表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異界の姫君  作者: Maverick
3章 冥府ニリヤ
41/52

1-1





 ころころと耳朶をくすぐる心地良い音が聞こえる。



 子供が笑うような、または秘密を囁き合うような、そんな楽しげな音色に自然と頬が緩む。


 しかしその頬が何とも冷たい。


 違和感にパトリシアは首をすくめると、その頬の冷たさが片側にあることに気づく。

 温度だけでなく、石特有のひんやりした固い感触も伝わってきてパトリシアは目を開けた。

 一瞬目が眩むかとびくりとするも、それは突然光を捉えたゆえの錯覚で、すぐにそんなものではないとわかった。

 とても優しい光だった。


「わあ……」


 思わず感嘆の声を上げる。

 パトリシアがいる石が淡い碧水色に輝いていたのである。

 ネオンやLEDの光に似ているとも思えたが、それよりも柔和で温かみがある。仄かに碧く灯る石はその光から、薄らと透明に輝いているようにさえ見えた。

 そんな不思議な石が大小様々に、そして点々と見渡す限り続き、その間を小川が流れる。先程の音色はせせらぎだったのだ。

 しばし茫然と夢か現か定かではない光景を眺めていた。まだ眠りの中だと言われればすぐに信じるだろう。

 流れる水の音以外に聞こえるものはなく、生物の気配もない。

 もっとも光る石が生きているとなれば話は別である。


 ふいに気付いた。


 世界は夜だった。


 夜だと単純に思ったのは天が暗いからで、しかも注視すれば天と地の境がわからない。

 星も月の輝きもない。


 漆黒の外套ですっぽりと覆われたような空間がどこまでも広がっていた。


 碧く光る石とちらりちらりと反射する水の煌めきだけが浮かび上がり、星が地上で輝いているようだ。まるで天と地が逆転してしまったかのように。

 リューディアのいる世界に落ち、彼女と生活を共にしていた日々では視覚が役に立たなくなる真の闇を経験した。

 だがそれとは全く異質なものに見える。

 早く言えば、今ここにあるのは空ですらなかった。


 と、いきなり思い立ったパトリシアは慌てて辺りを見渡した。


 見慣れない景色に心を奪われ、現状を忘れかけていた。


 彼女は背後の石場にいた。

 確かにリューディアだった。


 石場は彼女の全身が横たわるに十分な大きさで、そして例外なく輝いている。

 いっそ透けてしまうほどに滑らかな艶肌を晒し、白の髪は石のせいで青銀に近い光沢を浮かべていた。しなやかな四肢を力なく伸ばし、俯せに倒れたままだ。その波打つ髪で彼女のかんばせは隠れて見えない。

