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異界の姫君  作者: Maverick
3章 冥府ニリヤ
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1-2





敬語がわからなくなりました。









 幻想的に仄めく青き光の上を渡る間、リューディアとパトリシアは離れ離れだった時の数ヶ月を語り合った。



 リューディアはパトリシアがすぐに文字を読めたことに驚き、出会った時から彼女がターナ語を違和感もなく話していたことに思いを馳せた。

 改めてこの謎多き幼子のことを思う。

 しかしその驚きも疑念も、彼女が取った行動を聞いて新たなる驚愕に塗り替わった。仰天し、思わずきつく叱ってしまう。

 それでも最後にはパトリシアの頭を撫でてしまう自分がいる。驚き呆れはしても彼女がいることへの喜びは禁じ得ない。

 そんな自身にも苦笑し、内心でたしなめる。


「パティはとってもお利口さんだし、とっても優しい子。でももうそんな無茶なことはしちゃ駄目よ。約束して」


 天国なのか地獄なのか未だ定かではない。

 おそらく此岸しがんではないであろうこの世界において、かける言葉にしては少々的外れで意味がない気もする。

 それでもとにかく確認せずにはおれなかったのだ。



 そして話はリューディアの番になった。

 まるでそこから力を得ようとするかのように蝶のペンダントを握ったり撫でたりしながら、リューディアは少しずつ言葉を紡いでいく。

 その様子を見守るパトリシアの内にかすり傷にも似た僅かな寂寥感がよぎった。だが感傷に浸っている時ではない。

 リューディアの話を聞きながらちらりちらりとその顔を伺うパトリシアは、しかし特にこれといった変化を見受けられないことに密かな安堵を感じていた。


 氷の如き体に冷たく輝く瞳。

 人ではない姿。


 何度も顧みては思いを巡らせたが、どうにもおぼろで判然とせず、やはり全ては悪い夢だったと思えてならない。

 今隣に並ぶその姿を目の当たりにして、あの獣の彼女など到底信じられず弥増いやまして現実味を失うばかりだ。

 それよりもパトリシアの胸を燃やしていたのは、必要とはいえリューディアを戦争の道具として扱った王太子への憤りだった。

 幼い心が傷つかないようにと隠しながらリューディアは語ったが、それでも言葉から滲み出す重苦しい事実は変わらない。

 幼子であっても心は伝わる。

 ましてパトリシアの内面は変わっていないはずなのだから、尚更だ。

 リューディアの重い口が途切れ、パトリシアが怒りを吐き出そうとした時、ふと降ってきた声は前を進む者からであった。



「リュリエヴィリア様」



 その女性の声音は相変わらず平静そのものである。

 それにしても随分背が高い。

 リューディアの身長を優に超えているのは明らかだ。フェリクスと同等か、もしかすると彼より高いかもしれない。

 その格好でなければ、ただでさえ低く起伏のない声や眼光の鋭さ、丸みの乏しい直線的な体格から男性と言われてもさほど違和感は感じないだろう。

 パトリシアは彼女を仰ぎ見るとき少々首が痛い。


 声だけでなく振り返ってリューディアに顔を向けつつも、エルガの歩みは乱れなかった。


「全てはすぐに明らかになりましょうが、貴女様は魂のすだく場所ニリヤを統べし巫女姫。元より此処の世界に御座おわす方です。有界よりお戻りになられるがゆえに、そのようなお姿になられたのでしょう。原則として有界からニリヤに渡ることはもちろん、ニリヤから有界へ行くこともできません」


