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二人が降り立った先は、風を受けて波のように揺れる黄金色の草原だった。
足元を埋める密生した草本は、根元は明るい緑に、上へ向かうに従って麦の穂に似た色に輝いて一面に広がっている。先端はぜんまいのように巻かれ、全て同じ方向を向いて風にそよいでいた。
その草原の所々に移動中の輿から垣間見た、くねくねと曲がった低木のような、あるいは蔦に似たものが生えていた。リューディアの背丈ほどの高さのその蔦の周りには小虫が無数に飛んでいる。
しかしよくよく見るとその小虫は薄羽を背に負った人の形をしていることがわかった。
小指の爪ほどしかない小さな妖精たちは、ちらちら瞬きながら枝分かれした蔦の先に宿った露を飲み、踊るように舞っていた。さらに耳を澄ませば軽やかな羽音と共に鈴音を転がすような明るい笑い声も聞こえてくる。
しばしその光景に目を奪われながらも、リューディアは顔を上げて周囲を見渡す。
目の前の草原も相当な広さがあるが、その先には豊かな森があり、さらに遠くに険しい山脈が顔を覗かせている。
妖精の郷は思ったよりも広大であった。
「どうしましょう」
パトリシアの体を抱きかかえ、そのあまりの軽さにリューディアは改めて胸を痛める。
周囲を眺めながら彼女は呟いていた。
今目にする限りではパトリシアの口に入れられそうなものはない。
蔦から滲み出る露を示してみたが、エルガも首を傾げるだけだ。
パトリシアの身を案じるあまりすぐにでも試したかったが、効果もわからぬものを摂らせるわけにはいかない。
蔦の周囲を盛んに飛び回る妖精たちに尋ねようと顔を近づけると、彼らはわっと散ってしまった。
「地道に探すしかないようね」
何の手がかりもなく、探すといってもどこを当たればいいのか見当もつかないが、とりあえず森へ向かって二人は進むことにする。
草原は目新しい光景だったが、森の方はエメラルドグリーンに煌めいている他はリューディアが馴染んでいたものとそう変わりはないように思える。
気になるのは豊かに茂ったその森の広大さだったが、目的のものが早く見つかることを祈るばかりだ。
そうやって、だがいくらも進まぬうちに。
不意にエルガが手を伸ばし、リューディアを静止させる。
尋ねるよりも先に、リューディアも異変に気づいた。
前方の蔦が大きくしなっている。
そよ風しか吹かぬ優しい草原で、その蔦だけが動いているのは妙だ。
小さな妖精たちのせいとも思われない。
間髪入れずに草がかき乱れる音がし、どさっという重い音が響く。
「リュリエヴィリア様」
エルガはリューディアを下がらせると、右手に光の槍を作り出した。
蔦の一部が斬られ、宙を舞った。
エルガではない。
それは森付近から現れ出てこちらへと近づいてきた。
斬られた蔦と共に数多の妖精たちが煌めきながら一斉に霧散する。
声が聞こえた。
きいきいと耳を突く甲高い悲鳴は、明らかな恐怖に彩られていた。
またどさっという音がし、あちこちで妖精たちが散る。
こちらに近づいてくるのは小さな動物のようだ。
そしてそれを追いかけているのは、灰色の皮膚を持ち醜悪な面相をした生物だった。
その奇怪な生物はリューディアの腰ほどしかない小人といった風情だが、吊り上った耳を持ち、その耳まで達するほど大きく裂けた口からは鋭い歯が覗いている。
ぐうぐうという得体の知れない声を出して手にした刀を振り回し、逃げまどう小さき者を追うことを楽しんでいる。
踏み潰そうとするかのように短い足を大仰に動かし、無意味に刀を高々と掲げては辺りの草をなぎ払う。
その度に相手は悲鳴をあげて逃げ回った。
詳しいことはわからないが、不穏な状況なのは確かだろう。
リューディアの合図を受けたエルガは頷くと進み出て、ちょうど真正面に飛び込んできた二つのうちの後者を槍で突いた。
それは刀を取り落とした。びくびくと体を震わせ、潰れた顔を苦悶に歪ませる。今度はこの生物が恐怖に捕らわれる番だった。
エルガが深々と刺さっていた槍を引き抜くと、耳障りな声で喚きながら一目散に逃げていった。
「肉体は貫けませんが」
エルガはリューディアの許に戻りながら言う。
「魂を傷つけるとでも言いましょうか。相手にとっては直に刃物を突きつけられたような感覚です。怖気づいて逃げ出さずにはいられなくなります」
肉体を持たないエルガとその武器では物理的な攻撃はできないが、精神には直接作用するというわけだ。
「大丈夫?」
槍を突きつけ警戒するエルガを押しとどめると、リューディアは頷いてみせた。
そして屈んで、足元ですっかり伸びてしまったそれに声をかける。
茶色のふさふさした毛に覆われたその小さき者は、しかし服を着ている。
リスのような尻尾がひくつき、ようやく顔を上げると潤んだ大きな瞳がリューディアを見つめてきた。
顔の周りの毛は薄いがそれでも柔らかい毛に包まれ、頭の上に生えた獣耳が小刻みに動いている。まんまるな黒い目とその顔つきは妙に人間に近い。
大きさはリューディアの片手に収まるほどしかなかった。
よほど恐ろしかったのだろう。
その小さな生物は口を開け忘我のままにリューディアを見上げていたが、やがてくしゃりと顔を歪めるとみるみるうちにつぶらな瞳を涙でいっぱいにする。
そしてそっと片手を差し伸べたリューディアに飛びついてぴいぴいと泣き出してしまった。
片腕にパトリシアを抱え、もう一方の腕にしがみつかれた格好となったリューディアは苦笑しながら、泣き続ける生物の背にそっと手を添える。
「なにやら厄介なことになりそうですね」
忌々しそうにその小さな背を睨みつけていたエルガはぼそりと呟いた。




