1-4
『異界の姫君』
記されたプレートに作者の名はない。絵の隅々を眺めてもサインはどこにもなかった。
誰が描いたのかもわからぬ絵に、謎めいた名を冠する彼女。
しかし見る者のほとんどは、味気ない一室の中央に座る質素な女性の像……端的に言えば地味という印象しか持ち得ない。
これまでここに訪れたなかでパトリシアが拾ったこの絵に関する数少ない感想も、暗いかもしくは綺麗であっても地味というものだった。
とはいえパトリシア自身も何故こんなに惹かれているのかわからない。
ほら、あばたもえくぼって言うじゃない?そばかすもだんだん愛嬌になるというか……。
うん、やっぱり絶対違う気がする。
……今日は平日で人が少ないにしても、こうしていつまでも突っ立っているわけにはいかない。
我に返ったパトリシアは周囲を見渡し、肩を竦めてその場から去ろうと踵を返す。
何の拍子かはわからない。
パトリシアはもう一度だけ絵に目をやり、固まった。
私はこの絵に対する思い入れが強すぎた?
女性の瞳は潤うように光り、目の淵が透明に凝る。もちろんそんな気がしただけだった。注視してもそのような変化はなく、また起こりようもない。
きっと照明の加減によるものだろう。目が疲れたのかもしれない。
誰もいない。
人が少ないとはいえ、先程まで三、四人ほどいたはずだった。ふとした間に人がいなくなる瞬間というのはそう珍しいことではない。ただぼんやりしていた後だっただけに、少し異質に思えただけだ。
今度こそ完全に背を向け、しかしパトリシアは前へ進めない。
なぜなら背中全体が何かに引っ張られているから。
一気に吹き上がる思考と冷や汗でまともに息することもできないまま、後ろを振り返る猶予も与えられず―
視界が急速に捩れ回転するとともにパトリシアの心も体も渦に巻かれ、引き寄せられ、投げ出されていった。
しばらく常設展示内を見回っていた学芸員は、ある部屋の隅でスケッチブックと数枚の紙が床に散らばっているのを発見した。スケッチブックにはいくつかの裸婦のデッサンと、眼前にある女性の絵が描かれている。辺りを見渡してもその持ち主らしき人は見当たらない。
学芸員は少し眉を顰めると、忘れ物を持って職員専用扉の奥へと消えた。