第9話 姫騎士殿下のたからもの(中編)
姫騎士殿下が馬車を出せと言えば、馬車が出る。ああ、お姫様だなあ、と思う。
ショウタもこの一ヶ月、王都の中をふらついたことはほとんどない。王都デルオダートはそこそこ広い街であって、下手に出歩けば迷子は必至だ。そもそもショウタはインドア派であり、王宮の中でも退屈をしのぐことは十分にできていた。
馬車の窓にはカーテンが閉められている。そっとめくって外を眺めてみると、馬車はちょうど貴族街を越え、市民街に出るところだった。ふたつの街は小さな壁で仕切られ、門には警邏騎士隊の詰め所があった。
貴族街の静けさに比べると、市民街の活気は目覚ましい。バザー会場へはまだ遠いが、料亭や商店などがそこかしこに並び、人の往来がよく見られる。彼らは、貴族街から出てきた馬車を眺め、そこに掲げられた紋章が、黄金に彩られた剣と盾を主軸とした王家のもの(天剣護紋と言うらしい)であると気づく。珍しいものを見るかのような視線に変わって、馬車を見送っていた。
綺麗に舗装された石畳の道路を、ぱっかぱっかと馬車が行く。
ショウタが王都を眺めて最初に驚いたのは、その用水路の多さだ。内陸国でありながら生活水が豊富であり、そしていずれの水も綺麗に濾過されている。表にはなっていないが、下水設備もしっかり完備されているのには驚いた。
王国の北方に連なるゼルガ山脈にはダムがあり、そこから放水される水がトドグラード用水路として王国の各地に流れていることは知っていたが、それを実感する機会はあまりない。そういえば、先日訪れたばかりのメイルオの村も、用水路から引いた水で村を囲っていたと、ショウタはようやく思い出していた。
「帝国より派遣されてこの地に領土を築いたグランデルドオ騎士大公は、もともと土木大公と言われるほど、公共工事のノウハウが豊富であったそうです」
「ガテン系の大公だったんですね」
アリアスフィリーゼの説明に、ショウタは自分の言葉で勝手に納得していた。
「ところでショウタ」
「なんでしょう」
最近、ショウタもわかってきたことであるのだが、姫騎士殿下の『ところでショウタ』は、大抵ろくでもない話題の前触れである。
姫騎士殿下の、大きな翠玉色の瞳で見つめられれば、馬車という狭い空間の中に、今はショウタと殿下の二人きりであるという、なるべく思考から遠ざけようとしていた事実がいやがおうでも想起される。ショウタは手の中に変な汗をかき始めていた。
「他に私にお願いしたいことは、何もないのですか?」
「ま、またその話ですか……?」
「こうした機会は、滅多にあるものではありませんよ?」
どうやら、アリアスフィリーゼは、日頃ショウタにかけて回っている苦労のことを思い、今日ばかりは自分がショウタのわがままを聞く側に回ろう、と決心したらしい。そのお心がけ自体はたいへん立派で、恐れ多く、ありがたいものではあったが。
あったが、
あったが、いざ『なんでも言うことを聞く』と言われると困ってしまうのもショウタだ。
なんでも、とは、本当になんでも聞いてくれるのだろうか? 例えば、今すぐお召し物をめくりあげて、この狭い馬車のなかで、その無駄肉が一切なくつるつるとしたおなかを、一日中人差し指でぷにぷにさせてほしいとお願いしたら、果たして姫騎士殿下は従ってくれるのだろうか?
