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異界の姫君  作者: Maverick
3章 冥府ニリヤ
43/52

1-3



…わかりにくかったらすみません…






※2014/7.26

ニリヤについての描写を加筆させていただきました。




 どれくらいの距離をどれほどの時間をかけて歩いてきたのか、もはや知る術もなかった。

 夜とは呼べぬ謎めいた黒の空間と、ただ望洋と光る石場の只中にあっては、同じ所を堂々巡りしている感覚すら覚える。

 ただ会話が一通り過ぎ、訪れた沈黙も気を揉むほど冗長なものではなかったから、思ったよりも長い距離を歩いてきたわけではないのかもしれなかった。



 沈黙はパトリシアの小さな叫び声で破られた。


「なにか見える……!」


 前方はまだ暗くその先を見通せることはできないが、パトリシアもリューディアも遠くに薄らと滲む光を見ることができた。

 濃く分厚い雲の奥から浮かび上がるかのような、巨大な光の柱だ。

 パトリシアはエッフェル塔やエンパイアステートビルを想像する。むろん、その光の高さから連想しただけで全体像を臨むには至らない。

 そして周囲においても、それまで滑らかな平面を保っていた石にこぶのように隆起したものが現れて進むごとに増えていく。

 隆起は徐々に大きくなり、その仄青い光と相まって鍾乳洞に生える氷柱のようだった。

 三人が進む道だけは平たい石のままだ。おかげで歪な彫刻と化した石たちの間を避ける必要はない。それでも道幅は狭いのでほぼ一列となって歩く。

 そして、まるで人が両腕を広げているような石に遭遇しパトリシアが愉快そうにそれを指差したときだ。

 すぐにそういった不思議な形の石があちこちに現れ始める。

 大小様々な石が万歳でもするような形で点在すると逆に気味が悪い。パトリシアは黙りこくり、リューディアにしがみついた。

「まるで木みたい……」

 進むにつれ石はどんどん変化する。

 リューディアが呟いたとき、単に二本の腕を掲げているだけだった石の柱は途中から枝分かれしていた。今度はもう木にしか見えなかった。

 石柱はより長く巨大になってリューディアの身長を超え始め、中心の柱より枝分かれした柱はより複雑で繊細に広がっていた。不完全で捉えどころのなかった形は、今や研ぎ澄まされた細工が施された彫像そのものだった。

 石の木はエルガをも超え、大木といえる姿にまで成長していた。葉や実を宿さぬ剣の如き鋭さをたたえた冬木となった。

 玲瓏たる輝きを秘めたそれは自然界では成し得ぬ造形美ながら、樹木そのものの優美さと雄大さとを兼ね備えている。だが脈々とした生の息吹はなく、どこか近寄りがたい。



「着きました」



 エルガの言葉も耳に入らぬほど、二人はすでにその圧倒的な存在に我を忘れていた。

 実のところ、この不思議な石の木々たちのことなど先程から完全に失念している。二人とも放心状態となってずっと見上げっぱなしだ。

 言葉もなかった。

 パトリシアはオーロラの国にやってきたのだと思った。


 黒の帳から徐々に現れ出た光の柱は、魂を抜かれるほど壮麗にして巨大だったのだ。


 滲むような薄ぼんやりした輪郭は進むにつれ星の輝きのようにはっきりとした存在を示し始め、石から生えた木がより大きく伸びた地点まで来る頃には視界が埋まってしまうほどに圧巻だった。

 ニリヤは今まで歩いてきた石のような優しい、それでいてもっと澄明な光を放った尖塔が幾つにも立ち並ぶ巨大な府だった。

 全てが鮮やかな色彩の光で包まれた世界なのに、少しも眩しいとは感じない。


 その林立する尖塔の中央に、二人の目を惹きつけて離さぬ廟がある。


 アーチを成した円錐型の塔で、アーチの中央には一本の柱が立っている。そこに蔓が緩やかに纏わるようにして螺旋階段が前後方から延びていた。

 平たい円盤にも似たものが塔の下方辺りにあり、そこから水が流れ落ちている。

 盆から溢れ出る水のようだったが、廟の大きさと高さからして近くから見たら滝のような激しさで落ちているのだろう。

 その上は柱が数本建ち、次階は四面あるアーチ状の梁、その上の階もまた柱で支えられている。

 塔の四分の一に当たる上階は、非常に繊細で緻密な飴細工か何かのような薄い水平の梁が幾重にも重なって尖塔を成している。その周りを頂上まで螺旋階段が取り巻いていたが、遠目からは滑らかに流れる絹衣のようだ。

