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安心しきった寝顔を見つめるリューディアは知らず知らず笑みを浮かべていた。
もつれて絡まった金色の髪を辛抱強く撫でていると、くすぐったそうに目を細めていたパトリシアはじきにまどろみ始め、やがて深い眠りへと誘われたのだった。
小さな唇から涎が垂れているのを見つけ、くすりと笑うとそれを綺麗に拭う。
それから屈んでパトリシアの寝顔を間近で覗き込むと、そばかすだらけの柔らかい頬に触れ、そっと頬ずりする。そして少し逡巡するそぶりをした後で口付けを一つ落とした。
こわくない。
彼女は言った。
しんじて、と。
リューディアは正直言ってまだ怖い。
自分の力が彼女にどれほどの影響を与えるのかわからないのだ。
秘密を知られたあの夜から、それでも自分を認め求めてくれる幼い女の子のことを後ろめたさを感じつつも手放すことができない。
抑えてきたものが壊れると、こんなにも求め触れ合いたがる自分がいる。
それでも自責の念に駆られて戸惑いを見せるリューディアを、パトリシアは敏感に感じ取って彼女から求めてくるのだ。小さい手が一心にこちらに向かって伸ばされると、リューディアはもう拒むことはできなかった。
これでは一体何のために人目を避けて今まで独りで生きてきたのかわからなくなる。リューディアは自身が思うよりも遥かに孤独に打ち震えていたことを悟った。
そして紛れもなく、いたいけな女の子に支えられているこの心。
しんじてと、つぶらな緑の瞳でリューディアを見つめるその強い眼差しに、不覚にも過去の記憶が呼び戻されてリューディアの顔が苦しげに歪む。
いや、ことあるごとに彷彿とさせていたが、あの言葉と眼差しほど記憶に重なるものはなかった。
ごめんねと、届くはずもない謝罪の言葉を落としたのは拒絶の意ではなく己の弱さゆえであった。彼女を信じられないのではなく、自分が信じられないのだ。
こんな小さな女の子が……。
ある夜のこと、眠れないと訴える彼女に寄り添っておとぎ話や子守唄など、とにかく自分が出来うる限りのことをして慰めていた。
一心に聞き入っていたパトリシアの閉じた目から一粒の涙が転がり落ちたかと思うと後から後から続き、リューディアが拭う間もなくやにわに滂沱の涙となってその顔も手も濡らしてしまった。
声をあげまいと必死に押し殺し、全身を震わせてしゃくり上げる姿を見てリューディアはどんなにその小さな体を抱き締めてあげたかったことだろう。
突然見知らぬ世界に放り出された。しかもここに来る前はリューディアと同い年だったと聞く。
不可解な現象が二度も三度も重なり、もちろんパトリシアには元いた世界との連絡もつかず戻る手立ても見つかってはいない。
彼女の家族や近しい人たちのことを思えば、むしろパトリシアの態度はよく我慢しているものと思えた。
必要以上の接触は避けようと試みているリューディアであったが、その頼りない姿を視界に収める度にいつも理性が揺らいだ。
その力を使うという明確な意志を持つときと感情的になっているときは殊に気をつけねばならないのはわかっていた。
本来なら離れるべきだ。何度も自身を戒めたし、彼女がこの世界に馴染んできたらどこか別の場所に住む当てを探そうと考えていた。……そんなこと、端から出来るはずもなかったが。
でも今は泣いているのなら真っ先に抱きしめる。寂しいのならずっと寄り添ってその髪を撫でる。それがパトリシアとリューディアが望んでいることだから。
しかし今、パトリシアを見つめる眼差しが徐々に曇りだしていくのをとめることができない。
パトリシアのことを本当に思うのなら、いつまでもこうして暮らしているわけにはいかない。彼女には彼女の、相応しいあるべき居場所がある。
パトリシアからこの世界に至った経緯を聞き、ある程度リューディアもその原因に与するものとして疑念の目を向けられても、正直身に覚えは全くなくまた理解できる話ではなかった。それでもリューディアが耳を傾け信じる気になったのは、自身に謎めいた力があるせいだ。自分でもわからぬ理屈のつかない力があるのなら、パトリシアの現象もまた全く考えられなくはなかった。
だからといって自身とパトリシアとの因果関係などわからない。あるのかどうかさえも……。
それでも、もしかしたら、彼女がこんなことになったのは自分のせいかもしれなくて。
起こさないよう静かにパトリシアから離れると、リューディアは一つの長持ちを抱え居間に移る。そして蝋燭を灯すと中身を検め始めた。
やはり捨ててしまったかもしれないとひやりとしたが、それは奥の方に捩れたまま仕舞い込まれていた。
「あった……」
皺を伸ばしながら明かりに透かしてみると、封筒の中身はちゃんと入っているのがわかった。開けて確認する間でもない、王家の紋章が描かれた一枚の紙切れ。
深いため息をついたリューディアには、それが捨てられずに残っていたことを喜ぶべきか嘆くべきかわからない。ただこれを使おうなどとは今日まで夢にも思っていなかった。
パトリシアのためと思えば少しは覚悟も生まれる。
過去の欠片に出会ったことで否応なしに記憶が呼び戻されていく。唇を噛み締め、忘れようとするかのように頭を振って寝室に戻る。
まるでパトリシアの傍なら忘れられるとでもいうように、いそいそと寝台に潜り込んで身を寄せた。
眠れぬ目を閉じながらリューディアは自身が取るべき行動を胸の内で何度もなぞっていた。