おそらく、くれるだろう。だからまかり間違ってもそんなことを言い出してはならないのである。
ただ、姫騎士殿下はやはり妙なところで頑固であって、こちらが『ない』と言っても、『本当ですか?』『何かあるでしょう?』『私になんでもわがままを言っていいんですよ?』などと確認をとってくるのである。
放っておけば、しまいに『今日の私はショウタの奴隷ですよ?』と、言い出しかねない雰囲気であったし、ショウタはショウタでおなかをぷにぷにさせて欲しいという欲求をいつまで制御できるか怪しいところであって、この攻勢にはほとほと参っているのであった。
「じゃあ、殿下」
ショウタは、自分の理性が正しく機能している内に、そう言った。
「はい、ショウタ」
揺れる馬車の中で、ドレス姿のアリアスフィリーゼがずいと顔を寄せる。
ショウタは寄せられた分だけ顔を下げようとしたのだが、壁が邪魔して下がれなかった。馬車が急な大揺れを起こして、顔と顔の接触事故に発展する前に、この距離感を解除しなければならなかった。
「いや、あのですね。そう、今日は殿下、あまり暴れないでくださいね」
「おとなしく、ですか?」
「はい。ウッスアさんに怒られそうなこと、しないでくださいね?」
姫騎士殿下はその言葉を受け、しばし真剣に意味を吟味していたが、やがてその表情のまま静かに頷いた。
「わかりました」
「あいた」
おでこがゴチンと接触した。アリアスフィリーゼは身体を引き、椅子に改めて深く座り直す。
姫騎士殿下は、馬車に揺られながらも背筋をきちんと伸ばして、右の拳をぐっと握り胸元にやった。脇に置かれていた剣を、馬車の床につきたて、左手で柄を抑える。
「姫騎士アリアスフィリーゼの名に誓って、私は、」
「そこまで重く考えなくてもいいんですけど!」
「わかりました。とにかく、ウッスアに怒られそうなことはしません。ショウタのお願いを、ちゃんと遂行します」
「はい、お願いします」
ひとまず、〝お願い〟の落としどころとしてはこんなものだろう。今日一日だけでも、姫騎士殿下におとなしくしてもらえるなら、それは結構なことである。ましてや、今日の殿下はアイカ・ノクターンなどという怪しげな貧乏貴族の三女などではない。天剣護紋を掲げた、正真正銘の王族騎士アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオだ。一挙手一投足に、きちんと注意してもらわねばならない。
「ショウタ、夕方には一度バザーを出ようと思うのですが、構いませんか?」
「それはその、構いませんけど。殿下のご予定ですか?」
「それはまあ、はい。そのようなものです」
アリアスフィリーゼ姫騎士殿下と言えば、常に竹を割ったような回答しかしないものだと考えていたから、彼女が視線を逸らしてごにょごにょと口ごもった時には、ショウタもいささか驚いた。
姫騎士殿下は、視線とともに話題まで逸らしたかったのか、空中を睨みながらこうのたまう。
「とにかくショウタ、もうすぐバザーですよ」
「外も眺めないで、わかるものなんですか?」
「騎士のカンです」
「あはは、まっさかー」
そのまさかであった。
王都デルオダート市民街の中央広場に、ずらりと並ぶテント。その全てが、大陸商会ギルドの出張露店である。
「おお、すごい……」
ショウタはそれを目の当たりにしたとき、思わずそのように漏らしていた。
なにせ、まずはその人の数である。ショウタがこのグランデルドオ騎士王国を訪れて以来、これほどまでの人ごみというものを、見たことがなかった。故郷の人ごみには、あまりいい思い出がないショウタだが(鉄道による輸送の最中、おしりを触られたことすらある!)、こうして見ると、また違った感慨を伴う。
王宮の中ではあまり見られない、エルフやドワーフ、獣人、珍しいところではリザードマンやマーマンなどといった人種が、多種多様に行き来している。王都に暮らす人間の大半が、そもそもヒト族であって、こうした亜人の大半は商会ギルドのエージェント、バザーの主催側であるらしいのだが、そうであったとしても、この光景は圧巻だ。
