2-1
この先、一章の終わりまで多少中だるみするかもしれません。
あまり大きな展開がありませんです。
悪しからず……m(_ _)m
耳をくすぐる心地良い声が聞こえてくる。
なんだか聞いているだけで潤ってくるような錯覚を覚えるほど甘くて、何も考えずじっと聞き入っていたいと願ったけど、控えめながら体が揺すぶられ出したのでパトリシアは目を開いた。
「大丈夫?」
ぼやけた視界からは真っ先に眩しいという感覚だけが飛び込んできて、瞬きを繰り返し僅かにしか目を開けられない。太陽だと思ったものが輝きながらやんわり横に広がっていく。
目を眩ませたのは陽光に反射した薄い色の長髪だった。
なんとなく天国か極楽にでもいるような気がして意識がふわふわ飛んでいると、不意に濃い色が目の前に現れてびくりとした。
現実味を帯びたそれは気遣わしげに細められ、パトリシアを間近に見つめてくる。
頭の中身が急速に引き戻されて固まった感じがした。
今度こそパトリシアはばちりと目を開け、勢いよく半身を跳ね起こした。
「気が付いたのね。良かった」
覚醒したのは良かったけど、頭が現実に全くついてこない。
現実って何?これは現実なの?
パトリシアが捉えたのはひどく見覚えがある姿。
記憶の像と寸分違わずがっちりと合わさってしまい、認識の許容範囲を軽く飛び超える。
思考は完璧に漂白されて使い物にならなくなった。
否、記憶よりも絵よりもずっと麗しく。
生きて話す彼女がいる。
白亜の壁のような灰白色の髪と、落ちゆく日を乗せる紫紺の空を映したような瞳の。
緑溢れる森の中の美女。
にわかに激しく震えだしたパトリシアを、再び不安げに見やった彼女は何を思ったのかそうっと掻き抱いてきた。
あ、胸が……。
豊かに盛り上がった双丘のど真ん中に綺麗に顔が収まってしまった。
それに伴い、香水のものではない甘い香りが花の如く仄かに立ち匂う。
あまりに柔い乳房に両頬を優しく挟まれて、良い香りに包まれて、馬鹿馬鹿しいことに早急に何を考えるべきか忘れた上、体の震えさえも忘れてしまっていた。
抱き締められたのはほんの僅かだけで、はっとしたように腕を離した彼女はまだ眉を曇らせてパトリシアを見つめながらも何故だか距離を取ろうとしているようだった。
「寒い?具合が悪いの?」
抱き締められたとき彼女の体温がずいぶん低いような気がした。でもなんだか気持ち良くて……。
いや、そんなことは関係ない。
「ううん」
……あれ?今の、誰……?
「そう?でもあなたはここで倒れていたのよ。私の家で少し休みなさいな。それともお母さんがいる?迷子になっちゃったのかしら?」
ど、どうしてそんな子供に話しかけるみたいな口調?まさか、からかっている?
でも彼女は間違っても冗談を言う人には見えない。そもそもこんな状況下で冗談を言える人間がいたら神経を疑う。
それに心なしか目線が上の方にあるような気がする……。
パトリシアはなんだか首が痛かった。彼女は屈んで話しかけてきているというのに。
パトリシアは自分がまだ半身を起こしたままの体勢であることに気づいた。
立ち上がればいい。
立ち上がったはずなのに、パトリシアの目線は屈んだ彼女と変わらなかった。
「ぎっ!?」
「あっ大丈夫?どこか痛い?」
「いっ、いたくないっ。いたくな、い……け、ど……」
むしろ痛い方がよかったのかもしれない。
痛いのは体ではないことは確実だった。
見下ろす地面との距離が明らかに低い。
体の隅々を順に叩いてもすぐに終わってしまう。
足元に転がっている石は普通なら掌に収まる大きさだ。その隣に立つ自分の足は石とほぼ同じ。
そしてもみじのような手は石を掌に収めるどころか、おそらく両手じゃないと持てない。
呂律が回らない。
口が早く動かせない。
声が甲高過ぎる。
受け入れられるだけの限界をとうに過ぎていた心は音を立てて決壊し、口を割り迸ったのは誰が聞いても間違えようのない、幼児のただただ耳をつんざく大泣き声であった。