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異界の姫君  作者: Maverick
1章 美女と幼女
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4-2

 輝きを放つ雪色の髪は、今は薄い褐色になっている。背中の中程まである髪をリューディアは一つに束ねた。森から採取した葉や木の実を煮詰めて色を出した天然の染料だ。髪染め液は町でも売っているが高いし、成分が強いので一度染めてしまうと色が沈着してしまうらしい。

 これでもこの髪の色は気に入っているの。そう答えたリューディアは、だからごくごく薄く色をつけ、すぐに落とせるよう自前の染料を使うのだそうだ。

 白いブラウスに、裾に刺繍の入ったロングの淡い橙色の巻きスカートを身につけ、用意した鞄を肩に掛ける。

 パトリシアへと差し出された手は薄い布の手袋がはめられていた。

「ごめんね。ちょっと……森で茸を採ろうとしたらかぶれちゃったの……」

 ぎこちなく笑うリューディアをよそに、パトリシアは記憶を辿ってみる。それでも手を取らない謂れはない。どこか釈然としない気持ちのままリューディアの手を握った。


 そう、リューディアは時々何かおかしいのだ。

 まるで二つの人格があるかのような。

 あどけなさすら滲み出る無邪気な微笑みと、どうしても拭いきれぬ憂いを帯びた眼差しと。

 尋ねようと思っても上手く言葉にならず、そして決まってリューディアの顔が切なげに歪むから、どうしてもパトリシアは深くまで訊くことができない。



 パトリシアがこの地に来て一週間は経った頃だろうか。

 まだ何もわかっていない。

 なおいっそう戸惑うのは彼女の小さな手を握るリューディアの、意外な力の強さだった。

 そして控えめながらパトリシアに尋ねてきたりもする。

 拙い言語で伝えられるだけの過去を伝えながら、その明るさに戸惑う。先程の町云々の言葉が聞き違いだと思ってしまえるほど屈託がなく、偽りがない。

 さらに驚いたことにはリューディアの健脚ぶりだった。

 なるほど森で独りきりで暮らしているのだから、足の強さは伊達ではないのだろう。根こそぎ倒れている大木や行く手にせり出ている岩を軽々と通り抜け、急な斜面も危なげなくパトリシアを導いていく。時にはパトリシアをほとんど抱え上げるようにして難所を進む。何度か立ち止まったのは幼子の足を考慮して最適な道筋を選ぶためであった。

 息を切らすでもなく涼しげな顔をしてしっかり大地を踏みしめて歩む様を見ると、本当にあの絵画の人なのか少々疑わしくなってきた。

 うら若い乙女がその華奢な体で意外な強さと耐力を発揮するなどとはあまり想像できない。だが町に行くとはこういうことなのだ。そして森で独り生きるのには不可欠なことなのである。

 でも。パトリシアは思う。彼女ほど美しい人ならば華やかなドレスで着飾ればさぞ眩いことだろう。きっとその場にいる者の目を捕らえて離さないに違いない。素朴で化粧気もない今の姿も魅力的で、その飾り気のなさも彼女の美を引き出しているとも言えたけど。


 ああ……でもダメだわ……。私、この人についてけない……。


 動かなくなったパトリシアを振り返り、リューディアが心配そうに頭を撫でた。おそらく二十一歳だった時のパトリシアでも疲れていたと思う。歩き慣れていない上に日常でこれほどの距離を歩いたためしがない。先進国ならではの弊害だ。アメリカで社会問題になっている肥満体でなくて本当に良かった。

「少し休みましょう。ごめんね、一番近い道を通ったつもりだったんだけど……。やっぱり疲れちゃうわよね」

 丁寧にパトリシアの額に浮かぶ汗を拭き、水筒や干した赤茶色の果物を取り出してはそれらを全部パトリシアに渡しながら、リューディアはもう一度謝った。

「えっと……町えは、あとどれくらい……?」

「もうすぐ……って言いたいところだけど、まだちょっと歩くわ。ごめんね。あとちょっと、頑張れる?お昼はお店で食べようと思ったから用意してないの」

 そう答えたリューディアは水も口にしていない。額や首筋に布をあてがうだけだ。

 彼女独りならおそらく休む必要はないのだろう。

 時計がないので正確な時間がわからない。

 だが出発時には早朝の淡い光を投げていた太陽は、輝きを増しながらもその位置は高くはなく、青々とした木々の枝に引っかかったままだ。おそらくそれほど時間は経っていない。

 ねえ……。本当に私一人で町に住めって?

 この森で一人で迷い込むはめになっていたらと思うとぞっとしない。

 だから見つけてくれたのがリューディアで、パトリシアは本当に良かったと思っているのである。

 こんな得体の知れない世界にパトリシアを引きずり込んだのが彼女のせいなら話は別だが。

 でもリューディアは嘘はついていない……そう思うし、そう信じたいのだ。

 確かに町にいればこのような苦労はしなくてすむかもしれないが、また別の厄介事があるのも容易に想像できる。

 何が言いたいのかというと拾ってくれたのがリューディアで良かった、そして元の世界に戻るまでこの先もリューディアの元にいたいということなのだった。

 

 充分に休憩を取る。手渡されたマイローという果実は、大人の握り拳くらいの大きさで甘酸っぱく柘榴に似た味がした。それを食べたせいか幾分疲れが取れて体が軽くなった気がする。それでも無理はせず、その後も何度も休憩を入れながら進んだ。途中で大きな湖が広がる場所に出たのでゆっくりと涼み、その湖を迂回した。湖を背にする頃には人の作った道らしきものが現れて徐々に歩きやすくなってくる。

 そして太陽が中天を過ぎた頃になってようやく木々が途切れ始めた。町が遠目にだが確認できるようになってきた。

「見て。あれがトラドの町よ」

 指差す方を見やると最初の印象の通り古き良きヨーロッパといった風情で、錆びれた色の赤屋根が地を這うように並ぶ、小ぢんまりした牧歌的な田舎町であった。背伸びするかのように高く細長い尖塔を中心に取り囲むように家々が軒を連ねている。

 聞けばリューディアが普段この町に来ることはあまりないらしい。必要最低限の物を得るにはトラドの町より若干近いところにあるニーシュというごく小さい村に赴き、薬草を煎じたものや手芸品などを物々交換しているそうだ。

「だって今日はパティの服を買いに来たんだもの」

 あの。本当に着るものなんて何でもいいですから。

 なんて何やらうきうきした様子のリューディアに向かって言えるわけがない。

 なんとも曖昧な笑みを浮かべていると、ふとリューディアは申し訳なさそうな、少々ばつが悪そうな表情になって首をすくめた。

「でも……。私ったらつい自分本位で考えてしまって……。遠かったでしょう?本当に大変だったわよね。ごめんなさいね……?」

 ぶんぶんと勢いよく首を横に振りながら、パトリシアは自分も申し訳ない気持ちになってきた。


 たぶんリューディアは、長い間独りで暮らしてきた。









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