我が身に巣食うもの
我が目を疑う、とはまさにこのことだ。
部室で寝落ちして、そのままこんな時間まで眠ってしまった。原因はわかってる。ここ数日原稿が進まず、悩み悩んでまともに眠れてないせいだ。急いで帰り支度をして、部室に鍵をかける。廊下を早足で歩きながら携帯を取り出し、SNSにログイン。文芸部の仲間になぜ起こしてくれなかったのかと苦情を入れると、全員から起こしましたと反撃を食らう。あの手この手で起こそうと画策したらしいが、全く起きる気配がなかったらしい。
「そりゃすまんかったね」
携帯をカバンにしまい、下駄箱で靴を履き替える。履き替えている途中、向かいの下駄箱で物音がした。一年生の方だ。小柄な影が、玄関からドアを開けて出て行く。自分の他にも仲間に置いてかれた部員がいたのかねと妙なシンパシーを感じ、一分後には頭から消えていた。人間、自分のことが最優先。思ったこと、感じたことなんて時間の経過と共にすぐに頭の隅に追いやられ、掃き出されて忘却の渦の中に消えて行く。お、このフレーズは使えるか?
靴を履き替えて、同じように外に出る。大分薄暗い。暖かくなってはきたが、夏の明るさにはほど遠い。春の薄闇の中、駅に向かう。校門を出て、真っ直ぐ歩いていると、同じ制服の後ろ姿が目についた。さっきの生徒だろうか。別段おかしくはない。生徒の大多数は駅に向かうこの通りを使う。彼女も同じ、それだけだ。それだけで終わる話のはずだったのだ。彼女の後ろに、突如男たちが現れなければ。
「え?」
驚く間もない。男の一人が、バットを振り上げた。野球部員だって持ち運びにはケースに入れる。ケース外にあるってことは使用するってことで、それを振り上げるってことはつまり
目の前で、想像通りの、最悪の状況が展開された。振り上げられた拳は振り下ろすしかないと誰が言ったか。振り上げられたバットは前にいた生徒に向けて振り下ろされた。驚き過ぎると声も出ないというのは本当だ。息を飲み過ぎて吐き出すことを忘れてしまう。
鈍い音がして、生徒が崩れ落ちる。男たちは倒れた生徒を担ぎ上げ、横道に入っていった。女を連れ込んで何をするつもりだ。ハード系のエロ漫画によくある、現実ではあってはいけない展開が莉緒の脳内に浮かんだ。
「け、警察、警察に電話しないと・・・」
焦りと汗で携帯を取り出し、一一〇を押し、発信・・・が押せない。緊急の場合警察に即通報というのが市民の義務だが、実際にその状況に陥ると、意外と連絡できない。もしかしたら間違いかも、間違い電話は迷惑がられる、などという小市民的な臆病風に吹かれてしまう。
「じょ、状況を確認してから、間違いなければ・・・」
それからでも大丈夫のはず、などと、経験したことのない状況のくせにどこからそんな勘が働いたのか。とにかく莉緒はすぐに通報できなかった。男たちの後を追い、路地裏に入って行く。
物音を立てないように注意して、息すらも抑えて、彼女は奥に進んだ。
「・・・放してっ」
「うるせえなあ」
「もう破っちまえよ。早くしろ」
進む方向から男たちの声が聞こえる。興奮と荒い息遣いが莉緒の想像を悪い方へと追いやる。路地の行き止まり、ビルとビルに囲まれた街中のデッドスポット。そこに三人の人間がいた。中心にいるのは、同じ学び舎に通う生徒。カッターシャツが無残にも破られ、下着と白い素肌が見えている。体をよじって抵抗しているが、いかんせん二人掛かりで押さえ込まれてしまえばどうすることもできない。男の一人が彼女の細い腰の上に馬乗りになり、もう一人が腕を抑え込んでいる。
目に映る映像のあまりの衝撃に、莉緒はよろけた。その拍子にこれまで注意して抑えていたものおとを立ててしまう。弾かれたように、男たちの目が莉緒に向いた。
「何だお前」
何だと聞かれても、驚きと恐怖とその他諸々のせいでうまく口が動かない。
「今いいところなんだ。邪魔しないでもらえるか」
それとも、と馬乗りになっていた男が立ち上がった。
「一緒に楽しんでくか?」
その瞬間、莉緒の脳内ではあまりに色んなことが起こり過ぎて、変なスイッチが入った。いや、変なスイッチは彼女にもともと備わっていた。そう、漫画脳だ。漫画を描いているときの彼女は完全にキャラクターになりきる。キャラクターと共に泣き、笑い、怒る。これまで彼女が描いてきたキャラクターたちが、今度は彼女に教えてくれた。彼女に、勇気の出し方を。
「その子から離れて」
携帯の画面を男に突きつける。すでに発信ボタンは押され、通話中になっている。
「警察に連絡したわ。もうすぐここに到着する」
ハッタリをかました。通話ボタンを押したのは今さっきで、場所も何も話していない。オペレーターは返答のない相手に戸惑っているに違いない。
「てめえ」
生徒の腕を抑えていた男も立ち上がり、莉緒に詰め寄った。だが彼女は焦らない。彼女の作ったキャラクターたちは、この程度のピンチで焦ることもなければ冷や汗一滴かかないからだ。