「ショウタ、そんなに珍しいのですか?」
後ろで、くすり、と殿下が笑うのがわかった。
「いやあ、エルフって本当に耳が尖ってて、ドワーフって本当に背が低くてひげもじゃなんですねぇ……」
「エルフやドワーフでしたら、我が国にもそれなりに住んでいますよ。今度、集落へご案内しましょうか?」
「うーん、こうしてみんながゴチャゴチャしているから感動的なのであって、全員エルフやドワーフだったりしたら、それはそれで感動がない気がしますねぇ」
そもそも、ショウタがこのバザーに来てみたい、と思ったのも、大陸商会ギルドの多様な人種が様々な露店を開くと、ウッスアの本で読んだからだ。故郷を遠く離れてこの地を訪れ、ようやく順応してきたショウタだったが、リザードマンや獣人はもちろんのこと、エルフやドワーフだってナマで見たことがなかったのだ。興味を惹かれたのである。
「ではショウタ、せっかくなので中へ行きましょう。エスコートいたします」
心なしか殿下の声も弾んでいる。どうやら、心を躍らせているのは、ショウタの方だけではない様子だ。
広場の片隅には馬車を停めるスペースがある。大陸商会ギルドが主催するこのバザーは、輸入物に関しても特例的に関税が低く設けられており、掘り出し物を探しに訪れる貴族街の人間も多いのだ。ただ、王家御用達の馬車は、そうした貴族たちのものと比べても、やはり数段豪奢で、立派であった。
バザー会場の隅を見渡せば、青い制服にポイントアーマーを身につけた、軽装の騎士たちが巡回している。王都の警邏騎士隊だ。バザー会場の中を練り歩いている貴族の婦人たちにも、やはり騎士がついている。
「中は楽しそうですけど、ちょっと物々しい感じもしますね」
「基本的に王都は治安のいい場所ですが、このバザーは外部の人間を一斉に招き入れるので、同時に不埒ものも侵入しやすいのです。人ごみは危険でもありますから、多くの貴族は護衛をつけます」
「でも、殿下はつけてないですよね?」
そう、馬車も御者がついていただけで、姫騎士殿下には護衛がいない。ショウタとアリアスフィリーゼの、二人きりである。周囲に近衛騎士のひとりやふたりでもいれば、やたらと短めに詰めてくる殿下の距離を意識しなくて済むのだが、ふたりっきりなのである。
「基本、グランデルドオ王家の人間は、王族であると同時に騎士です。守られる側ではなく守る側であり、エスコートされる側ではなくエスコートする側ですので、本人が断れば護衛の騎士はつきません。もちろん、本人の実力と、危険度を鑑みての話にはなりますが」
聞けばすらすらと出てくる、殿下の知識量の頼もしさであった。ただ、話の内容は、ショウタとしてそこまで面白いものではない。
「僕は騎士ではないので、守られる側になっちゃうんですか?」
「そうですね。ショウタは私が守りますので、ご心配なく」
姫騎士殿下はにこりと笑い、ショウタの手を取った。薄手のグローブには手甲の意匠が施されていたが、殿下のややひんやりとした体温はしっかりと伝わり、ショウタの脳幹を大いに揺さぶる。
「早く行きましょう。せっかくバザーに来たのですから、露店を見なくてどうします?」
「露店は見ますが、手を引く必要がありますか?」
「必要がなければ、引いてはいけないのですか?」
疑問符乱れ打ちであった。
ともあれ、幼少時より男らしくないだのナヨナヨしてるだの散々言われ続けたショウタにも最後のプライドは残っている。女性に手を引かれ人ごみを歩くのは非常に格好がつかない。ただ、殿下から差し出された手を振り払うのはいかがなものかと思い、手はつないだまま、やや大股になって横に並ぶ。結果として、ショウタとアリアスフィリーゼは、手をつないだまま人ごみの中を歩くことになった。
これはこれで、何か違う気がした。
「殿下、僕と手をつないで歩いているところを見つかったら、ゴシップになりませんか……?」
甲冑の意匠に施された天剣護紋を眺めて、ショウタが呟く。
「騎士が貴婦人をエスコートするのに手を引くのは当然なので、ゴシップにはなりません」
「僕は男ですが」
「ものの例えです」