 オーロラで出来た塔といってもあながち間違いではないかもしれない。

 廟の下方は深みがかった藍藤色で、そこから上に向かうにつれ明るい葡萄酒色に、そして尖塔辺りは雪下の淡紅色と、とにかく言葉で表せる以上の複雑な色合いを宿して透明に輝いていた。

 廟を取り巻く細い塔たちは大小様々で、塔と塔の間を螺旋階段がリボンのように繋いでいる。どの塔にも窓が不規則にたくさん並んでいて、その全てが闇に塗りつぶされ奥を透かし見ることはできない。しかし螺旋階段のほとんどは窓へと続いていた。

 小塔は概ね碧水色をしていたがやはり上方付近は色が薄くなり、中には淡い乳白色一色のものもあった。

 そして塔と塔の狭間、窓から窓へ、空中や地上などあらゆる場所を様々な色の光球オーブが行き来しているのであった。


「……?のわあっ」


 急にパトリシアが我に返り、変な声をあげて飛びすさる。

 今までただただ仰ぎ見るばかりで、エルガが立つその先の道に気づかなかったのだ。

 一同はニリヤへと続く曲がりくねった一本道の手前で佇んている。石の道はニリヤに向かっているが、あるのはその道だけだった。地面が一つの道を除いて完全に消え失せていたのだ。

 震えながら恐る恐る首を伸ばすと、底知れぬ広大な穴がぽっかりと開いている。

 そこへニリヤから絶えず流れ出ている水と、石場の間を転がる小川とが煌めきながら音もなく落ちていく。まるで穴が呑み込んでいるようだ。

「ブ、ブラックホールぅ?!」

「は?」

 エルガは取り付く島もなかった。

 エルガが立ち止まっていなければ知らずに進んでしまったかもしれないと思うとぞっとするが、淵に沿って石の木が生えており、わざわざすり抜けない限りは落ちる心配はなさそうだ。

 とはいえ一本道を見るだに道幅が広いとはいえず、柵も手すりもないので安心もできない。

「こ、ここ渡るの……?」

「嫌ならついて来なくて結構。むしろ来ないでいただきたい。貴女は来るはずのない者ですので」

 にべもなく言い放つエルガ。

「エ、エルガさん!そんな言い方……」

「エルガとお呼び下さいませ、リュリエヴィリア様」

「エルガ、私だって怖いです……」

「リュディも?」

「そういうことでしたらリュリエヴィリア様、ご心配には及びません。この道はニリヤに向かうためにあります。それ以外の目的は持ちません。歩めば、ニリヤに行き着く以外にないのです」

