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第8話 姫騎士殿下のたからもの(前編)

急遽ねじ込むことになったデート回

 アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ姫騎士殿下の、朝は早い。


 その時の体調や気分にもよるが、明朝5時頃はいったん起床して、こっそり寝室を抜け出した後、1時間半から2時間ほど、軽めの鍛錬に勤しむ。あまり汗の出にくいもの。筋トレや素振り、型の稽古などが大半だ。それでも、終わる頃には身体も火照り、夏場であれば頭から水を被ったようになってしまう。

 7時すぎ、殿下はまたもこっそり寝室に戻って汗を拭き、何事もなかったかのようにベッドに潜り込む。公的な記録では、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下の一日が始まるのは、ここからだ。


 7時半頃になると、侍女長が殿下の寝室に入り、起床の時間を告げる。侍女長の合図で、洗顔係や理髪係、衣装係が続いて入ってきて、姫騎士殿下の朝支度を整えるのだ。ここ最近は、〝寝汗がひどい〟殿下のために、ここに身体を拭く係が加わった。

 朝支度役の侍女たちは非常に優秀であるので、アリアスフィリーゼは原則されるがままに任せている。顔を洗われ、髪を洗われ、『失礼いたします』の言葉に服を脱がされ肌着を脱がされ、高級な木綿の布で身体中を拭かれる。このあたりは本当にくすぐったくて変な声が漏れそうになるが、我慢である。

 衣装係の持ってきた新しい肌着を着、更には王宮内で過ごすためのドレスに袖を通す。衣装係のゴリミは、王宮付きのメイドの中では唯一、ところどころの甲冑状アクセサリーが超重量を持つ、姫騎士殿下のドレスを持ち上げられることができるマッスル乙女であった。

 最後、理髪係と共に今日の髪型を確認して、椅子に腰掛けた姫騎士殿下の髪を整えたり、爪を整えたり、お耳を掃除したりといった簡単な身だしなみを見る時間になる。


 この時間になると、王宮内を行き来する人間の中でも、騎士王や姫騎士にその顔を認められたもののみが、王族の寝室に入り、朝の挨拶をすることが許される。

 アリアスフィリーゼの場合、執政に関わることの少ない姫騎士であるため、意見の陳情に訪れる貴族騎士ノブレス伝統騎士トラディションというものは、そう多くない。どちらかといえば、彼女に興味を持った貴族の息子などが、しばしば顔を見せに来る程度であって、そんなモノ好きも今となってはあまり多くない。


 ともあれ、姫騎士殿下の起床の儀はこのように執り行われる。アリアスフィリーゼが〝姫〟であるために、この程度で済んでいるものの、これが騎士王になるとまた面倒くさい。

 王にはこのあと〝大朝礼の儀〟なるものが控えていて、多くの貴族騎士ノブレス伝統騎士トラディションのが参列する。当然、アリアスフィリーゼにも参列の権利と義務はあったのだが、セプテトール騎士王の体調がすぐれないここ1年ほどは、大朝礼の儀もおやすみだ。


 起床の儀を済ませる頃には、アリアスフィリーゼは侍女長なり、もっとも仲のいいメイドなり(この場合はゴリミだ)に、その日の予定の希望などを伝える。朝食を誰ととりたいか、などを伝えるのもこの時だ。侍女たちは、厨房の配膳係や、殿下が会食を希望する人物の部屋などに向かい、その旨を伝達する。朝食の支度ができるまで、姫騎士殿下は、室内に残った侍女たちとのんびり会話を楽しむ。


「姫様、今日は魔法士様と朝食をご一緒になさいませんの?」

「はい。その代わり、今日はたくさんショウタと遊ぶ予定です」

「まあ、素敵。どのようなことをして?」

「実は、そこが悩みどころなのです」


 姫騎士殿下は、ピカピカに磨かれた己の爪をひとしきり眺めた後、白い顎に手をやって考え込む仕草を見せた。


「ショウタの故郷では、遊びの手段が豊富であると聞きました。私たちが知っているような遊びでは、かえって彼を退屈させるだけではないのか、と……」


 宮廷魔法士であるショウタ・ホウリンについて、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下が執心なされているというのは、王宮侍女達の間ではそれなりに有名だった。