「あなたが怒ろうがどうしようが、現在進行中の現実は変えようがない。スメラギ女子大附属の近くなんていう通報しやすい場所だから連絡するのも簡単だったわ。通報で一番困るのは現場がどこかわからないってことらしいから」
さりげなく現住所を通報する。オペレーターの勘が良ければ勘付いてくれるだろうと期待して。
「後五分もすればパトカーが到着する。それともタイムアタックでもする? あなた方は五分もかからずイっちゃうのかな? まあ、それなら女襲うのも納得よ。独り善がりで自分の欲望を満たすためだけに腰振って、しかも早いとなると、誰だって愛想つかして寄ってこないわ」
怒りに顔を歪める二人だが、彼女の言っていることを理解していないわけでもない。顔を見合わせ、小声で相談する。早く諦めて、どっか行け、行っちまえ。表情一つ変えず、心の中で莉緒は祈り続ける。彼らの決断までに有した時間は一分もなかった。けれど、莉緒にとっては何時間にも感じられた。
男二人の表情が変わった。彼らは莉緒の後ろに視線を向けていた。
「危ない! 逃げて!」
生徒が叫んだ。何が危ないのか
ゴッ
息が止まった。殴られるとはこういうことかと変な感心をしてしまう。体から力が抜け、息もできず、ただただ痛い。ガシャン、と携帯が手から滑り落ちた。
「何、誰? コイツ」
莉緒の後ろからもう一人が現れた。仲間がいたのか。目の前に集中し過ぎて全く気づかなかった。
「なんか、警察呼んだとかなんとか言って粋がってたけど、無駄だから」
倒れている莉緒の頭上に、新手の仲間がバカにしたように言葉を吐きかける。
「俺ら、VIPなの。警察のお偉いさんとかと仲良いんだよ。だから、全然平気。捕まってもすぐに解放されちゃう。罪にならないの。わかる? アンダスタン?」
そして男はしゃがみこみ、莉緒の髪をぐいと掴み上げた。頭が、首が痛いのに、苦し過ぎて悲鳴さえあげられない。
「調子乗んなよブス。てめえこそ五分もかけずにヒイヒイ言わせてやるよ。本当の快楽ってやつを教えてやる」
荒っぽく手が放され、額を強かに打ち付けられた。風邪以外の頭痛を味わいながら、ある噂を思い出した。この近辺で何件もの暴力事件や婦女暴行事件が発生してるのに、一向に犯人が捕まらないのは、権力者が犯人だから、という。そんなフィクションの世界みたいな話本当かと半信半疑だったが、現実に莉緒の前に現れた。
これから何をされるのかと想像するだけで泣きたいくらい怖くて、悔しかった。漫画の中なら、主人公がこの程度の連中に遅れをとることなんかありえない。連中みたいな醜い輩をバッサバッサと成敗してしまう。なのに現実はどうだ。悪党は捕まりもせずにのさばっている。許せない。許せるものか。平気な顔で弱者を痛めつけて笑っているような悪党も、そんな連中を擁護する社会も。
何より、今の状況を後悔している自分が情けない。助けに来なければよかったなんて考えている自分が、頭のどっかにいる。こんな目に遭ってるのは、連れ去られる生徒を見たせいだとどこかで責任を押し付けようとしている自分がいる。最悪だ。最低だ。こんなキャラクターどこにもいない。いたとしてもすぐに死ぬような、嫌悪感だけ与えて主人公にやられて読者にスカッとしてもらうためだけにいるような、そんなクズに自分がなっているのが悔しくてならない。
「い、やだ」
空気に触れるとすぐに消えてしまった言葉だが、今の自分の心境を一番に表していた。
嫌だ。こんなクソみたいな展開、最悪だ。とんだ鬱々モードだ。嫌ミスのカテゴリーだってこんな話の応募は願い下げだろう。誰だって読みたくないような話、破棄だ。くしゃくしゃに丸めて、ゴミ箱にホールイン、燃えるゴミの日にポイしてやる。
「なんだ?」
莉緒を見て、男が笑った。
「何睨んでやがる。お前、自分の立場わかってんのか? ぶち殺すぞ」
どうにもならないなら、せめて。せめて意思だけは屈服しない。苦しい体は我慢して、決め台詞だ。
「うるさい。クズ野郎。お前なんか、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱にポイだ」
「は? お前、何言って・・・」
そして男は莉緒の前から忽然と消えた。
「・・・え?」
何が起きた。意気揚々と話していた男が、目の前から消えた。代わりに、後ろにいた残り二人の視線が莉緒でも、生徒でもない方向を向いている。莉緒も同じ方向に目を向けた。
コンクリートに、人間が埋まっていた。
ギャグ漫画でよくある光景だが、実際に目にするとホラーでしかない。くの字に体を折り曲げ、男の腰が尻からコンクリートに突き刺さっていてV字型を形成している。白目を剥いて、動かない。生きているのかも怪しい。都会のデッドスポットで、コンクリートを利用した斬新な生花ならぬ、生人? の完成だ。
・・・何で? 一体何が起きた?