 不思議な光景と溶け合い、ニンフやフェアリーかと見紛うほどに人間離れした美しさを放っていた。

 またも我を忘れそうになる己を叱って、石と石の間を飛び越え駆け寄る。

 パトリシアはためらいがちに手を置いてみた。触れたら溶けて消えてしまうのではないか。


「リュディ……?」


 二人していつまでこの空間に倒れていたのか知る由もない。

 気持ちが整わないせいか記憶も曖昧だったが、直前の出来事を思い出してパトリシアの顔はこわばった。

 自身がその時に着ていた服をそのまま身につけており、汚れや破れた箇所までも残っている。その出来事が疑いようもなく事実であるということを如実に示していた。

 頭が回るにつれて、この非現実的な光景に自分たちが在る意味も見えてきたような気がして、パトリシアの手は凍りついたように止まったままだ。

 己が手の温度も感覚も急速に失っていくかのように思えたが、意外にも彼女を立ち直らせたのはリューディアの肌の感触だった。

 相変わらず指先に伝わる温度は冷たい。

 だがその体にはまだ彼女の存在が有ると感じた。空っぽだとは到底考えられなかった。

 彼女が彼女足る灯りがまだ内にあると思った。思いたかった。


 たとえ自身とリューディアが元の存在ではなくなったとしても。

 もしかしたらリューディアが違う何かになったとしても。


 もっと言えば、人でないものになってしまったとしても。

 人であるのは見かけだけかもしれなくても。


 パトリシアは目を閉じ再び見据えると、少し強めに揺さぶってみた。


「リュディ?起きてリュディ」


 ふと記憶が蘇り、思わず笑う。

 パトリシアとリューディアの、最初の出会いの場面を思い出したのだ。

 森の中で倒れていたパトリシアをこうして揺すっていたリューディア。


 私を見つけてくれたリューディア。


 だから今さら逃げるわけにはいかないのだ。


「う……ん……」

「リュディ!大丈夫?」


 身じろぎしてゆっくりと顔を向けた。

 髪を払おうとし、パトリシアも彼女の髪を整える。

 長い睫毛がまどろみ、震え、瞳を隠していた。パトリシアは思わずリューディアの目を覗き込む。

 妖狐となってしまった彼女の、あの冷たい水晶の如き目が怖かった。それは美しかったが同時に残酷だった。

 今それが彼女の顔に現れたらと思うと息が止まりそうだ。


「パ……パティ……?」


 長く豊かな睫毛に覆われた瞳は夢心地に潤み、焦点も合っていない。

 未だぼんやりと暗かったが、石の碧き光を受けて輝きを増すと、彼女の元の紫と混ざり合い妍麗けんれいなる虹彩を描いた。

 深みから浮かび上がる、涼やかで哀歓とをたたえた輝きだった。


 別の意味で息が止まった。


 リューディアはすぐに覚醒するとパトリシアが無事であることを確認して微笑んだ。


「怪我はないわね……良かった」


 ああ。その優しく麗しい声も、儚くも温かな微笑みも彼女そのものだ。

 それなのにその姿態が醸し出す神々しさに打たれて言葉もなかった。

 リューディアは身を起こそうとして一糸纏わぬ裸であることに気づき、戸惑い困ったように笑う。

 ただ不思議なことに首にはあの蝶のペンダントが下がっている。パトリシアも気づき、二人は七色に光を投げかけるそれをしばし見つめていた。


「私、一体どうして……ここは……?」


 ペンダントから注意を逸らせばリューディアも瞬く間に眼前の光景に吸い寄せられ、裸であることも忘れて魅入った。


「リュディが知らない、場所?」

「ええ。こんなの初めて……。私、どうなったのかしら?どうしてこんな所に……?」


 横座りになり、放心したように見つめる彼女に声をかけようとして、パトリシアははっと言葉を飲み込んだ。

 リューディアもまた気づき、表情をこわばらせる。

 音といえば水のささめきしかない空間で、ふと現れた足音はいやに耳に響いた。

 実際は小さなものなのに、この状況では余計に際立つ。


「どっ、どうしよう……?!誰か来る!」


 できるだけ身を縮め、両腕で豊かな胸を隠そうとするも、どうしたって隠しきれるものではない。

 パトリシアは限界まで足を広げて仁王立ちになり、腕も広げてリューディアの前に立ちはだかると前方を睨みすえた。


 「こっちから聞こえてくるわ」


 リューディアの声に振り向くと彼女は全く逆の方向に顔を向けていた。

 慌ててそちらに向かうと踏ん張る。

 幼女の身で頑張って隠そうとしたところで高が知れているが、赤子のように無防備なリューディアよりはましだ。


 音はゆっくりと、だが確実に近づいてきた。


「来て」

「あっ……う?」