 この執心というのが、恋心に類するものであるのかどうか、というのは、彼女たちのゴシップ魂の前ではそれなりに些細である。妄想ロマンスの余地さえあれば、それで良いのだ。だいたい、騎士剣聖マイスターゼンガーより月鋼式戦術騎士道タクティカルナイトアームズと月鋼式剣術を習って以降、一層たくましくなられた姫騎士殿下なのだ。コイゴコロなる乙女チックなモノを、持っているかどうか、いささか怪しい。


「魔法士様も、姫様とご一緒のときはそれなりに楽しそうですし、あまり難しくお考えになることも、ないのでは?」

「そうでしょうか?」


 だが、アリアスフィリーゼの言葉は懐疑的である。


「ショウタは、ときどき迷惑そうな顔をしているように思います」


 それを聞いて、侍女たちは思わず顔を見合わせ、そして次に噴き出してしまった。


「何か?」


 姫騎士殿下の声に不愉快そうな色はない。


「い、いえ。姫様もそんなことを気になさるんだなって……」

「私も人の子です。彼を嫌な気分にさせているのであれば、平然とはできません」

「まあ、それは存じ上げておりますけど」


 アリアスフィリーゼは、よくショウタを連れ出して、連れ回す。ショウタがそれで迷惑そうな顔をしているかと言えば、まあ、している。侍女たちから見る限り、あの魔法士の少年は時おりズレた発言はするものの、良識をしっかりわきまえているだけあって、姫騎士殿下の破天荒な言動に振り回されがちだ。結果として、迷惑そうな顔をする。

 ただそれだけがショウタ・ホウリンの真意であるかと言えば、そんなことはないはずだ。アリアスフィリーゼの〝お願い〟を、ショウタは常に快諾するし、彼女を邪険に扱ったことなど、端から見る限り一度もない。


 で、あるにも関わらず、ショウタの反応を見て気を遣うなど、実に殿下らしくない話で、微笑ましいというか、面白いというか。


「とにかくです。私も、ショウタに迷惑をかけっぱなしな自覚はありますので、たまには、こう、彼が楽しくなるようなことをしてあげたいな、と」

「そんなに御自覚があるのなら、恐れながら、魔法士様を遊びに誘わない方が良いのでは?」


 侍女の一人がそう口にしたのは、ほんの悪戯ごころのようなものだったが、それを聞いた瞬間、姫騎士殿下は稲妻に撃たれたかのように全身を跳ねさせた。衝撃を受けたように目を見開き、震える声でおずおずと口にする。


「それが彼の為になるのなら……そう、致しますが……」


 次第に、翠玉を思わせるアリアスフィリーゼの瞳、その目尻にじんわりと涙が浮かび始める。


「そっ、その方がっ……私がいない方が、ショウタが喜ぶのならっ……」

「うっ、嘘です! 嘘です、姫様!」

「魔法士様も姫様に誘われたいと思ってますから!」

「だから泣かないでください、ねっ?」


 周囲の侍女たちは慌てて取り繕う。とうとう姫騎士殿下の瞳からは、ビー玉サイズの涙が、ぽろぽろこぼれ落ちる始末であった。肩がわずかに震えている。

 なきむし殿下であった。


「ううっ……ぐすっ、そう、でしょうか……」

「そうですっ! そうです、姫様!」

「魔法士様も姫様のことが大好きですから!」

「お涙をお拭きいたします、ねっ?」


 侍女たちがアリアスフィリーゼの目元を拭き、殿下もしばらくして涙を止める。

 どうやら侍女の意地悪が、彼女にはとても寂しい想像をさせてしまったらしい。このことについては当人も反省しきりの様子であった。まさか、あの一言でここまで動揺なさるとは思わなかったのである。もともと、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、言動の読みにくい人物ではあったが、感情のスイッチは未だにどこにあるのかわからない。