ものの例えで貴婦人扱いされては、ショウタのプライドも立つ瀬がない。
「おや、姫騎士殿下。お久しぶりです」
バザー会場を歩いていると、途中、いくつかのテントからそのように声がかかる。
「ごきげんよう。お久しぶりです、ザーレス」
「こうして、商会のバザーに顔を出していただくのも、久しぶりですな」
体毛をたっぷりとたくわえた、毛むくじゃらの獣人が、しゃがれた声で言った。ショウタが、殿下の顔を覗き込むように尋ねる。
「お知り合いですか?」
「私が子供の頃から、毎週このバザーに出入りしている商会ギルドのエージェントです」
「どうも。宮廷魔法士殿ですな」
「ああ、はい。いえ。そんな感じのアレです」
本物の魔法士でないショウタは、知らない相手にその肩書きを出されると、どうにも萎縮してしまう。
ザーレスの露店には、怪しげなお香がたくさん並べられていた。立ち上る煙の芳香は、本来どれもかぐわしいものであるはずだが、全てが混ざり合ってえらいことになってしまっている。ショウタは、引きつった笑顔で鼻を抑え、ちょっぴり後ずさった。空いた手を握る殿下の力が強く、それ以上は下がれないが。
「ザーレス、スタッカートはいますか?」
「スタック隊長ならほら、奥のテントです。挨拶していきますかい」
ザーレスが指さした先に、ひときわ大きなテントがある。バザーの管理運営を取り仕切る、商隊長のテントだ。見れば、その中には黒い鱗で全身を覆った大柄なリザードマンが腰をかけ、ソロバンを弾いている姿が目撃できた。太く鋭利な指先で、器用なものだ。
「あの……ヒトも、お知り合いですか?」
リザードマンをヒトと表現することに、ショウタは一瞬の躊躇があった。
「スタッカートは、騎士王国に滞留する武装商団のリーダーです。普段は東のランクルス運河要塞にいるんですが、毎週風曜日には、こうしてバザーを開くためにここへ来るんです」
「へー……」
殿下の話では、大陸商会ギルドは、こうした武装商団をいくつも持っており、各国の輸出入における調整を行う。ただし、野盗や魔獣などに対する自衛手段として設けられた彼らの武力も、近年においてあまりに肥大化しすぎたため、実は国内への進入を許される例は多くない。
騎士王国においても彼らの滞留が許されているのは、国境線に存在するランクルス運河要塞までであって、そこから先へ進むには武器を置いていかねばならないのだという。
姫騎士殿下の説明は簡潔であり、ウッスア宰相の本を必死で読み解いた時間は、なんだったのかと思うほどであった。
「せっかくですから、話を聞いてみますか?」
「えっと、はい」
「結構、ではいきましょう」
殿下は、ショウタの手をぐいと引っ張る。ああ、結局またエスコートされているなあ、と、ショウタは思った。
奥のテントに近づくにつれ、アリアスフィリーゼに声を駆ける商人の数は増えていく。
「アリアスフィリーゼ殿下、どうでしょう。帝都で流行の反物でございます」
「こちら、北の大陸から海をわたってまいりました、巨鱗象のアイボリーにございまして」
「飛竜のジャーキーなどをお召し上りになられたことは?」
「そのへんの川で拾ったカッコイイ石ころにございます」
「サンドワームの皮を使いました、こちら頑丈なレザー素材でございます」
「渾身の詩を書き綴った色紙です」
国境を越え、こちらにわたってきた商会ギルドのエージェント達である。その商魂はたくましい。エルフだろうがドワーフだろうが獣人だろうがリザードマンだろうが、あるいは男女の別、年齢の別など一切関係なく、それぞれが己の推す商品をアリアスフィリーゼ姫騎士殿下につきつけてくる。
殿下は、ひとつひとつに対して丁寧な応対を見せていた。もちろん、彼女とてのべつ幕なしに財布の口を緩める散財家ではない。テントから飛び出してきた商人たちは、殿下の口から、なかなか決定的な一言を引き出せない。
ただでさえ騒がしい周囲が、さらに喧騒を増す。ショウタはここにいたってなお呑気に手をつないでいるつもりにはなれず、やや気まずそうに手を離した。殿下の指先が、やや名残惜しそうに空を彷徨う。
「なんだ、アリアスフィリーゼが来てるのか」