さっぱり理解できない莉緒に、男二人の視線が戻る。いや、彼女に、じゃない。彼女の右腕だ。同じように視線を向ける。
「・・・はぁ?!」
ハイトーンが頭のてっぺんから突き抜けた。そこにはカッターシャツの袖を豪快に引きちぎった、変わり果てた自分の右腕があった。一子相伝の暗殺拳もかくやという見事な破れっぷりだ。
「な、何だお前、お前何だ!?」
残りの二人が怯えた様子で怒鳴るが、こっちだって訳がわからない。まさか、あの人間生花を作ったのは私だというのか?
混乱する莉緒に向けて、残った男二人は、仲間の仇でも討とうというのか、各々手にバットを持った。恐怖を打ち消すためか雄叫びをあげて、彼女に向かっていく。
「ダメ・・・こっちに来ないで!」
莉緒は叫んだ。未だに混乱中の頭ではあるが、ひとつわかっていることは、このままだと人間生花が二つ増えるということだけだ。
右腕が彼女の意思を無視して勝手に動く。巨大な手のひらを地面に叩きつけ、反動で本体を強制的に立ち上がらせる。その彼女に男たちがバットを振り下ろすが、巨大な腕が防ぎ、弾き返す。間抜けな万歳姿の男が二人出来上がった。彼女の右腕は無造作にそれを横薙ぎに払った。ガリガリとビルの側面が爪で削られていく。
「ああ、ああああ、ああああああああああっ!」
必死で左腕で右腕を抑えるが、祟り神の呪いでもかかったか右腕は目の前の憎しみを二人に叩きつける。一人はトラックに跳ね飛ばされたみたいに吹っ飛び、壁に叩きつけられた。もう一人は巨大な手のひらに握られたままだ。子供が人形を握って振り回すように、莉緒の右腕は男を握ったまま所狭しと暴れまわった。
ひとしきり暴れた後、満足したのか右腕は収まった。静まれ、俺の右腕、なんてどこの病気かと思うが、本当に静まってよかった。後に残るのは無残な傷跡と人間の生花と成れの果て二つ。
「だ、大丈夫、ですか?」
ぜいぜいと肩で息をする莉緒に、生徒が話しかけてきた。敗れたシャツの襟元を片手で抑えている。痛々しい見た目だが、立ち上がって歩けるくらいには無事だったようだ。
「お願い、今、私に近づかないで」
そんな彼女に左手を向けて押し留めた。今は収まっているが、何が引き金でまた動き出すかわからない。彼女まで怪我をさせるわけにはいかなかった。
「で、でも、苦しそう」
「大丈夫だから。本当に。それより、ここから離れましょ? 警察を呼んだのは本当だから」
その割には、サイレンが近づいて来る様子はないが。もしかしたら、男の言っていた『警察の仲のいいお偉いさん』が手を回したのかもしれない。幸いだ。事ここに至っては、この状況を見られて説明する方が厄介だ。
「私は、三年の手鹿莉緒。あなたは?」
ちょっとでも別の話をして意識を右腕から遠ざけたかった。
「あ、私は、一年の武見穂積です」
「武見さん、ね。よろしく。とりあえず、連絡先を交換しよっか。この事で色々と相談したいから」
続きを書かせて頂きました。
というか、本当の事を言えば、この話は前の話とはじめは一緒に掲載しようと思っておりました。
けれど長くなりすぎたのと、追加分を書き足してからにしようと思いなおし、話を分けて掲載することにいたしました。
二日続けて掲載できたのっていつ以来だろう?(遠い目)
さておき、ここまで読んでいただき本当にありがとうございます。
楽しんでいただければ幸いです。
またよろしければ、次回も遊びに来てください。
お待ちしております。
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よろしくお願い致します。