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異界の姫君  作者: Maverick
2章 アスターヴルムの金獅子
32/52

4-7

 王太子フェリクスが成人に達した。


 ステルラリスでは男子は十五で一人前とみなされる。その年に王太子の成人の儀が執り行われることになっていた。

 城での帯剣式は必ず行われるものだったが、もう一つ任意で設けられるものがある。

 全能の神オーリスより世界の秩序を守る役目を仰せつかった息子アイダムが地上に降り立ったとき、彼を迎え道しるべとなったのが二十人の乙女たちだったという。

 神話にちなんで、王子の成人には各地の女子修道院から同い年の巫女が二十人選ばれて王都アスターヴルムに集う。神殿にて祭祀が行われるのだ。

 この行事には王子の意向や王侯貴族の可否、国情などが絡むため執り行われない場合もある。


 しかし今回、乙女百合修道院ルヴェラムはフェリクスの成人の儀に祭祀も共に設けるという知らせを受け取り、それはリューディアたちの修道院も例外なく届いていた。


 ところでリューディアたちのような誓いを立てていない娘は修道女ではない。修道女見習いなのだが、祭祀に選ばれる娘たちはこの時期だけ巫女と呼ばれる。

 巫女といっても神託を司る本来の意ではなく、あくまで便宜上の呼び名にすぎない。

 帯剣式もしくは祭祀の儀を行いそれで終わるのが通例なのだが、かつてお召しにあずかった巫女が少ないながらもいた。

 寵を受けてかなり高い権力を握った者も過去にはいたという。

 歴史上でそのような事例はほんの一部にしかすぎない。

 だが親の中にはその年に祭祀が執り行われること、そして娘が王子と同年である幸運を神に感謝しつつ、あわよくば夜伽の役を授かることまで期待する者もいた。

 諸侯の中でも祭祀を恒例行事とし、夜伽も半ば風習化することを推奨する者もままあった。

 ゆえに。否、そのような野望が裏で働いていないにしても、王子の御前に出るために、選ばれる巫女は取りも直さず美しかった。



 リューディアはいの一番にすんなりと決まった。うろたえ必死に拒否しようにも軽くいなされてしまう。

 可憐な美少女が王都で一堂に会するのだから、修道院側としてはちょっとした自慢大会のようなものなのである。

 せっかく王都にやってきたのだから、巫女たちには少しばかりの観光が許される。

 リューディアは王都一の規模を誇るトレイユ王立図書館への入室許可証が配られることを知って、何とか首を縦に振ることができた。

 書物が目的で王都に向かう巫女など、おそらくは彼女だけだろう。

 各修道院はだいたい一、二人の巫女を選び、いざ集ったときに二十人を超えたことはあれど下回ったことはない。多かった場合は減らせばいいだけのことだった。

 パティーシャはその騒がしい場の様子を隅の方でじっと眺めていた。

 リューディアの次に選ばれたのはパティーシャではなく、明るい栗毛色の癖毛に猫のようなはしばみ色の瞳を持つイザベラという少女だった。イザベラの歓喜はひとかたならぬもので、甲高い声をあげて飛び跳ねると周囲に満面の笑みを振りまいた。

