彼女の正体
「いやあ、勘違いさせて申し訳ない」
指で目元をぬぐいながら少女が言った。散々笑って、ようやく落ち着いたようだ。そんな彼女に勧められて、彩那と莉緒はテーブル席についている。向かいには彼女と縄で拘束された坂元が並んで座っていた。改めて見ても、この並びはどう考えても誘拐一歩手前だ。縄の存在がようやく犯罪ではないと教えてくれる。
「いや、久しぶりの休みで寝てたところを突然部屋に押し入って拘束して連れ去るのって犯罪だからな」
坂元が首を前に突き出して、悪い姿勢でアイスティのストローを咥えている。ぶくぶくと空気を吹き込んでマナーまで悪い。どうやら言葉どおりの事をされて、かつ寝不足で不機嫌らしい。
「まあ、許せ。私も久しぶりに一日空いてテンションが上がっていたんだ」
「酒飲みの理屈と一緒じゃねえか。酔ってりゃ何しても良いってのか?」
「安心しろ。次の日に記憶を無くすわけじゃない。ちゃんと覚えているとも。お前が慌てふためく様を、しっかりとな」
「なおタチ悪いな」
「あの・・・」
おずおずと莉緒が挙手しながら声をかける。あまりに息の合った二人の掛け合いに終わりが見えなかったためだ。割って入らなければ、延々このやり取りが続く気がした。
「これは、その、どういう状況でしょうか?」
「見たまんまだ。人の部屋の合い鍵を勝手に作ってたこの女が、いきなり乗り込んできて徹夜明けの僕を拉致して連れまわしている」
「人聞きの悪い。彼女が彼氏の顔を見に来て、何が悪い」
彩那と莉緒が固まった。
「・・・あのな、お前まだそんなことボホォッ!」
再び、彩那の拳が坂元の頬を打ち抜いた。
「やっぱ犯罪じゃないの! こんないたいけな少女に彼氏とか呼ばせてるなんて!」
「パパじゃないだけマシだろが! 大体なあ、この女は僕と同い年だ! いたいけなんて言葉とは程遠い存在だよ! 当てはまるとしたら狡猾とか強かだ!」
「はあ? 嘘つくならもっとマシな嘘つきなさいよ!」
「いや、本当だ」
笑いを噛み殺し、また目に涙を浮かべて、少女が言った。
「私とこいつは小さい頃からの知り合い、いわゆる幼馴染というやつだ。ほら」
少女が財布から一枚のカードを取り出した。普通免許だ。彩那と莉緒が首をキリンのように伸ばして除き込む。
「鷹ヶ峰十六夜、さん・・・二十、七歳・・・?」
「ああ、立派なアラサーだ」
つやつやぷるるんとした卵肌の少女、十六夜が、少し自慢げに胸を逸らした。
「もしかして」
莉緒が呟く。
「違ってたらすみません。もしかして、『あちら』関係の方ですか?」
あちら、つまり魔術や宇宙や別世界の住人であれば、この見た目も納得が行く。彼女が訓練施設で会った人の中には、百歳越え二百歳越えがいた。それだけ長命ならば、二十、三十など幼少期みたいなものだろう。
「確かに私は関係者だが、一応普通の人間だ。・・・というかだな。手鹿君は直接会っていないからまだ分かるが、比良坂君、君は私と一度会っているはずだが、覚えていないか?」
尋ねられ、彩那は記憶を探る。こんな二十七歳を忘れるとは思えない。色んな意味で印象が強すぎるからだ。ただ、年齢を今初めて知ったとしたら。年齢を知らないままで姿だけを見た事があるとしたら話は変わってくる。
相手が覚えていると言う事は、すれ違っただけ、ということではない。言葉を交わしている。けれど、どこで? 学生であろうと、同年代、同学年でもなければ話すことなどあまりない。違う年齢層と話した事が家族以外でこれまでにあっただろうか。
「もしかして」
依頼でもプライベートでもなく、ただ一度だけ。それも、あまり良い思い出の場所とはいえないが、確かにその場所で少女と言葉を交わしていた。
「あの、裁判所みたいなところで?」
「そうだ。まあ、あそこは他にもっとインパクトの強い連中がゴロゴロいたからな。普通の人間の印象などすぐに薄れてしまうのは仕方がない」
