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異界の姫君  作者: Maverick
2章 アスターヴルムの金獅子
30/52

4-5

 リューディアは思慮深く、物事をあれこれ考える質の少女である。


 彼女にはこのいくつかの不思議な出来事が単なる偶然には思えなかった。

 ネズミや虫の類が苦手だったリューディアは、遭遇した際に取り乱しパティーシャに助けを求めようとして――それらが急に動かなくなったという事も何度か経験していた。リューディアが一人でいるときにそれが起こったこともあった。

 普通、健やかなものが急に死に至ることはほとんどない。

 心臓発作でも起こせば話は別だが、こうも自分たちの周りでそろって起きるだろうか。


 都合が良すぎる。



 リューディアは自身が抱いた思いに罪悪感を抱いていた。

 パティーシャと共に謹慎を命じられたリューディアは、使用人の一人にひなたちの様子を見てもらうよう頼んだ。親鳥を失ったひなたちの末路を思えばこそであったが、彼女の場合少しだけ事情が違う。

 あの瞬間、今にも落ちそうなパティーシャを眼前にして。非は彼女にあることはわかっていたにしろ、親鳥に対して良からぬ思いを抱いてしまったのだ。

 パティーシャを害する者が許せなかった。

 幼いうぶな娘には、己が抱いた思いは恐ろしく罪深いものに感じられた。


 もし、自分の思いが形になってしまったのだとしたら?


 それも何だかおかしいとは思う。七歳のときにパティーシャと森に行ったことを思い出す。あのときはただ怖れ、無我夢中で何かを思う余裕などなかった。何が起こったのかもよくわからない。

 そしてそれはパティーシャと初めて出会ったときと同じだった……。

 そもそも、思っただけで命を奪えるなんてあり得るだろうか?

 どうやらひなたちは巣立ち前だったらしく、その後無事に飛び立っていった。

 ひとまずリューディアは安堵した。心の中で密かに詫びながら。





「リュディ!」

 明るい声にはっと顔を上げる。

 傍らでパティーシャが首を傾げ、不思議そうにリューディアを見つめていた。

「どうしたの?気分が悪い?」

「ううん。何でもないの」

 リューディアはなんとか笑みを繕った。

 まだ心配そうなパティーシャは、しかし何かを思い立ったらしく急に駆け出していった。


 リューディアはそっとため息をついた。

 眼前にはおよそ陰鬱な雰囲気など似合わぬ、見事な花の波が風にそよいでいる。

 小高い丘を越えた先に花々が咲き乱れる場所があった。

 斜面に沿って咲いた花々は優しき色の渦で、幼い二人が屈めばすっかり隠れてしまえる所もあった。

 今ちょうどパティーシャの姿は見えなくなっている。リューディアはあちこち見渡してみたが探そうとはせず、その場に佇んだままでいた。

 甘く芳しい香りが風に乗り、花々は絶えずたゆたう。その上をたくさんの蝶たちが舞っている。

 パティーシャは歓声をあげて飛び込み、寝転んで、慌てて潰してしまった花たちに詫びる。だが次にはざくざくと歩みを進め、美しい花たちをいっぱいに摘んでいく。そういう娘だ。

 リューディアは嬉しそうに顔を綻ばせながらも、ほとんど何もせずに眺めていた。


 思うだけで……?


 茫漠と、ただ見つめている。

 この美しい平和な光景には、あまりにもそぐわない考えだ。

 パティーシャの姿は相変わらず見えない。それならばと思う。思うと同時に全てを打ち消したがる自分がいる。あり得ない。考えられない。そして似つかわしくない。

 思うだけで彼女は罪悪感に駆られる。それは抱いてはいけない思いだ。

 でも、もしその思いが現実のものになったとして、そうしたらパティーシャはどうなるのか?

 現実にならなかったとしても、もしあの不可思議な現象が偶然ではなかったのだとしたら。


 パティーシャを守るはずが、もし……。


 体中に鳥肌が走り、冷気に似たものが背中に入り込むようで、リューディアは身震いした。それ以上はとても考えられなかった。

 やはり試してみなければならないことだった。

 だが自身でも驚いたことには、パティーシャの身がどうこうというよりもパティーシャに嫌われてしまうことを真っ先に考えたことだった。

 そのことに愕然とし、やがて自己嫌悪に陥った。


 ――私は自分のことしか考えていない。パティのことよりも。パティがどうなるかもわからないのに!


 そう思っても、彼女に嫌われ拒絶される自分を思い浮かべてしまう。こんな怖ろしい力が存在することを知ったら、どんな人間でも恐怖するに違いない。

 誰に怖れられても構わない。でも、パティーシャだけは。パティーシャだけには……。

 別の恐怖に駆られ、リューディアは目を瞑った。

 疑懼(ぎく)や怖気、嫌悪。様々な感情が入り乱れてどうにかなってしまいそうだった。

 目の前には色とりどりの花たちが鮮やかに咲いているというのに。よどんだ心に次々に開くのは鉛の如き色をした重苦しさだった。

 それでも今、パティーシャはいない。

 リューディアは目を開けた。

 柔らかな風が頬を撫で、花に触れ、空へと戻っていく。蝶が流れていく。花の色と相対するように蝶もまた色鮮やかで種類も様々だ。

 誰も何も怖れもせず、憂いなど針の一筋ほども無い。別の嫌悪が襲ってくる。それでも思うだけなら、と言い聞かせる。

 思うだけで何も起こらないのなら、それに越したことはない。

 何も起こらないことだって十分あり得る。むしろ何かが起こる方があり得ないことなのだ。思うだけでは罪にならない。


 ほら、少し。少しだけ、思うだけ……。


 息をすることさえもままならなかった。

 耳の奥がきんと鳴ったきり、その場のあらゆる音が消えてしまった。

 そして全てが冗談のように緩慢に動いている。

 時が止まったかのようだった。

 否。いっそ止まってくれたなら。

 あの牧歌的でのどかな風景のままであってくれたなら。

 それでもそれはあまりに鮮烈で華麗だった。残酷なまでに優艶だった。


 広げた両手の間を、ひらひらと蝶が舞い落ちていく。ときに指先をすり抜けるように、力を失った羽は風にまかれる花びらそっくりで。一匹、二匹、三匹と……数える間などなく、リューディアの近くを飛んでいた蝶たちはみな一片の花びらになってくるりくるりと落ちていった。

 そのとき珍しく強めに吹いた風は下の花々を震わせ、一斉にぱっと散らせた。違う違う。あれは風の仕業だ。ただ強い風が吹いたから。きっと風で花が散っただけだから。違う。風が。

 落ちた蝶の羽と飛び上がった花の欠片とが風の中でただ一瞬混じり合い舞い踊った。

 その真ん中に腕を伸ばしたままのリューディアがいる。


 視界の隅で何かが見えた気がした。

 目を転じると小さな花輪を抱えたパティーシャが瞬きもせずにこちらを見つめていた。









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