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見切り発車してしまいました。
眠気を誘う濃い橙色の照明と行き交う人々の囁き声の下、パトリシア・エストンは伏せていた顔を上げた。
膝には汚れたスケッチブック(というより彼女にはそれは汚れているようにしか見えない、描きかけのデッサン)それから小さなノートとルーズリーフが何枚か。
鉛筆を握ったままの片手はくしゃくしゃに縮れた金髪の中に突っ込まれ、顰めた面からは今にも動物の唸り声のようなものが漏れそうであった。
目の前には挑戦的に剥き出された裸婦、の絵画。パトリシアはしばらく彼女と睨み合いに興じた後、こらえきれずに大あくびしてしまった。腰に片手を添えるその婦人はこんな簡単な線描もできないのかと今にも小言を言いたそうである。パトリシアは視線を外した。
陽射しに温かく照り映える白亜の壁を持つ、それなりに大きく立派な佇まいの美術館だった。何回かの工事で内装はすっかり現代的になり、休日ともなればパトリシアとてこんなに悠長な真似はできない。そしてそれが企画展示ならなおさらである。
彼女がいるのは平日の午後の、常設展示ブースだった。
一部屋に人は数えるほどしかいない。おかげでソファを伸び伸びと占有し、ああでもないこうでもないと胸中でぼやきながら夢中になって絵の勉強ができるというわけだ。そんな環境をここ最近最大限に利用している。
……だからといって絵の腕が上がる兆候はどこにも見られなかったが。
しばらくの間凝った肩をもみほぐしていたパトリシアはスケッチブックを所在無げにめくった後、諦めたように立ち上がった。もう傍らの裸婦には目もくれない。
彼女が進んだのは左に曲がった次の区画。そしてその一番奥の隅に掲げられた額の許だった。
「はあ……」
思わず感嘆の声を漏らしてしまう。周囲には誰もいなかったが、たとえいたとしても一向に気にはしなかったはずだ。それほどまでに彼女の心を虜にし、夢見心地にさせてしまった一服の絵。