 さて、殿下の涙を拭き終わる頃には、厨房所属の配膳係が台車に殿下の朝食を載せて運んでくる。銀の皿に載せられた冷製スープとパン、サラダに卵といった簡単なものだ。

 配膳係は、殿下の泣きはらした目元に気づいてギョッとしたが、特に何も言わず彼女の前に机を用意するとクロスを敷き、やはり銀のフォークとスプーンを置き、ひとつひとつ素早く、しかし丁寧に配膳していく。最後に、メニューの内容と今日の献立担当、調理担当の名前を告げ、その全てが書かれた書簡をそっと机に置いてから、一礼して退室する。


「では、いただきます」


 ぱん、と手を合わせて、アリアスフィリーゼが言う。


「姫様、最近、〝それ〟をよくなさいますね」

「ショウタに教えてもらったのです。命をいただくので、食材に感謝をしなさいと」


 帝都などでは、食前に神に祈りを捧げたりするものだが、この騎士王国にはそういった儀式や習慣の類がない。むろん、帝国と同じく、神聖ガルシア法教が国教として定められているグランデルドオだが、国全体の傾向としては、さほど信仰に熱心ではない。かつてここは、帝国の西を守護する最前線地帯であり、食事は常にゆっくりできるものではなかった。食前に祈りを捧げる習慣は、その当時廃れたのだと言われている。


 アリアスフィリーゼは、初めてショウタと食卓を囲んだとき、彼が見せたそのような仕草とその由来にいたく感心した記憶がある、と語った。考えてみれば当然のことであるし、命への感謝は常にしてきたつもりだが、それを口に出したことは、思えば一度もない。

 ゆえに、姫騎士殿下は、以降も食前の『いただきます』を、自らの習慣とした。生真面目なのである。


 やがて食事が済む。アリアスフィリーゼは口元をナプキンで拭き『たいへん美味しゅうございました』と残す。侍女たちが『では、調理係にはそのように言付けておきます』と言うまでが、一連の流れだ。


「しかし、ショウタとどう遊ぶかは決まらないままですね……。午前の公務中に考えておかないと」

「魔法士様のご希望を聞いてみればいいのでは?」

「それでは私が誘う意味がありません……」

「そうでしょうか?」


 やや年長のメイドは、聖母のような微笑みを浮かべて、姫騎士殿下の前にかしずく。視線の高さをやや低くし、殿下の顔を覗き込むようにしながら、続きを言った。


「魔法士様も、姫様がご自分のわがままを聞いて下さるとあれば、きっと喜びますよ。それに、そう。姫様の宝物のひとつでも、ご覧にいれてさしあげては、どうでしょうか」

「私の、たからもの、ですか……。ふむ……」


 アリアスフィリーゼは顎に手をやって、しばらく考え込むように目を閉じる。これは父娘揃っての癖だった。


「魔法士様は、姫様がお好きで付き合ってらっしゃると思いますが、実はそんなに姫様のことをご存知ないのではないでしょうか。いろいろ、お話をされてみては?」

「ふむ……」


 姫騎士殿下はその言葉が染み込むのを待つように、もう一度そう呟いた。

 しばらく後、彼女は目を開いた。目の前でかしずく侍女に対して、にこりと微笑むと、こう言ったのである。


「考えてみます。ありがとう」





 宮廷魔法士ショウタ・ホウリンの朝は、そんなに早くない。


 なにしろこの城には、朝目を覚ましてくれる装置というものが存在しない。件の手鏡を使えば済む話ではあるのだが、いちいち〝力〟を発動してエネルギーを補填するのが非常に面倒くさい。単なる力場ではなく、電気エネルギーという形に変換するのも面倒であれば、エネルギーの充填に適した電圧、電流に調整するのも、また面倒で、非常に脳を疲弊させるのだ。


