づかれる可能性があるか。


「シェイラ、信号弾で他の警邏騎士に連絡を」

「は、はい。あの、殿下は?」

「彼らを捕まえます。また逃げ出す可能性がありますからね」


 そう言い、アリアスフィリーゼは全身に設えた甲冑状の装飾品を外した。手甲や胸当てキュイラス、ドレススカートに施された脛当てグリーヴ型の鉄板などだ。いずれも、どすん、どすん、という音を立てて、通りの石畳にめり込む。


「ひ、姫騎士殿下は、今までこんなに重い装飾具をつけて戦っていたのですか!?」

「ええ、まあ、そんな感じです」


 シェイラの驚嘆に対し、ショウタが額の汗を拭い、呼吸を整えながら答える。


「では、いきます」


 アリアスフィリーゼは、腰の柄に手を回し、勢いよく石畳を蹴った。超重量の拘束から解き放たれた今、姫騎士アリアスフィリーゼの肉体は羽根のように軽い。彼女は建物の壁に蹴りをあて、その健脚をもってして、身体を宙へと押し上げる。重力の導きに従い、彼女の身体が自由落下を始めるより早く、もう一本の足が床を蹴り、姫騎士をさらに上へと押し上げた。


 結果、アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ殿下は、凄まじい勢いで建物の壁面を駆け上がる。


 窓をひとつ、ふたつ、みっつ、よっつと数え、よっつ目に到達した時点で、ガラスを強く踏み抜き、建物の中に侵入する。


「うおおおッ、な、なんだ!? なんだよ!?」


 中から、少年の若い動揺の声が聞こえた。アリアスフィリーゼは、床を転がった勢いで身体を立て、柄に手を当てたまま声の主を睨む。そこには、黒い服に鷲のペイントを模した少年が、二人。どちらが声を上げたほうかはわからないが、片方は上品そうな布袋を持っている。おそらく、件の貴婦人から奪ったものだ。


「窃盗団、グラスイーグルの子達ですね」


 少年たちの年頃は、ショウタと同じか、もう少し若いくらいだろう。ショウタ自身が実年齢よりいささか幼く見える顔立ちなので、年上に見えるのはこちらの彼らだが。


「あなた方の悪行を正しにまいりました。そちらのカッコイイ石ころは、あなた方の買ったものではありません。持ち主に返して差し上げなさい」

「くそッ、騎士サマかよ!」

「おい、逃げんぞ!」


 少年たちは出入り口の方へ駆け出そうとするが、当然、アリアスフィリーゼはそれを許さない。柄に手を伸ばし、引き抜く。だが、鞘のロックは外さなかった。勢いよく床を蹴りたて、少年たちの前方へ先回りする。鞘のついたままの剣が空を薙ぎ、一人の少年の胴を打つ。

 相手が戦闘訓練の受けていない少年であることから、加減にはいささか気を使った。


 ところで、騎士の剣とは、深い重要性を持つ。ましてや、それが王族騎士ロイヤルのものともなれば、王意の代行にも等しい。それはたとえアリアスフィリーゼが、例えば怪しげな貧乏貴族の三女と身分を偽ったところで同じことだ。故に、彼女は、その剣の刃をいたずらに血に染めることはできない。加えて、直接命を奪うことも躊躇わねばならなかった。

 もし、姫騎士の剣が、王の沙汰が下らぬまま悪人の命を奪うことになれば、それはそのまま、騎士王セプテトールを独裁者と貶める行為にほかならない。なので、アリアスフィリーゼはその刃で直接斬りつけることも、命を奪うこともできないのだ。


 そのような背景から、一撃には手加減があった。それでも、月鋼式戦術騎士道タクティカルナイトアームズを極めたアリアスフィリーゼ姫騎士殿下の一撃である。少年は壁に叩きつけられて、ぐったりとした。


「く、くそッ!」


 残るは、石の入った袋を持つ少年だ。部屋唯一の出口は姫騎士が塞いでいる。少年は、ヤケを起こしたか、今度は破られた窓ガラスに向けて走り出した。


「むッ……!」


 このまま石畳にダイブされてはたまらない。外にはショウタとシェイラがいるが、彼らのみを信頼して、取り返しのつかないことになってはまずかった。

 アリアスフィリーゼは、柄から剣を振り抜き、超高速の刃を振るう。極限まで重量を絞り落とした腕から放たれる瞬速の斬撃は、斬撃そのものを主体とした奥義でないことから、姫騎士殿下が唯一気兼ねなく使うことのできる剣技であった。