バザー会場に重厚な声が響いて、商人の人垣がさっと割れた。
見れば、先ほどの大柄なリザードマンが、巨大なソロバンを片手に、のそのそとこちらへ歩いてくるところだった。近づいてきて初めてわかったが、黒い鱗には傷が目立ち、またこのトカゲ男自体片目を潰され、隻眼である。商人というより、重戦士といった趣のある姿である。
「お久しぶりです、スタッカート」
「かなり長い間、顔を見せなかったな。今日は突然どうした?」
「今日はショウタがバザーを見たいというので、連れてきました」
そう言ってアリアスフィリーゼは片手をショウタに向ける。また腕を引っ張るのかと身構えたが、手を向け、紹介するだけに終わった。
「ふうん……」
リザードマンのスタッカートは、ショウタを値踏みするようにじろじろと眺める。ショウタは妙な居心地の悪さを感じてたじろいだ。しばしのち、スタッカートは言う。
「商品価値は、中の上……ってところか」
「なんの話ですか!?」
「よかったですね、ショウタ。私も中の上なんです!」
「仮にも王族に対してその評価は酷いんじゃないですか!?」
スタッカートの話では、姫騎士殿下は子供のころ、毎週このバザーによく出入りしていたらしい。当時は当然剣の腕も未熟であったため、個人での外出は認められず、常に彼女の師匠である騎士剣聖ゼンガー・クレセドランが、護衛についていた。
ただ、その護衛の目をくぐり抜け、ちょっとした隙にいなくなってしまうのが、当時の姫殿下の困ったところであったという。商人に紛れて不埒ものが出入りするこのバザー会場で、こともあろうに王族が迷子になってはことだ。捜索には、スタッカートもよく駆り出されたらしい。
殿下の商品価値は、殿下本人の容姿や才覚、身分などに、ぽんこつであることを加味して中の上だが、おおよそスタッカートはこの頃には、そのようにアタリをつけていたという。当時は、まよいご殿下などと言われていて、気がつけば、王都市民街の中心部にそびえる大聖堂のてっぺんで、ひとり泣いているところが発見されたりしたらしい。
「当時から、こう、ふらっといなくなる方だったんですね……」
「スタッカート、訂正があります。私は、泣いてなんかいませんでしたよ?」
アリアスフィリーゼは、彼女にしては珍しく不満のある声でそう言った。
「それに、私もバザーの運営には貢献しました。窃盗犯が出たときには、私もその成敗に協力いたしましたでしょう?」
「そうだよ。おかげで貴重な巨鱗象のアイボリーが10本ダメになっちまった」
どうやら、思い出話の理解には、両者の間にだいぶ相違があるらしい。どちらが正しいかは、まあ、推して知るべしだ。当然、両者の言葉はそれなりに真実なのだろうとは、ショウタも思うが。
子供のころから、殿下は割と変わっていないとは、ウッスア宰相の弁であったか。スタッカートの話を聞く限り、それは真実だなとショウタも思う。ふらっといなくなる挙動の読めなさも、目の前の悪漢を許しておけない義侠心も、ついでに、うっかりやりすぎて致命的な損害を出したり予想外の方向へ結果を導いたりするぽんこつエフェクトも、どうやら子供の頃からあまり変わっていないらしい。
となると、アリアスフィリーゼのまっすぐな部分も、ときおり見せる妙に子供じみた部分も、やはり本来彼女が持つ無邪気さの延長なのだろうか。
ショウタは、自分の手を握ったり開いたりしながら、姫騎士殿下のひんやりした手の感触を思い出す。気まずさから手を離したとき、寂しそうに空を彷徨った彼女の指先も、ショウタは見ていた。
「ショウタ、むずかしい顔をしてどうしました?」
その姫騎士殿下が、こちらの顔を覗き込んでいるのに気づいて、ショウタははっと意識を戻す。
「あっ、ああいえ。殿下も子供の頃からお変わりないんだなあ、と!」
「みなそのように言うのですが、私だって日々成長をしていますよ?」
アリアスフィリーゼは唇を尖らせたが、すぐにまた他の露店を指差して言った。
「せっかくですから、もっと食材のあるエリアでも見に行きませんか? ショウタ、お料理が好きでしょう?」
