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王太子フェリクスは特別な御方らしい。
戦場で武勲を立てたわけではない。政を行なうには早すぎる。
なのにアスターヴルムの金獅子と呼ばれ、民衆から異様な注目を集めていた。
非常に聡明で理知的らしいが、まだ少年の身でその呼び名たらしめているのは存在感ゆえである。
王族としての威厳はもちろんだが、それ以上にこの王太子には何かがあった。
城仕えの者たちは後光が差しているようだと口を揃え、現国王ヴァージルを超えるのではと密かに囁いた。
眩い赤金の髪に金の虹彩が輝く様は少なからずその噂を鵜呑みにしてしまえるほど異彩を放っている。
その存在感はいうなれば熱気。力強い生命力に満ち満ちて、傍にいれば圧倒されるという。遠目からでも、多数に囲まれていたとしても其の人とわかる。
相対する者はその存在に飲み込まれ、未だ少年だというのに己よりも大きく充溢しているように見える。己の卑小さに羞恥し、彼の影の一部になりたいと願い傍にあろうとする者もいる。
彼は冥夜を射て光をもたらす太陽と同じなのだ。
だからみな我も我もと近づきたがり、その光を仰ぎたがる。
まだ成人前で、王位にもついていないのに太陽王という称号を呼ばわろうとする輩もいるらしい。
地上を力と秩序でもって平定したアイダムになぞらえる者も少なくないという。
巫女として選ばれたときから、そして王都への旅の途中でも王太子のことは話に上った。特別な御方だから、祭祀は是非に執り行おうという運びになったこと。修道院長から貴女たちは幸運ですよと何度も言われ、年上の修道女からは羨ましがられた。
そうして旅は終わり、二人の巫女は初めて王都の地を踏むこととなった。
王都アスターヴルムはすでに祝いの喜びに包まれていた。
その賑わいをほんの少し垣間見、トレイユ王立図書館の前も通りかかった。リューディアはすぐにでも駆け込みたかったが、王都見物は儀式が終わってからだった。リューディアの気持ちを汲み取ったパティーシャはそっと宥めるように繋いだ手に片手を添えた。
神殿に向かう前の晩には各地からやってきた巫女たちが一堂に集い、はじめて被衣が外された。
ここで、選ばれたもう一人が全くの別人であることを知るに至った修道院長たちは呆然とするばかりであった。
しかし今回集まった巫女はちょうど二十人。ここまで来てはどうすることもできない。
パティーシャはきつい叱責を受けた後、そのまま儀式への参列を許された。
リューディアだけに見えるよう笑顔を浮かべたパティーシャを見て、全く懲りていないのがわかった。
金の刺繍が入る白い衣をまとった巫女たちが神殿へとしずしずと歩を進める。
壁の松明が淡く揺らめき、白御影石の柱が連なる。碧い彩色タイルが敷き詰められた堂の奥に祭壇が設けられていた。その後ろに天秤と剣とを携えたアイダムの像が立ち、祭壇を見下ろしている。
しかしそこで何よりも吸い寄せられるのは台座に据えられた巨大な水晶球であった。
祭壇の両側で静かに燃える篝火に照らされている。人の頭よりも大きく、周囲の光景全てを映し込むほどに澄明としていた。
祭典や重要な行事のときのみ運び出され、此処でお目見えとなるのだ。
巫女たちは通路を挟んで二列に並び、待った。ほどなくして大司教や高位神官たちの後から部下の面々を伴って王太子その人が現れた。群青色のマント、純白に金銀の刺繍が彩る礼装に身をつつみ颯爽と通り過ぎていく。
赤みがかった金髪は火のような輝きを放ち、金の双眸は真っ直ぐに前方を見すえている。
なるほど確かに気迫のような、みなぎる熱を感じる。うら若い乙女たちの間に微かな動揺が走った。
大司教の長い口上の後、祭壇に上がったフェリクスはゆっくりと周囲を見渡す。廊の端に近衛兵がずらりと居並ぶ中、その物々しさと厳粛な雰囲気に気圧され巫女たちは誰も顔を上げることができない。
フェリクスが口を開き、無事成人を迎えたことに対する神への感謝を述べた。若者らしく躍動する声の中にも力強さと深みがあり、とても朗々としている。
各修道院の代表としてセスル地方の修道院長が祝福の言葉を述べた後は、巫女たちが一人ずつ順に祭壇に上がり水晶球に手を置いて言祝がなくてはならない。
最初に祭壇に上がる巫女はすっかり萎縮してしまい、周囲にせっつかれて体を震わせながら進み出た。水晶球を挟んで並び立つ、これほど間近で王太子を拝む機会などこれから生涯一つとしてないだろう。
多くは俯きまともに顔を見ることもできないまま、早口に決まった台詞を述べて下がっていく。しかし中にはしっかりと王太子の目を見つめ、噛み締めるように祝言を口にする者もいる。容姿で選ばれた娘たちゆえ、王太子と並んでもなんら遜色なく(一名を除いて)殊更に己の美貌に自信がある巫女は、この機会を逃すまいと臆することなくアピールするのだ。
その威厳ある雰囲気と共にどこか魅入られるような光を放つ御仁は、同じく人を惹きつけるであろう端整な面にいささかの表情を交えず、ただ次々に上がっては言葉をかけていく巫女たちを眺めていた。
リューディアの番になった。
王太子に負けぬほどの無表情で淡々と祭壇に上がる。巨大な水晶球に手を添え、言葉を紡ぐ彼女は王太子を一瞥もしない。
「王太子殿下へ光の御加護を。天つ神オーリスとその息子アイダムにより約束されし御国にて、陽の許にある限り御身に永遠なる祝福を」
これで彼女の役割は終わったはずだった。
あとは礼を拝し踵を返して列に戻るだけでいい。
水晶球から手を離そうとし――妙に吸い付くような感じがして――その違和感もほとんど気に留めず、それは突然起こった。
視界が白と黒に明滅する。
雷光の閃きのような、ほんの一瞬の出来事。だが全てが白と黒に染まるほどに強烈なもの。
いや、これは光と闇の瞬きだったのか。
篝火が、一際大きく爆ぜてすぐに鎮まった。
目眩を起こしたリューディアはよろめき、思わず顔を上げた。今度は水晶球から手を離せなかった。何かに掴まっていなければ倒れてしまうと思ったのだ。
目を射るほどに透き通った水晶球の向かいで、同じく手を置き佇む王太子が見える。フェリクスの金の瞳が大きく見開かれ、リューディアを凝視していた。それを見てすぐに彼も同じものを体験したのだと気づいた。
動揺したリューディアは必死に自身を落ち着かせ、ぎこちない礼を残して祭壇を降りた。
周囲を探ったが何も変わった様子はない。
誰も彼も元のままで、気づいた感じもなかった。そのまま巫女の言祝ぎは滞りなく進み、先程のあれは気のせいと思えるほどすみやかに儀式は終わりを迎えたのだった。
登場と同じように大司教らの先導を受け、王太子が去っていく。
しかし唯一違ったのはフェリクスの瞳が巫女の一人を探し求め、そちらを刻み込むかのように見つめたことだ。
図らずもその視線とかち合ったリューディアは何だかわからないが嫌な胸苦しさを感じずにはいられなかった。不安に潰され、彼女はすぐに顔を伏せた。
この秘密めいた視線の交差に気づいた者はむろん誰もいなかった。