月穿つきうがち、弱め!」


 自ら手加減したと言い放つそれは、衝撃波が少年の背中を追従し、木目の床を叩き割る。足場が崩され、少年とアリアスフィリーゼは同時に、下の階層へと落下した。やりすぎたか? という後悔が、額から頬に向けてをつうっ、と流れる。


「きゃあああああああッ!」

「な、なんだ! なんだあんたらっ!」


 おそらく3階の住民のものと思しき悲鳴があがった。アリアスフィリーゼは右拳を左肩に当てる、騎行式謝罪礼にて自らの非を詫びようとした。


「たいへん、申し訳ありま……うひゃあッ!?」


 振り向いた先のベッドの上で、裸の男女がもつれ合っているさなかであった。

 一瞬の動揺の隙をつき、少年が出入り口から飛び出していく。アリアスフィリーゼは忸怩たる思いを抱いた。男女の営みを目の当たりにし、自らの心を乱すとはなんたる不覚。騎士にあるまじき、である。まだまだ、修行が足りない。


「たいへん申し訳ありませんでした! 続きはごゆっくり! 良い子を成してくださいね!」


 騎行式謝罪礼と共に、アリアスフィリーゼは少年を追った。階段を駆け下りる。

 さすがに、上階の騒動が気になったのだろうか。1階から、この建物の女将らしき年配の女性が、ゆっくりと昇ってくるのが見えた。少年はそれを突き飛ばし、老婆がバランスを崩す。アリアスフィリーゼは、階段の柵をへし折って飛び降り、老婆のもとへ着地してその身体を支えた。


「大丈夫ですか!?」

「あっ、ああ……。ええと、その、何があったんだい?」

「それはその……、申し訳ありません! 後々、王宮から正式な謝罪があることでありましょう!」


 これはまたウッスアに怒られるな、と思い、アリアスフィリーゼは老婆を1階に立たせる。後、床を踏み砕く急加速で、ドアを突き破って外に出た。少年に追いつく。


 少年は目の前の青服、警邏騎士の存在に気づき、角度を変える。そのまま通りを走り、逃走を試みたが、さすがに警邏騎士シェイラ・ルノーの反応は素早かった。彼女も勢いよく少年に追いすがると、後頭部を押さえ、足払いをして石畳の通路に組み伏せる。シェイラの高い声が上がった。


「確保ォッ!!」


 シェイラは一本の縄を取り出して、少年を縛りにかかる。これで2人は捕らえたことになるか。アリアスフィリーゼは、安堵と反省の入り混じったため息を漏らした。ショウタが正面で苦笑いを浮かべている。


「またやっちゃいましたねぇ、殿下」

「そうですね……。申し訳ありません、ショウタの最初の〝お願い〟は……」


 姫騎士殿下がしょんぼりと肩を落とした時、背後からサー・チーフ・ファルロ・バーレンの声が響いた。


「殿下、そちらが3人目です! 確保を!」

「むッ……!?」


 アリアスフィリーゼが振り向くと、複数の警邏騎士に追われて、馬に乗った銀髪の少女が通りを直進してくるところであった。黒い服に鷲のペイント。スリルを求めて窃盗を働く身の上にしては、少女の馬の乗りこなしはずいぶんと長けたものであった。


「サウン、パスだ!」


 シェイラに組み伏せられた少年が大声をあげて、袋を投げる。少女はそれを受け取って快哉を叫んだ。


「キャッホウ! よーくやったぜ、イーノ! おまえらのホネは拾ってやっかんなー!」

「サウン、逃げ切ってくれよ!」

「まかしとけ! グラスイーグル窃盗団は、マヌケでウスノロな警邏騎士のおっちゃんにゃあ捕まらねぇ!」


 ファルロ・バーレンが苦い顔をするのが見えた。彼らとしては、特に意味のない軽口の応酬のはずだったが、ファルロはその実、マヌケでもウスノロでもないはずだ。一般騎士コモナーの例に漏れず由緒ある家柄を持たないが、自らの使命に対して実直な姿勢を持つ警邏騎士だ。その有り様は、貴族騎士ノブレス伝統騎士トラディションにも劣らぬ、騎士の鑑である。少なくとも、アリアスフィリーゼは、ほんの僅かにも満たない会話の中から、そのように判断していた。


