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隣に座る  作者: 近藤近道
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第七話

 一日の中でも登校するために歩いている時間は結構好きだ。朝早くに家を出ると人も車も少ない。自室より広いスペースが自分一人のためにあるような気がして、のびのびと歩くことができる。

 一人でいること自体は苦ではない。誰にだって一人になりたい時はあるだろう。他人のことを考えないでいい気楽な時間はストレスとは無縁で居心地がいい。しかし他者が溢れている場所で一人なのは苦しい。たくさんの人がスペースを共有している中で自分は一人だというのがあまりにも頼りない。自分の世界が他人に圧迫されているようなストレス。心の強度は隣に親しい誰かがいることで保たれるのだろう。だから友達の少ない僕は電車という空間が苦手だ。

 いつもの位置に立った僕は、普段なら座っている人たちに背を向けるようにするのだけど、そうする前に硬直してしまった。相原さんが座っていた。少し考える。こういうことは、あるのか。だってこの前一緒の電車に乗った。もしかしたらよく似た別人かもしれない、という言い訳を自分にして、気付かなかった振り。いつもならそうした。そうやって抑圧してきたものが、相原さんへ向けて殺到しようとしている。

「隣、座ってもいいですか?」

「いいよ。おはよう」

「おはようございます」

 席が空いている場合、見知らぬ人の傍に座ろうとする人はいない。人と人との間にある空白がそのまま警戒のように見える車内。他人に触れないでいる緊張感が充満しているせいでそれ以上口を開く気にはなれなかった。

 電車から降りて、やっと普通の空気を吸えたところで話しかける。

「相原さん、学校来るの早いんですね」

「竹村君こそ。部活やってるわけじゃないんでしょ?」

「誰もいない教室でぼんやりしてるのが好きなんですよ」

 相原さんは親指を立てた。深く頷きながら「わかってるね」と彼女は言う。

「僕、コンビニ寄るので」

 そう言って会釈して、別れようとした直後、相原さんは「それじゃあ私も行く」と言った。

「コンビニ入るの久しぶり」

 自動ドアが開くと相原さんはそう言って、きょろきょろと店内を見回し始めた。

「前に来たのはいつですか?」

「確か中学の時だったね」

 僕の後をついてきながらそう答えて、修学旅行の時に充電器を忘れた友人が「どうしても携帯の充電がしたい」と言うものだから立ち寄ったのが最後だということを話す。

 おにぎりを二つ取る。

「両方梅」

「好きなんですよ。最近食べてなかったので、たまにはいいかなと」

 そして「相原さんは何か買わないんですか?」と聞くと彼女は「そうだね。せっかくだからなんか買ってこうかな」と言って、お菓子を見始めた。

 僕はいつも通りに緑茶を一緒に買って、相原さんはチョコレートのお菓子を買った。

 コンビニから出ると相原さんは空を見上げた。僕もそれに釣られる。今日は晴れている。何度も塗り重ねたような水色が空に溜まっていた。

「お昼まで晴れてるといいね」

「そうですね」

 お昼まで。期待してもいいのだろうか。

 眠い授業を乗り越えて、昼休みになった。いつの間にか僕の席は僕の居場所ではなくなっていた。雨の日にここで昼食を食べていると、とても苦い。でも今日は無事晴れていた。今朝の相原さんの言葉を思い出しながら、いつもの場所へ向かった。

「隣、いいですか?」

「いいよ」

 いつものやり取り。あのカップルがいちゃついているのも同じだった。ただ、向こうとは違ってこちらは少しずつ変化しているみたいだった。僕が少しずつ相原さんとの昼食に慣れてきていて、あまり緊張しなくなってきたこととか。

「ねえ」

 深刻そうに話しかけてきたと思ったら「やっぱなんでもない」と相原さんは言う。これも変化に入るのだろうか。

「どうしたんですか?」

 やっぱなんでもない、だなんて。まるでアニメかドラマみたいな台詞だ。

「ああ、うん、まあ、いいのか」

 僕に話しているのか独り言なのかよくわからない呟き。それでも何かを決心したらしく、彼女は言った。

「ちょっとね、悩み事があるんだよね」

 こちらが促す間も無く、相原さんはその悩み事というものを語った。

「この前、部活やめたんだよね。やっててあんま楽しくなかったし、女子全然いなくて友達できなかったっていうのもあってさ。やめようって思った時は、私の高校生活はこんなじゃない、もっと自由で楽しくあるべきなんだ、って思ってたんだけど、いざ部活をやめてみると暇なだけなんだよね」