 なので、起きる時間に起きる。それが、王宮内に設置されている数少ない時計を確認する限りでは、だいたい朝の7時すぎから8時前ほどだ。魔法文化の未発達なこの国では、〝宮廷魔法士〟の私生活に干渉する人間は、そんなに多くない。わざわざ朝起こしに来るような者はいないのだ。

 いや、1人いた。アリアスフィリーゼ姫騎士殿下である。彼女はときおり、勝手にショウタの寝室に侵入して、たたき起こしてまで〝お願い〟をしてくることがある。これがけっこうこたえる。何にこたえるかというと、精神にだ。思春期の健康的な青少年男子であるショウタの朝は非常にデリケートであって、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、そのデリケートな部分にもずかずかと踏み入って、毛布をひっぺがすのだから、たまらない。先日の、フラクターゼ伯爵領メイルオでの一件も、そうであった。


 ま、ウッスア宰相のキツいおしかりが効いて、当分はああした無茶もないだろうと思えば、ショウタの朝も気楽なものである。

 のんびりと起きて、のんびりと水場に向かい、のんびりと顔を洗って、歯を磨き、厨房に向かう。

 そこかしこには近衛騎士が昼夜を問わず見張りに立っており、彼らへの挨拶は欠かさない。この時間になると、王都の貴族街に暮らす王宮文官などが出勤してきて、ショウタは彼らとも挨拶を交わす。

 この一ヶ月でわかってきたこととして、王宮内に住まいを持ち、暮らすことができるのは凄まじいステータスであったということが挙げられる。出勤途中の貴族たちは、ショウタにおべんちゃらを言い、自らの有能性、有用性をアピールしてくることがしばしばあった。増してショウタは、宮廷魔法士という王国唯一の肩書きを持つ身だ。先日、騎士王陛下やウッスア宰相から聞かされて話を思えば、彼ら貴族の熱心さにも納得がいってしまう。


「魔法士殿、聞きましたよ。殿下と共にフラクターゼ伯の悪行を成敗なされたそうですな」

「えっ、いやあ、あはは」

「魔法士殿の聡明な頭脳は、さぞ姫騎士殿下のお役に立たれたことでしょう。日頃の研究はあまり思わしくないようですが、メイルオには有用な魔法鉱石もあるようですから、資料的にも有益だったのでは?」

「ま、まぁそんなところですよ。えへへ」


 実際ショウタは魔法を使えるわけでも魔法の研究をしているわけでもないので、このあたりはテキトーに流すしかない。

 貴族たちを適当にあしらい、朝食を摂るため厨房へ向かう足を再開させる。だがショウタは、大廊下の物陰から〝にゅっ〟と姿を見せた侍女の姿に、また足を止めなければならなかった。


「魔法士様っ」

「うわあっ」


 驚いてしまったのは、いきなり声をかけられたからであって、声をかけてきたメイドがショウタの身長を50セルチメーティアセンチメートルほども上回る、マッスル乙女だったからではない。断じてない。


「あ、え、っと。殿下のお付のメイドさんの」

「ゴリミです」


 むくつけき肉体を持つ侍女が、その体躯に似合わぬ可愛らしいソプラノボイスで答えた。


「魔法士様、姫様が午後、お時間を取れないかとおっしゃっております。いかがでしょうか」

「殿下が? 午後? えっと、僕と?」


 なんだろう、と思い首を傾げるも、ショウタはとりたてて用事があるわけではない。原則、暇なのだ。

 加えて、騎士王陛下やウッスア宰相より、極力姫騎士殿下と行動を共にするよう仰せつかっている。なので、首肯には1も2もなかった。


「時間くらいぜんぜん空けられますけど、なんでしょう。この前言ってた学校の件かな」

「その件は殿下から直接おっしゃられるそうです。じゃ、時間空けといてくださいね。絶対ですよ!」


 びしり、とソーセージほどもある野太い指をショウタにつきつけて、マッスルメイドのゴリミちゃんは、とてとてどしどしと廊下を走り戻っていく。途中で、『廊下を走るな!』というウッスア・タマゲッタラの一喝と『ふええ、ごめんなさぁ~い』という、ゴリミちゃんのかわいい声が聞こえた。