「……どうゆこと?」

「それではリュリエヴィリア様、ゆっくりと参りますゆえ。改めまして、ニリヤへよくぞおいで下さいました」

 向き直って一礼すると、いよいよエルガは進み出す。

 速度は若干落ち、道は急な蛇行を描いているわけではない。そして道の両脇は小さい石の柱がところどころで生えている。

 それでもパトリシアは震えが止まらない。

 真っ直ぐに前を向いて絶対に下を見ないようにしても、視野の隅で真っ暗な穴を感じるのだ。

 だが空と思しき空間もまた全く同じ闇であり、もはや下も上もわからない。ニリヤも含めて、実は自分たちが宙空に浮かんでいるような気さえしてきた。

 もしこの消えた地面へと足を踏み外したとして、それは本当に落ちたということになるのか。

 パトリシア自身は高所恐怖症というわけでもないのだが。

 耐えられなくなったパトリシアはリューディアに絡みつき、半ば目を閉じてしまった。

 対してリューディアは言うほどの怯えもなく、パトリシアを抱え込むように支えると慎重に足を運ぶ。


 大丈夫と励ましていたリューディアの声が消え、唐突に歩みも止まった。


 着いたのかと思い、パトリシアが目を開けるとよりによって道のど真ん中だった。

「リ、リり、リュっ、りゅでいいいっ?!」

 もろに下を見てしまったパトリシアは半狂乱になる。

 エルガが立ち止まったわけではないらしい。

 少し先を行く形となったエルガは振り返り、リューディアを見つめている。

「わ、私……これ以上は行けません」

 ニリヤを見ながらリューディアは戸惑いの声をあげた。そして無意識のうちに空いている手で体を隠そうとする。

 リューディアの視線を辿りよくよく注視したパトリシアは、ニリヤに漂うたくさんの光球から薄ら人間の姿が透けて見えるのに気がついた。人間に限らず動物の姿も多い。

 それ以外にもパトリシアが知らない生物の姿もあるようだ。だが何度も目をこすりつつ凝視してもひどくぼやけていて、人の姿ほど見えることはなく判別できない。空中に浮かぶのは鳥やそれに近い生物の光球のようだった。

 パトリシアの目にはそれらがかすれたようにぼんやりとしか映らないが、リューディアはよりはっきりと見えていた。

「リュリエヴィリア様、ご心配には及びません。ニリヤは魂の郷。肉の牢から解き放たれた者たちが行き着く場所です。浅ましき有界とは違います。間違ってもリュリエヴィリア様の御身に由々しきことが起こることはございませぬ。……ですがまあ……」

 最後にエルガは何事かをぼそぼそと呟いたようだったが、リューディアもパトリシアも聞き取れなかった。

「それにしてもやっぱり裸で歩くのは気が引けます。すみませんが、何か着るものを持ってきてはいただけませんか?」

「リュリエヴィリア様、僕には命じるものですよ。非常にもったい……ですが、かしこまりました」

「リュディ……あっちで待とうよ……。ここじゃあ怖いよお……」

「あらっ!ごめんね。急いで渡っちゃいましょう」

 二人は道を渡りきるとその手前で待つことにした。

 エルガは今一度リューディアに目を向けると、一足先にニリヤに入ろうとして。



「おお、戻ったか」



 一際野太い声が聞こえ、廟から人影が出てきた。

 広大なニリヤで、中央の廟からはかなりの距離がありそうに見えるが、その人はあっという間に近づいてきた。

 見上げるばかりの大男はまるで熊が近づいてきたかと思うほどの迫力で、丸太のような四肢を大きく動かしどんどん目の前に迫ってくる。

 エルガの身長をさらに超え、三メートルはあろうかという巨躯。横幅も常人の二倍以上は優にありそうだ。

 分厚い二の腕が剥き出しの黒い胴衣を着て、パトリシアの体がすっぽりと入ってしまえそうなほど巨大な長靴で音もなく地を踏みしめる。茶色の髪も髭ももじゃもじゃに伸びて顔を覆っているため、その表情はわからなかった。


「あ?」


 大男は立ち止まり、エルガの顔を不思議そうに見つめる。

 パトリシアは気がつくと一人で立っていた。

 周囲を見渡すとリューディアは遠く、ほとんど道の始まりに近い場所で膝に顔を埋めて蹲っている。

 エルガは横目でそれとなく後ろの様子を確かめると、男に向かって露骨な舌打ちをした。

 彼だけは何もわからず太い首を傾げている。


「ああ?」

「……」


 エルガは右腕を伸ばした。

 するとその空間に光の粒が生まれ、増え出すとみるみるうちに凝縮し槍の形になっていく。

 それでも大男はいかつい顔には似合わぬ丸く大きな目をぱちくりさせ、髭もじゃの頬を掻いている。

 光でできた長槍を具現化させるやいなや、いきなりエルガは大男の脳天目がけて思いきり振り下ろしてしまった。


 ぼぐっという嫌な音が響いた。


 大男の崩れ落ちる姿が、やけにゆっくりとはっきりとパトリシアには見える。思わず目を閉じ、首をすくめた。

 あれほどの存在感ならさぞ盛大な地響きをあげて倒れるのだろうと思いきや、紙が地面に落ちるときのような微かな音すらもなかった。大男は大の字に伸びきって動かなくなった。


 一連の出来事が瞬く間に起き、そして終わった。



「……デカブツが」



 エルガは長槍をかき消すと、全くの無表情のまま男を見下ろして毒づく。

 パトリシアはただただ目を剥き口をあんぐりと開けることしかできなかった。












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