 早く家に帰れるようになったのにゲームしてばかりで勉強をするわけでもない。これなら部活をしていた方がよっぽどまともな生活をしていたのではないか。

「それで今、部活やるべきかどうか悩んでて。でも今更どこかに入ってもつまらないんじゃないかなっていう気もするんだよね」

「ちなみに前はなんの部活をやってたんですか?」

 なんとなく運動部のような気がした。この前、グラウンドで部活している人たちを見ていたし。

「囲碁」

「ああ、そうなんですか」

 違った。それはともかくとして。

「無理に部活しなくてもいいと思いますよ。そりゃ部活に励んでいた方が美しい青春って感じはするんでしょうけど、やってなくたって楽しい高校生活は送れるはずですよ。というか、そう信じてないとやってられない立場です。僕が」

「そっか。竹村君も部活入ってないんだもんね」

「たくさん人がいるのって、苦手なんですよね。埋もれがちなので」

 僕が部活に入らない理由なんてどうでもいいのだ。それよりも相原さんの助けになってあげたい。たぶん部活をやった方が好ましいのだ。人付き合いとか遅くまで活動することとかが苦にならないなら、損をすることは無いだろう。大人になってから「あの頃は若かった」と振り返る思い出になるはず。でも素直に「部活入るべきだよ」と言うのを躊躇ってしまう。部活に入っていない僕でも、それに劣らないくらい楽しい生活を送れるはずだ。

「そうだ。それじゃあ今日の放課後、一緒にどこか行きませんか?」

 きょとんとされる。そして彼女はなめらかに動く秒針のようにゆっくりと首を傾げた。

「部活に入らなくても楽しいかもしれませんよ」

 そう言うと、クエスチョンマークを作りそうだった首が、直線に戻る。

「うん、わかった。じゃあそうしてみよっか」

 嬉しさと同時に、すんなりと同意してくれたせいか、相原さんを騙しているような気分になってしまった。友達と雑談しながら放課後に寄り道する、という光景なら、それは学生の美しい日常になってくれるだろう。だけど僕たちは友達と言える関係なのか、自信が無い。

 午後の授業を乗り越えて、下駄箱で待ち合わせた僕たちは靴を履き替え、校舎から出る。

「それで、どこ行くの?」

「この近くでぶらぶらするとなると、限られますね。本屋かハンバーガーかってところですかね」

 東京だったらもっと選択肢があったのかもしれない。駅までの道に娯楽はほとんど無い。

「本屋がいいかな」

「ではそうしましょう」

 それでも学校に近い本屋に行くには少し遠回りをしないといけない。いつも歩いているのとは違う道を通る。慣れないことをするものだから話題が見つからない。幸福を意図的に作ろうとしても難しい。偽造さえできない。そもそも何をすれば心は満たされるのか。

 話すことも無いまま本屋に到着する。相原さんの後ろを歩く。彼女は数学の参考書の所で足を止めた。

「参考書ってどれ買えばいいんだろうね」

「どうなんですかね」

 既に受験を意識して勉強している人がいるみたいだ。僕のクラスでも、こいつは勉強が生きがいなのではないか、と思ってしまうようなやつがいて、朝から参考書を開いて勉強しているのを見たことがある。僕はそういうのはさっぱりだ。受験と言われてもぴんと来ない。自分はどこの大学に行けばいいのか。

「来年の今頃どうなってるんでしょうね。夏休み前だからまだのんびりできるんですかね」

「どうだろう。でも夏休み入ったら、皆受験モードに入っちゃうだろうね」

「ですよね。嫌だなあ」

 僕たちに残された青春のために費やせる時間は意外と少ないことに気付いた。一年経てば、高校生活をエンジョイ、なんて言ってられなくなる。一年なんてすぐだ。たった一年だけしかいられないのだから、部活に入ってもきっと楽しくない。そんな言い訳を思いついてしまう。でもそれは言わないように決める。自分の方しか向かないように仕向けるのには抵抗があった。実現できるかどうかはともかくとして、やるべきじゃない。自由な相手に選ばれるからこそ交友は成り立つのだ。

「まあ、嫌じゃない人なんていないでしょ。仕方ないことだよ、こればっかりは」

 そう言いながら相原さんは英語の参考書を開き、ぱらぱらとページをめくる。僕はただ並んでいる表紙を眺めているだけ。

「そうですね」

 相原さんは何冊か中身を見て、そして「これにしよう」と言って買う物を選んだ。

「竹村君は買わないの?」

「僕はまだいいです。何が必要なのか、わからないし」

 僕は選べない。損をする選択が嫌だ。選択肢が出る度、選んだ瞬間にバッドエンドが確定してしまうような気がする。だからつい先延ばしにしてしまうのだ。いつまでも昼休みが続けばいいのに、と思ってしまう。でも外に出ると、日は傾いていた。

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