 馬に乗った窃盗団の少女は、袋を片手に通りを直進していく。姫騎士は石畳を蹴った。


「でっ、殿下!?」


 ショウタの声が聞こえる。振り向く余裕はなかった。あの子を、逃がすわけにはいかないのだ。


 馬に乗って逃げる少女を、アリアスフィリーゼは自らの脚で追う。サー・マイスター・ゼンガー直々に鍛えたという姫騎士の健脚は、馬の四つ足に勝るとも劣らぬ速度を発揮する。金髪がさながら風のように、アリアスフィリーゼの背後にたなびいていた。


「なっ、なんだこの姉ちゃん!?」


 馬を見事に駆りながらも、さすがに少女は動揺する。馬と騎士の距離は、徐々に縮まりつつあった。


「くっ、くそっ! もっと速く走れよ!」

「女の子がクソなどと言うものではありません!」

「てめーも女だろーが、ああ!?」

「私はあなたを嗜めただけです! クソという方がクソなのです!」

「じゃあてめーもクソだっつってんだよ! クソ!」


 とうてい、女子同士が投げ合う言葉の応酬ではない。ましてや、方や姫騎士殿下であらせられる。ウッスア宰相に聞かれれば、大目玉どころの話ではなかっただろう。

 窃盗団の少女、サウンは、いよいよ追いつかれてきた現状に恐怖を顕にしていた。だが、追いついたところで困るのは姫騎士殿下も同様である。馬がかなりの速度を出している以上、ここで少女に飛びかかり、馬上から叩き落としては大怪我では済まないだろう。ましてや、通りは硬く冷たい石畳である。


 やはり、馬の足を直接止めなければならない。

 少女の駆る馬は、もうすぐ大通りにさしかかろうとしていた。このままではまずい。人の往来が激しい大通りを、馬などで通り抜けられては、やはり尋常ではない被害が出る。


 アリアスフィリーゼは心を決めた。速度をさらに増し、馬と並走し、やがては追い抜く。そのまま建物の壁に激突する勢いで飛び跳ね、その壁を力強く蹴りつけた。レンガ造りの壁がクレーター状に凹み、亀裂が走る。

 姫騎士殿下の身体は、直後、三角飛びの要領で宙に浮かんだ。柄に手をかけ、剣を抜き放ち、本日2回目の斬壊剣ざんかいけん月穿つきうがちを放つ。


「とぁああああぁぁぁぁぁぁぁ――――――――ッ!!」


 叩きつけられた衝撃波の刃は、少女と馬を透過し、器用に石畳の床を粉砕した。正しくは、月穿つきうがちの応用奥義、遠穿とおうがちである。

 だがこの瞬間、アリアスフィリーゼは致命的なミスに気づいた。焦燥とわずかな疲弊が、加減の度合いを見誤る。衝撃波の刃は石畳を砕き、馬の足を止めた後、そのまま大きく縦に伸びて、目の前に建つレンガ造りの空家へと到達した。壁に巨大な亀裂が入り、家屋はゆったりと崩壊を始める。


「しまっ……!」


 馬が倒れ、少女が投げ出される。砂埃を巻き上げて、破片が降り注ぐ。瞬間、判断に迷いが生じた。投げ出された少女を抱きとめるべきか、あるいは空から降り注ぐ破片や瓦礫を迎撃すべきか、どちらを怠っても、少女に致命的な結果をもたらす。

 しかし、その場においてもっとも愚かな判断は、まさしくその逡巡そのものであると言えた。

 間に合わせるためのタイムリミットが過ぎ、後悔の時間が訪れようとした。まさにその時である。


 虚空を引き裂いて、ぴしゅん! という音が聞こえた。何の前触れもなく、空中に浮かび上がった少年の姿が、砕かれた石畳の上に着地する。少年は片手を少女に、片手を降り注ぐ瓦礫へと向け、全身に力を込める。