 また、何か問題を持ち込んで来るのだろうか。それはそれで、構わないのだけど。

 故郷を離れての生活で、なんとか正気を保っていられるのは、取り乱す暇もないほどに押し付けられる、姫騎士殿下からの諸問題のおかげだ。たった一ヶ月と言えばそうだが、アリアスフィリーゼがショウタにしてきた〝お願い〟の数は、総計でも20をくだらない。


 『悪党を成敗しに行きましょう』であったり、『壊れた橋を直しにいきましょう』であったり、

 おおかた、彼女の正義感に端を発しているのがほとんどだ。


 アリアスフィリーゼは正義感に溢れ、騎士道に殉じる実直な女性である。

 そのいささかファンタジーにすぎたメンタリティは、平和ボケしたショウタからして理解できないものがいくらかあったが、清々しいほどに清廉であらんとする彼女の生き様には、ほんのちょっぴり憧れる。

 姫騎士殿下が美人であり、胸が大きいという事実を差し引いても、ショウタがおそらく彼女の〝お願い〟を断れないだろうなと感じるのは、そうした理由からだ。


 ただ、


 ショウタは厨房へと向かう道すがら、考える。


 ただ、その正義感に溢れ、騎士道に殉じる姿だけが、姫騎士殿下の本性であるかというと、そうではないように思う。彼女はときおり、えらく子供っぽい癇癪を持て余すし、その割に年下であるショウタに対してお姉さんぶって接しようとしているときがあったりで、その多面性をいまいち掴みきれない。


 考えてみれば、自分はアリアスフィリーゼ姫騎士殿下のことを、まったく知らないなぁ、と、ショウタは思った。


「おや、魔法士殿。おはようございます」


 厨房に到着して真っ先に、ショウタに声をかけてきたのは、先ほど廊下でゴリミを叱りつけた宰相ウッスア・タマゲッタラである。


「あ、おはようございます。宰相さんも朝食ですか?」

「ああ、いえ、私は配膳係に、陛下のお食事をお持ちするよう伝えにきただけでして。私の朝食は、あとでゆっくりといただきます」

「たいへんなんですねぇ」


 厨房の隣には大きな食堂間が存在するが、こちらは基本、晩餐でのみ使用される。朝食と昼食は前日の希望に沿って人数分作られ、それを各々の部屋に持ち寄って食べられる。王族や高級貴族の場合は、それぞれの召使などを遣わせ、配膳係に部屋まで持ってこさせるのが常となっていた。


「姫騎士殿下の配膳にいってきまーす」


 配膳係のひとりが、台車を押しながら侍女長と共に厨房を出て行く。その背中を見送りながら、ショウタは口を開いた。


「宰相さん、殿下のことなんですけど」

「なんでしょうか。また問題でも起こしましたかな」

「いえ、まだですけど」


 ウッスアのあまりにも軽い口ぶりから、それが本気なのか冗談なのかさっぱりわからない。


「殿下って、どんな方なんですか?」

「ほう」


 厨房の配膳係に片手で合図をしながら、宰相ウッスアはショウタに振り向き、目を細めた。


「あんな方ですよ、というような答えを期待してるわけでは……ありませんな。〝どんな方〟とは……」

「例えば子供の頃とか?」


 ショウタも、厨房の中に手を振って、自分の分の朝食を用意してもらうよう伝える。配膳用の台車が2台整うまで、ショウタとウッスアは並んで待った。


「まあ、昔からあのようなお方でしたな。生真面目で実直、剣技や勉学において非の打ち所はありませんが、真面目がすぎて、いささか空回りすることが多かったように思います」

