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なんかカッとなったので一気に連投しちゃいます。
べ、別に怒ってなんか……!ってあれ?←
いや、本当に怒っているわけではないです(どうでもいい
リューディアは魔女ではない。
そんな当たり前というか常識的というか、元の世界にいた頃の彼女なら一笑に付したであろうその結論を、パトリシアはかなり大真面目に確信を持って下したのであった。
だが当たり前とか常識などとは一体何を指して呼ぶのだろう。
元々あった価値観は大きく揺らぎ、日常を根底から覆された今となってはそのような言葉ほど頼りなく当てにならぬものはない。
でも確かに、元いた世界では絶対的な重きを持っていたものであった。
共に暮らす日々が増えていくにつれて見えてきたのは、リューディアはその日々を何の衒いもなく丁寧に真摯に生きているということだけだった。
朝、日の昇りきらぬうちから目覚めて朝食の準備を始め、食事中はパトリシアの給仕もする。
その後は葉や木の実をすり潰したり煎じたりして薬を作る。ここが最も魔女らしいとも言えるが、無論彼女は呪文を唱えるわけでもトカゲの尻尾だのカエルの目玉だの入れるわけでもなく、ごく普通に解熱と痛み止めの薬を作っているにすぎない。
薬草をきらしているときは弁当を携えて採取に向かうこともある。もちろんその先でのパトリシアの給仕役もかかさない。
暑い日はよく川や池で水浴びに行く。
昼下がりから夕暮れ時には縫い物や刺繍を施して過ごすことが多い。パトリシアの服も簡単にだが作ってくれた。または小屋の隣にある小さな畑で土いじりすることもある。
そうこうするうちに日は傾いて夕食の準備に取り掛かり、パトリシアの給仕もして、それから寝るまでの間は薬草や食料の管理をしたり縫い物の残りをしたりする。
本当に何気ない森での生活。
リューディアは静かな人で、特異な人間に違いないパトリシアの身上を根掘り葉掘り訊くこともない。それはまさに「絵画の人」で、あの絵は彼女の静謐さをよく表していると思えた。
沈黙は彼女の場合は尊く厳かで、リューディアと共にいるときに訪れるそれにパトリシアは心を乱されて何か喋ろうと躍起になる必要はなかった。むしろ快く、安らいでいく。
話したいときに話し、話したくないなら黙っていればよいのだ。パトリシアは沈黙が呼吸をするように身の内に自然と取り込まれていくことを学んだ。喧騒と自己主張の激しいアメリカでは知らなかったことだった。
いささか過保護にすぎることを除けば、落ち着きがあり思慮深く、見通すような瞳でじっと見つめ柔らかく微笑む。
若い女だけど成熟していて、やはり随分と大人に見える。幼女という対場から余計にそう見えるのかもしれないし、二十一歳だった己を思い出してみてやっぱりそう見える。
彼女と自身を並べて思い浮かべてみて……色々と出来の違いに気づいて自虐的になりそうになり、暗くなったパトリシアを理由もわからずリューディアは心配した。
そう。彼女はひたすら気にかけてくれる。
それは過剰とも言えるのかもしれないが、パトリシアにはありがたかった。たった一人わけのわからぬ地にやってきてしかも幼くなっているという事実は普段隠していても堪える。知らぬうちに不安や寂寥感は重なっていくものだ。
今のパトリシアにとってリューディアの優しさが支えであり全てといっても過言ではなかった。
そもそも物質的な面でも彼女に依存しなければ到底生きていけないだろう。
それだけに……疑問もまたつのる。
この場合、寡黙な人というのは少々厄介だった。
きっと答えてくれない。
否。答えてくれないのではなく、そもそも尋ねられないのだ。
あの微笑みが、絵画でも胸を締め付けてやまなかった顔が目の前にあると。
だいたいパトリシアのことを何でも訊きだそうとしない人に、こちらからあれやこれや訊けるはずがない。それは一種の交換条件を相手が放棄しているのと同じなのだ。
尋ねないから、尋ねてくれるな。
はっきり拒否されたわけではない。それでも言葉にされない思いはある。空気を読むことくらいは幼女と化したとしてもできた。いや、子供だからこそ読めてしまう空気があるのかもしれない。
どうしてそんなに悲しそうなの?
……どうしてもっと触れてくれないの?
気遣いや優しい声はとても嬉しい。でもそれだけでは足りないことがある。
殊にこんな小さな体になってしまった今となっては、抱える心細さはより大きい。
でも待っていてもそれはやってこなかったのである。