「ショウタ!?」

「殿下は……、先走りすぎなんですから……、もうっ!」


 まさしくショウタ・ホウリンは、アリアスフィリーゼの言うところの〝不思議パワー〟を駆使して状況を打開せんと現れたのであった。


「うっ、うおおッ? なんだ、なんだっ!?」


 空中に固定されたままの少女サウンが、手足をジタバタさせながらわめいている。ショウタがサウンに向けた手から力を抜くと、少女は石畳の上に落下する。いよいよショウタは、その両手を降り注ぐ瓦礫へと向けた。彼の額からは滝のような汗が流れ出る。瓦礫や破片は、ショウタの意思に従って、ゆったりと倒壊した家屋の上へと戻されていく。


「っあー……、しんどッ!」


 ショウタは、どっかりと石畳の上に座り込む。疲労感も顕な顔で、アリアスフィリーゼを睨んだ。


「一緒に……成敗しようって……言ったじゃないですか! もう! ひとりで……ずるいですよ!?」

「ご、ごめんなさい……」


 結局、また、彼に負担を、〝迷惑〟をかけてしまったのか。気まずさと罪悪感から、姫騎士の声は細い。


 その間、サウンがそろりそろりと逃げ出そうとしたので、ショウタは腰から短い金属製の棒を抜いてブンと振るった。棒の先端部から、ぬらりとした液に覆われた黒い蛇が伸び、悲鳴をあげるサウンに絡みつく。フラクターゼ伯の家で、盗賊ノイジーから奪取しねとったトウビョウという知性武器インテリジェンスアームだ。


「しょ、ショウタ……怒ってますか……?」

「怒ってるとして、何に怒ってると思います?」


 サウンをトウビョウに任せたまま、ショウタはじろりとアリアスフィリーゼを睨む。


「それは、その……」

「せっかく僕がついてきてるんだから、もっと、こう、クレバーなやりようはあったでしょう? それを思いつかない姫騎士殿下ではないでしょう? せっかく一緒にいるんだから、ちゃんと使ってくださいよ」

「それはその、はい……」

「あ、もう怒ってないです」


 ショウタは、不機嫌さよりも疲労の度合いが強い声でそう言う。

 確かに、もう少し前の時点でショウタの力を借りていれば、ここまでドタバタせずに済んだのだろうか。石畳や、空家の崩壊だけではない。一般家屋のガラスや床、階段の手すりなど、壊してしまったものの数は多い。


「でも、私、今日だけは、ショウタに迷惑をかけたくなくて……」

「迷惑かけるのと頼るのは違いますからね? 僕だって男です。頼られたいんですからね?」

「はい……」

「おい、てめーら! 勝手に青春ゴッコしてんじゃねーよ! 夕暮れだからって大概にしろよな!」


 トウビョウに絡みつかれたサウンが叫ぶ。夕暮れ? と思って空を見上げると、確かにもう、日が沈みかけている。時間が経つのはあっという間だ。


「あー、この王都でも、夕日はキレイですねぇー……」


 ショウタがのんびりした声でつぶやくのを聞いて、アリアスフィリーゼはハッとした。


「しょ、ショウタ!」

「はい?」

「あの、まだ走れますか!?」

「えっ?」


 面食らったように、いつもの間の抜けた声を出すショウタ。彼は首をかしげながら答えた。


「まぁ、全速力は無理ですが……」

「ちょっと来てください。見せたいものがあるのです!」

「見せたいもの?」


 アリアスフィリーゼは、ぐいっとショウタの手を掴んで、引っ張り上げる。そのまま、彼の手を握って、大通りに向かって走り出した。トウビョウに巻き付かれたままのサウンが何やら叫んでいるのを、ショウタは少しばかり気にしていたが、すぐに姫騎士殿下へ向き直って尋ねる。


「見せたいものって、なんです? 殿下」

「あの、私の、たからものです」


 侍女たちとの綿密な作戦会議の中で、出たフレーズのひとつだ。ショウタに、自分の大切なものを見せる。

 ほかの誰にだって見せたことがないものだ。ショウタが気に入るかわからない。これを見せて、彼が機嫌を直してくれるかわからない。でも、アリアスフィリーゼはどうしても、彼にそれを見せておきたかった。


 この、握った手を離されない限りは。


 アリアスフィリーゼの漠然とした不安を読み取ったのだろうか。ショウタの細い指先は、弱い握力ながらも、懸命に彼女の手を握り返してきた。

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