そう、彩那の裁定を申し渡した少女こそ、目の前にいる十六夜本人だった。
「そうか、私に有罪をつきつけた人か」
分かってしまったら分かってしまったで、今度は別の意味で身構える。彩那からすれば裁判官と有罪にされた被告の立場だ。仕方ない反応だろう。
「そう身構えるな。判決は下り、君はこいつのもとで順調に更生している。私から君に何か危害を加えるつもりもなければ、敵対する意思もないし、むしろ仲良くしたいと思っている」
「そうは言われても、いきなりは無理でしょう、心情的に。そうそう流せるものではないと思いますけど?」
どうしても、突き放したような物言いになるが、十六夜は気にしない。心情は仕方ない、と苦笑して彼女の態度を受け入れる。
「じゃあ、徐々に慣れてくれ。あの世界に関わり続ける限り、私とは少なからず接点を持つことになる」
「どういう意味ですか?」
「・・・辰真」
十六夜が非難めいた目を坂元に向けた。
「私の事を何も説明していないのか?」
「してないな。そういえば。本来は最初に僕の元に来た時に話すつもりだったんだが、反抗的で聞く耳を持たなかった。だから、必要最低限の事しか説明してない。どうすれば自由になるかだけだ。そっからは忘れてた。特に必要とは思えなかったしな」
すっとぼけた調子で坂元は答えた。ありえそうな話だが、嘘だ、と十六夜は感じた。本当のところは、自分と妹を会わせたくなかったのではないか。それは、おそらく彼の気遣いだ。先程の話のように、自分を今の状況に追いやった張本人と出会えば、その時の恨みが再燃するとでも考えたのだろう。そんなことをしても、出会うときは出会う。今日のように。それを分かっていながら、彼は自分からどれほど小さな脅威でも遠ざけようとする。神経質なほどだ。この前の囮を引き受けた件もそうだ。十六夜に上がってきた報告書にはこちらの世界に対して危険思想を持つ集団に対処した、という極めて簡潔な内容しか書かれていなかった。囮捜査をしていたなんて一言も書かれていない。
「まったく・・・」
色んな意味を含めたため息が漏れる。
「では改めて、自己紹介をさせてもらおう。私は鷹ヶ峰十六夜。二十七歳。通常は百貨店に勤務している」
「百貨店というと、そこのひよこですか?」
未だに憮然とした表情の彩那に代わり、周りの空気を読んで莉緒が質問を返す。この近隣にある百貨店と言えば、何でも揃うが謳い文句のひよこ百貨店だ。全国で最も有名な百貨店と言っても過言ではない。
「まあ、そうだな」
「へえー、どのフロアですか? 遊びに行っても良いですか?」
「あ、いや、すまない。販売員じゃないんだ。事務、裏方だ」
坂元が噴いた。
「いやお前裏方って」
「裏方は、裏方だ。表に出ないのだから。間違っちゃいないだろう?」
「いや、出てるだろ。企業の顔として」
「企業の、顔・・・?」
良くわかってない莉緒は首を傾げ、どういう意味か思案し、まさか、という顔で目を見開いた。
「まさか、嘘でしょ? 鷹ヶ峰って、そういうこと?!」
ひよこ百貨店を運営する企業はT-Corp。この国、いや、世界でも有数の大財閥『鷹ヶ峰』傘下の企業だ。つまり、目の前にいる彼女こそ鷹ヶ峰家の一人、世界有数の企業家、経営者、権力者なのだ。莉緒が驚くのも無理はない。確かに坂元の言う通り、通常であればお近づきどころか、目にする事もないほどの超VIPだった。
「え、ちょっと待って、待ってください」
手を額に当てて、莉緒は思考を続ける。その超VIPが、なぜ坂元といるのか。彼女はなんと言った? そう『彼氏の顔を見に来た』と言ったのだ。つまり、つまりだ。導き出せる答えは一つ。
「逆玉やん・・・めっちゃ勝ち組やん」
驚きのあまりなぜか口調が訛ってしまったが、そういうことだ。