「なんか想像できちゃいますね」

「むろん、年相応の子供らしさもありましたが、スケールが違いましたな。ああ見えて、殿下も無邪気なところはあって、そこも変わっていないと思いますが」


 ウッスアはどこか昔を懐かしむような遠い目をして、言った。


「正義や騎士道を愛するのも、そうした真面目さと無邪気さの延長のようなものです。いささか潔癖で夢想家というか、理想家なきらいはありまして、いずれ騎士王として君臨される際は、そこは少し直していただかなければならない……。ま、当分先のこととは存じますが」


 そのあたりで、厨房の奥から元気な声がこちらへ届く。


「宰相閣下! 魔法士殿! ご朝食の支度ができました!」

「うむ! では陛下の部屋へ頼む! ……とまぁ、こんな具合ですが、ご参考になりましたかな?」

「なったような、ならないような、です」


 申し訳なさそうに本心を告げると、ウッスア宰相は破顔した。


「それは失礼。まあ、なんですかな。私にとっての殿下と、魔法士殿にとっての殿下は、また違います。これから長いお付き合いをお願いすることになりますので、徐々に見えてくるものもございましょう。では、私はこれで」


 宰相は配膳係を率いて、厨房をあとにする。

 彼の言うとおりだな、とショウタは少し思った。殿下のことをよく知るなら、殿下と話して、触れ合って、直接知るしかない。ウッスア宰相の言葉を受けて、それを鵜呑みにしたって、そのインスタント情報は自分が殿下に対して抱いた感情とは別のものなのだ。


「魔法士殿、魔法士殿のご朝食はこっちに置いときますよ」

「あ、はい。ありがとうございます」

「今度、あの甘い卵焼きの作り方教えてくださいよ」

「わかりました。時間があれば是非」


 魔法の話題よりは料理の話題の方が、ショウタも食いつきやすい。にこりと笑って、配膳係や調理係たちに再度礼を言うと、ショウタは台車を押して廊下を戻った。





 アリアスフィリーゼ姫騎士殿下は、午前中は政務に励まれる。昼過ぎ頃に昼食をとり、ようやく解放される。

 王族の政務というのはだいたい午前中で終わり、午後は自由に過ごす。殿下はあくまでも王女であり、王に比べて午前のスケジュールも融通が利くのだが、この日アリアスフィリーゼは、素直に政務を片付けていた。


 ショウタは同じ頃、やはり昼食をとり、王宮の中庭で宰相より借り受けた書物に目を通していた。この国が使用している言語は、まったく覚えがないはずのものであったが、なぜか読むのに苦労はしなかった。このあたりは、別に〝力〟を使用しているわけではないので、不思議な感覚がある。

 書物は王国の歴史や地理、行事などについて書かれたものだ。今後、姫騎士殿下のそばで色々な手伝いをする上で、いつまでも無知なままではいけない、と思って借り受けてみた結果だが、これがなかなか長ったらしくわかりにくい文章であり、全くと言っていいほど身に入ってこない。


 今にして思えば、もう少しまともな勉強手段があったのではないか、と思った時だ。


「ショウタ!」


 妙に弾んだ声が聞こえたので、ショウタは顔をあげる。


 アリアスフィリーゼ・レ・グランデルドオ姫騎士殿下が、まさしくそこに立っていた。甲冑状の意匠が施された青いドレスに、結えられた金髪。いつもの〝お願い〟の時に着込んでくるような、超重量の全身鎧ではない。

 ショウタはやや困惑しながらも、きちんと一礼をした。


「お疲れ様です、姫騎士殿下。御政務の方は?」

「終わりました。なぜかウッスアがいつもより優しくて、早めに解放してくれました」

「不思議なことがあるもんですねぇ」


 改めて、ショウタは殿下の装いを見る。物々しい意匠がしつらえられてはいるものの、公務用の服とも違う、外出用のドレスであるように思えた。澄み渡る空のような色合いが、非常にオシャレだ。