 しなやかな腕が伸びてきてパトリシアを抱えると胸へと引き寄せる。パトリシアの顔は柔らかい双丘に埋まり、一瞬息ができなくなった。

 これまた記憶と合致する光景である。

 ただ露わな肌で包み込まれる感触はまた違う感慨だ。

 そして鼻腔に満ちる彼女の香り。


「あ……むう。りゅで……」

「しっ」


 リューディアは至って真剣である。

 パトリシアも我に返って慌てて顔を反らす。

 リューディアはすでに中腰になっていた。同時にパトリシアの腰に腕を回している。いざとなれば走るつもりなのだ。


 そうこうしているうちに足音は徐々に大きくなる。

 それなのにまだ姿は見えない。距離と音とが大きく乖離しているようだ。


 リューディアの瞳は貫くような眼光の鋭さを宿し、一直線に前方を見据えている。弱々しく華奢な姿などそこには微塵もない。両腕は力強くパトリシアを抱いている。

 そんな彼女に大きな安心を得ると同時に、自身の小さき体は守られる存在なのだと僅かな寂しさもよぎる。


 いや違う。


 パトリシアは思い直し、リューディアにしっかり掴まりながらも体をよじって一緒に前方を睨んだ。

 密着した体はリューディアの肢体を確かに隠しているのだから。



 果ての見えぬ暗がりに、ついに揺らぎがあった。それは間違いなく人影とひるがえる衣服の動きだった。

 軽快に、よどみない足音が続く。

 碧き淡光の元に浮かび上がったのはスカートの裾だ。


 そして不意にその者の全身が現れた。


 チャイナ服のような体の線がはっきり見て取れ、太腿が露わになるほどのスリットが入った服を纏っている。

 それなのに女性としてはかなりの長身と細く真っ直ぐで丸みの乏しい体つきから、色香はあまり感じられない。

 服の色はもっぱら黒に見えたが、ささやかな石の照り返しで濃紺色であることに気づく。それ以外に色や模様はない。

 前髪は真っ直ぐに切り揃えられ、一つに高く束ねられた髪が優に腰元を超えることから、非常に長い髪だとわかった。服のそれよりは明るい藍色をしている。

 切れ長に吊り上がる瞳は鋭い橙色で、鼻筋の通った面立ちも薄い唇も、どこか冷たく近寄りがたさを醸し出していた。


 滑らかに流れる髪と鋭く煌めく双眸は、毛並みの良いネコ科の動物を連想させるものだ。

 しかし可愛らしさは微塵もない。明らかに獰猛なしなやかさを潜めた猛獣だった。


 相手が女性だったことからリューディアもパトリシアも僅かに力が緩んだが、間近で立ち止まったその姿に新たな警戒心が芽生える。


 その女性はリューディアたちがいる石場に立っていた。これといった感情は浮かばず、整った容貌から余計に人形じみて見える。

 パトリシアは恐怖すら覚え、リューディアに強くしがみついた。


 どれくらいの沈黙が流れ、また互いに微動だにせず見つめ合っていたものか。


 女性はひたすら凝視していた。

 正確にはパトリシアのことなど最初から一顧だにしていない。その存在など元々無いといわんばかりに、ただリューディアだけを穴が空くほど見つめていた。

 リューディアはたじろいだ。


 突如として女性は長身を曲げた。

 こうべを垂れ、そして恭しく口を開いたのだ。

 再び上げた顔は相変わらず無表情で、その声は低く抑揚のない平板なものであったが。



「お帰りなさいませ。よくぞお戻りになられました。お待ちしておりました」



 そして唖然とするリューディアと取り残されながらも同じく衝撃を受けているパトリシアに向かって、明瞭で確信を持った強さで呼んだのだった。




「リュリエヴィリア様」




 二人は顔を見合わせた。

 自身の表情がそっくりそのまま相手の顔に表れている。いくら見つめ合ったところで答えなど出やしない。

 堂々巡りの渦を巻く思考だけが垣間見えた。

 パトリシアは女性を振り返り、再びリューディアを見やる。そしてまた女性の方を向くうち……。


「え……」


 声が自然と零れた。あっという間に珍妙な大声が溢れ出てもはや歯止めなど利かなかった。



 パトリシアの絶叫が安らいだ静寂を引き裂いてどこまでも轟いていった。



















まさかの?トリップトリップ。




それにしても、私はどんだけリューディアを裸に剥くのが好きなんでしょう…?


い、いや狐になってまた元の姿に戻ったから…これは不可抗力で(しどろもどろ



完全に欲望丸出しです。本当にありがとうございました。




あ、あと一回くら…(殴






そんなわけで3章です。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