 誰もが羨望の眼差しと共にこの二人が王都に行けることに納得していた。

 困惑と不安で身を強張らせながら形ばかりの笑みを貼り付けているリューディアを、パティーシャはいつまでも見つめていた。





 それから一ヶ月後、二人の巫女と修道院長、修道女一名、使用人と護衛の者の一行は陽が昇りきらぬうちに修道院を出発し、隣町エルゲへと向かっていた。

 辻馬車に揺られながら、被衣を被ったリューディアは同じく深々と目元を隠したイザベラへとちらりと視線を投げた。

 向かいに座る彼女は出発のときから一言もしゃべらず、俯いているばかりだったのだ。

 その隣に座る修道院長も同じことを考えていたのだろう、イザベラの方へ顔を向けた。

「イザベラ、どこか具合が悪いのですか?」

 心配になるのも無理はない。

 普段小うるさいほどに饒舌で、しかもそのほとんどが自慢話である彼女がこうしてだんまりを決めこんでいる。

 被衣に触れられ、イザベラはびくりと体を強張らせた。

「わ、わたくし……嬉しくて緊張して、声が、あまり出なくなってしまいましたの……」

 少し顔を上げ口元だけを見せて笑うイザベラ。表情は窺えないが、具合が悪そうには見えないし、上ずったような声は確かにかすれている。

 大丈夫と頷かれると修道院長はそれ以上問うわけにもいかず、リューディアもまた自分から言及するようなことはしなかった。

 元々人見知りが激しい上、意識して他人と距離を取っているのでいつまでも馴染めないのだ。

 そんなリューディアには被衣はありがたかった。

 選ばれた少女たちは修道院を出るときには巫女であり、世俗から一歩退いた存在として扱われる。そのため儀式に参加するまでは余人に顔を見せないようにするのである。

 被衣の隙間からリューディアが見えるのは一房の栗毛色の髪と小さな口元だけだ。それは自分も同じだったから、もうイザベラのことを奇妙に思うこともなかった。


 でも……。


 見送りに来てくれなかったパティーシャのことを不意に思い出し、リューディアは寂しさに顔を曇らせた。

 未明から起きて準備するリューディアに、布団に潜り込んだまま後で行くからと言ったのみでその後とうとう現れなかったのだ。

 束の間とはいえパティーシャと離れるのは辛かった。

 もしかしたらパティーシャは王都に行きたかったのかもしれない。

 彼女と、選ばれてしまった己を思い、新たな心苦しさに襲われてリューディアの胸は痛んだ。

 奇妙に重い空気の中、昼頃にエルゲへと着きそこで休憩を取った後は町外れの修道院でその日を終えた。



 寝台が一つしかない部屋でイザベラと二人きりになった。

 相変わらずの沈黙のまま、さすがのリューディアもどうしたものかと思う。

 と、いち早く被衣を剥いだ彼女を見て危うくリューディアは大声を上げそうになり口を塞がれた。


「パ、パティ……」


 リューディアに向かって真面目な顔をしてみせても、パティーシャの緑の瞳は喜色を湛え可笑しさを抑えきれないようだ。


 パティーシャは食事に出されたパンや果物を少しずつ懐に忍ばせ、腐らせていたらしい。

 食事のときの席は部屋割りの順だった。リューディアたちの部屋の隣はイザベラの部屋だったから席も隣なのだ。

 事の顛末を聞いたリューディアはどうやって腐った物を夕食のスープに入れることができたのか不思議でならなかった。

 パティーシャはそれを細かく砕き、こっそりとイザベラの皿に盛ったのだ。

 さらにイザベラはダイエット中と称して己の分を横に座る少女にあげていた。

 出された食事は全部食べなくてはならないからこれは規則違反なのだが、イザベラは前からちょくちょくとやっていたらしい。そのせいなのか、マーサは実に肉付きのよい娘だった。

 出発の前夜も、そうして何も知らずに仲良く食事を分け合い、二人揃って腹を壊したのだった。

「どうなるかと思ったけど、結果的には良かったみたいじゃない?すぐに見つからずに済んだんだもの」

 部屋割りは基本的に同年代ごとと決められているが、部屋数や人数の関係上、年下の子が混ざるときがある。リューディアたちの部屋にも十一歳の子がいる。

 一方イザベラの部屋には二人がまだ幼い少女。目覚めたことがない時分に起きて出てくるなんて難しいだろう。

 結局、真っ先に異変に気づき通告する可能性があるマーサが一緒になって寝台から出られなくなったことで、事の発覚は遅れることとなった。


 いつもはもっと好き放題に広がっている髪はきつくなでつけられ、なんとかまとまっている。

 奮闘した跡を認めそっと撫でると、パティーシャはくすぐったそうに笑いながら言った。

「ね?ずっと傍にいるって言ったでしょ?」









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