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異界の姫君  作者: Maverick
2章 アスターヴルムの金獅子
24/52

3-2

 だが図書館がもう目前というところで急にリューディアが立ち止まった。手を繋いで歩いていたパトリシアは躓きそうになり、彼女を見上げる。唇はきつく引き結ばれ、パトリシアを握る手に力が込められていく。

「……リュディ?どうし……」

「行きましょう」

 有無を言わせぬ力でパトリシアを引き寄せたリューディアは図書館の方ではなく元来た道を引き返そうとする。

「えっ?」

 何があったのだろうか。パトリシアは振り返ってみたが、いつものように図書館に出入りする人たちが見えるだけだ。問題はないように思えた。

 だがふと図書館の横壁から人影が現れた。茶色のベストに白シャツ、膝までのズボンは紺色で長靴を履いている。男はこちらを見ている。それもたまたまといった風ではなく、明らかに凝視している。それが好奇心なのか敵意なのか知る由もなく。

「あっ」

 何事かを考える間もなかった。突然リューディアは全速力で駆け出したのである。

「えっ!ど、どったの?!」

 舌を噛みそうになりながら叫ぶと。

「いいから走って!!」

 振り返る余裕などない。背後から追ってくる足音と気配がする。



 リューディアの足は速い。スカートを穿いて、さらにパトリシアを引っ張りながらなのに身軽に通行人の横を走り過ぎる。それでも慌てているのでぶつかってしまう。彼女は背負っていた頭陀袋を躊躇なく放り捨てた。追っ手は一人ではなかった。曲がり角から、家々の隙間から、怒号と高らかな靴音が響いてくる。

「待て!止まれっ!!」

 ほぼ真横から突進してきた人影を見とめた瞬間、リューディアは勢いよく方向転換し路地裏に入った。

「どっ、どうち……あうっ」

 急に狭い道に入ったのと体の向きが変わったために転びそうになったパトリシアを、なんとリューディアは走りながら片手で引っ張り上げ肩に担ぐようにして抱えた。

「つかまってて」

 何が何だか未だにわからぬパトリシアはなんとかリューディアの首筋に腕を絡めると、彼女の肩越しに後ろの様子を見た。リューディアが引っくり返した荷車や鉢植えの跡に少々手こずりながらも、狭い路地を何人かの男が走ってくる。

 と、道が十字路になったところでまた横合いから追っ手が来た。

 必然的に反対側へと走る。

「左へ曲がったぞ!」

 背後から声が上がり、跳ね上がる呼気と共にリューディアもパトリシアも嫌な予感に包まれていく。

 一体何人が追いかけてきているのか。

 複数で袋小路に追いつめるつもりなのか。

 リューディアに土地勘はない。追われるがまま、ただ闇雲に走っているだけだ。

 いかなリューディアの健脚でも極度の緊張もあって疲れが見え始め、荒い息は苦しげに胸元をのぼり肩へとせり上がっている。

 パトリシアはもう堪らなくなってその肩口に顔を埋め、強くしがみついた。女の細腕一本で支えられている我が身を思い、根拠もないまま腰を浮かせてぎゅっと固く強張らせる。

 道幅が少し広くなった。


 同時に逆巻く息が急に飲み込まれ、喉の奥から絞り出すような声がしたのをパトリシアは聞いたのだった。


 リューディアは立ち止まり、背をぴたりと壁に張り付かせた。


 パトリシアが顔を上げたときにはすでに囲まれていて、もう逃げ場は無くなったことを悟る。

 そこは小さな広場で、周囲を囲む男たち以外に人はいない。予め人払いをしてあるのだろう。

 彼らの服は図書館前で物影から現れた男のものとほとんど同じだ。そして全員、腰に剣を下げている。


 そろそろとパトリシアを下ろし決して離れないように言い含めると、リューディアは服の内側から剣を取り出した。いつかの夜の森で小鹿を屠るのに使った剣よりも長く、それでいて男たちが一斉に引き抜いたそれよりも短く細い剣。