 ここでエルガは初めてパトリシアに焦点を合わせた。お前がなぜ此処にいると言わんばかりの矢の如き瞳だ。

 無論リューディアに向ける瞳の色とは明らかに違う。

 視線の鋭さに居心地が悪くなりパトリシアは身を縮めた。



 思えばエルガの表情には不審を抱かせるものがある。

 彼女には表情らしい表情など皆無なのであるが。

 パトリシアにはほとんどと言っていいくらい目を向けない。

 まれにパトリシアを見る目は徹底した無関心と冷然たる鋭さとに彩られている。その度にパトリシアは息を飲み、無意識のうちにリューディアの後ろに隠れてしまうのだ。

 どうやら自分は完全なる部外者で招かざる客であることは理解できた。


 しかしそれ以上にパトリシアを不安にさせていたのはリューディアに対する態度だった。


 前を見ないまま歩調も変えず、リューディアに向かって話しかけるエルガの視線はぴたりと張り付いて瞬きもしない。その全身を穴が空くほど凝視しているのだ。

 パトリシアに向ける物を見るような無機質な視線ではなく、だが決して穏やかなものでもない。

 なまじ顔に表情が無いためになんとも表現しづらい目だ。ただもやもやした不安だけがパトリシアには残っていた。

 知ってか知らずかリューディアは長髪を全部前に持ってきて肌に沿わせるように垂らし、歩きつつそれとなく秘部も隠している。

 何も身に纏わぬ姿ではさぞ居心地が悪いのだろう、終始俯きがちだった。

 パトリシアは多少早足になってでもリューディアの前に進み出ることにした。

 リューディアの話が終わった後では、パトリシアの注意はもっぱらエルガに注がれている。

 先導する野生の獣のような女性は、相変わらず刃物にも似た視線でパトリシアを一瞥すると顔を戻した。



「巫女姫……」



 俯いたまま何やら考え込んでいたリューディアはすぐ傍のパトリシアでも聞こえぬ小さな声で呟く。


「そうです」


 それなのに数歩先をゆくエルガはその声に応え、頷いてみせた。


 リューディアは顔を上げた。

「あの、エルガさん……?その……私には全然記憶がなくて何もわからないの。巫女姫だなんて仰られても、何のことだか……。何かの間違いではないでしょうか?それにリュリエヴィリアって……先程も申しましたが、私の名はリューディアですわ。私は決してそんな大層な者ではありません。ですから、私にそのようなお言葉は……」

「ああ、何を仰られますか。汚らわしく忌まわしい有界に長く居られたせいで、そのようなあまりにもったいなきお言葉を。それはそっくりそのままお返しさせていただきます。私如きにかけられるお言葉ではありません。私は単なるリュリエヴィリア様の僕です。貴女様は間違いなく高貴なる御方。有界からニリヤにお渡りになられるは巫女姫の何よりの証。斯様に貴女様を苦境に貶めたものは何なのか……貴女様は決して有界なんぞに甘んじられる御方ではないのに……」


 とてつもなく酷薄な目がパトリシアに突き刺さった。


 全身が粟立つ。

 倍の大きさの肉食獣に一睨みされた小動物の気持ちが一瞬で理解できた。

 さすがにリューディアもパトリシアの肩に両手を置いて引き寄せ、警戒の色を強めてエルガを非難した。

 すでに立ち止まっている。

「私はただ身に覚えがないと言っただけですわ。それにこの子は何の関係もありません。私の大事な友人なのよ。仮に私が、貴女が仰られたような高貴な身分であるのなら、私の友人もそれに相応しく遇されるべきではないのですか?さあ、この子に謝って下さいな。すっかり脅えているじゃない」

 驚いたことにそれまで表情の無かった横顔は、微かに脱力したような色が浮かんだかのように見えた。

 歩みを止め、向き直ったエルガはそれでもそれ以上の動揺も悪びれた様子もなく、棒のように真っ直ぐな長身をすっと曲げて丁寧な謝意を示した。


 ただしあくまでもリューディアに対してだ。


「お気に障られましたのなら、大変申し訳ございません。この非礼は平にお詫び致します。ですが更なる非礼を承知の上でお言葉を返させていただきますが、どうか私めにそのようなご丁寧なお言葉はお止めいただきたいのです。あまりにももったいない。巫女姫であらせられる貴女様が私如きにかけてよい言葉ではございません。高貴な御方には高貴な御方の、相応しい言葉がございます。私に敬称などもってのほかです。どうかエルガと呼び捨てになさって下さい」


 実に慇懃に詫びを入れているが、リューディアに向かった言葉は確認だった。表情も抑揚もない顔と声では、静かな言葉でもやけに迫力がある。

 事実、それは強要だった。

 リューディアは言葉を飲み、ため息をついた。

「わかり……ったわ」

 でもこの子には謝って。というリューディアの要請は華麗に無視スルーし、早々と道案内を再開してしまうエルガ。


 傅かれた経験など当たり前のようにない、不遇とも言える人生を送ってきたリューディアにとってはすぐに慣れることなどできるはずもない。

 奥歯を噛み、落ち着きなく両腕で体を抱いては時折さすったりし、仕方なくエルガの後を追いかける。すっかり気を削がれてしまっていた。

「ごめんね……大丈夫?」

「うん、気にしてないよ。リュディが謝っちゃダメだよ」

 パトリシアは手を伸ばしてリューディアの腕に腕を絡めようとして、エルガの視線に当たった。彼女の腕にそっと手を乗せることしかできなかった。

 今度はパトリシアがため息をつく。

 一行はそれ以上言葉を交わすこともなく、どこまでも続くかに見える優しい微光の只中を先へと進んでいった。










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