 殿下は、ショウタの持っている本を覗き込みながら、こう尋ねた。


「あの、ショウタ」

「なんでしょう」

「ショウタは、私がいない方が、気楽だったりしますか?」

「はっ!?」


 予想だにしない質問を投げかけられたので、ショウタは驚いてしまう。


「今まで何度もご迷惑をかけてきたでしょう? だから、その……」

「そ、そんなことないですから。大丈夫です。大丈夫ですよ?」

「そうですか! よかった!」


 いちおう、本心からの言葉である。ショウタとしても、ここに嘘はない、はずだ。それを伝えると、アリアスフィリーゼは憑き物がとれたような顔でにっこりと笑った。


「やはり本人に確認をしないと不安で仕方がなかったのです」

「誰に何を言われたか知らないですけど、殿下がいなかったら、僕寂しくてしょうがないと思いますよ」

「私もです。ところでショウタ、そちらのお本、お勉強ですか?」


 姫騎士殿下は改めてショウタの本を指差す。彼は気まずそうな笑顔を浮かべて、頭を掻いた。


「はい、まあ……。読んでも、よくわからないんですけど」

「私が教えてあげましょうか?」

「いや、殿下にそこまでしていただくわけには……。あ、でも殿下」


 ショウタは消極的な言葉を漏らしながらも、ちょうど開いていたページを、アリアスフィリーゼに対して見せる。そこにはちょうど、気になるというか、ほかと比べて読解に苦労しなかっただけというか、そうした内容が書かれていた。


「この、王都のバザーなんですけど。確か、今日は開催日ですよね」

「ああ、商会ギルド主催のバザーですね。はい、毎週風曜日は、一日中です。行ってみますか?」

「え、いいんですか?」


 まさか彼女からそのような言葉を切り出してくるとは思わず、ショウタは思わず聞き返してしまう。


「でも、僕にご用があって、ここにいらしたんでしょう?」

「はい。そのご用を、今から済ませにいくところです」

「んん?」


 いまいち、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下のおっしゃることが、よくわからない。


「馬車を用意させます。ショウタ、一緒にバザーを見に行きましょう。他に、何か見たいものはありますか?」


 ひょっとして、


 ショウタは思った。


 ひょっとして、これがその御用なのか。ショウタの行きたい場所、見たい場所に、彼を連れて行くのが。ようやく気づく。〝お願い〟ではない。いつも〝お願い〟を聞いてもらっているショウタに、今度はアリアスフィリーゼが〝お願い〟を聞く番であると、つまりそういうことだ。

 しかも、こんなにめかしこんで、二人で外出となると、これは世間一般で言うところの、


 いや、よそう。

 ショウタは、脳裏をよぎる下世話な単語ゴミ箱に叩き込んだ。何が世間一般か。この世界の世間一般に、自分の常識を押し付けてはならないというのに。

 そもそも、プリンセス・アリアスフィリーゼの御厚意を、下心で汚してはならないわけである。ならないわけである。断じてこれは、そう、〝デート〟などというものでは、ない。


 心臓が空気を読まずにドキドキしているのは、まあ、その。


「んー、その都度その都度、考えてみます」


 辛うじて平静を装い、殿下の質問に対してはそのように答える。ちょうど、今朝かわした宰相ウッスアの言葉が脳裏に蘇る。


『私にとっての殿下と、魔法士殿にとっての殿下は、また違います。これから長いお付き合いをお願いすることになりますので、徐々に見えてくるものもございましょう』


 これは、アリアスフィリーゼ姫騎士殿下がどういった方であるのか知る、ちょうどいい機会なのではないか。


「ではショウタ、今日は私は、ショウタの言うことをなんでも聞きますよ!」

「そーゆーことは、迂闊に口走らないように!」


 いつもよりも弾む声で、とんでもないことを口にした殿下を、ショウタは大声でたしなめた。

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