「剣を捨てろ。女」

 徐々に間合いを詰めながら男たちの一人が言う。

 そして別の一人が進み出て何かを放り投げてよこした。

「忘れ物だ」

 それはリューディアが落とした帽子だった。

 軽く唇を噛み締めた彼女だったが、すでに一顧だにせず気を取られはしなかった。

 リューディアにしては上気した体温が、滲み出す汗が、パトリシアの全身へと伝わる。

 リューディアは構えを解かない。そして一番近くにいた男に牽制の一振りを見舞った。打ち合うのを嫌い、その間に半歩移動する。

 男たちもまた構えたまま踏み込もうとはしない。

 リューディアは深く息を吐いた。


 じゃりと地面を踏みにじる音がする。


 リューディアの剣が半円を描いて鋭く風を斬る。

 忙しなく動く瞳は間近で微動する影を捉えるたびに剣を力に変える。


 しかしそれで包囲の輪が散ることはない。

 それどころか着実に間合いは詰められていく。


 数十人ほどの男たち、その全員が白刃を抜いている。

 いつの間にか震え出した体で、パトリシアは懸命にリューディアに張り付く。動きの邪魔にならぬよう、でも絶対に離れぬように。


 不意に蹄の音が聞こえてきた。


 と、リューディアの右にいた男が突如として大きく動く。

「くっ……」

 よく反応し長剣を受け止めたものの、元より相手になどなれるはずがない。

 その時だった。



「そんなものを振り回すより、もっといい武器があるはずだがな」



 瞬間、リューディアの体から極限まで張った緊張の糸が切れ、力が抜けてしまった。

 リューディアは腰元にあった温もりが無くなったことがわかった。さらに剣も弾かれ、身を守る手段を失ってしまう。しかしリューディアはそんなことは気づきもしなかった。

「リュ、リュディッ!!」

 パトリシアは男の小脇に抱えられ、もがいた。

「パティを放してっ!!その子は何の関係もないわ!」

 驚くほどの大声が悲鳴に近い痛切な響きをもって迸る。

「そうかな」

 リューディアの動きを止めた先ほどの声が、再び冷ややかに低く耳を打った。リューディアは今はじめてその存在に気づいたとでもいうようにのろのろと顔を上げて、改めて件の人と目を合わせたのだった。


 鋼色をした逞しい馬に乗った男は明らかに今までの男たちとは違う。


 華美な格好をしているわけではない。高貴な身分であることはわかる。それを裏付ける気品や誇り高さをうかがい知ることができる。それでも何かが違うとパトリシアは思った。覇気のようなものを身に纏っているのが見えるようだ。空気を一変させる圧倒的な存在感がある。それは高貴な雰囲気だけでは生まれない気がした。いうなれば、熱のような。

 飾り気はないが上質なシルクのダブレットを金のベルトで締め、黒のズボンに長靴を履いている。肩には凝った意匠の金ボタンで留められた濃紺のマントを負う。

 鷹羽がついた帽子を外し、さらに褐色のかつらを無造作に取って従者に渡した。

 リューディアの顔は完全に色を失った。

 現れたのは赤金色の髪。肩口で緩く波打ち、日の下で眩いばかりに輝く。まさに燃える陽光そのものだった。まだ若く、年のほどはリューディアとそう変わらないようである。彫りの深い、輪郭のはっきりした面立ちは力強さに溢れ、金の双眸は切れ長で今は鋭く細められている。光放つ髪の下で、似た色の瞳は紛れてしまいそうだが然にあらず。一層の強さと深みをもってリューディアを見つめているのであった。


「六年もの間行方をくらませておきながら、一体どういう風の吹き回しだ?しかもその餓鬼は何だ」

 お前の子か?薄い唇が開かれ、流れたのは低くよく通るが感情のない淡白な声音であった。

 リューディアは何も言わず、口も開かない。

 青白い頬を強張らせたまま、だが一瞬たりとも目を逸らさず馬上の男を見つめている。

 しばしの沈黙が続いた後、彼はパトリシアを抱えた男に指示を出し、それに伴い男は動こうとする。

「その子をどうするつもり?」

 すかさずリューディアが詰め寄った。相変わらず相対する金の瞳から目を逸らさない。パトリシアは己の身に起こっていることよりも、彼女の声の酷薄な響きに驚いた。

「それはお前次第だと思うが」

 そんなリューディアに少しも動じることなく赤金色の髪の男は再度促し、自らの馬も少し下がらせた。



「………その子に手出ししないで。その子に触れないで……!その子を返してぇっ!!」



 リューディアの絶叫が周囲を震わせた。


 するとパトリシアを抱えた男とリューディアの近くにいた二人が急に力を失い、あっけなく地面に倒れる。パトリシアは悲鳴をあげて落ち、息を呑む音と無言の悲鳴と共に男たちは潮が引くようにリューディアから離れた。ただ一人だけが表情も変えずに見つめていた。

 膝を打ち、痛みに顔を顰めながらもパトリシアはリューディアの許に駆け寄ろうとする。だがあっという間に別の男に捕まり、引き戻されてしまう。


 それを見たリューディアは一歩前に進み出た。

 周囲は心なしか後ずさっている。


「また同じことが繰り返されるわよ。その子を返してくれなければ」

 少しずつ近づいてくるリューディアに目を向けたパトリシアは、今まで固かったその唇に笑みのようなものが灯ったのを見た気がした。

「そう、それだ。剣なぞ振り回すより、よほど役に立つだろうが」

 男の口調は煽るようで、どこか楽しんでいる。

「……っ!私は、好き好んで使っているわけではっ……!」

「で、殿下……!」

 一人の男が緊張に耐えられずに叫ぶ。

 殿下と呼ばれた男は初めて周囲の存在に気づいたといったように声をあげた。

「ああ、すまん。見ての通りだ。だがこんなものは如何とも成り得る。そうだろう?」

 リューディアを見ていたパトリシアが叫んだ。その叫びが終わらぬうちに首筋に鈍痛が走る。視界が急速に闇にまかれていった。

 反転する意識の狭間で、リューディアもまた背後から忍び寄っていた者に一撃を喰らわされ、崩れ落ちていくのが見えた。




 二人は担ぎ上げられ、周囲は王太子の許に集まる。

「全く手間のかかる……。だがまあいいだろう。お前たちは残り、後始末しろ。丁重に葬れ。ルーク、手はずは整っているな?」

 彼の横に立つ男はそれに答え、頷く。

 王太子はいかにも億劫そうにかつらを付け、帽子を目深に被ると数人をその場に残し城へと戻っていった。










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