「好きってほどじゃないですけど、でも、食材にはちょっと興味があります」
「でしょう? じゃあ行きましょう」
行きましょう、と言いながら、にこりと笑いながら、しかしアリアスフィリーゼは今度もショウタの手を引かない。ショウタを先導すべく背中を向けた彼女の金髪が、ふわりと風になびくのを、複雑な気持ちで眺めていた、その時、
バザー会場のどこかから、悲鳴が上がった。姫騎士殿下が、ハッと振り返る。
「どっ、ドロボーよォーっ!」
遅れて、そんな悲鳴が聞こえた。
「また出たか」
スタッカートが眉をひそめながら言う。ショウタが尋ね返した。
「また、ですか?」
「珍しいものが集まるバザーだからな。よくあるんだよ。俺たちもふん縛りに行きたいが、武装商団のメンバーは王都内で武力を行使することを禁じられていてな」
黒鱗のリザードマンは、肩をすくめる。
「ほうっておいても、王都の警邏騎士隊は有能だからな。すぐに捕まえてくれる。風物詩みたいなもんだ」
見れば、貴族の婦人らしき女性が、地面に腕を付きながら手を伸ばしているところだった。黒い服に身を包んだ数人の男たちが、婦人の買った袋を持って逃げていく。護衛の騎士はどうした、と思って視線を巡らせれば、どうやら婦人の真後ろで大きなたんこぶを作り、転がっている男がそうらしい。
果たしてスタッカートの言葉通り、青制服を着た警邏騎士隊が、すぐさま窃盗犯を追いかけてバザー会場をあとにしていた。会場に残った騎士隊のメンバーは、賊が中央広場に落としていった混乱の種を沈めるべく、全員に落ち着くよう呼びかけている。
「あっ、アタクシの買った石が! アタクシの買ったカッコイイ石がっ!」
被害にあったマダムは、警邏騎士に肩を貸され、立ち上がりながらも、悲痛な叫びをあげている。
そうだ、姫騎士殿下は、と思って後ろを振り返ると、意外なことにアリアスフィリーゼ姫騎士殿下はまだそこにいた。彼女の性格なら、すぐにでも剣を構え、駆け出していそうなものだったが。どうしたことだろう。
そのように思考していたショウタだが、原因にはすぐに思い当たった。
約束だからだ。お願いだからだ。
ショウタが暴れないように、ウッスアに怒られるようなことをしないようにと、頼んでしまったからだ。おそらく、アリアスフィリーゼ殿下も、賊を追い掛け、成敗し、貴婦人の買った石を取り返してあげたいに違いない。
だが、彼女は律儀にも、ショウタのお願いを守っていた。唇を噛み、じっとマダムを見つめている。貴族の婦人は、恥も外聞もなく警邏騎士に泣きついて、彼を困惑させていた。
「あの、殿下?」
「なんでしょう」
ショウタが尋ねると、姫騎士殿下は彼に視線を向ける。
「助けに行きたいんですよね?」
「ですが、ショウタとの約束は絶対です。今日はショウタのお願いを絶対聞くと、決めたんです」
拳をぐっと握って、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は言った。
「今までショウタにお願いを聞いてきてもらいましたから。今日だけは」
こうなると、彼女も頑固だ。
ショウタは今までアリアスフィリーゼから受けてきた〝お願い〟を思い出す。やれ、悪党を成敗しに行きましょうだの、橋を直しに行きましょうだの。どれもこれも一筋縄ではいかない〝お願い〟ばかりで、大層骨を折ったのは、まあ、事実である。認める。
ただ、それが、嫌であったかというと、
ショウタは今一度、自分の手を眺め、握ったり開いたりを繰り返した。
「殿下、」
「はい」
「今日は、僕の言うこと、なんでも聞いてくれるんですよね?」
「はい? ……はい」
アリアスフィリーゼは、きょとんとした顔になる。なぜ今更そんなことを確認するのだろう、と言いたげな表情だ。
ショウタは、真横に座り込む黒鱗のリザードマン、スタッカートの視線がある中でそのようなことをするのは、非常に緊張したが、ひとまず姫騎士殿下がぐっと握った拳を拾い、まるで殿下がいつもそうするかのように、両手でぎゅっと包み込むと、殿下の顔を正面から見据えてこう言った。
「姫騎士殿下、悪党を成敗しに行きましょう」