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おもむろにその細い指先で本を抜き取り掌に乗せたのを見、パトリシアは息を呑む。
書かれている文字はもちろんアルファベットではない。なのに読めている。
それを伝えようと顔を上げると、あまりに真剣なその表情に少しばかり気後れして言いよどむ。しかし腑に落ちない。自分も手に取れる本を選び抜き取ろうとして……それは大きな音を立てて床に落ちた。
驚いた顔を向けたリューディアと周囲の人々の視線を浴びて冷汗を噴き出しながら、相変わらず不自由な指で本を抱えるように持った。見間違いではなく、確かに読むことができた。おとぎ話を集めた本だ。寝しなにリューディアが聞かせてくれた話もいくつか載っている。
「別世界……奇跡……魔法……」
ぶつぶつ呟きながらリューディアは数多の本の海の間を行き来し完全に没頭している。魔女だと疑っていたこともあったパトリシアとしては、そのジャンルについて調べている彼女のことを見ていると少なからず妙な気分になった。
そんなわけでしばらくの間、二人は黙って――といってもリューディアは時折呟いていたが――それらしき本を探してみた。貸し出しは許可されていないので、所々設けられたライティングビューローやベンチに本を持ち寄り、古めかしく黄ばんだ頁やまだ真新しい頁を次々とめくっていく。
パトリシアが持てる本はもちろん限られていて、書棚の一番下の大事典のような大型本は引っ張り出そうにもびくともしない。大人の身であれば片手で読める本も、両手で抱え込むように持たなければならないし、書棚の中程へ向かって背伸びしても届かない。
リューディアが戻ってきた。
「どうしたの?何か読みたい?」
リューディアは手近なところで本を選び、書棚の裏のひとけがないベンチを見つけてそこに座る。
膝を寄せ合い頬と頬を近づけるようにして並んで小さな本を覗き込む。子供向けらしい所々についた挿絵は完全な平面で木版画のために色もない。パトリシアの感覚ではどうにも面白くも可愛げもないが、頁の周囲を縁取る蔦かずらの紋様や一つ一つ手書きで描かれた飾り文字は美しかった。
「太陽の子、光の神オーリスは告げられました。私はこの大地全てを照らし出そう。そのためにも闇の子たちは追い払わねばならぬと。ここに我が息子アイダムを遣わし……」
パトリシアは読むことができた。どうやらこの国の神話を語ったものらしいが、それをわざわざ声に出してリューディアに告げることはしない。
周囲の邪魔にならぬようにと声をひそめて吐息混じりに耳元で囁かれる。あの甘く清麗な声を途中で切るような無粋な真似ができようはずもない。
その優しい声音にうっとりして半分以上を聞き逃しながらも、パトリシアはなんとなくキリスト教に思いを馳せていた。パトリシアは特に敬虔な信者ではないが日曜のミサには通っていたし、正真正銘子供の頃は聖歌隊に入って讃美歌を歌ったりもしていたものだ。
「もっと読みたい?」
読み語りを終えたリューディアは周囲に気を配りつつも別の本を選ぼうとする。もっと読みたいというよりもっとその声が聞きたいのだけれど、もちろんそんな事は言えぬままパトリシアは首を振り、尋ねた。
「本、見つかった?」
一瞬問われた意味がわからなかったらしいリューディアは何度か驚いたように瞬き、それから表情を少し曇らせた。
「まだよ。たくさんあるから……少し時間がかかるかもしれないわね」
それはそうだろう。この図書館は二層もあるのだ。
「焦らずにゆっくり探しましょう」
二人はその後も探し回ったが、パトリシアが元の世界に帰れるための手がかりになるような本は見つからなかった。
その日は王都に着いたばかりということもあって早めに切り上げ、宿を探すことになった。なにせ王都だから宿の数は相当なものである。しかもリューディアはそれほど此処の地理に明るくなかった。その中から値段が手ごろで且つ小さくともある程度は清潔な宿、その空室を調べるのに本を探すよりも時間をかけ、ようやく見つけたときには双方くたくたになっていた。
日もすっかり暮れ、夕食もそこそこに二人は眠りについたのだった。




